自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~ 作:パラレル・ゲーマー
ワシントンD.C.、ホワイトハウス地下。
大統領危機管理センター(PEOC)に隣接する、あるいはそれ以上に厳重に秘匿された極秘会議室。
この部屋の扉をくぐるためのセキュリティ・プロトコルは、合衆国が直面する平時のいかなる国家安全保障案件よりも厳格なものが敷かれていた。
スマートフォン、録音機器、個人のタブレット端末はもちろんのこと、スマートウォッチから電子ペースメーカーの外部通信機能に至るまで、あらゆる電波を発し得る機器の持ち込みが完全に禁じられている。
室内は外部ネットワークから物理的に遮断され、分厚いコンクリートと電磁波シールドに囲まれた空間には、空調の低く単調な羽音だけが冷たく響き渡っていた。机上に用意されているのは、透かしの入った紙の資料と、独立した閉域ネットワークのみに接続された旧式の堅牢な端末だけである。
会議の公式な名称は、『次世代没入型神経接続技術に関する国家安全保障ブリーフィング』。
だが、ここに集められた出席者の誰もが、その冗長な名称の裏にある真の目的を理解していた。これは要するに、中東の砂漠で唐突に産声を上げた怪物――「フルダイブ技術」に対する、合衆国政府としての対策会議であった。
巨大なマホガニーの円卓を囲む顔ぶれは、世界最強の国家を動かす頭脳そのものだ。
キャサリン・ヘイズ大統領を筆頭に、ノア・マクドウェル、エレノア・バーンズといった特別顧問や情報機関の要人。そして国防長官、統合参謀本部議長、CIA長官、国家情報長官、さらには科学技術政策局長、大統領科学顧問、保健福祉長官、教育長官、国土安全保障長官。
平時であれば、これほどの顔ぶれが一堂に会し、しかも全員が口を閉ざして重苦しい沈黙を保つことなどあり得ない。
いつもの会議であれば、軍人は軍事的な優位性を声高に主張し、情報機関は情報の独占と懸念を囁き、科学者は技術的見地から冷静な分析を披露し、各省庁の長官たちは自らの管轄の予算と権限を巡って暗闘を繰り広げるはずだ。
だが、今日は違った。
誰も、微かな軽口すら叩かない。
リヤド万博での一般公開から、一週間。
ここにいる全員、あるいはその最も信頼を置く側近たちは、アメリカ政府の特権を行使して「日本・サウジ未来体験館」のVIP枠にねじ込まれ、何らかの形で、あの白いポッドの中で「フルダイブ」を体験済みだった。
数日前まで、この会議室の何人かは、極東の島国が発表した新技術を「たかがVRの延長だろう」「ゲーム技術にすぎない」「サウジのプロパガンダを兼ねた宣伝だ」と、鼻で笑って侮っていた。
しかし今、彼らの顔に余裕はない。全員が、見てはならない世界の裏側――「現実」という概念の境界線が溶解する瞬間を、自らの神経系で直接味わってしまった人間の顔をしていた。
張り詰めた沈黙の中、上座に座るヘイズ大統領が静かに口を開いた。
「一週間前まで、ここにいる何人かは、あれを“ゲーム”と呼んでいたわね」
非難するような響きはなかった。ただ、事実を確認するだけの冷徹な声だった。
円卓を囲む政府高官たちの中で、誰一人として反論する者はいない。彼らは皆、自らの無知と傲慢を噛み締めるように視線を落とした。
やがて、制服に無数の勲章を佩用した統合参謀本部議長が、ひどく重い声で沈黙を破った。
「……訂正します、大統領。あれは、ゲームなどではありません」
数々の戦場と戦略の修羅場をくぐり抜けてきた老将の言葉には、確かな畏怖が混じっていた。
それに続くように、保健福祉長官が、まるで教会で祈りを捧げるかのように小さく呟いた。
「神の技術です」
会議室の空気が、一瞬だけさらに重く沈み込んだ。
世界最高の医療と科学技術を統括する立場の人間から、そのような非科学的で宗教的な単語が飛び出したこと自体が、あの技術の異常性を物語っていた。
ヘイズは、その言葉を頭から否定しなかった。しかし、決して同調することもなく、淡々とした声で切り返した。
「神の技術、ね。……そう呼びたくなる気持ちは分かるわ。でも、忘れないで。政府が技術を神格化した瞬間、管理は失敗するのよ」
その一言で、漂いかけていた神秘主義的な空気が一掃され、会議のトーンが「国家の安全保障」という冷徹な現実へと引き戻された。
