自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~   作:パラレル・ゲーマー

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第225話 日本が常任理事国になる前提で、世界が動き始めた

 アメリカ合衆国、ニューヨーク。

 イースト川のほとりにそびえ立つ、ガラス張りの巨大な国連本部ビル。

 現地時間は深夜から早朝へと移り変わる時間帯であり、本来であれば、この建物は警備と一部の夜勤担当者を残して静まり返っているはずだった。

 だが、その日、各国の代表部や国連事務局のオフィスに、次々と照明が灯り始めた。

 

 世界的な通信社が、一本の速報を打ったのだ。

 

『G4(日本・ドイツ・インド・ブラジル)、日本の常任理事国単独先行を共同支持』

『日独印伯首脳による共同声明発表。日本の安保理入りを国連改革の“第一段階”と位置づけ』

 

 そのニュースの文面を見た瞬間、国連本部に詰める各国外交官たちのスマートフォンと公用端末が、一斉に狂ったように鳴り響き始めた。

 

 深夜の当直をしていた国連政治・平和構築局の職員が、モニターに流れるニュース画面を見つめたまま、信じられないというように呟いた。

 

「……米英仏中露の五大国だけではなく、G4までもが完全に揃ったのか」

 

 隣のデスクで、コーヒーを片手に書類の整理をしていた同僚が、首を振りながら答える。

 

「それなら、明日の安全保障理事会や総会の非公式協議の空気は、完全に変わるな」

 

「日本が常任理事国に入るべきかどうか、という議論か?」

 

「違う」

 同僚は、モニターから目を離して言った。

「日本が『入った後』に、我々は何を直さなければならないか、だ」

 

 法的には、まだ日本は常任理事国ではない。

 国連憲章の改正手続きも、国連総会での三分の二以上の賛成も、その後の各国の批准も、何一つ終わっていない。あくまで、「各国のトップたちが支持を表明した」という政治的な段階に過ぎない。

 

 だが、国際政治において、正式な法的手続きが終わるのを待ってから動き始める者は、圧倒的に遅いのだ。

 世界は一斉に、「日本が常任理事国になる」という未来を完全に前提とした上で、自らの立ち位置と利権を確保するための行動を開始したのである。

 

 ◇

 

 数時間後。

 まだ夜明け前の国連本部ビルの一室で、事務局の各部門の責任者たちが極秘裏に招集され、緊急会議が開かれていた。

 政治・平和構築局、法務局、会議管理部、総会担当、安保理事務局、通訳・文書部門、情報システム部門。

 

 議題は、『安全保障理事会常任理事国拡大に伴う暫定実務調査』。

 だが、内部の共有フォルダに付けられた名称は、『P6_TRANSITION(P6移行)』という、極めて直接的なものであった。

 

「まだ総会での採決前です」

 法務担当の責任者が、眉をひそめて警告した。

「日本をすでに常任理事国として扱うような表現や文書の作成は、現時点では法的にあり得ません。避けてください」

 

「ですが、採決が終わってから調べ始めて間に合うような内容ではありません」

 情報システム部門の責任者が、即座に反論する。

 

「憲章改正が批准され、正式に発効してから準備を始めるおつもりですか? 会議が回らなくなりますよ」

 会議管理部の担当者も、実務の観点から呆れたように言う。

 

「準備自体を止めろとは言っていません。ただ、フォルダ名を変えてくださいと言っているのです」

 法務担当は、あくまで国連の建前を守ろうとする。

 

「では、正式名称はどうしますか?」

 情報担当が問う。

 

「『常任理事国追加可能性に関する技術的検討』です」

 

「長すぎます」

 

「法的には、それが最も正確です」

 

「では、P6で保存します」

 

「やめてください」

 

 法務担当が頭を抱える中、各部門の担当者たちは、常任理事国が一カ国増えた場合に発生するであろう「実務上のバグ」の洗い出しを猛スピードで進めていった。

 

 彼らが直面したのは、国連という巨大なシステムが、いかに『五カ国(P5)』という数字で強固に固定化されているかという、絶望的な事実だった。

 

