自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~ 作:パラレル・ゲーマー
第227話 深海の嘘、本当に泥からレアメタルが出る
テラ・ノヴァ側、工場区画の深奥部に位置する中央管制室。
地球側とは異なる物理法則が支配するこの空間では、今日も無数のプラント群が重低音を響かせ、自律ドローンが空を縫うように飛び交っている。
工藤創一は、エルゴノミクスチェアに深く腰掛け、ホログラムモニターに表示される膨大な稼働データをぼんやりと眺めていた。
画面の片隅には、地球のニュースネットワークの映像がミュート状態で流れている。
『日本を六番目の常任理事国とする国連憲章改正案について――各国で批准手続きが――』
工藤は、コーヒーを片手に、少し首を傾げた。
「……まだ常任理事国じゃないんですよね?」
「はい。国連総会を通っただけです」
ホログラムの一角には、地球側の閉域通信室から接続している日下部内閣官房参事官の姿が映っていた。
日下部は、端末から目を離さずに淡々と答えた。
「じゃあ、まだデプロイ(本番環境への実装)待ち?」
工藤が、システム開発の用語で要約する。
「……まあ、非常に雑に言えば、そうです」
日下部は、その表現の軽さに小さく息を吐きつつも、訂正する気力はなかった。
「各国で批准手続きが進み、必要な批准数に達して憲章改正が発効するまで、我々はまだあの席に座っていません」
国連の歴史的採択から数日。
世界中で日本の常任理事国入りをめぐる報道と批准手続きが続いているが、この二人は、その喧騒からは完全に切り離された実務モードに入っていた。
「それより、今日はお願いがあります」
日下部が、声のトーンを一段落として本題を切り出した。
「“それより”って言っていいんですか?」
工藤が、少し意外そうに聞き返す。普段なら「常任理事国入りを雑に扱わないでください」と怒られるところだ。
「私が言う分にはいいんです」
日下部は即座に特権を行使し、手元の端末を操作して、工藤側のホログラムへ三つの資料を共有した。
《海道式深海精錬法》
《海上実証工程》
《プラント船『かいどう』》
その文字列を見た瞬間、工藤は「あ」と声を漏らし、思い出したように手を打った。
「本当に海底から採るやつ?」
「はい」
日下部は、真顔で深く頷いた。
閉域試験そのものは、すでに終わっている。
リクレーマーが本物の深海泥から対象元素を分離できることは、そこで確認済みだった。
そして、日本が常任理事国入りをめぐる外交に追われていた間にも、海道重工ではプラント船『かいどう』への改修が進められ、ブラックボックス化された中核処理区画の搭載まで完了している。
今日やるのは、フェーズ三。
実際の海で採った泥を、実際の船上設備と運用手順で処理し続けられるかを確かめる『海上実証』だった。
◇
「状況を簡潔に整理します」
日下部が、これまでの日本の抱える『最も巨大で、最も重い嘘』の輪郭をなぞるように説明を始めた。
「我々はこれまで、テラ・ノヴァ由来の未知の資源を日本国内へ持ち込むためのカバーストーリーとして、『南鳥島沖で深海レアメタル事業を行っている』という建前を使ってきました」
日本の資源安全保障の要。
深海から無尽蔵にレアアースやレアメタルを汲み上げている、奇跡のプラント船『かいどう』。
だが、その実態は、深海探査の枠組みを使って、テラ・ノヴァから運び込んだ資源をロンダリング(洗浄)するための巨大な舞台装置であった。
「もちろん、深海採掘設備自体は存在しますし、研究もしています。船も動き、海底のデータも積み上げている。……しかし」
日下部は、厳しい顔で言葉を継ぐ。
「肝心の、『経済的に成立する規模で、本当に海底泥から純度の高い資源を取り出しているのか』という部分には、地球の技術的限界がありました。我々は、テラ・ノヴァの資源を混ぜることで、その限界を誤魔化してきたのです」
だが、そのカバーを維持し続けることには、無視できないリスクが伴う。
事業が成功していると宣伝すればするほど、世界中から注目が集まる。
『では、その画期的な精錬プラントを見せてください』
