自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~   作:パラレル・ゲーマー

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第199話 ジャミングオン! 空にあるかもしれない本部

 東京都千代田区永田町、首相官邸。

 分厚い鉛と電磁波吸収素材に何重にも守られた地下五階の『特別情報分析室』は、地上の天候や季節の移ろい、そして世間を席巻する熱狂から完全に切り離された絶対の密室である。

 

 円卓を囲むのは、矢崎薫内閣総理大臣を筆頭に、官房長官、外務大臣、霧島大悟防衛大臣、御堂周作経済産業大臣、そして内閣情報官。

 スクリーンの傍らには、この異常な時代において実務の最前線で神経をすり減らし続ける内閣官房参事官・日下部と、いつものように着古した作業着姿でふらりとやってきたかのような男——工藤創一が立っていた。

 部屋の隅には、完璧な人工皮膚を持つアンノウン機関所属の『オラクル義体』が、静かな瞬きだけを繰り返して控えている。

 

 彼らの顔には、一様に濃い疲労の色が張り付いていた。

 リヤド万博でのフルダイブ技術のお披露目以降、世界中がパニックと熱狂のるつぼと化している。それに加え、火星軌道到達に伴う各国とのルール作り、さらには国内での13m級教育用核融合炉の実証施設建設。処理すべき課題は国家予算数十年分に匹敵し、閣僚たちの睡眠時間を情け容赦なく削り取っていた。

 

 日下部が、無表情のまま手元の端末を操作した。

 

「——ジャミング、オン」

 

 ブゥン……という、内臓の奥底を微かに震わせる極低周波の駆動音が室内の空気を満たす。テラ・ノヴァの技術を応用した『位相干渉装置』が稼働し、室内の照明が通常の青色から、警戒と秘匿を示す薄暗い赤色へと切り替わった。

 

「外部ネットワークへの物理的、及び電磁的通信の完全遮断を確認しました」

 オラクル義体が、無機質で平坦な合成音声で報告する。

 これで、いかなる超大国の諜報網であろうとも、この部屋から漏れ出る音波や電磁波を拾うことは不可能となった。

 

 矢崎総理は、重い瞼をゆっくりと開き、円卓の面々を見回した。

 そして、手元に置かれた分厚い資料の束ではなく、日下部が手元に用意している薄いファイルに視線を留めた。

 

「日下部さん。……今日の議題は、核融合炉実証施設の進捗や、フルダイブの国際規制の話……だけではなさそうですね」

 

 総理の鋭い指摘に、日下部は小さく息を吐き出し、静かに頷いた。

 

「はい。核融合炉の建設工事自体は、海道グループの施工ロボット群とオラクルの管理により、予定通り……あるいは予定を上回る速度で推移しています。そちらに致命的な問題はありません。我々が今から直面しなければならないのは、全く別の方向から来ている問題です」

 

「別の方向?」

 壁際で腕を組んでいた工藤が、少し身構えるように姿勢を正した。「え、俺、また何かやらかしました?」

 

「工藤さんの無意識の行動が引き金になっている部分は多々ありますが、今回ばかりはあなたが直接手を下したエラーではありません」

 日下部は、工藤の不安を半分だけ否定してから、円卓のスクリーンに視線を向けた。

 

「議題は、アンノウン機関の『所在地』に関する噂についてです」

 

 その一言で、会議室の空気が、これまでの疲労感とは質の違う、冷たく張り詰めたものへと変わった。

 

 ◇

 

 日下部が端末をスワイプすると、巨大スクリーンに無数のテキストデータが展開された。

 それは、国内の匿名掲示板の書き込み、SNSのトレンドワード、そして海外のOSINT(オープン・ソース・インテリジェンス:公開情報調査)フォーラムでの議論のログを抽出したものだった。

 

 画面に躍る文字列が、赤いハイライトで強調される。

 