「内部文書の定型フォーマットが、すべて『五常任理事国』でハードコード(固定)されています」

「P5専用の連絡網、緊急協議用の暗号通信登録の更新が必要です」

「公式ウェブサイトの分類構造を根本から見直す必要があります。安保理関連文書のテンプレートもすべて作り直しです」

「日本代表団との緊急協議に備え、通訳・翻訳支援の運用体制も見直す必要があります」

「機密文書へのアクセス権限の設定と、非公式協議室の利用手続きを改定しなければなりません」

「何より、『P5』という名称を今後どう扱うか。P6にするのか、別の呼称にするのか」

 

 次々と噴出する問題の山に、情報システム担当者が、完全に死んだ目で報告した。

 

「データベースの根幹システムを確認しました。……常任理事国を登録する欄が、五件しかありません」

 

「一件増やしてください」

 会議管理部が軽く言う。

 

「画面の表示だけならできます」

 

「画面だけ?」

 

「その五件を絶対の前提として、裏で二百を超える帳票出力と配信処理が動いています」

 システム担当者は、額の汗を拭った。

 

「……そのシステムは、いつから動いているのですか?」

 

「最も古いコアの部分は、前世紀のものです」

 

「国連のシステムは、常任理事国が永遠に増えない前提で作られているのですか?」

 法務担当が、信じられないというように問う。

 

「国連そのものが、そういう前提で運用されてきた組織ですからね」

 システム担当者が、冷酷な真理を突いた。

 

 たった一つの席が増える。

 それだけで、七十年以上変わらなかった国際制度の実務の根幹が、目に見えないところで一斉に悲鳴を上げ始めたのだ。

 

 ◇

 

 同じ頃。

 国連本部の地下深くにある、儀典および会議管理部門の備品保管室。

 一人の若い職員が、上司の指示を受け、将来的に必要となるであろう備品の確認を行っていた。

 

 日本国旗のストック。

 日本語の表記ガイドライン。

 英語表記『JAPAN』の公式フォント。

 国連代表部の新たな席次資料。

 そして、安保理関連の非公式協議で使われる、重厚な木製の『国名プレート』。

 

「発注だけは、済ませておいてください」

 上司が、無表情のまま指示を出す。

 

「……まだ採決前ですが?」

 若い職員が、少し躊躇しながら尋ねる。

 

「採決が終わった翌日の会議で、『名札がありません』では済まされないのですよ」

 

「正式決定前に作って、もし情報が漏れたら問題になりませんか?」

 

「箱に入れて、厳重に保管します」

 

「箱には、何と書きますか?」

 

 上司は少しだけ考え込み、そして事務的な声で答えた。

 

「『PROVISIONAL――PENDING CHARTER AMENDMENT(暫定準備品――憲章改正発効保留中)』と書いておきなさい」

 

 箱の中には、まだ一度も使われていない、日本の新しい国名プレートが収められることになった。

 

 ◇

 

 夜が明け、ニューヨークの街が本格的に動き始める。

 日本政府国連代表部のオフィスは、朝一番から完全にパンク状態に陥っていた。

 

 G4共同声明の公表からわずか数時間。

 日本国連大使と職員たちが出勤した時には、代表部の通信回線と面会依頼の受付システムは、かつてないほどの処理量で悲鳴を上げていた。

 通常であれば数日から数週間かけて五月雨式に届くような数の申し入れが、たった一晩で一気に殺到したのだ。

 

「大使。……面会依頼のリストです」

 秘書官が、タブレットを差し出しながら青ざめた顔で言った。

 

 アフリカ諸国グループ。

 ASEAN。

 アラブ諸国グループ。

 太平洋島嶼国。

 中南米諸国。

 北欧諸国、東欧諸国。

 EU代表部。

 非同盟諸国。

 小国連合。

 常任理事国拡大慎重派。

 国連事務局。

 そして、P5各国の代表部。

 

「最短で三週間後まで、分刻みで予定を詰めても空きがありません」

 秘書官の報告に、日本大使は深く息を吐き出した。

 

「我々はまだ、国連総会に正式な決議の候補案すら提出していないはずですがね」

 

