自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~ 作:パラレル・ゲーマー
アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン。
NASAジョンソン宇宙センターの深奥部に設けられたその部屋は、表向きは『有人火星長期滞在実証ミッション・合同選抜室』という無味乾燥なプレートが掲げられていた。
だが、分厚い防音扉に閉ざされた室内を満たしているのは、最新鋭の空調が発する微かな駆動音と、息が詰まるほどの重苦しい緊張感だった。
巨大なメインスクリーンには、何万、何十万という人間の顔写真とプロファイルデータが無数に分割され、滝のようにスクロールし続けている。
NASA、SpaceX、JAXA、欧州宇宙機関(ESA)、ロシアのロスコスモス、中国国家航天局など、各国の宇宙機関が威信をかけて推薦してきたエリートたち。それに加え、パックス・ファンドの余波で盛り上がった一般枠……巨万の富を背景に席を要求する大富豪、影響力を誇示する世界的インフルエンサー、さらには「火星でラーメン屋を開きたい」と真顔で申請してきた日本人や、「何もできませんが未来を見たいです」という熱意だけで枠を埋める無数の一般市民のデータまでが、同じ画面上にひしめき合っている。
NASAの選抜責任者であり、自身も元宇宙飛行士であるミッションディレクター、アメリア・ロスは、その玉石混交のリストを見つめながら、こめかみを強く押さえた。
「……この名簿を『人類の夢の結晶』と呼ぶには、いささか雑音が過ぎるわね」
アメリアの冷ややかな声が、部屋の沈黙を破った。
円卓の反対側に座るSpaceXのCEO、レオナード・グレイは、いつものように不敵な笑みを浮かべて肩をすくめた。
「雑音と呼ぶべきじゃない。これは熱だ。人類という種が、本能レベルであの赤い星の土を踏みたがっているという、何よりの証明じゃないか」
「熱だけでは、火星で酸素を作ることはできないわ、レオナード」
アメリアは鋭い視線を投げ返す。
「私は今、詩的な表現を探しているわけではないの。あの死の環境で、確実に機械を動かし、パニックにならず、生きて帰ってくる人間を選ばなければならないのよ」
「分かっているさ」
レオナードは少しだけ表情を引き締め、両手をテーブルの上で組んだ。
「だからこそ、今日は夢ではなく、極めて泥臭い現実の話をしようじゃないか」
会議室には、アメリアとレオナードの他に、米国政府の代表者、医療チームのトップ、閉鎖環境の心理評価チーム、そして日本側から派遣されたJAXAの代表・三嶋玲奈と、『特殊生命維持安全プロトコル担当官』という肩書きで同席しているアンノウン機関系の技術者が同席していた。
これは単なる宇宙飛行士の選考会ではない。
人類史上初となる「火星居住者」を決定する、政治と技術と命が複雑に絡み合った極限の椅子取りゲームの始まりだった。
◇
「最初のチームは、人類の象徴でなければならない」
レオナードが、まずは自らの理想を語り始めた。
「アメリカ、日本、ロシア、中国。主要な宇宙開発国は当然として、そこにインドやEU、できれば資金を出している中東の代表も加えたい。人類が国境を越えて、一つの種として火星へ向かうというメッセージが絶対に必要なんだ」
そのロマン溢れる提案を、アメリアが氷のような声で一刀両断する。
「人数をむやみに増やせば、どうなるか分かっているはずよ。消費する酸素、水、食料。緊急帰還モジュールのキャパシティ。そして何より、閉鎖環境下における人間関係の摩擦(心理ストレス)。……人数が増えるごとに、生存の確率は指数関数的に低下していくわ」
アメリアは、レオナードの目を真っ直ぐに見据えた。
「火星は、人類の和をアピールして記念写真を撮るための場所ではないの。そこは、小さなミス一つで全員が死ぬ、冷酷な現場よ。第一陣を政治的な式典の飾りにするつもりなら、私はこのプロジェクトを降りるわ」
会議室の空気が、さらに一段階冷え込んだ。
レオナードは少しだけ不満げに眉をひそめた。
「だが、各国の政治的な思惑を完全に無視することはできないだろう。彼らも予算を出し、技術を出している」
「政治的配慮で不適格な人間を乗せ、結果として火星の地表で彼らが全滅した場合……」
