自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~   作:パラレル・ゲーマー

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第168話 官民横断タスクフォース、本気で頭を抱える

 東京都内の閑静な一角に位置する、政府管理下の極秘会議施設。

 表向きは「次世代産業技術政策に関する官民合同シンポジウム」という、いかにも退屈そうな名目で押さえられたその大会議室は、現在、異様な熱気と深い疲労感が入り混じる、混沌とした空間と化していた。

 

 集められているのは、日本政府側のコアメンバーと、アンノウン機関の担当者、そして昨日の『体験会』を生き抜いたゲーム会社、出版社、アニメ会社、VR企業、法務専門家、医療安全チーム、依存症対策アドバイザーたちだ。

 この『官民横断タスクフォース本会議』の目的はただ一つ。

 目前に迫ったサウジアラビアでのリヤド国際博覧会において、皇太子殿下および関係者へ向けて、アンノウン由来のフルダイブ技術を「いかに安全に、かつ魅力的に展示するか」を決定することである。

 

 会議の進行役を務める内閣官房参事官の日下部が、分厚い資料を抱えて入室した瞬間、部屋の空気が明らかにおかしいことに気がついた。

 

 民間側の席に座る業界人たちの様子が、どう見ても尋常ではないのだ。

 大手ゲーム会社『星海インタラクティブ』の開発本部長である黒瀬をはじめ、若手デザイナーの島村、エンジニアの芹沢、法務の三枝など、昨日十六時間もの待機列に並んだ面々は、一様に目の下に濃いクマを作っている。

 にもかかわらず、彼らの目だけは、獲物を前にした肉食獣のように異様にギラギラと輝いていた。

 

 日下部は、手元の資料を机に置き、溜め息を一つ吐いてからマイクを握った。

 

「……皆さん、昨日はきちんと休まれましたか?」

 

 黒瀬が、焦点の定まらない目で答える。

 

「休んだと言えば、休みました」

 

 三枝法務が、眼鏡の奥から鋭い視線を放つ。

 

「法的には、適切な休憩時間は確保されており、労基法上の問題はクリアしています」

 

 芹沢エンジニアが、血走った目で言い放つ。

 

「肉体は横たわっていましたが、精神は一睡もしていません」

 

 日下部は、会議の開幕から強烈な胃の痛みを感じた。

 彼らはフルダイブという技術の真髄を浴びたことで、完全に“壊れて”しまっているのだ。

 

 ◇

 

「では、タスクフォース本会議を開始します」

 

 日下部の進行のもと、まずは昨日の体験会に参加した各社代表から、技術的なフィードバックと率直な感想が共有されることになった。

 

 最初にマイクを取ったのは、黒瀬だった。彼はプロのゲーム開発者としての矜持を保とうと努めながら、重々しく口を開いた。

 

「結論から言います。……我々は、フルダイブという技術を完全に舐めていました」

 

 別の大手ゲーム会社のプロデューサーが、深く頷いて同調する。

 

「ただの草原を歩くだけで、我々が数十年かけて培ってきた『ゲーム』という概念が粉々に壊れました。あれは、液晶画面の向こう側の出来事ではない。本当にそこに“いる”んです」

 

 VR企業の代表が、自虐的な笑みを浮かべる。

 

「既存のVRゴーグルと触覚スーツの延長線上にあるものだと高を括っていましたが……別物です。五感すべてが空間に同期する。この圧倒的な情報量の差は、どれだけ言葉を尽くしても、未体験の人間には絶対に伝わりません」

 

 アニメプロデューサーが、興奮冷めやらぬ様子でマイクを握る。

 

「もしあそこにキャラクターを出す場合、ただ立っているだけで危険です。目が合う、自分のパーソナルスペースに入ってくる、声が耳元で直接聞こえる。……それだけで、体験者の情緒を完全に破壊する威力があります。圧倒的な劇薬です」

 

 その言葉を聞いて、綾瀬真琴厚労大臣が不快そうに眉をひそめた。

 

「情緒を破壊する技術を、サウジアラビアの皇太子殿下に提供するわけにはいきません。我々は兵器を作っているのではないのです」

 

