自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~   作:パラレル・ゲーマー

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第229話 アンノウン、沖ノ鳥島は島だと念を押される

 地球から遥か次元の彼方に存在する惑星、テラ・ノヴァ。

 その大地に構築された巨大な工場区画の深奥部にある中央管制室では、今日も絶え間ない重低音とともに無数の生産ラインが稼働を続けている。

 だが、この巨大なインフラの頂点に立つ男、工藤創一の意識は、すでにお気に入りの新しい「おもちゃ」へと完全に移行していた。

 

 彼はエルゴノミクスチェアに深く座り、空中に展開された巨大なホログラムを見上げていた。

 地球の赤道付近から、漆黒の宇宙空間へ向かって真っ直ぐに伸びる細い光の線——『軌道エレベーター』の初期設計モデルである。

 だが、工藤の視線は時折、そのすぐ横に展開されているもう一つのホログラム——太平洋の島嶼国『ツバル』の詳細なマップへと向けられていた。

 

 昨夜、「一応」と言ってイヴに試算させ始めたツバルの環礁拡張案。

 それが当然、「一応」のレベルで済むはずがなかった。

 イヴの画面には、すでに工藤の指示によって構築された幾つものレイヤーが並んでいる。

 

 《ツバル環礁拡張案A》

 《既存陸地保全優先》

 《淡水レンズ再構築》

 《港湾候補》

 《将来拡張領域》

 

「うーん……」

 工藤は、ツバルの環礁をぐるりと囲むように配置した拡張予定地を指先でなぞりながら、ブツブツと独り言を漏らす。

「これ、環礁の隙間を全部埋めて完全な陸続きにする必要はないよな。潮の流れを完全に塞いじゃうと、内海(ラグーン)の生態系が死んじゃうし。水質が悪化するのも面倒だ」

 

 工藤は、いくつか配置していた成長ノードの設計を間引き、意図的に海流が通る水路を確保するよう修正を加えた。

 

「島と島を全部繋げるより、ある程度深い水路を残しておいた方が、後から港湾設備とか船の航路にも使えるし。……うん、これくらいが自然でいいな」

 彼は、誰に言われたわけでもなく、自発的に現地の生態系や海流、そして将来のインフラ利用といった「環境アセスメント」の領域にまで思考を及ぼし始めていた。

 

 しかし、これはまだ日本政府からの正式な案件ではない。あくまで工藤の個人的な、趣味の延長線上にある「設計検討」の段階だ。

 

 そこへ、管制室の通信コンソールが、特有の暗号化されたコール音を鳴らした。

 画面に『日下部参事官』の名前が表示される。

 

「お、来た」

 工藤は、手元のホログラムを脇に退け、通信を繋いだ。

 

「工藤さん」

 いつものように、疲労を隠しきれない、だが張り詰めた声が響く。

 

「はい」

「昨日の件ですが」

「ツバル?」

「はい。《環礁成長ユニット》の件について、先ほど矢崎総理へ報告を済ませました」

 

 工藤は、少し目を丸くした。

「早いですね。まだ昨日の今日ですよ?」

 

「国土を五日で作るという異常な装置の存在を、明日まで自分の胸の内に秘めておこうとは思いません。私の胃壁が持ちませんので」

 日下部が、淡々と即答する。

 

「それもそうか」

 工藤は素直に納得した。

「それで、ツバル政府に聞いてくれるんですか? 島、大きくしちゃっていいかって」

 

 工藤の期待に満ちた問いに対し、日下部は冷静にブレーキをかけた。

 

「その前に、一段階挟みます」

 

「一段階?」

 

「まず、日本国内で『地球環境下における実証試験』を行います」

 

 工藤は、その言葉を聞いて、あっさりと頷いた。

 

「ああ、なるほど」

 彼は画面の横にあるテラ・ノヴァの海の実証データを見やりながら言う。

「そういえば、あのユニットはまだテラ・ノヴァの海でしか動かしてないですもんね。地球の海でもちゃんと動くか、テストが必要ってことか」

 

「はい。アンノウン機関のシミュレーション上は問題なくとも、実際の地球の海洋環境、生態系への影響、波浪、潮流、塩分濃度、そして予期せぬノイズなど、現実の条件で確認する必要があります。いきなり他国の領土に未検証の装置を投入するなど、外交的にも技術的にも論外です」

 日下部が、官僚としての当然のセオリーを述べる。

 

