自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~   作:パラレル・ゲーマー

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第178話 夢を規制する者、夢を作る者

 東京都千代田区永田町、首相官邸。

 その地下深くに設けられた特別会議室は、外界の喧騒から完全に切り離された重厚な空間である。だが、今日のこの部屋には、かつてないほどの濃密で、息苦しいほどのプレッシャーが充満していた。

 

 集められているのは、内閣全員ではない。フルダイブ技術に関する『官民横断タスクフォース』のメンバーたちだ。

 政府側からは、進行役を務める経済産業省・文化コンテンツ戦略室の鴻上を筆頭に、経産省、総務省、文化庁、厚労省、警察庁、消費者庁の担当官たち。さらに、外部から招かれた医療・精神科の専門家。

 民間側からは、大手ゲーム会社『星海インタラクティブ』の開発本部長である黒瀬慎也、若手ゲームデザイナーの島村あかり、ネットワーク担当の芹沢健吾、法務担当の三枝美帆。それに加え、大手出版社やアニメ制作会社のIP(知的財産)展開担当者、VR企業のトップたち。

 そして部屋の隅には、会議の記録と補助を担うアンノウン機関製の『オラクル義体』が、静かに、だが確かな存在感を放って佇んでいた。

 

 リヤド万博に向けた極秘の体験会が行われた日は、彼らエンターテインメント業界の人間たちは「人類最高の夢」に出会った喜びに熱狂していた。

 だが、今は違う。

 リヤド万博でフルダイブ技術が世界に公開された結果、世界中の政府がこの劇薬に対する法規制へと一斉に動き出したのだ。

 

 黒瀬は、円卓に置かれた分厚い資料の束を見つめながら、小声で隣の島村にこぼした。

 

「……ついに来たか」

 

「夢のゲーム開発会議のはずなのに、空気が完全に国家安全保障のそれですね」

 島村が、周囲の官僚たちの険しい顔つきを見て身を縮める。

 

「実際、国家安全保障ですからね」

 法務の三枝が、眼鏡を押し上げながら一切の感情を交えずに返した。

 

 鴻上がマイクを握り、鋭い視線で会議室全体を見渡した。

 

「では、始めます。本日の議題は、フルダイブ技術に関する国際規制の方針、および我が国における国内解禁のロードマップについてです」

 

 鴻上のその声に、会議室の空気が一段と張り詰めた。

 

「現在、フルダイブ技術の圧倒的な影響力を目の当たりにした各国が、猛烈なスピードで独自の規制案を策定し始めています。まずは、主要国の動向を共有します」

 

 鴻上が手元のコンソールを操作すると、メインスクリーンに各国の国旗と共に、それぞれの規制方針の概要が箇条書きで表示された。

 

「まず、アメリカです。

 彼らはこの技術を『核兵器級の戦略技術』として位置づけ、厳格な国際管理を主張しています。医療、教育、災害訓練、そして限定的な軍事訓練の用途は認める方向ですが、痛覚、恐怖刺激、長時間の連続利用、そして未成年者の利用に対しては、極めて厳しい制限をかける構えです。……彼らは欲しがっていますが、同時に自制しようと必死になっています」

 

「アメリカらしいですね。コア技術がアンノウン機関にある以上、自分たちでブラックボックスを開けられないなら、使用ルールを国際標準化して縛ろうというわけだ」

 黒瀬が、アメリカの意図を正確に読み取る。

 

「次に、EU(欧州連合)です。

 EUの規制案は、人権、倫理、個人データ保護を絶対的な軸としています。未成年の利用は原則禁止、あるいは教育用途のみに限定。体験中の脳波や生体ログは『個人の究極の精神データ』として最高レベルの保護を要求し、仮想空間内での政治宣伝、宗教勧誘、広告への誘導を厳格に制限。さらにはプラットフォーマーに対して強力な依存症対策を義務付ける内容です」

 

「EUは、規制文書だけならすでに百科事典並みの分量になっていますよ」

 文化庁の担当官が、うんざりしたように補足する。

 

「早すぎません?」

 芹沢が目を丸くする。

 

「EUですので」

 鴻上が短く切り捨てた。彼らは新しい技術が生まれると、まず最初にそれを縛る法律を作る天才たちなのだ。

 

