自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~   作:パラレル・ゲーマー

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第164話 帰ってこられる夢を作れ

 ヤタガラス都市艦内、高度先駆者技術翻訳機構(通称:アンノウン機関)。

 その巨大な閉鎖環境の一角に設けられた研究員用休憩室は、高級ホテルのラウンジを思わせるような落ち着いた空間だった。

 片側の壁面は一面のガラス張りになっており、都市艦内部の広大な景色——緻密に計算された人工空と、眼下に広がる街並み——が一望できる。無料のカフェコーナーには常に挽きたてのコーヒーの香りが漂い、ゆったりとしたソファや仮眠用ポッド、そして研究のアイデアをいつでも書き留められるよう、あちこちに端末が配置されていた。

 

 ここに集められた科学者たちは、この異常な環境での生活に、少しずつではあるが適応しつつあった。

 

「ここ、研究施設というより完全に未来都市だよな」

 

 コーヒーカップを片手に、ロボティクス系の若手研究者が窓の外を眺めながら呟いた。

 

「ああ。食堂のご飯も美味すぎるし、ベッドの寝心地も最高だ。四十もある映画館の使い道はまだよく分からないが」

 

 神経科学を専門とする研究員が、ソファに深く腰掛けながら苦笑する。

 

「正直、快適すぎて仕事に戻りたくなくなるから、休憩室をあんまり充実させないでほしいくらいだよ」

 

 そんな、どこか和やかな空気が漂う中。

 情報工学と神経インターフェースを専門とするオタク気質の研究者、相良悠人(さがら・ゆうと)が、おもむろに空間に向かって声をかけた。

 

「なあ、オラクル」

 

 その呼びかけに応じ、休憩室の空間が微かに歪み、美しい女性型の支援AI『オラクル』がホログラムとして音もなく顕現した。

 

「はい、相良様。何かご用でしょうか?」

 

 相良は、手元の端末から目を離し、少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべて尋ねた。

 

「アンノウン機関ってさ、SF映画みたいなチート技術が山ほどあるじゃん。核融合とか、重力制御とか」

 

「肯定します。当機関には、地球の現行技術水準を大きく上回る技術群が管理・保管されております」

 

「じゃあさ」

 

 相良は、身を乗り出した。

 

「SAOみたいなフルダイブ式のゲームとか、ないの?」

 

 その瞬間、休憩室にいた他の科学者たちから、ドッと笑い声が漏れた。

 

「出たよ」

「おい相良、国家の最高機密機関の休憩室で聞くことか、それが」

「お前、本当にブレないな!」

 

 同僚たちが呆れ半分で茶化す中、相良は「いや、気になるだろ! 技術的には絶対作れるはずじゃん!」と言い返そうとした。

 

 だが。

 

「ありますよ?」

 

 オラクルの、極めて平坦で、なんの感情もこもっていない声が、休憩室の笑い声をピシャリと止めた。

 

「遊びますか?」

 

 シン……と。

 休憩室が、完全な静寂に包まれた。

 コーヒーカップを口に運ぼうとしていた研究者の動きが止まり、窓の外を眺めていた男がゆっくりと振り返る。

 

 一拍の沈黙の後。

 科学者たちが、一斉に叫んだ。

 

「あるのかよ!!」

 

 ◇

 

「マジで!? 本当にあるの!? いや、画面の前に座ってゴーグル被るだけのVRじゃなくて、マジで意識ごと世界に入るやつ!?」

 

 相良が、椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がり、オラクルのホログラムに詰め寄った。

 

「はい。脳神経接続型仮想環境システムを利用した、娯楽用フルダイブゲーム環境がございます」

 

「名前が急に医療機器っぽい!」

 

 相良が興奮気味に突っ込む。

 

「医療用途や高度シミュレーションにも使用可能な基盤技術ですので」

 

 オラクルは淡々と答えながら、休憩室の奥の空きスペースを指し示した。

 床が音もなくスライドし、そこから一つの装置がせり上がってくる。

 

