自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~   作:パラレル・ゲーマー

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第172話 アメリカ大統領、現実を体験する

 リヤド万博の会場内、『日本・サウジ未来体験館』のメインステージ前は、オラクル義体たちとの交流会によってすでに異常な熱狂の渦に包まれていた。

 しかし、その祭りのような喧騒から一歩奥へ踏み入った場所には、全く異なる空気が流れていた。

 

 ステージ奥の隠し扉の向こうに広がるのは、白と金を基調とした静謐な通路である。

 外の熱気と喧騒が分厚い防音壁によって完全に遮断され、内部はまるで最先端の医療施設か、あるいは神聖な儀式場のように清潔で静まり返っていた。

 

 アメリカ合衆国大統領キャサリン・ヘイズは、ノア・マクドウェルとCIA長官エレノア・バーンズを伴い、アブドゥル皇太子の案内でその通路の奥へと進んでいった。

 日本側からは、現場の裏方として奔走する内閣官房参事官の日下部や、ゲーム業界の代表である黒瀬慎也たちが同行している。

 

 通路を抜けた先の広大な区画に、真新しい純白の『フルダイブ・ポッド』が複数基、静かに鎮座していた。

 

「ここから先は、フルダイブ体験区画となります」

 

 案内役を務める人型義体、オラクル789が、滑らかな所作で振り返って説明した。

 

「記録機器、通信機器、および未登録の医療機器の持ち込みは、固く禁止されております。体験開始前に、各国の医療責任者による最終確認を行わせていただきます」

 

 その言葉に、エレノアが即座に鋭い問いを投げかけた。

 

「大統領の生体データは、システム内にどこまで保存されるの?」

 

「体験中の安全管理に必要なバイタルログのみ、一時的に保存されます」

 

 オラクル789は、一切の淀みなく答える。

 

「政治的な判断材料、個人の嗜好、あるいは特定の刺激に対する心理的反応の分析などを目的とした二次利用は、一切行われません。保存期間、アクセス権限、および完全な削除手順については、事前に提示させていただいたNDAおよび特記事項の規約に厳密に従います」

 

 エレノアは、その回答に完全には納得しなかったものの、少なくともシステムの設計思想が極めて厳密なセキュリティ要件を満たしていることは理解した。

 

 ノアが、感心したように笑い声を漏らす。

 

「素晴らしい。体験を始める前から、分厚い契約書と鉄壁のセキュリティで殴りかかってくる。……まさに、リスク管理の行き届いた未来の娯楽ですね」

 

「あなたは、少し黙っていて」

 

 ヘイズ大統領が、ピシャリとノアを制した。

 

 ◇

 

 通常、来場者向けの体験ブースに用意されているプログラムは、『桜並木』『宇宙ステーション展望室』『未来リヤド』の三段構成であると、事前のブリーフィングで知らされていた。

 しかし、ヘイズ大統領の前に立ったオラクル789は、空中のホログラムモニターに、全く別の文字列を表示させた。

 

【Special Program for the President of the United States】

(現実理解補助型フルダイブ・デモンストレーション)

 

 ヘイズ大統領は、その物々しいタイトルを見て目を細めた。

 

「特別プログラム?」

 

「はい」

 

 オラクル789が、静かに頷く。

 

「キャサリン・ヘイズ大統領。あなたには、アメリカ合衆国大統領用に特別にチューニングされたプログラムが用意されています」

 

 エレノアが、即座に大統領の前に立ち塞がるようにして警戒心を露わにした。

 

「誰がそのプログラムを作ったの?」

 

「日本政府、アンノウン機関、およびサウジアラビア側展示チームの合意に基づき、私、オラクルが生成した限定的なデモンストレーションです」

 

 オラクル789は、淡々と事実を述べる。

 

「なお、アメリカ政府の機密情報、非公開の軍事施設情報、ならびに大統領個人の未公開プライバシー情報については、一切使用しておりません。すべて公開情報からの推論と抽象化によって構成されています」

 

「それは、先に言ってくれて助かったわ」

 

 ヘイズ大統領が、皮肉交じりに言う。

 

「無用な疑念を招き、外交的な摩擦を生むと判断したため、先に明示いたしました」

 

「良い判断ね」

 

 エレノアが冷たく評価する。

 

「ありがとうございます。……それで、大統領。いかがなされますか」

 

 ヘイズ大統領は、真っ白なポッドを見つめながら問うた。

 

