自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~   作:パラレル・ゲーマー

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第200話 人工臓器、移植待機リストを破壊する

 東京都内、某所に設けられた政府管轄の秘匿会議室。

 官庁街の喧騒から物理的にも情報的にも完全に隔離されたその空間には、分厚い防音材と電磁波遮断シールドが幾重にも施され、空調の微かな稼働音だけが単調なリズムを刻んでいる。

 

 長大なマホガニーのテーブルを囲むのは、日本の医療行政と先端技術を司るトップたちだ。

 綾瀬真琴厚生労働大臣。日本医師会および日本移植学会の代表者たち。そして、本日から東京都内で『完全生体互換人工臓器』の本格治験に指定された基幹病院の院長陣。

 部屋の片隅には、内閣官房参事官の日下部と、アンノウン機関から派遣された完璧な人工皮膚を持つ『オラクル義体』が、微動だにせず静かに控えている。

 

 そして、彼らの視線の中心で、白衣姿の一人の医師が手元の分厚い資料からゆっくりと顔を上げた。

 アンノウン機関・先進微細医療技術区画の主任研究員であり、臨床の最前線に立つ腫瘍内科医、白石啓吾である。

 

「——以上が、過去一年間にわたり極秘裏に実施された、完全生体互換人工臓器の限定治験に関する、全症例の追跡データです」

 

 白石の声は、連日の激務による疲労で微かに掠れていたが、その響きには長年の臨床医としての絶対的な確信が重く宿っていた。

 

「心臓、肝臓、腎臓、肺、膵臓。いずれの臓器においても、術後一年を経過した現在……拒絶反応、重篤な感染症、発癌性、自己免疫異常、血栓形成、および代謝機能の破綻は……」

 白石は、医師会代表の目を見据え、一字一句をはっきりと口にした。

「確認されませんでした」

 

 会議室の空気が、一瞬にして凍りついた。

 

 日本医師会の代表が、手にしていた万年筆を取り落としそうになりながら、ひどく乾いた声で問い返す。

 

「……確認されない、というのは。一例も、ですか?」

「はい」

 白石は即答した。「一例も、です」

 

「馬鹿な……」

 移植学会の代表が、額に脂汗を滲ませて呻くように言った。

「いくら患者本人の生体情報に合わせて生成されているとはいえ、異物であることには変わりない。免疫抑制剤の長期大量投与もなしに、拒絶反応が完全にゼロなどということが、現代の医学で……」

 

「現代の医学ではありません。アンノウンの技術です」

 日下部が、冷徹な声で事実を突きつけた。

 

 部屋の隅に控えていたオラクル義体が、一歩前に出てホログラムのグラフを空間に展開する。

「全症例において、人工臓器の機能は安定して推移しています。術後三ヶ月以降の機能低下を示すマーカーの変動はなし。生体側の免疫拒絶反応は当機の検出限界未満です。周辺の血管、神経網、リンパ系との吻合部においても、異常な細胞増殖や壊死は一切確認されておりません。成長期の小児患者に対する臓器の成長追従機能も正常に稼働。……結論として、重大な副作用は存在しません」

 

 オラクルの無機質な合成音声が、医学の常識を根底から覆す『奇跡』を、単なるエラーのないデータとして羅列していく。

 

 移植学会代表は、震える手で顔を覆った。

「……移植医療の歴史が、終わりますね」

 

「終わるのではありません。ここから変わるのです」

 白石が、強い語気で反論した。

 

 白石の脳裏には、一年半前、ヤタガラスの閉鎖研究区画に足を踏み入れた初日の記憶が鮮明に焼き付いている。

 サポートAIのミナヨから見せられた、完璧な人工肝臓の理論データ。それを見た瞬間、長年患者に寄り添ってきたはずの自分が、「今すぐ末期患者で試したい」という、マッドサイエンティストのような人体実験への強烈な誘惑に駆られたあの恐ろしい戦慄。

 

 だが、あのデータは本物だった。理論だけでなく、実物として患者の体内で完璧に機能し、この一年間、誰一人死なせなかったのだ。

 

