自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~   作:パラレル・ゲーマー

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第215話 視力回復薬、予約開始日が決まって日本中がまた壊れる

 午前八時。霞が関の厚生労働省から、日本中の目を覚まさせる特大の発表が行われた。

 アクセス過多で落ちないよう徹底的に補強された公式サイトが一斉に更新され、同時に記者会見室では、連日の不眠不休の対応で目の下に濃い隈を作った広報官が、無数のフラッシュが瞬く中でマイクの前に立っていた。

 発表されたのは、日本中が首を長くして待っていた『視力回復薬』の具体的なスケジュールだった。

 

【先進微細医療技術「視力回復薬(仮称)」先行導入に関するお知らせ】

 ・予約受付開始:来週月曜、午前九時より専用ポータルサイトおよび提携機関にて順次開始。

 ・先行導入開始:予約開始の二週間後より、全国の登録済み眼科医療機関にて。

 ・対象者:医師の診察により適応が確認された者(※年齢制限、手術歴等の詳細は別途記載)。

 ・必須事項:投与前の眼科医療機関での精密検査、および投与後一か月を目安とした経過確認検査を必須とする。

 ・効果の維持:個人差があるが、効果維持のためには半年後を目安とした再服用が必要となる場合がある。

 ・自己負担額:保険適用に基づき、一回あたり二千円程度となる見込み。

 ・薬剤の供給状況:先行導入に向け、薬剤の在庫は十分に確保されております。

 

 フラッシュが連続して焚かれる中、広報官は手元の原稿から顔を上げ、集まった記者たちに向けてはっきりと告げた。

「今回の先行導入にあたりまして、国民の皆様に一つ、強くお伝えしておきたいことがあります。薬剤の供給量については、すでにアンノウン機関との調整を経て、十分な在庫を確保しております。薬そのものが足りなくなるような、いわゆる『争奪戦』にはなりません。どうか、パニックを起こさず冷静にご対応をお願いいたします」

 

 だが、その言葉が終わるか終わらないかのうちに、最前列の記者が鋭く手を挙げた。

「では、希望する国民全員が、予約開始直後にすぐ薬を受けられるということですか?」

 広報官は、わずかに表情をこわばらせて首を振った。

「いいえ、そうではありません。本薬剤は、投与前に必ず専門の眼科医による精密検査が必要となります。したがって、実際の実施時期は、各医療機関の診療枠、検査機器の台数、そして予約状況に大きく左右されます」

「つまり、薬の在庫は潤沢にあるが、眼科の予約枠には物理的な限りがあるということですね?」

「……その通りです」

「それは、事実上の眼科予約の『争奪戦』になるのではありませんか!」

 記者の容赦ない追及に、広報官は語気を強めた。

「争奪戦ではありません。段階的かつ、医療の安全を最優先にした予約受付の開始です」

「でも、枠が限られている以上、早い者勝ちの取り合いですよね?」

「予約枠には限りがありますが、薬剤在庫は十分にあります。どうか落ち着いて、順次予約を行ってください」

 

 この会見の様子は即座にネットニュースの速報テロップとして日本中を駆け巡った。

『厚労省「薬の在庫はあります。ただし眼科検診が必須なため、実施には実質的な制限」』

 

 この見出しを見た瞬間、ネット民たちは即座に事態の本質を理解し、ざわめき始めた。

 

 さらに厚労省は、公式サイトの目立つ場所に赤字で太く、こう強調していた。

 

『希望者が一斉に予約を試みた場合、医療機関の検査枠が一時的に埋まる可能性がありますが、薬剤がなくなるわけではありません。

 予約が取れなかった場合でも、後日必ず順次受付が再開されます。

 ※医療機関の通常診療の重大な妨げとなるため、電話での直接のお問い合わせは絶対にお控えください』

 

 この「電話するな」という悲痛な一文が、またしてもネットで格好の燃料となった。

 

『また眼科に電話するなって書いてあるwww』

『眼科の受付さんの「もう許して」っていう悲鳴がここまで聞こえてきそう』

『厚労省「薬はある。だから電話するな」』

『つまり、電話じゃなくて専用の予約サイトに全員で突撃しろってこと?』

『そういうことではないと思うが、結果的にそうなる』

 

 SNSのトレンドは、瞬く間に視力回復薬関連のワードで埋め尽くされた。

「#視力回復薬予約」「#眼科予約RTA」「#薬の在庫はあります」「#眼科が足りない」

 

 @Megane_Min_Forever

 視力回復薬、予約開始日きたあああああああ!