「確かに」

 工藤は全く反発しなかった。むしろ、システムを本番環境(他国)にデプロイする前に、自社環境(自国)で本番相当のテストを行うのは、元SEとして至極真っ当で安心できる手順であった。

 

「場所も、すでに総理から指定されています」

 日下部が続ける。

 

「どこです?」

 

 工藤の目の前のホログラムに、日本列島の地図が共有された。

 視点が、本州からどんどん南へとスクロールしていく。

 小笠原諸島を越え、さらに南の、絶海の孤島すら見当たらない広大な太平洋のど真ん中へ。

 そこに、ポツンと小さな点が光っていた。

 

 《沖ノ鳥島》

 

「…………」

 工藤は、その文字を見て黙り込んだ。

 

 地図を拡大する。

 さらに拡大。

 もっと拡大。

 

「沖ノ鳥島?」

 工藤が、確認するように聞き返す。

 

「はい」

 日下部が答える。

 

 工藤は少し考え、記憶の糸を手繰り寄せた。

「あー……なんか、昔、学校の地理か何かの教科書で習った覚えがあります。日本の一番南の方にある……」

 

 添付されていた航空写真を開く。

 そこには、どこまでも青い海の中に、円形の巨大なコンクリートの護岸に囲まれた、ごくごく小さな『露岩』が二つ、かろうじて海面から顔を出している様子が写っていた。

 

 工藤は、その写真を見て首を傾げた。

「確か、小さな岩礁でしたっけ?」

 

 ——ピシャリと。

 

「島です」

 

 日下部が、一秒の迷いもなく、極めて強烈な圧を込めて即答した。

 

「ええ、でもこれ……」

 工藤は、写真をさらに限界まで拡大し、どう見ても人が住めるような場所ではないその構造物を指差した。

「ほとんど、コンクリで囲まれた岩——」

 

「島です」

 日下部の声が、一段階低く、そして冷たくなった。

 

「…………」

 工藤は、黙った。

 

「島です」

 日下部が、駄目押しのように三度目を繰り返した。

 

「……はい」

 工藤は、ここで何か余計なことを言えば、日下部の寿命がまた縮むことを本能で察知し、素直に頷いた。

 

『行政上の分類情報、および国連海洋法条約に基づく同島の排他的経済水域(EEZ)設定の根拠について解説しますか?』

 イヴが、空気を読まずに横から極めて政治的な情報を差し込もうとする。

 

「イヴ、今はいい」

 工藤は、慌ててイヴの音声をミュートにした。これ以上、藪をつついて蛇を出す必要はない。

 

 ◇

 

 工藤は、気を取り直して純粋な技術的疑問を口にした。

 

「でも、なんでここなんです? テストなら、もっと近海の適当な無人島でもよかったんじゃ」

 

「テストを行うにあたり、ここほど条件が適している場所は他にありません」

 日下部が、明確な理由を挙げていく。

「第一に、完全に日本の管理下にある領土であること。他国の干渉を受けずに実験が可能です。

 第二に、既存の海洋観測施設があり、保全体制が敷かれているため、機材の搬入やデータ収集の隠れ蓑として使いやすい。

 第三に、外洋の過酷な波浪、塩害、台風の直撃を受ける、最もシビアな自然環境であること。

 そして何より……」

 日下部は、少しだけ息を吐いて言った。

「この島は、我が国の広大な排他的経済水域を維持するために、何があっても『侵食から守り続けなければならない』からです」

 

 工藤は、現在の沖ノ鳥島の保全設備の詳細データを見た。

 チタン合金製のネット、分厚いコンクリートの護岸、消波ブロック、そして絶え間ない観測設備。

 

「これ、ずっと人間の手で維持してるんです?」

「はい。定期的に莫大な予算を投じて、補修と保全工事を繰り返しています」

 

「……めちゃくちゃ大変じゃないですか?」

「大変だから、あなたにお願いしているんです」

 日下部が、疲れた声で答える。

 

「ああ」

 工藤は、妙に納得した。

 つまりこれは、国が抱える『超高難易度のインフラ保守案件』なのだ。

 システム屋として、終わりのないパッチ当て(護岸工事)を延々と繰り返さなければならない現場の苦労は、痛いほどよく分かった。

 

「それで、その島を大きくしたらいいんですね?」

 工藤が、やる気を出して尋ねる。

 

「いえ」

 日下部が、スッと冷たい声で否定した。

 

「違うんです?」

 

「とりあえず、侵食が防げるだけで十分です」

 日下部は、要求仕様を極限まで絞り込んだ。

 

