自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~ 作:パラレル・ゲーマー
漆黒の宇宙空間を音もなく滑るように進む超巨大都市艦『ヤタガラス』。その艦内の深部に位置する「地球側深宇宙観測区画」は、他の居住エリアや生産プラントの活気ある空気とは完全に切り離された、冷ややかで静謐な空間だった。
無機質な暗色で統一された管制室の壁面には、超高精細なホログラムディスプレイが何層にも重なって展開され、太陽系外縁部からさらに外側、三百光年の彼方までの広大な宙域データがリアルタイムで投影されている。
その空間の中央に置かれた司令席で、工藤創一はだらりとした姿勢で背もたれに寄りかかり、宙に浮かぶ光のパネルを指先で弾いていた。
彼の傍らには、いつものようにタイトスカートのスーツ姿をした工場管理AI、イヴのホログラムが静かに佇んでいる。
「マスター。先日発見された地球近傍の人工天体群に関する初期解析が完了しました」
イヴの感情の欠片もない合成音声が、観測区画の静寂を破った。
「おっ、どうだった?」
工藤は、コーヒーを片手に気楽な声で応じた。
「観測対象群の中から、最も脅威度が低く、かつ情報的価値が高いと推測される目標を選定しました」
イヴの周囲の空間が歪み、一つの巨大な構造物の映像が浮かび上がった。
「対象人工天体は『中継ステーション』と呼称される施設跡と推定されます」
空中に投影されたそれは、まるで巨大な車輪のような環状構造をしていた。地球の人工衛星などとは比較にならないスケールだが、明らかに放棄されて久しいことが見て取れる。外壁は宇宙の塵に叩かれてくすみ、かつて稼働していたであろう光源のほとんどは失われていた。
「現在のステーションは、極めて低い出力での休眠維持モードで稼働中です」
イヴが淡々と報告を続ける。
「外部への能動的な通信は一切確認されず、防衛兵器や自律防衛機構の起動反応もありません。生体反応、熱源反応ともにゼロ。構造材には経年劣化が見られますが、主要な居住・保管区画の気密は辛うじて維持されています。……総じて、観測対象群の中では最低レベルの危険度と判定します」
「ほら、安全そうじゃないですか」
工藤は、振り返って管制室の入り口付近に立っている男に得意げに笑いかけた。
そこに立っていたのは、内閣官房参事官の日下部である。
彼の顔色は、この数日間の絶え間ない激務と、地球で巻き起こっているフルダイブ狂騒曲の対応によって、見事なまでに土気色に染まっていた。彼は、指先でこめかみを強く揉みほぐしながら、工藤の楽観論を氷のような声で切り捨てた。
「……工藤さん。『星間文明が残した正体不明の廃墟ステーションとしては比較的安全』という宇宙基準の評価を、地球の安全基準に持ち込まないでください」
「いやいや、直接本体で行くわけじゃないですよ? 遠隔義体を使いますし、ヤタガラスから無人探査艇を飛ばして、そこから接続するだけです。もし何か危ないことがあったら、即座に通信を切断して探査艇ごと自爆させればいいんですから」
工藤は、手元の端末を操作しながらあっけらかんと言い放つ。
「そういう、どうとでも逃げられる抜け道を探すのをやめていただきたいのですがね」
日下部は深い溜め息を吐いた。
「でも、これは遠隔義体の長距離同期テストの実証にもなりますよ?」
工藤が、官僚が最も弱いいかにもな『大義名分』を口にする。
「……それを言われると弱いのが、最高に嫌ですね」
日下部は、自分の胃がまた一つ重くなるのを感じた。
国家の安全保障を担う実務責任者として、地球のすぐ傍にある星間文明の遺跡を放置しておくわけにはいかない。そこから得られる情報は、今後の防衛戦略を構築する上で不可欠だ。だが、未知の施設に不用意に触れて、眠っている防衛システムや未知のウイルスを呼び起こすリスクもまた、計り知れない。
「許可はします」
日下部は、厳しい条件を突きつけるように指を立てた。
「ただし、いくつかの絶対条件を遵守していただきます。工藤さん本人の本体は行かない。私も行きません。あくまで遠隔義体のみ。通信は無人探査艇を経由し、探査艇はいつでも即時切断・自壊可能な状態を保つこと。ステーション内部に少しでも生体反応や異常なエネルギー反応があれば、その場で即撤退。稼働しているAIが高度な自律判断を示した場合、接触は会話のみに留める。内部の物体の持ち帰り禁止。ステーション中枢への強制接続禁止。管理者権限の奪取も禁止。……ナノマシンの投入は、公開情報を読み取るための最低限の物理的接触に限定します」