『実証データを公開してください』
『採取量の推移と、採算データを』
『他国への技術輸出、または本格的な商業化はいつですか?』
「……質問や要求が、雪だるま式に積み重なっています」
日下部が、頭痛を堪えるように額を押さえる。
「我々は、その辻褄を合わせるために、海道重工とともに膨大な嘘のデータと偽装工作を重ね続けてきました。ですので、嘘を維持するための費用(コスト)が限界に近づきつつあります」
「技術的負債みたいですね」
工藤が、システム屋の言葉で例える。
「似ています」
「放置すると?」
「説明コストが複利で増え続けます。いずれ、どこかで必ず破綻(バグ)します」
「完全に技術的負債じゃないですか」
工藤は、その恐ろしさを身をもって理解し、深く頷いた。
日下部は、ホログラム越しに鋭い視線で工藤を見据えた。
「だからこそ、今日、この負債を返済します。
……深海の嘘を、本物にします」
◇
地球。南鳥島沖、太平洋上。
抜けるような青空と、どこまでも深く青い海。
その洋上に浮かぶ、巨大な要塞のようなプラント船『かいどう』。
本日は、隔離された研究プールではなく、実際の洋上における『海上実証』の日であった。
船上の空気は、極限の緊張状態にあった。
ヘルメットと作業着姿の海道重工の技術者たちが、無言でコンソールと睨み合い、各種のメーターをチェックしている。
「揚泥ポンプ、圧力正常」
「深海泥サンプル、第一ストックへ到達」
太いパイプラインを通じて、水深数千メートルの海底から吸い上げられた黒々とした冷たい泥が、船内の巨大なタンクへと流れ込んでくる。
技術者が、慎重な手つきでその泥からサンプルを採取し、ナンバリングを行う。
重量測定。成分分析用の試料の分離。そして、政府の監査用として、厳重な封印を施したケースに保管する。
「絶対に、手順を間違えるな」
現場監督が、低い声で指示を飛ばす。
彼らは今、ただの機械のテストをしているのではない。
『後から別の物を混ぜた』という疑いすら、一切の余地なく排除しなければならないのだ。
今日の目的は、リクレーマーそのものの性能を確認することではない。そこは閉域試験ですでに終わっている。「本当に、あの海底から汲み上げた泥を、この船とこの運用手順で処理し、資源として取り出せる」と証明することなのだ。
海道側の技術者たちにとっても、これは長年の悲願であった。
◇
同時刻。
日本政府側の、完全に外界から遮断された閉域管制室。
そこには、日下部、数名の政府技術官、そしてモニター越しにテラ・ノヴァから接続している工藤の姿があった。
「工藤さん、音声はクリアですか?」
日下部がマイク越しに確認する。
「はい、バッチリ聞こえてますよ。映像もクリアです」
工藤が、画面の向こうでのんきにコーヒーをすすりながら答える。
「現地行った方が、機械の調整とか早いですよ?」
工藤は、ふと思い出したように提案した。
「駄目です」
日下部が即答する。
「なんで?」
「色々と」
日下部は、これ以上ないほど短い言葉で却下した。
海道サクラをはじめとする海道グループの上層部が、アンノウンに対してどのような『信仰』に近い恩義を抱いているか。だからこそ日下部は、そのアンノウン本人である工藤と海道側を直接接触させるつもりがなかった。工藤本人が無防備に姿を現せば、どのような化学反応(パニック)が起きるか分からないからだ。
「現地作業でリモート縛りかぁ……やりづらいんですけど」
工藤が、少しだけ不満げに口を尖らせる。
「我慢してください」
日下部は一蹴した。
工藤本人は、この事態の『政治的な深刻さ』を全く理解していない。彼にとっては、「いつもの超高性能なゴミ分別機を、海の上の実運用ラインに繋いで試すだけ」程度の認識なのだ。
◇
『かいどう』船内。
吸い上げられた深海泥は、いきなり未知の装置へ放り込まれるわけではない。
まずは、海道重工が長年培ってきた『既存の地球技術』による処理ラインを通る。
巨大な脱水機による水分調整。強力な遠心分離とフィルターによる異物除去。泥の粒度を均一に揃えるための粉砕処理。
これら一連の前処理工程は、完全に海道の技術者たちの手によって制御されていた。
