自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~   作:パラレル・ゲーマー

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第175話 仮想の夢と、銀河からの招待状

 テラ・ノヴァ側の工藤拠点。

 地球側とは物理法則も空気の成分も微妙に異なるこの異星の開拓地では、今日も無機質でリズミカルな機械音が果てしなく響き渡っていた。

 拡張され続ける自動化工場のプラントからは、重低音の駆動音が絶え間なく鳴り響いている。何百機という物流ドローンが、規則正しい軌道を描きながら空を飛び交い、遠くの採掘エリアでは、巨大な自律型重機が岩盤を砕く音が地響きのように伝わってくる。

 ここは、工藤創一という一人の人間を中心に、アンノウンの技術が結晶化した巨大な生産拠点であった。

 

 地球側では今、リヤド万博における『フルダイブ技術』の衝撃的な公開によって、世界中が熱狂と恐怖の入り混じった嵐の中で燃え上がっている。連日連夜、各国の首脳が緊急会議を開き、メディアは特番を組み、SNSは「新しい現実」についての議論でパンク状態になっている。

 

 しかし、テラ・ノヴァの工場地帯にその喧騒は一切届かない。

 工藤は、拠点の中央管制室に設置された作業用端末の前に座り、ホログラムモニターに表示される無数の生産ラインの稼働状況を淡々と調整していた。

 地球側の防衛ラインに供給するための新しい補給物資の生産計画、ミコラ族との通信品質を安定させるための新規アンテナモジュールの設計、異星文明との交渉に不可欠となった『万能翻訳機』の追加ロット生産のライン確保、地球でフル稼働しているオラクル義体たちのメンテナンス用予備パーツの在庫管理、そしてフルダイブポッドから送られてくる膨大な安全ログの暗号化処理。

 やるべきことは無限にあり、工藤の指先はキーボードと空中のインターフェースを休むことなく行き来していた。

 

 そこへ、管制室の重い自動扉が開き、日下部が姿を現した。

 パリッとしたスーツ姿は相変わらずだったが、その顔には深い疲労の色が濃く滲んでいた。しかし、これまでの激務で限界を突破して「死んだ魚の目」をしていた頃に比べれば、いくぶんか生気がある。

 フルダイブ騒動という、人類の歴史を揺るがすような大事件の渦中にいる国家公務員としては、どこか妙に淡々とした、奇妙な落ち着きすら感じさせた。

 

「あ、日下部さん」

 工藤は端末から目を離し、軽く手を挙げた。「リヤド万博の対応、本当にお疲れ様です。……ついにフルダイブ、解禁しちゃったんですね」

 

「ええ……」

 日下部は深い溜息をつき、工藤の隣にあるパイプ椅子に重々しく腰を下ろした。

「解禁というか、限定的な公開というか、あるいは世界に見せつけてしまったというか……。もはや我々日本政府の手だけでコントロールできる段階は過ぎました」

 

「まあ、オラクル義体にあれだけの権限と裁量を許可して送り出したんですから、いずれフルダイブもお披露目されるだろうとは思ってましたけどね」

 工藤は特に驚いた様子もなく、飄々と言った。

 

「その軽さが、本当に怖いんですよ、工藤さん」

 日下部は、どこか恨みがましい視線を工藤に向けた。「世界中が『現実の価値が暴落した』だの『人類の特異点だ』だのと大騒ぎしているというのに、当の開発者側がそのテンションとは」

 

「だって、俺からしたら『そりゃ凄い技術ですけど、今更?』って感じですし。それより、こっちのバイター対策の新型ドローンの挙動の方が今の俺には重要なんですよ」

 

 日下部は、眉間を揉みほぐしながら、静かに口を開いた。

「……工藤さん。正直に言うと、私はあの『フルダイブ』という技術がもたらす影響を、まだ完全には理解できていないのかもしれません」

 

 その言葉に、工藤はキーボードを叩く手を止めた。

「え? でも日下部さん、万博の前にVIP枠のテストかなんかで、ちゃんと自分でポッドに入って体験したんですよね?」

 

「ええ、体験しました。確かに、言葉を失うほど凄かった。現実としか思えないほどの圧倒的な没入感でした。あれが普及すれば、教育や医療、災害訓練のあり方に根本的な革命が起こることも、官僚としての頭では理解しています」