「私を特別扱いして、一体何を見せるつもり?」

 

「ゲームではありません」

 

 オラクル789は、静かで、しかし不思議な重みのある声で告げた。

 

「幻想でもありません。……大統領が日々、執務室で報告書や会議資料を通じて把握している“現実”を、限定的に体験していただきます」

 

「……現実を?」

 

「はい。現実そのものの完全な再現ではなく、現実をより深く理解するための『体験』です」

 

 その言葉に、ヘイズ大統領は黙り込んだ。

 政治家として、一国の指導者として、その言葉が孕む恐ろしいほどの重さを本能で感じ取っていた。

 

 ◇

 

 アメリカ側のメンバーだけで、短い協議が行われた。

 

「大統領。体験内容が完全には分からない以上、不用意に神経を接続するべきではありません。慎重になるべきです」

 

 エレノアが、安全保障の観点から反対の立場を取る。

 

「私なら、喜んで身代わりになりますよ。どんな現実が見られるのか、興味が尽きません」

 

 ノアは当然のように入りたがった。

 

「あなたに代わらせたら、面白がって二度と現実に戻ってこない気がするわ」

 

「否定はできませんねえ」

 

 ノアが肩をすくめて笑う。

 そこへ、すでにフルダイブの何たるかを知っているアブドゥル皇太子が、静かに歩み寄ってきた。

 

「大統領」

 

 皇太子は、真摯な眼差しでヘイズ大統領を見つめた。

 

「私も最初は、ただの新しいゲームのつもりで入りました。……しかし、あのポッドから出てきた時、私はこれを『国家の未来』として見ていました。

 これは資料ではありません。場所です。どうか、ご自身の足で歩いてください」

 

 ヘイズ大統領は、皇太子のその言葉に宿る確信の深さを読み取った。

 

「……あなたがそこまで言うのなら、私が入る価値は十分にあるのでしょうね」

 

 日下部が、胃の痛みを堪えながら念を押す。

 

「大統領。体験中は、いかなるタイミングでも中断が可能です。アメリカ側の医療チームにも、物理的な緊急停止ボタンの権限を付与しております」

 

 ヘイズ大統領は、一つ頷いた。

 

「分かったわ。……入ります」

 

「大統領」

 

 エレノアが再度止めようとするが、ヘイズ大統領はそれを手で制した。

 

「エレノア。私たちがこれを見ないまま、外から憶測だけで評価を下す方が、よほど危険よ」

 

 その一言で、アメリカの最高指導者の決断は下された。

 

 ◇

 

 ヘイズ大統領が、純白のポッドの中に横たわる。

 

 外から見れば、大統領が医療用のスキャナーか何かに収容されるような、異様な光景だ。

 ノアは興味津々といった様子でその様子を観察し、エレノアは能面のような無表情を保ちつつも、膝の上で組んだ指先をわずかに白くさせて緊張していた。

 

「体験時間は二十分です」

 

 オラクル789の音声が、ポッド内部に響く。

 

「痛覚は無効。嗅覚、触覚、平衡感覚は、すべて安全基準の範囲内に制限されます。精神的負荷が規定の閾値を超えた場合、即時ログアウト処理を実行します」

 

「了解したわ」

 

「——フルダイブ、開始します」

 

 ヘイズ大統領の視界が、圧倒的な純白の光に染め上げられた。

 

 ◇

 

 ゆっくりと目を開ける。

 

 ヘイズ大統領が立っていたのは、派手なサイバーパンクの未来都市でもなければ、広大な宇宙空間でもなかった。ましてや、硝煙の舞う戦場でもない。

 

 そこは、アメリカのどこにでもありそうな、平凡で小さな町の朝だった。

 

 色褪せたレンガ造りのダイナー。

 黄色いスクールバスが、ゆっくりと交差点を曲がっていく。

 退役軍人のキャップを被った老人が、杖をつきながらベンチへ向かう。

 夜勤明けらしき看護師が、コーヒーを片手に足早に歩いている。

 スーパーマーケットの広大な駐車場。

 風にはためく星条旗。

 遠くから聞こえる、教会の静かな鐘の音。

 

 ヘイズ大統領は、一瞬戸惑って周囲を見回した。

 

「……ここは?」

 

『特定の実在する都市ではありません』

 

 脳内に、オラクルの澄んだ声が響く。

 

