自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~   作:パラレル・ゲーマー

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第210話 銀河コミュニティ、命を救う権利で揉める

 ミコラ族の母星圏近くに設けられた、銀河コミュニティの仮設会議場。

 そこは、物理的な議場というより、複数文明の通信様式と知覚体系を統合した半仮想の会議空間であった。巨大なホログラム・ドームの中に、各文明の代表者たちの立体映像(アバター)が浮かび、万能翻訳機を介して、種族や環境の違いを超えた意思疎通が行われている。

 

 参加しているのは、日本国代表団、ミコラ族、及び銀河コミュニティ参加文明、光彩文明、環礁文明、機械協約文明。そして、新たに銀河コミュニティへの参加を希望し、オブザーバーとして同席しているいくつかの未知の星間文明の代表たちだ。

 

 日本国の代表としてこの場に立っているのは、外務大臣であった。

 彼は、地球上のいかなる国際会議とも異なる、文字通り「星の海」を背景にした会議場を見渡し、内心で深い嘆息を漏らした。

 

(地球側では、考えられないな……)

 

 地球では、医療に関する国際会議となれば、国家ごとの利害、莫大な医療費の負担、保険制度の違い、製薬会社の特許と薬価、技術の軍事転用リスク、国内世論、そして国家間の格差といった、泥沼のように生々しい政治的駆け引きで何年も揉め続けるのが常だ。

 

 ところが、この場に集まった星間文明たちの間で、今まさに話し合われようとしている議題は。

 

「銀河規模で病を減らせるなら、どうするべきか」

 

 外務大臣は、宇宙の広さと、その議論が持つ根源的すぎるテーマの大きさに、軽い眩暈を覚えた。

 

 ◇

 

「本日の議題を提示します」

 会議の進行役を務めるミコラ族の代表が、傘の斑点を穏やかに明滅させながら宣言した。

「『銀河コミュニティ基本医療インフラ構想』についてです」

 

 その内容は、地球の常識からすれば、あまりにも巨大で、理想的すぎるものだった。

 ミコラ族代表の背後に、提案の柱となる五つの項目が表示される。

 

【一、加盟星間文明間の医療データ共有】

 各種族が抱える遺伝子疾患、感染症、慢性病、環境依存疾患などの情報を、コミュニティ内で共有する。ただし、個体のプライバシーを保護するため、種族・集団レベルの匿名化された医療知見に限定する。

 

【二、遺伝子疾患の予防・治療支援】

 各文明が保有する遺伝子修復、細胞治療、再生医療、病原体除去といった高度な医療技術を、希望する加盟文明へ相互に提供し合う。

 

【三、感染症・病原体監視ネットワーク】

 星間移動が増大する以上、病原体の越境は避けられない。そのため、未知の病原体監視と、隔離・治療プロトコルを標準化する。

 

【四、基本医療アクセスの保証】

 銀河コミュニティに所属するすべての星間文明の構成員は、可能な限り最大限の医療技術の恩恵を受けられるべきとする。

 

【五、災害・疫病時の共同医療支援】

 ある文明で大規模な感染症や遺伝性疾患の爆発的発症が起きた場合、他文明が速やかに医療艦、治療装置、医薬品、専門家を派遣する。

 

 提案のすべてを聞き終えた外務大臣は、外交官としての率直な感想を脳内で反芻した。

 

(良い構想だ。……だが、良すぎる)

 

 良い技術。良い制度。良い理念。

 しかし、良すぎるものは、影響範囲が大きすぎるのだ。

 

 ◇

 

「まず、対象範囲について発言を求めます」

 最初に出たのは、極めて現実的で冷徹な意見だった。

 感情を交えない論理の塊、機械協約文明の代表である。

 

「本構想の対象は、銀河コミュニティに加盟する『星間文明』に厳格に限定すべきです」

 

 機械協約文明の代表は、その理由を理路整然と並べ立てた。

 

「相互同意の確認、医療データの適切な管理、治療失敗時の責任所在の明確化、事故時の補償、そして技術流出の管理。……これらを成立させるには、相手文明が最低限の法制度と、星間規模での『統治能力』を有している必要があります」

 

 この意見には、他の星間文明からも賛同の意を示すサインが次々と送られた。

 理由は単純である。相手が「星間文明」であれば、自文明の代表機関が存在し、医療データを管理でき、治療のリスクを正しく理解し、社会として同意を取ることができる。つまり、相手に「医療を受け取る能力と責任」があるからだ。