 

 日下部は、自分の内面にある「ズレ」を探り当てるように、ゆっくりと言葉を繋いだ。

 

「しかし……『現実を完全に捨てる』ほどのものでしょうか?」

 

「捨てる、ですか」

 

「ええ。ネット上では今、リヤドで体験した人間たちのレポートを読んで、『もう現実に戻りたくない』『あの仮想空間で一生を終えたい』という極端な声が溢れ返っています。中には、パックスファンドに全財産を投げ打ってでもポッドに入ろうとする者すらいる」

 日下部は、理解に苦しむというように首を振った。

「もちろん、アンノウン機関の報告書にも『極めて強い依存性のリスクがある』と明記されていましたし、その危険性は理屈としては分かっているつもりです。ですが、私自身の感覚としては、どうしてもそこまでのめり込む人々の心理が分からないのです」

 

 日下部は、テラ・ノヴァの荒涼とした風景を窓越しに見つめた。

 

「私からすれば、現実の世界の方が、よほど刺激的で、対処すべきことに満ちているではありませんか。少なくとも私の周囲の『現実』には、今日中に処理しなければならないアンノウン関連の案件が無限に積み上がっていて、仮想空間に逃げ込んでいる暇など一秒たりともありません」

 

 工藤は、思わず苦笑した。

「日下部さん……それ、刺激的っていうか、単なる『致死量の疲労』と『過労死へのカウントダウン』なのでは?」

 

「否定はしません」

 日下部は真顔で頷いた。「ですが、だからこそ、何が悲しくて『もう一つの現実』まで背負い込まなければならないのか、とすら思ってしまうのです」

 

 日下部の冗談めかした、しかし大真面目な言葉に、工藤は小さく笑い声を漏らした。だが、すぐに表情を少しだけ引き締めた。

 

「まあ、日下部さんがそう思うのも無理はないです。俺も、ぶっちゃけ今はそこまでフルダイブに興味は惹かれないですから」

 

「工藤さんもですか?」

 日下部は少し意外そうな顔をした。

 

「そりゃそうですよ。だって、こっちの現実、刺激強すぎません? 異星惑星の工場を一から管理して、わけのわからない化け物(バイター)と戦って、防衛ラインを構築して。かと思えば地球側の政治が燃え上がって、ミコラ族っていう異星人と連絡を取り合って、オラクルが世界デビューして……」

 工藤は、指折り数えながら呆れたように言った。

「フルダイブで剣と魔法の冒険をする前に、俺の現実の方がよっぽどSFでファンタジーな冒険してますよ。だから、今の俺には、フルダイブっていう『仮想の逃げ道』は、そこまで刺さらないんです」

 

「……言われてみれば、我々の置かれている現実が異常すぎるという事実は、否定できないのが嫌ですね」

 日下部も、渋々といった様子で同意した。

 

 しばらく、二人の間に機械音だけが流れる静寂が落ちた。

 やがて、工藤の顔から笑みが消え、どこか遠くを見るような、真面目な眼差しになった。

 

「でもね、日下部さん。……昔の俺だったら、たぶん全く違いますよ」

 

「昔の工藤さん、ですか」

 

「ええ」

 工藤は、目を閉じ、かつての自分――ただのしがない社畜システムエンジニアだった頃の記憶を呼び起こした。

 

 終電まで続く終わりの見えないコーディング。休日の深夜に平然と鳴り響く障害対応の呼び出し電話。理不尽な仕様変更を押し付けてくる上司と、電話越しに怒鳴り散らす顧客の声。どれだけ寝ても抜けきらない、鉛のような疲労感。

 そして何より、「自分は一体、何のためにこの箱のようなオフィスで生きているのか」という、心を徐々に削り取っていくような強烈な虚無感。

 

「社畜SEやってた頃の俺がもしあのフルダイブポッドに出会ってたら、多分、真っ先に飛びついてました。いや、飛びつくどころか、現実を完全に捨てて、あっちの世界に引きこもるレベルでハマったかもしれない」

 

「……そこまでですか?」

 日下部は、有能な技術者である目の前の男と、その言葉のギャップに少し戸惑った。

 

「そこまでです」

 工藤は断言した。

「だって、考えてみてくださいよ。過酷な労働を終えて、ボロボロになって現実のワンルームに帰っても、待っているのは次の日の障害対応と残業の恐怖しかないんですよ?