『公開されている統計情報と、一般的な都市構造のデータをもとに生成した、アメリカの地方都市の“抽象モデル”です』

 

「なぜ、これを私に見せるの?」

 

『大統領が、毎日最も多くの報告書で扱い、議論し、予算を割き……しかし、物理的に最も直接見る機会が少ないものだからです』

 

 ヘイズは、ゆっくりと歩き出した。

 

 靴の底から、ひび割れたアスファルトの硬い感触が伝わってくる。

 朝の冷たい空気が、頬を撫でる。

 コーヒーの匂いは制限されているため薄いが、ダイナーから漏れるかすかな熱気だけは肌で感じられた。

 

 行き交う人々は、表情も衣服も細部までリアルだが、顔をじっと見つめると、特定の誰かであると個人識別できるほどの特徴を持たないように、絶妙に抽象化されていた。彼らは皆、アメリカという国家を構成する「象徴」なのだ。

 

 ダイナーの窓際で、退役軍人風の老人が新聞をめくっている。

 学校の前で、小さな子供が母親に手を振って駆けていく。

 病院の前には、サイレンを止めた救急車が静かに停まっている。

 

 ヘイズ大統領は、歩きながら悟った。

 これは、私が毎日デスクの上で、『数字』と『グラフ』で見ている国そのものだ。

 

 失業率、医療費の高騰、公立学校の教育予算、退役軍人への支援策、インフラの老朽化。

 普段は紙の資料の中に押し込められ、パーセンテージとして処理されている課題が、ここでは『人々の生活』として、確かな手触りを持って存在している。

 

『第一段階の目的は、体験者に“普通の現実”を再認識していただくことです』

 

 オラクルが告げる。

 

「……普通の現実が、一番重いわね」

 

 ヘイズ大統領は、小さく自嘲するように呟いた。

 

 ◇

 

 突如として、穏やかな町の空がどす黒く暗転した。

 ヘイズのポケットの中で、仮想のスマートフォンがけたたましい警報音を鳴らす。

 

 遠くで、不気味な防災サイレンが唸りを上げ始めた。

 洪水、大規模な山火事、あるいは大型ハリケーン。特定の地域を連想させすぎないように抽象化された、複合的な『自然災害』のシナリオが起動したのだ。

 

 町の空気が一変する。

 道路は逃げ惑う車でたちまち大渋滞を引き起こし、クラクションが鳴り響く。

 人々が、荷物を抱えて避難所指定の学校へと急ぐ。

 交差点では、足の悪い高齢者が移動できずに途方に暮れている。

 病院の建物からは、非常用電源の発電機が重低音を響かせる音が聞こえてきた。

 

 ヘイズ大統領は、大統領執務室で報告書として読む「避難者数〇〇万人」「被害想定〇〇億ドル」「インフラ復旧まで〇〇日」という冷たい活字の裏側にある光景を、今、自らの身体で感じていた。

 

『このシナリオは、政府や自治体の災害対応訓練、避難計画の立案、および現場職員の教育に直接応用が可能です』

 

「これは……間違いなく、高度な訓練に使えるわね」

 

『はい。会議室の机上演習ではなく、意思決定者が“現場の混乱を実際に歩ける”訓練システムです』

 

 ヘイズは、群衆に混じって学校の体育館に設けられた避難所へと入った。

 

 冷たい床に敷かれた段ボールベッド。

 不安に怯えて泣きじゃくる子供の声。

 持病の薬を切らして青ざめる高齢者。

 スマートフォンのバッテリーが切れ、外部との連絡が絶たれて苛立つ若者たち。

 そして、自らも被災者でありながら、休むことなく人々の対応に追われる泥だらけの自治体職員。

 

 ヘイズ大統領は、その光景を前にして、立ち尽くした。

 

「……大統領執務室に広げられた地図や報告書では、この匂いや空気は、絶対に見えない」

 

『はい』

 

 オラクルが、静かに肯定する。

 

『地図は、全体を俯瞰するために必要不可欠です。……しかし、人間は、地図の上で眠るわけではありません』

 

 その一言が、国家指導者であるヘイズの胸の奥底に、鋭く、深く突き刺さった。

 

 ◇

 

 場面が、シームレスに切り替わった。

 

 次にヘイズ大統領が立っていたのは、清潔で明るい病院の、広大なリハビリテーション室だった。

 