「続いて、中国です。

 予想通りですが、完全な国家許可制です。国内サーバーでの管理を義務付け、教育や職業訓練、そして『愛国コンテンツ』への利用を主目的として想定しています。個人の体験ログはすべて国家が管理し、民間の自由な娯楽ゲームとしての利用は厳格に統制される見通しです」

 

「見事なまでに、思想教育と国民監視の装置として使う気が透けて見えますね」

 三枝が、法務の視点から冷ややかに評した。

 

「その通りです」

 鴻上が頷く。

 

「……そして」

 鴻上は、スライドを次へと切り替え、声を一段階低くした。

 

「現在、日本政府として最も不気味で警戒しているのが、ロシアの動向です」

 

 スクリーンに、ロシア政府が発表した公式声明の抜粋が表示される。

 

『フルダイブは、一部の国が独占すべきではない、人類全体に開かれるべき技術である』

『過剰な規制は、体験格差を固定化するものであり、先進国による技術独占の隠れ蓑に過ぎない』

『医療、教育、福祉、文化のために、広く、そして自由に普及させるべきである』

 

「一見すると、極めて人道的で前向きな、素晴らしい主張に聞こえます」

 鴻上が言うと、黒瀬が顔をしかめた。

 

「一見すると、という前置きがついた時点で、嫌な予感しかしませんね」

 

「はい。日本政府が懸念しているのは、ロシアがこの『人道的普及』や『過剰規制反対』という美辞麗句を隠れ蓑にして、“西側諸国が規制する自由な体験市場”の受け皿になろうとしている可能性です」

 

 会議室が、凍りついた。

 

「どういうことですか?」

 島村が、不安げに尋ねる。

 

「ロシアは、アメリカやEU、そして日本が禁止・制限するであろう『高刺激なフルダイブ体験』を、自国の管理下で合法的に提供する特区を作る可能性が高いのです」

 

 スクリーンに、ロシアが水面下で狙っていると推測される『過激コンテンツ』の想定リストが並んだ。

 極限サバイバル体験。

 痛覚に近い刺激を含む高負荷な戦場体験。

 狂気的な恐怖体験。

 リアルな死亡シミュレーション。

 政治的・歴史的に偏向したプロパガンダ体験。

 依存性の極めて高い報酬設計を持った仮想現実。

 現実逃避を目的とした、長時間滞在可能な空間。

 

「……それは、もはや娯楽ではありません。人間の精神に対する負荷実験です」

 同席していた医療・精神科の専門家が、青ざめた顔で断言した。

 

「ですが、もし日本国内でそのような刺激的な体験を完全に禁止した場合、利用者はどうなるでしょうか?」

 警察庁の担当官が、現実的な懸念を口にする。

「間違いなく、地下に潜るか、あるいは合法的に提供されているロシアのサーバーや特区へと海外流出します。カジノやオンラインギャンブルと同じ構図です」

 

「市場を丸ごと、ロシアのプラットフォームに奪われる危険性がありますね」

 経産省の担当官も、経済的な観点から危機感を露わにする。

 

「……なるほどな」

 黒瀬が、腕を深く組みながら唸った。

「開発する側からしても、安全なものだけを認めて、少しでも危険な表現は全部禁止、というのは言うのは簡単です。ですが、人間の本能として、“危険で過激なものほどバズるし、需要がある”という現実は無視できない。ガチガチに縛りすぎれば、ユーザーは刺激を求めて必ずロシアの市場に流れる」

 

「酒や違法薬物、過激な映像コンテンツと同じです。ただ禁止するだけでは、必ず巨大な地下市場(ブラックマーケット)を生み出します」

 三枝が、法務の冷徹な目で結論づけた。

 

「だからこそ」

 鴻上が、力強い声で会議の方向性を定めた。

「日本としても、ただ思考停止して『完全禁止』を叫ぶのではなく、リスクを管理した上で、どこまでを解禁すべきかというロードマップを、我々自身の手で議論しなければならないのです」

 

 ◇

 

「そこで、アンノウン機関のオラクルと共同で策定した、日本国内における『フルダイブ体験の等級制度(レーティング)』の素案を提示します」

 

 鴻上の合図で、部屋の隅にいたオラクル義体が空間にホログラムを展開した。

 そこには、FD(Full Dive)の頭文字を取った、五段階の利用区分が明記されていた。

 