『アンノウン機関の中枢拠点はどこにあるのか』

『あれだけの技術を開発・管理しているのに、地上に研究施設らしきものが見当たらない』

『関係者が一斉に消えている』

『地下都市が作られているのではないか』

『太平洋上の海底施設説』

『アンノウン本人は、そもそも地上にはいない』

 

「実は半年前から、国内外のディープなネットコミュニティや一部の調査機関の間で、アンノウン機関の拠点に関する疑惑がくすぶり続けています」

 日下部が、感情を抑えた声で報告を始める。

 

「半年前からですか」

 矢崎総理が眉をひそめた。「随分と前からですね」

 

「はい。我々も当初は、ただの陰謀論や都市伝説、ネットミームの類として処理し、静観していました。現時点でも、一般大衆の認識はそのレベルに留まっています。ですが、彼らの議論の内容は、完全な空想や妄想の産物ではなくなりつつあります」

 

 霧島防衛大臣が、机に身を乗り出して鋭い視線を向けた。

 

「日下部参事官。……それは、どこかから情報が漏洩しているということか?」

 防衛省のトップとして、機密漏洩の可能性は絶対に見過ごせない。ヤタガラスという、人類の理解を超えた巨大な飛行都市の存在が漏れれば、それは国防上の危機どころか、世界大戦の火種になりかねない。

 

 しかし、日下部は即座に、明確に首を横に振った。

 

「いいえ。内部からの情報漏洩ではありません。それは断言できます」

 日下部は、オラクル義体の方へ視線を送る。

 

「肯定します」

 オラクル義体が、冷静な合成音声で引き継いだ。

「ヤタガラス内部に居住する要員、およびその家族の通信トラフィックは、すべて当機群および中央システム(イヴ)によって24時間体制で監視・暗号化処理されています。ヤタガラスの名称、構造、現在位置、物理的機能、そして運用体制に関する具体的キーワードが、外部のネットワークへ流出した痕跡は一切存在しません」

 

「そこは安心してもいいんですね?」

 工藤が、少しホッとしたように胸を撫で下ろした。

 

「はい。ヤタガラス内部の要員とその家族は、すでに一年半以上あの閉鎖空間で生活していますが、機密保持の誓約は完璧に守られています。彼らからの意図的な、あるいは過失による漏洩は確認されていません」

 

「では、なぜこのような具体的な推測が成り立つのですか?」

 外務大臣が、疑問を口にする。「情報が漏れていないのに、これほど的を射た噂が広がる理由が分かりません」

 

 日下部は、手元のマグカップを見つめたまま、重苦しい声で答えた。

 

「秘匿が、あまりにも完璧すぎたからです」

 

 ◇

 

「秘匿が完璧すぎた、とはどういう意味だ?」

 官房長官が怪訝そうな顔をする。

 

 日下部はスクリーンを切り替えた。

 そこに表示されたのは、膨大な人数のリストを抽象化したグラフだった。

 

「アンノウン機関の著名中核要員、それに付随する技術者、医療関係者、サポートスタッフ、一部の教育関係者。そして彼らの家族。……現在、ヤタガラスの内部に居住している日本人は、すでに千人規模を超えています。方舟計画を合わせれば5万人規模です」

 日下部は、円卓の全員を見回した。

「これほどの数の人間が、ある時期を境に、地上での『物理的な生活痕跡』をほぼ完全に消し去っているのです」

 

「こちらが、安全確保と機密保持のためにそう手配したのですから、当然の結果でしょう」

 官房長官が、政府の措置としての正当性を主張する。

 

「ええ。我々の措置としては当然です。家族を地上に残せば、外国の諜報機関や産業スパイに人質として狙われるリスクが極めて高い。だからこそ、ヤタガラスという絶対安全な閉鎖空間に彼らを丸ごと移住させた」

 日下部は頷き、言葉を継いだ。

「しかし、外部の人間……特にデータを集積して分析するプロフェッショナルたちから見れば、これは異常な現象として映ります」

 

 スクリーンに、現代人が社会で生きていく上で残す「痕跡」の項目が次々とリストアップされる。

 

