自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~   作:パラレル・ゲーマー

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第180話 アルファ・ケンタウリの隣人

 アメリカ合衆国、ワシントンD.C.。ホワイトハウスの西棟に位置する大統領執務室(オーバルオフィス)。

 キャサリン・ヘイズ大統領は、重厚なレゾリュート・デスクの上で両手を組み、険しい表情で分厚い書類の束と睨み合っていた。

 

 デスクの上に積み上げられているのは、いずれも国家の将来を左右する重い議題ばかりだ。

 『フルダイブ技術に関する国際管理枠組みの初期草案』。

 『EU議会における未成年保護および人権的観点からの強硬な規制案』。

 『中国政府の、国家サーバー管理を前提としたフルダイブ思想教育利用の可能性』。

 そして、『ロシアによる“人道的普及”を隠れ蓑にした、過激な体験市場(ブラックマーケット)創設の懸念と対策』。

 さらには、それらの複雑怪奇な思惑を束ねて国際的なルールへと落とし込むための、日本政府との緻密な調整メモ。

 

 リヤド万博でフルダイブというパンドラの箱が開いて以来、世界は完全に「新しい現実(リアル)」をどう扱うかの陣取りゲームへと突入している。

 ヘイズは、大統領としての重圧に加えて、フルダイブという未知の概念を法整備に落とし込む作業の果てしなさに、深く、長い溜め息をついた。

 

 その時、執務室の重い扉がノックされ、二人の人物が静かに入室してきた。

 タイタン・グループの総帥であるノア・マクドウェルと、CIA長官のエレノア・バーンズだ。

 

 ヘイズは、書類から顔を上げ、二人を交互に見た。

「……どうしたの? 二人して」

 ノアはいつものように、何か面白いおもちゃを見つけた子供のような、底知れぬニヤニヤとした笑みを浮かべている。

 対照的に、エレノアの顔は、まるで葬儀の司会者のように一切の感情を排した、冷酷な能面そのものだった。

 

「その組み合わせ……もう、嫌な予感しかしないのだけど」

 大統領が直截に指摘すると、ノアは優雅に肩をすくめた。

「大統領。本日は、極めて興味深いお話をお持ちしました」

 

「興味深い、で済ませてよい内容かは不明です」

 エレノアが、氷のような声で即座に訂正を入れる。

 

「……フルダイブ関連の新しい爆弾? ロシアが何か勝手なことを始めた? それとも、また日本が新しい超技術を小出しにしてきたの?」

 ヘイズは、最も可能性の高い最悪のシナリオを次々と口にする。

 

「いえ」

 エレノアは、大統領の推測を完全に否定した。一拍置き、彼女は手元のセキュアなタブレット端末をデスクの上に置いた。

 

「日本政府から、極秘の緊急会議の要請が入りました。……宛先は、大統領、ノア・マクドウェル、そして私の三名に限定されています」

 

 ヘイズの動きが、ピタリと止まった。

「三人限定……」

 それは、国務省も、国防総省(ペンタゴン)も、NASAも経由しない、完全な「裏のルート」だ。

「つまり、通常の外交ルートや同盟国の調整会議ではなく、アンノウン絡みの『深部案件』ね」

 

「さすがの直感です、大統領」

 ノアが拍手をする。

 

「さすがになりたくなかったわ」

 ヘイズは心底うんざりした顔で言い返した。

「それで、議題は何なの?」

 

 エレノアは、一切の感情を交えずに、ただその文字列だけを読み上げた。

 

「『アルファ・ケンタウリにおける高度惑星文明の確認』です」

 

 ——。

 大統領執務室が、絶対的な静寂に包まれた。

 ヘイズは、自分の耳を疑い、エレノアの顔をじっと見つめたまま、完全に固まった。

 

「……マジで?」

 大国の指導者らしからぬ、素の言葉が漏れる。

 

「大マジです」

 ノアが、楽しそうに答えた。

 

