自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~ 作:パラレル・ゲーマー
東京都千代田区永田町、首相官邸。
地下五階に構築された『特別情報分析室』は、外界の喧騒、天候の変化、そして地上のあらゆる政治的思惑から完全に隔離された絶対の密室である。分厚い鉛と特殊電磁波吸収材に覆われたこの空間には、今日も無機質な静寂と、息苦しいほどの冷徹な空気が満ちていた。
円卓を囲むのは、矢崎薫内閣総理大臣を筆頭に、官房長官、外務大臣、霧島大悟防衛大臣、御堂周作経済産業大臣、そして国家予算の番人たる財務省代表。スクリーンの傍らには、内閣官房参事官の日下部と、いつものように着古した作業着姿の工藤創一が立っている。さらに本日は、外務省の国連担当幹部と、アンノウン機関連絡担当も同席していた。
日下部が、感情を完全に排した手つきで手元の端末を操作した。
「外部通信遮断。内部記録は政府管理ログへ限定。音声、映像、端末同期、すべて隔離環境へ移行。……ジャミング、オン」
ブゥン……という極低周波の駆動音が響き、室内の照明が警戒を示す薄暗い赤色へと切り替わった。いかなる超大国の諜報網であろうとも、この部屋の音や電磁波を外部に持ち出すことはできない。世界で最も強固な密室が完成した。
矢崎総理は、軽く息を吐き出し、円卓の面々を見回した。
「……フランスから、返答が来たのですね」
「はい」
日下部が、手元の薄いファイルをトントンと揃え、報告を始めた。
「日仏循環資源再生共同実証計画について、前向きに協議を開始するとのことです。加えて、日本の国連安保理常任理事国入りを、『責任ある国際秩序の強化』という観点から明確に支持する、と」
会議室の空気が、一瞬止まった。
外務省幹部が、震える声で言葉を継ぐ。
「……これで、常任理事国五か国の『拒否権行使』のリスクは、ほぼ想定しなくてよくなりました」
「アメリカ、イギリス、ロシア、中国、フランス」
矢崎総理が、大国の名前を一つずつ確認するように口にする。
「すべて、こちら側です」
日下部が、無表情のまま断言した。
財務省代表が、手元の資料を握りしめ、小さく呟いた。
「……歴史が、動きましたね」
日本の長年の悲願であった、国連安全保障理事会・常任理事国入り。その最大の障壁であった『既存の五大国(P5)による拒否権』という鉄の壁が、アンノウン技術という未曾有の外交カードを切り続けることで、ついに完全に崩れ去ったのだ。
「はい。歴史は動きました」
日下部は、決して浮かれることなく、冷徹に言い放った。
「問題は、歴史が動いたせいで、床が抜けそうなことです」
「床?」
矢崎総理が、怪訝そうに聞き返す。
「常任理事国の『椅子』です。椅子は見えてきました。誰も我々が座ることを邪魔しません」
日下部は、円卓の全員を鋭く見据えた。
「ですが、そこに座る前に、足元の『床』を補強しなければなりません。さもなければ、椅子ごと奈落に転落します」
◇
外務省幹部が、現状の過酷な盤面を整理し始めた。
「現在の状況を確認します。
第一に、P5の拒否権行使リスクはほぼ消滅しました。
第二に、フランスの支持により、五大国すべてが日本支持に並ぶという、歴史上例のない構図が成立しました。
第三に、これにより、日本の常任理事国入りは、国連改革の中心議題として正式に俎上に載ります」
外務省幹部は、そこから声のトーンを一段階重くした。
「……第四に。ただし、国連総会における圧倒的多数の賛成と、加盟国による『国連憲章改正の批准』という、巨大な手続きの壁が残っています。P5が賛成したからといって、自動的に椅子が用意されるわけではありません。
第五に、我々と同じく常任理事国入りを目指してきたG4(日本、ドイツ、インド、ブラジル)の仲間たち、特にドイツ、インド、ブラジルへの極めて困難な説明と調整が必要です。
第六に、日本国内の世論への説明。
そして第七に……常任理事国入り後の、『日本の拒否権運用方針』を明確に定める必要があります」
矢崎総理が、深く、重い溜息をついた。
「拒否権という最大の壁が問題ではなくなった後に、これほどまでの問題の山が残るのですね」
「拒否権は門番です」
日下部が冷酷に比喩を用いる。
「門番がどいたからといって、城の中が安全とは限りません。むしろ、ここからが本番の戦いです」