そこで、沈黙を守っていたJAXA代表の三嶋玲奈が、静かな、だが通る声で口を開いた。
「その時点で、人類の火星開発という政治的命題そのものが終わります」
レオナードが三嶋の方を向く。
彼女は、かつて宇宙飛行士候補生として訓練を受け、現在はJAXAの火星安全プロトコル担当として日本のアンノウン技術を運用する立場にある。日下部のような官僚の冷徹さとは違う、現場の技術者としての厳しさを持っていた。
「第一陣の目的は、赤い星に国旗を立てて万歳をすることではありません。我々が構築する『火星長期滞在実証拠点』の生命維持システムが、本当に長期間、人間を生かし続けることができるのかを確認することです」
三嶋の言葉には、一片の幻想も含まれていない。
レオナードは小さく息を吐き、両手を上げた。
「……降参だ。君たち現場の人間の意見を尊重しよう。政治より生存を優先する。人数は最小限に絞ろう」
「第一陣は、六名とします」
アメリアが即座に宣言した。
「これ以上は絶対に増やしません。これが安全マージンの限界です」
◇
「六名か。火星という新しい世界に最初に降り立つのが、たった六人の人類とはな」
レオナードが感慨深げに呟く。
「最初だからこそ、六人なのです」
三嶋は冷徹に返し、手元のタブレットを操作してメインスクリーンに新たな資料を投影した。
「日本政府からの提案です。……この六名の選抜は、各国の『国籍枠』として割り当てるのではなく、厳格に『任務役割枠』として整理すべきです」
「賛成よ」
アメリアが深く頷く。
「各国はそれで納得すると思うか?」
レオナードが、背後にうごめく各国の政治的圧力を懸念して問う。
「納得はしないでしょう。ですが、国籍という名目で政治闘争をするよりは、役割というロジックで跳ね返す方がはるかに説得が可能です」
三嶋は、画面に六つのポストを表示した。
【第一陣・必須役割枠】
一、ミッションコマンダー(全体指揮)
二、生命維持・安全プロトコル担当
三、閉鎖環境運用・長期滞在維持担当
四、建設・機械系運用担当
五、医療・生理学・微生物管理担当
六、惑星科学・地質調査担当
「これが、火星で生き残り、拠点を稼働させるために最低限必要な機能のすべてです。この役割に最も合致する人間を、国籍のフィルターをかけずに評価する。……よろしいですね?」
三嶋の提案に、反対する者は誰もいなかった。
◇
「まず、第一の枠。ミッションコマンダーだ」
アメリアが、候補者の中から数名のデータをピックアップした。
空軍出身の輝かしい経歴を持つエースパイロット、数百万人のフォロワーを持つメディア人気抜群の宇宙飛行士、そして学術的な発見に特化した著名な科学者など、アメリカが誇るスタープレイヤーたちが並ぶ。
SpaceX側は、当然のようにメディア映えする英雄タイプの候補に色めき立った。
「火星に最初に降り立つリーダーだ。彼の第一声は、ニール・アームストロングに匹敵する歴史的な言葉になる。世界中が憧れるようなカリスマ性が必要だ」
レオナードが熱を込めて語る。
だが、アメリアは迷うことなく、一人の地味な経歴の男のデータを中央に引き出した。
『エリック・ヘイル』。
NASA所属。月軌道ミッションの経験があり、軍出身ではあるが派手な武勲はない。国際クルーをまとめた経験は豊富だが、表舞台に立つことを好まない裏方気質の男だ。
「彼でいきます」
アメリアが断言する。
「エリック? 優秀なのは認めるが……あまりにも地味すぎないか? 彼にはヒーローのオーラがない」
レオナードが不満を漏らす。
「だからこそ、彼が適任なのよ」
アメリアは、過去に行った数々の過酷なシミュレーションのログを展開した。
「生命維持系の突発的なエラー。地球との致命的な通信遅延。多国籍クルー間での手順の対立。さらには医療的な緊急事態……。これらすべてのパニックシチュエーションにおいて、エリックの声は、録音と間違えるほどに『一定のトーン』を保ち続けていたわ」
アメリアは、レオナードを真っ直ぐに見返した。
「火星の極限環境において、カメラ映えする勇ましい演説など一円の価値もありません。必要なのは、クルーがパニックに陥った時、最も低く、落ち着いた声で全員を黙らせ、次の手順を指示できる男よ。……それに、あなたの急な思いつきの暴走にも、一番冷静にツッコミを入れられるのは彼だけでしょう?」
レオナードは苦笑いし、軽く両手を挙げた。
