自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~ 作:パラレル・ゲーマー
テラ・ノヴァ側、工場区画の深奥部に位置する中央管制室。
地球側の時間軸では深夜に相当するその時間帯、この広大な司令空間には、珍しく穏やかで、少しだけ緩んだ空気が流れていた。
壁面の巨大なホログラムディスプレイには、無数のプラント群が滞りなく稼働し、資源を吸い上げては製品を吐き出す美しい物流の光の帯が映し出されている。
工藤創一は、自室のリビングで寛ぐかのようなだらけた姿勢でエルゴノミクスチェアに身を沈め、片手にマグカップを持ちながら、ぼんやりとモニターを眺めていた。
その傍らには、いつものようにタイトスカートのスーツ姿をした工場管理AI・イヴのホログラムが静かに佇み、さらにもう一体、地球との連絡および記録補助を担うオラクル義体が直立不動で控えている。
そして、工藤の向かいの簡素なパイプ椅子には、日本の内閣官房参事官・日下部が、死んだ魚のような目で深く、深く腰掛けていた。
日下部にとって、テラ・ノヴァのこの管制室は、地球の官邸の会議室よりは物理的に安全な場所かもしれない。だが、精神的な休まる場所では決してなかった。
彼は地球側で山積みになった国際問題と法整備の対応で数日間の徹夜を重ねており、今は少しでも静かな場所で脳を休めるためだけに、ここへ逃げ込んできた状態だった。
「……最近の出来事を、雑談で処理できる量ではありませんね」
日下部が、工藤の淹れた出がらしのコーヒーを口にしながら、低く唸った。
「いやー、世界がすごい速度で変わってますね」
工藤が、他人事のように呑気な声で返す。
「主にあなたのせいです」
日下部が即座に突っ込む。
「ええ……俺、最近は大人しく工場回してるだけですよ?」
工藤が不満げに口を尖らせる。
「日下部氏の発言は、因果関係として概ね正確です」
イヴが、冷徹なシステム音声で日下部を支持した。
「イヴまで」
工藤は肩を落とした。
実際、工藤が「大人しく」している間に地球側で起きた出来事は、人類の歴史を数世紀分圧縮したかのような密度だった。
米仏による核融合炉公開実証施設の完成と稼働。フルダイブは東京ゲームショウへ向けて各社が狂乱の開発競争へ突入。火星への第一陣メンバーの決定。完全生体互換人工臓器の本格治験成功と、それに群がる海外の要求。そして、いまだにくすぶり続けるアンノウン機関の所在地不明疑惑。
「まあ、でもさ」
工藤は、マグカップを置いて、少しだけ表情を和らげた。
「人工臓器のニュース、見ましたよ。いやー、すごいですね!」
日下部は、工藤のその無邪気な感嘆に、深い溜め息を吐いた。
「……いや、あなたの発明じゃないですか。何を言っているんです?」
「いやいや、技術は俺とこのテクノロジーツリーからですけど、実際にあの臓器を使って人を救ってるのは、白石先生たち医療現場の人たちですよ」
工藤は、モニターの片隅に表示させていた地球のニュース映像を指差した。
そこには、白石医師が第一陣手術を成功させ、病室で少年が自分の足で一歩を踏み出す姿や、酸素チューブを外した少女が歌う映像が流れていた。そして、「移植待機リストが死を待つ列から、救命の順番表へ変わった」というキャスターの言葉。
「俺、ちょっと分かったんですよ。技術だけじゃ駄目なんですね」
工藤が、珍しく真面目なトーンで言う。
「今さらですか?」
日下部が、呆れたように返す。
「今さらです」
工藤は、照れくさそうに笑った。
「テクノロジーツリーでロックを解除して、物を作っただけじゃ、それはただの『便利な機械』なんですよ。白石先生みたいに、現場で血反吐吐いて使って、制度にして、人に届けて、それで初めて技術に意味が生まれるんですよね」
日下部は、工藤のその言葉を聞いて、少しだけ表情を和らげた。
「……それを理解していただけたなら、白石先生も過労で倒れかけた甲斐がありましたね」
「白石先生、マジでお疲れ様です」
工藤は、ニュース映像の中の白石に向かって、深く頭を下げた。
◇
だが、工藤の言葉はそこでは終わらなかった。