「まさにその通りです」
外務省幹部が同意する。
「国連憲章の改正には、総会で三分の二以上の賛成が必要です。P5が支持しても、アジア、アフリカ、中東、中南米の加盟国全体が納得しなければ、改革は通りません」
矢崎総理は、組んだ両手に顔を半分埋めるようにして、円卓を見渡した。
「彼らを納得させるための『手札』はありますか?」
総理の問いは、純粋な外交戦略としての武器を求めていた。
アンノウン機関連絡担当が、手元の端末を操作し、スクリーンにリストを表示した。
「はい。アンノウン由来技術をベースに、各地域で使えそうな支援カードを整理しています」
スクリーンに、地域ごとの支援候補技術が羅列される。
【アジア太平洋(近隣・ASEAN・太平洋島嶼国)】
・防災特化型グラス・アイの提供。
・高精度な津波・台風予測支援。
・海面上昇対策のための高度水処理技術。
・小型リクレーマーの将来的な導入枠。
「太平洋島嶼国には、防災と海面上昇対策を前面に押し出します」
日下部が解説する。
「彼らにとって、常任理事国となる日本は、『気候危機を安全保障上の脅威として扱い、具体的に解決できる国』である必要があります」
【アフリカ】
・医療用キットの限定提供枠。
・水・食料安全保障のための技術支援。
・農業用センサー技術の供与。
「ここで注意すべきは、資源国向けの『リクレーマー』の扱いです」
外務省幹部が指摘する。
「アフリカには、リクレーマーを『我々の鉱山から価値を奪う敵の技術』に見せてはいけません」
「はい。ですから、“資源国を不要にする装置”ではなく、“都市の廃棄物問題と電子ゴミの処理を助け、環境を守る装置”として説明を徹底します」
日下部が、言い回しの重要性を強調する。
【中東】
・核融合技術の基礎協力。
・砂漠緑化・水資源管理技術。
・リヤド万博後の継続的な技術協力。
「サウジアラビアとは、すでにパックス・ファンドと万博で極めて太いラインが構築されています」
矢崎総理が頷く。
「ええ。中東全体としては、エネルギー構造が核融合によって激変する不安を、丁寧に抑え込む必要があります。核融合が明日から石油をすべて置き換える、という見え方は徹底的に避けます」
日下部が、産油国への配慮を怠らない。
【中南米】
・アマゾン監視用の衛星データおよびグラス・アイ支援。
・農業・災害対策支援。
「中南米への支援は、ブラジルへの配慮も兼ねます」
外務省幹部が補足する。
「ブラジルはG4の仲間です。日本だけが抜け駆けして先に行くように見せないことが、極めて重要です」
日下部が、同盟関係の維持に気を配る。
【欧州】
・フランス経由でのリクレーマー欧州拠点。
・ドイツ向け周辺産業・循環データ共有枠。
・安保理改革の『第二段階』での欧州枠支持。
「欧州は、フランスが環境再生の『王冠』を被り、ドイツには関連する『受注と産業』を渡すという構図ですね」
御堂経産大臣が、経済的利害のバランスを言い当てる。
「言い方は悪いですが、実務としては完全にその通りです」
日下部が、身も蓋もない現実を肯定した。
◇
「そのドイツですが」
外務省幹部が、最大の政治的障壁について言及した。
「間違いなく、最も激しい政治的反発が予想されます」
「やはり」
矢崎総理が顔をしかめる。
「日本だけが先に常任理事国入りする形になれば、ドイツは必ず不満を持ちます」
日下部が、ドイツの心情を代弁する。
「『G4の協調はどうした』『なぜ日本だけが先なのか』『フランスは欧州の代表として勝手に動いたのか』『EU内のバランスを崩す気か』……そして何より、『日本がアンノウン技術という反則カードで国連改革を買収したのではないか』と」
「ドイツには、三つのものを渡します」
日下部は、冷酷な外交カードを提示した。
一、安保理改革の『第二段階』において、ドイツの常任理事国入りを日本が強く支持するという政治的約束。
二、リクレーマー欧州拠点における、周辺産業の利権。
三、日本が常任理事国入りを果たした後、ドイツ・インド・ブラジルを含む『拡大改革』を強力に推進するという公式な政治宣言。
「リクレーマー本体はフランスの領土に置きます。しかし、廃棄物の前処理プラント、廃バッテリーの広域物流、選別装置、産業データ処理、そして環境認証システムの構築には、ドイツ企業も必ず噛ませます」
御堂経産大臣が、産業側の調整を請け負う。
