自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~   作:パラレル・ゲーマー

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第190話 ジャミングオン! 夢を制御したら、次は赤い星と地上の太陽だった

 東京都千代田区永田町、首相官邸。

 地下深くに設けられた特別会議室は、今日もまた、分厚い鉛と特殊電磁波吸収材、そして最新鋭の防音隔壁によって六重に覆われ、外界から完全に隔絶されていた。

 日本国の中枢を担う閣僚たちが円卓を囲み、それぞれの前に置かれた端末や分厚い紙の資料に視線を落としている。その表情は一様に硬く、疲労の影が色濃く落ちていた。

 

 矢崎薫内閣総理大臣を筆頭に、内閣官房参事官の日下部、外務大臣、霧島大悟防衛大臣、御堂周作経済産業大臣、綾瀬真琴厚生労働大臣、榛名理人科学技術担当大臣、そして官房長官と内閣情報官。

 部屋の隅には、完璧な人型のフォルムと人工皮膚を持つアンノウン機関所属の『オラクル義体』が、静かに控えている。

 

 日下部が手元の端末を操作し、室内の安全確認を終えてから口を開いた。

 

「通信遮断確認。外部電波遮断確認。録音系統、官邸地下専用ログへ隔離。……ジャミングオン」

 

 ブゥン……という極低周波の駆動音が室内の空気を微かに震わせ、照明が警戒を示す薄暗い赤色へと切り替わった。世界で最も強固な密室が、ここに完成した。

 

「では、始めましょう」

 矢崎総理が、円卓の面々を見回して静かに宣言した。

「まずは、フルダイブ関連の国際・国内調整の状況からです」

 

 総理の合図を受け、部屋の隅に控えていたオラクル義体が一歩前に進み出た。

 

「アンノウン機関所属オラクルより、国際フルダイブ開発環境に関する初期運用レポートをご報告します」

 合成音声特有の硬さはないものの、徹底して無機質で感情の欠落した声が、会議室に響いた。

 

 ◇

 

「結論から申し上げます」

 オラクルは、空中に巨大なホログラムディスプレイを展開し、世界地図と複雑なネットワークのトラフィックデータを投影した。

「現時点において、世界主要国および主要企業によるフルダイブ開発は、日本側アンノウン機関クラウド環境の制御下に入りつつあります」

 

 会議室が、少しだけざわついた。

 

「『全世界制御下』、という表現はかなり強いですね」

 榛名科学技術担当大臣が、安堵とも恐れともつかない溜め息を吐きながら言った。

 

「技術的には妥当な表現です」

 オラクルが淡々と答える。

「世界のすべてのフルダイブ用データトラフィックと開発コアは、アンノウン機関のサーバーを経由し、当機群の常時監査を受けています」

 

「ですが、それをそのまま外交文書に使うのは非推奨とします」

 オラクルが続ける前に、日下部が冷徹に釘を刺した。

「当たり前です。絶対に使わないでください。他国の主権をハックしたと公言するようなものですから」

 

「承知しました。表現を抑制します」

 オラクルは無表情のまま頷き、各国の動向をまとめたリストを次々と表示し始めた。

 

「現在までの動向を整理します。

 アメリカ政府は、日本主導のクラウド管理案を基本支持し、自国の巨大ゲーム企業を当機関の開発環境へ接続させることに同意しました。ロックスター系大手企業など複数の開発チームがすでに接続済みであり、彼らの持つ既存のゲーム資産の暫定コンバートにも成功しています。また、オラクル監査による危険行動検知および自動停止機能も、正常な動作を確認済みです」

 

「アメリカが独自のローカル開発環境を強硬に主張しなかったのは、ヘイズ大統領の英断でしたね」

 外務大臣が、胸を撫で下ろすように言った。

「もしアメリカが反発していれば、フルダイブ市場は間違いなくブロック化し、世界中で無法地帯が乱立していた」

 

「ロシアも、結果的には日本基準のFD区分を受け入れました」

 オラクルが続ける。

「彼らが構想するFD−3、FD−4の高刺激体験特区についても、当機関の常時監査と医療監視体制の構築を絶対条件として、許可可能な範囲に収まっています」

 

「中国は?」

 霧島防衛大臣が、最も警戒すべき大国の名を挙げる。

 

「独自サーバー要求の気配は見られますが、コア技術のブラックボックスを開示しない限り、彼ら単独でのフルダイブ環境構築は極めて困難です。現在は水面下で交渉を模索している段階です」

