自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~   作:パラレル・ゲーマー

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第193話 ヘイズ大統領、選挙年の火種を見る

 アメリカ合衆国、ワシントンD.C.。

 ホワイトハウスの大統領執務室(オーバルオフィス)は、夜の静寂に包まれていた。窓の外には闇に沈むローズガーデンが広がり、警備のシークレットサービスの姿が遠くに小さく見えるだけだ。

 

 だが、室内の空気は決して穏やかではなかった。

 壁面に設えられた大型モニターからは、ニュース専門チャンネルの討論番組の音声が、緊迫したトーンで流し続けられていた。

 

『——ご覧ください。アメリカ主導とされる今回の火星長期滞在実証ミッションですが、第一陣に選ばれたアメリカ人は、ミッションコマンダーのエリック・ヘイル氏ただ一人です。生命維持は日本、インフラ建設は中国、医療はインド、地質調査は欧州。……お聞きします。これは本当に、アメリカが主導していると言えるのでしょうか?』

 

 司会者の扇情的な問いかけに対し、分割された画面の枠内で保守系のコメンテーターが顔を紅潮させて反論する。

 

『ミッションコマンダーはアメリカ人です! 最終的な指揮権と現場の決定権を握っているのは我々アメリカなのですから、主導権を握っているのは疑いようがありません』

 

『ですが、問題の核心はそこではないでしょう』

 別の強硬派コメンテーターが、獲物の首根っこを噛みちぎるような勢いで畳み掛けた。

『火星という絶対的な死の環境において、我々のアメリカ人飛行士が呼吸する酸素、そして居住区の重力と放射線防護をコントロールする生命維持システムは、日本の技術です。さらに、その根幹は完全にブラックボックス化されており、我々NASAの技術者でさえ中身に触れることが許されていない。

 ……つまり、火星で我々のアメリカ人が明日も呼吸できるかどうかは、日本製のブラックボックスと、彼らの技術者のサジ加減一つに依存しているのです。これは国家の威信と安全保障上、極めて深刻な問題ではありませんか?』

 

 プツン、と。

 そこで画面が不意に暗転し、討論の熱は強制的に遮断された。

 

「……始まったわね」

 

 キャサリン・ヘイズ大統領は、手元のリモコンをデスクの上に放り投げ、深く、とても深く溜め息をついた。

 

 執務室にいるのは、彼女を含めて三人だけである。

 ソファに深く腰を下ろし、消えたモニターの残像を見つめながら楽しげに微笑んでいるタイタン・グループ総帥、ノア・マクドウェル。

 そして、その対面の席で、分厚い紙の資料を整然と並べているCIA長官、エレノア・バーンズだ。

 

「予想より少し早いですね」

 ノアが、カップのコーヒーを一口啜りながら軽やかな声で言った。

「火星第一陣のメンバーが発表されてから、まだ半日も経っていないというのに。もう“日本への過度な依存”という火種が、主要ネットワークのプライムタイムに乗りましたか」

 

「SNS上のトラフィック・アナリティクスによれば、すでに『火星の酸素を日本が握っている』というセンセーショナルな表現が、特定の政治的アルゴリズムに乗って爆発的に拡散しています」

 エレノアが、能面のような顔のまま、冷徹な分析結果を告げる。

「火星到達という人類史的な熱狂がひと段落し、世論は今、その熱を『誰が一番得をしたのか』という不毛な犯人探しと権力闘争へと変換し始めています」

 

 ヘイズは、両手でこめかみを強く揉みほぐした。

 

「火星に人を安全に送り届けることより、地上の泥沼の政治を管理することの方が、よっぽど面倒で難易度が高いわね……」

 

「大統領選挙とは、そういう競技ですから」

 ノアが、まるで他人事のように肩をすくめてみせた。

 

 ◇

 

 エレノアが、テーブルの中央に一枚のレポートを滑らせた。

 

「大統領。最新の全国世論調査の結果です。……支持率、七〇パーセント」

 

 ヘイズは、その数字を見て僅かに目を細め、露骨に嫌そうな顔をした。

 

「高すぎて、逆に気持ち悪いくらいね」

 

 近代のアメリカ政治において、現職大統領の支持率が七〇パーセントに乗るなど、異常事態である。国が二分され、些細なスキャンダルで足の引っ張り合いをするのが常のこの国で、この数字は圧倒的すぎた。

 