「変わらなければならない」

 白石は、居並ぶ医師たちに向けて静かに、しかし熱を込めて言った。

「これだけの確実な安全データが揃っている今。我々が既存の倫理や常識の壁を前に足踏みを続ければ、今この瞬間も病室でドナーを待ち続けている患者さんたちを見殺しにすることになります。……これより、東京都内の指定病院において、待機リスト上位者からの本格的な治験拡大を開始すべきです」

 

 白石の目に宿る臨床医としての決して譲れない覚悟に、会議室の誰も正面から反論することはできなかった。

 

 ◇

 

「臓器の製造数については、アンノウン機関の生産ライン(ヤタガラス内のプラント)を稼働させれば、実質的な上限はほぼ存在しません」

 日下部が、会議室のテーブルに両手をつき、極めて現実的で泥臭い問題を提示した。

 

「問題は、我々『人間側』の医療インフラです。……臓器が工場でいくらでも作れたとしても、それを受け入れるための無菌手術室、術後のICU(集中治療室)のベッド、そして何より、高度な吻合手術を行える移植外科医と専門の看護師チームの数は、有限なのです」

 

 白石が深く頷く。

「はい。医療現場は魔法ではなく、生身の人間で回っています。一日にこなせる手術の件数には、どうしても物理的な限界があります」

 

「だからこそ」

 日本医師会の代表が、強い語気で宣言した。

「移植待機ネットワークの順番と、純粋な医学的緊急度という『絶対の基準』を、我々は死守しなければならない」

 

 厚労大臣の綾瀬も、厳しい顔つきで同調する。

 

「その通りです。臓器が無限に作れるようになったと世間が知れば、必ず『金を積むから順番を早めろ』『政治的なコネでどうにかならないか』という強烈な圧力や横入りを図る輩が出てきます。それを一度でも許せば、このプロジェクトは『富裕層向けの延命ビジネス』に成り下がり、日本の医療制度への信頼は完全に崩壊します。……リストの透明性こそが、この奇跡を医療として成立させる唯一の防波堤です」

 

「国内の特権階級による介入は、内閣情報調査室が全力で監視し、社会的に抹殺してでも防ぎます」

 日下部が、氷点下の声で物騒な確約をした。

 

 本格治験拡大の承認が下りたその日から、白石啓吾は文字通り不眠不休の戦いに身を投じていた。

 

 彼一人が全てを手術するわけではない。アンノウン機関が算出した最適な基準術式を各病院の移植チームに指導し、オラクル義体を術中補助として配備させ、自らも難易度の高い手術の執刀や監修に当たる。

 彼の手技をカメラで記録し、教育データとしてクラウド化することで、全国展開に向けた移植専門チームの育成を急がなければならないからだ。

 

 朝、指定病院Aで心臓の移植手術を監修。

 昼、指定病院Bへ移動し、腎臓移植の術前カンファレンスに参加。

 夕方、指定病院Cで小児の肝臓移植のサポート。

 そして深夜、急変した患者の緊急肺移植を自ら執刀する。

 

 手術室の無影灯の下で、白石の目は充血し、手袋を外す手は疲労で微かに震えていた。

 

「先生、もう休んでください。仮眠室の手配はしてありますから」

 白石をずっと支えてきたベテランの看護師長が、厳しい顔で立ちはだかる。

 

「……次の患者さんのカルテを確認してから休みます。明日の朝一番で、膵臓のオペが……」

 白石がフラフラとした足取りでナースステーションのパソコンに向かおうとすると、その前に、黒いスーツ姿の男が音もなく立ち塞がった。

 

 日下部だった。

 

「白石先生。……医師が過労で倒れることで回る医療制度は、誰の救いにもなりません」

 日下部の声は、冷酷なまでに理知的だった。

 

「分かっています、日下部さん。でも……今日、私が手術に立ち会えば、確実に助かる命があるんです。待機リストで何年も苦しんできた人たちが、今すぐそこにある完璧な人工臓器で助かるんです。休んでいる暇なんて……」

 白石は、血走った目で日下部を睨み返した。

 