息継ぎもせずに羅列された制限事項の数々に、工藤は「うわぁ」と少しだけ顔をしかめた。
「要するに、工藤さん。今回は『ちょっと外から覗いて、案内板を見るだけ』です。本当に、見るだけです」
日下部が、念を押すように鋭く睨みつける。
「分かってますよ、見るだけですね」
工藤は、軽く肩をすくめて了承した。
「……その返事が世界一信用できないので、私も義体で同行します」
日下部は、ネクタイを少しだけ緩めながら言った。
「え、日下部さんも来るんですか? 地球の仕事で忙しいのに」
「あなたを一人で廃墟に行かせた場合、私が一時間ほど目を離した隙に、そのステーションが日本国の所有物に登記されている可能性がありますからね」
日下部は、過去のこの男のやらかしを思い出し、一切の油断を見せずに言った。
「そんなことしませんよ」
「……買えそうだったら、検討しますよね?」
日下部が、工藤の眼の奥にある『工場長』としての拡張欲求を正確に射抜く。
「……まあ、宇宙ステーションですし? 居抜き物件みたいなもんだし?」
工藤は、少しだけ視線を泳がせた。
「ほら」
日下部は冷たく吐き捨てた。
「義体の同期準備をお願いします。長居はしません」
◇
ヤタガラスのカタパルトから、一機の小型無人探査艇が漆黒の宇宙へと音もなく射出された。
アンノウンの超高速推進技術によって、探査艇は文字通り光の尾を引いて星系外縁部へと跳躍し、指定された座標へと到達した。
探査艇の内部に格納されていた二体の遠隔義体が、静かに起動する。
視覚情報が接続され、日下部と工藤の意識が、ヤタガラスの管制室から遠く離れた探査艇へと同期した。
「同期安定。遅延なし」
工藤義体が、自身の掌を開閉しながら確認する。
「こちらも問題ありません。……さて、見えてきましたね」
日下部義体は、探査艇のモニター越しに前方に浮かぶ巨大な構造物を見据えた。
それは、想像以上に壮大なスケールの遺跡だった。
古代の神殿や石造りの遺跡という地球的なロマンのある姿ではない。純粋に実用性を追求して建造された、巨大な宇宙港の廃墟だ。
直径数十キロメートルにも及ぶであろう巨大な環状構造物が、虚空に力なく浮かんでいる。かつては無数の星間貨物船が列をなして行き交ったであろう広大なドックには、静止したままの巨大な荷揚げ用クレーンのアームが虚しく伸びている。
輸送コンテナを振り分けるための物流レーンは完全に停止し、闇の中に消えゆく誘導灯の明滅だけが、この施設がかろうじて生きていることを示していた。
外壁には、どのような技術で投影されていたのか、巨大なホログラム広告のパネルが設置されていた痕跡があるが、今はノイズまみれの乱れた光を微かに明滅させているだけだ。
「おお……宇宙ステーションだ」
工藤が、純粋な感嘆の声を漏らした。
「SFゲームの最初のダンジョンみたいで、めちゃくちゃロマンありますね」
「廃墟ですね」
日下部は、感傷を一切交えずに冷徹に評価した。
「維持管理が放棄されてから、かなりの時間が経過しているように見えます。ロマンを感じている場合ではありません、安全確認が先です」
日下部の指示を受け、探査艇のセンサー群がステーション全体をなめるようにスキャンしていく。
『外部防衛反応、なし。自律兵器の起動シーケンス、確認されず。生命反応、ゼロ。……極めて微弱な低出力AIの反応を、中央管理区画の一部で検知しました。対象は、ステーションの生命維持や防衛を担う中枢AIではなく、単なる案内・管理用のサブシステムと推定されます』
イヴの報告が、二人の義体の聴覚回路に直接届けられた。
「生命反応なし、ですか」
日下部は、その報告を聞いて、少しだけ声のトーンを落とした。
「完全に無人ですね」
工藤が、モニターを覗き込みながら同意する。
「ええ。無人、です」
日下部は、目の前の巨大な構造物を見つめながら、その言葉が持つ本当の重さを噛み締めていた。
これほどの巨大なインフラが、誰もいないまま宇宙空間に放置されている。戦争で破壊された痕跡はない。だが、かつてここに満ちていたはずの活気は、文字通り跡形もなく消え去っているのだ。