ヘイズは手元の閉域端末を操作し、室内のメインスクリーンに資料を投影した。
映し出されたのは、リヤド万博におけるフルダイブ体験者の生体データ統計、全世界のネットワーク上で吹き荒れる熱狂的な反応、医療チームによる安全性チェックの概要、万博会場を制御する「オラクル義体」の運用ログ、そして、日本政府から極秘裏に提供されたごく限られた技術情報である。
「まず、基本認識を共有します」
ヘイズの視線が、出席者一人ひとりを射抜くように見据えた。
「フルダイブ技術は、厳格な国際管理が必要な技術です」
国防長官が深く頷いた。他の出席者たちも、その言葉の重みに異論を挟む余地はなかった。
「ただし、コア技術を握っているのは、我々でもなければ日本政府の正規の官僚組織でもない。日本の『アンノウン機関』と呼ばれる特務組織、そのさらに奥底にいる存在です。……少なくとも現時点で、日本政府はこの技術の危険性を十分に理解しており、無差別に世界へばら撒くつもりはないと確認しています」
科学顧問が、微かに表情を強張らせた。日本政府の意図はともかく、「アンノウン」という個人の意図が読めないことへの恐怖が、科学者の直感として働いているのだろう。
「けれど」
ヘイズは声を一段低くした。
「もしこの技術が、無秩序に流出したり、制御不能な形で世界中に拡散したりすれば……これは、核兵器より危険なテクノロジーになる可能性がある」
一部の出席者が、息を呑む音が聞こえた。
核兵器。冷戦時代から現代に至るまで、人類の生存を脅かす究極の絶対悪として君臨してきた兵器の代名詞。大統領が、娯楽にも使われる通信技術をそれと同列、あるいはそれ以上と評したのだ。
「核兵器は、都市を物理的に破壊し、人命を奪う。それは目に見える脅威です。でも、フルダイブは違う。フルダイブは、“人間の現実認識”そのものを設計し、書き換えることができる」
ヘイズの言葉が、冷たい刃のように会議室の空気を切り裂いていく。
「教育にも、医療にも、軍事訓練にも使えるでしょう。しかし同時に、政治宣伝にも、依存症の蔓延にも、そして完全な洗脳にも使える。これは、“人間が何を現実だと感じるか”という、我々の存在の根幹に直接触れる技術です。物理的な破壊を伴わずに、一つの国家の精神を崩壊させることすら可能になる」
会議室の空気が、これ以上ないほどに重圧を増した。
保健福祉長官が、切迫した声で身を乗り出した。
「大統領。もしそうであるならば、民間への公開停止を、直ちに日本側に求めるべきではありませんか?」
教育長官もそれに同意する。
「少なくとも、未成年への無制限な提供は絶対に危険です。人格形成期にあのレベルの仮想現実を体験すれば、現実世界への適応能力が著しく損なわれる可能性があります」
「民間施設で無秩序に運用された場合、テロリストの訓練、大規模な心理操作、そして新たな形態の依存症の温床になるリスクがあります。我々の社会構造そのものが崩壊しかねません」
国土安全保障長官の言葉には、国家の治安を預かる者としての強い危機感が滲んでいた。
ヘイズは彼らの懸念を一つ一つ受け止めるように、ゆっくりと頷いた。
「分かっているわ。アメリカ政府として、日本とアンノウン機関に対して『民間に出すのは止めるべきだ』と強く伝える選択肢もあります。……これは本来、限られた組織だけが、厳重な管理の下で持つべき技術なのかもしれない」
彼女はあえて、最も厳しい「封印論」を口にした。
しかし、すぐに結論を急ぐことはしなかった。
「でも、完全な封印も、もはや現実的ではないわ」
ヘイズは薄く息を吐いた。
「世界は、もう見てしまったのよ。サウジアラビアの砂漠で、あの奇跡のような体験をした人々が熱狂を広げている。……それに、私が……アメリカ大統領本人が『中に入ってみれば分かる』と全世界に向けて言ってしまった後で、アメリカが手のひらを返して『誰も入るな、危険だ』と言うのは、政治的にも外交的にも無理がある」
その言葉に、部屋の隅で静かに状況を観察していたノア・マクドウェルが、ふっと小さく笑い声を漏らした。
「世界最高の宣伝文句を発したのは、大統領ご自身ですからね」
緊迫した空気の中でのノアの軽口に、何人かの長官が眉をひそめたが、ヘイズは動じなかった。
「ええ。ありがとう、ノア。……本当なら忘れたかった事実だけど」
ヘイズは軽く皮肉で応じると、再び視線を厳しくした。
