自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~ 作:パラレル・ゲーマー
フランス共和国、パリ。
華やかなシャンゼリゼ通りに面し、共和国の権威と歴史を象徴するエリゼ宮殿(大統領府)。その優雅な古典様式の宮殿の地下深くには、きらびやかな地上の装飾とは対極にある、無機質で堅牢な要塞空間が存在している。
国家安全保障会議(コンセイユ・ド・デファンス)が行われる極秘の地下会議室である。
分厚い防爆扉と最新鋭の対電子戦シールドで覆われたこの部屋は、フランスの国家機密を守る最後の砦だ。フランスという国は、芸術と美食の国であると同時に、欧州最大の軍事力と独自の核戦力を持ち、世界中で苛烈な情報戦を繰り広げる冷徹な覇権国家でもある。この部屋の空調が吐き出す冷気には、その冷酷な国家理性が混じっていた。
巨大なオーク材の円卓の上座に座るのは、フランス共和国大統領。
洗練されたスーツを身に纏い、彫りの深い顔立ちに鋭い知性を宿した彼は、フランスの国益と歴史的役割に対して極めて強い誇りを持つ、冷徹な現実主義者(リアリスト)であった。
彼を囲むように、首相、外務大臣、経済・財務大臣、軍事省(国防)の担当大臣、そして対外治安総局(DGSE)を束ねる情報機関のトップが顔を揃えている。
さらに本日は、通常の安全保障会議のメンバーに加え、環境移行大臣とエネルギー政策の担当者も同席していた。
議題が、単なる軍事や外交の枠を超え、欧州の産業と環境政策の根幹を揺るがす「ある提案」に関するものだったからだ。
「……さて、始めようか」
大統領が、静かな、しかし威厳に満ちた声で口火を切った。
「極東の同盟国から、我々の国益を大いに刺激する、興味深い提案が届いたと聞いているが」
外務大臣が、手元の極秘指定の赤いファイルを開き、居住まいを正した。
「はい、大統領。日本政府より、極めて限定された、かつ秘匿性の高いチャンネルを通じて正式な打診がありました。
……内容は、『日仏循環資源再生共同実証計画』の提案。および、それに伴う高度資源再生モジュールのフランス国内への設置と、日仏の共同運用についてです」
「高度資源再生モジュール……」
大統領は、その無味乾燥な役所言葉を口の中で転がし、少しだけ目を細めた。
「つまり、日本がアメリカに提示し、裏の外交ルートで噂になっていたという……あの『廃棄物を資源に戻す機械』のことだな?」
「その通りです」
情報機関のトップが、冷徹な事実として補足する。
「日本政府内でのコードネームは『リクレーマー』。
提供された初期スペックによれば、深海泥、電子廃棄物、廃バッテリー、工業スラグ、建設廃材など、あらゆる混合廃棄物から、含有されている有用元素を極めて高効率かつ高純度で分離・回収する装置とされています」
その説明を聞いた瞬間、同席していた環境移行大臣が、椅子から身を乗り出すようにして弾かれた。
「それが本物なら、欧州の循環経済(サーキュラー・エコノミー)政策が根本から変わります!」
環境移行大臣の声には、抑えきれない興奮が混じっていた。
「EUは長年、環境保護とリサイクルの義務化を推進してきましたが、実際の処理コストと純度の問題で、理想には程遠い状態が続いていました。しかし、この装置があれば、埋め立てや焼却に頼っていた廃棄物行政が完全に一変します!」
経済・財務大臣も、電卓を叩くような鋭い目つきで同意した。
「環境だけではありません。都市鉱山、廃EVバッテリー、レアメタル抽出、廃棄物処理。これらすべてが、莫大な利益を生む巨大産業に化けます。これまで我々がアフリカの鉱山権益や中国のサプライチェーンに依存してきた『戦略資源』を、国内のゴミの山から自給自足できるようになるのです。経済効果は計り知れません」
軍事・国防担当も、安全保障の観点から深く頷いた。