これは、単なる技術的な必要性からだけではない。
このプラントが「海道重工の深海精錬プラント」として世間に成立するためには、彼ら人間の技術者が、自らの手で汗を流して運用する『意味』が絶対に不可欠なのだ。すべてをブラックボックスに任せきりにすれば、それはカバー(偽装)にならない。
「前処理完了。含水率、規定値クリア」
「第一試験ロット、搬送コンベアへ移行」
黒く均一なペースト状になった泥が、太いベルトコンベアに乗って、船の最深部へと運ばれていく。
その先にあるのは、分厚い隔壁と電子ロックで守られた区画。
《第二処理区画》
《関係者以外立入禁止》
この扉の向こう側が、政府(アンノウン機関)の完全封印区画であり、リクレーマー由来の中核装置が鎮座する場所であった。
◇
「第一試験ロット、投入開始します」
海道側の担当者から、通信が入った。
閉域管制室のメインモニターに、リクレーマーの内部センサーから送られてくる数値がリアルタイムで表示され始める。
数百キロ程度の、ごく少ない量の泥。いきなり何千トンも処理するような無茶はしない。
《INPUT ACCEPTED》
工藤が、画面を見て軽く頷く。
「入りましたね」
「……はい」
日下部は、画面を凝視したまま短く答えた。
工藤からすれば、単なる試験稼働のログに過ぎない。
だが、日下部からすれば、国家が何年もつき続けてきた『巨大な嘘』が、本物になるかどうかの、運命の瞬間であった。
リクレーマーの内部で、処理が始まる。
装置からすれば、投入されたのが海底の泥だろうが、廃スマホの山だろうが、全く関係ない。ただ、分子と元素の結合を読み取り、物理法則に従って分離するだけだ。
成分解析。
対象元素の選択。
高エネルギー分離場による分解の開始。
「普通に行けますね」
工藤が、退屈そうに言う。
「普通ではありません」
日下部が、胃の痛みを堪えながら訂正する。
「でも、処理系的には全くエラーなしの普通ですよ?」
その時、モニターのログが緑色に切り替わった。
《TARGET MATERIAL DETECTED》
《SEPARATION AVAILABLE》
対象資源が、確かに泥の中に存在しているというシステムからの確定報告。
「じゃあ、回収開始します」
工藤が、キーボードに手を伸ばす。
「お願いします」
日下部が、息を呑んで見守る。
◇
だが、ここで今日最大の『問題』が発生した。
工藤が、リクレーマーの設定画面を開いたまま、少し首を傾げてモニター越しの日下部を見た。
「回収率、どれくらいにします?」
日下部が、一瞬固まる。
政府側の技術者も、呆然として工藤の顔を見た。
「……その質問を、するんですか?」
日下部が、信じられないというように問い返す。
「できますよ。ほぼ全部。不純物ゼロに近い形で、泥の中にあるレアメタルを一滴残さず抽出できますけど」
工藤は、誇らしげに、最高純度の設定バーをマックスにしようとする。
「駄目です」
日下部が、即座に、かつ強烈な声で制止した。
「え?」
工藤が、きょとんとして手を止める。
「全部回収してはいけません」
「なんで?」
工藤には、その理由が全く理解できなかった。
日下部は、頭を抱えそうになるのを必死に堪え、冷徹な外交官の顔で理由を説明した。
「あまりにも『完全な元素分離』を行えば、海道重工が公式に発表できる『地球の技術の範囲』を遥かに超えてしまうからです」
もし、泥から不純物ゼロでレアメタルを100%抽出し、従来なら廃棄や再処理が必要な残渣まで異常な精度で素材別に分離され、処理にかかるエネルギーも異常に少なく、コスト計算の辻褄が全く合わないような完璧な精錬結果を出してしまったらどうなるか。
「世界中の専門家が、そのデータを見た瞬間に『これは既存の精錬法ではない。魔法か何かだ』と即座に見抜きます」
日下部が、厳しい顔で言う。
「じゃあ、性能を落とすんですか?」
工藤が、信じられないという顔をする。
「はい」
「完璧に動くものを、わざと?」
「はい」
「……気持ち悪い」
工藤は、システムエンジニアとして、あるいは工場長としての本能から、顔をしかめて露骨な嫌悪感を示した。