「……参ったな。反論できない」
決定。
【ミッションコマンダー:エリック・ヘイル(アメリカ)】
◇
「次は、我々日本政府が絶対に譲れない枠です」
三嶋が、声のトーンを一段階下げて言った。
「生命維持・安全プロトコル担当」
モニターに、一人の日本人男性のデータが映し出された。
『瀬尾航平(せお・こうへい)』。JAXA所属の宇宙飛行士。
彼は元戦闘機乗りでもなければ、輝かしい科学的発見をした学者でもない。機械工学とシステム運用、そして閉鎖環境における生命維持装置の保守に特化した、いわば「宇宙のインフラ屋」であった。
「我々が提供する人工重力モジュール、放射線遮蔽フィルム、そして閉鎖循環型生命維持装置。これらはすべて、アンノウン機関による極めて特殊なブラックボックス技術を含んでいます」
三嶋が説明する。
「彼は、アンノウン機関が提供する『制限版技術研修』を完全に修了しています。現地の安全プロトコルを運用し、オラクル監査ログを読み解けるのは、彼をおいて他にいません」
NASA側の技術者が、少し懐疑的な目を向けた。
「しかし、彼自身もその『ブラックボックスの中核』までは理解していないのだろう? 万が一、火星でシステムがブラックアウトした場合、彼は本当に対応できるのか?」
「中核は見えません。ですが、ブラックボックスが『どういう挙動を示した時に、どう対処すべきか』という異常時判断の手順は、彼の肉体に叩き込まれています」
三嶋は、一本のシミュレーション映像を再生した。
映像の中で、酸素循環が停止し、人工重力が低下し、放射線警報が鳴り響くという多重トラブルのテスト環境下。
瀬尾は、顔色一つ変えずにコンソールに向かい、オラクルの補助を意図的に切られた状態でも、淡々と手動でバルブを切り替え、システムの再起動プロセスを進行させていた。
見事な手際だった。だが、NASAの技術者たちを最も驚かせたのは、テスト終了後に彼が放った一言だった。
『……この手順書、現場でパニックになった時に読むには長すぎますね。緊急事態用に、視覚的に三十秒で判断できる簡略版に書き換えるべきです』
映像が終わり、三嶋が少しだけ誇らしげに笑った。
「極限のテスト直後に、自分の命の心配ではなく、マニュアルのUI(ユーザーインターフェース)の悪さに文句を言えた。……彼なら、あのシステムを任せられます」
レオナードが感心したように口笛を吹く。
「なるほど。彼は火星基地の“日本語で書かれた心臓部”を読み解ける、ただ一人の通訳というわけだ」
「比喩としては少し不正確ですが、方向性としては合っています」
三嶋が同意した。
決定。
【生命維持・安全プロトコル担当:瀬尾航平(日本)】
◇
「第三の枠、閉鎖環境運用担当だ」
アメリアが進行する。
「ここは、実績から見てロシアの候補者が本命になるわね」
モニターに映し出されたのは、『アナスタシア・ヴォルコワ』。
ロスコスモス(ロシア国営宇宙開発企業)所属。極地の長期観測基地での勤務経験や、モスクワの地下施設で行われた過酷な三十日間の閉鎖環境実験をトップの成績でクリアした女性だ。
「彼女の経歴は申し分ない。通信遅延、極端な食料制限、水再生ユニットの意図的なトラブル、さらには仕込みのクルー間の対立というストレス環境下において……彼女の心理データは、不気味なほどに平坦なままだったわ」
アメリアが、畏怖を込めて評価する。
「彼女は、ストレスを感じていないのか?」
レオナードが不思議そうに問う。
「ロシア側の担当官によれば、『ストレスは感じているが、それを表に出す必要がないと合理的に判断しているだけだ』とのことよ」
「……それは、ある意味で怖いな」
NASAの心理士が、人間味のなさに懸念を示す。
「ですが、火星という逃げ場のない空間では、その『怖さ』が必要になる局面が必ず来ます」
三嶋がロシア候補を強く推した。
「徹底した資源の節約。クルーの生活リズムの強制的な維持。パニックを嫌い、無駄な会話を切り捨てる冷徹さ。……彼女は火星で最初に、『無駄なエネルギーを使うな』と全員を叱り飛ばす役割を担ってくれるでしょう」
「必要だな。夢見がちな連中のお目付役としては最高だ」
レオナードも納得した。
決定。
【閉鎖環境運用・長期滞在維持担当:アナスタシア・ヴォルコワ(ロシア)】
◇
「次は第四の枠、建設・機械系運用担当」