「ドックのゲートが一つ、半開きのまま固定されているようです。あそこから侵入しましょう」
工藤の操作により、無人探査艇は微速前進で巨大な環状構造物の内部へと滑り込んでいった。
◇
探査艇がドックの床に着艦し、ハッチが開く。
工藤と日下部の義体が、音もなくステーションの内部へと降り立った。
空気は存在していたが、生命維持装置が最低出力でしか稼働していないためか、薄く冷え切っていた。人工重力も地球の六割程度にまで低下しており、歩幅を合わせるのに少しだけ慣れが必要だった。
二人が薄暗いコンコースを歩き始めると、彼らの侵入を感知したのか、通路の頭上に設置されていた古いホログラムプロジェクターが、ジジッ……というノイズと共に不規則な明滅を始めた。
そこには、地球の言語とは全く異なる、幾何学的な模様の羅列のような文字が浮かび上がっている。
だが、工藤の義体に組み込まれた『万能翻訳機』が即座にそのパターンを解析し、二人の視界の端に日本語のテキストとしてオーバーレイ表示させた。
『ようこそ、ヴェクター交易圏・第七辺境中継ステーションへ』
『現在、当ステーションは営業縮小モードで稼働中です』
『新規入居企業様向け、倉庫利用料初年度三〇%割引キャンペーン実施中!』
『銀河中心航路への移転相談も、当窓口にて承っております』
そのあまりにも所帯染みた、地球のショッピングモールや貸しオフィスの広告と何ら変わらない翻訳テキストを見て、工藤は思わず吹き出した。
「広告?」
「広告ですね」
日下部も、少しだけ毒気を抜かれたような顔で同意した。
「星間文明の遺跡を命がけで探検しに来たら、最初に出迎えてくれたのが『倉庫割引キャンペーン』のホログラムって……。なんか、急に親近感が湧いてきましたよ」
工藤は、物珍しそうに周囲を見回しながら少し浮かれた声を出した。
「宇宙も結局は商売と物流で動いていた、ということでしょう。彼らも我々と同じように、損得勘定で生きていた知性体だという証明です」
日下部は、決して油断することなく周囲を警戒しながら歩を進める。
通路を進むにつれ、万能翻訳機が次々と壁面の古い看板や案内板を翻訳していく。
『低温貨物倉庫エリア』
『高重力種族対応ラウンジ(現在閉鎖中)』
『水棲種族用休憩区画』
『貨物保険・免責申請受付』
『越境取引・関税相談窓口』
『航路契約更新手続き』
『辺境撤退支援パッケージ受付中』
『不採算拠点整理・買収相談』
『銀河中心方面移転サポート』
「なんか急に、宇宙の行政書士事務所か、不景気な雑居ビルみたいになってきましたね」
工藤が、次々と現れる生々しい文字列を見ながら苦笑する。
「商業文明のインフラ施設ですからね。夢や魔法ではなく、契約と契約書で出来ている空間なのでしょう」
日下部は、冷静に案内板の情報を分析していく。
前半の「ラウンジ」や「倉庫」といった言葉は、かつてここが多種族が行き交う繁華な交易拠点であったことを示している。
だが、日下部の目は、後半に並ぶ言葉の羅列に強い不穏さを感じ取っていた。
『撤退』『不採算』『移転』『整理』。
「……明らかに、店を畳む準備をしていた痕跡ですね」
日下部が、低く呟いた。
「ですね。夜逃げっていうより、計画倒産というか、綺麗に撤収作業をしてから出て行った感じです」
工藤も、工場のラインを解体したことのある者の視点で、施設の残骸を評価した。
◇
二人は、ステーションの中央に位置すると思われる、広大なドーム状の案内ホールへと辿り着いた。
そこには、かつて総合受付として機能していたであろう巨大な円形のコンソールデスクが鎮座していた。
「端末は……かろうじて生きてますね。でも、外部とのネットワークは物理的に切断されているし、システム自体もかなり劣化してます」
工藤は、コンソールの表面に手をかざし、義体のセンサーを通じて内部のデータ構造をスキャンした。
「ログは読めますか?」
日下部が尋ねる。
「このままじゃ無理ですね。規格が古すぎるし、一部のデータが破損してます。……万能ハッキングナノマシンを、最低出力で流し込んで復旧させます」
工藤が、義体の指先から目に見えない微細なナノマシンの群れを放出する準備を始めた。
「その名前、どうにかなりませんか。響きが最悪です」
日下部が、心底嫌そうに眉をひそめた。
「じゃあ、『異種情報基盤適応型ナノ解析ユニット』で」
工藤が、即座にもっともらしい官僚的な名前をでっち上げる。