 でも、薬は無限にあるのに、眼科検診の枠がボトルネックなの草。

 これ、完全に「サーバー(薬)は強いけど回線(眼科)が細すぎて詰まる」やつじゃん。

 

 @Tech_Watcher_JP

 薬の在庫は無限。眼科医の在庫は有限。

 人類、ついに薬そのものではなく「医者の診察時間」を奪い合うフェーズに突入したな。

 

 @Game_addict_01

 眼科予約RTA(リアルタイムアタック)、来週月曜の朝九時に開幕決定!!

 社会人殺しに来てる時間設定だろこれ。

 

 @Corporate_Slave_Z

 上司に言っておく。来週月曜の九時だけは絶対に緊急の会議を入れるなよ。

 俺は自分の視力を取り戻すという、人生で最も重要なミッションがあるんだ。

 

 @Black_Company_Worker

 >>@Corporate_Slave_Z

 うちの部署、さっき全員が同じこと言い出して、月曜午前の業務が実質ストップすることが確定してて草。

 みんな目が悪すぎ。

 

 @Calm_Down_Plz

 厚労省「落ち着いて予約してください」

 国民「了解! 落ち着いてF5キー(更新)を連打します!」

 

 一方、その熱狂の裏側で、全国の眼科クリニックは朝から重苦しい胃の痛みに苛まれていた。

 厚労省から正式なスケジュールが発表された瞬間、ある地方都市の眼科クリニックでは、院長と受付スタッフがテレビのニュースを見つめたまま無言になっていた。

 

「……先生。ついに予約開始日が出ましたね」

 ベテランの受付スタッフが、幽鬼のような声で言った。

「ああ。知っている。私も今見た」

 院長は、こめかみを指で揉みながら答えた。

「電話、来ますよね」

「来るな」

「厚労省は、ニュースのテロップで『電話するな』って言ってくれていますが」

「人間が、自分の欲望の前に立ち塞がる注意書きを素直に読むと思うか?」

「……思いません」

 

 沈黙。

 その直後、クリニックの電話がけたたましく鳴り響いた。スタッフがビクッと肩を揺らし、受話器を取る。

「はい、〇〇眼科です。……はい、視力回復薬の予約についてですね。申し訳ありません、予約は来週月曜から、国が指定する専用サイトでの全国統一受付となります。当院に直接お電話いただきましても、現時点ではシステム上、予約を承ることはできません。……はい、隠しているわけではございません」

 

 電話を切ったスタッフが、深いため息をついた。

「……先生。これ、実際に予約が始まって患者さんが来たら、一日に何人くらい回せますか?」

 院長は、カルテの山を見つめながら首を横に振った。

「薬の在庫は厚労省が国費で確保してくれるからいい。だが、問題は検査だ。これはただの目薬じゃない。細胞レベルで筋肉を修復するアンノウンの技術だ。投与前には、現在の視力測定だけでなく、眼底の確認、眼圧検査、詳細な既往歴の問診、レーシックやICLの手術歴がないかのチェックが必要不可欠だ。これを、流れ作業で雑にやるわけには絶対にいかない」

「一人あたり、最低でも十五分から二十分はかかりますね」

「そうだ。白内障や緑内障、結膜炎で苦しんでいる既存の患者さんの通常診療を止めない前提なら……うちの規模では、せいぜい一日に十数人から二十人が限界だ」

「日本中のメガネをかけている全員が、うちに来たがっているのにですか?」

「だから、地獄だと言っているんだ」

 

 眼科医たちの懸念は、極めて真っ当な医療的見地に基づいていた。

 国民はニュースで踊る「二千円の魔法の薬」という甘い言葉しか見ていない。だが現場の医師たちは、その薬を安全に投与するために、まず「その患者の目が、薬に耐えられる状態かどうか(壊れていないか)」を確実に見極めなければならないのだ。物理的なボトルネックは、絶対に解消できない。

 

 同時刻、厚労省の発表と合わせて、視力回復薬の「投与後検査連携」を担う『認定眼鏡店』の一次リストが公開された。

 これは、眼科の負担を減らすため、薬の処方自体はできないものの、服用後の一か月検診や視力測定、生活習慣の相談を代行できる店舗のリストである。

 全国展開する大手メガネチェーンは、即座に自社の公式サイトを更新し、大々的なバナーを掲げた。

 

『視力回復薬の投与後検査・視力測定に関するご相談は、当チェーンの認定店舗で対応予定です!