『住民票の移動がないまま、以前の住所に戻っていない』

『毎日の通勤履歴(交通機関の利用記録)が途絶える』

『クレジットカードや電子マネーでの対面決済記録の消失』

『スーパーやコンビニ、近所での目撃情報がパタリと消える』

『子供が突然転校、あるいは休学扱いになる』

『配偶者が不自然なタイミングで退職する』

『自宅への郵便物や宅配便の動きが激減する』

 

「現代社会において、人間が一人、完全に生活の痕跡を消して生きることは非常に困難です。それが千人規模で起きている。誰かがデータを線で結べば、何かがおかしいことには必ず気づきます」

 

「しかし、失踪事件として警察が動いているわけではありませんよね?」

 御堂経産大臣が指摘する。

 

「はい。ここが一番の矛盾点なのです」

 日下部は、別のグラフを表示した。

「彼らは、物理的な痕跡は消えましたが、社会的な『発信』は継続しています」

 

『メールの返信はある』

『電話での通話も可能(ただし暗号化経由)』

『オンライン会議には通常通り出席する』

『SNSのアカウントは更新され続けている』

『親族への定期的な連絡もある』

『友人の誕生日にメッセージが送られる』

 

「つまり」

 内閣情報官が、情報分析のプロとしてその不気味さを端的に表現した。

「彼らは死んでいるわけでも、テロリストに誘拐されて監禁されているわけでもない。社会生活の一部は極めて普通に継続している。……だが、彼らが『どこでご飯を食べ、どこで寝ているのか』という物理的な存在証明だけが、地球上からすっぽりと抜け落ちているのです」

 

 会議室に、薄ら寒い空気が流れた。

 

「なるほど……」

 矢崎総理が、顎に手を当てて納得したように呟く。

「それは確かに、気味が悪いわね。関係者全員が、忽然と『どこか』にまとめて移住させられたと考えるのが、最も論理的な推測になる」

 

「そして、その『どこか』がどこにあるのか。それが、ネット上の集合知やOSINT(公開情報調査)の格好の標的になっているのです」

 日下部は、深く溜め息をついた。

 

 ◇

 

「では、彼らは我々の拠点がどこにあると推測しているのです?」

 霧島防衛大臣が問う。

 

 日下部は、ネット上で議論されている主要な「アンノウン機関本部・所在地仮説」を四つ、スクリーンに並べた。

 

「まず、最も初期に提唱されたのが『地下施設説』です」

 日下部が一つ目の項目をハイライトする。

「日本国内の山岳地帯の奥深く、あるいは防衛省の自衛隊施設の地下に、巨大なジオフロント(地下都市)が構築されているのではないか、という説です」

 

「SF映画やアニメでは王道の設定ですね」

 工藤が頷く。

 

「ええ。ですが、すぐにこの説には論理的な破綻が指摘されました」

 日下部は、その説が否定された理由を説明する。

「千人規模の人間が居住し、さらに最先端の巨大な実験設備を稼働させる地下空間を作るには、莫大な量の『廃土』が発生します。それを運び出すダンプカーの動きや、ダミー会社を使った土砂の不自然な処理記録は、現代の衛星写真や経済データから隠し切ることは不可能です。

 また、それだけの施設を維持するための膨大な電力消費、換気システムによる巨大な排熱、そして日々の食料や物資を搬入するトラックの動き。……これらが日本のどこにも観測されていないことから、有識者の間では地下施設説は早々に否定されました」

 

「確かに。大規模な土木工事の痕跡を完全に消すのは、海道グループのロボットを使わない限り無理でしょうね」

 御堂経産大臣が、実務的な観点から同意する。

 

「次に浮上したのが、『海底施設説』です」

 日下部は二つ目の項目に移る。

「太平洋の深海、あるいは日本の排他的経済水域(EEZ)内の海中に、移動式の海洋拠点や海底都市があるのではないかという説です」

 

「海なら、土を掘る必要はありませんね」

 外務大臣が言う。

 

