自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~ 作:パラレル・ゲーマー
日米合同の機密オンライン会議。
画面の向こう側、ホワイトハウスの大統領執務室(オーバルオフィス)からは、キャサリン・ヘイズ大統領、NASA長官、そしてNASAの月面基地計画チームが参加している。さらに別回線から、SpaceXのCEO、レオナード・グレイも音声のみで同席していた。
対する日本側は、首相官邸の特別情報分析室。矢崎薫総理、榛名理人科学技術担当大臣、日下部参事官、JAXA理事長、そしてJAXA側の月面基地計画チームが円卓を囲んでいる。
会議が開始されてから、まだ三十秒しか経過していない。
だが、そのわずかな時間で、日米の宇宙機関(NASAおよびJAXA)の間に漂う空気が、明らかにおかしいことに誰もが気づいていた。
NASA長官は、普段の厳しい政治家の顔を忘れ、声が弾んでいる。
JAXA理事長も、表面上は冷静な官僚の顔を取り繕っているが、眼鏡の奥の目が不自然なほどキラキラと輝いていた。
さらに言えば、彼らの背後に座っている両国の若手技術者たちに至っては、完全に「明日の遠足を待つ小学生」のような浮かれたオーラを隠しきれていない。
ヘイズ大統領は、手元のマグカップを置くと、画面越しに彼らを冷たい目で見据え、静かに第一声を発した。
「……始まる前から、あなたたち全員、顔が浮かれているわね」
その鋭い指摘に、日米の宇宙機関トップたちは一瞬ビクッとしたが、すぐに開き直った。
「大統領」
NASA長官が、感無量といった声で言う。「月面基地、です」
「月面基地ですから」
JAXA理事長も、なぜか深く頷いて同意する。
「理由になっていないわ」
ヘイズが、呆れたように切り捨てた。
日本側の席で、榛名大臣が苦笑いを浮かべている。矢崎総理は「これは長くなるわね」と静かに悟り、日下部参事官は一切の表情を崩さずに資料を開きながら、内心で(NASAとJAXAのテンションが高すぎて非常に面倒くさい)と深い溜息をついていた。
◇
「では、日米共同月面基地計画の初期プランを提示します」
NASA長官が、浮かれた空気をどうにか抑え込み、スライドを画面に共有した。
『日米共同月面基地計画
Phase 1:初期基地設置および月面探査隊編成』
「本計画は、月面における恒久的活動拠点の、第一段階の構築を目的とするものです」
NASA長官が、真面目な声で説明を始める。
「目的は、月面環境下での有人活動のデータ収集、低重力環境での研究、将来的な月面への長期滞在、そして何より、火星以遠の深宇宙活動に向けた『運用ノウハウの蓄積』にあります」
JAXA理事長が、それに続く。
「日本側としても、月面基地を『近距離宇宙環境における長期運用試験場』として高く位置付けています。火星よりも圧倒的に近く、地球からの物理的な支援が容易であるため、宇宙居住技術の実証実験には極めて有用です」
ここまでは、科学と実務に基づいた、極めて真面目で妥当なプレゼンテーションであった。
だが、NASAの月面基地計画責任者が、次のスライドを表示した瞬間、画面越しの空気が再び一変した。
『月面探査隊 編成案』
NASA側の責任者が、明らかに嬉しさを隠しきれない、弾んだ声で宣言した。
「そして、初期基地の設置に伴い、NASA・JAXA合同の『月面探査隊』を編成します!」
JAXA側の担当者も、それに負けじと熱を込めて続く。
「月面探査隊です!」
NASAの若手技術者が、マイクに拾われるか拾われないかの声で復唱する。
「月面探査隊です……!」
ヘイズ大統領が、こめかみを押さえた。
「二回言わなくていいわ。……いえ、三回言ったわね」
JAXAの若手技術者も、我慢しきれずに小声で「月面探査隊……」と嬉しそうに呟いている。
日下部が、日本側の席で小さく息を吐き捨てた。
「完全に、遠足前夜のノリですね」
「気持ちは、とてもよく分かりますがね」
榛名大臣が、科学者としての同情を寄せて苦笑した。
◇
「コホン。……月面探査隊の、初期任務をご説明します」
NASA長官が咳払いをして、浮かれた部下たちを睨みつけ、実務の説明に戻した。
スライドに、任務のリストが羅列される。
一、基地設置予定地点の最終地質確認。