 ※お薬の処方自体は眼科医療機関でのみ行われます。当店で薬をお出しすることはできません。

 まずは眼科をご予約の上、その後の視力管理と「度なし保護眼鏡」のご相談は、ぜひお近くの当店へ!』

 

 この変わり身の早さに、ネット民も舌を巻いた。

『メガネ屋、対応早すぎて笑う』

『眼鏡を売る時代から、視力を管理する時代へ。たくましすぎる』

『ってか、厚労省の認定眼鏡店マップのPDF、アクセス集中しすぎて重くて開かないんだけどww』

『薬の在庫より先に、メガネ屋のサーバーが死んだぞ』

『メガネ屋「薬は出せません。でも検査だけならうちでやります(ついでに新しい保護メガネ買ってね)」……しぶとい。だがそれがいい』

 

 そんな中、地方の個人経営のメガネ屋のアカウントが歓喜の声を上げていた。

『うちみたいな田舎の小さな店舗も、厚労省の認定取れたぞ! 機材の基準満たしててよかった!』

 これを見た地方民たちが色めき立つ。

『あれ? もしかして、都会の眼科がパンクしても、田舎の眼科とメガネ屋なら意外と予約空いてるのでは?』

『田舎勝ち組の予感』

 この小さな気づきが、後に「壮大な民族大移動」を引き起こすことになる。

 

 週末。予約開始前夜となる日曜日の夜。

 ネット上は、完全に戦場前夜の異様な熱気に包まれていた。

 

 @Sniper_Eye_00

 明日九時、ついに視力回復薬の予約戦争が開幕する。俺はこの日のために生きてきた。

 

 @Calm_Observer

 戦争じゃないって。厚労省が「在庫はある」って何度も言ってるだろ。

 

 @Sniper_Eye_00

 >>@Calm_Observer

 在庫はあるけど、眼科の「検査枠」がないんだよ!

 医者のキャパシティが足りない以上、それは本質的に戦争なんだよ!

 

 @Salaryman_Warrior

 明日の朝、有給取った。これで九時ジャストにPCの前に張り付ける。

 

 @Half_Day_Leave

 俺は午前半休で勝負をかける。

 

 @Toilet_Fighter

 俺は有給取れなかったから、八時五十五分に腹痛のフリをしてオフィスの個室トイレに籠もる予定。スマホの電波状況も確認済みだ。

 

 @Project_Manager_A

 弊社、月曜九時から全社会議が入っている。終わった……。

 

 @Good_Company_Worker

 上司に「明日の朝、視力回復薬の予約戦争に参加したいので遅刻します」って正直に言ったら、「俺も参戦するから、明日は特例で十時始業にする」って通達が出た。

 最高の会社すぎる。一生ついていくわ。

 

 5ちゃんねるでも、専用スレッドの消費速度が異常な数値を叩き出していた。

『1:名無し 明日九時に備えて、PC、スマホ、会社の貸与タブレット、全部準備して回線テスト終わらせたわ』

『2:名無し 眼科予約RTA勢、本気出しすぎだろ』

『3:名無し 薬の在庫は無限にあるのに、RTAが開催されるという矛盾』

『4:名無し 薬は無限。だが、俺たちの目玉を診てくれる医者の診察枠は有限なんだよ』

『5:名無し 近所の眼科、初期対応の医療機関リストに入ってなかったわ……俺の負けだ』

『6:名無し ワイの住んでる超絶田舎、なぜか対応眼科が三つもある。これ勝ったか?』

『7:名無し 田舎民、今回だけは都会のタワマン民に勝てる要素を持ってるな』

『8:名無し 都会民「そうか、じゃあ地方遠征(ドライブ)するわ」』

『9:名無し やめろ来るな。俺たちのささやかな枠を奪うな!』

 

 この狂騒を見かねた厚労省は、日曜の夜遅くになって、公式サイトとSNSで緊急の追加告知を出した。

 

『【重要】明日の視力回復薬・先行予約に関するお願い

 視力回復薬の薬剤在庫は十分に確保されています。予約初日にご希望の枠が取れなくても、薬剤がなくなることは絶対にありません。

 ただし、安全な投与のためには眼科医による事前診察が不可欠であり、各医療機関の診療枠には限りがあります。

 予約が取れなかった場合でも、順次追加の予約枠を公開いたしますので、どうかパニックにならず、落ち着いてお申し込みください。

 また、医療機関へのお電話は、通常診療の妨げとなるため固くお控えください』

 

