自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~   作:パラレル・ゲーマー

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第149話 オラクル374、起動

 翌朝。

 

 白石啓吾は、まだ自分が空の上にいるという事実を完全には受け入れられないまま、息子の蓮と並んで居住区画のゲート前に立っていた。

 

 昨日の夜、食堂で聞かされた話は、どれも現実離れしていた。ヤタガラスは太平洋や日本近海を巡回し、月に一度は大気圏外から地球を眺める見学イベントすらあるという。

 だが、それでも昨日までの驚きは、まだ「生活」の範囲に収まっていた。

 

 今日から先は違う。

 

 ここからは、研究区画。アンノウン機関の本当の中枢である。

 

 家族である美沙が入れるのは、ここまでだった。

 研究区画入口の白いゲートの前で、彼女は二人の背中を軽く叩いた。

 

「二人とも、頑張ってね」

 

「行ってきます」

 

 蓮が元気に答える。

 

 白石は、少しだけ緊張した顔で妻に頷いた。

 

「何が待っているか分からないが……行ってくる」

 

「不吉なこと言わないでよ」

 

 蓮が苦笑する。

 二人は美沙と別れ、研究区画への専用ゲートへと進んだ。ゲートを抜けた瞬間、生活区画の和やかな空気は一変した。

 真っ白な壁。静かで冷たい照明。一定間隔で配置された、鋭い目つきの警備員たち。そして、複数段階の厳しい認証ゲートが彼らを待ち受けていた。端末認証、生体認証、網膜スキャン、そして声紋認証。

 

「これより先は、研究管理区画となります」

 

 ゲートの係員が、無機質な声で警告する。

 

「許可のない情報の持ち出し、録音、撮影、個人的な記録は一切禁止されています。皆様の研究ログ、および行動履歴は、すべて専用のサポートAI『オラクル』を通じて一元管理されます」

 

 白石は、ここで息子と別のルートへ分かれることになった。

 

「父さん、昼にまた食堂で」

 

 蓮が手を振る。

 

「ああ。無事ならな」

 

「だから、不吉なこと言わないでって」

 

 蓮は笑って、自分の指定された『制御・数理解析区画』へと歩いていった。白石もまた、深呼吸をして、自らの職場となる『先進微細医療技術区画』へと向かった。

 

 ◇

 

 白石が案内されたのは、第一研究室と呼ばれる広い部屋だった。

 そこにはすでに、十数名の研究者たちが集まっていた。顔見知りの医師、再生医療のトップランナー、免疫学者、薬学者、そして医療倫理の専門家。いずれも、日本の医療界を牽引するエリートたちだ。

 彼らは全員、白衣に身を包み、いかにも「研究者」としての厳格な顔つきをしている。……だが、彼らが集まって交わしている話題は、決して高尚な医学の議論ではなかった。

 

「聞きましたか。月に一度、大気圏外の見学イベントがあるそうですよ」

「映画館が四十スクリーンもあるというのは、本当ですか」

「衣服も日用品も、艦内の百貨店で買えるとか」

「食事が無料というのは、どこまで無料なんですかね」

「私の妻は、昨日のうちに近所の奥さんたちとお茶会を開いていましたよ」

 

 白石も、思わず話の輪に入って言った。

 

「私の妻は、昨日のうちに良い寝具の売っている店をリサーチしていました」

 

 研究室に、どっと笑いが起きた。

 その場にいる全員が、まだ「研究者」としてのスイッチを入れられていなかった。まず、このヤタガラスという施設そのものに圧倒され、研究者としての知的好奇心よりも、一人の生活者としての混乱と興奮が勝ってしまっていたのだ。

 

 和やかな感想会が続いていた、その時。

 部屋の奥の扉が、音もなく静かにスライドして開いた。

 

 入ってきたのは、一人の美しい女性だった。

 白衣に近い、だが医療スタッフとも秘書ともつかない、清潔で機能的なデザインの服装。落ち着いた、隙のない所作。そして、人間にしか見えない、しかしどこか完璧すぎるほど整った顔立ち。

 彼女は部屋の中央まで進み出ると、研究者たちに向かって深く一礼した。

 

「初めまして。当研究室のサポートを担当いたします、オラクル374でございます。呼称は、『ミナヨ』とでもお呼びください」

 