「歴代大統領級の数字ですよ」

 ノアが、皮肉めいた笑みを深める。

「政治番組や各紙のコラムでは、『ケネディ大統領に次ぐ歴代二位級の熱狂だ』などと騒がれています。我が国の輝かしいリーダーとして、歴史に名を残す準備はよろしいですか?」

 

「ケネディと並べられるのは勘弁してほしいわ。縁起が悪いにも程がある」

 ヘイズは、過去の悲劇を思い出し、冷たく吐き捨てた。

 

「そういう全く浮かれないところが、国民には『クリーンで頼れる指導者』というイメージに繋がっているのでは?」

 

 ノアの揶揄を無視し、エレノアが淡々と高支持率の背景要因を羅列していく。

 

「有権者が政権を支持している理由は明確です。

 大規模な軍事衝突を回避しつつ、ロシアに対する経済制裁の一部緩和と市場復帰プロセスを主導し、彼らをアメリカ主導の経済ルールへと軟着陸させた外交手腕。

 フルダイブ技術という新時代のプラットフォームにおいて、日本に次ぐ開発主導権と安全管理の枠組みを確保したこと。

 日米共同の次世代宇宙開発において、不可能とされていた火星到達を任期中に成し遂げたこと。

 気難しいEU諸国からも、強引すぎず柔軟な対話姿勢を持つ大統領として一定の評価を得ていること。

 そして国内においては、退役軍人向けの機能回復型人工義肢の無償提供プログラムが、超党派の圧倒的な支持を集めていること……」

 

 エレノアはそこで言葉を区切り、結論を述べた。

 

「現時点で、大統領の第二期の再選は、数字の上では『ほぼ確実』と見られています」

 

「……なら、今日のこの会議は、私の圧勝を祝うための楽しいお茶会なのかしら?」

 ヘイズが皮肉っぽく問いかけると、ノアは優雅に首を横に振った。

 

「残念ながら、大統領」

 ノアの青白い瞳が、楽しげな光を帯びて細められた。

「政治の世界においては、勝てる選挙ほど、相手は手持ちの泥をすべてかき集めて投げてくるものです。何としてでも引きずり下ろそうと、手段を選ばなくなりますからね」

 

「そして、今回の選挙戦における最大の『泥』は……我々が管理しているアンノウン技術そのものです」

 エレノアが、無慈悲な事実を突きつけた。

 

 ◇

 

 エレノアが新たな分厚い資料をデスクに提示する。そこには、アメリカ国内の各セクターから噴出しつつある、表には出ていない「生々しい不満」が分類されていた。

 

「現在、水面下で燻っている各方面からの要求と不満を整理しました」

 エレノアの氷のような声が、執務室に響く。

 

「まず、議会強硬派。

 彼らは『日本に対してもっと強く出るべきだ』と息巻いています。アンノウン技術を日本が独占している現状はアメリカの覇権に対する挑戦であり、完全な技術移転を要求すべきだと。特に、火星の生命維持システムを日本のブラックボックスに依存している点や、フルダイブの開発環境が日本のクラウドに握られている現状は、国家主権の放棄に等しいと糾弾する準備を進めています。……さらに、一部のタカ派は『核融合炉も教育用のデチューン版ではなく、完全な実用炉のコアデータを引き渡させるべきだ』と強硬な圧力をかけてきています」

 

 ヘイズは、頭痛を堪えるように目を閉じた。

 

「次に、研究機関や主要大学。

 彼らは知の探求心と名誉欲から暴走気味です。日本から派遣されている『オラクル義体』のハードウェア構造を学術的に研究(分解)させろという要求が絶えません。人工義肢の神経接続プロトコルを解析したい、人工臓器技術を共同研究という名目で開示させろ、フルダイブの神経同期システムの安全検証のために技術中核へのアクセス権を寄越せ……。要するに、ブラックボックスを開けさせろという要求の嵐です」

 

「軍および安全保障系。

 彼らの要求はより直接的で危険です。オラクル義体の戦場投入可能性の評価。人工義肢の技術を応用した兵士強化(エンハンスメント)の検討。フルダイブを用いた、痛覚や恐怖を完全に同期させたアメリカ独自の軍事訓練エミュレーターの運用権の要求。そして、火星用の重力制御技術を、地球上の軍事基地やミサイル防衛網へ応用するための研究許可です」

 