【日本国内フルダイブ利用区分案】

 

『FD−0:研究・医療・政府検証用』

 官公庁、医療研究機関、大学、およびアンノウン機関が承認した特別施設のみで利用可能。フルログの監視、医師および技術責任者の常駐が必須。一般公開はなし。

 

『FD−1:安全文化体験』

 桜並木の散策、宇宙展望、観光、博物館の展示、教育コンテンツなど。痛覚なし。恐怖刺激なし。触覚・嗅覚・平衡感覚は安全マージン内で大幅に制限。家族向けや学校での利用を想定。

 

『FD−2:一般ゲーム・娯楽』

 国産ゲーム、ファンタジー、スポーツ、冒険など。戦闘表現は可能だが、痛覚は完全に遮断される。恐怖・疲労・VR酔いはシステム側で上限を制御。連続体験時間の上限設定。未成年者は保護者の同意および年齢レーティングが必須。

 

『FD−3:高刺激成人向け体験』

 強い恐怖、極限環境、激しい戦闘による緊張、擬似的な死亡演出などを含む。原則として成人のみ利用可能。事前説明、同意書の署名、体験前後の精神状態チェックが必須。体験後のクールダウン義務。指定された事業者および認可施設でのみ提供可能。

 

『FD−4:特区・医療監視つき高負荷体験』

 極めて強い心理負荷、または制限付きの痛覚フィードバックを伴う体験。精神科医または臨床心理士による適性診断が必須。国内の『特区』内の認定施設でのみ提供可能。特殊訓練、高度な治療、学術研究、および一部の限定娯楽を想定。常時医療監視とログ保存義務。再体験間隔の制限。

 

【絶対禁止領域】

 強制体験。実在する個人への人格改変や虚偽記憶の誘導。政治思想や宗教思想の強制的な刷り込み。未成年への高刺激体験。痛覚の100%同期。拷問・処刑・精神破壊を目的とした体験。脱出不能(ログアウト不可)な設計。依存誘導を主目的とした報酬設計。

 

 ズラリと並んだ、細密すぎるルールの壁。

 島村が、圧倒されて小さく呟いた。

 

「これ、ゲームのレーティング(CERO)どころの騒ぎじゃないですね……」

 

「当然です」

 三枝が、眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。

「現実より現実に近い世界を創る以上、現実の法律よりも細かく、そして厳格に規定しなければ、社会が崩壊します」

 

「最大の論点は、この『FD−3』および『FD−4』という高刺激体験を、国内で民間向けに認めるかどうかです」

 鴻上が、会議の核心を提示した。

 

 即座に、厚労省の担当官が難色を示した。

「FD−3以上は、医療的・精神的なリスクが高すぎます。万が一トラウマやPTSDを発症した場合、誰が責任を取るのか。解禁するにしても、相当な準備期間と臨床データが必要です」

 

 だが、警察庁の担当官が反論する。

「先ほども申し上げた通り、完全禁止にすれば、過激な体験を求める層はロシアのサーバーや、地下に潜った違法改造ポッドへ流れます。国内で完全に管理された『受け皿』を作っておく方が、治安維持の観点からは安全です」

 

「我々ゲーム開発側としては」

 黒瀬が、クリエイターの立場から慎重に口を開いた。

「いきなりFD−4のような超高負荷なものを作りたいとは思いません。ですが、将来的に『高難度で緊張感のあるゲーム』や『スリルを味わうゲーム』がすべて禁止されてしまえば、表現の幅が完全に死んでしまいます」

 

「出版業界としても同意見です」

 出版社の代表が続く。

「ホラー、サスペンス、ダークファンタジー、戦記物。これらは物語の重要なジャンルです。どこまでが許され、どこからが精神負荷として禁止されるのか、明確なガイドラインがなければ企画すら立てられません」

 

「感情を大きく揺さぶる表現そのものが“危険な毒”として扱われてしまえば、創作という行為自体が成立しなくなります」

 アニメプロデューサーも、表現の自由の危機を訴える。

 

 だが、精神科の専門家が、静かに、しかし冷酷な事実を突きつけた。

 