 でも、もしあのポッドに入れば、仮想世界でゆっくりと安らかな眠りにつける。自分の足で自由に、痛む腰も気にせずに美しい草原を歩ける。理不尽に怒鳴られることもなく、自分がやったことで誰かに純粋に感謝される。お金の心配も、将来への不安もない。……そんな完璧な世界が目の前に用意されていたら、現実になんて戻りたくないって思う人は、絶対に山のように出ますよ」

 

 日下部は、押し黙った。

 

「今の俺は、たまたま運が良くて、このテラ・ノヴァの工場が少しずつ成長していくのが楽しいし、やることが無限にあって、ありがたいことに日下部さんたちにも必要とされてる。だから現実を生きる理由がある。でも、昔の俺には、そんなもの一つもなかったですからね」

 

 工藤の言葉には、自身の過去への痛切な自己分析と、今も現実世界で苦しんでいる無数の人々への共感が込められていた。

 

「あの……工藤さん」

 日下部は、何かを言いかけて、言葉を飲み込んだ。

 

 工藤は少し言いにくそうに頭を掻きながら、日下部に向き直った。

「あの、変な意味で言うわけじゃないんですけど。日下部さんって、多分、絵に描いたような超エリート官僚ですよね?」

 

「……急に何ですか、そのステレオタイプな評価は」

 日下部は警戒するように目を細めた。

 

「子供の頃から頭が良くて、テストはいつもクラスで一番。運動もそこそこできて、厳しい受験戦争にも勝ち抜いて、国家公務員試験もトップクラスでパスして官僚になった。……つまり、自分の人生のずっと前から、自分の努力と能力で『現実で戦って勝つ』ことができてきたタイプじゃないですか?」

 

「……個人の子供時代を勝手に想像して、評価を下すのはやめていただきたいのですが」

 日下部は不満げに顔を背けた。

 

「まあ、大体合っていますが」

 数秒後、日下部は小さな声で認めた。

 

「ほら」

 工藤がニヤリと笑う。

 

「ほら、ではありません。それが今の話と何の関係があるのですか」

 

 工藤は笑いを収め、真剣なトーンで告げた。

「多分、日下部さんは『現実に絶望したこと』がないんです」

 

 日下部の肩が、微かにピクリと動いた。

 

「いや、勘違いしないでくださいね。日下部さんが苦労してないとか、楽をしてきたとか、そういう浅い意味で言ってるんじゃないです。日下部さんが血を吐くような努力をして、とんでもないプレッシャーの中で国家のために働いてるのは、俺が一番よく知ってますから」

 工藤は、日下部の反応を和らげるように言葉を重ねた。

「俺が言いたいのは、日下部さんは『自分の努力や能力で、自分の現実をある程度コントロールして、動かせる側にいる』ってことです。壁にぶつかっても、自分の頭脳と精神力で乗り越えられる。そういう強さを持ってる」

 

 日下部は反論できず、黙って工藤の言葉を聞いていた。

 

「でも、世の中の大多数の人間は、そんなに強くないんです」

 工藤の声は、静かだが重かった。

「というか、九十九パーセントの人は、自分の現実を思い通りになんてできない。どれだけ真面目に努力しても、環境のせいで報われない。才能もない。社会的な立場もない。毎日ただ生きているだけでしんどくて、息が詰まる。……そういう弱くて余裕のない人ほど、現実の苦しみから一瞬で逃れられる『よりよくデザインされた仮想現実』に、強烈に惹かれるんです」

 

 日下部の表情が、少しだけ変わった。

 それは、数字やデータ、マクロな国家戦略といった「上からの視点」からでは絶対に見えなかった、名もなき個人の「ミクロな絶望」というものを、初めて肌感覚として理解した瞬間だった。

 

「だからこそ、フルダイブは本当に危険な麻薬になり得ると思います」

 工藤は、結論付けるように言った。

 