 それは、流線型のスマートな寝椅子型ポッドだった。

 頭部を覆うように設計されたリング状のインターフェース。首や手首に装着すると思われる、薄く軽量なセンサー群。脳波や神経信号を読み取るための淡い光が、ポッドの縁を静かに明滅している。

 地球のゴツゴツとしたVR機器のような物々しさは全くない。だが、その洗練されすぎたデザインは、逆にこれが「別次元の機械」であることを無言で主張していた。

 

「本当に、フルダイブの機械だ……」

 

 相良は、震える手でポッドの縁を撫でた。

 

「安全制御は有効です」

 

 オラクルが、傍らの空中にホログラムのウィンドウを展開しながら説明を始める。

 

「強制復帰機能、神経負荷制限、感覚刺激制限、痛覚遮断、心理負荷監視を標準設定にしております。稼働中の利用者のバイタルサインは、システムにより常時監視されます」

 

「……ゲームの説明じゃなくて、集中治療室(ICU)の説明みたいだな」

 

 先ほどまで笑っていた神経科学者が、引きつった笑いを浮かべた。

 

「安全は重要です」

 

 オラクルは、一ミリも表情を変えずに即答した。

 

 ◇

 

「よし、俺がやる! 俺が最初にやる!」

 

 相良が、誰よりも早くポッドに乗り込もうと身構えた。

 

「おい、本当にやるのか?」

「先に倫理審査とか要らないのか?」

「休憩時間のゲームに倫理審査するなよ」

「いや、でもこれ脳に直接繋ぐんだろ? 万が一のことがあったら……」

 

 周囲の科学者たちが、ワクワクしながらも少しだけ不安そうに止めに入る。

 

「本機材の使用は、アンノウン機関内限定試験として扱います」

 

 オラクルが、システム上の処理を告げる。

 

「相良様のバイタル、神経負荷、心理反応は常時監視し、異常が検知された場合は即座にセーフティー・ログアウトを実行します」

 

「よし、お墨付きが出た! じゃあお願いします!」

 

 相良は、迷いなくポッドに寝転がり、頭部インターフェースとセンサーを装着した。

 

「初回用に、軽量アクションRPG環境を起動します。……地球の既存ゲームを、当方のAIによりフルダイブ環境へコンバートしたものです」

 

「既存のゲームをフルダイブ化できるの!?」

 

 相良が目を丸くする。

 

「可能です。描画エンジンおよび物理演算の次元変換を実行し、感覚フィードバック用の補間データを自動生成します」

 

「さらっと言うなぁ!」

 

 相良が驚愕している間に、オラクルのシステム音声が静かに響いた。

 

『リンク、開始します』

 

 相良の意識が、フッと現実から切り離された。

 

 ◇

 

 休憩室の壁面に設置された大型モニターに、相良の視点(ファーストパーソン)の映像が映し出された。

 そこには、美しい緑の草原と、抜けるような青空が広がっていた。手には、金属の質感をリアルに放つ一本の剣が握られている。

 

『うわっ……!』

 

 モニターのスピーカーから、相良の震える声が響いた。

 

『なにこれ、本当に入ってる! 視界が全部ゲームだ!』

 

 画面の中で、相良は自分の両手を見つめ、指を何度も動かしている。その動きは極めてスムーズで、全く遅延(ラグ)を感じさせない。

 

『待って、足元の地面……土の硬さが分かる!』

 

 相良が、仮想の草原を数歩歩き、そして突然走り出した。

 風を切る音。草を蹴る感触。

 

『風! 風が当たってる! うおおおお! 触感ある! 触感あるぞこれ!』

 

 休憩室が一気に沸いた。

 

「すごいな……! 視線移動が自然すぎる」

「モーションキャプチャじゃない。完全に本人の意思で動いている」

「遅延は?」

「ほぼないように見えるぞ」

「触覚の再現はどうやってるんだ? 専用のスーツも着ていないのに」

 