「皆さんは“表現”と仰いますが、フルダイブは違います。

 問題なのは、表現ではなく、人間の脳と身体がそれを『実際に経験した』と認識してしまうことです。

 画面の中でモンスターに襲われる恐怖を見るのと、実際に自分の肉体が引き裂かれそうになる恐怖を“そこにいて”味わうのは、脳へのダメージが全く違います。トラウマの深さが比較にならないのです」

 

 クリエイターたちが、その重い事実の前に言葉を失う。

 

「……ですので、政府としては『特区案』を有力な選択肢として検討しています」

 鴻上が、妥協点となるシステムを提示した。

 

『特区案』

 ・高刺激体験(FD−3以上)の提供を、国内数カ所の『特区施設』に限定する。

 ・完全予約制、厳格な本人確認。

 ・体験前に、精神科医または臨床心理士による事前問診を義務付け。

 ・体験後の休憩およびカウンセリングの実施。

 ・依存防止のための再体験回数制限。

 ・高刺激コンテンツはすべて事前審査制。

 ・海外からの旅行者(インバウンド)にも同一基準を適用し、日本の安全基準を世界標準としてアピールする。

 

「なるほど」

 黒瀬が深く頷いた。

「特区で高刺激な体験を厳重に管理しつつ、一般向けの家庭やアミューズメント施設には、安全な国産のFD−1やFD−2のゲームを出す。……これなら、市場をロシアに全部持っていかれずに済む可能性はありますね」

 

「その通りです」

 鴻上が肯定する。

 

 ◇

 

「では、日本国内において、我々は何を最初に解禁し、世界へ提示すべきか」

 鴻上の問いかけに対し、エンターテインメント業界の人間たちが一斉に前のめりになった。

 

「やっぱり、国産のゲームをフルダイブで体験させるべきです!」

 島村が、若きクリエイターとしての熱意を込めて強く主張した。

「ただの綺麗な景色を歩くだけじゃなくて、日本のゲームが持つ『冒険のワクワク感』を、世界で一番安全な形で届けるんです」

 

「文化輸出の観点からも、それは非常に大きな武器になります」

 文化庁の担当官が支持する。

 

「日本の漫画、アニメ、ゲームのIP(知的財産)は、フルダイブ時代の最初のキラーコンテンツになれる可能性を秘めています」

 出版社代表も、ビジネスの勝機を逃すまいと身を乗り出した。

「自分が読んでいた世界に実際に入れる。これは革命です」

 

「好きなキャラクターに直接会える。一緒に世界を旅できる。これこそが、日本のサブカルチャーが持つ最大の強みです」

 アニメプロデューサーも熱弁を振るう。

 

 だが、その熱狂に、三枝法務が氷の刃を突き立てた。

 

「『キャラクターに会える』。……それが、法務的にも倫理的にも一番危険な地雷です」

 三枝は、全員を冷たく見回した。

「仮想空間で実体を持ったキャラクターとの接触。そこから生じる過度な依存、恋愛感情の暴走、独占欲や所有意識。もし利用者がキャラクターに対して不適切な行為に及んだ場合、そのキャラクターの『人格権に類するもの』をどう保護するのか。声優の権利は? AIの権利は? 凄まじい法廷闘争と倫理論争が必ず起きますよ」

 

「……分かっています」

 島村が、三枝の言葉を受け止め、決して逃げることなく答えた。

「だからこそ、日本が最初にその『安全な作法』と『ルール』を作るべきなんです。野放しにして手遅れになる前に」

 

 黒瀬も、部下の覚悟を後押しするように深く頷いた。

 

「フルダイブゲームの市場形成を、他国や地下市場の無法者たちに任せてしまえば、最初の作法は最悪の形で決まってしまう。

 我々日本のゲーム会社が、責任を持って『安全で、楽しくて、帰ってこられる遊び方』を世界に示すべきです」

 

 その力強いクリエイターたちの言葉に、政府側の官僚たちも空気が変わるのを感じた。

 

「……正論です。そして、我々政府が求めていたのも、まさにその覚悟です」

 鴻上が、満足げに微笑んだ。

 

 ◇

 

「その覚悟に応えるため、政府とアンノウン機関から、皆様に重大な発表があります」

 

 鴻上がスクリーンを切り替えると、そこに映し出されたテキストに、ゲーム会社の面々が息を呑んだ。

 