◇
今回、日本政府と海道重工にとって最も難しいのは、リクレーマーを『動かすこと』ではない。
リクレーマーの圧倒的な性能を、『地球人が頑張って発明できそうな範囲の進化』に見せかけることだった。
「最大性能を出してはいけません」
日下部が、冷酷な仕様変更を要求する。
「じゃあ、何を目標値にするんです?」
工藤が、不満げに設定画面を睨む。
「世界の専門家が『驚く』。しかし、『理解不能』とは言わない程度です」
「仕様がふわふわしてる!」
工藤が、開発現場で一番嫌われるタイプのふんわりオーダーに悲鳴を上げた。
日下部は、用意していた分厚いファイルを工藤のモニターへ転送した。
それは、政府と海道側が綿密に計算して作り上げた、『表向きの海道式深海精錬法の性能(進化)曲線モデル』であった。
「このグラフに合わせてください」
工藤は、その資料を渋々読み込み、リクレーマーの設定をいじり始めた。
「対象元素だけ回収。……わざと一定の割合は、残渣(ゴミ)側に残す。一部の副産物は、リクレーマーで処理せずに、従来のアナログな工程へ回す。能力をフル活用しない」
工藤は、ブツブツと文句を言いながら、自慢の機械の性能に意図的な『枷』をはめていく。
要するに、リクレーマーを超高性能な『裏方』として使い、表側はあくまで『海道の技術者が頑張っている工程』として成立させるのだ。
「ボトルネックを、わざと作るんですね」
工藤が、恨めしそうに言う。
「はい」
日下部が頷く。
「工場ゲーで、一番やりたくないやつですよ」
工藤は、深い溜め息とともに、決定ボタンを押した。
◇
プラント船『かいどう』。
処理ラインの最終出口の前で、海道側の技術者たちが息を殺して待っていた。
ゴトッ。
短い機械音とともに、排出トレイに最初の回収物が送り出されてきた。
量は、大げさにしすぎない。
だが、分析すれば確実に『資源』として成立するだけの量だ。
技術者が、震える手でその場でサンプルを採取し、別室の分析装置へと走る。
数分間。
船内も、そして政府の管制室も、完全な無音に包まれた。
分析担当者が、モニターのスペクトルグラフを見る。
動きが止まる。
もう一度、別の角度からデータを確認する。
「……出ています」
現場監督が、唾を飲み込んで問う。
「何が」
「対象元素です」
分析担当者が、震える声で読み上げる。
「ネオジム、ジスプロシウム、コバルト……複数種類の対象元素が、基準値以上の純度で確認されました。すべて、投入した海底泥由来のものです」
誰かが、小さく、祈るように呟いた。
「本当に……出た」
深海の嘘が、本物になった瞬間だった。
◇
その報告は、即座に海道グループの上層部へと届けられた。
海道サクラは、送られてきたデータ画面を見つめたまま、派手に喜ぶことはしなかった。
これまで海道重工は、国家のために「深海から資源を採っている」という巨大な物語を成立させる側だった。
空回りする遠心分離機や精錬炉を動かし、深海採掘用の配管には海水を循環させ、その裏で別の場所から来た資源を積み出し、世界を騙し続けてきた。
だが、今日は違う。
実際の海で、本当に採った。
実際の船上で、本当に処理した。
本当に、資源が出たのだ。
「……これで、少なくとも深海については、嘘を減らせますね」
サクラが、傍らに立つ政府担当官に静かに言った。
「はい」
政府担当官が、深く頷く。
全部の嘘が消えたわけではない。
この中核に使われているアンノウン技術そのものは秘匿されている。設備性能も、その出自も秘密のままだ。
だが、「実際の海域で深海泥を採り、船上で資源として取り出せる」という根幹部分だけは、正真正銘の本当になった。
その事実の重さは、彼らの肩の荷をどれほど下ろしてくれたか計り知れない。
◇
だが、感動に浸る間もなく、海道重工の技術班から追加の報告が上がってきた。
「処理能力に、まだかなりの余裕があります」
現場監督からの通信に、海道側の上層部が顔を見合わせた。
「どの程度だ」
提示された数字を見て、海道側の役員たちが沈黙した。