「皆様、正式提出の後では遅いと判断されているようです」

 秘書官が答える。

 

 大使は、面会依頼のリストに並ぶ『件名』を見て、状況の決定的な変化を読み取った。

 以前であれば、面会の件名は『日本の常任理事国入りに関する意見交換』といった、抽象的で玉虫色のものが多かった。

 

 だが、今の件名は違っていた。

 

『日本の常任理事国就任後の協力関係について』

『将来の日本の拒否権運用に関する事前協議』

『安保理改革第二段階に関する確約の確認』

 

「……彼らは、もう我々が入るかどうかを聞きに来るのではないのですね」

 日本大使が静かに呟く。

 

「はい」

 補佐官が頷く。

「彼らは、日本が入った後にどう動くのかを、直接確認しに来ています」

 

 ◇

 

 日本代表部の会議室。

 これから始まる怒涛の面会ラッシュに向けて、大使と職員たちが資料の最終確認を行っていた。

 

 机の上に並べられている資料は、極めて限られたものだった。

 

『日本の拒否権運用原則』

『G4第二段階改革案の保証』

『アフリカを含む地域代表性改善案への支持』

『小国との定期協議枠組みの提案』

『人道危機案件への対応方針』

『国際公共財の管理原則』

『安保理の透明性改善案』

 

 そこには、アンノウン技術の製品一覧や、各国の喉から手が出るほど欲しい超技術の提供メニュー、あるいは金銭的支援を約束するような『買収のカード』は一切存在していなかった。

 日本政府が用意したのは、拒否権の運用原則、次段階改革への支持、安保理の透明性向上といった、純粋な『外交と制度のカード』だけだった。

 

「大使」

 職員が確認を求める。

「各国との面会では、常任理事国入りと、個別の技術協力の話を同時に出された場合はどうしますか?」

 

「同じ議題には絶対に載せないでください」

 大使が厳命する。

 

「しつこく質問された場合は?」

 

「『既存の国際協力制度と、個別の厳格な審査に基づく』とだけ回答してください。それ以上の言質は一切与えないように」

 大使は、日下部から送られてきた『床補強リスト』の指示を完璧に遵守する構えだった。

 

 ◇

 

 その日の午後から数日間、日本政府国連代表部では、地域グループごとの緊急協議が途切れることなく続いた。通常の外交日程では考えられない密度だったが、各国とも正式な決議案が提出される前に、日本の方針を確認する必要があると判断していた。その第一陣は、国連総会において最も強大な票の塊(ブロック)を持つ、アフリカ諸国グループの代表団であった。

 五十カ国以上の票を握る彼らの動向は、総会での三分の二以上の賛成(129カ国以上)を得るためには絶対に無視できない。

 

 彼らは、日本を頭から否定し、加入を阻止するために来たわけではなかった。

 しかし、アフリカという広大な大陸に常任理事国が一カ国も存在しないという現状を放置したまま、「日本を一カ国だけ増やして、これで国連改革は完了だ」とされてしまうことだけは、絶対に認めるわけにはいかなかったのだ。

 

「我々は、日本を止めるために集まったのではありません」

 アフリカの代表の一人が、日本大使を真っ直ぐに見据えて言った。

 

「日本だけを特権階級に入れ、我々の要求をさらに数十年棚上げさせるような事態を防ぐために来たのです」

 別の外交官も、厳しい声で続く。

 

「日本は、先日のG4共同声明において、アフリカの代表性の改善について明確に言及しました」

 代表が、日本側の声明文を指差した。

「我々は、その一文が単なる票集めのための社交辞令ではないことを、ここで直接確認する必要があります。我々が求めるのは、日本加入後の次段階の改革において、アフリカ枠を正式議題に載せること。そして、誰を代表として推すかについて、外部の大国ではなくアフリカ諸国自身の意思を尊重することです」

 

 日本大使は、彼らの要求を正面から受け止め、深く頷いた。

 

