自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~ 作:パラレル・ゲーマー
東京都港区にある、大手コンシューマーゲーム会社『星海インタラクティブ』の本社ビル。
その最上階にある特別大会議室では、普段であれば数年がかりの大型プロジェクトの進捗報告や、四半期決算の収益見込みを巡る、殺伐とした数字の応酬が繰り広げられている。
だが、今日の空気は明らかに異なっていた。
集められているのは、古賀社長を筆頭に、開発本部長の黒瀬慎也、若手エースのゲームデザイナーである島村あかり、MMO畑を渡り歩いてきたネットワークエンジニアの芹沢健吾、さらに3Dアーティスト、UI/UX担当、そして普段のクリエイティブな会議には絶対に呼ばれない法務部の三枝美帆まで、各部門のトップと実務責任者が顔を揃えていた。
そして何より異常なのは、会議室の前に見慣れない黒スーツ姿の政府関係者が立機しており、入室時にスマートフォン、スマートウォッチ、社用PC、さらには録音機器の持ち込みを厳重に制限されたことだ。紙のメモすら、指定されたナンバリング済みのノートしか持ち込みが許されていない。
「……何これ。新しいハードウェアの共同開発?」
「政府案件って聞いたけど」
「前に、社長がアンノウン機関関連の説明会で官邸に呼ばれたって噂あったよな」
「いやいや、うちゲーム会社だぞ? 防衛装備とか関係ないだろ。自衛隊のシミュレーターでも作れってのか?」
社員たちがヒソヒソとざわつく中、古賀社長が極めて厳しい表情で入室してきた。
続いて、法務部の三枝が、全員の前に分厚い書類の束を無言で配り始める。
その書類の表紙を見た瞬間、社員たちの顔色が一斉に変わった。
【特定秘密指定準拠・民間協力者向け極秘保持契約(NDA)】
【アンノウン機関関連技術情報取扱誓約書】
【生体神経接続型仮想現実環境に関する暫定安全保持契約】
「……タイトルだけで怖いんだけど」
「ゲームの話だよな? これ」
「生体神経接続って書いてないか?」
「え、俺たち一体何を作らされるの? 脳改造?」
ざわめきが恐怖に変わりかけた時、三枝がいつもの冷徹な仕事モードで口を開いた。
「このNDAに署名しない方は、直ちに退室していただきます。……ただし、退室した場合、本件について社内外で一切の質問・発言・推測を口にすることを、国家機密保護法に基づき禁止されます」
若手デザイナーの島村が、小声で隣の芹沢にこぼす。
「逆に気になりすぎるでしょ、それ……」
結局、誰一人として退室する者はいなかった。
全員が震える手でサインを終え、書類が回収された後、古賀社長が重々しく口を開いた。
◇
「さて。これより概要を説明する」
古賀社長が手元のスイッチを押すと、スクリーンに一行のテキストが表示された。
【リヤド国際博覧会向け制限付きフルダイブ体験会デモ制作協力について】
会議室が、静止した。
最初に反応したのは、若手デザイナーの島村だった。
「……フル、ダイブ?」
ネットワークエンジニアの芹沢が、あり得ないというように首を横に振る。
「いやいやいやいや」
開発本部長の黒瀬慎也は、かつて3DアクションRPGの最前線で腕を鳴らした男らしく、冷静な確認を求めた。
「社長。念のため確認します。
……ここで言う『フルダイブ』という言葉は、我々がアニメや小説で知っている意味での、あの『フルダイブ』ですか?」
古賀社長は、深く頷いた。
「そうだ。
視覚・聴覚だけではない。触覚、平衡感覚、身体感覚を含めた、完全な『神経接続型』の仮想現実体験だ。……アンノウン機関が、それを現実の技術として作り上げた」
一拍。
そして、星海インタラクティブの特別大会議室は、完全に爆発した。
「フルダイブかよ!!!」
「ヤバすぎるだろ!!」
「マジのSAOじゃんか!!」
「現実が二十年くらい一気にすっ飛んだぞ!」
「いや二十年で済むか!? 百年だろ!!」
「既存のVRゴーグルとか全滅じゃん!」
「ゲーム史のBC(紀元前)とAD(紀元後)が変わる日だぞ、これ!」
「アンノウン機関、また現実を殴ってきた!!」