「いや、でも! 最高の感動はさせたいんです!」

 

 島村が、クリエイターとしての欲望を抑えきれずに叫ぶ。

 

「その“感動させたい”というあなた方の善意が、一歩間違えると深刻な『依存形成』へと直結するのです」

 

 依存症対策アドバイザーが、氷のような声で場を冷やした。

 その正論の前に、業界人たちは一斉に押し黙るしかなかった。

 

 ◇

 

「前回の会議で候補に挙がっていたアイデアについて、改めて現実的な検討を行いましょう」

 

 経産省の担当官が、ホワイトボードのリストを指し示す。

 

「まずは、“空を飛ぶ体験”についてです。直感的で未来感があると評価されていましたが」

 

「フルダイブで空を飛ぶとか、絶対に気持ちいいですよね!」

 

 島村が再び目を輝かせる。

 

「気持ち良すぎるのが問題なのでは?」

 

 芹沢が、エンジニア的なリスク評価の観点から突っ込みを入れる。

 

「同感だ」

 

 黒瀬が腕を組んで言った。

 

「ただの草原で風を感じ、土を踏んだだけで、あれだけ身体の感覚が持っていかれたんだ。本物の平衡感覚に近い状態で空中に浮遊するとなれば、初回デモとしては刺激が強すぎる可能性がある」

 

「既存のVRでも、高所体験は非常に脳への負担が強いです」

 

 VR企業の代表が補足する。

 

「フルダイブでそれをやれば、失神、パニック、あるいは逆に現実に戻りたくなくなるほどの強烈な快感……その両方の極端な反応が想定されます」

 

 綾瀬厚労大臣が、医療安全の観点から決定打を下した。

 

「皇太子殿下を初回体験で空に飛ばすなど、論外です。医療チームとしては、その案は即時却下を推奨します」

 

「でも、空を飛ばないフルダイブって、最初のインパクトとして弱くありませんか?」

 

 アニメプロデューサーが、演出の弱さを懸念する。

 

 しかし、日下部が静かに、だが重みのある声で言った。

 

「昨日の体験会で、皆さんはただの草原を五分歩いただけで、十六時間も待った甲斐があったと熱狂しましたよね?」

 

 業界人たちが、一斉に黙り込む。

 

「初回は、地面を歩くだけで十分すぎるほどのインパクトがあるはずです。違いますか?」

 

 その身も蓋もない正論に、誰も反論できなかった。

 

 ◇

 

「次に、体験中の『案内役』についてです」

 

 文化庁の担当官が、新たな議題を口にした。

 

「無機質なシステム音声のままにするか、あるいはアバターとなるキャラクターを出すか。ここを決めなければなりません」

 

 その瞬間、会議室の空気が一変した。

 先ほどまで安全性を考慮して大人しくなっていたクリエイターたちの目に、再び欲望の火が点ったのだ。

 

「オリキャラ、出したいです!」

 

 島村が、バンッと机を叩いて立ち上がる。

 

「それは我々としても必要だと考えます」

 

 大手出版社の代表が、ビジネスチャンスの匂いを嗅ぎ取って同調した。

 

「最初に出会うキャラクターが、そのまま『フルダイブ時代』の顔になる。これは莫大なIP(知的財産)ビジネスの起点になります」

 

「なら、絶対に魅力的でなければならない。世界中の人間が、一目で心を奪われるような究極のキャラクターデザインが必要です」

 

 アニメプロデューサーが熱弁を振るう。

 

 日下部は、この脱線していく空気に強烈な嫌な予感を覚えた。

 

「エルフを出しましょう!」

 

 島村が、力強く提案する。

 

「ファンタジーとしての王道であり、中立性もある。何より、ゲームの文脈として世界中で通じます!」

 

「エルフは強いですね」

 

 出版社代表が深く頷く。

 

「長寿、知性、神秘的な美しさ。異世界への案内役として、これ以上向いている種族はいません」

 

「いやいやいや、ここは絶対に『猫耳』でしょう!」

 

 別の大手ゲーム会社のプロデューサーが、立ち上がってエルフ派に反旗を翻した。

 

 会議室が、一気にざわつく。

 

「猫耳は違うでしょ! 今回は万博ですよ!」

 