アメリアの顔が、少しだけ曇る。
「ここは……技術的評価と政治的リスクが最も衝突している枠よ」
表示されたのは、中国の有人宇宙計画出身のエンジニア、『劉天宇(リウ・ティエンユー)』のデータだった。
「中国は、初期メンバーから自国が排除されることを絶対に許容しない。もし彼らを外せば、火星計画全体に対する強烈な地政学的火種となるわ」
アメリアが、重い現実を口にする。
「だが、政治的な妥協で選んだわけではないだろう?」
レオナードがデータを見つめながら言う。
「ええ。悔しいけれど、彼の技術評価は圧倒的よ。軌道上の建設モジュールでの長期運用経験、自動施工ロボットとの連携指揮。特にロボットアームの操作技術は、一種の芸術の域に達しているわ」
SpaceXの技術者も同意する。
「機械に対する『勘』が良すぎます。火星の砂埃で駆動系がイカれた時、限られた予備パーツで即座に応急修理をやってのけるのは、間違いなく彼です」
だが、三嶋が極めて冷たい声で条件を提示した。
「彼に無人建設ロボットの統括を任せることには、日本としても賛成します。……ただし、彼には、日本製生命維持中核システムへのアクセス権限は一切与えません」
「必要最低限の、外部インターフェースの操作権限だけにする、と?」
アメリアが確認する。
「はい。彼はあくまで建設と修理のプロとして火星に行きます。システムの根幹に触れる権限は持たせません」
三嶋の言葉には、中国によるアンノウン技術の窃取を絶対に防ぐという、国家の意志が込められていた。
「中国政府は烈火の如く怒るぞ」
レオナードが忠告する。
「怒るでしょうね。ですが、彼だけを特別扱いするわけではありません。他の国のクルーにも、中核へのアクセス権は渡さない。それなら筋は通ります」
三嶋は一歩も引かなかった。
決定。
【建設・機械系運用担当:劉天宇(中国)】
◇
「さて。これで四枠が埋まったわ」
アメリアが、大きく息を吐き出した。
「残るは二枠。……医療・生理学担当と、惑星科学・地質調査担当。ここからが、各国による本当の『泥沼の椅子取りゲーム』の始まりよ」
メインスクリーンに、強烈な圧力をかけてきている国と組織のリストが並ぶ。
インド、EU、イギリス、サウジアラビア。
彼らは皆、「第一陣に我が国の人間が乗っていなければ、国内世論が黙っていない」と猛烈な外交ロビー活動を展開していた。
「まず、医療枠だ」
レオナードが、候補者の一人を指差した。
「インドが強く推薦してきている、アーシャ・ラマン。彼女の経歴は完璧だ」
アーシャ・ラマン。若き医師でありながら、惑星生物学者としての顔も持つ。
「閉鎖環境における人体反応の医学的知見はもちろん、未知の微生物管理、そして『惑星保護プロトコル』に関する研究で、彼女の右に出る者はいないわね」
アメリアも、彼女の能力を高く評価する。
「第一陣には、単なる怪我を治すだけの外科医ではなく、火星という環境そのものが人体にどう影響を与えるかを分析できる人間が絶対に必要です」
三嶋が強く支持する。「さらに、政治的な観点からも、人口大国であるインドの代表を人類初の火星チームに加えることは、ミッションの正当性を大きく高めます」
「文句なしだ」
決定。
【医療・生理学・微生物管理担当:アーシャ・ラマン(インド)】
◇
「そして、最後の第六枠。惑星科学・地質調査担当」
アメリアの顔が、さらに険しくなる。
「ここが一番の激戦区よ」
候補として残っているのは、アメリカの火星地質専門家、日本の資源調査スペシャリスト、そしてEU(欧州宇宙機関・ESA)が推薦するベテラン宇宙飛行士。
「アメリカ人をもう一人入れたい」
レオナードが、SpaceXのトップとしてのエゴを覗かせる。
「NASAが推す地質学者は世界最高だ。このミッションの大部分を我々が担っているのだから、二枠取る権利はあるはずだ」
だが、三嶋が冷徹にそれを切って捨てる。
「アメリカが二枠を取れば、国際的な調整は間違いなく破綻します。『やはりアメリカによる火星の私物化だ』という批判が噴出し、協力体制が崩れます。日本としても、これ以上自国の枠を増やすつもりはありません」
「……分かっている」
アメリアは、三嶋の意見を全面的に支持した。
「レオナード、ここは政治のバランスを取るべきよ。EUからの候補者を受け入れるべきだわ」
「だが、EUは揉めているぞ」