「つまり、ドイツには『椅子』ではなく『受注』を渡すわけですね」
財務省代表が、予算と経済効果を計算しながら言う。
「椅子も、将来の約束としては示します。ですが、今すぐ渡すのは確実な受注と利益です」
日下部が、リアルポリティクスの極致を口にする。
「……かなり露骨ですね」
矢崎総理が、少しだけ引き気味に言う。
「露骨な方が効く相手もいます。特に今のドイツ経済にとっては」
日下部は、一切の躊躇を見せなかった。
◇
「G4の残り、インドとブラジルも無視できません」
外務省幹部が、次なる課題へ進む。
「インドの懸念は明確です」
日下部が分析する。
「『なぜ日本だけが先か』という不満に加え、『中国が日本を支持するなら、同じアジアの大国である我々も立場を示す必要がある』という焦り。そして『自分たちも人口、経済、宇宙開発の大国である』という強烈な自負です」
「日本側の対応としては、どうしますか?」
矢崎総理が問う。
「日本が先に入り、次の安保理改革でインドを必ず支持すると明確にします。その上で、インド向けに医療支援、宇宙協力、そして教育・医療プラットフォームの提供を拡大します。……さらに中国に対しては、『日本とインドの安保理問題は別枠である』と説明し、インドの面子を立てます」
日下部が、複雑な多角形外交のパズルを組み上げる。
「インドには、“次はあなた方です”という口約束だけでは足りません。日本が常任理事国になった後、インドの席を強力に押し上げる『具体的な保証』が必要です」
「ブラジルはどうですか?」
「ブラジルは、南米代表としての強い自負があります。日本の抜け駆けへの不満と、環境外交でアマゾンを盾にされることへの警戒感を持っています」
外務省幹部が答える。
「アマゾン監視は、“管理”ではなく“支援”として提示します。農業、気候、医療技術協力を深め、南米向けのリクレーマー導入の将来枠を約束します。ブラジルの次期常任理事国入りを支持する政治宣言も当然出します」
日下部が、支援の形を整える。
「……日本だけが、自分勝手に抜け駆けしたように見せないことが重要ですね」
矢崎総理が、外交の全体像を俯瞰して言う。
「はい」
日下部が頷く。
「日本が最初に厳しい床を踏み固め、そのすぐ後ろに皆さんが通れる『道』を作る。……そういう見せ方にします」
◇
「さて、ここからがこの会議のもう一つの核心です」
日下部が声のトーンを下げると、霧島防衛大臣が身を乗り出した。
「日本が常任理事国入りする場合……『拒否権』を持つのか、持たないのか。ここは世界が最も注目する点だ」
霧島の言葉に、会議室の空気が一段と張り詰める。
「『拒否権なしの新しい常任理事国』という妥協案も、国際社会からは必ず出てくるでしょう」
外務省幹部が、想定される逆風を口にする。
「拒否権なしは、絶対に駄目です」
日下部が、即座に、そして強烈に否定した。
「理由は?」
矢崎総理が問う。
「二級の常任理事国になるからです」
日下部は、決して譲れない一線を引いた。
「日本だけが拒否権なしで入れば、“敗戦国への特別扱い”、あるいは“金と技術で買っただけの席”というレッテルが永遠に残ります。制度上の不完全性は、将来必ず致命的な火種になります。P5と完全に同等の権限を持たなければ、入る意味がありません」
「では、拒否権付きで入る」
外務省幹部が確認する。
「はい。……ただし、使い方を自ら厳しく縛ります」
日下部が、日本独自の「拒否権運用方針」の案をスクリーンに展開した。
【日本の拒否権運用方針】
一、制度上は、他の常任理事国と同等の拒否権を持つ。
二、単独での行使は、極めて抑制的とする。
三、人道危機、大量破壊兵器の使用、人類の存続に関わるリスク、および『アンノウン技術関連の重大安全保障案件』においては、行使可能とする。
四、通常の地域紛争や政治的対立においては、原則として多数国協議を優先し、安易な拒否権行使を控える。
五、拒否権を行使する際は、その理由を説明する文書を必ず国際社会に公開する。
六、拒否権を「他国を威圧するための武器」としてではなく、「最悪の事態を防ぐための抜かない刀」として扱う。
「拒否権は、抜かない刀として持ちます。抜くためではなく、抜かずに済ませるためです」
日下部の言葉には、武士道にも似た、しかし極めて実利的な冷徹さがあった。