「異星人と来たか……」

 ヘイズは、両手で顔を覆い、天を仰いだ。

「フルダイブで世界がひっくり返ってる最中に、次は異星文明。しかも、アルファ・ケンタウリって……太陽系から一番近い、完全なご近所じゃないの」

 

「宇宙的なスケールで言えば、まさに隣の家ですね」

 ノアが微笑む。

 

「ちっとも慰めになってないわ」

 ヘイズが鋭く睨みつける。

 

「日本側は、現時点での危険性は限定的と見ているようです」

 エレノアが、唯一の救いとなる情報を付け加えた。

「ただし、情報が少なすぎます。詳細な確認と、我々の対応方針の決定が急務です」

 

 ヘイズは、深く、深く息を吐き出し、覚悟を決めたように顔を上げた。

 

「しょうがないわね……。執務室を完全ロックダウン。日本と繋いでちょうだい」

 

 ◇

 

 大統領の指示により、オーバルオフィスは即座に最高レベルのセキュリティモードへと移行した。

 補佐官やシークレットサービスは完全に退室し、分厚い扉が内側から施錠される。外部への通信回線は物理的に遮断され、室内の録音・録画機器はすべて無効化された。

 代わりに、量子暗号化された日本との専用のホットラインのみが接続される。

 

「専用回線、確立。日本側の特別情報分析室と接続します」

 エレノアが操作を終えると、執務室の壁面に設置された大型スクリーンに、日本の官邸地下の映像が映し出された。

 

 そこに並んでいたのは、矢崎薫総理を中央に、日下部内閣官房参事官、外務大臣、霧島防衛大臣、そして内閣情報官の五名だった。

 工藤創一の姿はない。アンノウンの超技術に直結する「魔法使い」や「AI」の存在は、アメリカ政府に対しては完全に伏せられていた。

 

「ヘイズ大統領。急な会議要請にもかかわらず、ご対応いただき感謝いたします」

 矢崎総理が、画面越しに静かに、だが重々しく一礼する。

 

「カオル」

 ヘイズは、旧知の仲としての親しみを込めつつも、疲れた顔で応じた。

「議題名だけで、十分に目が覚めたわ」

 

「申し訳ありません」

 矢崎総理の表情も、決して明るいものではなかった。

「ですが、これは同盟国として、そして人類として、間違いなく共有しておくべき案件だと判断しました」

 

「アルファ・ケンタウリの高度惑星文明。……人類史に永遠に残る言葉ですね」

 ノアが、画面の向こうの日本の官僚たちに向けて、大仰に言う。

 

「人類史に残るかどうかは、我々がどこまで黙っていられるか次第です」

 エレノアが、情報機関のトップとして即座に牽制を入れる。

 

「その点も含めて、詳細をご説明します」

 日下部が、実務の責任者として前に出た。

 

 ◇

 

「まず、資料を共有します」

 日下部の合図とともに、アメリカ側のスクリーンに、日本から送られた暗号化データが展開された。

 映し出されたのは、美しい青白い輝きを放つ海洋惑星。そして、その軌道上に浮かぶ巨大な人工構造物と、三隻の超大型宇宙都市艦の映像だった。

 

「日本側の外宇宙観測資産が、アルファ・ケンタウリ系において、高度な惑星文明の存在を確認しました」

 日下部が淡々と報告する。

 

「日本側の、外宇宙観測資産、ね」

 ヘイズ大統領が、その言葉を反芻する。

 エレノアが一瞬だけ目を細めた。日本側が「どうやって」四光年以上も離れた星系をそれほど鮮明に観測したのか、その手段を完全に伏せていることを、彼女は的確に理解した。

 

「観測手段の技術的詳細については、現時点では共有範囲外とさせてください」

 日下部が、先手を打って防御線を張る。

 

「分かったわ」

 ヘイズは、技術の出どころを追及するよりも、目の前の異星人の存在を把握することが先決だと判断した。

「今は、文明そのものの話を優先しましょう」

 

「ご理解いただき、ありがとうございます」

 

 日下部は、スクリーンに異星種族の推定図を表示した。

 