 

「EUは倫理監査枠の要求に固執していますが、実務のスピードが追いついていません。サウジアラビアはリヤド万博の大成功を受け、万博後のフルダイブ観光利用や未来都市開発との連動に強い関心を示しています。そして日本国内のゲーム企業群も、東京ゲームショウ2031に向けて、開発を猛烈な勢いで加速させています」

 

 一通りの報告を終え、オラクルは総括した。

「現時点では、各国が独自に危険なローカルフルダイブ環境を構築する可能性は限定的です。主要国は、日本管理クラウドに接続する方が商業的・外交的に有利であると判断しています」

 

 矢崎総理は、深く息を吐き出し、少しだけ肩の力を抜いた。

 

「それは何よりです。最悪のシナリオ……フルダイブ技術が無秩序に拡散し、人類がこぞって現実逃避の沼に沈むか、洗脳の道具として乱用されるという事態は、当面避けられたわけですね。暴走が起きないなら、まずは一安心です」

 

「はい。少なくとも初期段階において、フルダイブによる社会的暴走は、制御可能な範囲に収まっています」

 オラクルの断言に、日下部も小さく息を吐いた。

 

「……よかった。本当に、よかった」

 その呟きには、数日間の寿命を削りきった実務トップの切実な思いが込められていた。

 

 ◇

 

 矢崎総理は、ふと日下部の方を見た。

 

「日下部さん。そもそも、あの『アンノウン機関クラウド接続による中央集権管理案』は、当初からここまで綿密に計画されていたのですか?」

 

 日下部は、その問いに対して少しだけ目を逸らし、気まずそうに手元のマグカップの縁を指でなぞった。

 

「……正直に申し上げますと」

 日下部は観念したように口を開いた。

「半分以上、アドリブです」

 

 会議室が、水を打ったように静まった。

 

「アドリブ、ですか」

 官房長官が、信じられないという顔で反復する。

 

「フルダイブの中核技術を各国や各企業にそのまま渡せば、確実に闇フルダイブ、軍事用シミュレーター、過激な思想教育用環境、そして限界のない依存誘導型コンテンツが乱立することは火を見るより明らかでした。

 ですから、とにかく手元からコア技術を手放さないために、“開発環境は提供します。ただし、コアシステムは日本側クラウドの中から一歩も出しませんし、オラクルが常時監視します”という強硬なパッケージ案をでっち上げ、そのまま国際社会に押し切ったのです」

 

「……その場しのぎの安全策が、そのまま事実上の国際標準(グローバル・スタンダード)になってしまったわけですね」

 榛名が、呆れと感嘆の入り混じった声を出す。

 

「言い方を選ばなければ、そうです。外交的ハッタリと、アンノウン機関の技術的ブラックボックスを盾にした強行突破でした」

 日下部は淡々と答えた。

 

「ですが、結果として上手くいった」

 矢崎総理は、咎めることなく日下部の手腕を評価した。

 

「はい。上手くいきました」

 日下部も、そこだけは安堵を隠さずに頷いた。

 

 ここで、オラクルが補足を入れた。

「管理コストに関する追記です。全世界のフルダイブ通信と開発環境の監視という膨大なタスクについては、現時点でアンノウン機関所属のオラクル群および中央システムが、その大部分の演算と処理を肩代わりしています。

 そのため、日本政府の人的・予算的負担は、通常の国際プラットフォーム管理に比べて極めて低く抑えられています」

 

 御堂経産大臣が、大きく頷く。

「普通なら、日本政府の官僚や技術者だけで、世界中のゲーム会社や国家機関の開発データを24時間365日監査するなど、物理的に不可能ですからね。予算がいくらあっても足りない。オラクルの存在がなければ、この中央管理案は破綻していましたよ」

 

「ええ。オラクル義体とシステムには、日本政府として本当に助けられています」

 日下部が、珍しく素直な感謝の言葉を口にした。

 

「珍しく素直ですね、日下部さん」

 矢崎総理が少しだけ口角を上げる。

 

「すぐ胃薬を出してくれますし……」

 日下部が、ボソリと本音を漏らした。

 

「ジョークですか?」

 矢崎総理が目を丸くする。

 

「いえ、半分本心です。あの絶妙なタイミングで水と胃薬を提供されると、抗い難いありがたみを感じます」

 

「日下部参事官の胃粘膜保護に関する追加の支援が必要であれば、厚生労働省経由で正式に予算申請が可能です」

 オラクルが、大真面目なトーンで提案した。

 