「日本の姿勢は、声明の通りです」

 大使は、一切の誤魔化しを含まない声で答えた。

「今回の日本の加入は、改革の第一段階に過ぎません。我々は、アフリカの代表性が確保されない安全保障理事会は、現代の国際社会を正しく反映していないと強く認識しています。次段階の改革において、日本はアフリカの恒久的な代表性の確保を支持します。また、具体的な代表候補については、アフリカ諸国自身の協議と決定を最大限尊重します」

 

 アフリカ側の代表たちは、その明確な言質に顔を見合わせ、小さく頷いた。

 彼らは即座に「全面支持」を約束したわけではない。だが、日本を妨害する方向からは明確に外れ、次段階の交渉のテーブルに付くことには合意した。

 

 ◇

 

 次に訪れたのは、ASEAN(東南アジア諸国連合)の外交官たちであった。

 日本がアジアで二番目の常任理事国になることへの期待は大きい。だが同時に、中国と日本という二つの強大な大国だけが、アジアの声を代表する形になってよいのかという、中小国特有の深い不安を抱えていた。

 

「我々は、日本を『アジアの代表』として選ぶのではありません」

 ASEANの代表が、静かに、しかし釘を刺すように言った。

 

「日本という一国家が、その責任と能力において常任理事国になることを支持するのです」

 別の外交官が続ける。

「その違いを、忘れないでいただきたい。日本が常任理事国になった後、南シナ海などの地域紛争において、一方的な大国間の対立構造をそのままASEANに持ち込むことは容認できません。そして、防災、海洋安全保障、通商、食料問題を、単なる軍事ではなく『総合的な安全保障問題』として扱うことを求めます」

 

 日本大使は、姿勢を正して答えた。

 

「日本も、自らをアジア全体の代表だと名乗るつもりはありません。我々は我々の責任においてその席に座ります。そして、皆様が直面する海洋や気候の問題を、安全保障の重要な議題として共有することをお約束します」

 

「……ならば、協議は可能です」

 ASEAN代表が、少しだけ表情を緩めて頷いた。

 

 さらに、太平洋島嶼国の小国グループが面会に訪れた。

 軍事力も人口も極めて小さい彼らだが、国連総会においては大国と同じ「一国一票」を持つ。彼らがまとまれば、無視できない巨大な票田となる。

 

「我々の国は、どこかの国の戦車に侵略される前に、海面上昇で海に沈むかもしれません」

 島嶼国の代表が、悲痛な声で訴えかけた。

「それでも安保理は、それを『安全保障』とは呼ばないのでしょうか。大国の軍事衝突だけが、世界の脅威なのでしょうか」

 

 彼らが求めるのは、海面上昇、異常気象、海洋資源の乱獲、気候難民、そして太平洋での軍事活動のリスクを、安保理の正式な議題として載せることだった。

 

「日本は、国家の存続を脅かす事態を、狭い軍事問題だけで定義すべきではないと考えます」

 日本大使は、島国の代表の目を真っ直ぐに見て答えた。

「我々自身が島国であり、自然の脅威を知る国です。皆様の声を安保理に届ける窓口になる用意があります」

 

 島嶼国の代表たちは、その言葉に静かに頷き、日本の具体的な方針を聞くための実務協議へと入っていった。

 

 ◇

 

 中東諸国の会合では、サウジアラビアが日本の強力な代弁者として動いていた。

 リヤド万博の大成功と、パックス・ファンドによる巨額の支援枠組み。サウジは日本の政治的信頼性を誰よりも高く評価しており、中東の票をまとめるために奔走していた。

 

「日本は、アメリカという強力な同盟国を持っています。しかし、同盟国の命令だけで何もかもを決める国ではありません」

 サウジの代表が、他の中東諸国を説得する。

「少なくとも我々は、日本が一度交わした約束と契約を、決して軽視しない国であることを知っています」

 

「だが、信頼するには、日本が常任理事国になった後、中東の人道危機をめぐる決議や、エネルギー安全保障上の重大案件において、日本がどのような判断を下すのか、具体的な説明が必要だ」

 他国の代表が、当然の懸念を口にする。

 

「ならば、日本から直接聞けばいい。反対を決めてから質問する必要はないでしょう」

 サウジ代表のその言葉により、中東諸国も日本代表部への合同面会を決定し、協議のテーブルに着くことになった。

 