 ネット民は即座に反応した。

『厚労省「在庫はある。落ち着け。電話するな」』

『三行でまとまるの草』

『落ち着いて申し込めって言われても、無理だろ。目の前に「裸眼になれるチケット」がぶら下がってるんだぞ』

『眼科予約RTAに「落ち着き」という概念は不要』

『いや、みんな落ち着けよ。冷静になれ』

『俺は極めて冷静に、かつ落ち着いて、F5キー(更新)を秒間十連打するつもりだ』

 

 一方、厚労省の医療関連部局の執務室。

 日曜の夜だというのに、担当課長と若手官僚はまだデスクに残っていた。

 

「……課長。『落ち着いてください』と注意書きを追加で出しました」

 若手官僚が、タブレットから目を離さずに報告した。

「国民は、それで落ち着くと思うか?」

 課長が、ぬるくなった缶コーヒーをあおりながら尋ねる。

「思いません。一ミリも効果はないでしょう」

「私もそう思う。だが、書かないよりはマシだ」

「行政のアリバイ作り、ということですか。これも『規範』ですね」

「そうだ。規範だ」

 

 課長は短く答え、窓の外の暗闇を睨んだ。明日、どれほどの嵐が吹き荒れるのか、彼らには想像がついていた。

 

 そして、運命の月曜日。午前八時五十九分。

 全国の国民が、固唾を飲んで端末の画面を見つめていた。

 オフィスのデスクで仕事をしているフリをする会社員。大学の講義室でノートPCを開く学生。高校の休み時間前にスマホを握りしめる生徒。病院の待合室にいる患者。リビングでタブレットを操作する主婦。パーキングエリアのトラック運転手。ゲーム配信者。締め切り前の漫画家。

 日本中のありとあらゆる人間が、同じ予約専用ポータルサイトの画面を開いていた。

 

『先進微細医療技術「視力回復薬」 先行導入予約受付

 本日 午前九時より受付開始』

 

 時計の秒針が、頂点に達した。午前九時。

 数千万人の指が、一斉にクリック、あるいはタップした。

 

 ――次の瞬間。

 日本中の画面に、無慈悲な白い背景と、黒い文字が表示された。

 

『ただいまアクセスが大変混み合っております。

 時間をおいて再度お試しいただくか、しばらくお待ちください。(Error: 503 Service Unavailable)』

 

「落ちたあああああああああ!!!」

 

 日本中のあちこちで、絶望の叫びが上がった。

 厚労省のシステム管理室では、サーバー担当者が血走った目でモニターに張り付いていた。

「耐えています! メインサーバーは落ちてはいません! リクエストを順番に処理しているため、応答が極端に遅いだけです!」

 広報担当が背後から突っ込む。

「国民の体感としては、それは『落ちた』と完全に同じ判断になります!」

 

 予約サイトは完全停止したわけではなかった。牛歩のような速度で、わずかに画面は遷移していく。だが、その信じられないほどの重さが、ネット上の焦燥感をさらに煽った。

 

『予約サイト重すぎワロタwww 画面真っ白なんだけど!』

『眼科予約RTA、開始一分で通信制限の壁に阻まれる』

『厚労省「在庫はあります」 国民「在庫以前にページが開きません!」』

『薬より先に、国のサーバーのキャパが足りてないじゃねーか!』

『眼科の枠より先にサーバーが死んだ説、立証されたな』

『いや、俺の画面一応動いてるぞ。今、カメみたいな速度でカレンダーが表示された……!』

 

 午前九時五分。

 重い回線を潜り抜け、最初の「予約成功報告」がSNSに上がり始めた。

 

 @Miracle_Eye_Get

 予約できたあああああああああああああ!!!!!

 来月の最初の週の検査枠、もぎ取ったぞ!!!!!

 

 この投稿は、数秒で何千件もリポストされ、拡散された。

『勝ち組きたーーー!』

『突破するの早すぎるだろ、どんな回線使ってんだよ』

『どこの眼科!?』

『都内か!?』

 

 @Miracle_Eye_Get

 >>みんな

 いや、都内はカレンダー開いた瞬間に全部「×(満枠)」になってた。

 俺が取れたのは、埼玉の郊外にある眼科。たまたま空いてた!

 

『郊外強いな……』

『やっぱり都心部は人口密度が高すぎて瞬殺か』

 

 別のユーザーからも喜びの声が上がる。

 @Local_Winner

 地元の眼科、三か月後だけどなんとか予約取れた!

 俺の勝ちだ!