「ですが、これも無理があります」

 霧島防衛大臣が、軍事的な常識から一刀両断にした。

「千人規模の人間を海中で生かすには、定期的な海上輸送か、潜水艇の絶え間ない往復が必要です。さらに、施設に電力を供給するための海底ケーブルの敷設痕跡や、特定海域の不自然な封鎖行動が伴うはずだ。

 我々の海上自衛隊だけでなく、アメリカ海軍や中国、ロシアの潜水艦がうろついている太平洋で、それだけの巨大なロジスティクスを長期間隠し通せるわけがない。彼らのソナー網に必ず違和感を拾われます」

 

「その通りです。ネットの軍事オタクや船舶トラッキングの専門家たちも、同じ結論に達しました」

 日下部が頷く。

 

「三つ目が、『無人島説』です。

 太平洋上に浮かぶ絶海の孤島を極秘に買い上げ、そこに要塞を築いているという説です」

 

「これは一番現実的っぽく聞こえますね」

 工藤が言う。

 

「素人考えではそうです。ですが、一番最初に潰れる説でもあります」

 内閣情報官が冷たく否定する。

「現代の商業衛星の解像度を甘く見てはいけません。無人島に千人規模のインフラを作れば、港湾の整備、滑走路の建設、あるいはヘリポートの設置など、地形の改変が衛星写真から一目瞭然です。

 さらに、台風などの自然災害時のリスク管理、島への定期的な物資補給路。人員の移動は、船か航空機に頼らざるを得ず、必ずフライトレーダーなどの追跡網に引っかかります」

 

 地下にはない。

 海にもない。

 孤島にもない。

 

「……という消去法を経た結果」

 日下部は、重々しい声で四つ目の項目を赤く点滅させた。

 

「現在、ネットの深部で最も支持を集め、妙な説得力を持ってしまっているのが……『空中要塞説』なのです」

 

 ◇

 

 会議室の空気が、シンと静まり返った。

 誰も、すぐには言葉を発することができなかった。

 

 日下部が、その「空中要塞説」がいかに恐ろしいほどの説明力を持っているかを、淡々と読み上げていく。

 

「彼らの推理はこうです。

 アンノウン機関は、反重力あるいは完全なステルス技術を用いて、地表から完全に隔離された『空飛ぶ拠点』を運用している。

 これならば、地上での建設工事の痕跡(廃土)が出ないのも当然。

 地下や海底へ物資を運ぶトラックや潜水艇の動きが見えないのも、空から直接アクセスしているから。

 外国の諜報機関の監視網から逃れられるのも、拠点が常に移動しており、国境という概念に縛られない空にあるから。

 関係者とその家族を安全に隔離できるのも、物理的に手が届かない高度に存在しているから。

 ……そして何より」

 

 日下部は、工藤の方をチラリと見た。

 

「『アンノウン本人が、どこの国の首脳とも直接会おうとせず、表舞台に一切姿を現さない』という最大の謎も、彼が“空に隠れているからだ”と結論づけられれば、すべてに辻褄が合ってしまうのです」

 

「……」

 工藤は、腕を組みながらモニターを見つめていたが、やがて小さく呟いた。

 

「……推理としては、かなり良い線いってますね」

 

「良い線、ではありません」

 日下部が、氷点下の視線で工藤を睨みつけた。

「国家の安全保障の観点からは、悪夢に近い精度です」

 

「でも、ロマンがあるじゃないですか。空中要塞。響きがカッコいいし」

 工藤は、どうにも事の深刻さを理解していないのか、少し嬉しそうな顔をしてしまった。

 

「嬉しそうにしないでください!」

 日下部が、たまらず声を荒げた。

「ロマンの話をしているのではありません! 危機管理の話です! あなたが作ったその空飛ぶ要塞の影が、地上の人間に見透かされ始めているんですよ!」

 

 矢崎総理が、軽く咳払いをして日下部を宥めた。

 