 研究者たちの笑い声が、ピタリと止まった。

 白石は、思わず自分の腕の端末に目を落とした。そこには、彼女と連動していると思われる情報が表示されていた。

 

『ORACLE−374/医療区画支援個体』

 

 ミナヨと名乗った彼女は、微笑みを浮かべて顔を上げた。

 

「まず、本研究室における業務の説明から始めます。こちらでは、アンノウン氏が開発した『先進微細医療技術』の一部にアクセスし、解析していただきます。公開済みのがん治療ナノマシン群の挙動解析、体内環境制御技術、選択的除去・回収技術、そして将来的な『人工臓器基盤技術』の基礎研究が主な対象となります」

 

 人工臓器。その単語が出た瞬間、医学者たちの目の色が変わった。雑談の空気は完全に消え去り、猛烈な知の渇望が部屋を満たす。

 

 ミナヨは、言葉を続ける。

 

「ただし、すべての情報が初日から開示されるわけではありません。皆様の適性、理解度、精神状態、そして守秘義務の遵守状況に応じて、段階的にアクセス権が付与されます」

 

 白石は、少しだけ前に出て尋ねた。

 

「あなたは……AIなのですか?」

 

 ミナヨは、白石の方を向き、完璧な笑顔で答えた。

 

「肯定します。私はオラクルシリーズの一個体、研究支援AIです。皆様の秘書、研究補助、資料検索、実験ログの管理、危険行為の警告、精神状態のモニタリング……そして、必要に応じた『制止』を担当いたします」

 

 別の医師が、恐る恐る聞き返す。

 

「制止、とは?」

 

「はい」

 

 ミナヨの笑顔は変わらない。だが、その声の温度がわずかに下がったように感じられた。

 

「規約違反、危険な実験手順の強行、情報の不正持ち出しが確認された場合。私は、皆様を『物理的に停止』させる権限を持っております」

 

 場が、完全に静まり返った。目の前にいるこの美しい女性が、いざとなれば自分たちを力ずくでねじ伏せる「看守」でもあるという事実。

 

 ミナヨは、場の空気を和らげるように、柔らかく続けた。

 

「ご安心ください。皆様がルールを守って研究に専念される限り、その必要はございません」

 

 誰も、安心できなかった。ミナヨは、少しだけ首を傾げて付け加えた。

 

「なお、私のこの外見が、皆様の研究の集中を妨げるようでしたら、いつでもお申し付けください。性別の変更、中性的な外見、犬型、猫型、鳥類型、あるいは爬虫類型など、複数の義体が用意されております」

 

 研究室が、別の意味で沈黙した。

 白石が、たまらず小声で突っ込む。

 

「……爬虫類?」

 

「はい。一部の研究者には、感情を読み取りにくい爬虫類型のフォルムが好評であると予測されております」

 

 研究者たちは、もう何から突っ込めばいいのか分からず、互いに顔を見合わせた。

 ミナヨは、部屋のメインモニターの電源をオンにした。

 

「では、雑談はここまでにして。……まず、何を調べましょうか」

 

 その一言で。彼らの、地獄と歓喜に満ちた研究の日々が幕を開けた。

 

 ◇

 

 白石たちは、まずミナヨから、すでに公開されている先進微細医療技術の基礎的なロジックについて整理とレクチャーを受けた。

 がんしぼり君の監視アルゴリズム。二段ロケット式消しゴム君の物理的切除プロセス。ザルすくい君の血液濾過システム。体内環境の調整、局所免疫の補助機能。

 それらの基礎データの断片を見るだけでも、医学者たちにとっては驚愕の連続だった。彼らが何年もかけて仮説を立てていた細胞のシグナル伝達を、ナノマシンは極めて直接的かつ物理的な手法でハッキングし、書き換えてしまっているのだ。

 

「……信じられない。これほど精緻な制御が可能なのか」

 

 免疫学者が、モニターに齧り付くようにして呻いた。

 ミナヨは、次の資料を開いた。

 

「では、本日のメインテーマに移ります。こちらは、将来的な応用候補の一つ。……『人工肝臓サンプル』の基礎設計データです」

 

 白石の目が、画面に釘付けになった。

 そこに表示されたのは、人間の肝臓を模した、複雑なネットワーク構造の3Dモデルだった。血液の流入、胆汁の生成と排出、老廃物の代謝、解毒プロセス。それらが、生体組織とナノマシンのハイブリッド構造によって、完璧にシミュレートされている。