 一方、インドとブラジルは、G4共同声明の約束を即座に実行に移していた。

 

 ブラジルは中南米諸国に対し、「日本の加入はG4の崩壊ではない。むしろ、新しい常任理事国追加の前例となり、我々中南米枠の将来にも必ず利益をもたらす」と説明して回った。

 中南米の一部の国からは、「日本を入れれば、ブラジルが将来有利になるだけではないか」という警戒の声も上がった。

 だがブラジルは、「それで構わない。だが、一カ国も増えない硬直した現状よりは、確かな前進だ」と堂々と認め、南米の票を固めていった。

 

 インドもまた、南アジアやインド洋諸国、非同盟諸国に向けて強力に働きかけていた。

「日本を入れることは、中国を利することでも、西側を利することでもない。P5だけで完全に閉じていた構造に、新しい国が入るという『前例』を作ることだ」

 日本自身が説明するよりも、インドやブラジルという新興大国が自らの言葉で語る方が、一部の途上国には遥かに深く響いた。

 

 日本国連代表部の職員が、次々と入る面会要請と各国の軟化の報告を受け、驚嘆の声を漏らした。

 

「大使……インドとブラジルが、本当に外側から扉を押し始めてくれています」

 

「ええ」

 大使は、窓の外の国連本部ビルを見つめながら、静かに、だが重い責任を噛み締めて答えた。

 

「だからこそ、我々は中へ入った後に、決して彼らの手を引くのをやめてはならないのです」

 

 ◇

 

 日本への支持が雪崩を打つように広がる中、最も几帳面に、そして最も神経質に動いていたのは、EU代表部の中の『ドイツ』であった。

 

 EU加盟国の一部からは、「日本だけを先行させれば、ドイツの立場が弱まる」「フランスだけが得をするのではないか」という慎重論と不満が燻っていた。

 そのEU内の会議において、ドイツ代表が重々しく発言した。

 

「ドイツは、日本の先行に満足しているわけではない」

 

 会議室の空気が、ピリッと張り詰める。

 

「しかし、我々はG4として、日本を支持すると合意した」

 ドイツ代表は、不満を隠さないまま、冷徹な理性を保って続けた。

「不満があることと、国家間の合意を履行しないことは、全くの別問題です」

 

 ドイツは、EU内の日本反対論を自ら抑え込み、G4共同声明の内容を各加盟国へ丁寧に説明して回った。日本加入を第一段階と位置づけ、次段階改革についての議論をEU内で主導し、フランスに対しては「改革完了を宣言しないよう」徹底的に確認を求めた。

 

 そして、日本国連代表部には、ドイツから連日のように『共同声明の文言修正案』や『将来のプロトコルに関する確認文書』が送られてきていた。

 

「大使。ドイツから、第四次修正案が届きました」

 職員が、疲れた顔で報告する。

 

 そのわずか十一分後。

 

「……第五次修正案が来ました」

 

「ドイツは、まだ怒っているのでしょうか」

 職員が、果てしない文書の山を見て泣きそうになる。

 

「怒っているからこそ、これほど精密に仕事をしているのでしょう」

 大使が、苦笑交じりに答える。

 

「機嫌が直ると、文書は減りますか?」

 

「それは分かりません。ドイツですから」

 

 ドイツは、最後まで笑わなかった。

 だが、支持すると決めた以上、誰よりも厳密に、そして完璧に合意を実行しようとしていた。

 

 ◇

 

 しかし、世界が完全に日本支持へと染まったわけではない。

 常任理事国そのものを増やすことに反対する『慎重派』の国々も、独自の会合を開き、対策を練っていた。

 

「我々は日本という国に反対しているのではない。新しい『特権国』を作ることに反対しているのだ」

 慎重派の代表が、会議で主張する。

「拒否権を持つ国を増やせば、安保理はさらに機能不全に陥る可能性がある。新しい常任理事国ではなく、非常任理事国の枠を増やすべきだ。日本加入を認めれば、ドイツ、インド、ブラジル、アフリカ枠も続き、安保理が巨大化して特権が固定化されるだけだ」

 