「だからこそ、先生一人を英雄にしてはいけないのです」

 日下部は一歩も引かなかった。

「一人の天才の自己犠牲に依存するシステムは、システムとは呼びません。それは単なる美談です。……我々が作らなければならないのは、あなたが倒れても、明日同じように別の医師の手によって命が救われる『制度』です」

 

 白石は、言葉に詰まり、その場に力なく立ち尽くした。

 

 部屋の隅にいたオラクル義体が、無慈悲な警告を発する。

「白石医師。心拍数変動および眼球運動の解析から、極度の疲労による集中力の低下を検出しました。これ以上の連続執刀および監修業務は、医療過誤のリスクが安全閾値を超過します。直ちに行動を停止し、八時間以上の睡眠をとることを強く推奨します」

 

 白石は、深く息を吐き出し、近くのパイプ椅子に糸が切れたように腰を下ろした。

 

「……もっと、救えるんです」

 白石は、床を見つめたまま、絞り出すように呟いた。

「臓器はある。技術も完璧だ。待っているだけで死んでいく人を、もっと……」

 

「はい。だからこそ、先生一人で救おうとしないでください。時間をかけて、医療の枠組みを広げてください」

 日下部が、静かに答える。

 

「……ええ。頭では、分かっているんですがね」

 白石は、両手で顔を覆い、深々と息を吐いた。

 

 ◇

 

 白石が無理をしてでも救いたかった患者たち。

 第一陣として本格治験の手術を受けた彼らの病室には、これまでの絶望に満ちた空気とは全く違う、静かで確かな光が差し込み始めていた。

 

 心臓の移植を受けた小学生の少年。

 彼は物心ついた時から病院のベッドで生活し、運動靴を履いて走った記憶がなかった。胸には常に補助人工心臓の重いポンプが繋がり、その駆動音が彼の生きている証だった。

 

 手術の前日、少年は不安そうな目で白石に尋ねていた。

『先生。……これを入れたら、僕、走れる?』

 

 白石は、少年の細い手を握りしめて答えた。

『すぐには無理だよ。筋肉も落ちているからね。でも……リハビリを頑張れば、歩けるようになる。階段も自分の足で登れる。そしていつか、絶対に走れるようになる』

 

『……運動会、出られるかな?』

 少年が、小さな声でこぼした夢。白石は少しだけ言葉に詰まり、そして力強く頷いた。

『出よう。来年の運動会を、一緒に目標にしよう』

 

 手術から数日後。

 集中治療室から一般病棟へ移り、目を覚ました少年は、胸の真新しい傷跡の上から、そっと自分の手を当てた。

 

「……苦しくない」

 少年が、掠れた声で呟く。

 

 傍らで見守っていた母親が、ハッとして息を呑んだ。

「え?」

 

「ママ……。胸のドクンドクンいう音、全然苦しくないよ。機械のブーンって音も、しない。……すっごく、静か」

 

 その言葉を聞いた瞬間、母親は少年のベッドのシーツに顔を伏せ、声を上げて泣き崩れた。何年も彼女の心を縛り付けていた「いつ止まるか分からない」という死の恐怖が、その小さな、しかし力強い新しい鼓動とともに完全に消え去ったのだ。

 

 肝臓の移植を待っていた三十代の母親。

 彼女には、まだ小学校に上がったばかりの幼い娘があった。重度の肝不全で黄疸が全身に広がり、腹水で苦しむ彼女に、娘は手術室へ向かう直前、下手くそな文字で『ママだいすき』と書かれた折り紙を渡した。

 

『ママ、早く帰ってきてね。帰ってきたら、一緒にお弁当作ってね』

『うん……。ママ、卵焼き、もっと上手に作れるように練習しておくね』

 

 手術後。

 待合室で祈るように震えていた夫と娘の前に、手術着姿の白石が現れた。

 

「手術は無事に成功しました。新しい肝臓は、すでに正常に血液を浄化し始めています。拒絶反応の兆候もありません」

 

 その言葉に、夫はその場に崩れ落ち、両手で顔を覆って嗚咽した。

 事情がよく分かっていない娘が、白石の白衣をきゅっと掴んで見上げる。

 