「日本らしいですね」
矢崎総理が、深く納得したように頷く。
「ただし、アンノウン技術が絡む場合は例外だ」
霧島防衛大臣が、安全保障の要を再確認する。
「はい。そこは絶対に譲れません」
日下部が断言する。
「アンノウン技術が国際安全保障の火種になる場合、日本がそれを合法的に止める『最終権限』を持たなければ、我々は永遠に世界の尻拭いをさせられることになります。そのための拒否権です」
◇
「国際社会の根回しは分かりました。ですが、国内にも丁寧な説明が必要です」
矢崎総理が、内政の観点から議論を促す。
国内からは、様々な反発や懸念が予想される。
『戦争に巻き込まれるのではないか』
『憲法との整合性は』
『自衛隊が海外派兵されるのではないか』
『国連負担金が増えるのではないか』
『日本が覇権国になるのではないか』
『アンノウン技術を国連に渡すのか』
『アメリカの代わりに前へ出されるのでは』
『そもそも日本にそんな責任を背負えるのか』
「これらに対する広報方針として、総理演説の骨子案を作成しました」
日下部が、テキストを表示する。
【総理演説の骨子】
一、常任理事国入りは『名誉』ではなく『責任』である。
二、日本はすでに、医療、エネルギー、宇宙、環境再生、防災で国際公共財を提供している。
三、その責任を国連の制度内で正式に負う。
四、戦争をするための席ではない。戦争を止める責任から逃げないための席。
五、拒否権は乱用しない。抜かない刀として持つ。
六、アンノウン技術は国連に明け渡さない。日本が責任を持って管理する。
七、国民生活を犠牲にするのではなく、国民生活を守るために国際秩序を安定させる。
「総理の台詞のメインフレーズは、『これは、戦争をするための席ではありません。戦争を止める責任から逃げないための席です』。……これでいかがでしょうか」
「良いと思います。覚悟が伝わります」
矢崎総理が、力強く頷いた。
「経済界向けには、常任理事国入りによる国際標準化・技術ルール形成の優位性も説明します」
御堂経産大臣が、産業界の不安を払拭する。
「では、国民向け演説と、経済界・自治体・メディア向け説明を分けましょう」
矢崎総理が方針を決定した。
◇
「あのー、ちょっといいですか?」
これまで大人しく壁際で話を聞いていた工藤が、ひょっこりと手を挙げた。
「総会票を取るためなら、今の地域別の支援カード、国ごとに組み合わせて、小型の支援パッケージにすればいいんじゃないですか?」
「……小型の、支援パッケージ」
日下部が、怪訝そうに聞き返す。
「はい」
工藤は、元システムエンジニアらしい合理的な発想で説明を始める。
「災害医療キット、防災グラス・アイ、教育用フルダイブ、簡易水処理、廃棄物分別支援、農業センサーとか。……それをバラバラに『これどうですか』って個別に営業して回るのって、導入する側もインフラの設計からやらなきゃいけなくて面倒じゃないですか。
だから、相手の国の事情に合わせて、必要なものを最初からセットにした『導入パッケージ(セット商品)』にして提供するんです。そうすれば保守も運用も楽だし、向こうもすぐに導入効果が出せますよ」
外務省幹部が、その合理性に目を見張った。
「それは……外交戦術として、非常に有効です。国ごとのカスタマイズパッケージとなれば、彼らも『自国のために用意された特注の支援だ』と受け取り、圧倒的に話が早くなります」
「でしょ? リクレーマーも、小型というか、低出力の『地域支援版』なら作れますよ」
工藤のサービス精神は止まらない。
「中核はブラックボックスにして、処理対象も制限して、災害廃棄物や電子ゴミの前処理支援用に特化させるとか。それをパッケージに組み込めば完璧じゃないですか」
「……また予算が増えましたね」
財務省代表が、天井を見上げて幽鬼のように呟いた。
「量産すれば、単価は安くなりますよ?」
工藤がニコニコと笑う。
「その言葉で安くなった試しがありません」
日下部が、冷たく切り捨てた。
だが、日下部は工藤の顔を真っ直ぐに見据え、声のトーンを一段階重くした。
「……工藤さん。それは“票を買う道具”ではありません。“常任理事国になった後の責任を先に見せる道具”です。そこを間違えると全部燃えます」
工藤が、ハッとして口を閉ざす。
「“常任理事国入りの票の対価”ではなく、“日本が常任理事国として提供する国際公共財の先行実証”と位置づけます」