ノアはそのまま、片手を軽く挙げて発言権を求めた。
「軍事関係者としての視点から言わせていただければ、この技術の有用度は、控えめに言っても無限大ですね」
その言葉に、エレノア・バーンズが氷のような視線を向けた。
「あなた、いつから軍事関係者になったのかしら?」
「広義では、という意味です」
ノアは肩をすくめ、まったく悪びれる様子もなく微笑んだ。
「少なくとも、人類が何を新しい武器にするかについては、個人的に強い興味がありますから」
「……悪い意味で、でしょうね」
エレノアが冷たく吐き捨てるが、ノアは気に留めることなく続けた。
「戦場シミュレーターとして、あれは究極の完成度を誇っています。日本政府のアンノウン機関に極秘裏に問い合わせたところ、万博や民間向けに提供されているフルダイブ環境は、痛覚の全カット、各感覚の極端な制限、心理負荷の制限がかけられた、いわば『超安全版』だそうです。しかし――」
ノアの瞳の奥に、冷酷な知性が光った。
「本来の技術としては、視覚、聴覚、触覚、平衡感覚はもちろんのこと、急激な温度変化、骨が砕けるような痛み、圧倒的な圧迫感、そして生体的な恐怖反応に至るまで、限りなく高精度に現実と同期させることが可能だとか」
その言葉に、軍関係者たちが一斉に沈黙した。
統合参謀本部議長が、自身の喉を絞り出すように低く唸った。
「……つまり、ありとあらゆる戦場を、完全に再現できるということか」
「はい」
ノアは明確に肯定した。
「耳を劈く銃声、内臓を揺らす爆風、顔に跳ねる泥、生々しい血の匂い、通信が途絶した際の孤立感。夜間行動、複雑な都市戦、極限の砂漠戦、視界を奪われるジャングル、揺れる艦上、あるいは無重力の宇宙船内。システムさえ構築できれば、何でも作れる。もちろん、実際に人間の肉体を傷つける必要は一切ありません。弾丸に撃たれても、現実の身体には傷一つ付かない」
ノアは意地悪く口角を上げた。
「ただし、脳と身体は“それを完全に経験した”と錯覚する」
軍のトップたちは、互いに視線を交わした。そこにあるのは、圧倒的なテクノロジーへの渇望と、それによってもたらされる未知の兵士育成プロセスへの恐怖だった。
「その技術を使えば……」
統合参謀本部議長が、慎重に言葉を選びながら言った。
「新兵を、わずか数週間、いや数日で、数多の戦場を生き抜いた経験豊富なベテラン兵士に仕立て上げることも、理論上は可能かもしれない」
即座に、保健福祉長官が机を叩いて反論した。
「それは危険すぎます! 極限の戦闘ストレスを短期間で脳に叩き込むなど、数日で修復不能なPTSD患者を量産することになり得ます。人間の精神は、ハードウェアのように簡単にアップデートできるものではない!」
「その通りだ。だからこそ、厳格な管理と医療基準が必要になる」
統合参謀本部議長は否定せず、正面から受け止めた。
「しかし、もし他国がこのシミュレーターを導入し、無傷で精鋭部隊を量産し始めたらどうなるか。我々だけが軍事利用しないという選択肢は、国家防衛の観点からあり得ない」
国防長官も重々しく頷いた。
「私も同感です。これは、究極の現実エミュレーターになる。正直に告白すれば、私も最初はこれを高度なゲームだと侮っていました。しかし、実際に体験した今なら断言できます。これは、初めから軍事目的で開発された戦略技術だと言われても、完全に納得できる代物です」
その断定的な言葉に対し、ヘイズが即座に冷水を浴びせた。
「長官、納得できる、というだけで、そうだと決めつけないこと」
ヘイズの瞳が鋭く細められる。
「アンノウンという存在は、しばしば純粋な軍事技術を民生品のガジェットのように無邪気に出してくるし、逆に民生品が他国から見れば圧倒的な軍事技術に見えることもある。彼らの意図を、我々の尺度で推測するのは危険よ」
「大統領の仰る通りですが、どちらにせよ結果は同じです」
ノアが静かに結論付けた。
「圧倒的に、使えます」
「ええ」
ヘイズは深くため息をついた。
「そう。そこが最大の問題なのよ」
軍の興奮が一段落したところで、エレノアが感情の起伏を感じさせない淡々とした口調で話し始めた。
「情報機関、そして諜報の観点から見るならば、この技術の価値は大きく二つに分類されます」
メインスクリーンが切り替わり、複雑な施設の見取り図や、中東の架空の都市モデルが映し出される。