 島村が抗議する。

 

「何が違うんですか! 親しみやすさ、可愛さ、そして何より『日本のポップカルチャー感』! すべてが完璧に揃っています!」

 

 文化庁の担当官が、頭を抱えて呻いた。

 

「……日本文化外交の最初の接触点を、猫耳の少女で決定してよいのか、という極めて深刻な問題があります」

 

「むしろ、それこそが日本らしいソフトパワーの象徴なのでは?」

 

 出版社代表が、無理やりな理屈で押し通そうとする。

 

「サウジアラビアの皇太子殿下に最初に会わせる案内役が『猫耳の少女』という事態になった場合……その国際外交上の説明責任は、一体誰が負うのですか?」

 

 外務省の担当官が、青ざめた顔で周囲を見渡す。

 

「少女とは限りません。ダンディな『猫耳紳士』でもいいのでは?」

 

 アニメプロデューサーが、斜め上の解決策を提示する。

 

「問題はそこではありません!」

 

 日下部が、たまらず声を荒らげた。

 

 ◇

 

 だが、すでに会議室は「キャラクターをどうするか」という派閥争いの泥沼へと突入していた。

 

【エルフ派の主張】

 ・ファンタジーの案内役として、世界中どこでも分かりやすい。

 ・高貴で落ち着いた印象があり、皇太子殿下に対して失礼になりにくい。

 ・ゲーム・アニメの文脈を自然に伝えられる。

 ・異世界感があるが、過度に性的ではない気品ある設計が可能。

 

「初めてフルダイブ世界に入った人が、美しい森の入口で、一人のエルフの案内人に迎えられる。……これは、全ゲーマーが抱く“夢”の完全な具現化です!」

 

 島村が熱く語る。

 

【猫耳派の主張】

 ・日本ポップカルチャーの絶対的象徴。

 ・親しみやすく、感情表現が豊かにできる。

 ・SNSや動画配信で間違いなく「バズる」。

 ・ゲーム体験としての「楽しさ」が直感的に伝わる。

 

「世界のオタクの心に最も深く突き刺さるのは、絶対に猫耳です! 万博という舞台だからこそ、日本の強みを全開で行くべきです。これは譲れません!」

 

 猫耳派のプロデューサーが拳を握る。

 

【無機質AI派の主張】

 ・初回は、あらゆる文化的・宗教的リスクを避けるべき。

 ・キャラクターへの恋愛感情、依存、接触強要などの問題が発生しない。

 ・倫理的な誤解を避けられる。

 ・皇太子殿下向けには、最も無難で安全。

 

「初回デモは、環境音と無機質なシステム音声による案内で十分です」

 

 綾瀬厚労大臣が、冷徹に言い放つ。

 

「それは夢がない! フルダイブの価値の半分を捨てている!」

 

 アニメプロデューサーが反発する。

 

「夢がありすぎるから、依存症という深刻な病理を生むのです。我々は医療と公衆衛生の観点から反対します」

 

 ここで、三枝法務が重々しい口調で割って入った。

 

「キャラクターを実体として空間に出現させた場合、利用者が『接触』を試みる可能性が極めて高くなります。

 ……握手、抱擁、過度な接近、あるいは個人的な会話の強要。そのすべてに対して、システム側でシナリオ上の許容範囲と『拒否動作』を設定しなければなりません」

 

「利用者の接触を物理的に拒否するエルフ……」

 

 出版社代表が、そのシュールな光景を想像して顔をしかめる。

 

「それはそれで、特定の層には強烈な需要がある気もしますが」

 

 アニメプロデューサーが呟く。

 

「黙ってください。今はそういう話ではありません」

 

 三枝が、氷点下の視線でプロデューサーを射抜いた。

 

 ◇

 

「皆様、少し冷静になってください」

 

 外務省の担当官が、現実的な外交問題として場を収拾にかかる。

 

「今回はリヤド万博であり、かつ初回体験者の最有力候補にサウジアラビアの皇太子殿下が含まれています。ここは日本国内のオタク向けイベント会場ではありません」

 

 ホワイトボードに、文化的なリスクによる分類が書き出されていく。

 