「それで、思ったんです」
工藤は、椅子の背もたれから身を乗り出し、少しだけ熱を帯びた目で日下部を見た。
「俺も、もっと直接、世界を良くできるんじゃないかなって」
——ピクリ、と。
日下部の表情から、先ほどまでのわずかな安堵が完全に消え去った。
「工藤さん」
日下部の声が、一段階低く、そして氷のように冷たくなった。
「その言い方は、非常に危険です」
「え?」
工藤が、きょとんとして聞き返す。
「“世界を良くする”という言葉は、技術者が、あるいは権力者が言い始めると、極めて危険な結果を招く場合が多いのです」
日下部は、真っ直ぐに工藤の目を見据えた。
「いや、そんな大げさな……。俺はただ、白石先生みたいに困ってる人を助けたいなって」
「大げさではありません。あなたの場合、ただの理想論ではなく、実際に世界を強制的に書き換える『能力(オーパーツ)』が手元にあるからです」
工藤は、少し照れるように頭を掻いた。
「そうですかね?」
「照れないでください。警告です」
日下部は、一切の妥協を許さない声でピシャリと言い切った。
この時点で、日下部の脳内には、かつてないほどの最大級の『嫌な予感』の警報が鳴り響いていた。
◇
「……ちなみに、聞きますが」
日下部は、胃のあたりを軽く押さえながら、恐る恐る尋ねた。
「その、“もっと直接世界を良くできる”技術というのは、具体的に何を想定しているのですか?」
工藤は、全く悪気のない、純粋な善意100%の顔で答えた。
「例えばですよ。テクノロジーツリーに、あらゆる暴力行為を抑制する電波を出す技術があったんですよ」
会議室の空気が、完全に、そして絶対的に凍りついた。
「……何ですか、それ」
日下部の声が、地を這うような低さになった。
「『非暴力強制波(パックス・ウェーブ)』ってやつです」
工藤が、カタログのスペックを読み上げるような気軽さで答える。
「報告してくださいよ」
日下部が、ギリッと奥歯を噛み締めた。
「何ですかそれ。名前からして、どう考えても人類の歴史を終わらせる危険物ではありませんか」
「いや、違うんですよ。解禁するときに、あのKAMIと賢者・猫から『TIPS』が出たんですけど、ちょっと長かったんで、とりあえず無視してロック解除(解禁)だけはしておいたんですよね」
工藤が言い訳をする。
「KAMI様と賢者・猫のヒントになる可能性がある情報を、絶対に無視しないでください!!」
日下部が、ついに堪えきれずに怒鳴った。
「あー、イヴ。出して」
工藤は日下部の剣幕に押され、慌てて空間にホログラムを展開させた。
イヴが、無機質な声で応答する。
「了解しました。テクノロジーツリー・フレーバーテキストを表示します」
空間に、赤と黄色の警告色が混じったテキストウィンドウが浮かび上がった。
◇
『TIPS:非暴力強制波/パックス・ウェーブ』
分類:社会制御系/精神干渉系/封印推奨技術
推奨運用:原則禁止
例外運用:災害時の暴徒鎮圧、閉鎖空間での一時使用のみ。ただし記録・第三者監査必須
(以下、会話ログ)
KAMI:
「はい、出ましたー。文明が一度は考える、最低で最高に便利なやつ。
『人間が人間を殴れなくなる電波を出せば平和になるんじゃない?』って発想ね。浅い。実に浅いわ」
賢者・猫:
「だが需要は常にある。王は反乱を恐れ、軍は暴走を恐れ、親は子の喧嘩を恐れ、弱者は強者の拳を恐れる。暴力を止める装置は、いつの時代も高値で売れる」
KAMI:
「でもねぇ、これ、自由意志のど真ん中に手を突っ込む技術なのよ。
人を殺させない。殴らせない。撃たせない。刺させない。
聞こえはいいけど、同時に“抵抗する権利”も“怒る権利”も“最後に拳を握る権利”もまとめて奪うわ」
賢者・猫:
「暴力は悪である。だが、すべての暴力が同じ価値を持つわけではない。
虐殺の刃と、虐殺を止めるために振るわれる刃。
支配者の銃と、奴隷が鎖を断つための石。
この技術は、それらを同じ箱へ放り込む」
KAMI:
「あーもう、ほんと雑なのよ。
『暴力禁止!』って書いたシステムは、たいてい“誰にとって都合の悪い暴力か”を考えてないの。
結果どうなると思う?