 

「理論上、正常な肝機能の完全な代替が可能です」

 

 ミナヨが淡々と解説する。

 

「拒絶反応の制御、および周囲の細胞への定着プロセスもアルゴリズムに組み込まれています。……ただし、これはあくまで理論モデルであり、人間を用いた臨床試験は一切行われておりません」

 

 白石は、息を呑んだ。

 肝不全で、黄疸に苦しみながら死んでいった患者たちの顔が、次々と脳裏に浮かんだ。もし、この人工肝臓が実用化されれば。ドナー待ちという残酷な順番待ちの列は消滅し、無数の命が救われる。

 

 その時。白石の心の中に、ふと、恐ろしい考えが浮かび上がった。

 

(……今すぐ、試したい)

 

 マウスでもいい。いや、いっそ末期の患者で、誰かこのモデルを実験させてくれないか。理論が完璧なら、動くはずだ。今すぐ、この手で、この奇跡を確かめたい——。

 

 白石は、自分のその思考に、自分で愕然とし、激しく後ずさった。

 

「……っ!」

 

 自分は今まで、患者を「実験台(モルモット)」として見たことなど一度もなかった。治験を勧める時も、常に患者の不利益を第一に考え、慎重に慎重を期してきたはずだ。人体実験をしたいなどと、考えたこともなかった。

 だが、この目の前にあるデータは。医師としての倫理観のタガを、一瞬で外してしまうほどに、あまりにも完璧で、あまりにも魅力的すぎたのだ。

 

 白石は、震える両手を強く握りしめた。

 

「白石啓吾医師。心拍数と発汗量が上昇しています。必要であれば、閲覧を一時停止します」

 

 ミナヨが静かに言う。

 

「……いや、続けてください」

 

「承知しました。ただし、倫理担当官への相談ログを自動作成いたします」

 

 白石は、自分が本当に監視されていることを実感する。そして同時に、監視されていて良かったとも思う。

 

 ◇

 

 高出力光学・指向性エネルギー研究室。

 あるエネルギー光線・レーザー専門の科学者が、試験映像を見る。

 鉄塊二十キロ。高出力レーザー。一撃で赤熱し、溶解し、蒸発する。精度は異常。熱拡散は制御され、周囲への損傷は最小。

 科学者は椅子に座ったまま動けない。

 

「これは、表の研究で到達できる威力ではない」

 

 オラクルが説明する。

 

「この技術は、産業加工、宇宙デブリ除去、災害切断、医療応用への転用可能性があります。同時に、軍事転用リスクは極めて高いと評価されています」

 

「恐ろしいものを見た」

 

 エネルギー研究区画。

 核融合研究者たちは、13メートル級教育用炉の教材データの一部を見る。たった数式数ページ。それだけで、自分たちが十年かけて議論してきた問題が、別角度から解かれている。

 老核融合研究者が沈黙する。

 

「閲覧を一時停止しますか」

 

 オラクルが問う。

 

「いや、続けろ。落ち込む暇も惜しい」

 

 制御・数理解析区画。

 白石蓮は、自分のオラクルと会話している。まだ研究というより授業に近い。だが、その授業の密度が異常だった。蓮の疑問に、オラクルは即座に答える。ただし答えそのものを渡すのではなく、次の問いを投げる。

 

 蓮は笑ってしまう。

 

「これ、最高だ」

 

「学習意欲の上昇を確認しました」

 

「当たり前だよ。こんなの、大学じゃ絶対に学べない」

 

 ◇

 

 昼。基本食堂に、研究者たちが戻ってくる。

 朝とは表情が違う。全員、何かを見てしまった顔をしている。

 

 白石はトレイを持って席につく。そこに、レーザー専門家、核融合研究者、材料学者、情報工学者、息子の蓮が集まる。

 最初に口を開いたのは、レーザー専門家だった。

 

「恐ろしいものを見た」

 

「何を見たんですか?」蓮が尋ねる。

 

「鉄二十キロを、レーザーで一撃で溶かし、蒸発させていた。威力も恐ろしいが、精度が異常だ。周辺熱損傷がほとんどない。あれは加工機械でもあり、兵器でもある」

 

 材料学者が言う。

 

「こちらは人工肝臓の基礎素材データを見た。医療班の先生、そちらでも見ましたか」

 