 画面の中で、相良が剣を振り回し、目の前のスライムのようなモンスターに斬りかかった。剣が肉を断つ感触、反動、そして風の抵抗。すべてが完璧に脳へとフィードバックされていた。

 

『うおおおおお!! これだよこれ! 人類が夢見たやつ!!』

 

 相良は、完全に子供のように仮想空間ではしゃぎ回っていた。

 

 数分後。

 『強制復帰時間です』というオラクルのアナウンスと共に、相良がログアウトし、ポッドの中で目を開けた。

 

「……ッ!」

 

 彼はポッドから飛び起きると、顔を紅潮させて叫んだ。

 

「すごい! これ、本当にすごい!! もう一回! もう一回やらせて!」

 

 その瞬間、周囲の科学者たちの中から、大人気ない怒号が飛び交った。

 

「次は俺だ!」

「いや私だ! お前さっきまで倫理審査がどうとか言ってただろ!」

「じゃんけんで順番を決めろ!」

「おい、研究機関の大人がゲーム機で順番待ちするな!」

 

 オラクルが、静かにホログラムのパネルを展開した。

 

「整理券を発行しますか?」

 

「発行して!」

 

 相良が即答する。

 

「発行しました」

 

 本当に、アンノウン機関の休憩室で、日本を代表するトップ科学者たちによる「フルダイブゲームの順番待ち」が始まってしまった。

 

 次々に科学者たちがポッドに入り、体験していく。

 

 普段は冷静な医師が、仮想空間の果てしなく続く草原を全速力で走り回り、「息が上がらない!」と驚愕の声を上げる。

 材料工学者が、仮想の金属の壁や木箱を何度も叩き、「このテクスチャの反発係数はどう計算されているんだ……」とブツブツ言いながら感心する。

 情報系の研究者が、「一回だけ」と言って入った後、ログアウト直後に「もう一回! もう一回だけデータを取らせてくれ!」と懇願する。

 

 完全に、休憩室が新作ゲームの体験会会場と化していた。

 

 ◇

 

「……何の騒ぎだ?」

 

 休憩室からの異常な歓声を聞きつけて、他の区画から研究者たちが次々と集まってきた。

 その中には、先進微細医療技術区画で研究を進めている腫瘍内科医の白石啓吾や、ロボティクス系の権威である教授の姿もあった。

 

「まさか、実験の事故か?」

 

 白石が慌てて部屋に入ると、そこには大型モニターの前で歓声を上げる同僚たちと、ポッドに寝転がっている研究者の姿があった。

 

「あ、白石先生。フルダイブですよ」

 

「ゲームです。アンノウン製の、ガチのフルダイブゲーム」

 

「とにかくモニターを見てください」

 

 新しく来た科学者たちも、最初は「休憩室で何を遊んでいるんだ」と呆れたような顔をした。

 だが、モニターに映し出される映像と、ポッドにいる人間のバイタルデータ、そして操作の滑らかさを見て、彼らの表情は急速に凍りついた。

 

「……待て」

 

 ロボティクス系の教授が、モニターの隅に表示されているログデータに顔を近づけた。

 

「これ、本当に全身没入(フルダイブ)しているのか? ジョイスティックもグローブもない。なのに、この反応速度は異常だ」

 

 白石も、ポッドの横に表示されている脳波データの波形を見て息を呑んだ。

 

「……神経接続か?」

 

 ここで、休憩室の空気が少しずつ変わり始めた。

 最初はただの娯楽として、新しいおもちゃとしてはしゃいでいた科学者たちの目が、徐々に「研究者(プロフェッショナル)」のそれに切り替わっていく。

 

 ◇

 

「……待て」

 

 神経科学を専門とする研究者が、ログデータを食い入るように見つめながら、震える声で呟いた。

 

「オラクル。これ、脳の信号で操作してるのか?」

 

「はい」

 