【危険性が高いもの(非推奨)】

 ・露出の高いキャラクターデザイン。

 ・恋愛、接触、誘惑を想起させる演出。

 ・戦闘、殺傷表現。

 ・魔法や宗教的な儀式を過度に連想させる演出。

 ・神、天使、悪魔などの宗教的モチーフ。

 ・酒場での飲酒や賭博の表現。

 ・死亡(ゲームオーバー)演出。

 ・過度な快楽刺激。

 ・飛行、落下、深海など、根源的恐怖を煽るもの。

 ・宇宙空間での孤独感が強すぎる演出。

 

【比較的安全なもの(推奨)】

 ・桜並木の散策(日本の四季)。

 ・穏やかな草原。

 ・未来都市の景観。

 ・月面歩行の短時間版(ジャンプ制限あり)。

 ・砂漠に緑が生まれる環境シミュレーション。

 ・歴史的建築物の復元空間。

 ・宇宙ステーションから地球を見るだけの展望室。

 ・触覚フィードバックを極端に抑えた案内AI。

 

 サウジ側との連絡調整担当者が、静かに口を開いた。

 

「アブドゥル皇太子殿下は、日本のゲーム文化やアニメ文化に非常に深い理解を持たれています。個人的な嗜好としては、十分に歓迎されるでしょう。

 ……しかし、万博という『公式行事』として世界中に発信される場で見せる以上、厳格な宗教的・文化的配慮は必須となります」

 

 日下部が、念を押すように確認する。

 

「つまり、猫耳少女は……」

 

「初回の公式デモの顔とするには、かなり慎重な検討……事実上の見送りが妥当と考えます」

 

 猫耳派が、完全に敗北した瞬間であった。

 

 だが、彼らは諦めなかった。

 公式デモが駄目なら、日本国内向けの二次展示や、後続の商用版デモに回せばいい。彼らの目には、まだ野望の火が燻り続けていた。

 

 ◇

 

 不毛なキャラクター論争が一段落し、会議はようやく体験版の技術的な仕様確認へと移った。

 

「確認ですが」

 

 黒瀬が、昨日の体験を思い出しながら言った。

 

「我々が昨日体験したものは、痛覚は無効、嗅覚も制限され、味覚はなし。触覚も、かなり安全マージンを取った範囲内での再現でしたよね」

 

「肯定します」

 

 会議室の隅にホログラムとして控えていたオラクルが、事務的に答える。

 

「昨日の民間協力者向けデモは、外部体験用の『安全制限版』です」

 

「外部体験用……?」

 

 芹沢が、その言葉のニュアンスに引っかかりを覚えた。

 

 その時、オラクルの横に座っていたアンノウン機関の係員(おそらく根っからの研究職だろう)が、全く悪気のない様子で余計な補足を入れた。

 

「ええ。アンノウン機関の内部で評価を回しているバージョンは、もう少し没入深度が高いんです。

 嗅覚の再現性、温度の変化、触覚の分解能、そして仮想空間での身体反応の同期精度などが、昨日の安全版とは根本的に異なります」

 

 ——ピタリ、と。

 会議室の時間が、再び停止した。

 

「……昨日のあのとんでもない体験で、制限版(ダウングレード)だと?」

 

 黒瀬の声が、わずかに震えていた。

 

「はい」

 

 係員が、無邪気に頷く。

 

「あれより、もっと凄い、高解像度の体験があるんですか?」

 

 島村が、身を乗り出して問う。

 

「あります」

 

 一拍。

 そして、会議室が本日最大の大爆発を起こした。

 

「ズルすぎるだろアンノウン機関!!!」

「俺たちにもやらせろ!!」

「そんな完全版を知らずに、制限版の仕様だけで最高のデモを設計しろって、拷問かよ!!」

「昨日のただの草原で、俺たちの人生観は変わったんだぞ!?」

「あれが体験版の体験版だったって、どういうことだよ!!」

「開発者に対する差別だ!! 今すぐ完全版のポッドを開けろ!」

 

 暴動寸前となるゲーム業界人たちを前に、日下部は無言で、しかし殺意を込めてアンノウン機関の係員を睨みつけた。

 