「対象文明の、日本側における暫定コードネームは『アクアリアン』です」

 

「アクアリアン」

 

「はい。彼らの母星が極端に海洋の比率が高い海洋惑星であることに由来する、便宜上の呼称です。対象文明の自称は、まだ確認していません」

 

「我々は、彼らとまだ一切の『接触』をしていません。したがって、正式な名称は不明なのです」

 外務大臣が、外交的な立ち位置を明確にするために補足した。

 

「了解。それで、彼らはどんな姿をしているの?」

 ヘイズの問いに、スクリーンに詳細なシルエットが映し出される。

 

 イルカやシャチに近い、滑らかで流線型の頭部。知性を感じさせる大きく深い眼。だが、単なる水棲生物ではなく、陸上や船内で活動するための二足歩行可能な下肢と、道具を器用に操るための手指を持つ、ヒューマノイド(人型)の形態を保っていた。

 

 ヘイズ大統領は、少しだけ拍子抜けしたように眉を上げた。

 

「つまり……イルカ人間ってことね」

 

「かなり乱暴に要約すれば、概ねその通りです」

 日下部が、無表情で肯定する。

 

「爬虫類人類(レプティリアン)ではなくて、本当に良かったですね」

 ノアが、アメリカの有名な陰謀論を引き合いに出して笑った。

 

 ヘイズも、張り詰めていた空気が少しだけ緩み、くすっと笑った。

「本当にね。もし彼らが爬虫類人類だったら、アメリカ中の陰謀論者が『我々は最初から正しかった!』と全員勝利宣言して、社会が大パニックになるところだったわ」

 

「ええ。そうなったら、我々としても色々な意味で説明が面倒になるところでした」

 矢崎総理も、画面の向こうで微かに微笑む。

 

「イルカ人類であっても、国民への説明が困難であることに変わりはありません」

 エレノアが、冷水を浴びせる。

 

「イルカ陰謀論の誕生ですか?」

 ノアが面白がる。

 

「やめてください。仕事が増えます」

 エレノアがピシャリと制した。

 

 ◇

 

 少しだけ和らいだ空気を引き締めるように、日下部が声のトーンを一段階下げた。

 

「外見についてはともかく……最も重要なのは、彼らが『星間文明』ではない、という点です」

 

「FTL(超光速航行)は?」

 ヘイズが、直ちの脅威を測る上で最も重要な指標を問う。

 

「確認されていません」

 日下部が即答する。

 

「星間通信の技術は?」

 エレノアが、情報漏洩のリスクを確認する。

 

「それも、現時点では確認されていません」

 

 ヘイズ大統領が、少しだけ安堵の息を吐き出した。

「つまり、彼らはまだ、自分たちの恒星系から外へ出る手段を持っておらず、地球の存在も知らないということね?」

 

「現時点では、その証拠はありません」

 日本の内閣情報官が、慎重に答える。

「アクアリアン側が、地球、あるいは太陽系を『文明の存在する星系』として明確に認識している兆候や、我々へ向けた意図的な通信波の送信は確認されていません」

 

「直ちに地球へ攻めてくるような危険性はない、ということね」

 ヘイズが、最悪のシナリオを一つ除外した。

 

「はい。少なくとも、向こうから物理的に地球へ到達する能力は、現段階では確認されていません」

 日下部が同意する。

 

 だが、外務大臣が厳しい表情で言葉を継いだ。

 

「ただし、彼らは星間文明ではないとはいえ、惑星文明としては、極めて高度に成熟しています」

 

 スクリーンに、アクアリアン文明の社会構造とインフラのデータが表示される。

 

「彼らはすでに、惑星規模での統一政府を樹立しています」

 日下部が説明する。

「過去に過酷な資源争奪の時代を経験し、それを乗り越えて、現在は資源管理機構のもとで、全球の海洋都市群や軌道工業を統合的に管理していると推定されます」

 

「惑星統一済み……」

 ヘイズ大統領が、自国の議会や同盟国との調整に日々頭を抱えている現状を思い出し、苦笑した。

「地球より、よっぽど大人じゃないの」

 