「戦略金属の回収は、防衛産業の生命線です。航空宇宙、ミサイル部品、レーダー、高度な電子機器。これらに不可欠なレアメタルやチタンの供給不安を、自国で、しかも機密を保ったまま解消できる。喉から手が出るほど欲しい技術です」
円卓の空気は、一瞬にして熱を帯びた。
フランスという国家の各セクターのトップたちが、目の前にぶら下げられた「魔法の機械」がもたらすであろう自国の圧倒的な利益を幻視し、理性を失いかけていた。
だが、大統領はただ一人、一切の興奮を見せることなく、冷ややかな視線で彼らを見回した。
「……落ち着きたまえ」
大統領の低く静かな声が、会議室の熱をスッと冷却した。
「日本が、そのような国益の塊を、ただの親善目的で気前よく我々に差し出すはずがない。タダより高いものはないというのは、路地裏の物乞いから国際外交に至るまで、不変の真理だ」
大統領は、外務大臣を真っ直ぐに見据えた。
「日本は、何を求めている?」
その問いに対し、外務大臣は一度深く息を吸い込み、言葉の重みを噛み締めるように言った。
「……日本の、国連安全保障理事会・常任理事国入りへの、フランス共和国の『明確な支持』です」
——。
エリゼ宮の地下に、重く、粘り気のある沈黙が落ちた。
◇
「……常任理事国、か」
大統領は、背もたれに深く身を預け、腕を組んだ。
「これは、単なる日仏の技術協力という次元の話ではありません」
外務大臣が、外交の歴史的文脈を紐解く。
「日本が、アンノウンという圧倒的なテクノロジーを背景にして、本気で国連の中枢……すなわち『世界の支配層の席』を取りに来たということです」
「第二次世界大戦後の世界秩序が、ついに正式に書き換わるということですね」
首相が、憂鬱そうに顔をしかめた。
「はい」
外務大臣が頷く。
「日本とドイツは、経済大国でありながら、長く戦後の『敗戦国枠』として秩序の外側に置かれてきました。彼らは幾度となく安保理改革を訴え、常任理事国入りを求めてきましたが、我々既存のP5(五大国)の思惑や既得権益の壁に阻まれ続けてきました。……その歴史的な不均衡を、日本は今、物理的な『力』を使って正面から変えに来ています」
大統領は、冷笑を浮かべた。
「平和と平等を謳う国連も、結局のところ、最後は『誰が一番強力なカードを持っているか』という力の論理でしか動かないということだな」
「間違いなく、ドイツが騒ぎますね」
経済・財務大臣が、EU内部の力学を懸念して言う。
「日本が先に常任理事国へ進み、しかもフランスの明確な後押しを受けるとなれば……ドイツ国内では『なぜ我々ではないのか!』『フランスは独断で欧州のバランスを崩す気か!』という猛烈な批判と議論が沸き起こります」
「EU内でも非常に面倒なことになります」
外務大臣が同意する。
「イタリア、スペイン、ポーランド。それぞれの国が『ならば我々にも発言権を』と新たな思惑を持ち出し、安保理改革の枠組みを利用しようとするでしょう」
「……ドイツを、どう黙らせるつもりだ?」
首相が、最も厄介な隣国の扱いについて大統領に問うた。
「黙らせるのではなく、別の椅子を見せるしかありません」
外務大臣が実務的な見解を述べる。
「EU枠としての安保理改革の推進、G4(日本・ドイツ・インド・ブラジル)協調の枠組みの再定義、あるいは非常任理事国枠の拡張。……理屈はいくらでも用意できます。ですが、今回はあくまで『日本の案件』です。彼らは、我々を待たずに先に走るだけのカードを、すでに持っているのですから」
「そのカードが、この『リクレーマー』か」
大統領は、机上の資料を指先で弾いた。
「リクレーマーだけではありません」
情報機関のトップが、冷酷な現実を突きつけた。