「……その申請、本気で出しますか?」

 綾瀬厚労大臣が、半ば呆れながらも本気で心配そうな顔で日下部を見る。

 

「……検討します」

 日下部の真顔での返答に、張り詰めていた会議室に微かな、しかし温かい笑い声が広がった。

 

 ◇

 

「フルダイブの産業・文化面における今後の見通しですが」

 榛名が、笑顔を収めて手元の資料をめくった。

「東京ゲームショウ2031が、事実上の初披露の場になることは間違いありません」

 

 スクリーンに、各国の開発スタンスの予測が整理されていく。

 

 アメリカは、ロックスター系大手などが主導し、都市型・自由度型の『Project Living City』のような超大作で勝負を仕掛けてくる可能性が高い。既存のオープンワールド資産を変換しつつ、フルダイブ専用の身体感覚を重視した設計にシフトしている。

 ロシアは、日本の定めたFD区分を受け入れつつも、安価で過激なFD特区の構想を進めている。広大な自然、厳しい寒さ、バイカル湖、オーロラといったロシアならではの環境を武器にしつつ、裏では『安全な危険』を売りにする強かな戦略だ。

 サウジアラビアはリヤド万博の熱をそのまま維持し、未来都市や砂漠、宇宙観光をテーマにしたコンテンツで、自国の開発計画とフルダイブを連動させようとしている。

 EUは相変わらず倫理と人権の監査枠にしがみついているが、実開発のスピードでは遅れを取っている。

 そして日本国内のゲーム企業、出版社、アニメ制作会社、教育・医療関連企業は、TGS2031に向けて、総力を挙げて開発を加速させていた。

 

「日本国内の初回発表は、安全性を最優先したFD−1、FD−2の区分が中心になります」

 御堂経産大臣が説明する。

「FD−3以上の高刺激体験については、限定公開、あるいは専門の特区での非公開実証に留め、世論の反発を避ける方針です」

 

「それで結構です。まずは『安全に帰ってこられる夢』であることを世界に証明し続けなければなりません」

 矢崎総理が頷いた。

「フルダイブについては、東京ゲームショウ2031に向けて、引き続きアンノウン機関のクラウド管理下で進めるということでよろしいですね」

 

「はい。現時点では、それが最も安全で確実な道です」

 日下部が同意する。

 

「軍事利用についてはどうなっていますか?」

 霧島防衛大臣が、安全保障の観点から問うた。

 

「FD−4の範囲内であれば、医療監視・ログ保存・オラクル監査付きという条件で、限定的に許可する方向で調整しています」

 日下部が答える。

「ただし、痛覚の100%同期、拷問シミュレーション、精神破壊を目的としたプログラム、脱出不能設計は、システムレベルで絶対禁止領域として設定されています」

 

「ロシアもそれに従うと?」

 霧島が、疑り深い目でオラクルを見る。

 

「はい。現時点でロシア連邦は、独自開発に固執して国際的に孤立するよりも、日本基準に従って合法的な市場を形成する方が国益に合致すると判断しています」

 オラクルが、収集した情報をもとに断定した。

 

「なら、今はそれでよいでしょう」

 矢崎総理が、フルダイブに関する議論を締めくくった。

 

 ◇

 

「では、次の議題へ移りましょう」

 矢崎総理は、ホッと息をつく間も与えずに言った。「次は?」

 

 日下部が、無表情で資料のページをめくる。

 

「火星です」

 

 総理は、少しだけ目を閉じ、小さく息を吸い込んだ。

「……火星、ね」

 

「はい。火星長期滞在実証拠点……いわゆる火星コロニー問題です」

 日下部の言葉に、外務大臣が即座に訂正を入れた。

 

「なお、公式には“火星コロニー”という呼称は絶対に使用しません。各国メディアや民間企業はすでにそう呼び始めていますが、日本政府としては、あくまで“火星長期滞在実証拠点”で統一します」

 

「コロニーという言葉は、政治的な爆発物ですからね」

 矢崎総理が深く頷く。

「土地の所有権、主権、国籍、出生、労働権、自治権、軍事利用……。人類が地球で抱えているあらゆる問題と欲望を、そのまま赤い星に持ち込むことになる」

 

「はい。そして、その火星への到達が、我々の想定以上のスピードで現実のものになろうとしています」

 日下部が、事態の切迫感を伝える。

 