二、無人搬送済みの基地モジュールの設置状態の目視確認。
三、基地内部の気密性の徹底確認。
四、生命維持設備の実地運用確認。
五、『1G区域』と『低重力区域』の移動手順の確立。
六、宇宙線除外フィールドの有効範囲の測定。
七、月面作業手順の確立と、粉塵(レゴリス)への運用対応確認。
八、短期有人滞在試験。
九、将来的な観光客導線の基礎確認。
ヘイズ大統領が、画面越しにスッと手を上げた。
「待ちなさい。……今、『観光客導線』と言ったわね」
NASA長官が、少しだけ慌てた顔をする。
「はい。あくまで将来的な、かなり先のフェーズにおける話ですが」
「フェーズが進んだ後の、民間利用を見据えた基礎設計です」
JAXA理事長もフォローを入れる。
「……将来的な話だとしても、最初から設計に組み込んでいるのは正しいわ。そこは評価する」
ヘイズは、意外にも彼らを褒めた。
「後付けで無理やり観光客を入れようとすると、必ず動線が混乱して致命的な事故が起きる。最初から分けて考えるのは実務的よ」
NASAとJAXAのチームが、大統領から褒められて少し嬉しそうな顔をする。
「褒めたからといって、予算が増えるわけではないわよ」
ヘイズが、すかさず冷水を浴びせた。
NASA側が、少しだけシュンと沈む。
だが、すぐに『月面探査隊』という文字を見て、また嬉しそうにニヤニヤし始めた。
◇
ここで、音声のみで参加していたSpaceXのCEO、レオナード・グレイが発言を求めた。
『大統領。SpaceXとしてのスタンスを明確にしておきたい』
「どうぞ」
『我々SpaceXとしては、この月面基地計画の主導権は、完全にNASAおよびJAXAにお任せします』
その言葉に、NASAとJAXAのトップたちが一瞬だけ驚きの表情を浮かべた。
常に宇宙開発の最前線で主導権を握りたがるレオナードが、あっさりと席を譲ったからだ。
レオナードは、淡々とした声で理由を告げた。
『理由はシンプルです。……火星で、手一杯だからです』
日下部が、深く共感するように小さく頷いた。
『火星航路の維持、補給便のロジスティクス、火星滞在拠点の拡張、そして地球側での関連インフラの調整。これだけで、今の我々の組織のキャパシティはかなり限界に近い。ここでさらに月面基地までSpaceX主導にすれば、確実に火星側の進行に悪影響が出ます』
「そこは、非常に冷静な判断ね」
ヘイズが、レオナードの引き際を評価する。
『ただし』
レオナードの声に、抜け目ないビジネスマンの笑みが混ざった。
『完全に手を引く、関与しないという意味ではありません。……月面へのモジュールの輸送、将来的な商業化の枠組み、そして民間利用の運用コストの見積もりには、SpaceXとして確実に一枚噛ませていただきたい』
「つまり、主導はしないが、美味しいところにはひと噛みすると」
JAXA理事長が、苦笑交じりに要約する。
『ええ。月面基地という巨大なプロジェクトに、まったく噛まない宇宙企業など、ありえませんからね』
レオナードが悪びれずに言う。
「それはそうです」
NASA長官が同意する。
「それはそうですね」
JAXA理事長も同意する。
「そこだけは、全員一致なのね」
ヘイズ大統領が、呆れたように溜め息をついた。
この場で、月面基地の主導権はNASAとJAXAの合同チームが握り、輸送・商業面ではSpaceXがサポートに入るという、明確な役割分担が整理された。
◇
NASAとJAXAの空気が、いよいよ「月面探査隊の編成」に向けてさらに盛り上がろうとしたところで。
ヘイズ大統領が、氷のような声で現実の鈍器を叩きつけた。
「最初に、はっきりと言っておくわ。……予算は、限られているのよ」
「承知しております、大統領」
NASA長官が、真面目な顔を作って答える。
「いいえ。今のあなたたちの顔は、まったく承知していない顔よ」
ヘイズが、画面越しの宇宙機関の大人たちを容赦なく睨みつける。
「あなたたちは今、『月面基地』という単語で理性が半分飛んでいるわ。火星プロジェクトもある。医療技術の革命もある。地球側のインフラ整備もある。安全保障の火種も尽きない。……今のアメリカ政府と日本政府は、あなたたちの宇宙への夢に、無尽蔵に金を注ぎ込めるほど暇ではないのよ」