「耳が痛いですね」

 ノアが皮肉っぽく言う。

 

「ノア、黙って」

 大統領が嗜める。

 

「さらに」

 霧島防衛大臣が、軍事・安全保障の観点から最大の懸念事項を口にした。

「彼らは自恒星系内において、超大型の宇宙都市艦を三隻、現役で運用しています」

 

「三隻」

 ヘイズが、その数字を反芻する。

 

「軍事艦なのですか?」

 エレノアが、警戒感を露わにする。

 

「軍事的な機能——隕石破砕や自衛のための高出力兵器——は有していると推定しています。ただし、主目的はあくまで資源の採掘、軌道工業、観測、文明の維持、そして惑星規模の災害対応であると見ています」

 霧島が、客観的な分析を答える。

 

「つまり、彼らは外宇宙(他の星)へ侵略に出る前に、自分たちの星系を極限まで使いこなし、持続可能なシステムを作り上げている、ということですね」

 ノアが、彼らの文明の在り方を正確に要約した。

 

「その理解で問題ありません」

 日下部が頷いた。

 

 ◇

 

「率直に聞くわ」

 ヘイズ大統領が、日下部を真っ直ぐに見据えた。

「危険なの?」

 

「直ちに地球へ軍事的な脅威を与える存在ではありません」

 日下部は、冷静に答えた。

 

「ただし、無力な文明でもありません」

 霧島防衛大臣が補足する。

「自恒星系内の防衛能力や工業力に限って言えば、現在の地球全体の宇宙開発能力を大きく上回っています」

 

「彼らは、こちらを検知していますか?」

 エレノアが、情報戦における絶対的な優位性(ステルス)が保たれているかを確認する。

 

「現時点では、検知された兆候はありません。我々が一方的に観測している状態です」

 内閣情報官が答える。

 

「観測は継続するのですね?」

 エレノアの問いに、日下部が頷く。

 

「はい。非接触・非干渉での観測を継続します。ただし、相手のレーダーや観測網の精度が不明なため、過度な接近は避けます」

 

「……接触するつもりは?」

 ヘイズ大統領が、最も重要な政治的決断を問うた。

 

「ありません。現時点では」

 矢崎総理が、毅然と答える。

 

「理由は?」

 

「彼らはまだ、星間文明ではありません」

 外務大臣が、外交と倫理の観点から答えた。

「もし我々から接触すれば、アクアリアン文明が築き上げてきた政治、宗教、科学、社会秩序、そして安全保障のバランスに、破壊的で重大な影響を与える可能性があります。我々が彼らの歴史を歪める権利はありません」

 

「接触する能力があることと、接触してよいことは違います」

 日下部が、ファーストコンタクトにおける絶対的な倫理基準を口にした。

 

 ヘイズ大統領は、少しの間考え込み、そして深く頷いた。

 

「……同意するわ」

 

「こちらから不用意に接触すれば、彼らにとって我々は『宇宙人』ではなく、『神話の存在』になってしまいますからね」

 ノアが、文明のギャップがもたらす悲劇を指摘する。

 

「神話は、近代的な制度設計と外交の敵です。対等な交渉は不可能になります」

 エレノアが、冷徹な現実を語る。

 

「いい言葉ですね」

 ノアが感心する。

 

「褒めなくて結構です」

 エレノアが即座に切り捨てる。

 

 ◇

 

「確認させてちょうだい」

 ヘイズ大統領が、議論の方向性を整理する。

「接触はしない。直ちに危険でもない。……それなら、なぜ日本政府は、この情報を我々アメリカに知らせたの?」

 

「地球近傍の、アルファ・ケンタウリという極めて近い位置における高度惑星文明の発見を、同盟国であるアメリカに隠し続けることは、現実的でも誠実でもないと判断したからです」

 矢崎総理が、日米同盟の信頼関係を理由に答える。

 