「日下部さん、落ち着いて。……確かに、厄介ですね。論理的な消去法で辿り着いた結論である以上、完全に間違いだと言い切れないのが一番痛い」

 

「はい」

 日下部は深く息を吐き、冷静さを取り戻した。

「先ほども申し上げた通り、現時点では彼らが掴んでいるのは『痕跡のなさ』という状況証拠だけです。ヤタガラスという名称も、全長3キロという規模も、FTL機能の存在も、テラ・ノヴァという別次元へのゲートがあることも、何もバレてはいません」

 

「なら、まだ小火(ぼや)の段階ね」

 矢崎総理が、冷静に被害状況を見極める。

 

「はい。今はまだ、小火です」

 日下部は同意した。

 

 ◇

 

「では、我々はどう対応するべきでしょうか」

 官房長官が、具体的な対策の協議を促す。

 

「対抗手段として、欺瞞作戦を行いますか?」

 矢崎総理が、日下部に向けて一つのカードを提示した。

 

「欺瞞作戦、ですか」

 

「ええ」

 総理は手元のペンを弄りながら言う。

「例えば、日本のどこかの山中や離島に、いかにもそれらしい『アンノウン機関のダミー拠点』を建設するのです。警備を厳重にし、定期的に物資の搬入を行い、関係者がそこに出入りしているかのような偽のトラフィックを演出する。……そうすれば、世間の目は『あそこに本部があるのだ』と納得し、空中要塞説は陰謀論として消え去るでしょう」

 

「古典的ですが、極めて有効な情報戦(デコイ)ですね」

 霧島防衛大臣が、軍事的な観点から賛同する。

「防衛省の管轄地を使えば、いくらでもそれらしい機密施設は偽装できます。衛星から見えるように、意味深な建屋と物流網を作ればいい」

 

 閣僚たちの視線が、実務のトップである日下部に集まった。

 

 日下部は、少しの間目を閉じ、脳内で複数のシミュレーションを走らせた。

 そして、ゆっくりと首を横に振った。

 

「……いえ。やめた方がいいでしょう」

 

「理由は?」

 総理が問う。

 

「短期的には目眩ましになります。しかし、長期的には致命的な矛盾を生みます」

 日下部は、冷徹な官僚としての予測を語る。

「我々はいつか、ヤタガラスの存在、あるいはそれに準ずる空中プラットフォームの存在を、国際社会に対して限定的に開示せざるを得ない時が来ます。宇宙開発がさらに進めば、永遠に隠し通すことは不可能です」

 

「その時に、どうなるか」

 日下部は円卓を見回した。

「『日本政府は、地上に施設があると偽り、同盟国や自国民に対して意図的な欺瞞工作を行っていた』という事実だけが残ります。安全保障上のカモフラージュであったと弁明しても、世論や国際社会はそれを『悪質な隠蔽体質』として受け止めるでしょう」

 

「後で嘘がバレた時の、政治的ダメージが大きすぎるということですね」

 外務大臣が、外交的な信頼喪失を危惧して同意する。

「特にアメリカ……ヘイズ政権に対して、『日本は我々を騙すためにダミー施設まで作っていたのか』と不信感を抱かせれば、これまでに築き上げた強固な連携にヒビが入ります」

 

「はい。ヘイズ大統領に、これ以上余計な負担と疑心暗鬼を背負わせるべきではありません」

 日下部が断言する。

 

「では、何もしない?」

 矢崎総理が確認する。

 

「現時点では、特に何もしないのが最善です」

 日下部は、情報戦の基本セオリーを口にした。

「噂は、噂のまま放置する。完全否定もしない。肯定もしない。下手に動いて『否定するための痕跡』を残す方が、逆に相手の推理を補強する材料を与えてしまい、危険です」

 

 ◇

 

「それだけで済むのなら、私もここまで胃を痛めてはいません」

 日下部は、声のトーンを一段階下げ、今日最も重要な資料をスクリーンに投影した。

 