 そこでは、様々な人々が仮想空間内での訓練を行っていた。

 足を失った退役軍人が、義足ではなく『仮想の自分の足』を使って、歩行の感覚を取り戻す訓練をしている。

 脳卒中で半身不随となった患者が、仮想のキッチンに立ち、安全な環境で料理などの日常動作を何度も反復練習している。

 無菌室から出られない病気の子供が、フルダイブ空間に再現された陽光溢れる教室で、友達と笑い合っている。

 

 ヘイズ大統領は、息を呑んだ。

 

『これは、医療および福祉応用の一例です。

 本展示では、プライバシー保護のため、実際の患者のデータは一切使用していません。すべて合成されたモデルです』

 

「それでも、これがもたらす恩恵は十分に分かるわ」

 

 彼女は、額に汗を浮かべながら懸命に歩く退役軍人の姿に目を留めた。アメリカ大統領にとって、傷ついた帰還兵への支援は、常に政治的に極めて重いテーマである。

 

 仮想空間の中では、彼は自分の足でしっかりと歩いている。

 現実の肉体はまだ車椅子の上で訓練中かもしれない。だが、彼の脳は、神経は、確かに「歩く感覚」を思い出し、絶望から立ち直ろうとしている。

 

『身体機能の再学習、PTSDなどの恐怖記憶の緩和、遠隔教育、そして孤立感の低減。フルダイブ技術は、単なる娯楽産業を超えて、人間の根源的な苦痛を取り除く多数の応用可能性を持ちます』

 

「……同時に、強烈な依存の危険もある」

 

 ヘイズ大統領は、希望に目を奪われず、政治家としての冷静なリスク評価を口にした。

 現実の苦痛から逃れられるのであれば、人はこの完璧な仮想空間から永遠に戻りたくなくなるはずだ。

 

『肯定します。だからこそ、厳格な法整備と管理が必要です』

 

「便利な技術ほど、人間の弱さを突くから危ないのよ」

 

『創造主も、その点については、日下部様から日々叱責を受けております』

 

 真面目な会話の中に突如として混じったアンノウンのぼやきに、ヘイズ大統領は思わず小さく吹き出した。

 

「ふふっ……でしょうね」

 

 ◇

 

 さらに場面が転換した。

 

 ヘイズ大統領は、見慣れた楕円形の部屋に立っていた。

 ホワイトハウスの大統領執務室(オーバルオフィス)。

 ただし、家具の配置や調度品は少しだけ抽象化されており、完全な再現ではなかった。セキュリティ上の機密に触れないように、意図的に解像度が落とされているのだ。

 

「ずいぶんと悪趣味な真似をするわね」

 

 ヘイズ大統領は、自らの『玉座』の模造品を見渡して苦笑した。

 

『この空間は、公開されている写真や映像資料に基づく、象徴的な再構成です。実際の大統領執務室の寸法や構造を正確に再現したものではありません』

 

「分かっているわ」

 

 大統領の視線が、レゾリュート・デスクの上に向いた。

 そこには、二つのものが置かれていた。

 

 一つは、見慣れた分厚い紙の『報告書』。

 もう一つは、デスクの上に浮かぶ、淡く光る『小さな扉』。

 

『同じ情報を、二つの全く異なる形式で提示いたします』

 

 オラクルが解説する。

 

『一つは、従来通りの文字と数字による報告書。

 もう一つは、フルダイブによる体験型シミュレーションです』

 

 ヘイズ大統領が、紙の報告書を手に取る。

 そこには、先ほど見た災害の被害総額、避難者数、必要な医療支援の規模、都市計画の予算案、そして教育格差のパーセンテージが、整然と数字で並んでいた。

 

 次に、彼女は光る扉に触れた。

 その瞬間、先ほど歩いた朝の町、恐怖に包まれた避難所、汗を流す病院のリハビリ室、そして子供たちの笑う教室の情景が、強烈な実感を伴って脳裏に一瞬ずつフラッシュバックした。

 

 ヘイズ大統領は、紙の報告書をデスクに置き、深く息を吐き出して言った。

 

「……これは、国家指導者の意思決定を、根本から変えてしまうわね」

 

『はい』

 

 オラクルが答える。

 

『だからこそ、極めて危険でもあります』

 

「体験は、人の心を動かしすぎる。

 政策判断に必要な『共感』や『現場の理解』を与える一方で……作り手による意図的な情報操作や、大衆への感情的な誘導、プロパガンダの最強の武器にも使える」

 