「用途の一つ目は、作戦前の現場ブリーフィングです。我々がターゲットとする危険地域、複雑な地下施設、都市の構造、国境地帯、厳重に警備された港湾や空港。これらにエージェントを送り込む際、実際に入る前に“現場の空間そのもの”を歩かせることができる」
エレノアは室内の高官たちを見回した。
「従来のブリーフィングは、平面の地図、断片的な写真や動画、衛星画像に頼るしかありませんでした。しかしフルダイブを用いれば、工作員や交渉官の脳に、対象の施設の距離感や構造を完璧に把握させることができる。これは作戦の成功率を劇的に引き上げる、革命的な手法です」
「二つ目は?」
CIA長官が身を乗り出して尋ねた。
「潜入工作員の訓練です」
エレノアは間を置かずに答えた。
「現地の言語、微細な文化の違い、人々の表情や距離感、路地裏の生活音、特有の匂い、そして敵地にいるという環境ストレス。これらを短時間で、かつ完全に安全な場所で反復経験できる。……潜入工作員の育成には、何よりも実践経験が不可欠です。しかし現実の実戦では、一度でも失敗すれば命を落とし、国家的スキャンダルに発展します。フルダイブ環境であれば、何度でも失敗できる環境で、無限に経験を積ませられる」
「死なない失敗は、最高の教材ですからね」
ノアが愉快そうに付け加えた。
「ただし、それは強力な武器であると同時に、逆の刃でもあります」
エレノアの顔から、一切の感情が消え失せた。
画面が再び切り替わり、真っ赤な警告色で彩られた『悪用リスク』の文字が並ぶ。
虚偽記憶に近い体験の植え付け。
極限の尋問・心理的圧迫。
過激思想の無意識下での刷り込み。
工作員への人格誘導。
フェイクの現場体験による判断操作。
敵対国への見えない政治宣伝。
「皆様もご存知の通り、これはあらゆる体験を脳内でゼロから作れる技術です。つまり、“現実には決して起きていない経験”を、人間の身体と精神に、本物の現実として経験させることができる」
エレノアの声が、冷たく静まり返った会議室に響いた。
「それは究極の訓練装置であると同時に、人類史上最悪の洗脳装置にもなり得ます」
「だからこそ、国際管理が必要なのよ」
ヘイズがエレノアの言葉を引き取るように強く言った。
「はい。ですが、大統領」
エレノアは頷きながらも、厳しい現実を突きつけた。
「その国際管理の枠組みを作るためには、まず我々自身が、この技術の深淵を完全に理解しなければなりません。今の我々は、海を見たことのない人間が、津波の対策を立てようとしているようなものです」
軍と情報機関の重苦しい懸念が場を支配する中、大統領科学顧問がおずおずと、しかし確かな意思を持って手を挙げた。
「大統領。私からは、先程までの軍事や諜報とはやや異なる、純粋な科学的視点……あるいは仮説を提示したいと思います」
「どうぞ」
ヘイズが促すと、科学顧問は一度深く深呼吸をし、言葉を選びながら話し始めた。
「私は、フルダイブ技術そのものの構造よりも……これが、日本のアンノウンの技術発展史において、一体どの位置にあるのかという点に強い疑問を抱いています」
会議室が、奇妙な静けさに包まれた。
「我々アメリカ政府はこれまで、アンノウンという存在が、医療用ナノテクノロジー、小型核融合炉、自律型オラクル義体、AI、さらには宇宙要塞に至るまで、多岐にわたる分野のオーバーテクノロジーを異常な速度で実用化してきたと考えてきました。……しかし、その開発速度は、一人の人間の寿命や研究開発時間としては、完全に説明不可能なレベルに達しています」
ノアが、待ちわびたかのように嬉しそうに笑った。
「ほう。ついに、そこに触れますか」
「今回のフルダイブを体験して、私の中に一つの恐ろしい仮説が生まれました」
科学顧問はノアの反応を無視し、大統領だけを見つめて言葉を紡いだ。
「アンノウンは、最初にナノテクノロジーや義体を開発したのではない。……彼は最初に、このフルダイブ環境のさらに上位に位置する、何らかのシステムを構築したのではないでしょうか」
「上位のフルダイブ?」
ヘイズが眉をひそめた。
「はい。例えば……内部における『主観時間』を極端に引き伸ばすことができる、研究用の隔絶されたフルダイブ空間です」
その言葉の意味を理解した瞬間、何人かの高官が息を呑んだ。