「先生……ママ、帰ってくる?」

 

 白石は、娘の目線に合わせてしゃがみ込み、優しく頭を撫でた。

「ああ。ちゃんと帰ってくるよ。卵焼きの練習、一緒にできるからね」

 

 十数年にわたり長期透析を受け続けていた五十代の男性。

 週に三回、数時間の透析に時間を縛られ、仕事を失い、生きるためだけに生きているような暗い生活を送っていた。

 

 手術前、彼は白石に向かって自嘲気味に言った。

『先生。俺みたいな先が長くないおっさんより、もっと未来のある若い人を先にしてやった方がいいんじゃないですか』

 

 白石は、カルテから顔を上げて真っ直ぐに答えた。

『順番が来たんです。ルール通りに、厳格な順番で。……あなたの番です。遠慮する必要はありません』

 

『俺の番、か……』

 男性は、天井を見上げて静かに涙を流した。

 

 手術後、彼の腕から太い透析用のシャントチューブが外される日が近づいていた。

 病室を訪れた妻が、信じられないというように何度も担当医に確認する。

 

「本当に……もう、週に三回も病院に通わなくてよくなるんですか? あの機械に繋がれなくていいんですか?」

 

「経過観察と免疫系以外の投薬は必要ですが、透析装置に縛られる生活は終わります」

 担当医が微笑んで答える。

 男性は、ベッドの上で妻の手を強く握りしめ、ただ無言で頭を下げ続けていた。

 

 肺の移植を待っていた高校生の少女。

 彼女は酸素チューブが手放せず、少し会話をするだけでも息が上がり、唇が紫に変わっていた。彼女の将来の夢は、ステージで歌うことだった。

 

 手術後、リハビリ室。

 彼女は、鼻のチューブが外された状態で、理学療法士の指導のもと、ゆっくりと、深く息を吸い込んだ。

 

「……っ」

 

 彼女の目が、驚きに大きく見開かれた。

 

「……空気って、こんなにいっぱい、胸の中に入るんだ……」

 

 少女の目から、大粒の涙がポロポロと溢れ落ちる。

 

 第一陣として選定された数十名の移植手術は、アンノウン機関の完璧な臓器と、日本の医療チームの死力によって、全例が成功裏に完了した。

 

 ◇

 

 数日後。

 厚労省の講堂において、日本医師会、移植学会、そして厚生労働省による合同記者会見が開かれた。

 

「——東京都内における、完全生体互換人工臓器の第一陣移植手術は、対象となった全例において成功裏に完了いたしました」

 

 医師会代表のその言葉に、集まった数百人の記者たちからどよめきが起こった。

 

「拒絶反応は確認されましたか!?」

 最前列の医療系記者が、身を乗り出して叫ぶ。

 

「現時点で、拒絶反応は一例も確認されていません」

 医師会代表が、用意された原稿を正確に読み上げる。

 

「重大な副作用は!?」

 

「現時点において、術後の重篤な感染症、血栓、代謝異常等の重大な副作用は確認されておりません。……ただし、医療に『絶対』はありません。我々は今後も、患者様の長期追跡観察を厳重に継続してまいります」

 厚労省の担当官が、慎重な姿勢を崩さずに答える。

 

 別の記者が、最も世間が気になっている核心を突いた。

「人工臓器の供給量について伺います! 現在、移植待機リストには何千人もの患者が登録されていますが、この臓器はどれくらいのペースで製造できるのですか! 供給不足で救われない命が出るのではありませんか!?」

 

 日下部が、マイクを引き寄せて静かに答えた。

 

「人工臓器の製造能力の詳細については、国家の安全保障上の理由から回答を控えます。……ただし、第一陣に続く治験拡大に必要な『供給量』については、すでに十分に確保されております」

 

 実質無限である、とは決して言わなかった。

 しかし、その「供給量がボトルネックではない」という強烈な事実は、記者たちに十分すぎるほどの衝撃を与えた。

 