「完全生体互換の人工臓器による医療革命。世界を熱狂させているフルダイブ技術とオラクル義体。火星への五日航路と生命維持インフラ。そして、欧州のITERで実証中の核融合炉。……日本はすでに、エネルギー、医療、宇宙、仮想空間という『次世代の地球のインフラ』のすべての中核を握り始めています」
大統領の目が、スッと細められた。
「ならば」
大統領は、低く、しかし力強い声で言った。
「これは、日本からの常任理事国入りの『お願い』ではない。……世界秩序の『現状追認』だ」
その言葉に、閣僚たちは一斉に息を呑んだ。
「日本は、我々に頭を下げて席を乞うているのではない」
大統領の冷徹な分析が続く。
「彼らはすでに、世界を支配するに足る力を持っている。その彼らを、いつまでも『国連の決定権の外側』に置いておけば、いずれ彼らは国連という古い枠組みそのものを無視し、独自のルールで世界を動かし始めるだろう。それは、我々既存の覇権国にとって最も危険なシナリオだ」
「つまり……我々フランスは、『日本に譲歩する』のではなく、『すでに力を持った日本を、正式な秩序の内側に組み込んで手綱を握る』ために支持するのだと。そういう論理ですね」
外務大臣が、外交的な大義名分を美しく言語化した。
「その通りだ」
大統領は深く頷いた。
「秩序の外側にいる規格外の超技術国家より、秩序の内側に縛り付けた常任理事国の方が、まだ御しやすい。我々はそれを理解しているからこそ、支持に回るのだ。……ドイツにはそう説明すればいい」
◇
「とはいえ、タダで支持のサインをしてやる理由はない。……この『リクレーマー』が、我々フランスの国益に見合うだけの価値があるかどうかだ」
大統領は、経済と環境のトップへ視線を向けた。
環境移行大臣が、待ってましたとばかりに身を乗り出した。
「価値はあります。十分すぎるほどに」
環境移行大臣は、熱弁を振るう。
「リクレーマーがフランス国内に設置されれば、我々はEUに対してこう宣言できます。『フランスこそが、欧州初の高度資源再生拠点である』と。
我々はこれまで、EUの中で環境外交とグリーン政策の理念を声高に掲げてきました。しかし、理念だけでは、中国の安価な太陽光パネルやEVバッテリーのサプライチェーンに勝てなかった。結局は彼らの資源に依存していたからです。
だが、この装置があれば、フランスは“廃棄物を資源に戻す欧州の心臓”になれます。EUの循環経済(サーキュラー・エコノミー)の旗艦国として、絶対的な主導権を握ることができるのです!」
「産業政策としても、これ以上ない強力な武器になります」
経済・財務大臣も、数字の計算を終えて力強く同意する。
「廃バッテリー、電子廃棄物、産業スラグ。欧州中から処理困難な廃棄物をフランスへ集め、それを高純度のレアメタルとして域内に再供給する。ドイツの強大な製造業優位に対抗するための、最強のカウンターカードになります」
「アフリカの旧植民地圏に対する、新たな資源外交の切り札にもなりますね」
外務大臣が、広域な地政学的メリットを補足する。
「これまでは鉱山権益を巡って中国やロシアと泥沼の争いをしていましたが、廃棄物から自給できるようになれば、我々の外交的自由度は飛躍的に高まります」
「つまり」
大統領は、彼らの報告を統合し、薄く笑った。
「日本は我々に、『欧州環境再生の王冠』を渡そうとしているわけだな」
「はい。まさに王冠です」
環境移行大臣が目を輝かせる。
「ただし」
情報機関のトップが、冷や水を浴びせるように言った。
「その王冠の『鍵』は、完全に日本が持っていますが」
◇
「日本側から提示された、リクレーマー運用に関する『条件』を確認します」
外務大臣が、スクリーンに日本が突きつけてきた絶対条件のリストを投影した。
【日本側要求条件】
・装置の所有権は日本国政府(アンノウン機関)に帰属する。
・装置の分解、解析、リバースエンジニアリングの完全禁止。
・日本側の許可なき無断移設の禁止。