普段は冷静なはずの開発本部長・黒瀬が、バンッと机を叩いて立ち上がった。
「待て! 落ち着け! まず全員、落ち着け!」
黒瀬は必死に声を張り上げたが、その直後、自分自身の震える両手を見て呻いた。
「……いや、無理だな。俺も全く落ち着けない」
◇
古賀社長が咳払いをし、何とか会議室の熱狂を抑え込んだ。
「静かにしろ。まだ話は終わっていない」
社長は、スクリーンを切り替え、政府から提示された具体的な「要件」を説明し始めた。
「我々に求められているのは、今年開催されるリヤド国際博覧会に向けた、皇太子殿下および関係者向けの『制限付きフルダイブ体験デモ』の制作協力だ」
「市販のゲームじゃないんですか?」と島村が残念そうに問う。
「そうだ。市販はまだ先の話だ。
……戦闘、痛覚、過度な快楽刺激、恐怖演出はすべて禁止。既存IP(自社の有名キャラクター等)の直接使用も、初回は原則禁止か、極めて厳重な審査対象となる」
社長の言葉に、社員たちの熱が少しだけ冷め、プロの目つきへと変わっていく。
「展示は日本政府、アンノウン機関、サウジ側の共同管理となる。我々ゲーム業界の各社は、そのプラットフォーム上での『ゲーム的体験の設計』『UI/UX』『コンテンツ演出』、そして『安全ガイドライン』の検討に参加する」
「なるほど……」
黒瀬本部長が腕を組んだ。
「つまり、我々は『フルダイブ時代の、人類最初のチュートリアル』を設計しろと言われているわけか。しかも万博に間に合わせるなら、スケジュールは目前だ」
「そういうことだ」と古賀社長。
「重すぎませんか?」
島村が、背負うものの大きさと納期の短さに顔を引きつらせる。
「重いです」
法務の三枝が、眼鏡を押し上げながら冷酷に同意した。
「契約責任も、法整備も、年齢制限も、表現規制も、依存症対策の枠組みも、すべてまだこの世に存在しません。一歩間違えれば、星海インタラクティブが人類の倫理を破壊した戦犯として歴史に名を残します」
「でも、作りたい……!」
芹沢が、エンジニアとしての抑えきれない欲望を口走る。
会議室の全員が、三枝の正論に青ざめながらも、芹沢の言葉に深く、深く頷いた。
◇
「後日、官民横断タスクフォースでの正式な会議が行われる」
古賀社長が、実務的な指示を出す。
「それまでに、我々として『何を展示するべきか』の候補案を出さなければならない。アイデアを出せ」
ホワイトボードに、次々と企画の候補が書き殴られていく。
・空を飛ぶ体験
・桜並木を歩く
・月面歩行シミュレーション
・深海を泳ぐ
・未来のリヤド都市を歩く
・宇宙ステーションから地球を見る
・文化体験型デモ
だが、議論が白熱する中、若手デザイナーの島村がおずおずと手を挙げた。
「あの、すみません。……すごく当たり前のことを言っていいですか?」
「言ってみろ」と黒瀬。
「まず、体験しないと分からないと思います」
会議室が、ピタリと沈黙した。
芹沢が、力強く机を叩いた。
「正論!!」
「そりゃそうだ」
3Dアーティストも深く頷く。
「触覚の解像度も、視界の自由度も、アバターの操作感も。実際に被験者として体験してみないと、どのレベルのデモが作れるのか、設計のしようがありません」
UI担当も声を上げる。
「フルダイブのUIって、画面に張り付いてるHPバーじゃないですよね? 身体感覚そのものがUIになる可能性がある。体験しないと何も書けませんよ」
法務の三枝すらも、反論しなかった。
「依存リスクや生体への負荷、ログアウト時の心理的ギャップも、自ら体験してデータを取らないと、契約文面に落とし込めません」
社員たちの切実な訴えを聞きながら、古賀社長は、少しだけ、本当に少しだけニヤリと笑った。
「……そう言うと思っていた」
全員の視線が、社長へ突き刺さる。
「NDAを締結した者のみ、都内某所に設置された『フルダイブ試験機』を利用できる。すでに政府とアンノウン機関側から、我々の枠での許可は出ている」
一瞬の、空白の沈黙。
「……今、何と?」
島村が、信じられないというように問い返す。
「試験機を利用できる」
「利用、とは?」
芹沢が食い下がる。