 その日、厚生労働省の公式ウェブサイトに、新たな通知が掲載された。

『東京都内の指定病院において、既存の移植待機リスト上位者から順次、人工臓器の導入治験を進める。術後管理のデータを集積し、段階的に全国の基幹病院へと拡大する』

 

 とある指定病院の医局。

 移植コーディネーターの女性が、パソコンのモニターに表示された『移植待機者リスト』を見つめていた。

 

 これまでは、この画面を開くたびに心が重くなった。

 リストの順番が進むということは、どこかで誰かが脳死判定を受け、深い悲しみの中で臓器提供の決断が下されたことを意味していた。誰かの死を待たなければ、目の前の患者は救われない。それが移植医療の残酷で、変えようのない現実だった。

 

 だが今、彼女の目の前にある画面の意味は、根本から変わっていた。

 

 リストの最上位の患者の名前に、次々と新しいステータスが付与されていく。

『人工臓器適合確認済』

『手術日確定』

『術後経過良好』

 

 ドナーは必要ない。待っていれば、順番通りに必ず新しい臓器が工場から届く。

 

「……」

 移植コーディネーターは、モニターを見つめながら、ポロポロと涙をこぼした。

 

「どうしたの?」

 同僚の看護師が驚いて声をかける。

 

「このリストの画面を見て……初めて、希望を感じたの」

 彼女は、涙を拭いながら笑った。

 

 待機リストは、もはや「死を待つ列」ではなくなった。

 それは確実に命が助かるための「救命の順番表」へと、歴史的な変貌を遂げたのである。

 

 ◇

 

 会見のニュースは、瞬く間に日本中を駆け巡った。

 

【速報】完全生体互換人工臓器、第一陣手術全例成功

【移植医療に革命】拒絶反応一例も確認されず

【東京都内指定病院で導入拡大へ】待機リスト上位者から順次治験

 

 ネット上の反応は、爆発的な歓喜と、それに伴う冷静な議論で入り乱れた。

 

「これ本当に医療史が変わるやつだろ。ノーベル賞とかそういう次元じゃない」

「移植待機リストが終わるかもしれないってマジ? ドナーカードの概念が過去のものになるぞ」

「うちの親戚もリストに入ってる。本当に順番が来るかもしれないって、家族全員で泣きながらニュース見てる」

「白石先生、マジで休んで。執刀医が過労で倒れたら元も子もないぞ」

「臓器はあっても医者とICUが足りない問題か……。金じゃ解決できない物理的な壁だな」

「アンノウン機関、エネルギーの次は命のインフラ作ってる。神かよ」

「でも順番管理ミスったら地獄になるぞ。政治家とか金持ちが裏口で順番抜かしするのだけは絶対に防げよ」

 

 国内が希望に沸く一方で。

 当然のことながら、このニュースは国境を越え、世界中に凄まじい衝撃と「焦燥」を引き起こしていた。

 

 アメリカのニュース番組では、キャスターが声を荒らげている。

『日本で人工臓器の第一陣手術が成功しました! なぜ、我々アメリカの移植待機患者にはこの希望が与えられないのでしょうか! 退役軍人向けの義肢に続き、一般患者へのアンノウン医療のアクセスを強く求めます!』

 

 アメリカのSNSは、患者家族たちの怒りと悲痛な声で溢れかえっていた。

「日本だけが助かるのか!?」

「私の五歳の娘は、心臓移植を三年間待っている。どうして日本人だけが助かって、私の娘はベッドで死を待たなければならないの!?」

「今すぐ日本行きのビザを取れ! 日本に行けば手術が受けられるのか!?」

「ヘイズ大統領は何をしている! 宇宙に船を飛ばしている暇があるなら、日本と交渉して臓器をもらってこい!」

 

 EUの議会でも、倫理委員会が紛糾していた。

『このような命に直結する技術を、一国が独占することは医療倫理上許されない! 人類全体で共有すべき技術だ!』

 しかし、EU圏内では各国の医療制度や保険システムがバラバラであり、具体的な受け入れ体制の統一は絶望的に遅れていた。

 