 だが、別の代表が現実的な懸念を口にする。

 

「だが、P5全員とG4全員が支持し、多くのアジア・アフリカ諸国が賛成に回っている今、完全に止めることができるのか?」

 

「止められなくても、条件を付けることはできる」

 

 慎重派は、日本加入そのものを阻止する方針から、日本に対する具体的な条件交渉へと軸足を移した。

 拒否権の抑制的行使、安保理会合の透明化、小国との定期協議、非常任理事国の権限強化、日本の拒否権行使理由の原則公開。

 彼らもまた、「日本を止める」ことから、「日本が入るなら、どう自国の国益を守るか」という前提での交渉へと移行したのだ。

 

 ◇

 

 そして、まだ正式に常任理事国ではない日本を交えた、極秘の『非公式実務協議』が、水面下でスタートした。

 P5各国と日本。名称は極めて慎重に『安保理改革に関する六カ国実務協議』とされた。「P6会合」とは決して呼ばれない。だが、参加する各国の外交官は、内心では完全に「P6の準備会議」であると認識していた。

 

 協議内容は、極めて実務的で生々しいものだった。

 国連憲章改正案の具体的な文言。

 日本の正式名称の表記。

 常任理事国数に関する条文の修正。

 安保理全体の議席数。

 日本への拒否権付与。一部からは段階的付与案も示されたが、日本側はこれを明確に拒否した。制度上、既存の五常任理事国と完全に同等の権限を持たなければ、加入する意味がない。その一線について、日本は一歩も譲らなかった。

 改正発効の時期と、各国批准の工程。

 日本の初回出席時の手続き、就任演説と儀礼。

 

 中国側は、日本加入そのものには反対しなかったが、一つだけ釘を刺してきた。

「日本が『アジアを代表する』という表現を国連文書に用いることは認めない」

 日本も即座に答える。

「我々も、その表現を求めていません」

 

 ロシア側は、手続きが不必要に長引かないよう、条文を極力簡潔にすることを求めた。

 フランス側は、国連改革の歴史的意義を強調し、初回の演説や演出面での華やかさを気にした。

 イギリス側は、実務を素早くまとめようと効率を重視した。

 アメリカ側は、議論を整理し、採決までの現実的な政治日程を提示しつつも、決して「アメリカが日本を指導している」という構図に見えないよう配慮した。日本もまた、正式な交渉当事者として、自らの条件を堂々と提示した。

 

 国連本部の文書担当部門では、まだ正式提出前の国連憲章改正決議案の準備が進められていた。

 最初は、P5五カ国と日本だけが準備に関わる想定だった。

 しかし、そこへG4三カ国が共同提案国として加わる意思を示した。

 さらに、アフリカの有力国、ASEAN加盟国、太平洋島嶼国、中東の日本友好国、中南米諸国からも、共同提案国になりたいという照会が次々と届き始めた。

 

「共同提案国の欄は、何カ国分用意しますか?」

 文書担当者が、上司に尋ねる。

 

「可能な限り、用意しなさい」

 上司が答える。

 

「当初の案では、九カ国分でした」

 

「増やしてください」

 

「どこまで?」

 

「空白が、足りなくなるまでです」

 

 決議はまだ提出されていない。

 しかし、その文書の周囲にはすでに、世界各地域の国名が、まるで雪崩を打つように集まり始めていた。

 

 ◇

 

 東京、首相官邸地下五階。特別情報分析室。

 

 ニューヨークからの報告を受けた矢崎総理、日下部、外務大臣、官房長官が、スクリーンに映し出された最新の『投票予測地図』を見上げていた。

 

 数日前は、保留を示す黄色と、未定を示す灰色が多かった地図。

 それが現在は、明確な賛成を示す『緑』へ移行した国、日本との協議を条件に緑へ動きつつある国、棄権を検討している国、制度上の理由で反対を維持する国へと、極めて鮮明に細分化され、緑の領域が圧倒的な面積を占めつつあった。

 

「票が確定したわけではありません」

 日下部が、決して浮かれることなく説明する。

「ですが、議論の前提が完全に変わりました」

 

「前提?」

 矢崎総理が問う。

 