日下部が、工藤の便利なセット商品を、即座に大義名分のある外交カードへと変換(コーティング)する。
「それなら、国際社会にも通ります。美しい支援です」
外務省幹部が、深く納得した。
◇
「国連本部での『演出』も重要です」
外務省幹部が、最終的な外交舞台の設計に入る。
「P5(五大国)が個別に支持声明を出すことになりますが……日本の傀儡に見えないよう、それぞれ『異なる理由』で支持する形に調整する必要があります」
「アメリカは『同盟の強化と国際責任』。イギリスは『法の支配と国際公共財の提供』。フランスは『世界秩序の現状追認と環境再生』。ロシアは『多極化と現実主義』。中国は『アジアの安定と日中友好』。そして日本は『名誉ではなく責任』。……この論理構成で声明を出させます」
日下部が、各国の思惑を完璧に割り振る。
「中国の声明文は、必ず事前に確認してくださいね」
日下部が、外務省幹部に鋭く念を押した。
「……ハート対策ですね」
外務省幹部が、真顔で答える。
「はい」
日下部が、怨念を込めて頷く。
「国連総会の公式文書にハートマークを入れられたら、日本の外交史が根本から壊れます。絶対に阻止してください」
「そこは、厳重にお願いします」
矢崎総理も、笑いを堪えながら指示した。
◇
「では、最終整理です」
日下部が、ホワイトボードに『床補強リスト』を書き出した。
【常任理事国入り前の床補強】
一、P5の支持確認の完了。
二、国連総会票獲得作戦の開始。
三、アジア・アフリカ・中東・中南米・島嶼国向け『小型支援パッケージ』の設計と候補国選定。
四、ドイツ向け産業利権・第二段階改革パッケージの提示。
五、インド・ブラジル向け次期改革支持声明の発表。
六、日本の『拒否権運用原則』の作成。
七、国内向け総理演説の準備。
八、国会への説明準備。
九、国連本部での支持演出の設計。
十、中国文書のハートマーク検閲。
「……最後の項目だけ、異質すぎませんか?」
財務省代表が、真面目な顔で突っ込む。
「異質ですが、絶対に必要です」
日下部が即答する。
「では、この方針で進めましょう」
矢崎総理が、最終承認を下した。
「はい。……常任理事国の『椅子』はもう見えてきました。あとは、座った瞬間に『床』が抜けないようにするだけです」
日下部が、深く一礼する。
「お願いします」
総理の言葉に、日下部はただ静かに端末を閉じた。
「床補強、開始します」
◇
会議が終了し、閣僚たちが次々と退室していく。
ジャミングの低い駆動音が止まり、赤い照明が元の青白い光へと戻った。
こうして、日本政府は常任理事国入りに向けた最後の準備段階へ入った。
拒否権の壁は消えた。
五大国は、誰も日本を止めない。
だが、それは決してゴールではなかった。むしろ、そこから先が本当の、途方もない実務の始まりだった。
国連総会での圧倒的多数の票。
ドイツの不満への対処。
インドとブラジルの説得。
国内世論への説明。
拒否権の運用原則の確立。
国連本部での完璧な演出。
そして、中国の外交文書のハートマーク対策。
一つ一つは決して笑えない国家の重い問題であり、最後の一つだけは、笑ってよいのか本気で怒るべきなのか判断に困る問題だった。
日下部参事官は、完全に誰もいなくなった会議室に一人残り、ホワイトボードの文字を見上げた。
常任理事国の椅子は、もう見えている。
だが、椅子とは、座れば終わりのものではない。
座った瞬間、その国の重さを支えるだけの頑丈な『床』が必要になるのだ。
日本は、医療の奇跡を握った。
無限のエネルギーを握った。
宇宙への道を強引に開いた。
人間の認識を書き換える仮想空間を繋ぎ、廃棄物を資源に戻す機械を手にした。
そして今度は、そのすべての重い爆弾を抱えたまま、世界安全保障の最上位のテーブルへ座ろうとしている。
日下部は、暗号化された手帳を開き、短く書き込んだ。
『常任理事国。床補強開始』
『拒否権。抜かない刀』
『中国声明。ハート禁止』
書き終えたあと、彼は深く、魂の底から息を吐いた。
これでまた、明日やることが増えた。
だが、もう逃げる段階ではない。
椅子は見えている。
床を補強する時間は、あまり残されていなかった。
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