「先日、皆様にテストプレイをしていただいた都内某所の『フルダイブ試験施設』ですが。……今後は、ゲーム・出版・アニメ関係者の皆様向けに、継続的に再解禁いたします」

 

「本当ですか!?」

 島村が、椅子から立ち上がりそうになる。

 

「また、あのポッドに入れるんですか」

 黒瀬の目にも、抑えきれない喜びの光が宿った。

 

「はい。ただし、前回のようなお祭りの『体験会』ではありません」

 鴻上が、即座に冷水をかける。

「今後は、あくまで『開発者向けの実務施設』として運用します」

 

 スクリーンに、厳しい条件が羅列される。

 ・登録済みの関係者のみ利用可能。

 ・NDAの厳格な更新必須。

 ・体験時間の厳密な制限と、前後での医療チェック義務。

 ・開発・検証目的のログの提出。

 ・純粋な遊興目的での利用は即刻禁止。

 ・オラクルによる常時監視。

 ・体験後の詳細な技術・心理レビューの提出義務。

 

「……つまり、遊びに行けるわけではなく、ガチの仕事場になるということですね」

 芹沢が、エンジニアとしての現実を理解して呟く。

 

「開発です」

 鴻上が念を押す。

 

「開発です!!」

 島村が、なぜか満面の笑みでガッツポーズをした。

 

「島村、今の返事、完全に遊びに行く時の顔だったぞ」

 黒瀬が呆れてツッコミを入れる。

 

 ◇

 

「さらに」

 鴻上は、最大の爆弾を投下した。

「アンノウン機関が独自に開発した『フルダイブ用SDK(ソフトウェア・ディベロップメント・キット:開発キット)』を、認定された企業へ段階的に提供します」

 

 ——ピタリと。

 会議室の時間が、完全に凍りついた。

 ゲーム会社の人間たちの目の色が一変する。

 

「……SDK」

 芹沢が、震える声でその単語を反芻した。

 

「つまり、我々自身の手で、フルダイブのコンテンツを創れる環境が来る、と?」

 黒瀬の声も、限界まで低く、熱を帯びていた。

 

「限定的に、ですが、そうです」

 鴻上は頷き、そのSDKに含まれる驚愕の中身を公開した。

 

【アンノウン開発SDK(初期提供版)の内容】

 ・空間自動生成ツール

 ・感覚出力(視覚・聴覚・触覚等)の制御API

 ・安全レーティングの自動チェック機能

 ・ログアウト導線の強制設計ツール

 ・身体負荷シミュレーター(ユーザーへの負荷を事前に予測)

 ・NPC(非プレイヤーキャラクター)対話制御エンジン

 ・キャラクター接触制限プロトコル

 ・年齢レーティング判定補助システム

 ・依存性リスクのリアルタイム解析

 ・医療安全プロファイルとの照合機能

 ・オラクル監査システムとの連携

 

「……法務と倫理のチェック機能まで、最初から開発ツールの中に組み込まれているんですね」

 三枝が、その異様なまでの安全設計に驚愕する。

 

「肯定します」

 部屋の隅のオラクルが、静かに解説した。

「危険な体験設計、過度な負荷、あるいは規定を逸脱するキャラクターへの接触判定などは、ビルド(構築)の段階でシステムが自動的に警告を発し、重篤な場合は開発プロセスを強制停止させます」

 

「チート防止エンジンじゃなくて、倫理エンジンがゲーム開発ソフトに入ってるのか……」

 島村が、その未来すぎる仕様に呆然とする。

 

「いや、むしろ必須だ」

 黒瀬が、開発の責任者として強く頷く。

「それが無ければ、クリエイターは面白さと刺激を求めて必ず暴走する。システム側で物理的にブレーキをかけてくれるなら、これほどありがたいことはない」

 

 ◇

 

「もう一つ、重要な条件があります」

 鴻上は、ゲーム会社にとって極めて特殊な受け入れ事項を告げた。

 

「認定された各企業には、アンノウン機関から『管理者オラクル』を一機ずつ、常駐の監査役として派遣する予定です」

 

「一機?」

 出版社代表が、不思議そうに尋ねる。

 

「表現としては一機と言いましたが……ここは、皆様に強く、強く注意していただきたい点です」

 鴻上の口調が、これまでにないほど鋭く、凄みを増した。

 