「……それだけ?」

 工藤が、拍子抜けしたように聞き返す。

 

「それだけです」

 日下部は、絶対に勘違いさせないよう、強いトーンで念を押した。

「工藤さん、よく聞いてください。今回の目的は、領海を不自然に拡大することでも、EEZの拡大競争を煽ることでも、海上人工都市を建設することでも、ましてや軍事基地を作ることでもありません。

 あくまで、『既存の沖ノ鳥島を保全するための、地球環境下における技術実証』。……それだけです」

 

 世界中が日本の動向に目を光らせている今、沖ノ鳥島がいきなり巨大な島に成長すれば、中国をはじめとする周辺諸国が「日本が異常な手段で領土を拡張している」と猛反発し、国連を巻き込む大騒動になるのは火を見るより明らかだった。

 だからこそ、あくまで「保全」でなければならない。

 

「じゃあ、減らなくすればいいんですね?」

 工藤が、日下部の意図を要約する。

 

「非常に雑に言えば、そうです」

 

「分かりました」

 工藤は、素直に了承した。

 

 ◇

 

 通信が終了した後。

 工藤は、コンソールに向かい、沖ノ鳥島の詳細な3Dモデルをホログラムで展開した。

 

「侵食を防ぐ、か……」

 

 工藤は、既存の護岸構造をクリックし、波浪シミュレーションを回してみる。

 海底の地形。潮の流れ。台風時の波の高さ。既存のサンゴ礁の分布。そして、島を支える脆弱な基盤岩。

 外洋から容赦なく叩きつけられる波のエネルギーが、コンクリートの護岸を少しずつ、しかし確実に削っていく様子がデータとして可視化される。

 

「……でも」

 

『はい、マスター』

 イヴが応答する。

 

「これ、護岸を分厚くして、削れたらまたコンクリ流し込んで直すのを永遠に繰り返すより……」

 

 工藤は、元・運用保守SEとしての根源的な欲求を疼かせた。

 保守作業において最も美しい解決策とは、保守の手順を最適化することではない。

 保守そのものを「不要」にすることだ。

 

「島そのものを、削れないように作り替えた方が、あとの保守が絶対楽じゃない?」

 

 ここが、今回のプロジェクトの方向性を決定づけるテーマであった。

 

 ◇

 

 工藤は、日下部の「侵食を防ぐだけ」という要求仕様を満たしつつ、自らの技術者としての美学(保守工数の削減)を達成するための設計を始めた。

 

「既存の護岸は残す。あれを壊したり、急に別の素材に置き換えたりすると、外から見て不自然すぎるし、日下部さんに怒られるからな」

 

 工藤は、コンクリートの護岸の3Dモデルには一切触れず、その『外側』に目を向けた。

 

「海中部分。護岸のずっと外側の海底に、《環礁成長ユニット》の成長ノードを配置しよう」

 工藤の指先が、海底に光の点を打っていく。

「外洋から来る波を、島の近くに来る前に、海中に作った人工礁で分散させる。波のエネルギー自体を殺すんだ。同時に、島本体の下部……基盤岩の隙間にノードを伸ばして、海底の洗掘(波で砂がえぐられる現象)を防止する。砂が流出しにくい流路へ、微細なレベルで海底の形を調整する」

 

 さらに、システム制御の要件を追加していく。

 

「ただ固めるだけじゃダメだ。もし異常気象で削れたら、その『削れた部分だけ』を自動で補修するように設定。

 局所的に地盤沈下が起きたら、下から支える。

 海面が上昇したら、その分だけ必要な高さを足す。

 台風とか大波が来た後は、自動で点検シーケンスを走らせる」

 

『要求要件の確認。……対応可能です』

 イヴが、即座にシミュレーション結果を青色(クリア)で表示した。

 

「だよね」

 工藤は満足げに頷いた。

 

 その時。工藤の頭の中に、ほんの一瞬だけ、魅力的な『悪魔の囁き』がよぎった。

 

(これだけ基盤をしっかりさせるなら……ついでに、護岸の横に平らなスペースを作って、ヘリポートとか……いや、なんなら小型の滑走路くらいなら……)

 工藤の視線が、3Dモデルの何もない海上の空間を泳ぐ。

(研究施設とか、係留用の港湾設備を置けそうな空間、いくらでも作れるな……)

 

 だが。

 工藤の指は、そこでピタリと止まった。

 

「……いや」

 工藤は、首を横に振ってその妄想を振り払った。

「今回は、侵食防止だった」

 