 

 日本国外務大臣も、この段階では深く頷いていた。

(加盟星間文明同士であれば、基本医療インフラの相互提供は十分に成立する。相手にも統治機構があり、説明責任を果たせる。これは、地球でいうWHO(世界保健機関)のような国際保健協力に近い)

 

 だが、ここで、別の文明から静かな異論が上がった。

 

「苦痛が存在し、それを取り除ける技術があるなら」

 生命の痛みや苦しみに対して極めて敏感な倫理体系を持つ、光彩文明の代表が、穏やかな光を放ちながら言った。

 

「その恩恵の対象を、星間文明に限る理由はあるのでしょうか。……銀河コミュニティに属していない、まだ星の海を知らない『惑星文明』であっても、病に苦しむ命は同じです」

 

 会議場の空気が、微かに変わった。

 

 環礁文明の代表も、深く波紋を広げるように同調する。

 

「病を癒やす水があるなら、岸の外にいる者へも届くべきです。星の海を越えられるかどうかで、命の価値が変わるとは思えません」

 

 この発言で、議論の波紋が一気に広がった。

 提案の対象が、「加盟星間文明の医療インフラ」という実務的な枠組みから、「銀河内のすべての惑星文明への医療支援」という、果てしない理想論へと拡大しかけたのだ。

 

 外務大臣は、ここで内心に冷たいものが走るのを感じた。

 

(ここから先は、危ない)

 

 命の価値は平等だ。善意としては、完全に正しい。

 だが、政治的・文明的な観点から見れば、それは極めて危険な飛躍であった。

 

 ◇

 

「確認します」

 機械協約文明の代表が、即座に論理的な致命傷を突いた。

 

「接触していない惑星文明を、どのように治療するのですか?」

 

 その問いに対し、光彩文明側の若い代表が、純粋な善意から一つの提案を口にした。

 

「現地の科学者や医療者を通して、段階的に治療技術を流せばよいのではありませんか? 彼ら自身が『発見』したという形にすれば、社会的な衝撃は最小限に抑えられます」

 

 会議場が、大きくざわついた。

 日本国の外務大臣も、その提案を聞いて表情を硬くした。

 

「それは、内政干渉ではありませんか」

 機械協約文明の代表が、冷酷に指摘する。

「さらに、偽装された技術供与です。現地文明の自律的な科学発展過程を、外部から不当に歪める行為に他なりません」

 

 別の星間文明の代表も、厳しい口調でそれに続く。

 

「現地科学者を通して治療技術を与える場合、その科学者はその文明において『何者』になるのですか? 救世主ですか。それとも、独裁者ですか。宗教的な聖人ですか。あるいは、国家権力に拉致・監禁される研究者ですか。……与えられた強大な治療技術は、現地の誰が管理し、誰が独占するのですか?」

 

 光彩文明側は、沈黙した。

 言っていることは、純粋な善意なのだ。病を治してあげたいだけなのだ。

 しかし、実際にそれをやれば、未成熟な文明の内部権力構造を完全に破壊しかねない。

 

 ◇

 

 だが、議論はここで終わらなかった。さらに深い倫理の泥沼へと突き進んでいく。

 

「では、我々は」

 光彩文明の代表が、悲痛な光を点滅させながら静かに問いかけた。

 

「治せる病で死んでいく命を観測し続けながら……ただ見ているだけでよいのでしょうか」

 

 会議場が、重い沈黙に包まれた。

 

「遺伝子疾患で、生まれた直後に苦しむ幼体。

 治療可能なはずの感染症で、大量に失われていく命。

 代謝異常や免疫不全で、短く終わる人生。

 ……それらを、我々は技術的に救えるかもしれない。それでも、彼らの文明段階が未熟だからという理由だけで、見殺しにするのが正しいのでしょうか」

 

 この問いに対する反論は、容易ではない。

 環礁文明代表も、同意を示すように静かな音を響かせる。

 

「命は貴重です。それが治療できるのに、無為に失われるのを見ていることが、道徳的に正しいとは思えません」

 

 一部の文明は、明らかにこの倫理的な「救済」に同意のサインを送っていた。

 一部の文明は、重い沈黙を保っている。

 機械協約文明は、沈黙しながらも、莫大なパターン演算を繰り返していた。

 

 そして。

 進行役のミコラ族代表が、日本国用の区画へと視線を向けた。

 