 イギリス政府は、表向きには紳士的な態度を装った声明を出した。

『英国政府は、日本の治験拡大を心から歓迎する。同時に、重症患者の国際的な救済枠の創設について、日本政府と前向きな協議を求める』

 だが、裏の外交ルート——内閣情報調査室の極秘通信経路では、全く違うトーンの照会が届いていた。

『我が国は、すでに“特定の戦傷救命技術”において、貴国と高度な機密医療協力の枠組みを共有している実績がある。この信頼関係に基づき、人工臓器技術の早期情報共有と、英国本土における限定的な治験開始の協議を強く求める』

 日下部はその通信を読み、眉間を揉みほぐしながら『当面は国内治験のデータ集積を優先する』と冷たく突っぱねたが、イギリスからの圧力は今後も続くことは明白だった。

 

 中東の産油国や富裕国からは、さらに直接的なオファーが届いた。

『我が国の重症患者を、国家予算でチャーター機に乗せ、日本へ長期滞在させる用意がある。滞在費や医療費は青天井で支払う』

 

 そして、世界中の超富裕層——巨大企業のCEO、王族、大富豪たちから、日本のブローカーや医療コンサルタントを通じて、桁違いの裏金が飛び交い始めた。

「いくらでも払う。百億円でも出す」

「日本に半年でも一年でも滞在する。だから、リストの順番を買わせてほしい」

 

 希望の技術は、一歩間違えれば、人間の命に値札をつける最も醜悪な『闇市場(ブラックマーケット)』へと変貌する危険性を孕んでいた。

 

 ◇

 

 世界中から殺到する要求と圧力に対し、日本政府は極めて冷酷で明確な回答を示すための記者会見を開いた。

 登壇したのは、綾瀬厚労大臣と日下部である。

 

 海外メディアの記者が、怒気を含んだ声で質問を飛ばす。

 

「日本政府に伺います! 海外患者の受け入れはいつから始まるのですか!?」

 

 綾瀬厚労大臣が、冷静に答える。

「現時点では、日本国内の指定病院における治験を最優先とし、海外患者の受け入れについては極めて限定的な特例を除き、予定しておりません」

 

「人工臓器の数が足りないのですか! 日本は技術を出し惜しみしているのではないですか!」

 別の記者が食ってかかる。

 

 日下部が、マイクを引き寄せて淡々と答えた。

 

「人工臓器そのものの製造能力について、現時点で深刻な制約があるわけではありません」

 

 記者席が、再び大きくどよめいた。製造の限界ではないと、政府が公式に認めたのだ。

 

「では、なぜ海外で実施しないのですか! なぜ順番を待っている世界中の子供たちを見捨てるのですか!」

 

 記者の感情的な追及に対し、日下部は一切表情を崩さず、氷のような声で理由を並べ立てた。

 

「理由は三つあります。

 第一に、術前および術後管理の問題です。完全生体互換とはいえ、高度な吻合手術と長期の追跡観察が必須です。患者が自国へ帰還してしまえば、我々が指定する厳格な医療プロトコルが維持できず、万が一の不具合に対応できません。長期追跡データを確実に取るため、日本の指定病院と連携できる環境に患者が長期滞在する必要があります」

 

「ならば、日本へ渡航し、滞在できる者から受け入れればいいのではないか!」

 

「第二の理由がそれです」

 日下部が、記者の言葉を冷たく遮る。

「本人確認と、優先順位の厳格化です。

 この治験は、純粋な『医学的緊急度』と『既存の待機リストとの整合性』に基づき、厳密な本人確認を経て行われます。もし海外からの渡航受け入れを無制限に解禁すれば、何が起きるか。……自国の医療制度を飛び越え、金銭的余裕と政治的圧力を持つ特権階級だけが、プライベートジェットで日本に押し寄せます」

 

 日下部の視線が、海外メディアのカメラを真っ直ぐに射抜いた。

 

「そして第三の理由。闇市場への対策です。

 人工臓器本体は患者の細胞に合わせて生成されるため、単純な転売は不可能です。しかし、『日本での手術枠』を斡旋すると騙る詐欺、偽の人工臓器を売りつける悪徳業者、順番を奪うための患者の誘拐、そして富裕層向けの非合法な裏口ルートが、必ず世界中で発生します」