「体験できる、という意味だ」
会議室、本日二度目の大爆発。
「やったーーーーー!!!」
「ゲーム会社にいてよかった!!!」
「生きててよかった!!!」
「俺、今日のためにこれまでのデバッグ地獄を耐えてきたんだ!!」
「早く行きましょう! 今すぐ! なう!!」
「タクシー呼べ! いや、全員分呼べ! 経費で落とす!」
黒瀬が、興奮して立ち上がる社長を見て突っ込んだ。
「社長、業務命令ですよね!? これは業務ですよね!?」
「当たり前だ! 業務だ! 最高の業務だ!」
「よし、業務なら仕方ない!」
「仕方ないか。行くか!」
「社長が一番行く気満々じゃないですか」
「当然だ。私はファミコン世代だぞ。人生の上がりを見に行かなくてどうする!」
いい大人たちが、完全に遠足前の小学生に戻っていた。
◇
数十分後。
星海インタラクティブの選抜メンバーを乗せた機密保持契約済み政府御用達のタクシー数台が、都内某所へと向かっていた。
タクシーの車内でも、彼らの興奮は収まる気配がない。
「何のゲームなんですかね? 完全オリジナル? それとも技術デモの箱庭?」
島村が、目をキラキラさせて問う。
「既存のゲームをコンバートした体験版って話だろ?」
芹沢が答えるが、その顔には深い疑問が浮かんでいた。
「でも、既存のゲームをフルダイブに変換って何?……意味分からんぞ。コードの構造が根本から違うはずだ」
「“既存のゲームをコンバート”という表現が、一番怖いんだよな」
黒瀬が、開発者の視点でゾッとしながら言う。
「つまりアンノウン機関は、既存の3Dアセットとゲームロジックを、そのまま『神経接続型の体験空間』に自動変換するAIシステムを持っているということになる」
「その場合……」
三枝が、隣で分厚い六法全書を撫でながら暗い声を出した。
「著作権、翻案権、公衆送信権、上映権、実演権……。一体、何の権利処理になるんですか?」
車内が、一瞬だけ沈黙した。
「三枝さん、法務。……頼むから、今だけ夢を見させてください」
芹沢が懇願する。
「無理です。私の夢は、完璧な契約書の上にしか存在しません」
三枝は冷たく言い放ったが、その実、彼女の口角も緩みっぱなしであった。
別のタクシーでは、若手社員たちが違う次元で盛り上がっていた。
「人類最初のフルダイブ体験が『業務扱い』なの、最高すぎないか?」
「勤怠どうなるんだ? 直帰でいいよな?」
「出張扱いでは?」
「都内某所出張(日帰り)」
「経費精算の摘要欄に“フルダイブ体験のため”って書くのか? 経理が絶対突き返してくるぞ」
◇
タクシーが到着したのは、都内の何の変哲もない古いオフィスビル、あるいは研究開発センターのような外観の施設だった。
しかし、専用のIDカードで地下へと降りると、そこは完全に別世界であった。
顔認証。
静脈認証。
NDAの再確認。
厳重な手荷物検査。
そして、驚くべきことに、生体チェックのゲートが設けられていた。
「血圧よし。心拍数正常。直近の睡眠時間は? アルコールの摂取は? 精神科の受診歴は?」
白衣を着たアンノウン機関側の医師が、一人一人に細かな問診を行う。
ゲーム業界人たちは、最初こそはしゃいでいたが、この物々しいプロセスを経て、だんだん現実を理解し始めた。
「これ、遊園地のアトラクションじゃないな……」
「完全に医療機器の扱いだ」
「そりゃそうだ。脳の神経に直接繋ぐんだぞ。万が一バグって脳が焼かれたらどうするんだ」
「遊ぶ前にガチの健康診断があるゲームって、重すぎるだろ」
問診を抜けた先の受付には、美しいホログラムのアバター——オラクルが待っていた。
「ようこそ。フルダイブ試験運用施設へ」
オラクルは、極めて事務的で礼儀正しい声で案内する。
「皆様は本日、NDA締結済みの『民間協力者』として登録されております」
その言葉に、黒瀬や芹沢たちのテンションが再び跳ね上がった。
「民間協力者!」
「響きがかっこいい!」
「ゲーム会社に入ってて、本当によかった!」
◇
だが、期待に胸を膨らませて施設奥の『待機ロビー』へと足を踏み入れた星海インタラクティブの面々は、そこで絶望的な現実を目の当たりにした。