 

『三か月後で勝ち組扱いなの草』

『いや、この状況なら「予約番号」を手に入れた時点で大勝利だろ』

『俺なんて、未だに最初のログイン画面にすら辿り着いてないんだぞ』

 

 @Far_Future_Eye

 半年後の枠、確保した。

 これは……勝ちなのか?

 

『勝ちだろ。半年後に視力が回復する未来が確定したんだから』

『未来視じゃん。羨ましすぎる』

 

 予約完了画面のスクリーンショットが次々とアップされる。

『視力回復薬 事前眼科検査 予約完了のお知らせ(予約番号:A-00452)』

 

『そのメールのスクショ、印刷して家宝にしろ』

『予約完了メールの画像見てるだけで、プラシーボ効果で視力が0.1くらい上がりそうな気がしてきた』

『見えない目で他人のスクショ見るな、悲しくなるだろ』

 

 一方で、同じ瞬間に「予約できなかった者」たちの悲鳴が、SNSのタイムラインをどす黒く染め上げていた。

 

 @Loser_Glasses

 予約できなかった。弾かれた。俺の人生終わった。

 

 @City_Boy_Cry

 近所の対応眼科、全部満枠。カレンダーが真っ赤だった。

 

 @Tokyo_Dead

 都内、全滅。渋谷も新宿も池袋も、一秒で枠が消滅した。

 

 @Osaka_Fall

 大阪中心部も瞬殺。たこ焼き食ってる間に終わった。

 

 @Sapporo_Snow

 札幌、雪より予約が積もらない。

 

 @Fukuoka_Ramen

 福岡、眼科の枠がラーメンの替え玉より早く消えたんだが?

 

 5ちゃんねるの掲示板も、阿鼻叫喚の様相を呈していた。

『1:名無し 予約できた奴とできなかった奴で、完全に身分差が生まれてて草』

『2:名無し 今日から日本は、視力回復薬予約階級社会になった』

『3:名無し 予約番号持ちの貴族階級』

『4:名無し そして、無予約の底辺平民』

『5:名無し やめろ、その比喩はマジで泣くから』

『6:名無し ワイ、九時ジャストにアクセスして有休まで使ったのに、最後の確定ボタンで弾かれて終わった。生きる気力がない』

『7:名無し お前はまだ戦場の入口に立てただけマシだ。俺はそもそもページを開く前にタイムアウトで負けた』

『8:名無し お前ら、たかが目薬の予約で悲壮感出しすぎだろwww』

『9:名無し でもマジで悔しいんだよ。これでもう一回ワンデーのコンタクトまとめ買いしなきゃいけないの、精神的にキツい』

『10:名無し ……なぁ、薬の在庫は本当にあるんだよな?』

『11:名無し 薬はある。だが、眼科がない』

『12:名無し その名言、心に刺さるからやめろ』

 

 この「薬の在庫はあるのに、それを打つための予約が取れない」という生殺しの状況が、国民の焦燥感と悲壮感を極限まで高めていた。

 

 事態を重く見た厚労省は、午前中のうちに追加のコメントを各メディアとSNSを通じて発信した。

 

『予約開始直後より、想定を大幅に上回る多数のお申し込みをいただいております。

 改めて申し上げますが、薬剤在庫は十分に確保されており、初日に予約できなかった場合でも、薬剤そのものがなくなることは絶対にありません。

 各医療機関の検査枠は、準備が整い次第、順次追加で公開される予定です。

 今回の予約の成否をもって、受診機会に恒久的な差が生じるものではありません。勝ち負けではありませんので、どうか落ち着いてお申し込みください』

 

 だが、この「勝ち負けではありません」という言葉は、火に油を注ぐ結果となった。

 

『厚労省「勝ち負けではありません」』

『負けた俺には一ミリも響かない慰めだな』

『予約できた奴「ほら、国も勝ち負けじゃないって言ってるよ(ドヤ顔)」』

『予約できなかった俺「黙れ。お前の目は節穴か」』

『厚労省、薬の在庫はあるって今日だけで何回言うんだよ』

『在庫があるからこそ、余計に悔しいんだよ! そこに薬の山があるのが分かってるのに、眼科の枠がないせいで手が届かない!』

『薬があるのに見えない。これって、視力低下そのもののメタファー(暗喩)じゃないか?』

『うまいこと言うな。座布団一枚』

 

 厚労省の執務室でも、広報の苦悩は続いていた。

「課長。『勝ち負けではありません』と書きましたが、案の定反発されています」

「国民は、これを完全に勝ち負けのゲームとして見ているからな」

「はい。火に油です」

「でも、書け。国として、命や健康の機会均等を示さなければならない」

「……それも、規範ですか」

「そうだ。規範だ」

 