「火星への超高速輸送はすでに実証済みです。現在、SpaceXとNASA、そしてJAXAの連携により、無人建設モジュールの降下準備が進行しています。……早ければ、再来月にも『有人到着』が可能になる見通しです」

 

「再来月!?」

 官房長官が、信じられないというように声を上げた。

「いくらなんでも早すぎませんか!? 初期モジュールの設置と生命維持のテストを終えてから、数年かけて有人という話ではなかったのですか?」

 

「初期モジュール設置と生命維持試験を、有人部隊の到着とほぼ同時に並行して行う案が、アメリカ側で急浮上しています」

 榛名が、科学者の無謀さと民間企業の突破力に呆れながら説明する。

「アンノウン由来の安全パッケージ……人工重力と放射線遮蔽フィルムの性能が圧倒的すぎるため、彼らは『テスト期間を短縮しても生存可能だ』と判断しつつあるのです」

 

「……危険な判断ね」

 矢崎総理が眉をひそめる。

「ですが、止められない。そして、日本政府としても、我々の技術で構築されたその拠点に、日本人宇宙飛行士を送り込まないという選択肢はありません」

 

「アメリカ、ロシア、日本、中国の参加は、地政学上、すでに既定路線となっています」

 外務大臣が、国際政治のパワーバランスを語る。

 

「アメリカ人、ロシア人、日本人、中国人。この四カ国は確定ですか」

 矢崎総理が確認する。

 

「はい。外せません」

 

「中国もですか?」

 霧島防衛大臣が、不快感を隠さずに問う。

 

「外す方が危険です」

 外務大臣が即答した。

「もし彼らを火星計画から完全に排除したと受け取られれば、地上で何を言い出すか、どんな報復行動に出るか分かりません。宇宙開発における対立を、地球上の紛争の火種にするわけにはいかないのです」

 

「問題は、残りの枠です」

 日下部が、最大の政治的火種を円卓の上に置いた。

「インド、EU、イギリス、サウジアラビアが、残りの座席を巡って強烈な外交圧力をかけてきています」

 

「全員が、“人類初の火星長期滞在者”という、歴史の教科書の1ページ目に自国の名を刻みたいのです」

 外務大臣が、各国の思惑を代弁して溜め息をつく。

 

 ◇

 

 スクリーンに、各国の主張と要求が整理されて表示された。

 

【アメリカ】輸送計画の絶対的中核。NASAとSpaceXが運用を担うため、最低一名どころか、ミッションコマンダー(指揮官)枠の確保を強硬に要求。

【日本】火星居住安全技術パッケージの提供元。生命維持、人工重力、放射線遮蔽、安全プロトコルの責任国。日本人宇宙飛行士の参加は必須。

【ロシア】宇宙開発大国としてのプライド。過酷環境・長期閉鎖環境への豊富な経験を盾に、初期メンバー入りを譲らず。

【中国】国際的な対立激化を避けるため、枠としては確保。ただし技術供与は行わず、監視と制限が必要。

【インド】世界最大の人口大国であり、新興の宇宙開発国として「人類の代表に我々を含めるべきだ」と強く主張。

【EU】科学研究枠、倫理監査枠、国際共同管理枠を主張。ただし、EU内部でどの国の宇宙飛行士を出すかで激しく揉めている。

【イギリス】独自の火星法制度構築、宇宙医療、退役軍人医療、そして戦傷治療ナノマシン(バンドエイドMK3)の運用実績を背景に食い込みを図る。アメリカとは別枠の「コモンウェルス代表」的な扱いを要求。

【サウジアラビア】リヤド万博の大成功と、莫大な資金協力の実績。火星ドーム都市構想への投資意欲を見せ、「主要出資国として代表枠を」と主張。

 

「……見事なまでの椅子取りゲームね」

 矢崎総理は、欲望の渦巻くリストを見て冷笑した。

 

「日本政府として、直接的に決定できることは多くありません」

 外務大臣が、日本の限界を説明する。

「最終的な枠の決定は米日主導の国際調整となりますが、アメリカに表舞台で火の粉を浴びさせ、日本は裏で『技術的・安全面での条件』を出す形が最も現実的です」

 

「日本が国籍枠の裁定者になれば、外れた国から全世界の恨みを一身に買うことになりますからね」

 日下部が、貧乏くじを引くことを全力で回避しようとする。

 

「では、我々はただ見守るだけですか?」

 矢崎総理が問う。

 

「基本的には見守ります。ただし、日本人枠と『安全責任者枠』だけは死守します」

 日下部の目に、譲れない決意が宿った。

 