広いロビーには、すでに人、人、人。
立錐の余地もないほど、見知った顔ぶれの業界人たちで溢れかえっていたのだ。
国内最大手の別プラットフォーマーの役員。
世界的MMOのプロデューサー。
VR企業の技術者。
大手出版社のラノベ編集長。
有名アニメのプロデューサー。
声優事務所の重鎮。
果ては、依存症対策のアドバイザーまで。
全員が、飢えた狼のように目をギラギラさせて、奥の体験ルームへ続く扉を睨みつけている。
「うわ……後発ですよ、あんたら」
先に来ていたライバル企業のプロデューサーが、黒瀬を見てニヤリと笑った。
「クソッ! 完全に乗り遅れた!」
黒瀬が頭を抱える。
「オラクル! 何分待ちですか!?」
芹沢が、絶望的な問いを投げかけた。
「一名あたりの体験時間は、安全面を考慮して二十分と設定しております」
オラクルが、一切の感情を交えずに即答する。
「現在の待機人数から計算し、星海インタラクティブ様の待ち時間は、概算で『十六時間』です」
——沈黙。
「十六時間……」
島村が、膝から崩れ落ちそうになる。
「待つ!!!」
芹沢が、血走った目で即座に叫んだ。
「待つ!!!」
「当然だ!!!」
黒瀬も、古賀社長も、他の社員たちも、一切の迷いなく同調した。
「労務上の重大な問題が発生します」
三枝が、腕時計を見ながら警告する。
「業務命令だ。待て。残業代は青天井で出す」
古賀社長が、経営者としての権限を乱用する。
「では、休憩時間と仮眠スペースの確実な確保を要求します」
「仮眠エリア、軽食エリア、および医療観察エリアは、すでに裏手に用意しております」
オラクルが、至れり尽くせりの案内をする。
「完璧かよ!!」
全員が歓喜の声を上げた。
◇
いい大人たちの、狂気的な十六時間待ちが始まった。
だが、彼らは退屈など微塵もしていなかった。
体験ルームへの扉の前で、全員が食い入るように大型モニターを見つめている。
「おい、操作してる画面も見せろ!」
「ログイン時のバイタル変化の推移を見たい!」
「UIの遷移はどうなってるんだ!?」
「ポッドの起動音だけでも聞かせてくれ!!」
オラクルが、静かに彼らの暴走を制止する。
「体験中の被験者を直接観察することは、プライバシーおよび安全上の観点から許可できません。
……ただし、同意済みの『匿名化バイタルログ』、および体験後の『アンケートの統計情報』は、皆様の端末で閲覧可能です」
その言葉だけで、開発者たちは大喜びした。
「匿名化バイタルログ!!」
「見たい!!」
「ログイン時の心拍数のスパイク推移だけで、酒が三杯飲めるぞ!!」
「いや、酒飲むな! 血圧上がって体験できなくなるぞ!」
◇
数十分後。
最初に体験を終えた、他社の開発者がヨロヨロと扉から出てきた。
その顔は、完全に放心状態だった。
ロビーにいた全員が、飢えたゾンビのように一斉に殺到する。
「どうだった!?」
「言え! NDAに触れない範囲で言え!」
「触覚の解像度は!?」
「VR酔いはあったか!?」
「ログアウト時の感覚は!?」
「移動はスティック操作か!? それとも本人の身体動作か!?」
体験者は、差し出されたパイプ椅子にへたり込み、水を一口飲むと、震える声で言った。
「……地面が、あった」
ロビーの全員が、ピタリと沈黙した。
「床じゃない。液晶画面でもない。……地面があったんだ。
風があって、草が揺れてて……歩いたら、足の裏に、小石が当たった感触があった……」
星海インタラクティブの3Dアーティストが、その言葉を聞いて泣きそうな顔になった。
「足の裏に……小石の感触……」
別の体験者が、フラフラと出てきて証言する。
「空を見上げようとしたら……首を動かしたんだ。右スティックでカメラを動かしたんじゃない。……俺自身の首が、動いたんだ」
UI担当が、頭を抱えて崩れ落ちた。
「今までの画面UIの設計論、全部ゴミ箱行きだ……考え直しだ……」
黒瀬は、彼らの証言を聞きながら、静かに、しかし確信に満ちた声で言った。
「これは、ゲーム画面じゃない。
……もう、『場所』だ」