「現実世界ではわずか一時間しか経っていなくても、接続している脳の主観時間では一ヶ月、一年、あるいは十年以上に感じられるような極限の環境。……もし、彼がその仮想空間の中で、完全に安全な状態で思考し、設計し、実験し、検証し、失敗し、そして再試行を繰り返すことができるとしたら。彼は、人間が持つ最大の物理的制約である“時間”から完全に解放されることになります」
会議室が、凍りついた。
誰もが、その仮説がもたらす意味の巨大さに打ちのめされていた。
「仮想環境内であれば、どんなに危険なエネルギー実験でも何度でも経験できる。失敗して爆発が起きても、現実の施設は一つも壊れない。そして何より、実験者である彼自身は絶対に死なない。学習と開発の速度は、我々の常識とは桁違いに跳ね上がります。彼は仮想空間で何百年分ものトライ&エラーを繰り返し、完成した設計思想だけを、現実側へ持ち帰っているのかもしれない」
「つまり」
ノアが、科学顧問の言葉を簡潔にまとめた。
「アンノウンは、ただの突然変異の天才というわけではない、ということですね」
「はい」
科学顧問は青ざめた顔で頷いた。
「彼は、我々の想像を絶する、無限に近い経験と時間を積み重ねた天才、ということになります」
この一言は、会議室にいた全員の心に決定的な楔を打ち込んだ。
それは、競争相手に対する警戒といったレベルの話ではない。全く異なる次元、異なる時間軸を生きているかもしれない存在に対する、根源的な恐怖だった。
「それが本当なら……」
国防長官が、信じられないものを見るような目で宙を見つめた。
「我々は、アンノウンという存在の技術力を、根本的に見誤っていたことになる」
「見誤っていた、というより、我々と彼とでは、測るための『尺度』が違ったのです」
科学顧問が力なく首を振る。
「我々は、彼も我々と同じ二十四時間を生きている天才だと思っていた。しかし彼は、我々より遥かに膨大な主観時間を積み重ねて、未来から手を伸ばしているようなものなのかもしれない」
ヘイズは、深く座席に身を沈め、目を閉じた。
日本の首相や、アンノウン機関の責任者たちの顔が脳裏をよぎる。
「……日本政府は、その事実を知っているのかしら」
ヘイズの小さな呟きに、エレノアが冷徹に応じた。
「知っていて意図的に隠しているか、あるいは、技術の恩恵だけを受け取り、本質を知らないふりをしている可能性があります」
「あるいは」
ノアが肩をすくめた。
「アンノウン本人も、ただの便利な作業部屋だと思っていて、“普通に作業しているだけ”としか思っていないかもしれませんよ」
「それが一番怖いわね」
ヘイズは目を開き、重い息を吐き出した。
科学顧問の仮説がもたらした絶望感は、民間への技術公開に対する強い拒絶反応を引き起こした。
「大統領。もし今の仮説が一部でも正しいとするならば、この技術を民間に広く公開するのはあまりにも危険です」
保健福祉長官が、語気を強めて訴えた。
「現実世界に絶望した人々が、時間を引き伸ばされた完璧な仮想空間に逃げ込めば、二度と帰ってこなくなります。強烈な依存症、現実逃避、未成年の脳への不可逆的な影響、そして虚偽体験による精神崩壊。我々の医療体制で管理できる段階の技術ではありません」
教育長官も強く同意する。
「教育への応用は確かに魅力的です。しかし、誰がその仮想空間のカリキュラムを作るのでしょうか。どの歴史を事実として見せるのか。どの現実を“体験”させるのか。歴史的出来事を追体験させるシステムは、従来の教科書検定の比ではない、圧倒的な思想統制の道具になります」
「民間企業が広告に利用すれば、人間の消費行動や欲求を直接、かつ完全に設計することが可能になります」
国土安全保障長官も続く。
「敵対勢力がこれを思想教育やテロリストの育成に使えば、過激化の速度と深度は、これまでの歴史上類を見ないものになるでしょう」
CIA長官が、情報戦の最悪のシナリオを付け加えた。
ヘイズは、長官たちの切実な意見を黙って聞いていた。
誰もが正しい。誰もが、アメリカ合衆国という国家と社会を守るために、最大限の危機感を抱いている。
「その通りね」
ヘイズはゆっくりと頷いた。
「だから、アメリカ政府として、日本政府とアンノウン機関に対して『民間への全面開放は止めるべきだ、危険すぎる』と公式に伝える必要があるかもしれない」
出席者の多くが、その決断に安堵の表情を浮かべかけた。
しかし、ノアが静かに、だが明確な声でそれを遮った。
「ただし、大統領。それはもう手遅れです」