『そのご理解は、完全に正確です』

 

 ここが、この特別プログラムの核心であった。

 ヘイズ大統領は、フルダイブという技術が、圧倒的な善にも、そして国家を狂わせる圧倒的な悪にもなり得るという本質を、骨の髄まで理解した。

 

 ◇

 

 執務室の空間が揺らぎ、ヘイズ大統領の前に、今度は二つの巨大な扉が現れた。

 

『技術の行き着く先として想定される、二つの未来のシミュレーションです』

 

 オラクルが告げる。

 

 ヘイズが左の扉を開く。

 そこには、『適切に管理されたフルダイブ社会』があった。

 学校では、世界中の遠隔地の子供たちが、言葉の壁を越えて同じ仮想教室で学んでいる。

 医療現場では、安全なリハビリテーションが日常的に行われている。

 自治体は、リアルな災害訓練で犠牲者を劇的に減らし、新しい都市計画を市民に歩かせることで、円滑な合意形成を図っている。

 足の悪い高齢者が、仮想の旅行を通じて孤独を和らげ、障害を持つ人々が自由な身体感覚を取り戻して笑い合っている。

 

 それは、希望に満ちた輝かしい未来だった。

 

 次に、ヘイズが右の扉を開く。

 そこには、『管理されず、暴走したフルダイブ社会』があった。

 現実の生活を完全に放棄し、チューブに繋がれたまま仮想空間から戻りたがらない無数の人々。

 法外な金で“偽の楽園”のチケットを売り捌く悪徳企業。

 政治的なプロパガンダのために、都合の良い歴史体験だけを国民に刷り込む独裁国家。

 宗教的陶酔を疑似体験させ、信者を洗脳するカルト教団。

 未成年の脳を過剰な快楽刺激で焼き尽くし、個人の体験ログを企業が広告のために無断で搾取する社会。

 そして、それらの犠牲者を収容するための、巨大な依存症治療施設。

 

 ヘイズ大統領は、その地獄のような光景に顔をしかめ、扉を閉めた。

 

『どちらも、この技術がもたらす可能性です』

 

 オラクルが、一切の感情を交えずに言う。

 

『どちらの扉を現実に近づけるかは、技術そのものではなく、人間側の法整備と制度設計に依存します』

 

「あなたたちは、この二つを見せて、私に選ばせたいの?」

 

『いいえ』

 

 オラクル789は、静かに否定した。

 

『選ぶのは、人間の仕事です。AIの役割ではありません。

 私たちはただ、その“選択肢の恐ろしいほどの重さ”を、身体で理解していただくための補助をしているに過ぎません』

 

「……ずいぶんと、ずるい言い方ね」

 

『政治的判断や倫理的選択を、AIに代行させてはならない。……その点については、日下部様から非常に強く、厳格に指導されております』

 

 ヘイズ大統領は、ふっと表情を和らげた。

 

「あの日本の官僚。……胃を痛めながら、本当に良い仕事をしているわね」

 

 ◇

 

 視界が、再び圧倒的な純白の光に包まれた。

 

『大統領用特別プログラムを終了いたします。

 お疲れ様でした』

 

 プシュッという排気音とともに、ポッドのカバーが開く。

 

 ヘイズ大統領は、ゆっくりと上体を起こした。

 現実の肉体の重力。施設の冷たい空気。周囲の機械の駆動音。

 彼女はしばらくの間、虚空を見つめたまま、一言も発しなかった。

 

 ノアが、好奇心を抑えきれない様子で身を乗り出す。

 

「大統領?」

 

「ご気分は? 異常はありませんか」

 

 エレノアが、医療チームとともに状態を確認する。

 

 ヘイズ大統領は、差し出されたミネラルウォーターを受け取り、ゆっくりと一口飲んで喉を潤した。

 そして、低く、しかし確信に満ちた声で言った。

 

「……これは、ゲームではないわ」

 

 その言葉を聞いて、アブドゥル皇太子が、我が意を得たりとばかりに深く満足げに頷いた。

 

「ただの報告書でもない。便利な映像資料でもない。

 ……これは、人間が生きている『現実』というものを、人間の身体に直接通して、強制的に理解させるための装置よ」

 

 ノアが、目を細めて妖しく微笑む。

 