「本質は1ミリも変わっていませんがね」
日下部は溜め息をついた。
「約束通り、管理者権限は絶対に奪わないでくださいよ。我々はあくまで『外から来た一般の来訪者』として、公開されている案内データだけを読み取るんです」
「分かってますって。壊れた公開端末のプロトコルをこっちの言語に翻訳して、来訪者権限で読める範囲のインデックスを復旧するだけです。中枢のセキュリティには一切触れません」
工藤はそう言いながら、ナノマシンを端末の物理ポートと思われる窪みへと浸透させた。
「その“だけ”が信用できないので、あなたの行う全工程のログを私の方でリアルタイム記録します」
日下部は、自らの義体のインターフェースを開き、工藤の作業を厳しい目で監視し始めた。
ナノマシンが、数世紀もの間眠っていた端末の物理接点の酸化を修復し、失われた通信規格のプロトコルを地球の概念へと強制的に変換していく。
わずか数秒後。
コンソールの表面が、淡い緑色の光を放って再起動した。
『臨時来訪者登録を確認しました』
端末のスピーカーから、万能翻訳機を経由した平坦な合成音声が響く。
『当ステーションの利用目的を選択してください』
空中に、五つのホログラムメニューが表示された。
一、貨物取引
二、給油・補給
三、移転相談
四、辺境撤退支援
五、観光
「お、観光がありますね」
工藤が、少し嬉しそうに指を伸ばしかけた。
「選びません」
日下部が、即座にその手を物理的に掴んで止めた。
「えー、でも一番無難じゃないですか? 調査っていう項目がないですし」
「我々は観光客ではありません。観光を選択すれば、不必要なエンターテインメント・プロトコルが起動して、余計なトラブルを引き起こす可能性があります」
日下部は、イヴのシステムに思考で指示を送った。
「イヴさん、相手のシステムを刺激しないよう、『臨時設備点検』に最も近い意味合いの項目を生成して、ゲスト権限で入力してください」
『承知しました。施設保全用の一時アクセス権限として偽装要求を送信します』
イヴの処理により、端末のメニューに新たな項目が追加され、自動で選択された。
『臨時設備点検として登録しました。公開区画のログ、および一般案内データへのアクセスを許可します』
端末が受理し、ホールの中心に設置されていた巨大なホログラム・プロジェクターが、ジーッという鈍い駆動音とともに起動した。
◇
ホログラムが空間に結像し、一人の『受付AI』の姿が浮かび上がった。
特定の種族の姿を模したものではなく、多様な星間種族の誰に対しても威圧感や不快感を与えないよう、幾何学的な光の集合体として抽象化されたデザインだった。
ただし、映像の解像度は著しく低下しており、時折ザラッとしたノイズが走っては、音声がわずかに途切れる。
『ようこそ、ヴェクター交易圏・第七辺境中継ステーションへ』
受付AIは、完璧な定型文で挨拶をした。
『現在、当ステーションは営業縮小モードで稼働中です。新規のご契約をご希望ですか?』
「まだ営業してるんだ……」
工藤が、その健気なAIの姿に少しだけ驚きの声を上げた。
「誰もメンテナンスに来ないまま、プログラムされた自動応答だけを延々と繰り返しているのでしょう」
日下部が、感情を交えずに分析する。
受付AIは、二人の会話に反応することなく、用意されたメニューを読み上げ続ける。
『訂正。営業機能は一部のみ稼働中です。現在ご利用可能なサービスは、倉庫の短期利用、撤退支援の手続き、銀河中心方面への移転相談、および長期休眠資産の管理契約のみとなっております』
「本当に、営業してるんですね」
工藤は、感心したように言う。
「契約しないでくださいよ」
日下部が、横から冷たく釘を刺す。
『……買収相談を、ご希望ですか?』
不意に、受付AIがノイズ混じりの声で、全く別の提案をしてきた。
「買えるんですか? ここ」
工藤の目が、工場長としての本能でキラリと光った。
「買いません。絶対に買いません」
日下部が、即座に工藤の視線を物理的に遮った。
『当ステーションは、現在“長期休眠資産”として登録されております。一定以上の信用保証と、恒久的な管理能力を提示された場合、ステーション全体の譲渡交渉は可能です』
受付AIは、虚空に向かって熱心に営業を続ける。
「日下部さん、宇宙ステーションですよ? 居抜きで買えるみたいですよ?」