「オラクルは、会社の備品ではありません。便利なパソコンやツールでもありません。

 ……彼ら彼女らを、明確な『知性ある存在』として扱ってください」

 

 会議室が、水を打ったように静まり返った。

 

「彼らは、開発の管理、倫理チェック、安全監査、そしてアンノウン機関との連絡窓口として配置されます。人間の命令に従って何でもやる便利な道具だとは思わないでください。……彼らは、皆さんの開発が『人類にとって危険だ』と判断すれば、その強大な権限をもって、一切の容赦なく開発を止めます」

 

 黒瀬は、鴻上の言葉の重みをしっかりと受け止め、深く頷いた。

「了解しました。単なる管理者というより、プロジェクトの『共同責任者』として迎え入れるということですね」

 

「その理解でお願いします」

 

「オラクルさんが、うちの会社に来るのか……」

 島村が、SF映画が現実になったような事態に目を白黒させる。

 

「社内のサーバールームの熱暴走より、オラクルさんの視線の方がよっぽど緊張するな……」

 芹沢が、インフラ担当としての胃痛を覚える。

 

「オラクルという異種知性体を社内に受け入れるための、労務規定とコンプライアンス規程を、本日から全て一から作り直します」

 三枝が、法務としての地獄のスケジュールを悟り、眼鏡の奥で涙を流した。

 

 ◇

 

「なお、開発環境についてですが」

 鴻上は、セキュリティ上の最大の壁について説明した。

「SDKを提供すると言っても、コアとなる技術データを各社の社内サーバーやローカル環境に物理的に置くことは許可しません」

 

「当然ですね。絶対どこかから漏れます」

 芹沢が、エンジニアとして即座に同意する。

 

「では、どうやって開発を?」

 

「アンノウン機関の地下に存在する『スーパーコンピュータ』を、クラウド経由で借りていただく形になります」

 

 会議室が、またしてもどよめいた。

 

「クラウドって言葉で簡単に片付けていい演算規模なんですか、それ」

 芹沢が、アンノウンのスパコンの異常なスペックを想像して引きつった笑いを浮かべる。

 

「一般的なクラウドサービスとは根本的に異なります」

 オラクルが補足する。

「アンノウン機関が指定した認定端末のみを使用し、量子暗号通信による専用ゲートウェイを経由。さらにオラクルの常時監査を介した、完全な『閉域開発環境』となります」

 

「つまり、我々は手元にコア技術を持つことはできず、アンノウンの箱庭の中で作らせてもらうわけか」

 黒瀬が状況を整理する。

 

「はい。コア技術の管理権限は、アンノウン機関が絶対に手放しません。皆さんは、その巨大なインフラの上で動く『コンテンツ』を作ることに専念していただきます」

 鴻上が、プラットフォーマーとしての圧倒的な権力を誇示する。

 

「リバースエンジニアリング(技術の解析・盗用)を防ぐための対策ですね」

 三枝が納得する。

 

「それもありますが、何より『暴走対策』です」

 鴻上が冷徹に答える。

 

「開発者としては、手元に実機がないのは悔しい気もしますが……正直、その方が絶対にいいです。こんな人類を滅ぼしかねない技術が、うちの会社の貧弱なサーバールームに生で置かれたら、絶対に管理しきれませんから」

 芹沢が、心底安堵したように息を吐いた。

 

 ◇

 

「では、我々が目指すべき最初の大目標を発表します」

 鴻上が、最後の資料をスクリーンに投影した。

 

『東京ゲームショウ2031:国内向けフルダイブゲーム・初公開計画』

 

 会議室が、一瞬だけ完全な静寂に包まれた。

 そして次の瞬間、ゲーム会社の面々が、椅子から身を乗り出すようにして一斉に前のめりになった。

 

「次の国内向けの大規模発表の舞台は、東京ゲームショウ2031を目標とします」

 鴻上が、力強く宣言した。

 

「TGSで……フルダイブを……!」

 島村が、信じられないものを見るようにスクリーンを見上げる。

 

「日本のゲーム業界が、世界に先駆けて、最初に国内向けのフルダイブコンテンツをお披露目する舞台になる」

 黒瀬の低い声が、武者震いしているように響いた。

 