「安全責任者枠?」

 霧島防衛大臣が怪訝な顔をする。

 

「日本が提供する火星居住安全技術の、現地確認と運用管理を行う担当者です」

 日下部が説明する。

「肩書きは宇宙飛行士ですが、実態としては“日本側生命維持安全プロトコル担当官”になります」

 

「なるほど。日本の技術で維持される居住区なのだから、日本の担当官が行くのは当然の権利だというわけですね」

 矢崎総理が納得して頷く。

「日本人が火星へ行く名目としては、これ以上ないほど強固です」

 

「むしろ、行かない方が不自然です」

 榛名も同意する。

「日本のアンノウン技術で作った部屋に、誰も日本人が入らないとなれば、他国は『安全性に自信がないのか』『裏で遠隔操作するつもりか』と疑心暗鬼になります」

 

 ◇

 

「そこで、日本側からの提案です」

 日下部が、対立を回避するための巧妙な政治的ロジックを提示した。

 

「国籍枠で争うから揉めるのです。ならば、最初から『任務役割枠』で整理すべきです」

 

「役割枠?」

 矢崎総理が聞き返す。

 

「はい。たとえば、このように」

 

 スクリーンに、初期火星有人到着チームの編成案が表示される。

 

【初期火星有人到着チーム・任務役割枠(案)】

 ・ミッションコマンダー(全体指揮):アメリカ

 ・生命維持・安全プロトコル担当:日本

 ・閉鎖環境運用・長期滞在担当:ロシア

 ・建設・機械系運用担当:中国

 ・医療・生理学担当:候補枠

 ・惑星科学・地質調査担当:候補枠

 ・国際調整・法制度観察担当:候補枠

 

「なるほど……」

 外務大臣が、感心したように声を漏らした。

「これなら、“どの国が偉いから選ばれた”のではなく、“ミッションの遂行に必要な人材と役割を割り当てた結果だ”と大義名分が立ちます」

 

「インド、EU、イギリス、サウジアラビアは、残りの『候補枠(医療、科学、法制度)』を巡ってそれぞれの強みを競い合うわけですね」

 矢崎総理が、日下部の策の意図を完全に理解した。

 

「はい。第一陣の到着メンバーに入れなかった国に対しても、第二陣、地上支援チーム、科学運用解析、法制度策定、医療監視などの『重要な役割』を振り分けることで、顔を立てることが可能です」

 日下部が、事態を穏便に収拾する道筋を示す。

 

「火星で、誰の国旗を立てるかで揉めませんか?」

 霧島防衛大臣が、国家の面子を気にする。

 

「揉めます」

 外務大臣が断言する。

 

「ですから、初期到着においては、特定の国旗を掲げることは避けるべきです」

 日下部が即座に対応策を出す。

「国旗ではなく、“国際火星長期滞在実証ミッション”の『共同パッチ(エンブレム)』を全員の宇宙服に着用させ、それのみを掲げる。国家の領土的野心を視覚的に排除します」

 

「いいですね」

 矢崎総理が、深く満足して頷いた。

「旗を減らし、役割を増やす。火星は地球の延長ではなく、人類の新しい協力の場であるとアピールするには最適な演出です」

 

 ◇

 

 火星の議題が一段落し、会議室に少しだけ安堵の空気が流れた。

 だが、その空気を切り裂くように、榛名科学技術担当大臣が、これまでになく分厚く、そして厳重に封印された紙のファイルを円卓の中央に置いた。

 

「次に、アンノウン機関・エネルギー開発班からの最重要報告です」

 榛名の声は、緊張でわずかに震えていた。

 

「現在、アンノウン由来の次世代核融合炉技術情報について、段階的な開示と解析が進んでいます」

 

「……13m級教育用核融合炉の、次ですか」

 矢崎総理の表情が、再び険しくなる。

 

「はい。機関内部では便宜上、“常温核融合炉技術”と呼ばれているものです」

 

 その言葉が出た瞬間、御堂経済産業大臣が弾かれたように顔を上げ、激しく顔をしかめた。

 

「榛名大臣。その呼称は、絶対に表に出せませんね」

 

「もちろんです」

 榛名も、その言葉が持つ破壊力を十分に理解して頷いた。

「常温核融合という言葉は、学術界においても一般社会においても、余計な誤解と熱狂、そして無用なパニックを呼び起こします。公文書上は、あくまで“次世代高密度安定電源技術・CF系列資料”として厳重に秘匿処理しています」