矢崎総理も、静かに、だが重みのある声で同調した。
「日本政府としても、全くの同意見です。月面基地の科学的・実務的な意義は認めます。しかし、国家の莫大な税金を使う以上、明確な成果と、国民への説明責任は絶対に必要です」
ヘイズは、手元のメモを見ながら、月面基地計画を承認するための『絶対条件』を列挙した。
一、アメリカ政府および日本政府の、厳格な予算監査を常に受けること。
二、現在進行中の火星計画を、リソース面で絶対に圧迫しないこと。
三、予算超過(オーバーラン)を、最初から当然のものとして組み込まないこと。
四、科学的な成果だけでなく、維持費を正当化できる『実益』を提示すること。
五、将来の民間利用を想定するなら、具体的な採算計画を出すこと。
六、観光利用を想定するなら、動線管理を初期設計の段階から完全に組み込むこと。
七、低重力環境への人体影響のリスクを、決して軽視しないこと。
八、万一の事故時の責任分担を明確にすること。
「承知しました。大統領」
NASA長官が、姿勢を正して答える。
「日本側も、監査と段階的な評価を前提に、計画を推進します」
JAXA理事長も、官僚としての顔に戻って応じた。
「よろしい。……月面基地は、遠足ではないわ」
ヘイズが念を押す。
「はい」
NASAの月面基地責任者が、神妙に頷く。
「でも、あなたたちの顔は、まだ遠足のしおりを作っている時の顔よ」
ヘイズが、最後まで彼らの浮かれた空気を許さなかった。
日下部が、日本側の席で「その通りだ」と深く頷いていた。
◇
ヘイズは、さらに具体的な運用のルールについて切り込んだ。
「次に、低重力環境への適応と管理について。……ここは、絶対に曖昧にしないでちょうだい」
NASAの有人部門の担当者が、詳細な適応訓練プログラムを説明しようと口を開きかけたが、ヘイズが先手を打って制した。
「飲食をする場所、睡眠を取る場所、そして医療チェックを受ける場所。……これらは、例外なくすべて『1G区域』にしなさい」
その言葉に、NASAとJAXAの担当者たちが、少しだけ残念そうな顔をした。
「月面で、ふわふわと浮きながら食事をしたい、なんていう顔をしないこと」
ヘイズがピシャリと叱り飛ばす。
「いえ、その、広報的には……低重力での食事風景というのは、非常にメディア映えする映像ではあるので……」
NASA担当者が、未練がましく言い訳をする。
「だから、厳密に管理しろと言っているのよ」
ヘイズの目が鋭くなる。
「短時間の『体験』としてならともかく、宇宙飛行士たちの『生活の基盤』を低重力に寄せすぎるのは認めない。筋力低下や体液シフトのリスクが高すぎる」
JAXAの生命維持担当者が、真面目な声で応じた。
「承知いたしました。基地内部を、『1G生活区域』、『低重力作業区域』、そして『低重力体験区域』に明確に分離する形で設計します。飲食・睡眠・医療チェックは、アンノウン技術による人工重力が維持された1G生活区域に集約します」
「宇宙飛行士や研究者だけでなく、将来的に民間人を滞在させることを考えるなら、その方が圧倒的に安全です」
榛名大臣も、医学的な観点から強く支持する。
「そうよ」
ヘイズは深く頷いた。
「月面基地は、月に行くため“だけ”の施設ではない。ちゃんと健康な状態で、地球に帰ってくるための施設でもあるのよ」
この極めて現実的な一言で、NASAとJAXAの技術者たちも、広報の夢を捨てて実務的な納得を示した。
◇
「将来的に観光客を入れるつもりなら、動線管理も最初から設計に入れなさい」
ヘイズが、先ほどの指摘をさらに深掘りする。
「観光利用は、かなり先のフェーズになりますが」
NASA長官が言う。
「先のフェーズだからこそ、今から設計に組み込むの。後から無理やり観光客のルートを通そうとすると、必ず危険な研究区画や生命維持区画に近づく人間が出てくるわ」
ヘイズは、一般人の行動の予測不能さを熟知していた。
JAXA側が、あらかじめ用意していた導線の基本案をスライドに表示した。
【観光客導線の基本案】
一、到着区画(ドッキングポート)。
二、医療・検疫チェック。
三、1G順応区域(休息)。
四、説明・訓練区域。
五、低重力体験区域(制限付き)。
六、展望区域(地球と月面の観賞)。