「あっ……」

 

 係員は、自分がとんでもないパンドラの箱を開けてしまったことにようやく気がつき、慌てて弁明した。

 

「……発言を訂正します。内部評価版は安全性審査が全く完了しておらず、生体への負荷が未知数であるため、民間への提供予定は一切ありません」

 

「存在を聞かされた時点で、クリエイターとしては手遅れなんですよ!!」

 

 黒瀬が、血を吐くような声で叫んだ。

 

「内部版の民間提供は、医療安全の観点から絶対に認めません」

 

 綾瀬厚労大臣が、冷酷な宣告を下す。

 

「ええええええ!」

「そんな殺生な!」

 

「認めません。以上です」

 

 分厚い防護壁によって、彼らの夢は完全に打ち砕かれた。

 

 ◇

 

「なぜ、完全版を出せないのか。技術的、そして精神的な理由を説明します」

 

 榛名科学技術担当大臣が、混乱を収めるためにマイクを取った。

 

「没入深度が上がるほど、ログアウトして現実の肉体へ復帰する際の『心理的落差』が加速度的に大きくなります。感覚が豊かで、現実よりも完璧であるほど、仮想空間への依存性は跳ね上がる。

 初期の展示においては、極上の感動よりも、絶対的な『安全』を優先しなければならないのです」

 

 依存症対策アドバイザーが、静かに、しかし突き刺さるような声で続けた。

 

「皆さんは、昨日のたった二十分の制限版の体験のためだけに、十六時間も行列に並び、本来の仕事を忘れ、眠気すら無視してここに来ましたね。

 ……それが、依存リスクの『初期症状』の最も分かりやすい実例です」

 

 ゲーム業界人たちが、一斉に視線を逸らした。

 

「反論できませんね」

 

 三枝が、法務として敗北を認める。

 

「でも、仕事だったし……」

 

 芹沢が弱々しく言い訳をする。

 

「依存症の患者は、しばしば“仕事だから”“付き合いだから”という正当化の言い訳を伴います」

 

 アドバイザーの追撃に、全員が深く心臓を刺された。

 

「……ですので」

 

 日下部が、トドメを刺すように言った。

 

「皇太子殿下向けのデモは、昨日皆さんが体験したものより、安全のために『さらに制限をかける』可能性があります」

 

「さらに!?」

「これ以上何を削るんだよ!」

 

「それでも、十分すぎるほど世界は変わります」

 

 黒瀬が、嘆く若手たちを制し、プロフェッショナルとしての顔に戻って場を引き締めた。

 

 ◇

 

 会議は、ようやく建設的な『デモの方向性』の整理へと進んだ。

 議論の末、皇太子殿下に向けた初回デモは、リスクを段階的に引き上げる「三段構成」が最適であるという結論に達した。

 

【第一段階:身体感覚に慣れる】

 ・環境:穏やかな草原、または桜並木。

 ・目的:フルダイブの基本感覚(歩く、見る、触れる)を知る。

 ・刺激:極めて弱め。いつでも安全にログアウト可能なチュートリアル空間。

 

「最初に必要なのは、派手な演出で驚かせることではありません」

 黒瀬が開発理論を語る。

「“ここは安心して存在できる場所である”という信頼を、脳に学習させることです」

 

【第二段階:非日常を見せる】

 ・環境:月面歩行の短時間版、または宇宙ステーションの展望室。

 ・目的:地球上では不可能な体験を提供する。

 ・制限:飛行や落下は禁止し、身体への負荷を抑える。

 

「低重力体験は非常に魅力的ですが、平衡感覚への影響を慎重に制御する必要があります」と榛名大臣。

「月面歩行を採用する場合、歩行速度の制限と、ジャンプ動作の禁止をシステムレベルで組み込んでください」と綾瀬大臣。

 

「ジャンプ禁止の月面……それ、ただの歩きにくい砂漠では?」

 島村が不満を漏らす。

「初回なら仕方ない。事故を起こすよりマシだ」

 黒瀬が宥める。

 

【第三段階:サウジ向け未来ビジョン】

 ・環境:未来のリヤド都市、あるいは砂漠に緑が生まれる環境シミュレーション。

 ・目的:皇太子の心に刺さる、万博のテーマ性に合致した国家ビジョンの提示。

 

