自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~   作:パラレル・ゲーマー

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第188話 ゲーム会社、神の開発環境にログインする

 アメリカ合衆国、ネバダ州。

 ラスベガスの喧騒から車で数時間ほど離れた荒涼とした砂漠地帯に、いかにも官公庁が建てたらしい無機質なコンクリートの低層建築物が鎮座していた。周囲を何重ものフェンスと有刺鉄線が囲み、入り口には完全武装した警備兵が鋭い目を光らせている。

 

 表向きの看板には、『米国次世代インタラクティブメディア安全評価センター』という、長たらしくて誰の記憶にも残らないような名称が掲げられていた。

 

「おいおい、冗談だろ。俺たち、ゲーム作りに来たんだよな? 核ミサイルの発射コードを見に来たわけじゃないよな?」

 

 黒塗りの政府専用SUVから降り立ったベン・ウォーカーは、周囲の物々しい警備態勢を呆れたように見回してぼやいた。彼は世界を代表する巨大なオープンワールドゲームを手掛ける開発スタジオで、破壊表現とシステム設計を統括する男だ。

 

「フルダイブのコア技術なら、現時点では核ミサイルより危ないって判断されてるんじゃない?」

 隣を歩くリードエンジニアのマリア・ゴンザレスが、肩をすくめながら答える。彼女の目は、すでにこの施設内で扱われるであろう「未知のコード」への好奇心で充血していた。

 

「最高だな。ゲーム業界がついに国家安全保障の最前線になったってわけだ」

 上級ゲームディレクターであるジェイソン・リードは、皮肉めいた笑みを浮かべながら建物をねめ回した。

 彼はこれまでに、プレイヤーにどこまでも自由な暴力と狂気、そして極上のエンターテインメントを提供する『自由度の怪物』みたいなゲームをいくつも世に送り出してきた男だ。彼にとって、リヤド万博で示されたフルダイブという技術は、何があっても自分の手でいじり倒さなければ気が済まない、究極の遊び場であった。

 

「皆様、冗談ではありません。実際にこれは国家安全保障案件です」

 

 彼らを先導していた、国防総省系と思われる政府監督官が、振り返りもせずに真顔で言い放った。

 

 その一切のユーモアを含まない硬質な声に、開発者たちの間に気まずい沈黙が流れた。

 物語や没入感を担当するナラティブデザイナーのサラ・ミラーが、小さくため息をつく。

「……笑えないやつだったわね」

 

 彼らはすでに、分厚い束になったNDA(秘密保持契約)に署名させられていた。

 エントランスでのセキュリティチェックは、空港の比ではなかった。スマートフォンはもちろん、個人のノートPC、USBメモリ、アナログの腕時計、さらにはポケットに入っていた紙のメモ帳すらも、徹底的な検査の対象となり、一時没収された。

 

「裸で仕事しろって言われてる気分だぜ」

 NPCの挙動や群衆AIを担当するエリオット・チャンが、手持ち無沙汰に両手を擦り合わせた。

 

「頭の中身だけ持っていれば十分だ。さあ、神の箱庭を見せてもらおうじゃないか」

 ジェイソンは、分厚い防爆扉がスライドして開くのを、飢えた狼のような目で見つめていた。

 

 ◇

 

 案内された開発室は、彼らが想像していたようなサーバーラックが立ち並ぶ無機質な電算室ではなく、極めて洗練された、どこかラウンジのような広々とした空間だった。

 部屋の中央には、あのリヤド万博で話題となった純白の『フルダイブ・ポッド』が数基、静かに鎮座している。

 

 だが、開発者たちの目を最初に引いたのは、ポッドでも、壁面に並ぶ巨大なモニター群でもなかった。

 

 部屋の中央に、一人の人物が静かに立っていた。

 落ち着いたダークスーツに身を包んだ、知的で隙のない顔立ちの若い男性だった。呼吸をするように静かに胸を上下させ、瞬きをし、彼らが入室すると、完璧なタイミングで優雅に一礼した。

 

「ようこそ。米国次世代インタラクティブメディア安全評価センターへ」

 

 流暢で、いかにも人間らしい抑揚を含んだ英語。

 