七、月面歩行体験区域(安全確保下)。
八、緊急退避ルートの独立。
九、研究区画との完全な分離。
十、基地運用区画との完全な分離。
レオナードが、そのリストを見て深く同意する。
『観光客というものは、我々が想定している以上に、勝手に動くものです』
レオナードは、数々のトラブルを乗り越えてきた経営者の声で語る。
『写真を撮りたがる。触ってはいけないスイッチを触りたがる。立入禁止の壁の向こうをどうしても見たがる。……だからこそ、最初から完全に動線を分離した方がいい』
「あなたが言うと、妙に説得力があるわね」
ヘイズが苦笑する。
『民間事業の施設設計は、“人間は絶対に指示通りに動かない”という性悪説の前提で設計しなければなりませんからね』
レオナードは、事も無げに言った。
「日本側としても、観光利用を視野に入れるなら、研究区画と一般滞在区画の物理的な分離は必須だと考えます」
矢崎総理も、事故防止の観点から同意した。
そのやり取りを聞きながら、NASAとJAXAの技術者たちが、またしても嬉しそうな顔をしてソワソワし始めた。
「また、楽しそうな顔をしたわね」
ヘイズがジロリと睨む。
「いえ、その。……月面観光の導線設計だなんて、ワクワクしてしまいまして」
NASA担当者が正直に白状する。
「だから、それは理由になっていないわ」
ヘイズは、彼らの底抜けの宇宙への情熱に、もう半分諦めかけていた。
◇
ここで、NASAとJAXAが、月面基地の外観と配置案のプレゼンテーションに入った。
「基地の形式については、大きく二つの方向性を検討しています」
NASAの月面基地責任者が、二枚のコンセプトアートをスクリーンに並べた。
【案A:地下洞窟型】
月面の地下空間、または既存のクレーターや地形を利用した半地下型の基地。
・メリット:宇宙線や隕石からの物理的な安全性と安定性が極めて高い。激しい温度変化や外部環境の影響を抑えやすい。
・デメリット:外観としては非常に地味。月面基地としての『象徴性』や『視覚的アピール』は弱い。
【案B:ガラス張りコロニー型】
月面上に建設される、透明な展望性の高いドーム状の外観を持つ基地。
・メリット:居住区から地球や星空を直接眺めることができる。月面基地としての象徴性が非常に強く、観光・広報・国際的なアピールに圧倒的に向いている。
・デメリット:宇宙線や微小隕石の防御には、アンノウン由来の『宇宙線除外フィールド』などの技術的カバーが絶対条件となる。
JAXAの責任者が、少しだけ身を乗り出して、日米のトップへ問いかけた。
「大統領、そして総理。……地下洞窟型と、ガラス張りのコロニー型。どちらの方向性がよろしいと思われますか?」
ヘイズ大統領は、画面越しのJAXA責任者を、冷たく、静かな目で見つめ返した。
「……あなたたち、分かっているのかしら。これは、国家の威信と莫大な予算をかけた、極めてシリアスな事業の会議よ」
「もちろんです」
NASA責任者が、姿勢を正す。
「運用効率と、絶対的な安全性の検討です」
JAXA責任者も、真面目な顔を作る。
「いいえ」
ヘイズは、彼らの嘘を完璧に見抜いていた。
「今の質問は、完全に『どっちの見た目の方がワクワクしますか?』っていう、小学生のノリの質問だったわよね?」
——。
NASA側、沈黙。
JAXA側、沈黙。
レオナードだけが、通信の向こうで声を殺して笑っている。
矢崎総理が、いたたまれなくなって助け舟を出した。
「ただ、外観の問題は決して無視できません。月面基地は、純粋な科学施設であると同時に、人類が初めて地球以外の天体に恒久的な拠点を築いたという『象徴』でもありますから」
榛名大臣も、政策的な視点から擁護する。
「地下洞窟型は確かに堅実です。しかし、一般大衆に公開する映像のインパクトとしては非常に弱い。……ガラス張りのコロニー型には、誰が見ても一目で『月面基地だ』と伝わる、圧倒的な強さがあります」
ヘイズは、深く、本当に深いため息をついた。
そして、日下部の方を見た。
「宇宙線の問題は、既存のアンノウン由来の『除外技術』で完璧に対応できるのよね?」
「はい」
JAXA理事長が、日下部の代わりに即答した。
「宇宙線対策については、火星で実証済みの技術を応用する前提で、完全に安全な計画が立てられます」