・中核部(ブラックボックス)への物理的・電子的アクセス禁止。
・日本側から派遣される監査官、または『オラクル義体』の常時監査の受け入れ。
・投入する廃棄物の事前登録制。
・軍事物資や機密機器の投入は、事前承認制とする。
・放射性物質、生体廃棄物、未知の危険物の投入は原則不可。
・中国およびロシア系企業への情報漏洩防止と接触禁止。
・EU圏内への同技術の展開および増設は、日本側の承認制とする。
・出力資源の用途および流通先の報告義務。
・環境・資源再生技術の国際標準化ルール策定において、日本案を支持すること。
リストが読み上げられるにつれ、フランスの閣僚たちの顔から興奮が消え、露骨な不快感が広がっていった。
「……何だ、この条件は」
国防担当が、屈辱に顔を歪めた。
「フランスの主権国家としての領土内に置く装置でありながら、実質的な管理権は完全に日本が握っているではないか。我々が何を投入し、何を取り出したか、すべて日本のオラクルに筒抜けになる。これでは我々は、日本の技術の下請け処理業者に過ぎない!」
「軍事物資の処理に事前承認が必要など、言語道断です。我が国の機密を日本に開示しろと言っているに等しい」
情報機関のトップも、防諜の観点から強く反発する。
「厳しいな。たしかに、プライドを傷つけられる条件だ」
大統領は、彼らの怒りを理解しつつも、極めて冷静だった。
「ですが、逆の立場なら、我々も間違いなく同じ条件をつけます」
情報機関のトップが、プロフェッショナルとしての客観的な評価を付け加えた。
「これほどの戦略技術を、何の制限もなしに他国に渡す馬鹿は、三流国家の指導者にもいません。日本は、極めて真っ当に覇権国としての技術管理を行っているだけです」
「問題は、この屈辱的な条件を飲んででも、受け入れる価値があるかどうかだ」
経済・財務大臣が、実利を天秤にかけて問う。
「あります。十分すぎるほどに」
環境移行大臣が、即座に断言した。
「鍵が日本にあろうと、プラントがフランスの土地にあるという物理的な事実が重要です。EUの政治においては、『どこで雇用が生まれ、どこから資源が出力されているか』が全てです」
「……それに、日本は我々の『顔』を立てるための見事な配慮をしています」
外務大臣が、外交的な裏の文脈を解説する。
「日本は、アメリカにリクレーマーを貸与していますが、欧州においてはこのフランスを『唯一の窓口』に選んだのです。
アメリカだけでなく、欧州にもリクレーマーを置く。そして、その欧州の管理ハブがフランスになる。……これは、フランス国民とEUに対して『我々はアメリカの言いなりではなく、日本と直接、独自の強力なパイプを持っている』とアピールできる、極めて巨大な政治的成果です」
「アメリカ一極集中を嫌う我が国にとって、極東の新たな覇権国との独自ラインは、喉から手が出るほど欲しいカードだ」
大統領が、深く頷いた。
「ドイツがうるさくなる理由が、また一つ増えましたね」
首相が、重い溜め息をつく。
「『なぜフランスだけが、日本の超技術の窓口を独占しているのか』と、欧州議会で必ず突き上げを食らいます」
大統領は、冷たく、そして誇り高く言い放った。
「答えは簡単だ。……フランスは、国連の常任理事国だからだ」
その一言に、閣僚たちはハッとした。
「我々には、日本が欲しがっている『常任理事国入りへの賛成票』という、ドイツには決して持てない特権的なカードがある。だからこそ、日本は我々を取引相手に選んだ。……ドイツへの説明は、それで十分だ。常任理事国としての我々の外交的勝利なのだからな」
大統領の言葉は、フランスの歴史的な優位性を最大限に利用する、極めて傲慢で、かつ隙のない論理であった。
◇
だが、会議がまとまりかけたところで、フランス特有の「底知れぬ欲」が鎌首をもたげた。
「大統領」