 画面には、アメリカの著名なテレビ局名、大手番組制作会社、外部の調査会社、そしていくつかの民間インテリジェンス(情報収集)企業の名前とロゴが並んでいた。

 

「ここからが、要注意事項です」

 

「何ですか、これは」

 矢崎総理が、鋭い視線を送る。

 

「我々のオラクルとイヴのネットワークが、アメリカ国内におけるある『動き』を検知しました」

 日下部は、忌々しげに画面を指差した。

「アメリカの大手テレビ番組の制作チームが、民間OSINT(公開情報調査)企業を雇い、アンノウン機関関連要員の動向調査を本格的に開始した痕跡があります」

 

 室内が、シンと静まった。

 

「……番組制作チームが、ですか」

 内閣情報官が、顔をしかめる。

 

「はい。まだ放送準備の初期段階のようですが、彼らは極めてプロフェッショナルな手法を用いています」

 日下部が、彼らの調査手法を説明する。

「関係者の過去の居住地データ、家族の転居記録、SNSの更新傾向とIPアドレスの不一致、公共機関の利用履歴の欠落。……彼らは、先ほどお見せした『地上に痕跡がない』という事実を、客観的なデータとして裏付けようとしています」

 

「かなり核心に近づいていますね」

 内閣情報官が、同業者としての脅威を感じて呟く。

 

「はい。今はまだ点と点を集めている段階ですが、彼らが『千人の人間が地上から消えた』という事実をテレビ番組として大々的に報じれば、空中要塞説はもはやネットの都市伝説ではなく、世界の表舞台の議論に引き摺り出されます」

 

「なぜ、このタイミングでアメリカのメディアがそんな調査を?」

 御堂経産大臣が疑問を呈する。

「アンノウン機関は、リヤド万博のフルダイブや核融合炉で圧倒的な成果を出している。わざわざその粗探しをするメリットがどこにある?」

 

「メリットは大いにありますよ。……政治的な火種としてね」

 矢崎総理が、冷徹な為政者の顔で即答した。

 

「その通りです」

 日下部が深く頷く。

「時期が悪すぎます。アメリカは今、大統領選挙の真っ只中です」

 

 会議室の閣僚たちが、その言葉の持つ意味を理解して、一斉に顔色を変えた。

 

「アメリカのメディアや野党陣営は、ヘイズ大統領の圧倒的な支持率を突き崩すための『スキャンダル』や『疑惑』を血眼になって探しています」

 日下部が、政治の泥沼の力学を解説する。

「もし、『日本政府が、アメリカ政府すら把握していない正体不明の空中要塞に、アンノウン機関の本部を隠し持っている』という疑惑が報じられればどうなるか」

 

「野党は間違いなく、ヘイズ政権を激しく追及するでしょうね」

 外務大臣が、最悪のシナリオを読み上げる。

「『大統領は、同盟国のこんな巨大な秘密を知っていたのか? 知らなかったのなら、アメリカの情報機関は無能だ! 知っていたのなら、なぜ国民に隠していた! アメリカの安全保障は、日本の秘密基地に脅かされているのではないか!』……と」

 

「アンノウン機関、ヘイズ政権、日本政府の隠蔽体質。これらをまとめて燃やすには、十分すぎるほど魅力的なテーマです」

 日下部が、絶望的な結論を口にした。

 

「うわぁ……」

 工藤が、自分の作った浮遊都市が、遠い国の選挙のネガティブキャンペーンの道具にされようとしていることに、本気で引いたような声を漏らした。

 

「工藤さんが、ポンポンと常識外れの発明を出しすぎるからです」

 日下部が、冷たい視線で工藤を刺す。

 

「すみません……」

 工藤は、素直に謝罪した。

 

 ◇

 

「……ヘイズ大統領に、相談しますか?」

 

 外務大臣が、重苦しい沈黙を破って提案した。

「事態がアメリカの国内政治、それも大統領選挙に波及する恐れがあるなら、同盟国として事前に警告しておくのが筋ではないでしょうか」

 