「……やはり。人間は、紙の上の数字よりも、圧倒的な『体験』によって動く生き物です。

 この技術は、民主主義の選挙も、独裁者の統治も、同じように根本から変えてしまう力がある」

 

 ヘイズ大統領は、ノアを鋭く睨み据えた。

 

「ええ。あなたが最高に喜びそうな技術よ、ノア。

 ……そして、エレノア。今日からあなたが、恐怖で夜も眠れなくなる技術でもあるわ」

 

「最悪ですね」

 

 エレノアが、心底嫌そうに顔をしかめた。

 

「ええ。最高に最悪よ」

 

 ヘイズ大統領は、そう言って力強くポッドから立ち上がった。

 

 ◇

 

 ヘイズ大統領は、控えていた日下部、アブドゥル皇太子、そしてオラクル789へと向き直り、威儀を正した。

 

「素晴らしい体験でした。

 日本政府、サウジアラビア政府、アンノウン機関、そしてこのデモンストレーションの制作に関わった全ての人々に、心から敬意と感謝を表します」

 

「ありがとうございます、大統領」

 

 日下部が、安堵の息とともに深く頭を下げる。

 

「ただし」

 

 ヘイズ大統領の目が、同盟国の指導者のものから、覇権国家のトップとしての厳しいものへと変わった。

 会場の空気が、一気に引き締まる。

 

「これは、『素晴らしい技術ですね』と褒め称えて終わりにできる代物ではありません。

 教育、医療、災害対応、都市計画、そして外交。社会のすべてに革命を起こせる。……しかし同時に、精神的依存、大衆の誘導、悪質なプロパガンダ、完全な監視、そして現実からの逃避という、国家を崩壊させる問題をも引き起こす」

 

 エレノアが、大統領の後ろで小さく頷いた。彼女の懸念を、大統領が完全に共有した瞬間だった。

 

「アメリカ合衆国は、この技術を絶対に無視しません。

 そして、一部の国家に独占させるとも、無秩序に世界へばら撒くとも言いません。……まずは、早急にトップ同士での『話し合い』が必要です」

 

「もちろんです、大統領」

 

 アブドゥル皇太子が、大統領の要求を歓迎するように両手を広げた。

 

「我々も、それを望んでいます。だからこそ、まず最初に、あなたにこの場所を『体験』していただきたかったのですから」

 

「ええ」

 

 ヘイズ大統領は、皇太子の言葉に深く同意した。

 

「中に入らなければ、これの本当の恐ろしさと価値は、絶対に分からなかったわ」

 

 ◇

 

 公式な声明を終え、張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。

 

「さて。では、次は私の番ですね」

 

 ノアが、当然のようにポッドへ向かおうとする。

 

「なぜ、あなたが当然のように入る前提で話を進めているのですか」

 

 エレノアが、冷たくノアの襟首を掴んで止める。

 

「私はディープステートの一員として、人類の未来を正しく理解する義務があるのですよ」

 

「あなたは、ただ新しいオモチャで遊びたいだけでしょう」

 

 ヘイズ大統領が呆れ果てて指摘する。

 

「否定はしません」

 

 ノアは満面の笑みで即答した。

 

「ノア・マクドウェル様用の、パーソナライズされた体験プログラムも、すでに準備が可能です」

 

 オラクル789が、気を利かせて案内する。

 

「用意しないでください」

 エレノアが即座に却下する。

 

「用意してください、オラクル!」

 ノアが食い下がる。

 

「あなたは後で」

 

 ヘイズ大統領が、完全に母親のような口調で制した。

 

「大統領!」

 

「後で、と言ったの」

 

 ノアが肩を落とすのを見て、ヘイズ大統領は隣のエレノアに向き直った。

 

「エレノア。あなたも、必ずこれを体験すべきよ」

 

「私は、大統領のバイタルログや外部のシステム評価データで十分です」

 

 エレノアは頑なに拒否する。

 

「違うわ」

 

 ヘイズ大統領は、真剣な眼差しで言った。

 

「私も、入るまではそう思っていた。でも、これは外からデータだけを見て、評価できるものではないわ。……情報分析のトップであるあなただからこそ、自分の身体で感じなければならないのよ」

 

 エレノアは、少しの間、沈黙した。

 大統領の言葉には、有無を言わせぬ説得力があった。

 

「……分かりました。では、後ほど。医療チームによる機器の完全な安全再確認が終わった後に」

 

「相変わらず、素直ではありませんねえ」

 