「……理由は?」
ヘイズがノアを見据える。
「世界は、すでにその奇跡を見てしまったからです」
ノアは、冷酷な真実を突きつけるように言った。
「アメリカ大統領が自ら体験し、サウジアラビアの皇太子が誇らしげに案内し、無数の来場者が圧倒的な感動をSNSで拡散し、“中に入ってみれば分かる”という言葉が、世界中を覆い尽くす不可侵のミームになってしまった。……ここで突然、アメリカが『危険だから封印する、誰も使うな』と圧力をかければ、世界中の国々はどう考えるでしょうか?」
エレノアが、ノアの言葉を引き取った。
「アメリカと日本、そしてサウジアラビアだけが、この未来の覇権技術を独占し、他国を出し抜く気だ、と。そう解釈されるのは確実でしょう。反発は免れません」
ヘイズは深く、長く息を吐いた。
「封印もできない。かといって、無秩序にばら撒くこともできない。……つまり、我々に残された道は、極めて厳重に管理された限定的な公開と、強固な国際ルール作りしかない、ということね」
ヘイズの視線が、再び手元の資料に落ちた。
「日本政府としても、この技術の危険性は十分に認知しているとのことです。現時点で、彼らが無差別に世界へポッドをばら撒くような心配はないわ」
「現時点では、ですか?」
国防長官が、鋭い指摘を投げかけた。
「ええ」
ヘイズは隠すことなく認めた。
「技術そのものが、あまりにも強すぎるのよ。現在の日本政府の体制がどれほど良識的であっても、将来の政治状況や世論の変遷まで保証することは、誰にもできない」
エレノアも小さく頷いた。
「だからこそ、アメリカ政府として、まず我々自身の手で検証を行いたいと日本側に強く伝えました。……検証用のポッドを五台、提供してほしい、と」
その言葉に、会議室が一気にざわついた。
世界中が喉から手が出るほど欲しがっている神の技術の端末を、五台も手に入れられるというのか。
「日本政府は、なんと答えたのですか?」
統合参謀本部議長が、身を乗り出して尋ねた。
「手配する、とのことよ」
ヘイズの答えに、さらなるざわめきが広がる。
ノアが、感心したように少し笑った。
「それはまた、ずいぶんと太っ腹ですね」
「もちろん、極めて厳格な条件付きよ」
ヘイズはざわめきを制するように、声を張った。
「一切の分解禁止。リバースエンジニアリングの禁止。コア制御部への物理的、及びソフトウェア的なアクセス禁止。稼働は常に『オラクル義体』の監視下での運用に限る。使用ログは日米双方でリアルタイムに共有・管理する。そして、本格的な軍事・諜報用途への運用については、検証後に別途協議する」
提示された条件の羅列に、国防長官はあからさまに顔をしかめた。
「……かなり厳しい。我々に中身を見せる気は一切ない、ということですか」
「賢明な判断です」
ノアが、国防長官の不満を一刀両断した。
「というか、日本側がその条件を出してこなければ、我々の国家そのものが危険に晒されるところでした」
「あなたがそれを言うの?」
ヘイズが意外そうにノアを見た。
「はい」
ノアは、いつになく真剣な表情で全員を見回した。
「アメリカ軍や情報機関が、フルダイブ技術を自由に分解し、解析できる状態で手に入れたら……技術のコアは、絶対に外部に流出します」
会議室が、一瞬固まった。合衆国の情報保全能力を真っ向から否定されたからだ。
だがノアは、怒りなど意に介さない様子で、笑顔すら浮かべて続けた。
「悪意やスパイの問題ではありません。我々の国家システムが持つ規模の問題です。軍、無数の民間請負業者、大学の研究機関、国防高等研究計画局、強欲な防衛産業、そして彼らと癒着した議会や予算委員会。関わる人間の数と組織が増えれば増えるほど、秘密は必ず漏れる。それが民主主義という巨大な機械の構造的欠陥です」
誰も、明確な反論を口にすることはできなかった。
「そして、もしアメリカからコア技術が漏れれば、世界中の国家や企業が粗悪な模倣を始めるでしょう。安全装置の不十分なフルダイブ環境が乱立し、数え切れない人間が仮想空間から帰ってこなくなるか、精神を破壊される。その時、歴史は間違いなくこう記録します。『アメリカ合衆国が、自らの欲望を抑えきれずに、世界破滅のスイッチを押した』と」
「それは、最悪のシナリオね」
ヘイズが顔をしかめた。
「私も嫌です」
ノアは肩をすくめた。