 正午を過ぎた頃、ネット上で一つの「裏技」が急速に広まり始めた。

 都市部の眼科予約は瞬殺だった。しかし、予約サイトの空き状況を広域で検索していたユーザーたちが、ある事実に気づいたのだ。

 

『あれ? これ、地方の眼科、普通にカレンダー空いてね?』

『マジだ。〇〇県の山間部にあるクリニック、来月普通に空きがある』

『田舎勝ち組すぎるだろww』

『都会民、完全敗北のお知らせ』

 

 ここで、フットワークの軽い一部の都市部民たちが、恐ろしい発想に至った。

『……これ、予約取って、旅行ついでに行けばよくね?』

 

 ここから、「視力回復薬・地方遠征」という謎のムーブメントが勃発した。

 

 @Travel_Eye_Tokyo

 都内の枠は全滅だったけど、長野の眼科で再来週の予約取れた!

 せっかくだから、有給くっつけて温泉旅行ついでに行ってくるわ。

 

『眼科遠征www ライブツアーかよ』

『観光と医療を混ぜるな危険』

『でも、薬は確実にあって、検査枠も空いてるなら、交通費払ってでも行くだろ。一生の視力が買えるんだぞ』

 

 @Gunma_Visitor

 群馬の眼科で予約できた。終わったら草津の温泉入って帰る。最高。

 

 @Sushi_Eye

 石川の眼科取れたから、帰りに近江町市場で美味い寿司食ってくる。

 

 @Pork_Vision

 鹿児島の眼科空いてたから飛行機取った。黒豚食べて、裸眼になって帰ってくるわ。

 

『眼科旅行ブーム、爆誕』

 

 だが、この動きに地方民たちは猛反発した。

『やめろ都会民! 俺たちのささやかな眼科枠を奪うな!』

『すまん、裸眼のためなら俺たちは新幹線でも飛行機でも乗る。恨むなら都会の人口密度を恨んでくれ』

 

 そして、この動きをいち早く察知した地方の観光業界や交通機関が、すかさず便乗を始めた。

 ある地方の観光協会のSNSアカウントが投稿する。

『視力回復薬の受診で当県へお越しの皆様! ついでに地域の温泉や絶景観光はいかがですか? 裸眼で見る大自然は格別ですよ!(※医療機関の迷惑にならないようご注意ください)』

 

『商魂たくましすぎるww』

『メガネ屋だけじゃなく、ついに観光業までアンノウン特需に乗ってきたぞ』

『医療ツーリズムの国内版じゃん』

『眼科旅行パックとか、マジで需要ありそう』

 

 実際に、月曜の予約開始直後から、地方行きの新幹線や国内線航空券の検索数が異常な伸びを示していた。

『眼科の枠が取れたら、次は新幹線の指定席予約RTAが始まるのか』

『視力回復薬、めちゃくちゃ経済効果出してて草』

『厚労省「薬の在庫はあります」 国民「ホテルの空きがありません!」』

 

 地方の眼科クリニックは、突然の都会からの予約ラッシュに困惑していた。

「……先生。東京、神奈川、大阪から、ネット予約がポンポン入っているんですが」

 受付スタッフが、予約システムを見ながら目を丸くする。

「なんだそれは。うちは観光地ではないぞ」

 院長が怪訝な顔をする。

「でも、ネットの備考欄に『受診後、近くの温泉に寄ります』って書いてある人もいます」

「そういう問題ではない! 視力回復薬の検査で県外からの患者ばかりになれば、地元の高齢者の白内障や緑内障の定期検診の枠が圧迫されるだろうが!」

 

 この問題はすぐに地方医師会を通じて厚労省に上げられた。

「地方の検査枠に都市部から患者が集中しています。地域医療の崩壊につながる懸念をどう考えているのですか」

 厚労省の担当課長は、冷や汗をかきながら回答した。

「国民の移動の自由を国が制限することはできません。地域医療を圧迫しないよう、各医療機関において、地元患者の優先枠を設ける等の適切な予約管理をお願いいたします」

「……また、現場に丸投げの『規範』ですか」

「はい。地域医療を守るための、重要な規範です」

 

 ネット民も、この厚労省の苦しい言い訳にすぐ気づいた。

『伝家の宝刀「規範」、再登場ww』

『厚労省も大変だな。都会の枠が足りないのも、田舎に人が押し寄せるのも、全部厚労省のせいにされるんだから』

 