この一言で、ゲーム業界のトップ層たちは、フルダイブという技術の恐ろしい本質を、肌で理解した。
◇
オラクルが、待機者向けに体験可能なコンテンツの一覧を表示した。
【本日体験可能な制限付きコンバートデモ】
・草原散策デモ
・空中浮遊デモ
・町歩きデモ
・非戦闘型ファンタジー村デモ
・既存3D RPGフィールド限定体験版(※匿名化・パブリックドメイン処理済み)
「本デモは、アンノウン機関が権利者の同意を得て作成した限定検証版です。体験内容の録画、記録、外部への共有は固く禁止されています」
「分かってます!」
「命に代えても守ります!」
「だから早く次を入れてください!」
だが、芹沢だけは技術資料を読み込み、真っ青な顔になっていた。
「待ってください、オラクルさん。
これ……既存ゲームの空間座標、当たり判定、アニメーションのボーン構造、音響データを、すべて『体性感覚(プレイヤー自身の肉体感覚)』に直接変換してるんですか?」
「概ね、その理解で問題ありません」
オラクルが淡々と答える。
「つまり、俺たちがポリゴンで作ったマップデータを、物理的に“歩ける空間”に変換している、と?」
「肯定します」
「……背景の3Dモデルの粗さとか、見えない壁(見切り)とか、どうなるんですか?」
アーティストが恐る恐る尋ねる。
「感覚補完処理により、一定範囲で脳が自然化します。……ただし、元データの品質が著しく低い場合、あるいは当たり判定の処理が甘い場合、体験者が強烈な違和感(バグ)を物理的な感覚として直接受ける可能性があります」
ゲーム業界人たちが、一斉に青ざめた。
「つまり、俺たちが納期に追われて手抜きしたアセットが、プレイヤーの『身体感覚』としてダイレクトにバレるってことか……?」
「ローポリの岩が、本当に『ローポリでカクカクの岩』として触れる可能性……」
「やめろ! 過去作の処理落ちの粗が、立体で俺たちを殴ってくるぞ!」
会議室では想像もしなかった、作り手としての生々しい恐怖がロビーを包み込んだ。
◇
しかし、十六時間という待機時間は、彼らに考える時間を与えた。
ロビーのあちこちで、会社や役職の垣根を越えた、熱狂的な「未来の企画会議」が自然発生し始めていた。
「フルダイブ空間で、メニュー画面はどう出す? 空間にウインドウを浮かべるのか?」
「HPバーは必要か? 視界に数字を常時出すと、没入感が壊れるぞ」
「痛覚ゼロだと緊張感が出ないが、痛覚ありは安全基準で絶対にアウトだ」
「移動酔い(VR酔い)への対策は?」
「死亡(ゲームオーバー)の演出は、トラウマにならないか?」
「NPC(村人)との距離感が、画面越しより生々しすぎる問題があるぞ」
三枝法務が、またしても冷酷な現実を突き刺した。
「推しのキャラクターに物理的に触れられる問題。……『接触同意権』という、全く新しい法的な概念が必要になるかもしれません」
「やめてください、三枝さん。頭が痛くなります」
出版社の代表が顔をしかめる。
「でも必要です。キャラクターは、データではなく“会える存在”になるんですから」
アニメプロデューサーが熱弁を振るう。
「ゲーム内の『村人A』ですら、目の前でこちらの目を見て話しかけてくるなら、テキストボックスの時代とは、作り手としての責任の重さが全く違う」
黒瀬は、彼らの議論を聞きながら、ただ楽しむだけでなく、業界の未来を真剣に背負おうとする彼らの熱意に胸を打たれていた。
◇
長い、長い時間が経過した。
待機者たちはさすがに疲労の色を濃くしていたが、誰一人として帰ろうとする者はいなかった。
やがて、オラクルの澄んだ声が響いた。
「星海インタラクティブ、登録番号S-07からS-11の方。
……事前チェックへお進みください」
星海のメンバーが、一斉に跳ね起きた。
まずは開発本部長の黒瀬が代表でポッドに入ることになった。
古賀社長も「俺が先だ!」と強硬に主張したが、問診の医師から睡眠不足と血圧の異常値でドクターストップをかけられた。
「なぜだ!」
「安全のためです」
「私は健康だ!」
「本日の血圧値は、当機関の推奨安全範囲を大きく超えています。長時間の待機と極度の興奮状態が原因と推定されます」