今、権力を持ってる側が完全に固定されるのよ。だって反乱も革命も正当防衛も、ぜーんぶ止まるんだから」
賢者・猫:
「平和を買ったつもりで、未来の選択肢を質入れする。よくある取引じゃな」
KAMI:
「まあ、使えば面白いわよ?
戦争は止まる。犯罪も減る。街は静かになる。
独裁者は笑う。弱者は泣き寝入りする。軍人は仕事を失い、警察は権限の再定義に苦しみ、革命家はただ黙って檻の中で老いる。
見ものね。ええ、すっごく見もの」
賢者・猫:
「短期利益は莫大だ。保険料は下がり、都市治安は安定し、投資家は喜ぶ。
だが長期負債は計算不能。自由意志を担保にした文明は、やがて自ら契約書を読めなくなるのじゃな」
KAMI:
「だから結論。
使うな。
どうしても使うなら、範囲限定、時間限定、対象限定、記録必須、解除権限分散、第三者監査。
それでも私はおすすめしないわ」
賢者・猫:
「檻は、外敵から身を守るためにも使える。
だが、内側にいる者が鍵を持たないなら、それはただの牢獄じゃ」
KAMI:
「平和っていうのはね、暴力が“できない”状態じゃなくて、暴力を“選ばない”状態のことよ。
そこを間違える文明は、だいたい自分で自分を飼い慣らして終わるの」
◇
テキストを読み終え、管制室には重く、息の詰まるような沈黙が落ちた。
日下部の顔は、完全に青ざめていた。
額には冷や汗が浮かび、呼吸すら浅くなっている。
「す……すごいまともな異星人たちだ……!」
日下部が、心の底から絞り出すように呟いた。
「いや、俺もびっくりしましたよ」
工藤も、別の意味で感動したように頷く。
「KAMIって、いつもTIPSで『面白いか面倒くさいか』で動いてる愉快犯みたいな感じだったので、こんな真っ当で倫理的なこと言うんだなって」
「肯定します」
イヴが、冷徹な音声で割り込んだ。
「KAMIおよび賢者・猫の警告内容は、星間文明の倫理基準に照らし合わせても極めて妥当です。本技術は、文明の自律的な発展を不可逆的に阻害するクラス・ハザード指定に該当します」
「イヴが即答するレベルの危険技術なんですね」
日下部が、胃をさすりながら呻く。
◇
だが、工藤はまだ完全に納得してはいなかった。
「でも、便利じゃないですか」
工藤が、ポツリと言った。
「工藤さん」
日下部の声が、スッと低くなる。
「だって、これさえあれば、地球上のあらゆる暴力行為が止まるんですよ?」
工藤は、画面の向こうの地球を指差して熱弁を振るう。
「戦争も、犯罪も、テロも、虐待も、強盗も。……全部、物理的に止められるかもしれないんですよ? もしこれが街に一台あれば、通り魔に刺されて死ぬ人も、戦場で爆撃される子供もいなくなる」
それは、紛れもない「善意」だった。
白石医師が目の前の命を救ったように、自分もこの技術で理不尽な死をなくしたいという、純粋な願い。
だが、日下部は一切の同情を見せず、極めて冷酷に言い放った。
「はっきり言います。浅知恵です」
工藤が、言葉に殴られたように固まる。
「……浅知恵」
「はい。浅知恵です」
日下部は、工藤から決して目を逸らさずに断言した。
「絶対に、やめてください」
「そこまでですか?」
工藤が、信じられないというように聞き返す。
「そこまでです」
日下部の声には、いつもの官僚としての「調整」や「妥協」の響きは一切なかった。
◇
「工藤さん。ここからは、日本政府の官僚としてではありません」
日下部が、姿勢を正し、低い声で言った。
「日下部個人として言います」
工藤が、少し驚いて目を見開く。
「日下部さん個人?」
「はい」
日下部は深く頷いた。
「日本政府の立場としてであれば、このような技術が存在するなら、検証しろ、管理しろ、使い道を考えろ、と私は言わざるを得ない場面もあります。……災害時の暴徒鎮圧、テロ現場の制圧、人質事件の解決。使えば確実に命が救える局面はあるでしょう」
「ですよね?」