「日本国外務大臣。……日本国は、この問題をどう考えますか?」

 

 ◇

 

 外務大臣は、すぐには答えなかった。

 万能翻訳機越しに、複数の星間文明の視線が、地球の代表である自分に集中しているのを感じる。

 

(治せる病を、どこまで治していいのか。……我々人類にとっても、永遠の課題だ)

 

 外務大臣は、一度深く息を吸い込み、そして、地球の歴史を例に出して語り始めた。

 

「我が国でも、この問題は間違いなく議論が分かれます。

 病を治せるなら治したい。苦しむ命を救いたい。……そのお気持ちに、異論はありません。それは素晴らしい善意です」

 

 まず、光彩文明の善意を否定しない。そのうえで、外交官としての慎重な言葉を紡ぐ。

 

「ただし、治療したことで生じる『全体への影響』を考慮する必要があります。

 ……私の知る、過去の歴史の話をさせてください」

 

 外務大臣は、人類が歩んできた過酷な道を語る。

 

「ある時代には、幼い子供が病にかかり、多くが成長する前に命を落とすことが日常でした。幼児の四割前後が、成人する前に失われるような社会も、決して珍しくはありませんでした」

 

 会議場に、重い沈黙が落ちる。

 光彩文明の代表が、悲しむようにわずかに光を明滅させた。環礁文明も静まり返る。

 

「そのような病を治すことは、もちろん『善』です。

 しかし……それによって、社会はすべて変わります。

 人口構造が変わります。家族の在り方が変わります。富の相続が変わります。教育の仕組みが変わります。食料の必要量が劇的に変わります。

 国家の制度も、都市の形も、労働力の価値も、宗教的な信仰も……戦争の形さえも、変わるかもしれません」

 

 外務大臣は、言葉に最大の重みを乗せて言った。

 

「農業や食料生産の技術が未発達な文明において、突然、外部からの介入で『死亡率』だけを下げれば……その社会は、支えきれずに破綻する可能性があります」

 

 議場の空気が、変わった。

 救うことは正しい。だが、救った後に「生きる社会」そのものを支えられなければ、その善意は、飢餓や内戦という別の巨大な苦痛を生み出すだけなのだ。

 

 ◇

 

「我々は、星間文明です」

 ここで、別の星間文明の代表が力強く反論した。

 

「惑星文明一つの食料、医療、住居、教育程度なら、我々の力で支援可能ではありませんか。

 死亡率を下げた結果、社会基盤が不足するというのなら、その基盤ごと支援すればよいのです」

 

 これは、非常に強力な意見だった。

 実際、星間文明の力であれば、惑星一つの食料不足を補うことなど容易い。軌道上から巨大な食料生産プラントを投下することも、完璧な病院網を構築することも、教育端末を全人口に配ることも、気候を制御することすら可能な文明もいるのだ。

 

 光彩文明代表が、希望の光を放って言う。

 

「技術的に可能であるなら、我々はそうすべきではありませんか」

 

 だが、外務大臣は静かに、しかし断固として首を横に振った。

 

「技術的に可能であることと、それを行ってよいことは、別です」

 

 外務大臣は、地球の外交の最前線で培われた冷徹な倫理観を突きつけた。

 

「もちろん、我々は星間文明です。惑星文明一つの負担など、いくらでも背負えるでしょう。

 ですが。……それは、我々が『神』になってよいという意味ではありません」

 

 議場が、水を打ったように沈黙した。

 

「病を治し、食料を与え、住居を整え、教育を与え、政治制度を補助し、紛争を止め、人口を管理する。

 ……そこまで行えば、それはもう『医療支援』ではありません。

 その文明の歴史を、外部から完全に書き換え、飼い慣らす行為です」

 

 命を救うこと。

 文明を支配すること。

 

 その二つの境界線がどこにあるのか。外務大臣の言葉は、その最も恐ろしい核心を、星間文明たちに突きつけていた。

 

 ◇

 

 ここで、各文明の立場が明確に分かれた。

 

【光彩文明】

 命の苦痛を減らすことを最優先とする。未接触文明であっても、治療できる病を放置することに強い抵抗がある。

「救える命を救わないことは、介入しないという名の『暴力』ではないか」

 

【機械協約文明】

 制度・同意・影響評価を絶対視する。未接触文明への介入は基本不可。

「同意なき治療は、構造的支配である」

 