 

 日下部は、そこで一息つき、声のトーンをわずかに変えた。それは、単なる拒絶ではなく、したたかな外交官としての「取引の提示」であった。

 

「過去に公開されたがん治療ナノマシンにおいて、我が国は適切な対価による医療提供の道を閉ざしてはきませんでした。富裕層の方々が、自らと家族の命のために正当な資産を投じること自体を、日本政府が全否定するつもりはありません」

 

 記者たちが、その言葉の裏にある意図を測りかねて静まり返る。

 

「しかし」

 日下部は、鋭く言い放った。

「がん治療とは異なり、今回の人工臓器は『臓器の入れ替え』という不可逆的で極めて高度な管理を要する医療です。現在我々が行っているのは、安全な医療制度を確立するための『初期治験』に過ぎません。この段階で安易に自由市場を開放すれば、命を商品化し、搾取する最悪のブラックマーケットを作ってしまいます」

 

 日下部は、カメラ越しに世界中の富裕層と権力者たちへ向けて、冷徹に、しかし確かな「希望」をぶら下げるように告げた。

 

「今は、お待ちいただきたい。

 治験を終え、この技術が確固たる『通常の医療インフラ』として確立された暁には……我が国は必ず、国際的な正規の枠組みとして、皆様に適切なアクセスルートをご用意いたします。

 それまで、非合法な手段に手を出すことは絶対にお控えください。……裏口を叩いた者は、未来の正規ルートからも永久に排除されることになります」

 

 それは、「今は無理だが、おとなしく待っていれば必ず金で買える正規ルートを用意するから、暴走するな」という、強欲な特権階級の首にかけた見事な首輪であった。

 

 ◇

 

 その夜。

 都内の指定病院の廊下で、白石啓吾は自販機で買った缶コーヒーを握りしめながら、壁掛けのテレビから流れる海外ニュースを見上げていた。

 

 画面には、アメリカや欧州で「日本に医療を開放させろ」とプラカードを掲げてデモを行う患者家族たちの姿が映し出されている。

 ネットを開けば、日本の対応を称賛する声と、自国政府への怒り、そして金持ちたちの醜い懇願が入り乱れていた。

 

 白石は、コーヒーの缶を強く握りしめた。

 

「……もっと、救えるのに」

 白石の口から、またしてもその言葉が漏れた。

 

 アンノウンの工場は動いている。臓器は作れる。

 自分が寝ずにメスを握り続ければ、海の向こうで泣いているあの子供たちも、助けられるかもしれないのに。

 

「先生、またそれですか」

 背後から、いつものベテラン看護師長が呆れたように声をかけた。

 

「……だって、事実じゃないですか」

 白石は、振り返らずに言った。

「臓器はある。技術もある。なのに、制度が追いつかない。医者が足りない。病床が足りないから、順番を決めなきゃいけない。目の前に薬があるのに、ルールを守るために見殺しにするなんて……」

 

「先生は、神様になりたいんですか」

 看護師長の言葉は、静かだが鋭かった。

 

 白石はハッとして振り返る。

 

「画面の向こうで待っている人たちも、本当に苦しいんです。先生が助けたいと思うのは当然です。……でも」

 看護師長は、白石の目を真っ直ぐに見つめた。

「先生がルールを破って、一人を特別扱いして助けたら。今、日本のベッドで静かに順番を待っている人たちは、どう思うでしょうか? 金とコネがある人が優先されるなら、自分たちの順番は一生来ないって、絶望するんじゃないですか?」

 

「それは……」

 

「だから、先生一人が背負い込まないでください。これは、先生の個人の力で解決する問題じゃないんです」

 

 白石は、しばらくの間黙り込み……やがて、深く息を吐き出して、壁に寄りかかった。

 

「……日下部さんの言う通りですね。

 これは、奇跡じゃなくて、医療にしなきゃいけない。誰かが倒れたら終わる魔法じゃなくて、百年先まで続く当たり前のシステムにしなきゃいけないんだ」

 