「これが本命です」

 経産省の担当官が力を込める。

「ただの娯楽ではなく、彼らが目指す国家の未来を『自らの身体で体験』させる。それが、日本の技術協力を最も強烈に印象づける手段となります」

 

「ゲーム業界の皆さんには、その“未来を体験させる最高の演出”を、制限された仕様の中で作っていただきたい」

 

 日下部のその言葉に、クリエイターたちの目に再びプロとしての本気の火が灯った。

 

 ◇

 

 しかし、キャラクター問題に関しては、最後までしこりが残った。

 

「完全に無機質な空間にするのは、どうしても嫌です」

 

 島村が、クリエイターとしての意地を見せる。

 

「せめて、案内役の存在に『人格』を感じさせたいです」

 

「人格があるように見えるほど、法的・心理的リスクが跳ね上がります」

 

 三枝が、即座にブレーキをかける。

 

「なら、姿は出さず、声だけは柔らかく親しみやすいものにするのはどうですか?」

 

 アニメプロデューサーが折衷案を出す。

 

「音声案内AIのみであれば、接触リスクがゼロになるため、医療・法務面からのリスクは比較的低く抑えられます」

 

 オラクルが、システム側の評価を下す。

 

 最終的な暫定案は、以下の通りとなった。

 ・初回皇太子向けデモでは、エルフや猫耳などの強いキャラクター性は絶対に出さない。

 ・案内役は、落ち着いた中性的な音声AIとする。

 ・どうしても姿を出す場合は、抽象的な『光の案内人』程度のシルエットに留める。

 ・日本国内向けの二次展示では、エルフ案・猫耳案を別途検討する。

 

「猫耳は?」

 

 猫耳派のプロデューサーが、諦めきれずに問う。

 

「後日検討します」

 

 日下部が、官僚特有の玉虫色の返答をする。

 

「つまり、可能性はあるということですね?」

 

「『ありません』とは言っていません」

 

「勝った!!」

 

 猫耳派が、謎の勝利宣言をする。

 

「勝っていません。都合よく解釈しないでください」

 

 日下部は、深い溜め息をついた。

 

 ◇

 

 会議の終盤。

 決定事項と、各社・各省庁への割り振りタスクがホワイトボードにズラリと書き出された。

 

【ゲーム会社】基本移動設計、触覚を前提にしたレベルデザイン、安全なチュートリアル、体験導線、ユーザーが迷わない空間設計。

【アニメ会社】演出、視線誘導、音響、感動のピーク設計、キャラを出さない範囲での情緒設計。

【出版社】シナリオ文脈、体験後に説明できる言葉の定義、文化的なストーリー性の付与、多言語化対応。

【法務】体験同意書の作成、責任範囲の策定、ログの取り扱い規定、年齢制限の根拠、依存・健康リスクの説明文面。

【厚労省】医療安全基準の策定、体験時間制限の定義、バイタル監視体制の構築、禁忌条件の洗い出し。

【経産省】産業化ロードマップの作成、万博展示計画の立案、サウジ側との費用負担調整。

【アンノウン機関】ポッド運用、フルダイブ変換基盤の提供、オラクルによる監視、セーフティログアウトの実装、感覚出力のハードウェア制限。

 

 その膨大かつ未開拓のタスク群を見て、芹沢が引きつった笑いを浮かべた。

 

「これ……普通なら、数年がかりで取り組む新プラットフォームの立ち上げ規模ですよね?」

 

「ええ。それを、目前に迫った万博までに、初回デモとして形にします」

 

 経産省の担当官が、無慈悲に宣告する。

 

「完全なデスマーチだ……」

 

 社員たちが絶望の声を漏らす中、黒瀬だけが静かに首を振った。

 

「違う」

 

「違うんですか、本部長?」

 

 島村が問う。

 

「これは、ただのデスマーチじゃない。……人類史上、最も幸福で、最もやりがいのあるデスマーチだ」

 

 その言葉に、誰も否定できなかった。

 

 ◇

 

「皆さん」

 