レオナードが呆れたように言う。
「ドイツの工学者、フランスの地質学者、イタリアの医学者……。EUの内部で『誰を欧州の代表にするか』で足の引っ張り合いをしていて、候補者が一向に一本化されていないじゃないか。火星は、彼らの長い会議を待ってはくれない」
「ええ。ですから、我々が『役割』で指名して一本釣りします」
アメリアが、一人の男のデータを開いた。
『ルーカス・マイヤー』。ESA所属のドイツ系惑星地質学者。
「火星地質、サンプル採取、居住拠点周辺の地盤の安全評価、氷資源の調査。彼のスキルセットは、これから我々が火星にモジュールを降ろすにあたって必要不可欠なものばかりよ」
アメリアが強力に推薦する。
「政治的な火種にはならないか?」
「EUへの通達の仕方を工夫します」
三嶋が、官僚的な知恵を出す。
「『EU加盟国の代表』としてではなく、『ESA推薦枠の科学担当』として選出するのです。国を背負わせるのではなく、あくまで国際機関の科学者としての役割を強調すれば、EU内部の不満もある程度は抑え込めるはずです」
レオナードは少し考え、やがて頷いた。
「いいだろう。彼で決まりだ」
決定。
【惑星科学・地質調査担当:ルーカス・マイヤー(ESA)】
◇
メインスクリーンに、最終的な六人の顔写真と名前が並んだ。
【火星長期滞在実証ミッション・第一陣候補】
・エリック・ヘイル(米国)/ミッションコマンダー
・瀬尾航平(日本)/生命維持・安全プロトコル担当
・アナスタシア・ヴォルコワ(ロシア)/閉鎖環境運用担当
・劉天宇(中国)/建設・機械系運用担当
・アーシャ・ラマン(インド)/医療・生理学担当
・ルーカス・マイヤー(ESA)/惑星科学・地質調査担当
レオナードは、その画面を食い入るように見つめた。
様々な国籍、異なる背景、しかしそれぞれが火星で生き残るための明確な「牙」を持ったプロフェッショナルたち。
「……これが、人類最初の火星滞在チームか」
レオナードの声には、深い感慨がこもっていた。
「まだ仮決定です」
アメリアが、すぐに現実へと引き戻す。
「これから過酷な最終シミュレーション、長期間の医学評価、各国の政治承認、そして何より……彼ら『本人の最終同意』を得る必要があります」
「本人同意? 馬鹿な」
レオナードが鼻で笑う。
「人類の歴史に名を刻み、火星の大地を最初に踏めるんだぞ。これを断るような人間が、あのリストの中にいるはずがない」
三嶋が、冷たい声でレオナードのロマンを否定した。
「彼らには家族がいます。残りの寿命があります。そして、理にかなった『恐怖』があります。名誉という幻影だけで、人は死の星へは行けません」
その言葉に、レオナードは押し黙った。
火星は夢ではない。彼らがこれから向かうのは、人生のすべてを賭け、時には命を投げ出すことを前提とした「過酷な任務」なのだという事実を、三嶋は容赦なく突きつけていた。
◇
会議の後半は、第一陣の椅子取りゲームに敗れた国々に対する、泥臭い「役割の割り振り」と慰撫の作業だった。
イギリスからの「どうしても火星計画の根幹に食い込みたい」という強い要求に対しては、彼らが強みとする法制度と医療の知見を活かし、『火星法制度・医療安全委員会』の共同議長枠を提示した。
火星での事故時の責任所在、生命維持装置の運用規定、労働契約の法的根拠の整理。これらは第一陣のクルーではなく、地球側の専門家が担うべき重要課題である。イギリスは「一番乗り」を逃した不満を隠さなかったが、実利と権限を取れるこのポジションを渋々ながら受け入れた。
サウジアラビアからの「我々の資金力を無視するな」という圧力に対しては、第一陣の『地上支援施設の運営権』と、将来の居住モジュールにおける『内装・快適性研究プロジェクト』の主導権を渡すことで手を打った。
さらに、第二陣以降の候補者訓練施設への巨額の投資枠を確約することで、アブドゥル皇太子は「火星の未来都市建設への確かな一歩だ」と大いに満足し、矛を収めた。
EUには、ルーカス・マイヤーの選出で面子を保たせつつ、「あくまでESAの科学枠としての採用である」と念を押すことで、内部の政治的摩擦を最小限に抑え込んだ。
「……全員を満足させるのは、やはり無理だな」
各国の調整を終え、レオナードが疲れたように首を振る。
「火星のテラフォーミングより難しいかもしれませんね」