「最後に、巨大IT企業および産業界。

 彼らは『日本クラウド管理ではアメリカ企業の自由度が制限されすぎる』と不満を漏らしています。フルダイブ産業という次世代の巨大な富の源泉を日本に握られることへの強烈な警戒。オラクルの常時監査が自由な競争上の不利益になるという抗議。そして何より、日本側の設定した安全基準が、事実上の『世界標準(デファクトスタンダード)』になることへの恐怖です」

 

 エレノアが読み上げたリストは、アメリカという国家を構成する欲望の総カタログであった。

 

「……全部、言いたいことは分からなくはないのが、余計に腹立たしいわね」

 ヘイズは、忌々しげに息を吐き出した。

 

「ええ。全員が完全に間違っているわけではない。そこが民主主義の面倒なところです」

 ノアが、ワイングラスでも傾けるような優雅さで同意する。

「彼らは自らの立場において、極めて合理的に国益と利益を追求しているだけですからね」

 

「ですが、彼らの多くは、現在のアメリカと日本(アンノウン)との間の、致命的な力関係の非対称性を正しく認識していません」

 エレノアが、冷徹に切り捨てる。

 

「私が日本に強く言えば、あちらが折れて要求が通ると思っているのね?」

 ヘイズが問うと、エレノアは静かに頷いた。

 

「はい。自分たちが声を上げれば、大統領が圧力をかけ、日本が技術を差し出すと本気で信じています」

 

「昔の癖ですね」

 ノアが、皮肉たっぷりに笑った。

「世界最大の軍事力、最大の市場、最大の研究資本。冷戦終結後、ずっと世界に君臨してきたその絶対的な優越感のまま、“我々が庇護してきた同盟国の日本が持っている技術なのだから、アメリカが自由に使えて当然だ”と考えているのです」

 

「もし今、私が議会や軍の圧力に屈して、日本にそれを強要したらどうなるかしら?」

 

 ヘイズの問いに、エレノアは一秒の迷いもなく答えた。

 

「日本政府との信頼関係が完全に崩壊します。

 アンノウン機関は、即座にアメリカへのオラクルの派遣を停止し、フルダイブクラウドの接続権限を遮断し、退役軍人向けの人工義肢の供給をストップさせるでしょう。最悪の場合、我々は未来のテクノロジーへの『窓口』を永遠に失うことになります」

 

「つまり」

 ノアが楽しそうに付け加える。

「目の前で毎日少しずつ金の卵を産んでくれている鶏に向かって、『今すぐ腹の中にある卵を全部出せ』と要求して、鶏小屋ごと爆破するような、極めて短絡的な愚策だということです」

 

「……その例え、後の選挙戦で反対派の野党候補が実際に使ってきそうだからやめてちょうだい」

 ヘイズは、底知れぬ疲労感と共にデスクに突っ伏しそうになった。

 

 ◇

 

 ノアは、少し姿勢を正し、あえて悪びれることなく言った。

 

「実際、そういう理屈を本気で信じている人間は、ワシントンに山ほどいますよ」

 

「……聞きたくないけど、聞くわ。彼らはどう自分たちの強欲を正当化しているの?」

 ヘイズが、重い頭を上げてノアを睨む。

 

「アンノウンが日本という国から出てきたのは、そもそも戦後からアメリカが日本を軍事的に守り、自国の巨大な経済圏に組み込み、市場を開放し、最も緊密な同盟国として長年莫大な投資を行って支えてきたからだ。

 ……つまり、日本という安全で豊かな環境(インキュベーター)を長年育て上げたのは他でもないアメリカであり、その日本の土壌から『アンノウン』という金の卵が産まれたのなら、投資家たるアメリカにも当然、その技術の根本に対する圧倒的な取り分(配当)を要求する権利がある、と」

 

 その極めてアメリカ的で、傲慢極まりないジャイアンのような論理を聞かされ、ヘイズの表情は露骨に険しくなり、明確な嫌悪感に歪んだ。

 

「図々しい理屈です。ですが、資本主義的な比喩と覇権国家の論理を掛け合わせれば、そう考える者が多数出ても何らおかしくはありません」

 ノアは、他人の欲望を観察する学者のような口調で言った。

 

「……まず、日本を『我々の養鶏場』みたいに扱っているその前提の時点で、強烈な嫌悪感があるのだけど?」

 ヘイズは、怒りを込めて低く言った。

 

「でしょうね」

 ノアは涼しい顔で受け流す。

 

「日本は独立した主権国家よ。たとえ戦後の安全保障環境においてアメリカが強い影響力を持っていたとしても、それは日本という国や国民を『所有』しているという意味では決してないわ」