【環礁文明】

 命を救いたいが、歴史の流れを乱すことにも慎重。急激な医療介入よりも、接触済み文明への段階的支援に傾く。

「水は流れを変える。我々は、変えた後の岸の形も見なければならない」

 

【ミコラ族】

 銀河コミュニティの安定を重視。理想は理解するが、ルールなしの善意は危険と見る。

「救済を始める前に、その救済が何を変えるかを測る『器』が必要です」

 

【日本国】

 医療インフラ構築には賛成。ただし、対象はまず加盟星間文明と、正式に接触・合意した文明に限定する。未接触文明への介入、現地科学者を通した偽装治療、文明に致命的影響を与える治療行為には反対。

「日本国としては、文明の自律的な歴史に致命的な影響を与える治療行為には、賛成できません」

 

 ◇

 

 議論が完全に割れ、着地点が見えなくなりかけたところで、日本国外務大臣が再びマイクを取った。

 

「我々日本国から、落とし所となる枠組みを提案いたします」

 

 日本国は、議論を潰すのではなく、現実的な『制度』へと落とし込む。

 

「『銀河基本医療インフラ・三段階原則』です」

 

 スクリーンに、翻訳されたテキストが表示される。

 

【第一段階:加盟星間文明への基本医療インフラ】

 銀河コミュニティに加盟する星間文明に対しては、本人・文明政府・医療機関の『同意』を大前提に、最大限の治療支援を行う。

 対象は、遺伝子疾患、感染症、慢性病、先天性疾患、環境由来疾患、医療技術不足による予防可能な死亡。

「まず、十分な同意の能力と、制度的な受け入れ能力を持つ加盟文明から始めるべきです」

 

【第二段階:接触済み惑星文明への限定支援】

 すでに銀河コミュニティと正式接触しており、支援を要請した惑星文明に対しては、段階的支援を検討する。

 ただし、以下の条件を必須とする。

 ・文明代表機関の明確な同意。

 ・徹底した社会影響評価。

 ・食料・人口・医療制度への影響試算。

 ・治療後の生活基盤支援計画の策定。

 ・技術流出管理。

 ・宗教・文化への影響評価。

 ・現地側の説明責任の履行。

「治療単体ではなく、治療後の社会がどうなるかまでをセットで評価します」

 

【第三段階:未接触文明への不介入原則】

 未接触文明に対しては、原則として直接的な医療介入を行わない。

 以下の行為を禁止事項とする。

 ・現地科学者を通した偽装治療。

 ・病原体だけを秘密裏に消去する行為。

 ・遺伝子疾患を本人同意なく修復する行為。

 ・医療技術を現地発見に見せかけて流出させる行為。

 ・特定国家・宗教・集団への秘密支援。

 

「ただし、例外として議論の枠は残します」

 外務大臣は、光彩文明に配慮した。

「惑星規模の絶滅性疫病。種族絶滅が確実な遺伝的危機。外部由来の汚染・事故・星間文明側の過失による被害。

 ……これらの場合に限り、銀河コミュニティ全体で緊急審議を行い、介入の可否を決定します」

 

 ◇

 

「……それでも」

 光彩文明の代表は、まだ納得しきれないように光を揺らした。

 

「それでも、治せる病で死ぬ命は存在し続けます。それを観測しながら、我々は何もせずに見ているのですか」

 

 外務大臣は、しばらく沈黙した。

 そして、静かに、だが確かな覚悟を込めて答えた。

 

「何もしない、というのは違います」

 

 外務大臣は、光彩文明のアバターを真っ直ぐに見据えた。

 

「我々は、彼らの文明が自ら『選べる』段階に至った時、すぐに支援できる準備を整えておく。

 彼らが自らの意志で助けを求めた時、ただの治療だけでなく、その後の社会を支える準備をする。

 そして、我々自身が原因で苦痛を生んだ場合は、責任を取って救う」

 

 日本国は、「見殺し」を肯定しているわけではない。

 ただし、救うことを大義名分にして、彼らの文明の歴史を奪うことにも反対しているのだ。

 

「命は、貴重です。

 ……だからこそ、その命が属する社会を、我々の善意で勝手に壊してはならないのです」

 

 この台詞が、会議の空気を決定づけた。

 

 ◇

 

 最終的に、銀河コミュニティは日本案をベースに、暫定的な合意に至った。

 