 

「絶対に“常温核融合”という単語を、どんな形であれ会見資料や漏洩ログに入れないでください」

 日下部が、血を吐くような声で懇願した。

「もしそんな言葉が漏れれば、明日の朝には世界のエネルギー市場と金融市場が完全に崩壊します。冗談抜きで」

 

 オラクルが、技術的な補足を入れる。

「該当技術は、地球側の既存科学で定義される“常温核融合”とは物理的機序が一致しません。アンノウン由来の極めて特殊な高効率低環境負荷融合反応制御技術を、地球側の科学者が理解の便宜上、そう呼称しているに過ぎません」

 

「つまり、名前がそうであるだけで、我々の知る常識の枠には収まらないものだということですね」

 矢崎総理が、冷静に本質を突く。

「13m級教育炉との違いは何ですか?」

 

「……13m級教育炉は、人類に『階段』を見せるための技術でした」

 榛名が、静かに答える。

「しかし、今回のCF系列資料は……その階段の先にある『扉の隙間』から漏れ出た光そのものです」

 

 会議室が、凍りついた。

 

 ◇

 

 榛名が、スクリーンに比較データを表示する。

 

【13m級教育用核融合炉】

 ・大型であり、建設には広大な敷地と莫大なインフラが必要。

 ・教育・実証用であり、外部からの監視や制御が極めて容易。

 ・設置場所が限定されるため、発電所や大型研究施設向け。

 ・国家レベルでの厳格な一元管理が可能。

 

【CF系列/常温核融合炉相当技術】

 ・圧倒的に小型化しやすい(車両や大型コンテナサイズへの搭載が可能)。

 ・起動時の環境条件が極めて緩く、巨大な冷却設備や磁場封じ込め施設を必要としない。

 ・高密度かつ独立した電源に向く。地方分散型電源への応用が可能。

 ・軍事施設、大型船舶、航空機、宇宙機、地下シェルターへの搭載が容易。

 ・万が一ブラックマーケットに流出すれば、国家のインフラ管理を完全に無効化する。

 

「これは……」

 御堂経産大臣が、震える声で呟いた。

「エネルギーの民主化という美辞麗句で飾れる代物ではありません。……これは、国家というシステムによる電力網管理の完全な崩壊です」

 

「軍事的にも最悪です」

 霧島防衛大臣が、青ざめた顔で続く。

「どこにでも持ち運べる無限の電源。軍事基地、潜水艦、無人兵器、長期間稼働し続ける自律型ドローン……。既存の兵器体系と兵站の概念が、すべて根底から覆ります」

 

「やめてください」

 日下部が、胃を押さえながら呻いた。

「胃が痛くなる単語を、これ以上並べないでください」

 

「現段階では、開示されたのはあくまで『理論の外枠』と『安全プロトコルの一部』のみです。具体的な設計図や製造工程が判明したわけではありません」

 榛名が、少しでも不安を和らげようと急いで付け加える。

 

「アンノウン機関としては、これをどう扱うつもりですか?」

 矢崎総理が、決断を迫る。

 

「極めて危険性が高いため、『三段階封印管理』を提案しています」

 

 ◇

 

 榛名が提示した管理案は、技術を世に出すためのものではなく、世から完全に隠し通すための厳重な鎖であった。

 

【CF系列技術の三段階管理案】

 

 第一段階:理論解析のみ(現在)

 ・アンノウン機関内部、および政府が指定した極一部の大学・研究機関のみで非公開研究を行う。

 ・実機の製造、およびプロトタイプの組み上げは法律で固く禁止する。

 ・あくまで、13m教育炉の理解を深めるための補助資料・理論モデルとしてのみ扱う。

 

 第二段階:隔離環境での最小実証(数年後想定)

 ・国内の政府指定施設のみで実施。オラクルの24時間監査を必須とする。

 ・防衛省、経産省、科学技術担当大臣の立ち会いを義務付ける。

 ・出力は極小レベルに制限し、外部電力網への接続はいかなる形でも禁止する。

 

 第三段階:産業応用の検討(時期未定)

 ・最短でも数年、あるいは十年単位で完全に封印する。

 ・民間開放は当面一切行わない。

 ・応用を検討する場合は、火星、宇宙探査拠点、深海施設、あるいは隔離された災害対応拠点など、地球の既存インフラを脅かさない『限定用途』からのみ開始する。

 

「……つまり、表には絶対に出さない、ということですね」

 矢崎総理が、安堵とも落胆ともつかない息を吐き出す。

 