国防担当が、少し声を潜めて提案した。
「日本がリクレーマーの監査としてオラクルを送り込んでくるのであれば……逆に、我々からも『リクレーマーの共同運用監査』、あるいは『技術交流』という名目で、フランスの技術者や情報将校を、日本の『アンノウン機関』の内部へと送り込むことを要求すべきではないでしょうか」
会議室が、一瞬、水を打ったように静まり返った。
「それができれば、我々も日本の中枢に『観測窓』を持つことができます」
経済・財務大臣が、その莫大なメリットに目を輝かせる。
「リクレーマーだけではありません」
国防担当が熱を込めて続ける。
「アンノウン機関がどのようにオラクル義体を制御しているのか。あのブラックボックスの周辺技術はどうなっているのか。フルダイブのコアサーバーの物理的なセキュリティはどう管理されているのか。……彼らの運用思想や監査プロトコルの断片に触れるだけでも、我々にとっては計り知れない価値のある情報です」
「日本が技術を独占し、ブラックボックス化している以上、我々もどこかでその壁に穴を開けなければ、永遠に従属することになります。交換条件として、人員の派遣を強く求めるべきです」
彼らの要求は、情報機関や軍事組織としては極めて真っ当な「野心」であった。
しかし、外務大臣は深く眉をひそめた。
「……日本は、間違いなく拒絶するでしょう。あの『日下部』という男が、そんな露骨なトロイの木馬を許すはずがない」
「拒むだけなら、構いません」
情報機関のトップが、冷徹に分析する。
「交渉とは高く吹っ掛けるものです。拒まれたら、別の条件で妥協を引き出せばいい」
「いや」
情報機関のトップ自身が、自らの提案を即座に否定するように首を振った。
「……危険です。日本側は、我々がそういう『欲』を出すことを、百パーセント完全に読み切っています」
「どういうことだ?」
大統領が問う。
「あの日本政府の実務ラインは、アンノウンという劇薬を扱う過程で、極度に防諜とリスク管理の能力を研ぎ澄ませています。
もし我々がここで『アンノウン機関に人を出させろ』と要求すれば……彼らは『フランスはやはり、合意の裏で技術を盗もうとする信用できない国だ』と判断するでしょう。
そして最悪の場合、彼らは要求を断るだけでなく、リクレーマーの貸与提案そのものを白紙に撤回し、別の国……例えばイギリスや、あるいは本当にドイツへ話を持っていく可能性があります」
その警告に、閣僚たちは一斉に背筋を凍らせた。
「日本は、我々の票が欲しいはずだ。そこまで強気に出るか?」
国防担当が疑念を口にする。
「彼らは、アメリカとイギリス、それにロシアの推薦をすでに確保しています。中国も反対には回らない。……我々がゴネれば、彼らは『フランスだけが歴史の進歩を妨害している』という孤立状態に我々を追い込むことすら可能です。彼らには、それだけのカードがある」
外務大臣が、日本の周到な外交包囲網の完成度を指摘した。
大統領は、じっと円卓を見つめ、深く考え込んだ。
目の前に差し出された、リクレーマーという極上の肉。
そこに喰らいつき、さらに奥にある骨の髄まで啜ってやろうとするのが、国家の、そして情報機関の常である。
だが、大統領はゆっくりと顔を上げ、静かに、だが絶対的な権威を持って言い放った。
「……我々は、紳士だ」
全員の視線が、大統領に集中する。
「少なくとも、この場においては、そういうことにしておく」
大統領のその言葉に、張り詰めていた会議室に、少しだけ皮肉な、だが余裕のある笑いが生まれた。
「日本は、我々の前に極上の餌を差し出している。リクレーマーという、国家の命運を左右するほどに高価な餌だ。……当然、我々はそれに釣られる」
大統領は、まるで優雅なディナーの席で語るように続けた。
「だが、釣り針を見たうえで食いつく魚にも、『品位』というものがある。