「……なら」
ヘイズは、少しだけ呆れたように言った。
「見た目は、ガラス張りの方じゃないの?」
その瞬間、NASAとJAXAのチーム全体が、一気にパッと明るい顔になった。
「その顔をしない!」
ヘイズが叫ぶ。
「いえ、大統領が非常に重要な、歴史的判断をされたので」
JAXA責任者が、感動したように言う。
「私は、ワクワクで判断したわけではないわよ! 国民と議会に予算を説明しやすい『象徴性』の話をしているの!」
ヘイズが、必死に政治家としての体面を保つ。
『実質的な話をすれば、間違いなくガラス張りの方が高く売れますね』
レオナードが、横から口を挟む。
「レオナード」
ヘイズが低い声で威圧する。
『失礼。商業的価値が高い、と言うべきでした』
レオナードは、全く反省の色なく言い直した。
◇
議論の結果、月面基地の基本方針は以下のように定まった。
一、外観は『ガラス張りコロニー型』を基調とする。
二、地球と月面を見渡せる『展望性』を重視する。
三、ただし、生活区域・医療区域・管制区域のコア部分は、極めて堅実で防護性の高い設計とする。
四、飲食・睡眠・医療チェックは、人工重力のある1G区域で行う。
五、低重力区域は、作業・訓練・短時間体験用とする。
六、観光客の導線と、研究者の導線を完全に分離する。
七、基地の運用区画と、一般の滞在区画を分離する。
八、宇宙線対策には、既存のアンノウン除外技術を転用する。
九、生命維持は、火星で実証された技術を前提に設計する。
十、基地本体の『気密性』と、モジュール間の『接続部の確認』を最重要項目とする。
「見た目は夢があってもいい。でも、中身の運用は極限まで現実的にしなさい」
ヘイズが、最終的な釘を刺す。
「承知しました」
NASA長官が深く頷く。
「外観は象徴性、運用は堅実性。この方針で詳細設計をまとめます」
JAXA理事長も同意する。
「国際的な説明の面でも、地味すぎる地下基地より、目に見える月面基地の方が、各国の理解と予算は得やすいでしょう」
日下部が、外交官の視点で補足する。
「ただし、外観が派手な分、安全設計の根拠説明は徹底する必要があります」
「そこは、我々が厳格に監査するわ」
ヘイズが、監査の目を光らせた。
◇
基本方針が定まったところで、NASAとJAXAが、驚くべき実務面の説明に入った。
「初期の月面基地の構築に必要なモジュール(施設部品)については、ゼロから新造する必要はありません」
NASAの月面基地責任者が言う。
「すでに、使えそうなモジュールの『候補』が手元に揃っています」
「すでにあるのですか?」
矢崎総理が驚いて尋ねる。
「はい」
JAXA理事長が答える。
「完全な月面基地として完成しているわけではありません。しかし、既存の宇宙居住用モジュール、アンノウン由来の生命維持設備、1G区域用の重力発生モジュール、宇宙線除外を前提とした外装設計。……これらをパズルのように組み合わせれば、初期基地として十分に成立させられます」
「要するに」
NASA長官が引き継ぐ。
「すでにあるモジュールを月面へ搬送し、パズルのように設置し、接続し、気密性を確認する。そこから段階的に拡張して『基地化』していくという、極めてスピーディな計画です」
「“置けば完成”というわけではないのね?」
ヘイズが、安易な計画を警戒する。
「もちろんです。気密性、接続部の強度、生命維持の稼働、1G区域の安定性、宇宙線除外範囲の測定。すべてにおいて、人間が現地で緻密な確認を行う必要があります」
「ただし、すでにモジュールがあるため、計画の初速は非常に速くできます。年内、いや数ヶ月以内には初期設置が可能です」
JAXAの責任者が、誇らしげに言う。
『搬送については、SpaceXも関与できますよ』
レオナードが、すかさずビジネスチャンスに飛びついた。
『火星の運用で手一杯とはいえ、月面へのモジュール搬送なら、既存の地球周辺軌道への輸送計画の延長として、十分にうちのロケットで対応可能です』
「そこでしっかり噛んでくるわけね」
ヘイズが苦笑する。
『そこは噛みます』
「分かりやすいわね」
◇
ヘイズは、モジュールの設置に関して、改めて厳しい釘を刺した。