政府側の発表予定量を、遥かに超えて処理可能だったのだ。しかも今回、工藤が意図的に性能をかなり絞っているにもかかわらず、である。
現場の技術者としては、機械が動くなら当然こうなる。
「もっと、泥を投入したいです」
サクラも、経営層としての視点から日下部へ打診した。
「商業化を急ぐのであれば、処理量を——」
「上げません」
日下部が、通信越しに即答した。
「……上げない?」
サクラが、意外そうに問い返す。
「当面は」
理由は明白だった。
突然、日本の深海資源供給能力が跳ね上がれば、市場も外交もすべてが連動して動いてしまうからだ。
レアメタルの国際価格が暴落する。
既存の鉱山を抱える資源輸出国がパニックを起こす。
企業投資のバランスが崩れる。
安全保障上の脅威と見なされ、中国や他国の過剰な反発を招く。
関連産業への影響も計り知れない。
「技術的にできることと、国家としてやっていいことは違います」
日下部が、冷徹な外交の理屈で制した。
◇
同じ頃、テラ・ノヴァの管制室でも、工藤が全く同じ要求を出していた。
「いや、でもラインめっちゃ余ってますよ?」
工藤が、モニターの稼働率グラフを指差す。
「余らせてください」
日下部が、容赦なく却下する。
「前処理のスピード上げれば、もっと行けます」
「増やさないでください」
「船増やしたら?」
「増やさないでください」
「二十四時間フル運転なら——」
「しません」
工藤は、ついに不満を爆発させた。
「なんで、工場の性能を上げようとするたびに、いつも怒られるんですか! 普通、褒められるところでしょ!?」
日下部は、モニター越しに、深く、冷たい視線で工藤を見据えた。
「工場の外に、世界があるからです」
その一言が、工藤の文句をピタリと止めた。
工藤のこれまでの「工場ゲー」の常識では、資源ノードを発見すれば、採掘機を増設し、精錬ラインを最適化し、生産量を最大化するのが絶対の正解だった。
しかし、現実の世界では。
生産量の最大化が、必ずしも正解にはならないのだ。
「……なるほど」
工藤は、少しだけ納得したように頷いた。
「世界がバグるから、出力を絞るんですね」
「そういうことです」
◇
増産が禁止されたなら、工藤は何をするか。
彼は、キーボードに手を置き、不敵に笑った。
「じゃあ、保守性上げます」
「……それは?」
日下部が、また何か余計なことをするのではないかと警戒する。
「処理量は変えません」
工藤は、画面に新しい設定を打ち込んでいく。
「中核部の自己診断プログラムの強化。消耗部品の予防交換アラート。故障時の自動切り離しとバイパス構築。稼働ログの高圧縮保存。異常時の瞬時自動停止。それから、海上で海道の人たちだけでも交換可能な外部ユニットの設計見直し……」
工藤は、システムへの負荷を減らし、安定稼働させるためのチューニングを猛スピードで始めた。
つまり、生産『量』ではなく、稼働率と『保守性』を極限まで改善するのだ。
元・運用保守SEとしての、真骨頂である。
「壊れて止まったら、カバーどころの話じゃなくなりますからね」
工藤が、真面目な顔で言う。
日下部は、その提案には一切の文句をつけなかった。
「……それは、お願いします」
「やっと改善していいところ来た!」
工藤が、嬉しそうにキーボードを叩く音が、スピーカー越しに管制室へ響いた。
◇
最初の成功だけでは終わらない。
条件を変えた第二試験ロットの処理が始まった。
今度は、工藤が直接システムに触らず、『設定済みの自動運転モード』で処理が行われる。
実用システムである以上、工藤が毎回つきっきりで監視しなければ動かないような装置では、社会実装とは呼べない。海道側が自力で運用できなければならないのだ。
ただし、ブラックボックスである中核部分へのアクセス権は一切与えられない。
海道側の操作は、原料の投入、処理モードの選択、そして実行ボタンの押下のみである。中身は触れない。
第二ロット、正常に処理完了。
泥の含水率を変えた第三ロット、正常。
条件の差にも、システムは完璧に追従し、安定した出力を保った。
ここで初めて、「実験の成功」ではなく、「実用インフラとしての運用可能性」が完全に確認されたのである。
◇
数日後。