最初の一口で欲張って釣り糸を引きちぎろうとする魚は、いずれ陸に引き上げられて網にかけられる。……だが、餌だけを丁寧に、行儀よく食べる魚には、釣り人は必ず『次の餌』も投げ与えてくれるものだ」
大統領は、外務大臣を見た。
「アンノウン機関への人員派遣要求は、今回は絶対に出すな」
「承知いたしました」
外務大臣が深く頷く。
「欲張るな。……ここは大人しく、リクレーマーだけに紳士的に釣られよう」
その言葉は、フランスという歴史ある大国が、自らのプライドと野心を極限まで抑え込み、日本の描いた盤面に「乗る」ことを公式に決断した瞬間であった。
◇
「では、フランス側の最終的な方針を整理します」
外務大臣が、決定事項を読み上げていく。
一、日本の国連安保理常任理事国入りを、明確かつ公式に支持する。
二、日本からの提案である『日仏循環資源再生共同実証計画』を全面的に受け入れる。
三、リクレーマーの欧州拠点をフランス国内に設置し、オラクル監査を含む日本の条件を尊重する。
四、環境・資源再生技術の国際標準化において、日本案を基本支持する。
五、EU内への説明においては、これを「日仏共同の欧州環境再生拠点」として位置づけ、フランスがEUの循環経済を牽引する旗印とする。
六、不満を抱くドイツに対しては、別途、関連設備(前処理プラント等)のEU産業協力枠や、資源循環データの一部共有枠を提示し、経済的な利益配分で宥める。
七、アンノウン機関へのフランス人技術者の派遣要求は、今回は一切行わない。
八、将来の段階的な追加協議においてのみ、共同研究枠やフランス側監査官の現地常駐を慎重に狙う。
「つまり、今回は欲を完全に抑え込むが……決して、中核への接近を諦めるわけではない、ということですね」
首相が、大統領の真意を確認する。
「その通りです」
情報機関のトップが、冷たい笑みを浮かべた。
「真の紳士というものは、一度にすべての要求を突きつけたりはしません。時間をかけて相手の懐に入り込み、気づいた時には実権を共有している。それがフランスのやり方です」
「よろしい」
大統領は、満足げに頷いた。
「日本の常任理事国入りを支持する」
「歴史的判断になりますね」
外務大臣が、戦後秩序の変革を前にして息を吐く。
「分かっている。第二次世界大戦後の安全保障秩序が、完全に変わる。
だが、日本がすでに世界の安全保障、エネルギー、仮想空間、そして産業のすべての中核を握り始めている以上……彼らをいつまでも『敗戦国』として秩序の外に置いておく方が、よほど危険だ」
「はい。秩序の外にいる正体不明の超技術国家より、秩序の内側のテーブルに座っている常任理事国の方が、まだ我々にも扱いやすい」
国防担当が、リアリストとしての評価を下す。
「その通りだ」
◇
「では、日本政府への返答文案を作成します」
外務大臣が、手元の端末に素早くテキストを打ち込んだ。
『フランス共和国政府は、日仏循環資源再生共同実証計画の提案を高く評価し、これを歓迎する。
フランスは、欧州における循環資源再生拠点としての役割を前向きに検討し、装置運用に関する日本側の条件を尊重する。
また、日本の国連安全保障理事会・常任理事国入りについて、フランスは“責任ある国際秩序の強化”という観点から、これを明確に支持する。
詳細な条件については、日仏両政府の極秘実務ラインを通じて直ちに協議を開始したい。EU内への説明調整については、フランスが主導的役割を果たす用意がある』
大統領が、その文案を聞いて尋ねた。
「……紳士的か?」
「十分に」
外務大臣が自信を持って答える。
「欲は隠れているか?」
「完璧に、行間の奥底に隠れています」
情報機関のトップが保証する。
「欲が隠れているなら、外交文書としては上出来だ」
大統領は、小さく笑った。
その時、首相がふと思いついたように、冗談めかして言った。