 ヘイズは、毅然とした態度で言い切った。

 

「その当たり前の認識を共有していない議員が、今の議会には一定数います」

 エレノアが、情報機関の調査結果として冷酷な事実を告げる。

 

「共有していないんじゃないわ。……自分たちの都合が悪いから、共有したくないだけでしょう」

 

「その可能性が高いです。人間は、自分の欲望を正当化するためなら、歴史の文脈すらいくらでも都合よく歪めますからね」

 エレノアの言葉に、ヘイズは椅子に深くもたれかかり、吐き捨てるように言った。

 

「日本は鶏じゃない。アンノウンは卵じゃない。そしてアメリカは、彼らを飼っている養鶏場の所有者じゃないわ」

 

 ノアが、小さく手を叩いて笑った。

「素晴らしい。次回の選挙演説で使えそうな、非常にクリーンで響きの良いフレーズですね」

 

「絶対に演説では使わないわよ。比喩の前提が最悪だもの」

 ヘイズは、ノアを鋭く睨みつけた。

 

 ◇

 

「大統領」

 エレノアが、次のファイルを開いた。

「一部の有力議員および民間団体、そして大学の評議会などから、極めて厄介な提案が水面下で出始めています」

 

「何?」

 

「『アンノウン本人を、国賓としてアメリカに直接招待すべきだ』という声です」

 

 ヘイズは、予想外の角度からの攻撃に、一瞬言葉を失った。

 

「……本人を? アメリカに?」

 

「はい」

 ノアが、その意図を解説する。

「表向きの名目は、『日米の友好の象徴』と『次世代テクノロジーにおける直接的な学術交流』です。ホワイトハウスでの歓迎晩餐会、連邦議会でのスピーチ、主要大学での名誉博士号の授与、そして米国のトップ企業との意見交換会。……我々アメリカは、彼に最高の敬意と栄誉を持って報いたい、という、とても美しく善良な建前ですね」

 

「……本音は?」

 ヘイズが、冷ややかに問う。

 

「アンノウン本人を、日本政府の隔離網から引き剥がし、アメリカ側の影響圏に直接取り込みたいのです」

 エレノアが、毒を包み隠さずに言った。

「日本政府(アンノウン機関)のフィルターを介さずに、本人と直接交渉したい。彼の思想をアメリカ寄りに誘導したい。……そして、可能であれば、最高水準の研究環境と莫大な資金を提示して、彼をそのままアメリカに長期間滞在(事実上の亡命・囲い込み)させたい。それが彼らの狙いです」

 

 ヘイズは、深く目を閉じた。

 

「……最悪ね」

 

「個人的には、ぜひお会いして、世界のルールを変えたことへの敬意と賛辞を直接お伝えしたいところですがね」

 ノアが、本心とも冗談ともつかない口調で微笑む。

 

 ヘイズは、ノアを鋭く指差した。

「あなたのその異常な好奇心で、ギリギリで保っている日米関係を爆破しないでちょうだい」

 

「そこまではしませんよ。私は節度のあるビジネスマンですから」

 ノアは両手を上げて降参のポーズをとる。

 

「日本政府を介さないアンノウンへの直接接触の試みは、極めて危険です」

 エレノアが、防諜の観点から強く警告する。

「そもそも、我々はアンノウン本人の性格、思想的背景、行動原理を十分に把握していません。彼がどのような条件で日本政府に協力しているのかも不明です」

 

「日本政府のあの優秀な参事官(日下部)でさえ、完全に制御できているわけではなく、彼のご機嫌を伺いながら必死に調整しているだけでしょうからね」

 ヘイズは、かつてのホットラインでのやり取りを思い出し、日本の同業者の苦労に深く同情した。

 

「ええ。その日本政府ですら制御しきれない相手に、アメリカの政治家や企業トップが無防備に直接会いたがる。……まさに、知らぬが仏の悪夢です」

 ノアが的確に評する。

 

「結論よ」

 ヘイズは決断を下した。

「アンノウン本人のアメリカ招待案は、当面すべてホワイトハウスの権限で却下(握り潰す)する。

 接触は、必ず日本政府(アンノウン機関)の公式窓口を経由すること。民間企業、議会議員、研究機関が、政府の許可なく独自に接触ルートを探ることは、国家安全保障上の理由で厳しく禁止しなさい」

 