 オラクルのあっさりとした返答に、休憩室の温度がスッと下がった。

 

「どのレベルで?」

 

 神経科学者が、さらに鋭く問う。

 

「脳波および神経信号の読み取り、運動意図の抽出、仮想身体への操作変換。さらに視覚・聴覚・触覚・平衡感覚などの、完全な感覚フィードバックを行っています」

 

「……ゲームの説明じゃない」

 

 情報系の研究者が、顔面を蒼白にして呟いた。

 

「娯楽用に制限した設定です」

 

 オラクルが淡々と補足する。

 

 その言葉に、科学者たちが一斉に反応した。

 

「制限?」

「これで?」

「今のが、意図的に制限されたダウングレード版だって言うのか?」

 

「はい。脳への直接的な干渉は、対象者の精神構造に重大な影響を及ぼす可能性があるため、現行の設定は極めて安全マージンを広く取った、軽量な出力に留めています」

 

 その圧倒的な技術の深淵を前に、白石医師が一歩前に出た。

 彼の目には、先ほどまでの「呆れ」とは全く違う、臨床医としての強烈な光が宿っていた。

 

「待ってください、オラクル」

 

 白石は、ポッドを指差した。

 

「それなら……。

 意識ははっきりしているけれど、身体は動かせない。……そういう患者でも、仮想空間で、自分の身体を自由に動かせるのですか?」

 

「条件によりますが、可能です」

 

 オラクルの即答に、休憩室が水を打ったように静まり返った。

 

「ALS(筋萎縮性側索硬化症)、脊髄損傷、重度外傷、神経筋疾患、長期臥床、そして……末期患者の緩和ケア」

 

 白石の口から、次々と絶望的な病名がこぼれ落ちる。

 

「……それらの患者も、適用候補となりますか?」

 

「肯定します。適用候補となります」

 

 白石は、言葉を失った。

 

 周囲の科学者たちも、先ほどまでの「ゲーム熱」から一気に冷め、それぞれの専門分野の視点から、この技術の本当の恐ろしさと可能性に気づき始めていた。

 

「……人工義手や義足と同じ系統か?」

 

 ロボティクス系の教授が、核心を突く質問を投げた。

 

「人工義手・義足技術の応用系統です」

 

 オラクルが答える。

 

「人工義手・義足は、切断された四肢の操作への部分的な接続ですが、こちらは仮想環境、および『外部機体』への広範な入出力に対応します」

 

「外部機体?」

 

 教授の目が、鋭く見開かれた。

 

「やろうと思えば、別のロボットを自分の身体として操作することも可能です」

 

 全員が黙った。

 誰かが、震える声で小さく呟いた。

 

「それは……ゲームじゃない」

 

 ◇

 

 沈黙を破ったのは、科学者たちの抑えきれない想像力の爆発だった。

 彼らの口から、この技術の応用先が次々と堰を切ったように溢れ出し始めた。

 

「寝たきりの患者の生活の質(QOL)が、根本から変わるぞ」

 

 白石が、熱を帯びた声で言う。

 

「仮想空間で、遠くにいる家族と会って、抱きしめ合うことができる。歩く感覚を取り戻せる。リハビリにも使えるかもしれない。幻肢痛の治療への応用もあり得る!」

 

「身体所有感の再構築が可能だ」

 

 神経科学者が続く。

 

「脳卒中後の神経回路の再学習、経路の訓練。……ただし、脳への直接的な影響評価が必須だ」

 

「別のロボットを自分の身体として扱えるなら」

 

 ロボティクス系の教授が、空間に仮想の設計図を描くように手を動かす。

 

「災害現場の遠隔作業。深海作業。宇宙作業。高濃度の放射線区域……。

 人間が物理的に行けない危険な場所へ、『身体感覚ごと』安全に行けるようになる」

 

「教育や訓練、技能伝承の概念も変わる」

 

 情報系の研究者が言う。

 