「……アンノウン機関が、あの技術を一般に開示したのは、やはり間違いだったということでしょうか」

 日下部が、自らの所属する組織の判断を問うように尋ねた。

 

 工藤は、ゆっくりと首を横に振った。

「そこまでは言いませんよ。だって、あの技術は間違いなく素晴らしいものです。医療の現場でのPTSD治療やリハビリにも使えるし、教育にも革命を起こせる。現実でどうしても体験できない人に、体験を与えて救うことができる。それは、人類にとってすごく良いことだと思います」

 

 工藤は一呼吸置いた。

「ただ、昔のどうしようもなかった自分を想像して考えたら……色々と、思うところがあるというだけの話です。現実が充実している人には、フルダイブは超絶便利な『道具』です。でも、現実が苦しい人にとっては、あれは完璧すぎる『逃げ道』になる。そして、その逃げ道があまりにも快適で完璧すぎると、人はもう、残酷な現実には戻ってこれなくなる」

 

 その時、管制室のスピーカーから、無機質だがどこか温かみのある合成音声が響いた。

 

『補足します。マスターの見解は、心理学および社会学的見地から非常に妥当です』

 イヴだった。

『当機が蓄積したデータによるシミュレーション結果でも、フルダイブ技術に対する深刻な依存リスクは、ユーザーの現実生活における自己効力感の欠如、社会的孤立、慢性的な疲労、および正の報酬の不足と、極めて強い相関関係を持つと推定されています』

 

 日下部は、天井のスピーカーを見上げて言った。

「……イヴさん。今の分析、アンノウン機関の公式な見解として、次回の政府向け報告書にそのまま表現を入れてください」

 

『既に報告書の草案第十二版へ反映済みです。合わせて、依存症予防のためのガイドライン策定の提案も添付しております』

 イヴは淀みなく答えた。

 

「早いな、おい」

 工藤がツッコミを入れた。

 

「さすがですね。助かります」

 日下部は少しだけ安堵したように息を吐き、考え込むように視線を落とした。

「私は、実際にポッドを体験してなお、フルダイブという技術を『便利すぎるシミュレーション装置』としてしか見ていなかったのかもしれません。工藤さんの言う通り、現実からただ逃げ出したい、救われたいと願う人間の視点が、すっぽりと抜け落ちていました。……官僚としての私の限界ですね」

 

「まあ、日下部さんの場合は、現実に絶望する暇も、現実から逃げる暇もなさそうですしね」

 工藤が慰めるように言った。

 

「逃げたくなることは、一日に三回くらいはありますよ」

 日下部が真顔で即答した。「ただ、私が仮想空間に逃げ込んだとしても、その先まで『工藤さん案件』の緊急連絡が追いかけてくる気がしてならないのです。仮想空間の中でバイターが暴走した、といった報告を受けたくありませんからね」

 

「それは怖いですね、確かに」

 工藤が笑う。

 

「ええ。本当に怖いのは、フルダイブの夢ではなく、こちらの現実です」

 日下部も、珍しく口元に微かな笑みを浮かべた。

 

 二人の間に、張り詰めていた空気が緩み、穏やかな雑談の締めくくりの空気が流れた。

 だが、その安堵の時間は、数秒しか続かなかった。

 

『マスター。日下部様』

 イヴの音声が、不意に、しかし極めてクリアな警告音と共に響き渡った。

『ミコラ族より、優先度の高い通信要請を受信しました。即時接続を求めています』

 

 その一言で、管制室の空気が一変した。

 工藤と日下部は、顔を見合わせた。

 

「ミコラ族ですか。……繋いでください」

 日下部は、一瞬にして日本の特命全権大使のような、鋭い「外交官の顔」へと切り替わった。

 

『通信確立。万能翻訳補助システム、正常稼働確認。メインモニターへ出力します』

 

 管制室の巨大なホログラムモニターが切り替わり、独特の色彩を持った映像が映し出された。

 そこにいたのは、キノコのような、あるいは発光する胞子のような外見をした異星文明の代表――ミコラ族の通信担当者だった。

 地球の人類とは全く異なる生理的構造をしているにもかかわらず、その全身から発光する光の瞬きと、翻訳機を通した声のトーンからは、隠しきれないほどの圧倒的な「陽気さ」と「善意」が伝わってくる。