「社長、落ち着いてください」
「深呼吸すれば入れますから」
「落ち着けないから入れないんですよ、この人は」
社員たちに宥められる社長を尻目に、黒瀬は三枝法務から最終確認を受けた。
「黒瀬本部長。体験後、個人の主観的感想と、業務上の技術的評価を、必ず分けて記録してください」
「努力する」
「無理だと思いますよ」
島村が横から笑って突っ込む。
◇
黒瀬は、体験ルームの中央に鎮座する『フルダイブ装置(ポッド)』の前に立った。
それは、SF映画にあるような過剰な装飾はなく、医療機器と高級なカプセル型ゲーミングチェアの中間のような、洗練された外観をしていた。
透明なカバー、バイタルモニター、脳波を読み取る非侵襲スキャナ、そして、絶対に外から押し込める物理的な緊急停止ボタン。
黒瀬はそれを見て、ゴクリと息を呑んだ。
若い頃、擦り切れるほど読んだゲーム雑誌で特集されていた「未来のゲーム」。
アニメやライトノベルで夢見た、「自分が主人公になれる世界」。
それが今、仕事として、現実の物体として、目の前にある。
「体験時間は二十分です」
オラクルが、最終のガイダンスを行う。
「痛覚は無効。嗅覚は制限。味覚は無効。
触覚は、安全と規定された範囲内でのみ再現されます。
緊急時には、システムが即時セーフティー・ログアウト処理を行います。同意されますか?」
「同意する」
「体験内容を選択してください」
モニターに候補が表示される。
・桜並木散策
・草原フィールド
・月面歩行
・既存3D RPGフィールド限定体験
黒瀬は、少しだけ迷った。
一人のゲーム開発者としては、間違いなく『RPGフィールド』に入り、世界観の変換レベルを確認したかった。
だが、タスクフォースの仕事として「目前に迫った万博で、皇太子や客に見せる安全な体験」を想定するなら、最初は最も基礎的なものを選ぶべきだ。
「……草原フィールドで頼む」
島村が、ガラスの向こうからマイク越しに叫んだ。
「本部長! RPGじゃないんですか!?」
「最初は基本だ」
黒瀬は、プロの顔で答えた。
「『地面』と『空』と『自分の身体感覚』がどう連動するのか。まずはそこから確認する」
◇
ポッドに横たわった黒瀬の身体を、柔らかな素材が包み込む。
頭部にインターフェースが装着されると、視界がわずかに暗転した。
『心拍数が上昇しています。問題ありませんか?』
オラクルの音声が、脳内に直接響くように聞こえた。
「問題ない。……これは恐怖じゃない」
『では、何ですか?』
黒瀬は、暗闇の中で、少年のように笑った。
「三十年前から、ずっと待っていたやつだ」
そして、誰に聞かせるでもなく、小さく呟いた。
「俺……ゲーム会社に入って、本当によかった……」
『フルダイブ、開始します』
そのアナウンスと共に、黒瀬の視界が、圧倒的な「白」に染まった。
◇
——二十分後。
ポッドのカバーが開き、黒瀬がゆっくりと上体を起こした。
その顔は、汗で濡れ、目は虚空を見つめ、完全に放心状態であった。
「本部長!!」
島村や芹沢たちが、一斉に駆け寄る。
「どうでした!? 草原はどうでしたか!?」
「風は!? 地面は!?」
「フレームレートとか、テクスチャの感じはどうでしたか!?」
黒瀬は、差し出されたタオルを受け取り、ゆっくりと顔を拭った。
そして、ぐるりと部下たちを見回し、低く、しかし確信に満ちた声で、たった一言だけ言った。
「……全部、作り直しだ」
——。
島村が青ざめる。
芹沢が天を仰ぐ。
三枝が頭を抱える。
「俺たちが今まで培ってきたゲームデザインの常識……。UIも、レベルデザインも、ポリゴンの使い方も。……全部、イチからやり直しだぞ、これ」
万博までの残された時間はわずかしかない。
黒瀬のその絶望的な、しかしどこか喜びに満ちた言葉に、星海インタラクティブの面々は、一斉に青ざめ——そして、全員で腹の底から大爆笑した。
地獄のような、しかし最高に幸福なデスマーチの始まりを告げる、開発者たちの産声であった。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!