「ベテラン医師の手術の感覚を、そのまま若い医師にトレースさせる訓練。熟練技能者の動作の完全な記録。危険作業のシミュレーション」

 

 医療、福祉、産業、教育。

 あらゆる分野の壁を打ち破る、完全なパラダイムシフト。

 

 しかし、その光り輝く可能性の羅列に、一滴の濃いインクを落とすように、ロボティクス系研究者の一人が重い口を開いた。

 

「……別のロボットを自分の身体として扱えるなら。

 当然、戦場でも使おうとする者が出るでしょう」

 

 会議室の空気が、一気に冷え込んだ。

 

「遠隔操作のロボット兵士。痛みを感じない、死なない兵士。……サイボーグ兵よりもタチが悪いかもしれません」

 

「そこは、避けて通れませんね」

 

 白石が、顔をしかめて同意する。

 技術が光を持てば持つほど、そこに落ちる影もまた深く、濃くなる。

 

「肯定します」

 

 オラクルが、冷徹な声で締めくくった。

 

「本技術を、制限なしで公開することは非推奨です」

 

 ◇

 

「いや、待ってください!」

 

 重苦しい空気を切り裂くように、最初にゲームを体験した相良が慌てて声を上げた。

 

「医療とか遠隔操作が大事なのは分かります。危険な技術だってことも理解できます。

 でも、ゲームとしても進めてほしいです!」

 

 周囲の科学者たちが、一斉に相良を見た。

 こんな時にまだゲームの話をしているのか、と咎めるような視線もあったが、相良は一歩も引かなかった。

 

「だって、これは人類がずっと夢見てきたものですよ!

 画面の向こう側じゃなくて、世界の中に入るゲーム。空を飛んで、魔法を使って、剣を振るう。

 ……これを、『危険だから』『医療用だから』って理由で禁止して終わらせるのは、絶対に嫌です。娯楽だって、人間の心を豊かにする立派な使い道じゃないですか!」

 

 少しの沈黙が落ちた。

 

 やがて、白石が小さく頷いた。

 

「……それは、否定しません。

 これは娯楽としても、間違いなく革命です」

 

「ただし」

 

 神経科学者が、厳しい目で相良を見た。

 

「既存のゲーム依存とは、段階が違いますよ」

 

「分かってます」

 

 相良は即答した。

 

「本当に?」

 

 神経科学者の鋭い問いかけに、相良は少しだけ黙り込んだ。

 

 ◇

 

 相良は、自分の両手をじっと見つめ、そして、先ほどポッドから出た時の「違和感」を、ゆっくりと語り始めた。

 

「……現実に戻った瞬間。

 身体が、すごく重かったんです」

 

 休憩室が、静まり返った。

 

「いや、俺は健康ですよ。普通に歩けるし、腕も動く。

 でも、戻った瞬間に『重い』って、強烈に思った。

 仮想空間の身体が、あまりにも自由で、軽くて、痛みがなくて、完璧だったから。……ただのアクションゲームを数分やっただけで、現実の自分の身体が『不便な入れ物』みたいに感じてしまったんです」

 

 白石の表情が、ハッと引き締まった。

 

「もし、現実の身体が動かない人だったら……」

 

 相良は、白石を見て言った。

 

「これ、戻るの辛いですよ」

 

「そこです」

 

 白石は、ゆっくりと、そして重い声で言った。

 

「寝たきりの患者が、仮想世界で走れるようになる。

 それは間違いなく救いです。

 ですが……ログアウトした瞬間に、再び『動かない現実の身体』へと戻される。

 その圧倒的な落差を、我々はどう扱うべきでしょうか」

 

 誰も、すぐには答えられなかった。

 光を見せてから奪う行為は、最初から暗闇にいるよりも、人の心を深く残酷に壊してしまうことがあるからだ。

 

 ◇

 

 神経科学者が、ホワイトボードの前に立ち、マーカーでリスクを書き出し始めた。

 