 

『日本国の皆さん、こんにちは! 今日も素晴らしい日ですね! ご連絡です!』

 ミコラ族代表の明るい声が、管制室に響いた。

 

「こんにちは。いつもご丁寧なご連絡、ありがとうございます」

 日下部は、モニターに向かって深く一礼した。

 

『皆さんと出会ってからというもの、この広大な宇宙は、我々が思っていた以上に愛と優しさに満ちていると感じています! 本当に、毎日が喜びに溢れています!』

 

「相変わらず、とんでもなくポジティブですね……」

 工藤は小声で呟いた。人類がフルダイブでドロドロの欲望を剥き出しにしているのとは、あまりにも対照的な純粋さだ。

 

 日下部は、彼らの高いテンションにはすっかり慣れた様子で、話を本題へと誘導した。

「前回のご連絡で、確か『総計六つの星間文明と接触に成功した』と伺っておりましたね。素晴らしい成果です。改めまして、おめでとうございます」

 

『ええ、ありがとうございます! 皆さん、多少の警戒心はありましたが、根はとても優しい人たちばかりです!』

 

「宇宙って、SF映画みたいに侵略してくる奴ばかりじゃなくて、思ったより優しい場所なんですかね」

 工藤が、モニターの端で腕を組みながら言った。

 

「そう願いたいものですね。少なくとも、我々が最初に接触したのが彼らで本当に良かったと、心の底から思っていますよ」

 日下部も、小声で同意した。

 

『日本国が提供してくれた『万能翻訳機』のおかげで、他文明との意思疎通が、我々の想定を遥かに超える急スピードで進みました!』

 ミコラ族代表は、興奮気味に報告を続ける。

『現在、合計六つの星間文明と、安定した交流を維持しています。それぞれ、技術の発展レベルも、文化も、考え方も全くまちまちです。中には非常に慎重な文明もいますし、まだ全員が深い同盟関係を結んだわけではありません。しかし……言語の壁が消えたことで、『まずは争うのではなく、互いを知るために話し合う場を作ろう』という、とても前向きな雰囲気が生まれているのです!』

 

 ミコラ族代表は、全身の発光をより一層強く輝かせた。

『言葉が通じる、相手の意思が理解できるというのは、本当に素晴らしいことです! 全ては、日本国の皆様のおかげです!』

 

「それは何よりです」

 日下部は、心からの祝意を込めて言った。

 

「いや、俺が作ったわけじゃないですけど……翻訳機、ちゃんと役に立ってるなら良かったです」

 工藤は、少し照れくさそうに鼻の頭を掻いた。自分が手掛けた生産ラインから出荷された機械が、遠い銀河の平和に貢献しているというのは、何とも言えない感慨がある。

 

『肯定します。文明間の致命的な誤解を防ぐための外交インフラとして、マスターが生産・提供した万能翻訳機の価値は、計り知れないほど高いと判断されます』

 イヴが、冷静な声で工藤の功績を裏付けた。

 

『それで、本題なのですが!』

 ミコラ族代表は、少しだけ姿勢を正すような動きを見せた。発光のリズムが、少し落ち着いたものに変わる。

 

「はい。伺いましょう」

 日下部も、表情を引き締めた。

 

『現在、我々ミコラ族の母星において、『銀河コミュニティ』の発足について、六文明の代表者たちと前向きな協議が進んでいるのです!』

 

「銀河……コミュニティ、ですか?」

 日下部は、その壮大な響きの単語を、確認するように反芻した。

 

『ええ! 星間を移動できる文明が所属する、非常に緩やかな同盟、あるいは情報共有のネットワークのようなものを想定しています』

 ミコラ族代表は、熱っぽく説明を始めた。

『あらゆる星間文明は、互いに猜疑心を持って争う前に、まずこのコミュニティに参加する。そして、互いの文化を知り、技術や資源の交易を行い、仲を深める。……そういう平和的な流れを、この銀河に作りたいのです!』

 

「名前が、すごく……日本の町内会っぽいですね」

 工藤が、ポツリと身も蓋もない感想を漏らした。

 

「工藤さん。黙っていてください」

 日下部が、モニターを見据えたまま、工藤の足を踏んづけた。

 