「はい。13m級教育炉の存在だけでも、世界は今、地政学的にも経済的にも十分に混乱し、悲鳴を上げています。ここにCF系列を投下する必要性はどこにもありません」

 榛名が断言した。

 

「産業界や世界のエネルギー企業からすれば、その存在を知れば喉から手が出るほど欲しがるでしょうが……」

 御堂経産大臣が、口惜しそうに唇を噛む。

「今これを出せば、世界の電力網、資源外交、産油国の経済、そして軍事バランスが一気に不安定化し、戦争の火種になりかねない」

 

「火星のミッションには、使えるのではないですか?」

 日下部が、ふと技術の有効活用について尋ねる。

 

「使えます。理論上は、最高の電源になります」

 榛名が頷く。

「だからこそ、火星や月面といった宇宙拠点用の『限定電源』として先行検討する価値があります」

 

「火星という完全に孤立した環境で使うなら、地球上の電力会社や産油国を直接殺さずに済みますね」

 矢崎総理が、政治的ハレーションを回避する道筋を見出す。

 

「ええ。地球で使う前に、火星や宇宙拠点で“人類の遠隔地電源”として数十年の実績を積ませる。それが、一番政治的にも社会的にも安全なランディング(着地)です」

 御堂も、その方針に全面的に賛同した。

 

 ◇

 

「最後に、医療技術の実装進捗です」

 重いエネルギー問題の後に、綾瀬厚労大臣が口を開いた。

「こちらも、命に直結する重い課題が山積していますが、着実に前進しています」

 

【人工臓器・人工肝臓】

 ・一時埋め込み型人工肝臓の治験準備が進行中。

 ・重症肝不全患者を優先するが、既存の移植待機リストとの整合性が問題となっている。

 ・国内患者を絶対優先とし、海外の富裕層からの「裏口での治験参加圧力」は完全にシャットアウトしている。

 ・保険適用範囲は未定であり、現在は大学病院、厚労省、アンノウン機関の共同管理下でのみ実施。

 

「これは、間違いなく命を救える技術です」

 綾瀬大臣の目には、強い責任感が宿っていた。

「しかし、治験の枠は限られている。我々は、順番待ちをしている命を、この技術という新しいカードで並べ替えることになります」

 

「そこを間違えれば、不公平感から医療不信が爆発し、暴動が起きます」

 矢崎総理が、政治の冷酷さを指摘する。

 

「はい。医学的な重症度と適合性のみを基準とし、絶対に金や政治的地位で順番が左右されないシステムを死守します」

 

【人工義足・義手】

 ・国内の評価試験を順次拡大中。

 ・事故、災害、戦傷、病気で四肢を失った患者が対象。

 ・健常者の強化目的(エンハンスメント)への転用は法律で固く禁止。

 ・パラリンピックなどのスポーツ競技での使用は、不公平を招くため当面禁止。

 ・自衛隊での使用は、戦傷からの回復および社会復帰目的に厳格に限定。

 ・アメリカ、イギリス、フランスへの限定的な貸与プログラムが進行中。

 ・EU全体への提供は、技術流出リスクを鑑みて引き続き保留中。

 ・イギリスは『バンドエイドMK3』の適切な運用実績があるため、信頼枠として優先対応。

 

「兵士強化への転用の兆しはありませんか?」

 霧島防衛大臣が、軍の暴走を警戒して問う。

 

「現時点では確認されていません。禁止プロトコルは機能しています」

 綾瀬大臣が答える。

 

「防衛省内にも、あるいは他国の軍内部にも、“使いたがる者”は必ず出ます。現場は常に、より強い力を求めるものですから」

 霧島が、軍人としての本音を吐露する。

 

「なら、今ここで改めて明確に線を引きます」

 矢崎総理が、冷たく、だが慈愛に満ちた声で宣言した。

「人工義肢は、失われた機能と『人間としての尊厳』を取り戻すための技術です。人間を兵器にするための技術ではありません。この一線は、いかなる安全保障上の理由があろうとも越えさせません」

 

「その一文、国内向けの方針文書の冒頭に入れましょう」

 日下部が、総理の言葉を官僚の武器として記録した。

 

 ◇

 

「では、本日の膨大な案件を仕分けし、政府としての最終方針を確定させます」

 矢崎総理が、円卓の全員を力強く見回した。

 