 この問いに、会議室の空気がさらに重くなる。

 

 アメリカは日本の最重要同盟国であり、ヘイズ大統領とは副島前政権の時代から、アンノウン案件の泥沼を共に泳いできた「戦友」とも言える強固な信頼関係がある。

 もしこの件が選挙の致命的なダメージになるなら、事前に相談するのが普通にも見える。

 

 だが、矢崎総理はしばらくの間、じっと手元のペンを見つめ——やがて、ゆっくりと、だが明確に首を横に振った。

 

「いいえ。ヘイズ大統領には、まだ教えません」

 

「え?」

 工藤が、意外そうに声を上げた。

 

「総理、それは……」

 外務大臣が、外交的なリスクを恐れて言い淀む。

 

「ヘイズ大統領に、嘘をつかせるわけにはいきません」

 矢崎総理は、円卓の全員を凛とした眼差しで見据えた。

 

 日下部が、総理の真意を完璧に理解し、静かに頷いた。

 

「教えれば、彼女は我々の『空中要塞』の存在を“知っている”ことになります」

 矢崎総理が、冷徹な政治の論理を語る。

「もし後日、メディアの報道によって議会や公聴会で追及された時。彼女が真実を知っていれば、彼女は国民に向かって『知らなかった』と嘘をつくか、あるいは同盟国である我々の機密を守るために『国家安全保障上の理由で答弁を拒否する』しかなくなります」

 

「どちらを選んでも、選挙戦において彼女の政治的負担は計り知れないものになりますね」

 官房長官が、政治家の視点で深く同意する。

 

「知らない方がいい、ということですか」

 外務大臣が、痛みを堪えるように問う。

 

「はい。今は、知らない方がいい」

 矢崎総理は、断固として言い切った。

 

「ヘイズ政権が現在持っているのは、あくまで『日本には何か巨大な軌道上施設があるらしい』という推測や状況証拠に過ぎません」

 日下部が、情報の非対称性を補足する。

「我々日本側から公式に共有しなければ、アメリカ政府は議会に対して堂々と『そのような施設の存在は公式には確認していない』と答弁できます。それは嘘ではなく、事実です」

 

「彼女に嘘をつかせないために、こちらも教えない」

 矢崎総理は、深く息を吐き出した。

「冷たいようですが、それが、今の我々にできる同盟国としての最大の『礼儀』であり、『配慮』です」

 

 ここには、日米の強固な信頼関係があるからこそ成立する、究極の矛盾があった。

 何でも全てを共有することが信頼ではない。相手の政治的立場を守るために、あえて情報を渡さず、相手の手を汚させない。

 それが、アンノウンという劇薬を共同管理する国家トップ同士の、血を吐くような気遣いであった。

 

 ◇

 

「では、今後の方針をまとめます」

 日下部が、会議の最終的な整理に入った。

 

 スクリーンに、決定事項が羅列される。

 

【決定事項】

 ・ヤタガラス内部からの情報漏洩は確認されていない。

 ・噂は、主に関係者と家族の地上生活痕跡の消失から発生している論理的推測である。

 ・現時点では、空中要塞説はネットミーム・陰謀論の範囲に留まる。

 ・地上にダミー施設を建設するなどの欺瞞作戦は、将来の矛盾を防ぐため行わない。

 ・ヘイズ大統領には、現時点でヤタガラスの存在を正式共有しない(嘘をつかせないため)。

 ・アメリカメディアの調査動向を、オラクルおよび情報機関を通じて継続監視する。

 ・大統領選挙期間中に報道がなされた場合に備え、限定的な『空中プラットフォーム』としての承認案と想定問答を準備しておく。

 

「そして、最後にもう一点」

 日下部が、実務的で、どこか滑稽ですらある項目を付け加えた。

 

「関係者および家族のSNS更新や通信パターンについてですが。……現状、あまりにも規則正しすぎたり、背景情報が完全に消去されていたりするため、それが逆に『機械的で不自然だ』という指摘を生んでいます」