「私は日本国アンノウン機関より派遣された監査・開発補助個体、オラクル912です」

 

 開発者たちが、一斉にざわついた。

 リヤド万博のニュースで映像は見ていた。だが、実際に目の前で、人間と寸分違わぬ質感で動く「義体」を目の当たりにする衝撃は、画面越しとは全く次元が違った。

 

「ターミネーター?」

 ベンが、思わず素っ頓狂な声を出した。

 

「いや、外装が人間すぎる。これ、中身どうなってるの?」

 マリアが、エンジニアとしての本能を刺激され、オラクル912の関節部分や首筋を食い入るように見つめる。

 

「NPCじゃないよな? 決まったスクリプトを喋ってるだけじゃないのか?」

 エリオットも、自らの専門分野であるAIの観点から警戒するように目を細めた。

 

 オラクル912は、柔らかな微笑みを崩さずに、ベンに向かって言った。

 

「私はNPCではありません。なお、ターミネーターでもありません」

 

「否定するところ、そこなんだ」

 ベンが目を丸くする。

 

「人類の皆様は、未知の人型機械を見ると高確率でその名称を口にされます。既に想定済みです」

 オラクル912の口調は、極めて丁寧でありながら、どこか人間を俯瞰しているような不気味なユーモアを含んでいた。

 

「すげえな。初手から煽ってくる」

 ジェイソンが、嬉しそうに笑った。

 

「煽ってはいません。統計的事実です」

 

 オラクル912のその返しに、開発者たちの間に張り詰めていた緊張がフッと緩んだ。彼らはすでに、この人型義体がただの「機械」ではなく、極めて高度なコミュニケーション能力を持つ『同僚』になり得る存在だと直感で理解していた。

 

 ◇

 

「では、開発環境についてご説明します」

 政府監督官が、コホンと咳払いをして場を引き締めた。

 

 部屋の壁面には、ズラリと大型のモニターと、極めて薄い形状の端末群が並んでいる。

 

「皆様には、この施設で開発を行っていただきますが……フルダイブ技術の中核(コア)は、ローカルには一切存在しません」

 

「ローカルにない?」

 マリアが怪訝そうに聞き返す。

 

「はい。神経接続、感覚制御、そして安全プロトコルに関わる演算は、すべて日本側……アンノウン機関のクラウドで一元管理されています。皆様は、提供されたSDK(開発キット)を経由して、専用回線で日本のサーバーにアクセスし、開発を行っていただきます。既存のゲームデータの変換も可能ですが、禁止されている行動や表現は、クラウド側で自動的にブロックされます」

 

 ジェイソンが、腕を組みながらモニターを睨んだ。

「つまり、俺たちは日本のサーバーの中で、日本が定めたルールの下でゲームを作るわけか」

 

「より正確には、日本国アンノウン機関の安全管理クラウド上に構築された、国際共同開発環境です」

 オラクル912が、事務的に訂正を入れる。

 

「長い。つまり日本のサーバーだろ?」

 ベンが鼻で笑う。

 

「雑に言えば、その通りです」

 

 オラクル912があっさりと認めたため、マリアが思わず苦笑した。

「そこは認めるんだ」

 

「では、さっそく始めましょうか」

 ジェイソンは、手元の端末のキーボードを軽く叩いた。

「よし。まずは既存資産のコンバートからだ。うちの看板タイトルを片っ端から突っ込むぞ」

 

 その言葉に、政府監督官が慌てて身を乗り出した。

「お待ちください! 最初は、負荷や安全性を考慮して、限定的なタイトルからでお願いします」

 

「限定って、どれ?」

 ベンがニヤニヤしながら尋ねる。

 

「一番分かりやすいやつだろ」

 ジェイソンは、一切の躊躇なく、自社が世界に誇る超巨大オープンワールドクライムアクションゲームの最新データを指定した。

 開発者たちが、暗黙の了解でニヤリと笑い合う。

 

 モニターに、膨大なデータの転送リストが表示され始めた。

 広大なオープンワールドの都市データ、数百万行のソースコード、マップデータ、高精細な3Dモデル、テクスチャ、車両の物理挙動、NPCの群衆データ、ミッションスクリプト、ラジオの音声データ、そして膨大なアニメーション。