 さらに、厚労省は旅行会社や一般国民に向けて、強いトーンで注意喚起を行った。

『受診のために遠方へ移動する場合でも、事前予約なしでの医療機関への直接の来院(いわゆる突撃)は、絶対にお控えください。

 医療機関や地域医療の重大な負担となります。必ず予約日時を守り、通常診療を妨げないようご協力をお願いいたします』

 

『つまり、「予約もしてないのに田舎の眼科に突撃するな」ってことだな』

『わざわざ書くってことは、それをやるバカが絶対にいるってことだよな』

『人間の欲望を信用していない厚労省、対応として極めて正しい』

 

 午後になると、予約が取れない人々の焦りにつけ込む、悪質なビジネスが姿を現し始めた。

 SNSやフリマアプリのタイムラインに、怪しげな広告が流れ始める。

 

『【必見】視力回復薬・眼科予約代行サービス!

 独自のシステムで最短予約枠を確実にお取りします!

 地方眼科の空き枠の確保も対応可能!

 成功報酬:三万円(※薬代・診察代は別途)』

 

『うわ、もう予約代行の業者が湧いて出てる』

『人類の悪意、相変わらず仕事が速すぎるだろ』

『薬の自己負担が二千円なのに、予約代行の業者が三万円取るのは草。本末転倒すぎる』

『でも、どうしても早く視力戻したい奴は払っちゃうんだろうな……』

『目が見えなくても、詐欺は見抜けよお前ら』

 

 これに対し、厚労省と消費者行政は即座に動き、雷を落とした。

『予約代行を名乗る悪質なサービスには十分ご注意ください。

 正規の予約は、公的に案内された専用サイトまたは各医療機関の正規の手順でのみ行ってください。

 予約枠の転売、虚偽情報の入力による予約、第三者による不適切な代理申込は、医療機関の業務を妨害する行為であり、法的なペナルティの対象となる恐れがあります。

 重ねて申し上げますが、薬剤の在庫は十分にあり、予約枠も順次追加されます。高額な代行サービスを利用する必要は全くありません』

 

『厚労省「薬はあるから、詐欺師に無駄金払うな」』

『まともな対応。厚労省がんばれ』

『でも、予約できない人は焦るからな。心の隙間を突かれるんだよ』

『人間の「焦り」を食い物にする商売、ほんと湧いて出るの早いな』

 

 予約開始日の夕方。

 SNS上では、予約できた人々とできなかった人々の、生々しい悲喜こもごものドラマが展開されていた。

 

 会社員のデスクにて。

「やった! 昼休みにスマホ更新し続けてたら、奇跡的にキャンセル出たのか、来月の枠取れたぞ!」

 歓喜する若手社員に、隣の先輩社員がギリッと歯軋りをする。

「この裏切り者め……!」

「先輩も取ればよかったじゃないですか」

「取れなかったんだよ! ずっと回線エラーだったんだよ!」

 

 ある家庭のリビングにて。

「あーよかった。なんとか子供の分の検査枠、二か月後だけど取れたわ」

「うちはダメだった……っていうか、小学生は対象年齢の基準がまだ不明瞭だから、とりあえず『通常相談枠』で回されちゃったわ。いつ薬がもらえるか分からない」

 

 物流倉庫の休憩所にて。

「おっ、会社の安全管理枠での集団予約、通ったみたいっすよ」

「マジか! これで来月の免許更新、裸眼で通るかもしれんな!」

 

『職業ドライバーや運送業が優先枠もらえるのは、まあ社会インフラ維持のために分かる』

『物流止まると全員が困るからな。そこは譲るわ』

 

 ゲーム配信者の投稿。

「来週の予約取れたから、視力回復したらFPS(シューティングゲーム)のエイム絶対強くなるわ。お前ら震えて待て」

『視力は回復しても、お前の三十代の衰えた反射神経とクソエイムは回復しないぞ』

『やめろ、真実で殴るな』

 

 一方、予約できなかった者たちの怨嗟の声は深く、暗かった。

『都市部の会社員だけど、九時にトイレで待機してたのに取れなかった。俺の有給を返せ』

『学生ワイ、授業中でスマホ触れずに完全敗北』

『家族四人分を順番に予約しようとしたら、途中でシステムから弾かれて全滅した……』

 

 眼科の受付。

「……だから、電話での予約はできないと申し上げているじゃないですか!」

 

 メガネ屋の店頭。

「すいません、予約サイトで全滅したんですけど、いつか薬飲めるなら、今ここで新しいメガネ買うべきじゃないですよね?」

「お客様が今、見えなくてお困りなら、買ってください(本日百回目の定型文)」

 