「すみません」

 

『このコミュニティは、排他的な軍事同盟や、一つの法律で縛るような厳格な連邦制ではありません』

 ミコラ族代表は、工藤の小声に気づく様子もなく続けた。

『純粋な交易、文化と芸術の交流、基礎科学の共有、万能翻訳機の貸与支援、未知の脅威に対する危機時の連絡網。そして、新しく見つかった星間文明へ接触する際の、安全なルール作り。……そういった、緩やかで友好的な相談の場なのです!』

 

 日下部は、その構想の巧みさに内心で感嘆していた。

 いきなり「銀河連邦」のような強固な支配体制を築こうとすれば、必ず反発する文明が出る。だが、利益と安全を共有する「緩い交流組織」であれば、参加へのハードルは極端に下がる。ミコラ族の陽気さの裏には、極めて高度な外交センスが隠されている。

 

『そこで、日本国に、正式なお願いがあります』

 

 ミコラ族代表の発光が、ひときわ強く、そして真剣な色を帯びた。

 

『日本国として、この『銀河コミュニティ』の第一回発足会議に、正式に参加していただけないでしょうか?』

 

 その言葉が管制室に響いた瞬間、日下部の顔が完全に固まった。

 隣にいた工藤も、息を呑んでモニターを見つめた。

 

「……日本国として、我々が、ですか」

 日下部は、己の耳を疑うように聞き返した。地球代表でも、人類代表でもない。「日本国」としての指名。

 

『はい!』

 ミコラ族代表は、満面の笑み(のように見える発光パターン)で答えた。

『私たちは、暗闇の宇宙で最初に手を差し伸べてくれた日本国を、とても大切で、最も信頼できる友人だと思っています。そして、皆さんの万能翻訳機があったからこそ、我々は他文明と争うことなく話し合えるようになりました。その偉大な日本国に、ぜひ第一回の記念すべき会議へ参加し、立ち会ってほしいのです』

 

 日下部は、即答できなかった。

 これは、一介の官僚が「はい、行きます」と答えられるような次元の話ではない。日本国の外交史どころか、人類が誕生して以来、最大級の歴史的案件である。

 

「……第一回の会議は、どちらで開催される予定なのですか?」

 日下部は、震えそうになる声をなんとか押し殺して尋ねた。

 

『我々ミコラ族の母星で行う予定です! 最高の歓迎の準備を進めています!』

 

 日下部は、再び固まった。

 

「母星……」

 工藤も、思わず呟いた。

 太陽系外の、名前も知らない異星人の母星。そこに、日本政府の人間が出向く。常軌を逸している。

 

 工藤は、混乱する日下部の代わりに、技術屋としての現実的な疑問を口にした。

「あの、ちなみにちょっと気になったんですけど。その集まる六文明の中で、今のところ一番テクノロジーが進んでいる、技術レベルが高い文明って、どこなんですか?」

 

 日下部が、一瞬「このタイミングでそれを聞くのか」という顔で工藤を睨んだが、情報としては極めて重要であるため、止めることはしなかった。

 

 ミコラ族代表は、工藤の質問に対し、全く悪びれる様子もなく明るく答えた。

 

『全体的な総合力で言えば、やはり、日本国ではないでしょうか!』

 

「……えっ、そうなんですか?」

 工藤は目を丸くした。SF映画の常識からすれば、星間航行をしている宇宙人の方が圧倒的に進んでいるはずだ。

 

『はい!』

 ミコラ族代表は深く頷いた(ように見えた)。

『日本国には、他文明の言語を瞬時に解析する万能翻訳機がありますし、何より情報処理技術やAIの構築技術が、非常に高度で洗練されています。他の文明は、FTL(超光速)航行技術や、特定の星間通信技術を持っている場合もありますが、それ以外の分野の技術は、本当にまちまちなのです!』

 

「まちまち……というと?」

 日下部が、慎重に言葉の真意を探る。

 

『例えば、星間航行技術を持っているにもかかわらず、我々や日本国でいう『コンピューター』の概念が全く存在しない文明もあるのです!』

 

「星間文明なのに、コンピューターがない?」

 工藤は耳を疑った。「じゃあ、どうやって宇宙船の軌道計算とかしてるんですか?」

 