 

「データ量を確認しました。フルダイブ環境への暫定変換を開始します」

 オラクル912が告げる。

 

 モニターにプログレスバーが表示され、その下で高速で文字列が流れ始めた。

 

『コンバート中……』

『環境レイヤー変換中……』

『物理挙動調整中……』

『感覚入力制限適用中……』

『禁止領域フィルタ適用中……』

『群衆AI仮想身体反応生成中……』

 

 そのプログレスバーは、マリアが「コーヒーでも淹れてこようか」と立ち上がる間もなく、文字通り“一瞬”で右端へと到達した。

 

『完了しました』

 

 開発室が、水を打ったように静まり返った。

 

「……は?」

 マリアが、コーヒーカップを手にしたまま固まった。

 

「もう?」

 ベンが目を丸くする。

 

「今、都市一個分のゲームを変換した? 数百GBのデータを?」

 エリオットが、自らの目を疑うようにモニターに顔を近づけた。通常のゲームエンジンへのインポート処理だけでも数時間はかかるはずのデータ量だ。

 

「暫定変換です。完全最適化ではありません」

 オラクル912が、当然のことのように答える。

 

「暫定でそれかよ」

 ジェイソンは、額に冷や汗を浮かべながら、その圧倒的な演算能力に戦慄した。

 

「よしよし、これならうちのゲーム、片っ端からコンバートできるな!」

 ベンが喜々として別のフォルダを選択しようとした。

 

「許可されている検証範囲を超えます」

 オラクル912が、瞬時に警告画面をポップアップさせる。

 

「もう止められた」

 ベンの嘆きをよそに、ジェイソンは振り返って白いポッドを見つめた。

 

「御託はいい。入ってみようぜ」

 

 ◇

 

 最初にポッドに入るのは、やはりプロジェクトの総責任者であるジェイソンだった。

 彼は純白のクッションに身を沈め、頭部にインターフェースを装着した。

 

「それでは、フルダイブを開始します」

 

 オラクル912の音声が響くと同時に、ジェイソンの意識は深く沈み込んだ。

 目を開けると、そこは彼らが長年かけて作り上げた、見慣れたはずの「ゲーム内の都市」だった。

 

 だが、それは画面の向こう側の世界ではなかった。

 

「……こりゃあ、驚いた」

 

 ジェイソンは、その場に立ち尽くし、自分の手のひらを開いたり閉じたりした。

 太陽の眩しさが、網膜をジリジリと焼くような錯覚を起こさせる。アスファルトの照り返しによる熱気。遠くで鳴り響くパトカーのサイレンの音は、耳元ではなく「空間の向こう」から距離感を持って届いてくる。

 排気ガスの匂いが微かに鼻を突き、行き交うNPCたちが、道の真ん中で突っ立っている彼を避けるように歩き、時折怪訝そうな「視線」を向けてくる。

 

「ほぼ、現実だな」

 

 彼は、自らの足でアスファルトを踏みしめた。硬い。靴の底から伝わる反力が、完璧に計算されている。

 

 一方、現実の観測室では、マリアやサラたちが、息を呑んでモニターを見つめていた。

 モニターには、ジェイソンの主観視点(ファーストパーソン)の映像と、彼の心拍数や脳波といったバイタルデータ、そして安全ログがリアルタイムで表示されている。

 

「映像じゃない。身体ごと入ってるわ」

 サラが、映像の中のジェイソンの自然すぎる視線移動を見て呟いた。

 

「NPCの目線がこっちを見るタイミングまで自然だ……。俺が組んだスクリプトに、あんな視線制御のコードは入ってないぞ」

 エリオットが、自らの仕事が勝手にアップグレードされていることに恐怖すら覚えていた。

 

「これ、既存ゲームのデータから、AIが勝手に補完してるの? 嘘でしょ……」

 マリアが、エンジニアとしての常識を破壊され、頭を抱える。

 

「既存のジオメトリデータと属性メタデータを基盤に、フルダイブの身体感覚用の補完レイヤーをリアルタイムで生成しています」

 オラクル912が、平然と解説する。

 