【リスク1:仮想世界依存】

 ・現実より快適で、痛みがない。

 ・若い身体になれる。理想の見た目になれる。

 ・成功体験を簡単に作れる。人間関係を制御できる。

 ・結果として、現実へ戻る理由を失う人が出る。

 

「これは、画面を見る技術ではありません」

 

 神経科学者が、マーカーでボードを叩く。

 

「別の身体で、別の世界を生きる技術です。現実を捨てるための、最も甘美な麻薬になり得ます」

 

【リスク2:現実逃避の合法化】

 

「現実の苦痛を和らげることは医療です」

 

 白石が続ける。

 

「しかし、現実から完全に切り離してしまうことは、治療ではなく『隔離』になる可能性があります」

 

【リスク3:脳への直接入出力】

 ・感覚を作る。

 ・身体所有感に干渉する。

 ・記憶や恐怖に直接影響する可能性。

 ・強い快楽刺激による脳機能へのダメージ。

 ・違法改造(ジェイルブレイク)によるマインドコントロールのリスク。

 

【リスク4:身体感覚の混線】

 ・仮想身体と現実身体のギャップ。

 ・老化した身体への嫌悪感の増大。

 ・障害のある身体への絶望感の増幅。

 ・現実復帰時の極度な心理負荷(うつ状態の誘発)。

 

【リスク5:軍事・犯罪転用】

 ・遠隔ロボット兵による非人道的な戦闘。

 ・違法義体の遠隔操作による犯罪。

 ・危険作業者の搾取(痛覚がないことを理由にしたブラック労働の強制)。

 ・仮想空間での心理的・精神的攻撃(拷問)。

 

 書き出されたリスクのリストは、この技術がもたらす「ディストピアのカタログ」そのものであった。

 

「補足します」

 

 オラクルが、淡々と総括する。

 

「管理なき普及は、社会的依存、現実逃避、違法改造、そして人体への不正干渉を誘発する可能性が極めて高いと推測されます」

 

「つまり……最高に素晴らしいけれど、最高に危険な技術です、と」

 

 相良が、苦笑しながらまとめた。

 

「肯定します」

 

 オラクルは、一切の感情を交えずに言った。

 

「考えようによっては、極めて危険な技術です」

 

 ◇

 

「本技術は、娯楽として極めて有用です。

 医療、福祉、遠隔作業、義体操作、教育、訓練、精神療法、仮想社会形成にも応用可能です」

 

 オラクルは、一拍置いて、結論を告げた。

 

「応用範囲が、広すぎます」

 

 科学者たちは、その言葉の重みに黙って頷いた。

 

「したがって、制限なしで民間開放することは非推奨です。

 本技術は、ゲーム機であると同時に、脳と現実を接続し直す『基盤技術(プラットフォーム)』です」

 

 そして、オラクルは断言した。

 

「制限は、ガチガチに設けるべきです」

 

 その言葉に、相良が思わず吹き出した。

 

「オラクルが“ガチガチ”って言った……」

 

「相良様の語彙に合わせました」

 

 オラクルの完璧な切り返しに、重苦しかった休憩室に、ようやく少しだけ笑いが戻った。

 

 ◇

 

「でも、ゲームとしては進めたいです」

 

 相良が、改めて自分の意志を主張した。

 

「進めるべきです」

 

 白石も、それを否定しなかった。

 

「ただし、『帰ってこられる設計』にする。それが絶対条件です」

 

「連続利用時間の上限設定」

 

 神経科学者が提案する。

 

「神経負荷のリアルタイムチェック」

「心理状態の常時監視と、異常検知時の強制ログアウト」

「快楽刺激の上限設定」

「年齢制限の厳格化」

「依存傾向の自動検知プログラム」

「現実の身体ケア(リハビリ等)との連動義務化」

 

「医療・福祉・遠隔作業を先行させるべきですね」

 

 ロボティクス系の研究者が言う。

 