「外務大臣。……先日の情報機関の報告にあった、中国の外交文書のように、文末に『ハートマーク』は入れませんか?」
——。
会議室が、一瞬だけ時を止めたように硬直した。
「……入れません」
外務大臣が、本気で嫌そうな顔をして即答した。
「フランス外交は、まだそこまで壊れていない」
大統領が、中国の奇行に呆れ果てたように吐き捨てた。
その見事な切り返しに、エリゼ宮の地下会議室に、上品な笑い声が響き渡った。
◇
会議が終了し、閣僚たちが次々と退室していく。
広大な地下室には、大統領と外務大臣、そして情報機関のトップの三人だけが残された。
「……大統領」
情報機関のトップが、声を潜めて言った。
「日本政府のあの実務担当者(日下部)は、我々がリクレーマーの誘惑に必ず食いつくと、完全に読んでいるでしょうね」
「間違いなくな」
大統領も同意する。
「さらに言えば、我々がアンノウン機関に人を送り込みたがるという下心まで、すべてお見通しのはずだ」
「だからこそ、今回は要求しないのですね」
外務大臣が、日本の警戒心を解くための戦略を確認する。
「そうだ」
大統領は、ワイングラスを傾けるような仕草で手を動かした。
「最初の一口で欲張って暴れる魚は、釣り人に警戒され、力ずくで引き上げられて網にかけられる。
だが、与えられた餌だけを丁寧に、行儀よく食べる魚には、釣り人は安心して『次も餌を与えよう』と思うものだ」
「……我々は、魚なのですか」
外務大臣が、自国を卑下するような比喩に苦笑する。
「今日は、そういうことにしておけ」
大統領は、不敵に笑った。
「では、日本には先ほどの文面通りに返信します」
「ああ。頼む」
大統領は、地下室の壁に掛けられたフランス国旗を見つめながら、静かに言った。
「第二次世界大戦のあとに作られた秩序が、八十年以上を経て形を変える。……日本は、その分厚い歴史の扉を、ただの『廃棄物処理装置』でこじ開けに来た」
「歴史とは、時に奇妙な道具で動くものですからね」
情報機関のトップが、諜報の世界の真理を口にする。
「まったくだ」
こうして、フランス共和国は、日本の差し出した釣り針に、自らの意志で「釣られる」ことを選んだ。
もちろん、彼らは釣り針に気づいていた。
日本がリクレーマーという極上の餌を差し出し、その見返りとして国連安全保障理事会の常任理事国という「世界の覇権の席」を求めていることも、完全に理解していた。
だが、それでも食いつく価値があったのだ。
欧州の循環資源再生拠点という圧倒的な実利。
EUの環境外交における絶対的な主導権。
長年のライバルであるドイツを出し抜くための、新たな産業カード。
そして、第二次世界大戦後の世界秩序が根本から書き換わるその瞬間に、フランスが単なる立会人ではなく、「設計者(ルールメイカー)」として関わる権利。
それらすべてが、一台の廃棄物処理装置の向こう側に置かれていた。
フランスは、紳士だった。
少なくとも、この夜のエリゼ宮の地下においては、そういうことになった。
アンノウン機関に自国の技術者を送り込みたいという強烈な欲を飲み込み。
ブラックボックスの奥底にある中核技術へ手を伸ばしたいという情報機関の衝動を抑え。
彼らは大人しく、そして優雅に、日本のリクレーマーに釣られることにしたのである。
パリから東京へ。
高度に暗号化された、極秘の外交文書が送信される。
『フランス共和国は、日本国の責任ある国際的地位の確立を支持する。
また、日仏循環資源再生共同実証計画について、前向きに協議を開始する用意がある』
美しく、理知的で、そして底知れぬ欲を完璧に隠したその文章の末尾に。
ハートマークは、なかった。
フランス外交は、まだそこまで壊れてはいなかった。
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