「我々出版・アニメのIPの参入も、そこで可能になりますか?」

 出版社代表が、ビジネスの勝機を逃すまいと食い下がる。

 

「段階的に認めます」

 鴻上が答える。

「ただし、最初のTGSで展示できるのは、安全性が完全に担保された『安全文化体験』と、『低刺激ゲーム』を中心とします」

 

 スクリーンに、TGS向けの初期候補ジャンルが表示される。

 ・国産RPGの平和な街歩き体験。

 ・戦闘を排除したファンタジー世界の観光。

 ・茶道や華道などの伝統文化体験。

 ・アニメ世界の美しい背景を散策するツアー。

 ・ロボットのコックピット搭乗・操縦訓練風デモ(※実戦・被弾描写は不可)。

 ・パズル、クラフト、農業、釣り、音楽系のスローライフゲーム。

 ・教育・学習ゲーム。

 ・子供向けの安全な職業体験。

 

「……戦闘、なしですか」

 島村が、少しだけ残念そうに呟く。

 

「初回は、絶対に不可です」

 鴻上が冷酷に切り捨てる。

 

「仕方ない。まずは、世界に対して“フルダイブは安全に遊べる技術である”ということを、徹底的に示す必要がある。戦闘や高刺激な表現の解禁は、その実績を積んだ後だ」

 黒瀬が、プロデューサーとしての冷静な判断で島村を諭した。

 

「その通りです」

 鴻上が頷く。

 

 ◇

 

「確認させてください」

 黒瀬が、ゆっくりと立ち上がり、会議室の全員に向けて、静かに、だが圧倒的な重みを持った声で言った。

 

「我々がこれから作るものは、もはやゲームであって、ゲームではない。

 四角い画面の中の遊びではなく、人が実際に『そこへ行った』と感じる、新しい『場所』を創るということです」

 

「……その認識で、間違いありません」

 鴻上が、深く頷く。

 

「ならば、ゲーム開発の常識は、今日この日をもって全て変わります。

 レベルデザイン、UIの配置、NPCとの距離感、音響の反響、視線誘導のセオリー。そして何より、プレイヤーが感じる疲労、恐怖、退屈、依存といった『肉体と精神へのダイレクトな影響』。

 ……すべてを、画面基準ではなく『身体基準』で、一から作り直す必要があります」

 

 黒瀬の言葉は、これまでの彼らのキャリアの全否定にも等しい、過酷な現実だった。

 だが、島村は真っ直ぐに前を向き、力強く言った。

 

「……でも、作りたいです」

 

 黒瀬が、小さく、誇らしげに笑って頷く。

 

「ええ。我々が作るべきです。

 ここで日本が、安全で、楽しくて、誰もが安心して帰ってこられる『フルダイブのゲーム文化』を作らなければ、世界のユーザーはすべて、ロシアの危険な市場に飲み込まれてしまう」

 

「物語の力も、かつてないほど問われますね」

 出版社代表が、覚悟を決めたように言う。

 

「好きなキャラクターに直接会える時代になる。でも、会わせ方を一歩間違えれば、人を狂わせ、壊してしまう。クリエイターとしての責任は重大です」

 アニメプロデューサーも、自らに言い聞かせるように呟いた。

 

「ようやく皆さんが、法務が抱える本当の恐怖を理解してくれて、私はとても嬉しいですよ」

 三枝が、眼鏡の奥で冷たく微笑んだ。

 

「三枝さん、全然嬉しそうな顔してないですから、やめてください」

 島村が泣きそうな顔で突っ込む。

 

 ◇

 

「では、本日の会議を総括し、日本政府としての暫定方針を決定します」

 鴻上が、スクリーンに最終的なまとめを表示した。

 

【日本の基本方針】

 ・国際方針:アメリカ、EUと連携し、フルダイブの国際的な管理枠組みの設立を支持する。ただし、過剰な規制によって地下化やロシアへの市場流出が起きないよう、「管理された民間利用の道」を提示する。サウジアラビアとは共同歩調を取る。中国の国家思想管理利用には強く反対する。体験ログの保護、未成年保護、依存症対策を国際ルールの主軸とする。

 ・国内方針:フルダイブ利用区分(FD−0〜FD−4)を導入。一般向けは安全なFD−1、FD−2から段階的に解禁する。高刺激なFD−3、FD−4については、特区での医療監視および精神科診断を大前提に、限定的な解禁を検討する。