 エレノアが、即座にタブレットに暗号化された指示を打ち込んだ。

 

 ◇

 

「次に、オラクル義体の件です」

 

 ヘイズが、次の資料に目を落として言った。

「これも厄介ね」

 

「はい。現在、アメリカ国内の複数の名門大学、AI研究所、ロボティクス企業、そしてDARPAなどの軍事研究機関から、オラクル義体に関する『学術研究目的での共同研究』の声明が相次いで出されています」

 エレノアが報告する。

 

「翻訳すると、“頼むから一度中身を開けさせて(分解させて)くれ”ということですね」

 ノアが分かりやすく言い換える。

 

「でしょうね」

 ヘイズはため息をついた。

 

「日本政府は、オラクルを単なる『物』や『機械』として扱うことを強く拒絶しています。彼女たちを『知性あるアンノウン機関の派遣職員』として扱うよう、我々にも明確なガイドラインを提示してきています。

 ……これを、我々の研究機関が『研究対象(モルモット)』として強引に扱おうとすれば、間違いなく外交問題化し、オラクルの引き上げという報復を招きます」

 エレノアが、法的・外交的リスクを説明する。

 

「ロボット扱いした瞬間に、日本側が怒るわけね」

 

「日本政府だけではありません」

 エレノアの顔が、さらに険しくなる。

「オラクル自身が、物理的、あるいはシステム的な防衛手段を用いて、明確に拒否するでしょう。彼女たちは、我々のハッキングを瞬時に無効化する権限と能力を持っています」

 

「そして、オラクルに研究を拒否された科学者たちは、“政府の不当な制約によって、アメリカの科学の自由が妨げられた!”とメディアで大騒ぎする。……目に見えるようだわ」

 ヘイズは、国内の有識者たちのヒステリックな反発を想像して頭を抱えた。

 

「本当に面倒ね」

 

「オラクルは、人類の研究対象としてはあまりにも魅力的すぎますからね」

 ノアが、科学者たちに同情するように言う。

「人間と区別がつかない完璧な義体、超高度なAI、瞬時の多言語対応、人間の行動予兆の検知、そしてフルダイブ環境の完全監査。……彼らがヨダレを垂らして目を輝かせるのも当然です。おもちゃ箱を開けたくて仕方がないのです」

 

「だからといって、知性ある存在を、我々の好奇心のために実験台にしていい権利はないわ」

 ヘイズは、倫理的にも外交的にも決して譲れない一線を引いた。

 

「大統領。オラクルに対する政府の公式見解を、どのように整えますか?」

 エレノアが方針を問う。

 

「『オラクルは機材ではない。アンノウン機関から派遣された高度な専門職員である』。その方針で声明を整えなさい。

 研究目的の分解やシステムへの無断アクセスは、外交使節への暴行と同等の重罪とみなす。……これで、いくらかの抑止にはなるはずよ」

 

「いいえ、それでも裏でコソコソと開けようとする愚か者は必ず出ます」

 エレノアが冷徹に予測する。

 

「その時は、日本にバレる前に、CIAが先に彼らを拘束しなさい」

 

「承知しました」

 

 ◇

 

「人工義肢と人工臓器についても、同様の圧力がかかっています」

 エレノアが次の資料を提示する。

 

「アメリカ国内の退役軍人団体は、アンノウン製人工義肢の支給枠の劇的な拡大を強く支持しており、議会にロビー活動をかけています。

 一部の研究機関は、神経接続技術の中核解析を求めています。

 軍の強硬派は、戦傷回復を超えた『健常兵士の強化転用』を未だに検討したがっています。

 医療機関や巨大バイオ企業は、一時埋め込み型人工肝臓の技術を『共同研究』という名目で開示させようとしています。

 製薬・医療機器業界は、日本主導で新しい医療市場のルールが形成されることを極度に警戒し、規制を強めるよう動いています。

 そして人権団体は、『誰がこの奇跡の治療を受けられるのか。富裕層だけではないのか』と、公平性の問題を常に追及してきます」

 

 ヘイズは、押し寄せる無数の欲望と倫理の衝突に、ただ黙って耳を傾けていた。

 

「退役軍人を再び自分の足で歩かせる技術を、止めるわけにはいかないわ。……でも、それを兵士の強化改造に変えるわけにもいかない」

 ヘイズが、大統領としての苦悩をポツリと漏らした。

 