 白石は、ようやく、自らの無力さと、制度という冷酷だが絶対に必要な壁の存在を受け入れた。

 

 ◇

 

 それから数ヶ月後。

 白石は、病院のリハビリテーション室の前の廊下を歩いていた。

 

 ガラス張りの部屋の中では、かつて心臓移植を待っていたあの小学生の少年が、理学療法士に支えられながら、自分の足で一歩、また一歩と歩行訓練を行っていた。

 額に汗を浮かべながらも、その顔には満面の笑みが咲いている。

「先生! 見て! 歩けたよ!」

 少年がガラス越しに白石を見つけて、大きく手を振る。来年の運動会という約束は、決して夢物語ではなくなっていた。

 

 別の病室の前を通ると、タブレット端末を手に笑顔で話す三十代の女性の姿があった。

「うん、もうすぐ退院できるよ。……うん。帰ったら、一緒に卵焼き作ろうね」

 画面の向こうの娘に向けて、彼女は涙ぐみながら「ただいま」と手を振っていた。

 

 中庭のベンチでは、十数年間透析に縛られていたあの男性が、妻と肩を並べて日差しを浴びている。彼の腕にはもう太いチューブはなく、ただ静かに、当たり前の時間を噛み締めていた。

 

 そして、音楽室として使われている多目的ルームからは、かすかな歌声が聞こえてきた。

 肺の移植を受けたあの高校生の少女だ。

 酸素チューブを外した彼女の口から紡がれる一音一音は、まだ少し震えていたが、深く空気を吸い込んだその歌声は、どこまでも澄み切っていた。

 

 白石は、その歌声を聞きながら、廊下でふと立ち止まった。

 目元が熱くなり、視界が滲む。彼は慌てて白衣の袖で目尻を拭った。

 

「白石医師」

 後ろを付いて歩いていたオラクル義体が、無機質な声で反応する。

「涙腺からの分泌液反応を検出しました。眼球の異常、または精神的負荷の可能性があります。検査を推奨しますか?」

 

「……黙っててください」

 白石は、少しだけ笑ってそっぽを向いた。

 

「了解しました。記録から削除します」

 オラクルは、それ以上何も言わずに控えた。

 

 完全生体互換人工臓器。

 それは、核融合炉のように都市を眩く照らすわけではない。

 火星へ向かって巨大な船を飛ばすわけでもない。

 フルダイブ技術のように、人間の意識を丸ごと別世界へ連れて行くような派手な魔法でもない。

 

 ただ、一人の胸の中で、静かに心臓が鼓動を刻む。

 ただ、一人の体の中で、肝臓が黙々と血を浄化する。

 ただ、一人の肺が、生きるために深く空気を吸い込む。

 

 その地味で、当たり前で、しかし途方もなく重い小さな奇跡が、病室のベッドの数だけ起きていた。

 

 臓器が足りないから、命を諦める。

 そんな理不尽な時代が、終わろうとしている。

 

 けれど、奇跡は配り方を間違えれば、人間の醜い争いの火種になる。

 命を救う神の技術は、一歩間違えれば、命に値段をつけて売り買いする最悪の市場になり得るのだ。

 

 だからこそ日本政府は、世界中からの批判と焦燥の炎に焼かれながらも、喜びの中でなお、冷徹に慎重であり続けるしかなかった。

 

 それでも、その日、東京都内の病院のベッドで救われた人々にとっては。

 大国の政治的な駆け引きも、制度設計の泥沼も、世界のSNSの炎上も、全く関係のないことであった。

 

 彼らはただ、朝に目を覚まし、自分の肺で息を吸い、愛する家族の声を聞き、明日を生きられることを喜んだ。

 

 白石医師は、リハビリ室のガラス越しに笑う少年を見つめながら、静かに呟いた。

 

「……これで、もっと救える」

 

 その声は、相変わらず連日の激務による疲労で掠れていた。

 けれど、その響きには、医者としての誇りと、これから続く長い戦いへの確かな希望の光が宿っていた。




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