工藤が、隣で小声で囁く。
「その『ちょっとコンビニで物件買ってきた』みたいな言い方で、国家予算は動きませんし、我々が勝手に地球外の不動産を取得すれば、国際法も宇宙条約も完全に崩壊します。諦めてください」
日下部は、胃薬の箱を幻視しながら、断固として拒絶した。
どこかコミカルなやり取りではあったが、受付AIのその事務的で抑揚のない声と、誰もいない広大なホールに虚しく響く「営業トーク」の対比は、逆にこの場所が完全に死に絶えているという事実を、冷酷なまでに際立たせていた。
◇
「ふざけるのはこれくらいにして、目的の情報を引き出しましょう」
日下部が、表情を引き締めてコンソールに向き直る。
「工藤さん、この『ヴェクター交易圏』という文明の、公開されている沿革ログを見せてください。機密契約には絶対に触れないでくださいよ」
「分かってます」
工藤は、端末を操作し、公開されている歴史と概要のデータを引きずり出した。万能翻訳機が、それを地球の概念へと再構築していく。
明らかになった『ヴェクター交易圏』の姿は、地球の人間が想像するような「星間帝国」や「宇宙連邦」とは、全く異なる性質のものだった。
「なるほど……」
工藤が、翻訳されたテキストを読み上げながら感心したように頷く。
「彼らは、特定の種族が支配する『国家』じゃないんですね。物流、保険、金融、そして星間航路の管理と契約の仲裁を中核にした、巨大な『企業連合』そのものが文明になったような存在だ」
「領土の支配よりも、航路の支配。軍事的な侵略よりも、市場へのアクセス権とインフラの提供で星々を結びつけていたわけですか」
日下部が、その合理的な統治システムを評価する。
「武力で星を焼くより、関税と物流網で締め上げる方が、はるかに効率的に他文明を支配できる。極めて高度に発達した『宇宙資本主義』ですね」
「肯定します」
イヴのホログラムが補足する。
「ヴェクター交易圏は、単一の母星を持たず、複数の星系にまたがる物流・金融・契約のインフラ網そのものを『文明圏』として定義づけていたと推定されます。このステーションも、その巨大なネットワークの末端に位置する出先機関の一つに過ぎません」
「国家ではなく、インフラと契約で広がる文明、ですか」
日下部は、皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「地球の巨大多国籍IT企業が、そのまま星間規模にまで成長したら、こんな姿になるのかもしれませんね。ある意味、武力による帝国よりもよっぽど恐ろしく、そして現実的です」
「地球にもありそうで怖いですね」
工藤も、苦笑いしながら同意した。
◇
「では、なぜ彼らはここからいなくなったのでしょうか」
日下部が、最大の疑問を口にする。
「これほどの巨大な施設を建造しておきながら、完全に無人になっている。……工藤さん、撤退の理由に関するログはありますか?」
「探してみます」
工藤が端末を叩き、受付AIの公開インデックスから『閉鎖・撤退に関する公式通知』のログを発見した。
ホログラムモニターに、無機質な業務連絡のテキストが表示される。
『第七辺境中継ステーションは、第三四半期・長期収益性評価において“優先度低”と判定されました』
『当該宙域における周辺文明の発展密度が、事前の想定値を大幅に下回っています』
『定期航路の利用量が、ステーション維持の採算基準に未達となりました』
『物流維持および保安コストが、期待される収益に対し過大であると判断されました』
『これに伴い、当エリアにおける主要な設備投資は、より活発な銀河中心航路へと移管されます』
『当該宙域は、将来の文明発展が見込めるまでの間、“成長待機エリア”として一時凍結します』
その身も蓋もない理由を読み終え、工藤は目を瞬かせた。
「……滅亡したわけじゃ、ないんですね」
「分かるのですか?」
日下部が問う。
「はい」
工藤は、壁面に残された撤退のプロセスを指差した。
「撤退のログが、あまりにも綺麗すぎます。緊急退避のパニックの跡が全くない。保険処理も完全に終わっているし、倉庫の荷物も整理されている。未回収の資産は少し残ってますけど、全部『放棄リスト』にきちんと登録されてから置いていかれてる。
もし、戦争で敵に攻め込まれたり、未知のウイルスや事故で逃げ出したなら、絶対にこんな綺麗な終わり方はしません」