「ただし」

 日下部が、即座に条件を突きつけた。

「この情報を共有する範囲を少しでも広げれば、どうなるかは明らかです。『接触して技術を探るべきだ』という政治的圧力、軍事的な脅威評価の暴走、科学界からの公開要求、そして民間宇宙企業の無軌道な介入などが、一気に発生します」

 

「そのため、我々としては、アメリカ政府内における初期の共有先を、ヘイズ大統領、ノア氏、エレノア氏の三名に限定していただきたい」

 内閣情報官が、強硬な情報統制を要求する。

 

「妥当な判断です」

 エレノアが、CIA長官として即座にその要求を支持した。

 

「NASAには?」

 ヘイズが、宇宙開発の専門機関の扱いを問う。

 

「現時点では、絶対に共有しないでいただきたい」

 日下部が断言する。

 

「科学者たちは、未知への善意と探求心で燃え上がりますからね。止められなくなりますよ」

 ノアが、科学者の本質を突く。

 

「善意は、情報統制上、もっとも厄介で防ぎきれない漏洩経路の一つです」

 エレノアも、情報を隠し通すことの難しさを知る者として同意する。

 

「国防総省(ペンタゴン)は?」

 霧島防衛大臣が、同業者としての懸念を口にする。

 

「同じく、現時点では非共有が望ましい。彼らに情報を入れた瞬間から、接触を前提としない純粋な『脅威評価』と『迎撃プランの策定』が始まり、軍事的な文脈が先行してしまいます」

 

「議会は論外ね」

 ヘイズが、自国の政治システムの脆弱さを自嘲する。

 

「論外です」

 エレノアが冷たく断定する。

 

「議会に話せば、一日で全世界のメディアに漏れます」

 ノアが笑う。

 

「言い方」

 ヘイズが嗜める。

 

「三日かもしれません」

 ノアが訂正する。

 

 ヘイズがため息をついた。

 

 ◇

 

「分かったわ」

 ヘイズ大統領は、全てのリスクと利害を天秤にかけ、決断を下した。

 

「アメリカ政府内では、ごく少数でこの情報を保持する。私、ノア、エレノア。そして必要であれば、完全に隔離された極少数の分析官だけを追加する。

 ……日本側の合意なしに、これ以上の拡散はしないと約束するわ」

 

「ありがとうございます」

 矢崎総理が、深く頭を下げる。

 

「こちらとしても、日本の『非接触・非干渉観測』の方針を全面的に支持します。無闇に突っついて、寝た子を起こす必要はないわ」

 

「日米で、非星間文明への『接触倫理原則』を作るべきです」

 エレノアが、今後の法的な枠組みの必要性を提案する。

 

「我々も、まさに同じ議論を始めているところです」

 日下部が応じる。

 

「ならば、共同で作るべきです。今回のアクアリアンに限らず、今後も我々が同様の文明を発見する可能性は十分にあります」

 

「宇宙が、私たちが思っていたほど静かではないと分かってしまったものね」

 ヘイズが、果てしない星の海を想像して呟く。

 

「静かだったのではなく、我々の耳が遠くて聞こえていなかっただけかもしれませんよ」

 ノアが、哲学的な言い回しをする。

 

「今日は随分と詩人になる日なのね」

 ヘイズが呆れる。

 

「異星文明発見という、人類史の記念日ですから」

 ノアは、最高に楽しそうな笑顔を崩さなかった。

 

 ◇

 

 その後、日米間で今後の『暫定非接触原則』の方向性が手短に確認された。

 

 ・対象文明が地球を認識していない場合、原則として非接触。

 ・観測は、受動観測(ステルス状態での傍受・監視)を基本とする。

 ・対象文明が星間通信、外部文明探査、または太陽系方向への明確な接近を開始した場合は、即時再協議とする。

 ・軍事的脅威評価は行うが、敵対を前提とした軍事行動は起こさない。

 ・科学界、民間、議会への情報公開は、日米の完全な合意なしに行わない。

 ・接触が不可避となった場合は、相手文明の社会的ショックを最小化する方法を最優先で検討する。

 