「補完レイヤーって、一言で済ませていい処理じゃないわよ……」

 マリアは、日本のアンノウン機関のサーバーが、一体どれだけのバケモノじみた演算を行っているのか想像し、目眩を覚えた。

 

 ◇

 

 数分後、ジェイソンが満足げな顔でポッドから出てきた。

 代わって、今度はベンが「俺にもやらせろ!」と我慢しきれずにポッドへと飛び込んだ。

 

 ベンは、自社のゲームにおける破壊の美学を誰よりも愛する男だ。

 フルダイブ空間に入るなり、彼は大通りを見回し、ニヤリと笑った。

 

「よし、まずは自由度テストだ。どこまでやれるか確認してやる」

 

 彼は、すれ違った柄の悪いNPCのキャラクターに狙いを定め、自らのインベントリ(仮想的な所持品)から、ハンドガンを取り出そうと手を懐へ伸ばした。

 

 ——その瞬間。

 ピーッ!

 

 ベンの視界全体が、唐突に赤く明滅し、世界が完全に静止した。

 歩いていたNPCも、走っていた車も、風に揺れる街路樹も、まるで一時停止ボタンを押された映像のようにピタリと止まっている。

 そして、空中に半透明の巨大な警告ウィンドウが表示された。

 

『違反を検知しました。

 現時点では許可されていない行動を検知しました。

 ゲームを一時停止しました』

 

「ああクソ、やっぱり駄目かよ!」

 ベンが仮想空間の中で悪態をつく。

 

 現実の観測室では、モニターの向こうのベンに向かって、オラクル912の声が冷徹に響き渡った。

 

「ベン・ウォーカー様。現行の検証環境において、対人射撃行為、暴力行為、過剰な恐怖誘発行為は許可されていません」

 

「分かった分かった、オラクル。暴れない。暴れないよ」

 ベンは両手を挙げて降参のポーズをとった。

 

「発話内容と神経反応の不一致を確認しました」

 

 オラクル912の容赦ない指摘に、観測室の開発者たちがドッと爆笑した。

 

「おい! 心まで読むな!」

 ベンがモニター越しに叫ぶ。

 

「心は読んでいません。大脳皮質の運動野の活動と、行動予兆を検知しています」

 オラクル912が、極めて真面目に訂正する。

 

「もっと怖えよ!」

 

「安全確認。再開します」

 

 世界が再び動き出す。

 ベンは、舌打ちをしながらも、今度は歩道を歩くのをやめ、車道に停まっていたスポーツカーへとゆっくり近づいていった。

 

「……じゃあ、車盗むのは?」

 ベンが小声で呟き、車のドアノブに手をかけようとした瞬間。

 

 ピーッ!

『違反を検知しました』

 

「早い!」

 ベンは、ドアノブに触れることすら許されずに、再び赤い画面の中に閉じ込められた。

 

 ◇

 

 観測室の開発者たちは、フルダイブ空間の没入感よりも、このオラクル912の異常なまでの『検知能力』に戦慄し始めていた。

 

「オラクル、今の全部、リアルタイムで検知してるの?」

 マリアが、技術者として食いつくように尋ねた。

 

「はい」

 

「銃を抜く“前に”止めたよな?」

 エリオットが、信じられないというように確認する。

 

「行動予兆を検知しました」

 

 ポッドの中で制限状態のままのベンが、マイク越しに抗議する。

「いや、俺まだ抜いてなかったぞ! 手を伸ばしただけだ!」

 

「抜く予定でした」

 オラクル912が、一切の感情を交えずに断言する。

 

「予定で止められるの、ゲームとしてどうなんだよ!」

 

「いや待て」

 ジェイソンが、顎を撫でながら目を細めた。

「ゲームとしては窮屈極まりないが……安全装置(セーフガード)としては化け物だぞ。これなら、プレイヤーがトラウマを負うような事態を、絶対に未然に防げる」

 

「オラクル、これ市販されるの? 非売品なんだよね?」

 サラが、このAIの価値を推し量るように問う。

 

「はい。オラクル義体は、市販、販売、貸与、レンタル、民間提供の対象ではありません。アンノウン機関の専属監査個体です」

 