「計画的撤退、ということですね」
「はい。純粋に『儲からないから店を畳んだ』だけです。地球近傍のこの辺りの宇宙は、ヴェクター交易圏にとって、ただの不採算地域だったんですよ」
日下部は、その圧倒的に冷徹でビジネスライクな理由に、小さく息を吐き出した。
「星間文明にまで到達して、結局やることは『地方支店の不採算撤退』ですか。スケールが大きいのか小さいのか、よく分かりませんね」
「でも、だからこそ地球は見つからずに済んだのかもしれませんよ」
工藤が、地球の幸運を指摘する。
「この辺りの宇宙は、市場としても航路としても、彼らにとっては魅力が低かった。だから、本格的な探査もされず、放置(成長待機エリア扱い)された。……もしここが儲かる激戦区だったら、人類はもっと早く、彼らの『市場』に強引に組み込まれていたかもしれません」
「幸運なのか、それとも宇宙の辺境の田舎者扱いされて悲しいのか、判断に困りますね」
日下部は、複雑な表情で呟いた。
◇
「さて、ここからが一番重要なところです」
工藤は、端末の操作を続けながら言った。
「このステーション、不採算になる前は、ちゃんと商売してたはずですよね。誰を相手に取引していたのか、公開されている取引先ログのインデックスだけ復元してみます」
「機密契約には絶対に触れないでくださいね」
日下部が、再度厳重に釘を刺す。
「分かってます。公開情報の、相手の文明の登録名と、当時のステーション座標、最終取引時刻を見るだけです」
工藤の操作により、端末の画面に古い取引先のリストがズラリと表示された。
万能翻訳機が、彼らの言語を仮翻訳して表示していく。
『顧客文明群:SMN系統』
『顧客文明群:GRN系統』
『顧客文明群:ARK系統』
「おー……見れましたね」
工藤が、感心したように言う。
「少なくとも三つ、星間文明級の取引先がこの宙域に存在していたみたいです」
「星間文明級、ですか?」
日下部が確認する。
「はい。取引の項目に、定期航路の契約、大規模な重力燃料の補給、複数ステーション間での金融決済、それにFTL(超光速)対応の貨物タグの処理履歴があります。……惑星から出られない文明相手の取引じゃないです。相手も、普通に星と星を行き来するレベルの連中ですね」
「なるほど。内容は読めませんか?」
「詳細はロックされてます。公開情報で見えるのは、さっき言った文明の登録名、交易のカテゴリの大枠、そして彼らが活動していた『当時の主要ステーションの座標』くらいですね」
「それ以上は、絶対に掘らないでください」
日下部が、これ以上の深入りを止める。
「見ませんよ。……ただ、気になるのは、この座標です」
工藤は、リストに記載されていた三つの星間文明のステーション座標をコピーし、ヤタガラスが誇る『深宇宙スキャナー』の現在の観測データシステムへと転送した。
「じゃあ、この三つの文明が、今現在どうなっているか、ちょっと照合してみますね」
「慎重にお願いします」
日下部が、息を潜めて見守る。
「見るだけです」
工藤は、気楽な調子で検索ボタンを押した。
ヤタガラスの深宇宙スキャナーが、三百光年の範囲内で、入力された三つの座標に向けてパッシブスキャン(受動観測)のデータを照らし合わせる。
結果は、数秒で出た。
一つ目の座標。
——反応なし。
二つ目の座標。
——反応なし。
三つ目の座標。
——反応なし。
……。
工藤の顔から、いつもの飄々とした余裕がスッと消え去った。
「……あれ?」
「どうしました?」
日下部が、その異変に気づいて尋ねる。
「おかしいな……」
工藤は、義体の指で何度もコンソールを叩き直し、再スキャンをかけた。
結果は同じだった。
「何がですか、工藤さん」
日下部の声が、冷たく低くなる。
「この取引ログだと、三つとも間違いなく星間文明級の相手です。ステーションの明確な座標もある。ヴェクター交易圏が、彼らと定期航路を結んで、バリバリ商売をしていたんです」
工藤は、信じられないというようにモニターを指差した。
「……なのに、今現在の深宇宙スキャナーでは、この三つの座標のどこにも、活動中の星間文明の反応がありません。熱源も、通信波も、FTLの航行痕跡も、完全にゼロです」
静寂。
会議室ではない。ここは、地球から遥か離れた、絶対の虚無に浮かぶ廃ステーションの中だ。