工藤が、少しだけ安心したように身を乗り出す。
「ですが、私個人は、あなたにそれを世界へ出してほしくありません」
「……」
工藤は、言葉を失った。
「なぜなら、それは工藤さんの『思想』が、世界に直接流し込まれる技術だからです」
日下部は、最も恐れている核心を突いた。
「我々が今まで、アンノウンという劇薬を使いながら、地球を壊さずに比較的うまくやれている理由が分かりますか?」
日下部は、工藤に問いかける。
「えっと……日下部さんたちが優秀だから?」
「それもありますが、根本は違います」
日下部は首を横に振った。
「工藤さんが、“俺の理想の世界はこうだ”と、思想丸出しで世界を正そうとしてこなかったからです」
工藤がハッとして息を呑む。
「あなたは、ただ技術を出す。便利だから、必要だと言われたから出す。……そして、それを社会にどう組み込むか、どんな法律で縛るかという面倒な部分は、すべて日本政府や現場の専門家たちが、血反吐を吐きながら制度に落とし込んできました。だから、ギリギリで世界は回っているんです」
「ギリギリなんですか」
工藤が小さく呟く。
「ギリギリです」
日下部は即答した。
◇
日下部は、工藤の「善意」がなぜ危険なのかを、KAMIのTIPSを人間の言葉に翻訳して整理し始めた。
「第一に、正当防衛も止まります。
殴る側だけでなく、殴られる側の反撃もシステムに封じられる。理不尽な暴力を受けても、抵抗できなくなります」
工藤が黙って聞く。
「第二に、抵抗権が死にます。
もしこの技術が、中国やロシアのような独裁国家、あるいは腐敗した権力者の手に渡ったらどうなりますか。民衆は、いかなる悪政に対しても反乱を起こせなくなる。デモも、革命も、自衛戦争も、すべてが物理的に不可能になる」
「第三に、現状の固定化です。
今、権力と富を持っている者が、そのまま永遠に君臨し続けます。なぜなら、下からの『暴力という最後の切り札』を恐れる必要がなくなるからです」
「第四に、誰が“暴力”を定義するのか、という問題です。
武器を持つことが暴力なのか。言葉で追い詰めるのは暴力ではないのか。親が、子供を危険から守るために強く押し退ける行為はどうなるのか。……その線引きを、システム(機械)に委ねるのですか?」
「そして第五に。……人間が未熟になります」
日下部は、最も重い事実を告げた。
「暴力を選ばないという倫理ではなく、単に暴力が“できない”だけの環境に慣れきった文明は、いずれ自由意志を扱う『精神の筋肉』を失います。自分で考え、痛みを知り、他者とぶつかり合いながら妥協点を探るという、人間社会の最も泥臭く、しかし重要なプロセスが死滅するのです」
工藤は、完全に黙り込んだ。
「工藤さん。平和は、ボタン一つで作るものではありません」
日下部の声が、静かに響く。
「……でも、戦争で死ぬ人は減ります」
工藤が、最後にすがるように反論した。
「短期的には減るでしょう」
日下部は、それを否定しなかった。
「だからこそ、危険なのです。効果が絶大だから、為政者は必ず使いたくなる。使えば、一定の命は確実に救われる。……だからこそ、“やめ時”がなくなる。一度麻薬を打った社会は、二度と自力で立つことはできなくなります」
◇
工藤は、深く俯いた。
しばらくの沈黙の後、彼はポツリと本音を漏らした。
「……人工臓器のニュースを見て。白石先生たちが、血反吐を吐きながら人を救ってるのを見たら。……俺も、もっと直接、何かできるんじゃないかって思ったんです」
日下部は、ただ黙って工藤の言葉を聞いた。
「今まで俺、工場を成長させることばっかり考えてました。テクノロジーツリーを進めて、施設を増やして、資源を集めて。……でも、技術って人に届いて初めて意味があるんだなって。だったら俺も、ただ部品を作るんじゃなくて、もっと人を救える技術を直接出せるんじゃないかって」