「搬送して設置するだけ、と軽く言わないこと。……月面基地で一番怖いのは、派手な隕石の衝突でも、エイリアンの襲撃でもない。地味な『気密不良(空気漏れ)』よ」
NASAの有人部門の顔が、サッと引き締まる。
「おっしゃる通りです」
「モジュール間の接続部、エアロック、生活区画、展望区画、そして1G区域の境界。これらはすべて、命に直結する重点確認項目とします」
JAXAの技術者が、真剣な顔で応じる。
「月面基地は、完成して数年後よりも、『設置した直後』が最も危険です」
日下部が、危機管理の観点から補足する。
「初期の気密確認手順を、過剰なほどに厚くするべきです」
「よろしい」
ヘイズが頷く。
「月面基地のロマンは認める。でも、空気が漏れたらそこで全て終わりよ」
その一言で、NASAとJAXAの浮かれたテンションが、完全に「現実」へと引き戻された。
彼らの顔が、遠足を待つ子供から、「本当に月面基地を作る技術者」の顔へと変わった瞬間だった。
◇
続いて、NASAとJAXAが月面基地建設の『フェーズ計画』を提示した。
【フェーズ0:無人搬送・設置】
・既存モジュールを月面へ無人で搬送。
・自動および遠隔操作で設置。
・接続部の仮確認。
・生命維持、1G区域、宇宙線除外の初期起動試験。
・地球側からの遠隔監視。
【フェーズ1:月面探査隊派遣】
・NASA/JAXA合同の『月面探査隊』を派遣。
・短期滞在による、基地内環境の徹底確認。
・月面での作業手順、緊急退避手順の確認。
・1G区域と低重力区域の往復運用の確認。
【フェーズ2:初期有人基地化】
・滞在期間を延長。
・生命維持の長期安定確認。
・飲食・睡眠・医療チェックの1G区域運用の確立。
・低重力下での作業データ収集。
・将来の観光導線の基本検証。
【フェーズ3:研究拠点化】
・月面環境研究、低重力研究、宇宙居住研究の本格化。
・企業による研究利用枠の検討開始。
・日米共同研究枠の拡大。
【フェーズ4:限定的民間利用】
・研究者以外の、専門家の短期滞在許可。
・企業視察、教育、映像コンテンツ制作での利用。
・観光導線の限定的な試験運用。
【フェーズ5:観光利用】
・厳格な訓練を受けた観光客のみを受け入れ。
・1G区域を中心とした滞在。
・低重力体験は短時間に制限。
・展望区画の利用。
・月面歩行体験は、完全管理下でのみ許可。
「フェーズ5(観光利用)は、決して急がないこと」
ヘイズが、スケジュールに念を押す。
「もちろんです」
NASA長官が答える。
『ただし、フェーズ5を最初から見越して設計しておくことは重要です』
レオナードが、ビジネスの視点から補足する。
「そこは認めるわ。後から観光用に無理やり改造する方が、安全性もコストも高くつくからね」
ヘイズも同意する。
「初期の設計段階から、導線を完全に分けておきます」
JAXA理事長が約束した。
◇
計画の全容が見えたところで、ヘイズ大統領が再び「現実」の話へと戻した。
「科学的意義と、ロマンは分かったわ。……次は『実益』よ」
ヘイズは、冷徹な政治家の顔になる。
「利益、あるいは莫大な維持費を正当化できるだけの成果を、議会と国民に説明しなさい」
「科学的な成果、宇宙居住のノウハウ、月面環境のデータ――」
NASA長官が並べ立てようとする。
「それだけでは、議会の予算審査を乗り切るには弱い」
ヘイズがバッサリと切り捨てる。
レオナードが、すかさず助け舟を出した。
『初期の収益化は、一般の観光旅行ではなく、企業による「研究利用」と「実証実験枠」の販売から入るべきです』
スライドに、想定される実益のリストが追加される。
一、月面低重力環境での、先進素材などの研究利用枠の販売。
二、民間企業向けの、月面実験枠の提供。
三、宇宙居住・生命維持のビッグデータの蓄積。
四、教育・映像コンテンツとしての圧倒的な価値。
五、限定的な企業視察ツアーの実施。
六、将来的な高額観光ビジネスのインフラ化。
七、月面基地の運用ノウハウ自体のパッケージ化。
八、火星計画への、安全な運用データの還元。
九、日米の強固な宇宙開発協力の象徴。
「科学技術面では、月面基地は火星計画の『補助』にもなります」
榛名大臣が、科学的な付加価値を説く。
「火星ほど遠くなく、リスクも低い環境で、居住・生命維持・低重力運用のデータを安全に蓄積できる。これは火星ミッションの生存率を飛躍的に高めます」