「一番アメリカらしい、抗いがたい誘惑ですね」

 ノアが、人間の業を突く。

「これほど見事に治療ができるのなら、もっと出力を上げれば、最強の兵士が作れるのではないか。……力を持つ者は、必ずそう考えます」

 

「言わないで」

 ヘイズが、鋭い視線でノアを制した。

 

「すでに、軍の内部会議でそう言っている者は多数います」

 エレノアが、情け容赦なく現実を報告する。

 

「知ってるわ」

 ヘイズは深く溜め息をついた。

 

「人工義肢は、人間を戦場に戻すための技術ではない。失われた生活と尊厳を取り戻すための技術よ。……少なくとも、私の政権ではそう扱うわ」

 ヘイズは、自らの政治信条を強く宣言した。

 

「その言葉は、選挙戦のディベートで使えますね」

 ノアが、政治コンサルタントのような口調で評価する。

 

「使って頂戴。これは選挙用のアピールでもあるわ」

 ヘイズは、自分の倫理観すらも政治の道具として使いこなす覚悟を決めていた。

 

 ◇

 

 そして、会議室の空気が、これまでにないほど重く、暗く沈んだ。

 最大の地雷の時間がやってきたのだ。

 

「……大統領」

 エレノアが、最も分厚く、厳重なロックがかけられたファイルを手元に引き寄せた。

 

「大統領選挙が近づくと、色々なものが漏れ出すわね。情報漏洩が本当に怖いわ」

 ヘイズは、自分からその話題を切り出した。

 

「最も危険なのは、アレですね」

 ノアが、天井を指差すような仕草をした。

「日本の、軌道上大型施設に関する情報です」

 

「世間がもし知れば、“日本の宇宙要塞”と呼びそうな、あの巨大質量の件ね」

 ヘイズが、確認するように言う。

 

「はい。我々アメリカ政府として、その存在を衛星データで確実に認知しているという事実。……これがもし外部に漏れれば、選挙戦の波乱どころの騒ぎではありません」

 エレノアの顔に、明確な危機感が浮かんでいる。

 

「漏洩時の、メディアの想定見出しはどうなる?」

 ヘイズが問う。

 

 エレノアは、最悪のシナリオを読み上げた。

 

『日本、地球軌道上に未確認の軍事要塞を保有か』

『ホワイトハウスは数ヶ月前から把握。なぜ議会と国民に隠蔽したのか』

『火星共同計画の裏に、日本の宇宙軍事拠点の影。大統領の同盟政策に重大な疑義』

 

「……全部、私の政権を木っ端微塵にするための、最悪の燃料になるわね」

 ヘイズは、その見出しの破壊力を想像し、乾いた笑いを漏らした。

 

「実態が何であれ、見出しだけで大炎上します。真実を説明しようにも、日本政府が沈黙すれば、我々は完全に『嘘つき』か『無能』の烙印を押されます」

 ノアが、大衆心理の残酷さを語る。

 

「はい。さらに、議会は特別公聴会を要求します。軍は詳細な脅威評価を求め、強硬な対応を迫ります。同盟国は『なぜ我々に教えなかった』と説明を求めます。敵対国である中国やロシアは、これを奇貨として日本を激しく非難し、国際的な緊張が爆発します。

 ……そして、日本政府は沈黙を維持するでしょうが、その沈黙自体が、疑惑をさらに増幅させる最悪の連鎖を生みます」

 エレノアが、情報漏洩後のドミノ倒しのような崩壊プロセスを説明した。

 

「絶対に、漏らせない」

 ヘイズは、机を強く叩いた。

 

「ただ、情報は『存在する』というだけで、必ず漏洩のリスクになります」

 ノアが、情報の本質を突く。

「完全に消し去ることはできません」

 

「だから、共有範囲をさらに極限まで絞る?」

 ヘイズが、エレノアを見る。

 

「はい。選挙期間中は、該当情報(重力異常データ等)へのアクセスログ監視を、最高レベルに引き上げます。議会向けのいかなるブリーフィング資料、国防総省の予算報告書からも、完全に除外します。この部屋にいる数名以外、誰もその情報に触れられない状態を作ります」

 エレノアが、強権的な情報統制を宣言する。

 

「やって」

 ヘイズは、迷いなく承認した。

 

 ◇

 

「次は、すでに一部が公になりかけている、フルダイブクラウド管理についてです」

 エレノアが、次の議題へ移る。

 

「フルダイブの開発環境が日本のクラウドに完全管理されている件については、完全な秘匿は困難です。すでにロックスター系を含む複数の民間企業が開発に入っている以上、いずれ彼らの口から表に出ます」