 ・開発支援:国内の認定ゲーム企業へ、アンノウン機関のクラウド環境およびSDKを提供する。各社に「管理者オラクル」を監査役として派遣する。

 ・目標:東京ゲームショウ2031に向け、国内初の「安全なフルダイブゲーム」の開発を推進する。

 

「皆さん」

 鴻上は、会議室に集まったエンターテインメントの創造主たちを、真剣な眼差しで見つめた。

 

「皆さんには、人類の『未来の娯楽』を作っていただきます。

 ……しかし同時に、未来の深刻な依存症、未来の新しい犯罪、そして未来の社会問題を作らないための、極めて重い『責任』も背負っていただきます」

 

 会議室が、シンと静まり返った。

 

「重いですね」

 黒瀬が、フッと息を吐く。

 

「はい。国家の運命と同じくらいに」

 鴻上が答える。

 

「……でも、やります」

 島村が、力強く宣言した。

 

「ええ。ここで逃げて安全な場所に引きこもるようなら、日本のゲーム業界は名乗れませんからね」

 黒瀬も、決して引かない覚悟を見せた。

 

 ◇

 

 長時間の会議が終了し、参加者たちが足早に官邸の廊下を歩いていく。

 黒瀬、島村、芹沢、三枝の四人も、疲労困憊でありながら、どこか清々しい顔をして並んで歩いていた。

 

「TGS2031で、フルダイブゲームの発表……。本当に、やるんですね」

 島村が、まだ夢の中にいるような声で呟く。

 

「SDKの仕様理解、クラウド環境の構築、オラクルさんの監査対応、医療チェックの仕組み化、そして三枝さんの法務地獄。……これ、ゲーム開発じゃなくて、もはや宇宙船のシステム開発では?」

 芹沢が、これから始まる絶望的なタスク量を想像して遠い目をする。

 

「宇宙船の方が、既存の法律が適用されない分、まだ気が楽かもしれませんね」

 三枝が、冗談とも本気ともつかないトーンで恐ろしいことを言う。

 

「だが、やる価値はある」

 黒瀬が、足を止め、三人を振り返った。

 

「本部長。また“全部作り直しだ”って、言います?」

 島村が、いたずらっぽく笑って尋ねる。

 

 黒瀬は、フッと口角を上げ、最高に楽しそうに笑った。

 

「もう言ったさ。

 ……次は、その『作り直したもの』を、世界に叩きつける番だ」

 

 一方、誰もいなくなった特別会議室。

 鴻上は一人残り、部屋の隅のオラクル端末に向かって指示を出していた。

 

「オラクル。認定企業へ派遣する『管理者オラクル』のリストと、初期設定の準備を進めてください」

 

「承知しました」

 オラクルが、淡々と答える。

「なお、過去のシミュレーションおよび彼らの言動パターンの分析から、一部のゲーム企業において、派遣されたオラクルを監査役ではなく『社内マスコット』や『萌えキャラクター』として扱うリスクが、極めて高い確率で予測されます」

 

 鴻上は、深く、深く溜め息をついた。

 

「……派遣する初日に、全社員の前で厳重に言っておいてください。

 君たちはマスコットではなく、プロジェクトの生殺与奪の権を握る『絶対の監査役』なのだと」

 

「警告文のフォーマットを作成します。音声出力の際、威圧感を15%増幅する設定を推奨します」

 オラクルの提案に、鴻上は無言で頷いた。

 

 こうして、日本はフルダイブというパンドラの箱を、ただ恐怖して完全に封印するのではなく、厳重に管理された「帰ってこられる夢」として、自らの手で育てるという、最も困難な道を選んだ。

 ロシアが狙う過激な自由市場にも、中国の息苦しい国家管理にも、アメリカの力による厳格な封印にも寄り切らない、日本独自の第三の道。

 

 夢を殺さず、かといって夢に殺されないための道。

 その最初の実験場として選ばれたのは、皮肉なことに、これまで誰よりも深く、世界中に「夢」を創り出し、売り捌いてきた、日本のゲーム業界であった。

 

 目標は、東京ゲームショウ2031。

 人類は、ついに自らが創り出したゲームの中へ、「入る」ための準備を本格的に始めたのである。

 

 




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