「人類が破滅していく過程を観察するのは個人的には非常に興味深いですが、その当事者として歴史に名を刻まれ、責任を負わされるのは私の好みではありませんから」
「最低の言い方ですが、彼が指摘するリスクの内容は完全に正しいです」
エレノアが、冷ややかな声でノアの論理を肯定した。
ヘイズは一つ頷き、議論を前へ進めた。
「では、日本から提供される五台の検証用ポッドの使い道を整理します」
ヘイズは端末を操作し、各省庁への割り当て案をスクリーンに表示した。
「一台目:医療・リハビリの検証。これは保健福祉省が主導します。退役軍人病院でのPTSD治療、重度身体障害者のリハビリテーション、そして遠隔医療支援の可能性を探ってください」
「二台目:災害・自治体訓練の検証。国土安全保障省が主導。大規模避難所の運営シミュレーション、ハリケーン、山火事、洪水、大規模停電、そして未知の感染症対策の極限訓練に使用します」
「三台目:軍事訓練の検証。国防総省が主導。ただし、痛覚、恐怖刺激、戦闘ストレスの付与については、現時点では厳格に制限します。まずは地形の空間的な把握、部隊行動の同期確認、指揮官の戦術教育に用途を限定すること」
「四台目:諜報・外交ブリーフィングの検証。情報機関および国務省主導。危険地域への潜入前の現地文化、施設構造、言語環境の事前体験。ただし、虚偽記憶の植え付けや心理操作用途での使用は、いかなる理由があろうと禁止します」
「五台目:教育・政策シミュレーションの検証。教育省およびホワイトハウス科学技術政策局主導。歴史の追体験、科学実験、都市計画の事前シミュレーションなど。ただし、これが特定の政治宣伝化することを避けるため、運用には外部の有識者からなる倫理委員会を設置します」
ヘイズは顔を上げ、全員の目を見た。
「基本方針としては、この技術で何ができるのか、応用方法を模索する。ただし、決してコア技術には触れない。分解もしない。我々はまず、この技術が人間の社会と精神を『どう変えるのか』を理解することに全力を注ぎます」
「軍事利用は、限定的な検証から始めるということですね」
国防長官が確認するように言った。
「ええ、極めて限定的です」
ヘイズは鋭く言い放った。
「新兵を数日で経験豊富な兵士にする、などという安直な発想は危険すぎる。人間の脳に経験だけを無理やり詰め込めば、強靭な兵士になるどころか、精神が崩壊する可能性が高い」
「同感です。訓練負荷の上限を定めるための、厳格な医療的基準の策定が急務です」
保健福祉長官が力強く頷いた。
「諜報用途においても、明確な倫理基準が必要です」
エレノアが釘を刺した。
「作戦の成功率や効率だけを追求すれば、現場はいずれ必ず、手を出してはならない心理操作という禁じ手に手を出します」
「人類は、便利で強力な禁じ手を見つけると、必ず一度は試さずにはいられない生き物ですからね」
ノアがシニカルに笑った。
「だからこそ、我々が先に、絶対に越えてはならない線を引くのよ」
ヘイズの決意に満ちた声が、会議室を制した。
議論の最終段階として、ヘイズは合衆国が主導すべき国際的な枠組みの構想を提示した。
「仮称ですが、『国際没入型神経接続技術管理枠組み』……あるいはもっと簡単に、『フルダイブ国際管理協定』と呼びましょう」
スクリーンに、想定される主要な議題が箇条書きで並ぶ。
・未成年者の利用制限と年齢基準
・痛覚および恐怖刺激の法的な上限設定
・一回あたりの連続使用時間の制限
・施設における医療監視の義務化
・体験ログのプライバシー保護と扱いの基準
・仮想空間内での広告利用の制限
・政治宣伝(プロパガンダ)への使用制限
・軍事訓練用途の国際的な透明性の確保
・国家や組織による強制体験の禁止
・依存症対策と社会復帰プログラムの構築
・中立的な国際機関による定期監査
・オラクル義体、または第三者AIによる常時安全監視システムの導入
「これまでの兵器管理のように、『持つ国と持たない国を制限する』だけでは、この技術の拡散は防げない」
ヘイズは力説した。
「この技術は、最終的には病院にも、学校にも、民間のゲームセンターにも、災害避難訓練にも入り込んでいく。だからこそ、技術を禁止するのではなく、使用する目的ごとに、絶対に守るべき細かなルールが必要になるの」
「ルール作りを急がなければなりません」
エレノアが同意した。