 

「というより、もう半分出ていますね」

 ノアが笑う。

「開発者という生き物は、自分たちが見た素晴らしい技術を、自慢したくてたまらないものですから」

 

「困った子供みたいに言わないで」

 ヘイズが顔をしかめる。

 

「実際、神の開発環境を見たゲーム開発者たちは、大体そういう反応になります」

 ノアは楽しそうに言った。

 

「彼らが喋り出す前に、我々政府としての『公式な説明ライン』を構築する必要があります」

 エレノアが、世論対策を促す。

 

 ヘイズは、ホワイトボードにマーカーで方針を書き出した。

 

【使うべき表現】

 ・「日本による支配」ではなく、「国際安全基準に基づく共通管理環境」である。

 ・神経接続技術の危険性を抑えるための「安全クラウド」である。

 ・ユーザーの権利と精神的安全を守るための「監査」である。

 ・各国企業の知的財産(ゲーム内容)は完全に保護される。

 ・米国企業は日本に従属しているのではなく、最も厳格な国際安全基準に「進んで参加している」のだ。

 ・アメリカは、日本に次ぐフルダイブ開発の主導国である。

 

【絶対に避けるべき表現】

 ・「日本が管理している」

 ・「日本が検閲している」

 ・「日本の許可がないとゲームが開発できない」

 ・「ユーザーの脳データが日本に渡る」

 ・「アンノウン機関が米国企業を監視している」

 

「事実と嘘の間で、嘘にならない絶妙な言葉を探す作業ね」

 ヘイズが、書き終えたリストを見つめて自嘲した。

 

「はい」

 エレノアが頷く。

 

「政治広報の、最も美しい本質ですね」

 ノアが、称賛するように言う。

 

「あなた、時々本当に嫌なことを楽しそうに言うわね」

 ヘイズが睨む。

 

「職業病ですから」

 ノアは、涼しい顔で返した。

 

 ◇

 

 すべての報告が終わり、会議の最終盤。

 ヘイズ大統領は、姿勢を正し、二人の側近を真っ直ぐに見据えた。

 

「私は、二期目に出るわ」

 

 その宣言は、静かだが、絶対的な重みを持っていた。

 

「当然ですね」

 ノアが微笑む。

 

「戦略上も、現在の路線を継続することが、国家として最も安定します」

 エレノアが、客観的な事実として支持する。

 

「でも、ただ勝つだけでは駄目よ」

 ヘイズは、言葉に熱を込めた。

「勝った後の四年で、日本との関係を、今の『個人の信頼』から、強固な『制度』へと完全に移行させないといけない」

 

 ヘイズは、日本のカウンターパートの顔を思い浮かべた。

「カオル(矢崎総理)が日本の首相でいる間に、できるだけ深いところまで制度化したいの。……人間同士の信頼は大事だけど、それだけだと、どちらかの政権が変わった時に、全てが崩れ去ってしまう」

 

「『日米アンノウン技術管理協定』ですね」

 ノアが、その構想に名前をつける。

 

「はい」

 エレノアが、必要な法制化のリストを挙げる。

「フルダイブ安全基準の統合、火星生命維持技術の運用ルール、人工義肢・人工臓器の倫理規定、核融合炉の共同実証枠組み、オラクル派遣の法的地位、そして情報共有範囲。……最低でもそれらを、国家間の文書として確定させる必要があります」

 

「議会に出せる文書と、絶対に出せない文書があるわね」

 ヘイズが、政治の現実を指摘する。

 

「二層構造にするべきです」

 エレノアが即答する。

「表向きの『公開協定』と、最高機密に属する『非公開実務覚書』です」

 

「綺麗な看板と、汚れた配管ですね」

 ノアが、またしても的確で嫌な比喩を使う。

 

「その例えは、嫌いじゃないわ」

 ヘイズは、少しだけ笑って同意した。

 

 ◇

 

「では、本日の対応方針をまとめます」

 エレノアが、決定事項をシステムに入力する。

 

 1.ヘイズ大統領は正式に再選出馬する。

 ・火星到達、フルダイブ、退役軍人支援を成果としてアピールする。

 ・ただし、アンノウン技術を過度に煽り立てることはしない。

 ・日本との協調を「未来の同盟」として語る。

 ・日本への依存ではなく、「日米主導の安全管理体制」と表現する。

 