「JAXAとしても、月面基地は火星と競合するものではなく、火星開拓を根底から支える『実験場(テストベッド)』として位置付けています」
「よろしい。その説明なら、予算委員会の爺さんたちにも通しやすいわ」
ヘイズが納得して頷く。
「月を、火星の邪魔にしないこと。火星を成功させるためにも、月を使うこと。その論理でいきなさい」
NASAとJAXAのトップが、強く頷いた。
◇
「——最後に、最終確認です」
ヘイズ大統領が、会議を締めくくる。
「月面基地計画について、詳細な設計フェーズへと進むことは認めます。……ただし、以下の条件付きです」
一、NASA・JAXAの合同主導であること。
二、SpaceXは輸送・商業化・運用面での『限定関与』とすること。
三、火星計画のリソースを絶対に圧迫しないこと。
四、アメリカ政府と日本政府の厳格な監査を常に受けること。
五、飲食・睡眠・医療チェックは必ず1G区域で行うこと。
六、低重力体験は管理された短時間利用に留めること。
七、観光客の導線は初期設計から分離すること。
八、気密性の確認を、全工程の最重要項目とすること。
九、宇宙線除外、生命維持、人工重力の使用範囲を明確にすること。
十、段階(フェーズ)ごとに、成果と費用対効果を報告すること。
「矢崎総理。日本政府としても、いかがでしょうか?」
「日本政府としても、同条件にて、詳細計画の進行を承認します」
矢崎総理が、力強く答えた。
「ありがとうございます、大統領! ありがとうございます、総理!」
NASA長官が、感極まった声で礼を言う。
「必ず、実現可能な計画としてまとめ上げます」
JAXA理事長も、深く頭を下げる。
「“実現可能な計画”として、よ」
ヘイズが、鋭い目で彼らを射抜く。
「綺麗事だけを並べた、夢のパンフレットではなく」
NASAとJAXAの面々が、少しだけバツが悪そうに視線を逸らした。
「……今、完全にパンフレットを作る気だったでしょう」
ヘイズがため息をつく。
「い、いえ。広報資料も必要ですので」
JAXA責任者が言い訳をする。
「広報は後回し! まずは、私の監査に耐えられるガチガチの実務資料を作りなさい!」
ヘイズ大統領の怒号が、日米の会議室に響き渡った。
◇
会議が終わった瞬間。
ホワイトハウスとの接続が切れたNASA側の別室では、堰を切ったように歓声が上がった。
「月面基地だ!」
「正式に詳細設計のGOサインが出たぞ!」
「月面探査隊だ!」
「ガラス張り案が残ったぞ、おい!」
「1G区域の縛りは仕方ない!」
「観光導線も最初から組み込める!」
「これは、間違いなく歴史に残るぞ!!」
日本側のJAXAの会議室でも、全く同じ光景が繰り広げられていた。
理事長は表向き冷静を装って書類を整理しているが、その手が震えている。若手技術者たちは、完全に浮かれてハイタッチを交わしていた。
「月面基地ですよ……!」
「しかも、ガラス張り寄りのデザインです!」
「1G区域の設計、かなり詰めないといけませんね」
「気密試験のプロトコルも、地獄みたいな量になりますよ」
彼らは、口々にこれからの過酷な労働を語り合いながらも。
「でも、月面基地ですよ」
誰かのその一言で、全員が「なら仕方ない」「最高だ」と深く納得し合っていた。
◇
一方のホワイトハウス。
大統領執務室で、ヘイズ大統領は椅子に深く背を預け、大きな溜め息をついた。
「NASAの連中、画面が切れる直前、もう歓声を上げる準備をしていましたね」
補佐官が苦笑しながら言う。
「見れば分かるわ。あれは、大人の顔をした子供たちよ」
ヘイズが、呆れたように呟く。
「止めますか?」
「止めないわ」
ヘイズは、静かに首を振った。
「月面基地には確かな意味がある。火星を成功させるためにも、今後の宇宙開発の主導権を握るためにも、そして何より、日米の強固な協力の象徴としてもね」
ヘイズは、手元のマグカップの冷めたコーヒーを見つめた。
「でも、あいつらを放っておいたら、夢とロマンだけで無尽蔵に予算を燃やし尽くすわ。だから、監査と厳しい条件をつけて、首輪をはめたのよ」
『極めて正しい判断です、大統領』
通信回線に残っていたレオナードが、軽く笑って言った。