『はい』

 イヴが同意する。

 

「あぶねー、また日下部さんに怒られるところだった」

 工藤は、自ら自制できたことに小さくガッツポーズをした。彼も日々、日本の官僚とのやり取りの中で成長しているのだ。

 

 ただし。

「……でも、まあ、いざという時のために、基礎の地盤だけは『拡張できる余地』を残す設計にしておこう」

 

 完全には治っていなかった。将来の拡張性(スケーラビリティ)を確保しておくのもまた、優秀なSEの悲しい性(さが)であった。

 

 ◇

 

 数時間後。

 工藤から、完成した設計案が日下部へと送信された。

 

「できました」

 通信を繋いだ工藤の声は、自信に満ちていた。

 

「……早いですね」

 日下部が、送られてきたデータファイルを開きながら警戒する。

 

「設計のコンセプトですけど」

 工藤が説明を始める。

「護岸そのものをいじるんじゃなくて、周りの海中の環礁を補強します。外側の海中で波を砕いて、下から地盤を支え、砂が逃げないようにする。もし削れたら自動で戻すし、海面が上がったら少しだけ高くします」

 

 日下部は、データのシミュレーション映像を見つめ、数秒間無言になった。

 

「……つまり?」

 

「侵食されにくい島じゃなくて、侵食されても『元に戻る島』にします。これで保守の手間はほぼゼロです」

 工藤が、ドヤ顔で言い切った。

 

 日下部は、沈黙した。

 確かに、要求仕様である「侵食防止」は完璧に満たしている。しかも、外観上は既存の護岸がそのまま残るため、他国から見ても「不自然な巨大要塞が生えてきた」とはならない。極めて合理的だ。

 

「……要求仕様は、満たしていますね」

 日下部が、渋々ながらも承認の言葉を口にする。

 

「はい!」

 

「では、実証に移りましょう」

 今回は、修正の要求も、長々とした説教もなかった。

 

「お、今回は許可が早いですね」

 工藤が嬉しそうに言う。

 

「あなたが出した案の中では、奇跡的に常識の範囲内に収まっていたからです。……くれぐれも、後から勝手に仕様を足さないでくださいよ」

 日下部が、念を押して通信を切った。

 

 ◇

 

 作戦は、迅速かつ極秘裏に実行された。

 今回も、ヤタガラスの存在を露呈させるわけにはいかない。

 完全封鎖下にある海上保安庁の特別ルートと、海道グループの海洋技術部門の秘密運用網を利用し、数機のプロトタイプ《環礁成長ユニット》が沖ノ鳥島周辺海域へと搬入された。

 

 外見上は、ただの「海洋環境保全用の新型海底施工装置」にしか見えない、無骨な金属の箱だ。だが、その中核部はアンノウン技術によるブラックボックスである。

 

 複数のユニットが、夜の闇に紛れて沖ノ鳥島の周囲の海底へと静かに投下された。

 工藤は、今回もテラ・ノヴァの管制室から遠隔で監視を行う。日下部たち政府の担当官も、官邸の閉域管制室からその推移を見守っていた。

 

【一日目——海底を調べる】

 

 前回のテラ・ノヴァでの実証テストの際は、投下後すぐに「根」が伸び始めた。

 だが、今回は違う。極めて慎重なアプローチが取られた。

 

 まずは、環礁全体の精密スキャンから始まる。

 海底の地形、岩盤の強度、砂の流出ルート、潮流の変化。そして何より、既存のサンゴ礁の分布と生態系の調査である。

 

「……思ったより、いろんな生き物がいるな」

 工藤が、モニターに映し出された色鮮やかな熱帯魚や、サンゴの群生を見て呟く。

 

『既存生態系への干渉を最小化する経路を算出します』

 イヴが、環境保護プロトコルを起動し、成長ノードを伸ばすルートをミリ単位で計算し始めた。

 生きているサンゴ群を巧みに避け、岩肌の隙間を縫うようにして、白灰色の構造物が静かに海底を這っていく。

 

「お願いします」

 工藤は、イヴの計算に全てを委ねた。

 一日目終了時。海面からはもちろん、浅い海中から見ても、その変化はほとんど分からないレベルの慎重な基礎固めが終わった。

 

【二日目——海中に「第二の環礁」ができる】

 

 二日目。

 既存の護岸から少し離れた外側の水面下で、人工礁が三次元的に形成され始めた。

 それは、外洋から押し寄せる荒波を、島の直撃コースからそらすための「見えない防波堤」であった。

 