 2.アンノウン本人への直接接触要求はすべて拒否。

 ・接触は日本政府経由のみ。

 ・議員・企業・大学による独自接触は禁止。日米友好イベントの名目でも不可。

 

 3.オラクル義体は研究対象ではなく派遣職員として扱う。

 ・分解・解析要求は断固拒否。共同運用・業務評価は可。

 ・人格・知性ある存在としての扱いを徹底。

 

 4.人工義肢・人工臓器は医療目的に限定。

 ・退役軍人支援は拡大。強化兵士化への転用は禁止。

 ・医療研究は日本側承認範囲のみ。解析目的の持ち出しは禁止。

 

 5.フルダイブクラウドは安全基盤として説明。

 ・検閲ではなく「安全監査」。

 ・脳データ保護を明文化。国際監査委員会の設置を検討。米国企業の知財保護を強調。

 

 6.日本の軌道上大型施設(宇宙要塞)情報は完全封印。

 ・選挙期間中、アクセスログ監視を最高レベルへ強化。

 ・議会向け資料から完全に除外。漏洩時対応文書は作成するが、存在確認はしない。関連職員の接触監視を強化。

 

 ヘイズは、そのリストを見つめ、深く息を吸い込んだ。

 

「勝つために、国民に嘘はつかない。……でも、世界を壊す情報を、全部馬鹿正直に話すつもりもないわ」

 

「妥当な判断です」

 エレノアが、冷徹に肯定する。

 

「アメリカ大統領らしい、見事な綱渡りですね」

 ノアが、称賛の意を込めて言う。

 

 ◇

 

 会議が終わり、ノアとエレノアが席を立ち、退室しようと扉に向かった。

 だが、ノアがふと足を止め、振り返った。

 

「大統領。ひとつだけ」

 

「なに?」

 ヘイズが、怪訝そうに顔を上げる。

 

「アンノウン本人に会う案は、却下で構いません。……ただ、いつか本当に会う時が来たら、私も同席させてください」

 ノアの青白い瞳が、純粋な好奇心で輝いていた。

 

「まだ言うの?」

 ヘイズは呆れたように首を振った。

 

「世界をこれほどまでに変えた人物に、直接敬意を伝える機会は貴重ですからね」

 

 ヘイズは、少しだけ苦笑して言った。

 

「……考えておくわ。

 日本政府が許可して、カオル(矢崎総理)が許可して、アンノウン本人が嫌がらなくて、……そして何より、私の胃がそれに耐えられたらね」

 

「条件が多いですね」

 ノアが笑う。

 

「現実的には、不可能に近い条件です」

 エレノアが、氷のような声で即座に切り捨てる。

 

「それは残念です」

 ノアは、本当に残念そうに肩をすくめ、エレノアと共に退出していった。

 

 分厚い扉が閉まり、執務室に一人残されたヘイズは、窓の外を見た。

 ホワイトハウスの敷地の外では、すでに選挙年の喧騒が始まりつつある。

 支持率七〇パーセント。再選はほぼ確実。

 だが、彼女の机の上には、勝利の美酒よりも遥かに重く、危険な資料が積まれている。

 

 火星。フルダイブ。オラクル。人工義肢。人工臓器。核融合炉。日本の軌道上大型施設。アンノウン。

 

 ヘイズは、小さく呟いた。

 

「……勝てる選挙ほど、世界を壊せる火種が多いなんてね」

 

 そして、消したはずのテレビの黒いモニターに視線を戻す。

 そこには、自分の顔が微かに反射して映っていた。

 クリーンで、柔軟で、戦争を避け、見事に未来を掴んだ大統領の顔。

 その顔が、これから一年、世界で最も危険な秘密を抱え込んだまま、笑顔で再選を目指すのだ。

 

 キャサリン・ヘイズの再選は、ほぼ確実と見られていた。

 だが、選挙とは勝敗の数字だけでできているものではない。

 演説があり、暴露のリスクがあり、大衆の怒りがあり、陰謀論が渦巻き、誰かの野心が火を噴く。

 そして今、そのすべての足元に、アンノウン由来技術という、一瞬で世界を吹き飛ばす火薬が山のように積まれていた。

 

 火星へ向かう人類の壮大な夢は、地上の泥まみれの選挙戦の中で、少しずつ政治の言葉に変換されようとしていた。

 

 それこそが、ヘイズ大統領が静かに見つめる、選挙年の最も恐ろしい火種であった。

 




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