アメリアが、珍しく冗談めかして言った。
◇
数日後。
世界各地の訓練施設や研究所で、極秘裏に選出された六人の候補者たちに対し、第一陣への内定通達が行われた。
ヒューストンのNASA訓練施設。
エリック・ヘイルは、無機質な面談室でアメリアから直接通達を受けた。
彼は顔色一つ変えることなく、ただ静かに頷いた。
「……了解しました。妻と娘に話す時間をください」
その声は、シミュレーションの時と変わらず、極めて平坦で安定していた。
日本のJAXA筑波宇宙センター。
瀬尾航平は、アンノウン機関から提供された分厚い生命維持システムの手順書を読み込んでいる最中に、三嶋からの通達を受けた。
「……分かりました。ですが、このマニュアルのままでは火星で全滅します。出発までに、緊急時対応の簡略版をすべて私の頭の中で書き直します」
彼らしい、徹底した現場主義の反応だった。
ロシアの極寒の訓練施設。
アナスタシア・ヴォルコワは、雪中での低温サバイバル訓練を終えたばかりのところで担当官から報告を受けた。
「火星は、ここより寒いのか?」
「外は死ぬほど寒いが、モジュールの中は地球と同じだ」
「なら、ここより簡単だな」
彼女は、凍りついた息を吐きながら薄く笑った。
中国の宇宙建設シミュレーションセンター。
劉天宇は、少しだけ緊張した面持ちで通達書を受け取った。
「……私は政治家ではありません。ただ、火星で壊れた機械を直すために行きます」
その実直な言葉は、彼が純粋な技術者であることを証明していた。
インドの高度医療研究施設。
アーシャ・ラマンは、研究室で顕微鏡を覗き込んでいる最中に知らせを受けた。
彼女はしばらく沈黙し、白衣のポケットに手を突っ込んで呟いた。
「火星で私が最初に診る患者が、どうか誰もいないことを祈ります」
それは、最前線に立つ医師としての心からの願いだった。
ESAの火星模擬フィールド。
ルーカス・マイヤーは、地質サンプルの採取訓練中に歓喜の報告を受けた。
「ついに、本物の火星の土を踏めるのか……!」
だが、すぐに真顔に戻り、手元のハンマーを握り直す。
「いや、浮かれている場合じゃない。踏む前に、まずは居住モジュールを置くための地盤評価だ。気が遠くなる作業になるぞ」
◇
全ての通達が終わり、NASAの選抜室には再びアメリア、レオナード、そして三嶋の三人が集まっていた。
メインスクリーンには、六人の「火星第一陣」の顔写真が並んでいる。
「夢が、ついに具体的な名前になったな」
レオナードが、満足げに画面を見上げて呟いた。
「名前が並んだだけでは、まだ火星には行けませんよ」
アメリアが、いつものように冷や水を浴びせる。
「ここからは、彼ら六人を徹底的に鍛え上げ、生かして地球へ帰すための訓練が始まります」
三嶋が、言葉に強い力を込める。
「……帰す、か」
レオナードが、少しだけ不思議そうな顔をした。
「当然です」
アメリアが鋭く言う。
「彼らは片道切符の移民(コロニスト)ではありません。彼らは、我々の作った居住施設が本当に機能するかを命懸けで試しに行く、実証ミッションのパイオニアです」
「行って、機械を動かして、安全を確認して、そして全員で地球へ帰る。それができて初めて、人類は次に大勢の人を火星へ送ることができるのです」
三嶋が、このミッションの本当の意義を説いた。
レオナードは、少しだけ口角を上げ、静かに笑った。
「……分かっているさ。だが、それでも、これは人類にとっての偉大な最初の一歩だ」
「ええ。最初の一歩です。だからこそ、絶対に転ばせるわけにはいきません」
アメリアは、画面の中の六人の顔を、祈るような、そして彼らの命を預かる重圧に耐えるような目で見つめた。
火星へ行く六つの名前が、そこに並んでいた。
それは、各国の国旗を並べた一覧表ではない。人類が未踏の死の星で生き残るために厳選された、六つの「役割」の一覧だった。
指揮する者。
空気を守る者。
閉ざされた空間を保つ者。
壊れた機械を直す者。
人体を診る者。
赤い大地を読む者。
人類最初の火星長期滞在チームは、空想の中の英雄としてではなく、泥臭い「作業者」として選ばれた。
そしてそれこそが、人類が現実として火星に人間を送るということの、紛れもない証明であった。
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