「これでいきましょう」

 ヘイズ大統領が同意する。

「ただ、もう一つ。……惑星規模の災害などで、接触しなければ相手の文明が滅亡する可能性がある場合はどうするの?」

 

「……」

 矢崎総理が、言葉に詰まる。

 

「助けられるのに、倫理を理由に助けない。

 助けたせいで、神の技術をもたらして相手の文明の歴史を壊す。

 ……どちらを選んでも、地獄ね」

 ヘイズが、指導者としての究極のジレンマを突きつける。

 

「だからこそ、その時になって迷わないよう、先に冷徹な原則を作っておく必要があるのです」

 日下部が、感情を排して答えた。

 

「同意します」

 エレノアも、実務家の視点で支持する。

 

「最後に確認よ」

 ヘイズ大統領が、画面越しの日本の閣僚たちを見据える。

 

「アクアリアンは、地球を知らない。

 我々は、彼らを知っている。

 ……だから、我々の方が『慎重である責任』を負う。

 そういう理解でいいわね?」

 

「はい」

 矢崎総理が、強く頷いた。

 

「分かった。アメリカはこの件を極小範囲で完全に保持する。

 ただし、今後の観測で相手に重大な変化があれば、必ず共有してちょうだい」

 

「もちろんです」

 日下部が約束する。

 

「それにしても、人類の最初のご近所さんがイルカ人類とは。人類の宇宙史の始まりの相手としては、そこまで悪くありませんね」

 ノアが、少しだけ微笑む。

 

「いつか世界に発表できる日が来れば、子供たちは大喜びするでしょうね」

 ヘイズも、ほんの少しだけ夢のある未来を想像する。

 

「当面、発表はありません」

 エレノアが即座に夢を打ち砕いた。

 

「分かっているわよ」

 ヘイズが溜め息をつく。

 

「では、本日は以上で」

 矢崎総理の言葉を最後に、通信回線が切断された。

 

 ◇

 

 通信が切れ、大統領執務室の巨大なスクリーンが暗転する。

 

 ヘイズ大統領は、しばらくの間、無言のままレゾリュート・デスクを見つめていた。

 ノアも、いつもより静かだった。

 エレノアはすでに頭の中で、この超機密情報をCIAの最深部でいかに安全に保管し、関連する監視網をどう敷くかという実務の組み立てを始めている。

 

「フルダイブの次は、アルファ・ケンタウリのイルカ人類……」

 ヘイズ大統領が、ポツリと漏らした。

「ねえ、ノア。私は大統領に就任する時、こんな職務が含まれているなんて説明を受けた覚えはないのだけど」

 

「おそらく、宣誓書の裏に小さな文字で書かれていたのでしょう」

 ノアが、肩をすくめて答える。

「“その他、人類史的危機および宇宙的隣人への対応を含む”と」

 

「冗談になってないのよ」

 ヘイズ大統領は、重い頭を抱えた。

 

「大統領。共有先は当面、我々三名のみで増やさない方針でよろしいですね」

 エレノアが、最終確認を求める。

 

「ええ」

 ヘイズ大統領は、顔を上げ、強い眼差しで頷いた。

「知る人間は、少ないほどいい。

 そして、接触しない。騒がない。煽らない。

 ……ただ、真面目に考える」

 

「退屈ではありませんね」

 ノアが微笑む。

 

「世界は、退屈でいいのよ」

 大統領のその言葉には、世界の平穏を守る者としての切実な祈りが込められていた。

 

 アメリカ合衆国は、その日、アルファ・ケンタウリに隣人がいることを知った。

 だが、歓声は上がらなかった。

 華々しい記者会見もなかった。

 NASAの科学者たちが歓喜に飛び上がることも、軍が緊急展開することもなかった。

 

 その事実を知っているのは、地球上でごく数人の人間だけ。

 そして、その数人は痛いほど理解していたのだ。

 

 宇宙に文明がいることよりも。

 その文明を見つけてしまった人類が、「どう振る舞うか」の方が、はるかに恐ろしく、危険なのだということを。

 

 




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