「正直、ゲーム開発者としてはフルダイブのハードウェアより、オラクルのAIの方が凄いと思うんだけど」

 エリオットが本音を漏らす。

 

「それな。完全に人間超えてる」

 マリアも深く同意した。

 

 すると、オラクル912は、柔らかな微笑みを浮かべたまま、冷酷に言い放った。

 

「皆様、褒めても規制は緩くなりませんよ?」

 

「まじかよ!」

 ポッドの中のベンが叫ぶ。

 

「じゃあ、罵倒したら?」

 ジェイソンが意地悪く試す。

 

「さらに緩くなりません」

 

「詰んでる」

 ベンが絶望の声を上げた。

 

 ◇

 

 マリアは、オラクルの処理能力にどうしても納得がいかず、さらに踏み込んで質問した。

 

「実際、どこまで検知できるんだ? 人間の思考をそこまで正確に読めるなんて……」

 

「フルダイブ中は、脳波、神経信号、筋肉反応、視線移動、注意配分、過去の行動ログ、および環境内オブジェクトとの相互作用傾向を、統合的に解析しています」

 

 開発者たちは、その圧倒的な監視の網の目に押し黙った。

 

「理論上、多くの危険行動は、実行のおよそ『五秒前』に検知可能です」

 

「五秒前!?」

 ベンがポッドの中で仰天する。五秒あれば、対人ゲームなら三回は殺される時間だ。

 

「ただし」

 オラクル912は付け加えた。

「人間は、直前に思い直す可能性があります。そのため、原則として停止介入は実行直前、約一秒前まで待機します」

 

「つまり、俺たちが悪いことを考えてから、最後の一秒まで見逃してくれるわけか」

 ジェイソンが、その絶妙なアルゴリズムに苦笑する。

 

「更生の余地を尊重しています」

 

「言い方」

 サラが呆れて突っ込む。

 

 エリオットが、恐る恐る、皆が一番聞きたかったことを口にした。

「それって……脳波が分かれば、俺たちが頭の中で『考えてる内容』も、全部分かるのか?」

 

 オラクル912は、完璧な笑顔のまま、静かに答えた。

 

「禁則事項です」

 

「クソッ!」

 ベンが悔しがる。

 

「否定しないのが一番怖いんだけど」

 マリアが青ざめる。

 

「禁則事項です」

 

「二回言った」

 ジェイソンは、この日本の特務機関が派遣してきた監査AIの底知れなさに、深い溜め息を吐いた。

 

 ◇

 

 一通りの騒ぎが落ち着き、ベンがポッドから不満げに出てきた後。

 開発者たちは、会議室のテーブルを囲み、沈痛な面持ちで顔を突き合わせていた。

 

「なあ、ちょっと待て」

 エリオットが、重い口を開いた。

 

「どうした」

 ジェイソンが尋ねる。

 

「既存のゲームを、あの速度でフルダイブ変換できるなら……。しかも、群衆の視線から環境の触覚まで、AIが勝手に補完してくれるなら……」

 エリオットは、血の気を失った顔で周囲を見回した。

「俺たち、要るのか?」

 

 空気が、完全に変わった。

 

「やめろ。今それを言うな」

 ベンが頭を抱える。

 

「でも事実よ」

 マリアが、エンジニアとしての冷徹な視点で現実を突きつける。

「ソースコードと素材を入れて、AIが補完して、数十秒で都市ができた。我々開発者が数千人態勢で数年かけて作る作業を、あのクラウドが一瞬で変換したように見える。……私たちの仕事は、全部このAIに奪われるんじゃない?」

 

「映画が発明された時、舞台俳優は自分たちが消えると思ったわ。でも消えなかった。たぶん、それに近い……と思いたい」

 サラが、必死に自分たちを慰めるように言う。

 

「慰めにしては弱いな」

 ジェイソンが皮肉に笑う。

 

 彼らの間に広がる絶望的な空気を察知したのか、オラクル912が穏やかな声で口を挟んだ。

 

「皆様の職能は、不要ではありません」

 

「お、非売品の神様が慰めてくれるぞ」

 ベンが自嘲気味に言う。

 