【合意内容】

 一、加盟星間文明への医療インフラ構築を開始する。遺伝子疾患・感染症・慢性病・先天性疾患の治療支援体制を整える。

 二、共通医療データ基盤を作る。ただし、個体情報ではなく匿名化・文明単位の医療知見から開始する。

 三、病原体監視ネットワークを整備し、星間移動に伴う感染症リスクを監視する。

 四、接触済み惑星文明への支援基準を作る。要請、同意、社会影響評価を必須とする。

 五、未接触文明への医療介入は原則禁止とする。ただし、種族絶滅級危機や星間文明側の過失が絡む場合のみ、緊急審議を行う。

 六、「善意による文明改変」を禁止原則とする。医療支援は救済であって、文明支配ではない。

 

 この合意に、光彩文明は完全には満足していなかった。

 だが、医療インフラそのものが前進するため、暫定的に賛成票を投じた。

 

 機械協約文明は、影響評価基準の策定を担当することになった。

 環礁文明は、治療後の社会支援モデルの構築を担当する。

 ミコラ族は、各文明間の連絡調整を担当する。

 そして日本国は、合意文書の文言整理と、地球史に基づく『社会影響モデル』の提供を担当することになった。

 

 ◇

 

 会議終了後。

 日本国の代表団控室で、外務大臣は深く、長い息を吐き出してソファに崩れ落ちた。

 

「お疲れ様でした。……かなり重い議題でしたね」

 随員の官僚が、労いの言葉をかける。

 

「ああ。地球側では考えられない議論だったな」

 外務大臣は、天井を見上げて言った。

 

「病の根絶が、いきなり銀河インフラの議題になるとは」

 

 外務大臣は、ゆっくりと首を振った。

 

「いや、議題自体は正しいんだ。

 ……正しすぎる。だから、怖い」

 

 随員が黙る。

 

「地球でも、医療の進歩は社会を変えた」

 外務大臣は、歴史の重さを噛み締めるように語った。

「乳幼児死亡率が下がり、寿命が延び、人口が増え、家族の形が変わり、国家の制度が変わった。それは人類にとって、間違いなく大きな前進だった。

 だが、それを外から一瞬で与えられたら……その文明は、自分の足で変わったと言えるのだろうか」

 

 外務大臣は、今回の会議で感じた一番の恐ろしさを言語化した。

 

「我々は今、星間文明として扱われている。

 なら、我々は神のような力を持つ者として振る舞うのではなく……自分たちが『神にならないためのルール』を作らなければならない」

 

「日本が、それを言うのですね」

 随員の言葉に、外務大臣は自嘲気味に苦笑した。

 

「日本だからこそ、言わざるを得ないんだよ。

 我々は、自分たちだけの力で星間文明になったわけでは……ないのだからな」

 

 その一言には、アンノウンという圧倒的な力に依存している日本の、危うい立場の自覚が滲んでいた。

 

 ◇

 

 そして、銀河コミュニティ全体で、基本医療インフラの準備が始まった。

 

 各文明の端末に、最初の共同作業リストが流れる。

 

『種族別基礎生理データの登録』

『遺伝子疾患分類表の共有』

『既知病原体の危険度分類』

『医療翻訳語彙の標準化』

『生命倫理用語の相互確認』

『治療同意プロトコル』

『社会影響評価モデル』

『未接触文明不介入原則の草案』

『緊急介入審議手続き』

 

 万能翻訳機が、各文明の「病」「救済」「同意」「死」「自然」「干渉」という言葉の概念を、慎重に、そして正確に照合していく。

 

 銀河コミュニティは、その日、病を減らすための第一歩を踏み出した。

 それは間違いなく『善』だった。

 遺伝子疾患に苦しむ命を救い、感染症を抑え、治療可能な痛みを減らすための、正しい一歩だった。

 

 だが同時に、それは銀河コミュニティが初めて直面した深い問いでもあった。

 

 救える命を、どこまで救ってよいのか。

 救う力を持つ者は、どこで手を止めるべきなのか。

 そして、善意はどこから『支配』になるのか。

 

 日本国外務大臣は、送られてきた合意文書の最後の一文を見つめた。

 

『医療支援は、生命を救うために行われるものであり、文明の自律的発展を奪うために行われてはならない』

 

 銀河規模の医療インフラは、こうして始まった。

 だがその土台に最初に刻まれたのは、万能の治療技術ではなく、治せる者が自らの手を縛るための、慎重な『約束』だった。

 

 銀河コミュニティは、病を根絶する前に、まず自分たちが神にならないための規則を作ったのである。




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