『彼らには、ロマンが必要です。そして政府には、彼らの夢の“請求書”を冷静に見る人間が必要なのです』
「あなたは、その請求書をこっちに出す側の人間でしょう」
ヘイズが皮肉を言う。
『否定はしません』
レオナードが、悪びれずに答える。
「火星で手一杯と言いながら、ちゃっかり月にも噛む。実にあなたらしい強欲さね」
『月面基地、ですからね』
レオナードが、当然のことのように言った。
「あなたまで、それを言うのね……」
ヘイズは、宇宙に関わる人間たちの救いようのないロマンチストぶりに、もう一度深く溜め息をついた。
◇
日本政府側でも、会議後に短い整理が行われていた。
「月面基地計画は、NASAとJAXAの主導で詳細設計へと進める。日本側としては、予算の確保、監査体制の構築、安全管理の徹底、そして国際社会への説明の準備を進めます」
矢崎総理が、今後のタスクを羅列する。
「科学技術面では、非常に大きな意義があります」
榛名大臣が熱を込めて言う。
「火星とは違い、月は近い。失敗時の修正や救助も早い。宇宙居住技術の実証と熟成には、これ以上ない最適なテストベッドになります」
「ただし」
日下部が、冷や水を浴びせるように言う。
「アンノウン由来の要素技術は、人工重力(1G)、生命維持、宇宙線除外の範囲に限定して整理すべきです。それ以上のオーパーツを盛り込むと、国際社会への説明が不可能になります」
「そこは厳守しましょう」
矢崎総理が頷く。
「国際的な説明においては、月面基地を『日米だけの独占的な軍事拠点』と見られないよう、細心の注意が必要です。ただ、現段階では純粋な『研究・実証基地』として説明がつくでしょう」
外務大臣が、外交的な立ち回りを想定する。
「公開時期はいつ頃を想定しますか?」
官房長官が問う。
「無人搬送・設置試験の目途が立ってからでよいでしょう。今はまだ、内部の極秘計画に留めておきます」
榛名大臣が答える。
「分かりました。……月面基地は進める。ただし、夢に浮かれず、監査に耐えるガチガチの計画として、です」
矢崎総理が最終確認をする。
「NASAとJAXAには、一番難しい注文かもしれませんね」
日下部が、彼らの生態を理解して皮肉を言う。
「ですが、それでも彼らは徹夜してでもやり遂げるでしょう」
榛名大臣が、科学者の矜持を信じて言う。
「ええ。月面基地、ですからね」
矢崎総理が、ふと微笑んで言った。
全員が、一瞬だけ沈黙した。
「……総理まで、それを言いますか」
日下部が、信じられないという顔をする。
「ええ。私だって、少しだけ、彼らの気持ちは分かりますよ」
矢崎総理は、窓の外の夜空を思い浮かべるように、楽しそうに笑った。
◇
NASAとJAXAの技術者たちは、正式な許可を得たその日の夜から、寝る間を惜しんで月面基地計画書の修正と精緻化を始めていた。
資料の表紙には、大きくこう書かれている。
『日米共同月面基地計画
初期基地設置および月面探査隊編成案』
そして、その下に、大統領の雷を避けるための言葉が小さく、しかし必死に追記されていた。
『※予算監査対応版』
『※1G区域運用管理案・詳細付き』
『※観光客導線初期設計案・完全分離版付き』
『※気密性確認手順・限界強化版』
コーヒーを啜りながら、JAXAの技術者の一人が、その表紙を見て呟いた。
「……なんか、急に生々しくて、現実的な書類になりましたね」
隣でキーボードを叩いていた別の技術者が、充血した目で笑って答える。
「でも、月面基地ですよ」
三人目が、深く頷く。
「ああ。月面基地だからな。……気密チェック百回でもやってやるさ」
かくして、火星開拓という巨大な歴史が動いているその横で。
もう一つの人類の古い夢が、シビアな予算書と、厳しい監査項目と、地味な気密性確認手順にまみれながら、確かな足音を立てて正式に動き出した。
月面基地だ。
NASAとJAXAの大人たちは、その五文字の魔法の言葉だけで、しばらくの間はどんな過酷で退屈な書類仕事にも耐えられそうだった。
月面基地。
その言葉は、世界最高の頭脳たちの理性を少しだけ壊し、そして、ヘイズ大統領と日下部参事官の胃に、少しだけ新たな負担を増やしたのである。
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