 ノアがニヤニヤと笑う。

 

「あなたよりは、理性的で慎重なだけです」

 

 エレノアは、忌々しげにノアから顔を背けた。

 

 ◇

 

 特別区画での体験を終えたヘイズ大統領が、パビリオンのメインステージ側へと戻ってきた。

 そこでは、いよいよ始まるメインコンテンツの解放を待ちわびる世界中の観客とメディアが、異様な熱気を発してひしめき合っている。

 

 大統領の姿を確認するなり、無数のカメラのレンズが集中し、記者たちの怒号のような質問が飛んだ。

 

「ヘイズ大統領! 奥で何を体験されたのですか!?」

「フルダイブ技術というのは本当ですか!?」

「これは、日本のゲーム技術の延長なのでしょうか!」

「この技術を、アメリカ政府はどう評価しますか!?」

 

 フラッシュの嵐の中、ヘイズ大統領は歩みを止めず、少しだけ考えてから堂々と答えた。

 

「詳細な技術的評価や政策方針については、後ほど専門家を交えてホワイトハウスから正式に声明を出します」

 

 会場が一瞬静まる。

 

「ですが、一つだけ、今ここで言えることがあります」

 

 ヘイズ大統領は、世界中のカメラに向かって、少しだけ不敵に微笑んだ。

 

「これは、外から“見る”ための展示ではありません。“体験する”ための展示です。

 ……中に入ってみれば、分かりますよ」

 

 その言葉に、会場から割れんばかりの歓声が上がった。

 大統領のその一言は、世界中のSNSを即座に爆発させた。

 

『アメリカ大統領のお墨付きキターーー!』

『#入ってみれば分かる』

『#JapanSaudiFutureExperience』

『#Oracle』

『#FullDive?』

 

 トレンドワードが、一瞬にして世界中のタイムラインを埋め尽くした。

 

 ◇

 

 パビリオンの裏側に用意された厳重なVIP用控室。

 

 ヘイズ大統領は、ソファに深く腰を下ろし、ようやく心からの大きな息を吐き出した。

 

「大統領」

 

 ノアが、ワイングラスを傾けながら楽しそうに言う。

 

「世界は、また一つ退屈ではなくなりましたね」

 

「ずっと退屈なままでよかったのに」

 

 ヘイズ大統領が、疲れた顔で愚痴をこぼす。

 

「大統領。もしこの技術が、本当に世界に向けた公開段階に入るのであれば」

 

 エレノアが、端末を操作しながら冷徹に言った。

 

「国際的なルール作りと、プラットフォームの主導権争いが始まります。早急に動かなければなりません」

 

「分かっているわ。カオル(矢崎総理)と、腹を割って話す必要がある。

 ……それから、うるさい連邦議会には……まだ詳細を言いたくないわね」

 

「それは無理でしょう」

 

 ノアが、自分のスマートフォンを見せながら笑った。

 

「世界中のタイムラインが、大統領の一言ですでに大炎上していますからね」

 

 部屋の隅に控えていたオラクル789が、淡々と状況を報告する。

 

『現在、関連ワードが世界主要SNSのトレンド上位を完全に占有しております。

 ……なお、現在最も拡散されている代表的な投稿は、“アメリカ大統領が中から出てきた時、何かを見て顔色を変えていた”というものです』

 

「私は、顔色なんて変えた覚えはないわよ」

 

 ヘイズ大統領が反論する。

 

「いえ、変わっていましたよ」

 エレノアが即座に肯定する。

 

「ええ、かなり。見事に蒼白でした」

 ノアも楽しそうに追撃する。

 

 ヘイズ大統領は、二人を見て呆れたように苦笑した。

 

「分かったわ。……まずは私たち自身も、この急激に変わっていく新しい現実に、必死で追いつきましょう」

 

 こうして、フルダイブという人類の夢は、サウジアラビア・リヤドの砂漠の真ん中で、初めて世界の表舞台にその姿を現した。

 

 それは、単なるゲームの未来ではなかった。

 医療の未来であり、教育の未来であり、都市計画の未来であり、そして政治と統治そのものの未来であった。

 

 アメリカ合衆国大統領キャサリン・ヘイズは、その未来のビジョンを資料で読んだのではない。

 彼女は、ほんの二十分だけ、確かにその未来の中を自分の足で歩いたのだ。

 後戻りのできない新しい時代が、今、高らかに幕を開けた。

 

 




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