「はい。各国はもはや、『日本を入れるべきか』を中心には議論していません」

 日下部は、世界地図を見据えて言った。

「日本が入った後、自国の要求をどう反映させるかを議論しています」

 

「つまり、流れは完全にできた、ということですね」

 外務大臣が、疲労の底から少しだけ明るい声を出す。

 

「はい。ただし、流れと採決結果は別物です。油断すれば、この流れは簡単に崩れます」

 日下部が、冷水を浴びせて空気を引き締める。

 

 矢崎総理は、緑に染まりつつある世界地図を見つめ、静かに言った。

「……支持圏が、過半数を超えつつありますね」

 

「ええ。ですが、憲章改正に必要な三分の二にはまだ届きません。地域ごとの条件を、さらに詰める必要があります」

 

 スクリーンの脇には、地域別の協議状況が新たに表示されていた。

 

『アフリカ諸国グループ――継続協議』『ASEAN――原則支持、運用方針確認中』『太平洋島嶼国――気候安全保障協議へ』『中東諸国――サウジ仲介による合同面会調整』『EU――ドイツが支持調整を継続』

 

「ドイツ、本当に動いてくれているんですね」

 部屋の隅から、工藤が感心したように声を上げた。

 

「不満が消えたわけではありません」

 日下部が、世界地図から目を離さず答える。

 

「ですが、支持すると合意した以上、彼らは合意を履行します」

 日下部が、静かに言葉を続ける。

 

「それがドイツです」

 工藤は、改めて画面の表示を見つめた。

 

 ◇

 

 ニューヨーク・日本国連代表部。

 数日間にわたる怒涛の面会スケジュールを終え、外はすっかり夜になっていた。

 

 大使と若い外交官が、オフィスの窓から、ライトアップされた国連本部のビルを見下ろしている。

 机の上には、アフリカ諸国からの要望書、ASEANからの協議要請、島嶼国からの気候安全保障提案、ドイツの第五次修正案、P5六カ国実務協議の招待状、そして国連事務局からの技術的質問書が、うず高く積み上がっている。

 

「……まだ、法的には何も決まっていないのですよね」

 若い外交官が、信じられないというように呟いた。

 

「ええ。法的には」

 大使は、コーヒーカップを手に取りながら答えた。

 

「ですが、誰もそのようには動いていません」

 

 大使は少し考え、窓の外の夜景に向かって静かに言った。

 

「国際政治では、未来が決まってから準備するのではない。

 ……皆が『同じ未来』を前提に動き始めた時、その未来は、すでに決まり始めているんだ」

 

 ◇

 

 国連本部、儀典および会議管理部門の保管室。

 

 冒頭で発注された国名プレートが、静かな部屋に届けられた。

 職員が、慎重に箱を開ける。

 磨き上げられた重厚な木製のプレートに、黒い文字で、はっきりと刻まれている。

 

『JAPAN』

 

「……これを、どこへ置くのですか?」

 若い職員が、上司に尋ねた。

 

「まだ、どこにも置きません」

 上司が、淡々と答える。

 

「では、なぜ今作ったのですか?」

 

「必要になってから作ったのでは、遅いからです」

 

 プレートは再び丁寧な手つきで緩衝材に包み直され、棚の奥へと置かれた。

 

 箱には、赤いラベルが貼られている。

 

『暫定準備品』

『国連憲章改正発効まで使用禁止』

 

 日本は、まだ常任理事国ではない。

 総会の採決も終わっていない。

 国連憲章も改正されていない。

 世界各国の批准も、一つとして完了していない。

 

 それでも国連本部では、六カ国分の新たな連絡網が作られ始めた。

 外交官たちは、日本が席に座った後の要求を血眼になって話し合い始めた。

 地域機構は、日本との新しい関係を設計し始めた。

 

 そして、誰も座っていない棚の奥には、まだ使うことを許されていない『JAPAN』の国名プレートが、静かにその時を待って収められていた。

 

 日本が常任理事国になることは、まだ決定していない。

 

 だが世界はすでに。

 日本が常任理事国に『ならない』未来のために動くことを、やめ始めていた。

 




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