『予約取れた人:未来の裸眼民』

『予約取れなかった人:現役のメガネ民』

『予約番号でマウント取るのやめろ。心が痛い』

『予約できた友人が、急に「視力貴族」みたいな余裕の顔して接してくるようになった。まだメガネかけてるくせに』

『まだ見えてないのに態度だけデカくなるの草』

 

 午後六時。

 厚労省は、パニックを鎮めるため、追加の発表を行った。

『本日の予約開始直後の混雑を受け、各登録医療機関と調整の上、追加の検査枠を順次公開いたします。

 また、認定眼鏡店による投与後の検査連携の範囲をさらに拡大し、眼科医療機関の負担軽減を図ります。

 薬剤在庫は十分にあります。初日に予約が取れなかった方も、順次必ず予約可能となりますので、お待ちいただきますようお願い申し上げます』

 

『追加枠きたあああああ!』

『第二ラウンドのゴングが鳴ったぞ!』

『眼科予約RTA、延長戦突入!』

『厚労省「落ち着け」 国民「うおおお第二波行くぞおおお!」』

 

 厚労省の広報担当が、げっそりとした顔で課長に報告した。

「……課長。追加枠の告知を出した瞬間、予約サイトのアクセス数がまた跳ね上がりました」

「当然だ。人間の欲望に際限はない」

「告知文の最後に、『落ち着いてください』と再度入れますか?」

「書け」

「誰も落ち着かないと思いますが」

「それでも書け。それが我々の仕事だ」

 

 深夜。

 ネットの喧騒も少しだけ落ち着き、5ちゃんねるの『視力回復薬スレッド』も終盤に差し掛かっていた。

 

『1:名無し 結局、薬の在庫は無限にあるのに、医者の予約が取れないせいで打てないって、何なんだよこの状況』

『2:名無し 薬があっても、専門の医者がちゃんと目を診なきゃ出せない。医療としては当たり前の安全措置なんだけど、もどかしいよな』

『3:名無し これが「医療」なんだな。スーパーの特売のキャベツと違って、棚に並べて勝手に買わせるわけにはいかないんだ』

『4:名無し それは頭では分かってる。でも、二千円で視力が戻るかもって目の前に希望をチラつかされたら、誰だって焦るわ』

『5:名無し 予約できた奴が本当に羨ましい』

『6:名無し 俺、三か月後だけどなんとか取れた。それまで、この煩わしいメガネ生活の最後の日々を噛みしめることにするわ』

『7:名無し 俺は取れなかった。追加枠待ちだ』

『8:名無し 厚労省が「在庫はある」ってしつこいくらい言ってるんだから、信じるしかないだろ』

『9:名無し なら、大人しく待てばいいか』

『10:名無し でもさ、待つのって苦手なんだよ、人類は』

『11:名無し 視力は回復しても、俺たちの「忍耐力」は回復しないからな』

『12:名無し うまいこと言うな。寝るわ』

 

 同じ深夜の厚労省。

 課長が、本日の予約状況のサマリー報告書に目を通していた。

 ・薬剤在庫:十分(問題なし)。

 ・初日予約アクセス数:想定を大幅に上回る。

 ・都市部検査枠:即日満了。

 ・地方枠:一部空きあり。

 ・地方遠征(越境予約):増加傾向、要警戒。

 ・医療機関への電話問い合わせ:注意喚起にもかかわらず減らず。

 ・予約代行等の詐欺事案:複数発生、対応中。

 ・追加枠調整:急務。

 

 若手官僚が、温かいお茶の入った紙コップを課長のデスクに置きながら言った。

「……課長。薬は、足りていますね」

「ああ。そうだな」

「でも、国民にはまだ届いていません」

「医療というものは、薬という『物質』だけでは届かない。それを正しく診る人間の技術と、検査するための物理的な時間と、そして何より、自分の順番を静かに待つ『忍耐』が必要だ」

 若手官僚が、皮肉っぽく笑った。

「今の国民に、その忍耐はありますか?」

「ない」課長は即答した。

「では、我々はどうすれば?」

「規範を示す」

「またですか」

「まただ。明日も、明後日もな」

 

 視力回復薬の在庫は、十分に確保されていた。

 だが、国民全員の目を一度に診ることのできる眼科は、この国のどこにも存在しなかった。

 それでも厚労省の官僚たちは、パニックに陥る国民に向けて「落ち着いて予約してください」と、根気強く言い続けるしかなかったのである。




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