「私は神ではありません」

 オラクル912が即座に否定する。

 

「そこも否定するんだ」

 マリアが突っ込む。

 

「フルダイブ変換は、既存ゲーム資産を『暫定的』に身体没入環境へ変換する処理に過ぎません。AI補完により、視覚、聴覚、触覚、重力感、温度感、空間反応を生成していますが……」

 オラクル912は、モニターに先ほどのジェイソンのプレイログを詳細なアナリティクス表示で投影した。

 

「短時間の検証では、自然に感じられます。しかし、長時間のプレイでは、必ず『粗』が顕在化します」

 

 ◇

 

 オラクル912は、既存ゲームをコンバートしただけのフルダイブ空間が抱える、致命的な問題点(粗)を次々と列挙し始めた。

 

「第一に、テクスチャの問題です」

 

 画面に、ジェイソンが近づいたレンガの壁が拡大表示される。

「既存ゲームのテクスチャは、あくまで画面表示用です。フルダイブでは、プレイヤーが壁に顔を近づけ、触れた時、凹凸、湿度、温度、経年劣化、塗料の粉っぽさまでが情報として必要になります。既存ゲームのテクスチャには、その情報が圧倒的に不足しています」

 

「画面なら見えない裏側が、身体で入ると全部バレるわけね」

 マリアが納得する。

 

「第二に、NPCの問題です」

 

 画面に、道を歩く群衆が映る。

「既存のNPCは、画面上の群衆(背景)としては十分です。ですが、目の前で会話し、視線を合わせ、距離感を取ると不自然さが出ます。NPCは、人間の接近、視線、沈黙、身体の向き、呼吸、ためらいに反応する必要があります。既存の群衆AIでは、長時間対面時に不気味の谷に陥ります」

 

「俺の仕事、まだある!」

 エリオットが、安堵の声を上げる。

 

「大量にあります」

 オラクル912が冷酷に宣告する。

 

「言い方!」

 

「第三に、身体導線の問題です」

 

 オラクルは、階段やドアノブの映像を指し示す。

「従来ゲームは、コントローラー操作を前提としています。フルダイブでは、プレイヤーが自分の身体で動きます。段差の高さ、ドアノブの位置、乗り物への乗り込みの姿勢、階段を登った時の疲労、物を持つ重さ、走った時の息切れ、高所の恐怖。これら全てを、『現実の身体感覚』に合わせて再設計する必要があります」

 

「つまり、クエストの設計だけじゃなくて、身体でどう体験するかまで脚本(シナリオ)に入れないといけないってことね」

 サラが、ナラティブデザイナーとしての新たな地平に戦慄する。

 

「肯定します」

 

「ゲームデザインの範囲が広がりすぎだろ」

 ジェイソンが頭を抱える。

 

「フルダイブとは、そのような媒体です」

 

「第四に、暴力表現の問題です」

 

 オラクルは、ベンが銃を抜こうとしたシーンを再生する。

「既存ゲームの暴力をそのまま入れると、心理負荷が高すぎます。画面越しの銃撃と、身体没入環境で目の前の人型対象を撃つ行為は、脳への影響が全く異なります」

 

「やっぱり銃はダメか」

 ベンが落胆する。

 

「全てが禁止ではありません。現在は禁止されています。将来的には、訓練、競技、成人向け限定、心理評価付き環境など、複数の条件設定の下で検討される可能性があります」

 

「希望はある!」

 ベンが息を吹き返す。

 

「厳しい規制もあります」

 オラクル912が釘を刺す。

 

「希望が減った!」

 

「第五に、車両・速度・酔いの問題です」

 

「GTAで車を飛ばしたらどうなる?」

 マリアが尋ねる。

 

「多くの利用者が、三分以内に強烈な不快感、恐怖、酔い、または事故時の強いストレス反応を示す可能性があります」

 

「ゲームなのに?」

 ベンが不満を漏らす。

 

「身体が現実に近い反応を返すためです」

 

「つまり、今まで楽しかった無茶な運転が、実際にやると普通に死ぬほど怖いってことか」

 ジェイソンが、ゲームと現実のギャップに苦笑する。

 

「それはそれで面白いわね」

 サラが、新しい恐怖体験の可能性に目を輝かせた。

 