「フルダイブ技術。

 アンノウン機関クラウドによる中央管理体制を継続します。東京ゲームショウ2031に向けて、安全性を担保したFD−1、FD−2を中心に開発を支援。高刺激なFD−3、FD−4は、特区と医療監視付きの厳格な条件でのみ検討。中国の独自サーバー要求は断固拒否し、EUには倫理監査枠のみを与え、コア技術は絶対に渡しません」

 

「火星開発。

 火星長期滞在実証拠点は、米日主導の国際枠組みで継続します。日本人宇宙飛行士は必ず参加させますが、国籍による不毛な争いを避けるため、安全プロトコル管理という『任務役割枠』で整理し、調整を図ります。“コロニー”という呼称は公式には一切使用しません」

 

「核融合炉技術。

 13m級教育炉は、現行の国際共同検証を慎重に進めます。しかし、CF系列……いわゆる常温核融合炉相当技術は、絶対に表には出しません。当面はアンノウン機関内での理論解析のみに留め、将来的な火星や宇宙拠点用の『限定電源』としてのみ、先行して検討します」

 

「医療技術。

 人工臓器の治験は国内患者を絶対優先とし、命の順番を金で買わせることは許しません。人工義肢は医療・福祉目的に限定し、健常者強化および兵士強化への転用は法で禁止。英米仏への限定貸与は継続しますが、EU全体への拡大は引き続き保留とします」

 

 総理は、一気にそこまで言い切り、深く息を吸い込んだ。

 

「……どれも、人類にとっては間違いなく前進です。

 ですが、前進するたびに、足元の崖がどんどん近づき、深くなっているのを感じます」

 

「ですので、我々が全力で手すりを作っております」

 日下部が、疲弊しきった顔で淡々と応じた。

 

「お願いします。落ちる時は、日本だけでなく、人類ごと落ちることになりますから」

 矢崎総理は、自らと彼らに言い聞かせるように呟いた。

 

 ◇

 

 会議が終了し、分厚い扉のロックが解除される。

 閣僚たちが、それぞれに抱えきれないほどの重い課題を背負って、無言で退室していく。

 

 誰もいなくなった特別情報分析室で、日下部は一人、重い資料の束をパタンと閉じた。

 その瞬間、部屋の隅に控えていたオラクル義体が、音もなく近づき、銀色のトレイに乗せた水と胃薬をサッと差し出した。

 

「……ありがとうございます」

 日下部は、もはや驚くこともなく、それを受け取った。

 

「日下部参事官の胃粘膜の保護は、アンノウン機関の業務継続上、極めて有用かつ不可欠な要件です」

 オラクルが、事務的な声で言う。

 

「私という人間として心配されているわけではないのですね」

 日下部が、水で薬を飲み込みながら皮肉っぽく返す。

 

「否定はしません」

 

「そこは否定してほしかったのですが」

 

 二人のやり取りを聞いて、残っていた矢崎総理が少しだけ声を立てて笑った。

 

「フルダイブが世界中で管理下に入り、少しは片付いたと思ったら。……次は赤い星の領土争いと、地上の太陽の隠蔽、そして人工臓器の命の順番決めですか」

 総理は、天井を見上げてため息をつく。

 

「はい」

 日下部が、無表情のまま応じる。

「夢の世界をどうにか制御したと思ったら、現実の赤い星と、人間の肉体と、世界の電力網がそっくりそのまま残っていました」

 

「では、順番に片付けましょう」

 矢崎総理が、再び気力を振り絞るように立ち上がった。

 

「順番に片付くような量ではありませんが」

 日下部が、絶望的な事実を口にする。

 

 日本政府は、世界の夢(フルダイブ)をクラウドの中に閉じ込めることに、ひとまずは成功した。

 少なくとも、今のところは。

 

 だが、夢を閉じ込めた扉のすぐ外では、すでに別の重い扉が次々と開こうとしていた。

 赤い星へ向かう、欲望の扉。

 地上に太陽を灯す、破壊の扉。

 失われた臓器と手足を取り戻す、奇跡と倫理の扉。

 

 どれも、人類が長年待ち望んだ希望の光だった。

 そして、どれも一歩間違えれば、世界を簡単に焼き尽くす爆弾でもあった。

 

 官邸地下の冷たい会議室で、日下部は空になったグラスを置き、静かに呟いた。

 

「……ジャミングオン、継続ですね」

 

 その言葉に、オラクルは穏やかに頷き、冷徹なシステム音声で返答した。

 

「肯定します。

 ……次の議題に、備えてください」

 

 




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