 最後に、日下部が会議全体を締めるためにマイクを握った。

 

「このプロジェクトは、ゲームの未来であると同時に、極めて高度な外交案件であり、医療案件であり、産業案件であり、国家の安全保障案件でもあります」

 

 熱狂していた会議室が、水を打ったように静まり返る。

 

「皆さんが、この技術に触れて心から楽しんでいただくことは結構です。むしろ、その圧倒的な楽しさを知らない人間には、この技術の本当の危険性も、そして真の価値も理解できません。

 ……ですが、初回の相手は、一般のゲームユーザーではありません。サウジアラビアの皇太子殿下です。

 一つの不具合、一つの過剰な演出、一つの文化的誤解が、即座に修復不能な国際問題へと発展します」

 

 日下部の重い言葉に、業界人たちの顔が引き締まる。

 

「次回までに、各社は三つの案を提出してください。

 一つ、安全を最優先した案。

 一つ、感動を最優先した案。

 そして一つ、万博で世界に見せるための、現実的な本命案です」

 

「了解しました」

 

 黒瀬が代表して頷く。

 

「エルフ案は?」

 

 島村が食い下がる。

 

「安全最優先案では却下です」

 

「猫耳案は?」

 

 猫耳派が問う。

 

「安全最優先案では却下です」

 

「感動最優先案になら……?」

 

 アニメプロデューサーが身を乗り出す。

 

「……提出だけなら、止めません」

 

 会議室が、一気にざわめく。

 

「採用するとは一言も言っていません。期待しないでください」

 

 日下部は、最後の最後まで冷徹なストッパーであり続けた。

 

 ◇

 

 長時間の会議が終了し、黒瀬、島村、芹沢、そして三枝たちが、疲労困憊で廊下を歩いていた。

 

「本部長。結局のところ、私たち、これから何を作るんですかね」

 

 島村が、ぼんやりとした声で尋ねる。

 

「分からん」

 

「分からないんですか」

 

 芹沢が苦笑する。

 

「ああ、全く分からない。……だが、一つだけ確かなことがある」

 

「何ですか?」

 

 三枝が、眼鏡の位置を直しながら問う。

 

「俺たちはもう、ただの『画面の中の遊び』を作っているつもりでいては駄目だということだ」

 

 黒瀬は、立ち止まり、部下たちを真っ直ぐに見つめた。

 

「俺たちはこれから、人が実際に“行く場所”を作るんだ。……もう、ゲームという枠には収まらない」

 

 島村が、ハッと息を呑む。

 

 黒瀬は、疲労でひどい顔をしながらも、最高に嬉しそうに笑った。

 

「だから、俺たちがやってきたこと、全部作り直しだ。

 ……でも、最高にワクワクするだろ?」

 

 社員たちは顔を見合わせ、そして全員で、呆れたように、しかし心底楽しそうに笑い合った。

 

 一方、誰もいなくなった会議室。

 日下部は、膨大な議事録の整理に追われながら、胃薬の箱を取り出していた。

 

 その横に、先ほどのアンノウン機関の係員が、申し訳なさそうに立っている。

 

「日下部参事官。先ほどの、内部評価版に関する発言ですが……軽率でした」

 

「ええ。二度と言わないでください」

 

「はい」

 

「彼らは、あんな凄まじい完全版の存在を知ったら、どんな手を使ってでも並びます。十六時間でも、三十六時間でも、寿命が削れてでも体験しようとする」

 

「……否定できません」

 

 日下部は、水なしで胃薬を飲み込んだ。

 

「本当に、娯楽産業の人間という生き物は恐ろしい……」

 

 日下部が去った後の会議室。

 残されたホワイトボードの隅には、誰が書き残したのか分からない、未練たっぷりの文字が書かれていた。

 

『エルフ案:保留』

『猫耳案:保留』

『空を飛ぶ案:危険、だが捨てがたい』

『完全版:絶対にいつかやらせろ』

 

 部屋の管理システムと連動しているオラクルが、その文字を静かにスキャンし、淡々と記録する。

 

『未承認案として保存しました』

 

 その無慈悲なAIの一言だけが、誰もいない会議室に空しく響いた。

 

 




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