日本政府の内部資料に、極秘の運用レポートが提出された。
《実海域採取原料:使用》
《対象資源回収:成功》
《連続処理:成功》
《再現性:確認》
《海上運用:問題なし》
そして、最後の一行。
《判定:フェーズ三(海上実証)達成》
これで、ロードマップは次なる段階へと進む。
『段階的本物化』。
一気に商業量産はしない。今後、数年単位の時間をかけて、少しずつ、本当に深海から採れた資源の割合を増やしていく。
すると、時間とともに、テラ・ノヴァ資源を深海資源として偽装して流し込む必要量が減っていく。
最終的には。
日本の深海資源産業そのものを、ほぼ完全な『本物』へ近づけていく。
ただし、テラ・ノヴァ由来の資源を完全にゼロにはしない。需要急増や異常事態に備える、最後の調整弁として残す。
それが、最初から決められていた運用だった。
◇
さらに数日後。
日本のニュースメディアの経済欄の片隅に、小さな記事が載った。
『海道重工、深海資源開発における新たな海上処理試験に成功』
専門紙や経済紙では、少しだけ詳細に報じられた。
「国産レアアース確保へ前進」「南鳥島周辺海域の資源開発に新段階」。
だが、世間一般の反応は驚くほど薄かった。
「へえ、日本って海底資源やってたんだ」
「なんかずっと試験してるよね」
「まあ、がんばって」
その程度の関心だ。今は、国連の常任理事国入りをめぐる批准や、火星ミッションの話題の方が圧倒的に大きく、国民の目はそちらに向いていた。
それでいい。
裏では、国家最大級の資源カバーストーリーが本物へとすり替わり、世界の資源地図を書き換える準備が整ったというのに。
表のニュースはびっくりするほど地味だった。
その圧倒的な落差こそが、日下部たちが狙った最も安全な着地点であった。
◇
試験終了後。
日下部の端末に、海道サクラから短く、しかし万感の思いが込められた暗号メッセージが届いた。
『海上実証、完了しました。
……深海は、本物になりました』
日下部は、そのメッセージを読み、小さく息を吐き出した。
これで一つ、大きな肩の荷が下りた。
日下部は、端末を閉じようとしたが、ふと資料一覧の端に残っていた別のファイルへ目をやった。
表紙には、こう書かれている。
《軌道輸送インフラ基礎検討資料》
《取扱注意》
名称はまだ確定させていない。
軌道エレベーターに本格着手したとは、まだ一行も書いていない。
ここはあくまで、「海道グループが約束した宿題(深海の嘘を本物にする)を終えたので、次の約束を検討できるテーブルに着いた」というだけだ。
「……終わりました?」
工藤が、背伸びをしながら聞いてきた。
「海上実証については、終わりました」
日下部が答える。
「じゃあこれ、量産——」
「しません」
日下部が即答する。
「まだ何も言ってない!」
工藤が抗議する。
「言おうとしていました」
工藤は口を尖らせたが、すぐに画面共有の端に一瞬だけ残った資料名に気づいた。
「あれ、これ何です?」
工藤が、表示を拡大しようとする。
日下部が、サッと共有画面から資料を消した。
「まだです」
「宇宙って書いて——」
「まだです」
「でも海道さん、深海の次は宇宙って話でしたよね?」
工藤が、ニヤニヤしながら尋ねる。
「……覚えていたんですか」
日下部が、面倒くさそうに顔をしかめる。
「そういうのは覚えてますよ。俺、宇宙好きですし」
日下部は、深く溜め息をつき、そして、少しだけ諦めたように言った。
「……では、その話は、後日です」
「後日!」
工藤は、隠しきれないほど嬉しそうな顔をした。
その日、日本が長年『深海資源開発』と呼び続けてきた巨大なカバーストーリーは、初めて実海域・実船上の運用として、その名の通りの産業へ踏み出した。
国を挙げてついてきた巨大な嘘が、技術の力によって少しずつ真実へ塗り替えられ始めた歴史的な日。
しかし、その成功を最も喜んでいた男が、次に見据えていたのは、冷たい海底ではなかった。
空だった。
果てしなく続く、星の海へと繋がる道だった。
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!