遠隔義体を通して伝わってくる薄ら寒い空気の中で、工藤と日下部だけが、そのデータが意味する「圧倒的な重さ」に気がついていた。
「……つまり?」
日下部が、確認するように問う。
「撤退したのか、どこか別の銀河へ移住したのか、活動を停止して休眠しているのか……」
工藤は、最後に最も恐ろしい可能性を口にした。
「……あるいは、滅びたのか」
さっきまで「宇宙の行政書士事務所みたいだ」と笑っていた軽薄な空気が、一瞬にして凍りつき、吹き飛んだ。
日下部も、無言でモニターの「反応なし」という無機質な文字を見つめていた。
◇
「じゃ、じゃあ、この座標……次の旅行先が——」
工藤は、いつものように場の空気を軽くしようと、無理に明るい声を出しかけた。
「工藤さん」
日下部が、極めて静かに、しかし絶対的な重圧を込めてその言葉を遮った。
「……はい」
工藤が、言葉を飲み込む。
「旅行先ではありません」
日下部の声は、冷徹な官僚のものではなく、一つの文明の命運を背負う者としての厳粛な響きを持っていた。
「……分かってます」
「星間文明が、かつてそこにあった。他星系と取引をし、航路を維持し、ステーションを構え、そこで当たり前の日常を送っていた。……それが、今は何の反応もない。理由は分からない。滅亡かもしれない。撤退かもしれない。我々には検知できない形で眠っているだけかもしれない」
日下部は、工藤を真っ直ぐに見据えた。
「どれであっても、決して軽く扱ってよい話ではありません」
工藤は、珍しく一切の反論をせず、ただ静かに、真面目な顔で深く頷いた。
「……そうですね。すみません」
日下部は、視線を外し、広大な、しかし完全に死に絶えた案内ホールを再び見回した。
「我々は今、ただの廃墟の映像を見ているだけではありません。かつて誰かがここで暮らし、働き、笑い、交易し……未来を計算していた場所に立っているのです」
「……このステーションも、そうですね」
工藤が、ぽつりと言う。
「ええ」
二人の視線の先で、ホログラムのプロジェクターが、誰もいない空間に向けて空しく広告を流し続けている。
『辺境再開発キャンペーン実施中!』
『未来の市場は、あなたの投資を待っています』
誰の目にも触れないまま、何世紀も繰り返されてきたであろうその虚しいキャッチコピー。
「未来の市場、か」
工藤が、自嘲気味に呟く。
「その未来を待っていた者たちは、もうここにはいない」
日下部が、冷酷な現実で応じた。
◇
「今日は、ここまでです」
日下部が、撤収の決断を下した。
「はい。……三つの座標データだけ、持ち帰ります」
工藤は、それ以上のログを掘り返すことをやめ、端末から静かにデータを抽出した。
「調査候補として、ですね」
日下部が確認する。
「はい。調査候補です」
二人がシステムへのアクセスを切断し、ホールを去ろうとしたその時。
背後の受付AIが、ノイズ混じりの声で、最後のプログラムされた「営業」を行ってきた。
『ご来訪、ありがとうございました。
……追加の取引ログ閲覧、倉庫の長期契約、買収相談、航路再開発への投資に、ご興味はおありですか?』
日下部は、振り返ることなく冷たく答えた。
「ありません」
工藤も、一瞬だけ足を止め、「買収相談は——」と言いかけたが、日下部の背中から放たれる無言の圧力を感じ取り、すぐに口を閉ざした。
「……聞きません」
二人の拒絶を受け、受付AIは最後に、最も残酷な事実をシステムのアナウンスとして繰り返した。
『当ステーションは、長期休眠資産として登録されております。
再稼働をご希望の場合、最低三文明以上の利用見込みが必要です。
……辺境再開発キャンペーン、実施中です』
工藤が、その言葉にハッとして立ち止まった。
「最低三文明以上……」
「今の取引ログの数と繋がりますね」
日下部が、足を止めずに言う。
「このステーションは、あの三つの文明が取引してくれていたから、採算が取れて成立していたのかもしれませんね」
工藤が、繋がった点と点を口にする。
「そして、その三文明が何らかの理由で消えたから……このステーションも維持できなくなり、ヴェクター交易圏はここを閉じて撤退した」
謎が解けた。だが、それはあまりにも寂しく、恐ろしい真実だった。
受付AIは、客が去った後も、誰もいない暗闇のホールに向かって、プログラムされた孤独な営業を続けていた。
『辺境再開発キャンペーン、実施中です……』