『彼らは、個体あるいは群体の生物的な並列思考能力が極端に高く、自力で複雑な航宙計算を処理できる種族なのです。そのため、外部に計算用の機械装置を発達させる必要が、歴史上あまりなかったようなのです。……凄いですよね! 本当に、宇宙は多様性に満ちています!』

 

「すごいけど……進化のステータスの振り方が極端すぎるというか、すごい方向が全然違う……」

 工藤は、宇宙のスケールの大きさと歪さに圧倒され、頭を抱えた。

 

『肯定します。文明の発展経路が、環境や生物的特性によっていかに多様であるかを示す、極めて興味深く貴重な事例です』

 イヴが、学術的な関心を隠さない声で補足した。

 

 日下部は、内心で激しく舌打ちをしていた。

 つまり、ミコラ族から見れば、日本は星間社会の中において「情報処理技術が突出して高い、先進的な文明」として認識されているのだ。

 しかも、その万能翻訳機やオラクル義体といった超技術が、自国で開発したものではなく、アンノウンという規格外の存在からもたらされたものであることは、外交上、絶対に隠し通さなければならない。

 これは、下手な嘘をつけば銀河規模の詐欺になりかねない、薄氷を踏むような外交交渉になる。

 

 日下部は、一度深く深呼吸をし、極限まで表情の筋肉を統制して、完璧な「日本国代表の外交官」の顔を作った。

 

「……大変光栄な、そして重みのあるお申し出です。日本国として、いただいた参加要請を、政府の最高レベルで正式に検討させていただきます」

 

『ありがとうございます!』

 ミコラ族代表は、嬉しそうに発光した。

 

「ただし、ご理解いただきたいのですが」

 日下部は、釘を刺すように言った。

「これは、我々にとって非常に大きな外交案件となります。政府内での意思統一、参加する代表者の選定、ミコラ族母星までの安全な移動方法の確立、安全保障上の確認、そして何より、日本国側における徹底した情報管理など、膨大な調整が必要になります。即座に『行く』と確約することはできません」

 

『もちろんです! 私たちも、日本国の事情は考慮しています!』

 ミコラ族代表は、理解を示すように言った。

『急ぎません。ですが、できれば、記念すべき第一回の会議に、友人の代表として間に合ってほしいのです!』

 

「……その第一回会議の開催予定は、いつ頃でしょうか?」

 

 ミコラ族代表は、少し計算する素振りを見せた後、答えた。

『ミコラ族の母星時間で二十日後。皆さんの時間換算で、およそ十八日後になります!』

 

 日下部は、わずかに目を伏せた。

 十八日。国家の意思決定プロセスとしては異常なほどの短期間だ。だが、断るという選択肢はないに等しい。ここで銀河コミュニティの立ち上げメンバーから外れれば、日本は、いや人類は、永遠に宇宙の孤児となる。

 

「……承知いたしました」

 日下部は、顔を上げ、力強く頷いた。

「こちらから、数日以内に、一次回答をお送りいたします。それまで、お待ちいただけますでしょうか」

 

『分かりました! 日本国からの良いお返事を、心から期待しています!』

 

「いや、マジですごい話になってきたな……」

 工藤は、事の顛末を見守りながら、誰にともなく呟いた。

 

『日本国の皆さんと出会ってから、私たちは、宇宙がただ広く暗く怖い場所ではなく、互いに言葉を交わし、話し合える場所なのだと知りました』

 通信の最後、ミコラ族代表は、これまでにないほど穏やかで、慈愛に満ちた発光を見せた。

『だからこそ、今回のコミュニティの発足の場に、私たちに光をくれた日本国に、どうしてもいてほしいのです!』

 

 その純粋すぎる善意の言葉に、日下部は、普段の冷徹な仮面の下で、一瞬だけ表情を和らげた。

 

「……ありがとうございます。こちらこそ、ミコラ族の皆様との出会いには、我々にとっても計り知れないほど大きな意味がありました」

 

『では、また連絡します! 素晴らしい未来に!』

 

「ええ。では、通信を終了します」

 

 プツン、という音と共に、巨大なモニターからミコラ族の姿が消え、いつものテラ・ノヴァの工場の稼働データ画面へと戻った。

 