「娯楽用途は、アンノウン機関内で限定試験を繰り返し、安全性が完全に担保されるまで保留します」

 

「一般公開するなら、ゲームソフト側にも法的な規制が要る」

 

 情報系の研究者も釘を刺す。

 

「過剰な快楽設計、現実否定型(現実を無価値と思わせるような)設計、無限滞在型のMMORPGは危険だ。国が認可したソフトのみを運用する仕組みが必要になる」

 

「課金ガチャは?」

 

 相良が、ふと最悪の集金システムについて尋ねた。

 

 全員が、一瞬だけ無言で相良を見た。

 

「……論外でしょう」

 

 白石が、冷たく切り捨てる。

 

「ですよね」

 

「フルダイブ環境における射幸性課金は、依存形成リスクを著しく高める可能性があります。非推奨です」

 

 オラクルも、きっぱりと禁止を推奨した。

 

「アンノウン技術で、ガチャが法律で禁止される未来か……ちょっと面白いな」

 

 相良は、少しだけ笑って肩をすくめた。

 

 ◇

 

 科学者たちは、その場でオラクルを使い、政府(日下部参事官)へ提出するための提案書をまとめ始めた。

 

 タイトル:

 『脳神経接続型仮想環境システムに関する初期評価』

 

 副題:

 『娯楽利用および医療・福祉・遠隔作業応用に関する段階的管理案』

 

 彼らは、技術的優位性とともに、数々のリスク評価を並べ立て、初期方針を明確に定義した。

 娯楽用途は継続開発するが、一般開放は後回しにすること。

 依存性評価を必須とし、利用時間制限と神経負荷監視を義務化すること。

 違法改造対策をハードウェアレベルで組み込み、民間公開前に強固な法整備を国に要求すること。

 

 結論文には、彼らの科学者としての強い覚悟が記されていた。

 

『本技術は、単なるゲームではない。

 ゲームにも使える、次世代身体接続技術である。

 管理なしに社会へ投下すれば、救済と破滅を同時に生む。

 よって、国家管理下における段階的解放を強く推奨する。』

 

 ◇

 

 提案書の作成が終わり、休憩室には少しだけ疲れた、しかし充実した空気が流れていた。

 

 相良が、さっきまで自分が入っていたポッドを眺めながら、ぽつりとこぼした。

 

「俺、ただ休憩時間にゲームやりたかっただけなんだけどな……。なんでこんな、人類の倫理の境界線を引くような重い書類書いてるんだろ」

 

 白石が、コーヒーカップを置きながら苦笑した。

 

「でも、きっかけとしては正しかったと思いますよ」

 

「そうですかね」

 

「ええ」

 

 白石は、ポッドを見つめて静かに言った。

 

「夢を、危険だからといって封印してしまうのではなく。

 ちゃんと『帰ってこられるように』安全装置をつけてから、扉を開ける。

 ……それが、我々大人の、科学者の仕事でしょう」

 

 オラクルが、ホログラムの姿のまま、優しく微笑むように言った。

 

「では、帰還可能な夢として設計しましょう」

 

「それ、めちゃくちゃ良いですね」

 

 相良は、嬉しそうに頷いた。

 

 アンノウン機関の休憩室で始まったそれは、最初はただの無邪気なゲーム体験会だった。

 だが、科学者たちはすぐに気づいたのだ。

 その夢は、歩けない者に足を与え、触れられない者に手を与え、危険な場所へ行けない者に第二の身体を与える魔法であることを。

 

 同時に、現実へ戻る理由を失った者を、優しく永遠の檻の中へ閉じ込めることもできる悪魔の装置であることを。

 

 だから彼らは、夢を封じるのではなく、自分たちの知恵と倫理を総動員して、帰ってこられる夢として設計することを選んだ。

 

 神の火の翻訳者たちは、こうしてまた一つ、人類の未来を安全な形に切り出し、社会へと下ろすための準備を始めたのである。

 

 




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