それは、工藤が「ただの工場長」から、世界と向き合う「創造主」としての責任を自覚し始めた証でもあった。
確かな成長だ。
だが、その成長の方向が、あまりにも危うすぎた。
「戦争も暴力もなくなれば、理不尽に死ぬ人が減って、救われる人がいるじゃないですか」
「います」
日下部が、即座に肯定した。
工藤が、ハッとして顔を上げる。
「います。間違いなくいます。……だからこそ、あなたの考えは『善意』です。悪意ではありません」
「じゃあ……」
「善意だから、危険なのです」
日下部は、決して譲らない冷徹な目で工藤を見据えた。
「悪意で作られた兵器なら、我々は全力で対抗し、封印できます。ですが、純粋な善意で作られた『完璧な支配のシステム』には、人類は抗えません」
◇
日下部は、少し間を置き、静かに言った。
「工藤さん。これは官僚としてではなく、一人の日本国民としての意見です」
「……はい」
「あなたは、もう十分すぎるほど日本政府と日本国民、そして世界の人々を救っています」
「ええ? そうですか?」
工藤が、目を丸くして聞き返す。
「そうです」
日下部は、指を折りながら数え上げた。
「13m級核融合炉。フルダイブ技術。人工義肢。人工臓器。火星到達技術。オラクル義体。建設ロボット。深宇宙探査システム。……あなたが提供した技術で、すでに何万人、何十万人が救われ、将来的には何億人という人類の命が助かる可能性があります。
ですから、変な影響を受けて“自分が直接世界を正す”という方向へは行かないでください」
「変な影響……」
「白石先生の影響です」
日下部が、容赦なく名指しする。
「あの人は臨床医です。目の前の命を救うために無理をするのが仕事です。それは尊い。ですが、工藤さんが同じ感覚で『目の前の悲劇をなくすボタン』を押すと、影響範囲と被害の規模が数桁違います」
「同意します」
イヴが、冷徹に補足する。
「マスターの行動は、白石医師と比較して、影響範囲が数桁以上大きいです。惑星規模の社会構造の崩壊を招く危険性が極めて高いと推算されます」
「数桁……」
工藤が、自分の影響力の大きさに改めてたじろぐ。
「ですから、今まで通りでいてください」
日下部が、懇願するように言う。
「技術を出す。私に相談する。専門家と政府に投げる。……勝手に世界を矯正しようとしない。それで十分です。本当に、十分すぎます」
◇
工藤は、日下部の必死の説得を聞いて、ようやく憑き物が落ちたように表情を緩めた。
「日下部さん……。ありがとうございます。俺、ちょっと調子に乗ってたみたいです」
工藤が素直に謝罪し、安心したように息を吐いた。
「分かっていただけて何よりです」
日下部も、深く頷いた。
「ただ、工藤さん」
「はい?」
「これはあくまで、日本国民としての意見です」
日下部の目が、スッと冷たくなった。
「官僚としては。……もう少し世界への影響を考えてほしいとか、いい加減にしろとか、報告を先にしろとか、正直、一度本気で殴りたいとか思っています」
「酷くないですか?」
工藤が顔を引きつらせる。
「日下部氏の意見は、極めて妥当です」
イヴが、ここぞとばかりに日下部を支持する。
「イヴ!?」
工藤が裏切られた顔をする。
「特に」
日下部が、怒りを込めて一歩前に出る。
「KAMI様と賢者・猫のTIPSを無視して、このような危険技術を勝手に解禁した件については、本当に殴られても文句を言えない案件です」
「でも、解禁しただけで、まだ一回も使ってないですし!」
工藤が必死に弁解する。
「“まだ使っていないからセーフ”という言葉も、国家安全保障の現場において最も信用してはいけない、最悪の言い訳です」
日下部が、氷点下の声で切り捨てる。
「最近、その系統のセリフ多くないですか?」
「あなたが、私にそういうセリフを言わせる案件を増やしているのです」
日下部が、胃を押さえながら呻いた。
◇