「我々が最初に包括的なルールを作らなければ、世界のどこかで最初に致命的な事故や悪用を起こした国が、事後対応として歪んだルールを作ることになります」
「あるいは、最初に悪用して覇権を握った国が、都合の良いルールを他国に強要するか、ですね」
ノアが付け加えた。
「それは、アメリカとしては絶対に避けたい事態ね」
ヘイズはきっぱりと言い切った。
数時間に及んだ、極めて密度の高いブリーフィングの最後。
ヘイズ大統領は、円卓を囲む政府と軍と情報機関のトップたちを、一人ひとりじっくりと見渡した。
「皆さんの意見はよく分かりました。……これは、アメリカが何としてでも欲しがる技術です。軍も、医療界も、教育界も、諜報機関も、そして産業界も、誰もがこの覇権を欲しがる。大統領として、それは認めます」
誰も、その欲望を否定しなかった。
「でも、欲しいからといって、無軌道に奪っていい技術ではない。分解して盗み出せるような次元の技術でもない。そして、無防備に世界中にばら撒いていい技術では決してない」
国防長官が、ゆっくりと、だが深く頷いた。
「技術のコアは、アンノウン機関が握っている。そして日本政府がそれを管理する。アメリカはまず、提供される五台のポッドで、応用方法とその危険性を徹底的に検証する。同時に、日本、サウジアラビア、そして価値観を共有する同盟国とともに、フルダイブの国際管理の枠組み作りを主導する。……それが、現時点でのアメリカ合衆国の方針です」
ヘイズの決定に、異を唱える者は誰もいなかった。
「賢明な判断です」
ノアが、静かに拍手を送るように言った。
「圧倒的なテクノロジーに対する自らの欲望を認めた上で、自制心を保ち、手を伸ばしすぎない。……人類にしては、なかなかの名采配、上出来と言えるでしょう」
「あなたにそう言われても、ちっとも褒められている気がしないわね」
ヘイズが眉をひそめる。
「褒めていますよ。彼なりに、最上級の賛辞です」
エレノアが、少しだけ口元を緩めてフォローした。
張り詰めていた会議室の空気が、ほんのわずかだけ和らいだ。
だが、会議が解散しようとしたその時、大統領科学顧問がぽつりと言言葉をこぼした。
「大統領。……もし、先程の私の仮説の通り、アンノウンが本当に、主観時間を無限に引き伸ばす『上位フルダイブ環境』を持っているのだとしたら」
再び、室内に緊張が走る。
「我々アメリカ政府が、たった五台のポッドを前にして、慎重に検証やルールの議論を重ねているこの時間の間にも……彼はその無限の時間の中で、我々の想像もつかないような、さらに先の次元へと進んでいるのかもしれません」
会議室は、水を打ったように静まり返った。
人類の歩みとは全く異なる速度で進化を続ける、見えない天才の影。その圧倒的な事実の前に、世界最強の国家の指導者たちは立ちすくむしかなかった。
ヘイズはしばらく黙り込み、やがて、覚悟を決めたように言った。
「ええ。そうかもしれないわね」
「では、我々はどうすれば……」
国防長官が、焦りを見せた。
「だからこそ、焦って追いつこうとしてはいけないのかもしれない」
ヘイズの瞳には、迷いはなかった。
「我々が自ら破滅しない速度で、確実に理解していくのよ」
アメリカ合衆国は、世界で最も強大な軍事力と、最も巨大な情報機関と、最高峰の研究機関を持つ超大国である。
その国家が、他国から提供されたたった五台の白いポッドを前にして、建国以来初めてと言ってもいい「自制」を選んだ。
欲しい。自国の軍隊で使いたい。徹底的に研究したい。そして、この新しい技術領域を完全に支配したい。
そのすべての煮えたぎるような欲望を深く理解し、認めた上で、キャサリン・ヘイズ大統領は強権をもって明確な線を引いた。
フルダイブ技術は、もはや単なる娯楽のための夢を見る機械ではなかった。
それは、人間がどの現実を信じ、どう生きるかという根源的な認識を、外側から完全に書き換えてしまう究極の装置だった。
だからこそ、アメリカ政府はその日、フルダイブをゲームの延長ではなく、国家の命運を左右する「戦略資産」として扱うことを正式に決定した。
そして同時に、テクノロジーの暴走によって自らの世界を壊してしまわないための、極めて慎重な速度で、その底知れぬ夢と向き合うことを選んだのである。
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