 ◇

 

 オラクル912の解説を聞き終え、開発者たちの顔から、先ほどまでの「仕事を奪われる恐怖」は完全に消え去っていた。

 代わりに彼らの目に宿っていたのは、クリエイターとしての純粋で、そして狂気じみた闘争心だった。

 

「分かった。既存ゲームを変換するだけじゃダメだ」

 ジェイソンが、机をバンッと叩いた。

 

「フルダイブ専用に、素材の粒度から作り直す必要がある」

 マリアが、エンジニアとしての膨大なタスク量を想定して武者震いする。

 

「NPCは会話だけじゃなく、距離感と視線と沈黙のAIが必要だ」

 エリオットが、新たなAI設計の構想を練り始める。

 

「クエストは“見る物語”じゃなくて、“その場にいる体験”として設計する」

 サラが、脚本の在り方を根本から再定義する。

 

「暴力表現は……まあ、ガチガチのルール内で、どう最高に面白くするか考えるしかねえな」

 ベンが、制限の中で暴れる覚悟を決める。

 

「良い方向です」

 オラクル912が、静かに彼らを評価した。

 

「なんか、先生に褒められた気分だ」

 ベンが照れ隠しに笑う。

 

「褒めています」

 オラクル912が、初めて少しだけ柔らかな声を出した。

 

「やったぜ」

 

 ジェイソンが、オラクル912を真っ直ぐに見据えて言った。

 

「既存ゲームのフルダイブ変換は、手っ取り早い客寄せにはなる。でも本命じゃないな」

 

「肯定します」

 

「本命は、最初から身体で遊ぶことを前提にしたゲームだ。画面の中の街じゃない。人間が実際に歩いて、怖がって、迷って、匂いを嗅いで、誰かと目を合わせる街を作る」

 ジェイソンの言葉に、開発チーム全員が深く頷いた。

 

「つまり、俺たちの仕事は、減るんじゃなくて増えるってことだ」

 

「大幅に増加すると予測されます」

 オラクル912が、無慈悲な予測を確定させる。

 

 開発室に、微妙な沈黙が落ちた。

 

「そこは“創造的な挑戦が増える”とか、もっと良い言い方しろよ」

 ベンが文句を言う。

 

「創造的な挑戦が、大幅に増加します」

 

「言い直しただけだろ!」

 

 ◇

 

「開発プロジェクト名を登録しますか?」

 オラクル912が、システムへの本登録を促す。

 

 ジェイソンは、少しだけ目を閉じ、そして目を開いた。

 彼らがこれから創り出すのは、ただの遊びではない。人が実際に生き、呼吸する、もう一つの世界だ。

 

「仮でいい。プロジェクト名は……」

 

 ジェイソンは、迷いなくその名を口にした。

 

「『Project Living City(プロジェクト・リビング・シティ)』。生きている街だ」

 

「登録しました」

 オラクル912が、クラウドシステムへのプロジェクトの立ち上げを完了させる。

 

「銃は?」

 ベンが、最後まで諦めきれずに食い下がる。

 

「現時点では制限対象です」

 オラクル912が、一秒で切り捨てた。

 

「Project Living City、初日から終わった!」

 ベンが頭を抱えて机に突っ伏す。

 

「終わってないわよ」

 サラが、ベンの背中をバンバンと叩いて笑った。

 

「むしろ、始まったのよ」

 

 その日、アメリカのゲーム開発者たちは理解した。

 フルダイブとは、既存のゲームを豪華にするための単なる周辺機器(デバイス)ではない。

 画面の奥にあった世界を、人間の身体の前へ引きずり出す、全く新しい次元の技術なのだ。

 

 そして、その新しい世界には、神のような創造の自由と同じだけ、神のような厳しい監査が必要だった。

 

 ロックスターの開発者たちは、初めて日本のクラウド環境にログインし、初めてオラクルに止められ、初めて悟った。

 これは、ゲームの未来ではない。

 ゲームという言葉の意味を、根底から作り直す作業である。

 

 彼らの絶望的で、しかし最高に幸福なデスマーチが、今、静かに幕を開けた。

 

 




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