「非暴力強制波/パックス・ウェーブについては、当面封印してください」
日下部が、最終決定を下す。
「当面?」
工藤が聞き返す。
「私個人としては永久封印です」
日下部は顔をしかめる。
「ただ、政府官僚としては“例外運用の可能性を完全に否定する”とは言えません。閉鎖空間での暴徒鎮圧、人質事件、核施設のテロ対策など、限定的に使えば命が救える局面は確実にあるでしょうから」
「じゃあ……」
「だからこそ、なおさら今は出さない」
日下部が遮る。
「この技術を運用するには、まず倫理委員会、法学者、宗教家、人権団体、軍、警察、医療、心理学、国際法……これらすべてを巻き込んで、人類全体の合意形成を図らなければなりません。今の日本政府に、そんな余裕は一ミリもありません」
「大変そうですね」
工藤が他人事のように言う。
「大変なので、今は忘れてください」
「了解しました。イヴ、当該技術を封印カテゴリへ移行して」
工藤が指示を出す。
「了解しました」
イヴのホログラムが明滅する。
「非暴力強制波/パックス・ウェーブを封印カテゴリへ移行します。……再起動には、マスター権限に加え、日下部氏への事前報告および合意確認のプロトコルを必須条件として追加します」
「……なぜ私が鍵に?」
日下部が、嫌そうに眉をひそめる。
「マスターの暴走に対する抑止力として、最も最適と判断しました」
イヴが即答する。
「確かに」
工藤が納得する。
「全く嬉しくありません」
日下部が、また一つ増えた責任の重さに深くため息をついた。
◇
工藤は、作業台の上のモニターに表示された「封印」の文字を見つめながら、少しだけ考え込んだ。
「俺……世界を良くしたかったんですけどね」
工藤が、ポツリとこぼした。
「その気持ちは、否定しません」
日下部が、静かに応じる。
「でも、世界を良くするって……難しいですね」
「はい。だから、工藤さん一人で決めないでください」
日下部は、工藤を真っ直ぐに見て言った。
「分かりました。これからも、危なそうな技術はちゃんと相談します」
「危なそうではなく、全部相談してください」
日下部が即座に訂正する。
「全部?」
「全部です」
「……努力します」
「努力ではなく、遵守してください」
「マスターの遵守率向上のため、技術解禁時のTIPS自動報告機能を日下部氏の端末へ実装します」
イヴが、無慈悲なシステム・アップデートを宣言した。
「え、俺の自由は!?」
工藤が慌てる。
「人類の自由意志を守るための、あなたへの制限です」
日下部が、冷たく言い放つ。
「なんかそれ、パックス・ウェーブみたいなこと言ってません?」
工藤が文句を言う。
「違います。あなたが危険物を黙って解禁しないための、ただの『業務管理』です」
日下部は、一切の同情を見せずに切り捨てた。
工藤創一は、これまで工場を成長させることだけを見ていた。
資源を集め、施設を増やし、テクノロジーツリーを進める。それが彼の役割であり、工場長としての仕事だった。
だが、人工臓器が人を救う光景を見て、彼は初めて、技術の先にいる人間の顔を強く意識した。
それは間違いなく「成長」だった。
しかし同時に、一歩間違えれば人類を支配しかねない「危うさ」の始まりでもあった。
技術で世界を救いたい。
その願いは美しい。だが、その願いが人間の「自由意志」に手を伸ばした瞬間、救済は支配へと姿を変える。
非暴力強制波/パックス・ウェーブ。
それは、戦争を止めるかもしれない。犯罪を減らすかもしれない。多くの命を救うかもしれない。
だからこそ、封印された。
平和とは、暴力が“できない”状態ではない。
人間が自らの意志で、暴力を“選ばない”状態でなければならない。
KAMIと賢者・猫が残したその言葉は、テラ・ノヴァの静かな管制室に、しばらく重く残り続けた。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!