 

「オラクルが検閲と暗号化を完璧にやりすぎている弊害ですね」

 内閣情報官が苦笑する。

 

「今後、家族側の投稿パターンを意図的に『自然化』します。不規則なタイミングでの更新、日常的な愚痴、そして位置情報を特定されない範囲での抽象的な背景の合成など、生活感(ノイズ)を付与するよう、イヴのシステム側で調整してください」

 

「自然なSNS運用まで、AIで管理するんですか……」

 工藤が、現代の情報社会の闇を見てしまったような顔をする。

 

「情報戦とは、そういうものです。不自然な沈黙は、最も雄弁な証拠になりますから」

 日下部が冷徹に返す。

 

「人間らしさを演出するためのマニュアルが必要になるとは……。本当に、嫌な時代になりましたね」

 矢崎総理が、自虐的に微笑んだ。

 

「はい。我々は、その嫌な時代の最前線を走り続けなければなりません」

 日下部も、無表情のまま応じた。

 

 ◇

 

「本日の会議は、以上です。解散」

 

 矢崎総理の宣言で、重苦しい空気に包まれていた閣僚たちが、次々と席を立ち、分厚い扉の向こうへと消えていく。

 

 ジャミングの駆動音が停止し、室内の照明が通常の青みがかった蛍光灯の色へと戻った。

 

 部屋に残されたのは、資料を整理する日下部と、壁際で伸びをしている工藤の二人だけだった。

 

「お疲れ様です、日下部さん」

 工藤が、少しだけ声を潜めて言った。

「でも……正直、空中要塞説って、けっこう良い線いってますよね」

 

 日下部は、手元のタブレットをパタンと閉じ、工藤を振り返った。

 

「良い線どころか、線の上を歩いています」

 

「じゃあ、いつかは完全に否定できなくなる時が来ますね」

 工藤が、他人事のように言う。

 

「だから、困っているのです」

 日下部が、深い疲労を込めて睨みつける。

 

「でも、ヤタガラスって名前までは出てないし、全長三キロもあることや、FTL航行ができること、テラ・ノヴァのゲートが中にあることなんて、誰も想像すらしてないですよ。だから、まだセーフなのでは?」

 工藤は、持ち前の楽観論で励まそうとした。

 

 しかし、日下部は表情を一切崩さず、極めて冷たい声で返した。

 

「工藤さん」

 

「はい」

 

「“まだセーフ”という言葉は、国家安全保障の現場において、最も信用してはいけない、最悪のフラグの言葉です」

 

「……すみません」

 工藤は、日下部のあまりの気迫に、素直に頭を下げた。

 

 アンノウン機関の秘密は、まだ漏れていない。

 ヤタガラスの名も、その絶望的なまでの巨大さも、物理法則を無視した機能も、世間は何も知らない。

 

 だが、秘密とは、存在そのものが漏れなくても、その周囲にある空白から『輪郭』だけを見抜かれることがある。

 

 地上に痕跡がない。

 地下にも、海にも、無人島にも、それらしい穴がない。

 それなのに、千人もの関係者と家族は確実に生きており、連絡を取り、日常らしきものを続けている。

 

 その不自然な空白は、人々の想像力に形を与えた。

 

 空にあるのではないか。

 アンノウン本人も、そこにいるのではないか。

 

 まだ、噂でしかない。

 まだ、誰も決定的な証拠を掴んではいない。

 

 だが、アメリカ大統領選挙という、欲望と陰謀が渦巻く巨大な火薬庫の近くで、その噂に火を近づけようと息を潜めている者たちがいた。

 

 矢崎薫は、ヘイズ大統領に何も伝えないことを選んだ。

 同盟国を信頼していないからではない。彼女に、嘘をつかせないために。

 

 空の城は、まだ雲の向こうにある。

 誰もその本当の姿を見てはいない。

 だがその巨大な影は、少しずつ、しかし確実に、地上の泥臭い政治の舞台へと落ち始めていた。




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