その無機質で平坦な合成音声が、逆にこの場所が二度と息を吹き返すことはないという事実を、冷酷に浮き彫りにしていた。
◇
ヤタガラスのカタパルトへ向け、無人探査艇が静かに廃ステーションから離脱していく。
遠ざかる巨大な環状構造物。
その外壁に設置された広告ホログラムだけが、宇宙の暗闇の中で、未だに薄く、寂しげに瞬き続けていた。
「最初は、古い商業施設みたいで面白いロマンがあると思ったんですけどね」
工藤が、モニターに映るその廃墟を見つめながら呟いた。
「ええ」
「今は、ちょっと……違いますね」
「廃墟とは、そういうものです」
日下部が、静かに応じる。
「外から見ているうちは、ただの物珍しい遺跡に過ぎない。ですが、そこに確かにあった生活や、失われた文明の息遣いを想像した瞬間……急に、背負うものが重くなる」
「……この三つの座標、どうします?」
工藤が、抽出したデータを示しながら問う。
「日本政府へ持ち帰ります。……すぐには行きません」
日下部は、明確にブレーキをかけた。
「はい」
「調査するにしても、今回以上に慎重に準備を重ねてからです。相手が完全に滅んでいるとは限らない。ステーションと同じように残された自動AIがいるかもしれない。地下深くに休眠している生存者がいるかもしれない。……あるいは、本当に何一つ残っていない、完全な死の星かもしれない」
「どれも怖いですね」
「だから、調査です。旅行ではありません」
日下部は、決して浮つくことのない官僚の顔で言い切った。
「……はい」
工藤も、素直に頷いた。
◇
ヤタガラスの管制室へと帰還し、二人の義体接続が解除される。
ポッドのカバーが開き、意識がテラ・ノヴァの現実の肉体へと戻ってきた。
工藤はポッドから這い出すと、メインスクリーンに表示された「三つの座標」の光点を、無言で見上げていた。
日下部も、ポッドから出て、その横に並び立つ。
「日下部さん」
「何でしょう」
「ここに行けば……彼らに何があったのか、分かりますかね」
「分かるかもしれません。……分からないかもしれません」
日下部は、嘘をつかずに正直に答えた。
「滅びてたら?」
工藤が、最悪の可能性を口にする。
「記録を読み、理由を知り、我々人類が同じ失敗を避けるための教訓にする。……それしかできません」
「もし、生き残りがいたら?」
「我々の技術で助けられるか。そもそも関わるべきか。関わってよいのかを、政府として極限まで慎重に考えます」
工藤は、深く息を吐き出した。
「……難しいですね、宇宙は」
「星間文明の遺物を見に行くというのは、そういうことです。我々はもはや、無邪気な子供の探検家ではいられないのです」
日下部は、冷徹な事実を告げた。
地球から三百光年の範囲に、今、活動中の星間文明はいない。
その言葉は、つい先日まで、日本政府と日下部にとって、最大の安心材料であった。少なくとも、今すぐ攻め込まれる危険はないのだと。
だが、旧ヴェクター交易圏の廃ステーションで見つかった三つの座標は、その安心の裏側にある、全く別の恐ろしい事実を示していた。
かつて、ここには確かに航路があった。
取引があった。
契約があり、保険があり、補給があり、誰かがこの宙域の未来を計算していた。
そして今、その取引相手だった三つの星間文明から、活動の光は完全に消えている。
滅んだのか。
去ったのか。
眠っているのか。
それとも、人類にはまだ理解できない形で、どこかに残っているのか。
答えは、まだ分からない。
ただ一つだけ確かなことがある。
宇宙の廃墟は、SF映画のようなロマンだけでできているわけではない。
そこには、かつて確かに続いていた「日常」の終わりがある。
誰かが閉じた店がある。
誰かが畳んだ航路がある。
誰かが戻らなかったステーションがある。
工藤創一と日下部は、その日、三つの座標を持ち帰った。
次の気楽な旅行先としてではなく。人類が直視しなければならない、次の調査候補として。
そしてその三つの静かな座標は、これからアンノウンの奇跡を社会へ流し込み、永遠の繁栄を信じようとしている地球の人類に対し、冷酷に、そして静かに問いかけていた。
——お前たちは、自分たちの未来がいつまでも続くと、本当に思っているのか、と。
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