 白石は少し黙ってから答える。

 

「見ました。完璧に近い人工肝臓のサンプルデータです。理論上、正常に動作する。……恥ずかしい話ですが、私は一瞬、人体実験をしたいと考えてしまった」

 

 場が静まる。

 

「今まで患者を、そんな風に見たことはありません。でも、あのデータを見た瞬間、肝不全で死にかけている患者に使えば救えるかもしれないと考えてしまった。その誘惑が、恐ろしい」

 

 核融合研究者が、静かに頷く。

 

「分かります。こちらも午前中だけで、過去十年間の研究を凌駕する発見がありました。素晴らしい場所に来た。同時に、恐ろしい場所に来た」

 

 情報工学者が言う。

 

「私は、オラクルとずっと会話していました。AIだと分かっているのに、超優秀な人間と話しているようにしか思えなかった。あの義体だけでも研究対象にしたい」

 

 材料学者。

 

「人工臓器があるなら、人工義手や義足もあるでしょうね。神経接続や人工皮膚も、時間の問題かもしれない」

 

 蓮が、明るい声で言う。

 

「僕の研究室、最高でした。オラクルが、答えをくれないんです。でも、答えに近づく道を示してくれる。学ぶのが楽しいって、久しぶりに思いました」

 

 大人たちが蓮を見る。若さゆえの無邪気さ。だが、その無邪気さは、彼らの疲れた心に少しだけ光を入れる。

 

 核融合研究者が苦笑する。

 

「恐ろしいのは、これでまだ一日も経っていないことですね」

 

 白石は、深く頷く。

 

 ◇

 

 夜。白石家の3LDK。

 美沙が夕食後のお茶を淹れている。白石は疲れ切った顔でソファに座っている。蓮は興奮が抜けない様子で端末を見ている。

 

「話せる範囲でいいけど、どうだった?」美沙が問う。

 

 白石は少し考える。守秘義務がある。具体的な技術内容は言えない。

 

「凄いところに来た」

 

「それは昨日から分かってるわ」

 

「いや、施設だけじゃない。研究の中身もだ。医者として、少し怖くなった」

 

 美沙は何も聞かず、ただ頷く。

 

「怖いと思えるなら、大丈夫じゃない?」

 

 白石が顔を上げる。

 

「あなた、怖いと思わなくなった時の方が危ないと思う」

 

 白石は黙る。その言葉は、今日ミナヨに監視ログを作られた時の感覚と重なる。

 

 蓮が明るく言う。

 

「僕は、すごく楽しかった」

 

「楽しかった?」

 

「うん。自分が知らないことだらけで、でもちゃんと学べる。オラクルはすごいけど、馬鹿にしてこない。こっちが考えるのを待ってくれる。研究室、最高だった」

 

 白石は、息子を見る。若い。危うい。けれど、純粋に学ぶことを喜んでいる。

 

「父さんも、怖いだけじゃなくて、学べばいいんじゃないかな。医者として、患者さんを救うために」

 

 白石は、しばらく黙った後、小さく笑う。

 

「そうだな。学ぶ姿勢が大事だな」

 

「じゃあ明日も頑張って。私はご近所さんに映画館の予約方法を聞いてくるから」美沙が言う。

 

「君は本当に強いな」

 

「生活担当ですから」

 

 白石は笑う。そして、窓の外を見る。雲の上を進むヤタガラス。遠くに月。その下に、眠る地球。

 白石は思う。自分たちは、とんでもない場所に来た。だが、ここで学ばなければならない。患者を救うために。息子の未来のために。そして、人間が神の火に焼かれないために。

 

 閉域研究施設。政府はそう説明していた。

 だが、そこは地下でも、孤島でも、無機質な研究所でもなかった。一万人が暮らし、映画館があり、食堂で歓迎会が開かれ、家族がご近所付き合いを始める、空を飛ぶ街だった。

 

 そして、その街の奥には、神の火を翻訳するための研究室があった。人工肝臓。高出力レーザー。核融合炉。重力制御。そして、人間より人間を理解する人工の秘書、オラクル。

 

 五百人の科学者たちは、この日初めて理解した。彼らは研究施設に来たのではない。人類の未来が、まだ言葉になっていない場所へ招かれたのだ。

 恐ろしいのは、これがまだ初日に過ぎなかったことである。




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