 通信が切れた後、管制室には数秒間、誰も言葉を発しない、重い静寂が降り降りた。

 ただ、遠くから聞こえるドリルの駆動音だけが、等間隔で響いている。

 

「……銀河コミュニティ、ですか」

 工藤が、ポツリと静寂を破った。

 

「ええ」

 日下部も、短い返事をした。

 

「なんか、俺たちが工場でこつこつドローン作ってる間に、話が急に宇宙規模の壮大なスケールになりましたね」

 

「工藤さん」

 日下部は、疲労の極致のような顔で工藤を振り返った。

「異星の惑星にゲートで繋がり、未知の化け物と戦い、異星人と通信している時点で、すでに十分すぎるほど宇宙規模ですよ。何を今更」

 

「それはそう」

 工藤は、素直に頷いた。

 

 日下部は、両手で顔を覆い、肺の中の空気を全て絞り出すような、深く、長い溜息を吐き出した。

 そして、顔を上げると、いつものように背筋をピンと伸ばした。

 

「工藤さん。日本に行きますよ。大至急、政府の緊急トップ会議を招集します」

 日下部の声には、迷いはなかった。

 

「了解です。フルダイブの対応で忙しい総理たちが、泡を吹いて倒れないか心配ですけど。……じゃあ、移動しましょうか」

 工藤は、端末の操作を終え、立ち上がった。

 

『マスター。ゲートへの移動準備を開始します』

 イヴの冷静な声が響く。

『合わせて、日本政府への報告用関連資料として、今回のミコラ族通信の完全ログ、六文明との接触状況の概要、銀河コミュニティ構想の要件定義、および万能翻訳機がもたらす外交的影響の評価レポートを自動生成し、日下部様の端末へ転送します』

 

「お願いします、イヴさん。あなたは本当に優秀だ」

 日下部は、心からの感謝を述べた後、付け加えた。

「……できれば、胃薬の生産ラインも、大至急で増強しておいてください」

 

『既にその必要性を予測し、第三プラントにて生産ラインの増強検討を開始済みです』

 

「日下部さん、冗談で言ったんじゃないんですね。本当に必要そうですね、それ」

 工藤が苦笑する。

 

「絶対に必要です。フルダイブの対応だけでも胃に穴が開きそうなのに、それに加えて『十八日後に銀河の代表会議に出席しろ』と言い出すのですから、内閣総辞職もののストレスですよ」

 日下部は、半ば自暴自棄のように言った。

 

 管制室を出て、地球へ繋がるゲートへと向かう道すがら。

 工藤は、テラ・ノヴァの紫がかった奇妙な空を見上げながら、少しだけ楽しそうに笑った。

 

「銀河コミュニティかぁ。……第一回の会議、どんな種族の宇宙人が集まるんでしょうね。ちょっとワクワクしません?」

 

 日下部は、そんな工藤の無邪気な横顔を見て、呆れと、極度の疲労と、そして彼自身の中にも僅かに芽生え始めている好奇心を混ぜ合わせたような、複雑な顔で言った。

 

「……そののんきな感想を抱く前に、まずは日本政府が、この『アンノウンに依存しきった偽りの先進文明』という状態を、異星人たちにどう言い訳し、どう説明をつけるかを考えましょう」

 

「あー、そっちですか。それは確かに、胃が痛いですね」

 工藤は肩をすくめた。

 

「そっちです。完全に、そっちの問題です」

 

 日下部の乾いた声が、テラ・ノヴァの風に溶けていった。

 

 地球では今、一人の天才が創り出した『フルダイブ』という仮想の夢が、人類の現実の定義を揺るがし、世界中をパニックと熱狂の渦に巻き込んでいた。

 だが、その地球から遠く離れたこのテラ・ノヴァの荒野では、本物の星々の海から、人類の歴史上初めてとなる『銀河からの招待状』が届けられたのである。

 

 人類を飲み込もうとする仮想の未来と、待ったなしで扉を叩く現実の銀河。

 果てしなく広がる宇宙の片隅で、工藤創一の日常は、また一段と面倒で、刺激的で、そして少しだけ楽しそうな未知の方向へと、確かな音を立てて進み始めていた。

 




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