 外洋から来た波が、その海中の人工礁にぶつかり、白く砕ける。

 結果として、既存のコンクリート護岸へと届く波の力は、劇的に弱まっていた。

 

「波高、低下しています」

 海道側の現場技術者から、驚きの声が上がる。

「護岸への衝撃荷重も、事前のシミュレーション以上に減少しています。これなら、コンクリートの劣化は格段に遅くなります」

 

「おお、これだけでも結構効くな」

 工藤が、モニターの数値を見て満足げに言う。

 

『設計値通りです』

 イヴが淡々と返す。

 

【三日目——島の足元が太り始める】

 

 環礁成長ユニットが、海中地盤の本格的な補強に入った。

 海底に散っていた砂や、海中の鉱物成分を取り込み、設計された位置へと固定していく。潮流を完全に塞ぐことはせず、生態系に必要な水路は巧みに維持されている。

 

 その結果、既存護岸の周囲に、奇妙な変化が起き始めた。

 

 波の力が弱まり、砂が流出しなくなったことで……護岸の周囲に、自然な「浅瀬」が戻ってきたのだ。そして、そこに少しずつ、白く美しい砂が堆積し始めていた。

 

「……ん?」

 工藤が、カメラの映像をズームする。

「これ、砂浜できてない?」

 

『設計上の、堆砂域(サンドトラップ)です』

 イヴが即答する。

 

「えっと、今回の目的は侵食防止ですよね?」

『はい』

「なら、砂が積もるのは自然な結果だから、いいか」

 工藤は、自分に都合よく解釈して納得した。

 

【四日目——砂洲が海面へ出る】

 

 翌朝。

 官邸の管制室で、航空映像を見ていた日下部が、思わず手元のコーヒーカップを置いた。

 

 既存の沖ノ鳥島の護岸。

 そして。

 その周囲に、昨日までは存在しなかった、真新しい白い『砂地』が、明らかに海面から顔を出していた。

 

 前回のテラ・ノヴァ実証では、何もない海底から島そのものを作ったため五日かかった。今回は、すでに存在する沖ノ鳥島と環礁を補強する工程だったため、主要な形成工程は一日短い四日でここまで到達している。

 だが、誰がどう見ても、昨日より「陸地が増えている」のは明白だった。

 

「……工藤さん」

 日下部が、通信回線を開いて、極めて低い声で呼んだ。

 

「はい?」

 工藤が、のんきに答える。

 

「陸地、増えていませんか?」

 

「え? まだ海面下ですよ?」

 工藤が、悪びれずに返す。

 

「“まだ”?」

 日下部が、その不穏な接続詞を拾い上げる。

 

「…………」

 工藤が沈黙する。

 

「工藤さん?」

 

「仕様上、多少は砂が積もって上に出ることも……」

 

「どの程度です?」

 日下部の声が、氷の刃のように研ぎ澄まされる。

 

「侵食されなくするのに必要な程度……?」

 工藤が、語尾を上げて答える。

 

「疑問形をやめてください」

 日下部が、深い溜め息とともに突っ込んだ。

 

「でも、侵食防止ですから。砂が流れないためには、砂浜があった方が波の力を逃がせるんで」

 工藤が、土木工学的な正論で防御する。

 

「……そうですね」

 日下部も、理屈としては正しいがゆえに、なんとも言えない複雑な顔で引き下がるしかなかった。

 

 ◇

 

【完成——「以前の沖ノ鳥島」と「現在」】

 

 最終実証のフェーズ。

 アンノウン機関のシミュレーター上で、沖ノ鳥島周辺に超大型台風相当の波浪シミュレーションが適用された。

 高波、長周期波、激しい潮流、そして豪雨。

 

 すべて、クリアした。

 強烈な波に削られた箇所は、水中の成長ノードが即座に検出し、海中の成分を取り込んで必要な分だけ再形成(自己補修)を行った。

 

 さらに、海面上昇モデルのシミュレーション。

 地球温暖化による数十センチの海面上昇のデータが入力されると、島を支える基礎部分が、その上昇分だけゆっくりと、自然な形で上部へと成長を追随させた。

 

「これで、海面が上がっても追随できます」

 工藤が、最終報告を行う。

 

「つまり?」

 日下部が確認する。

 

「もう、沈まないです」

 

 その一言が、今回の実証のすべてを物語っていた。

 これこそが、あの沈みゆく国・ツバルに対して提示できる、最大で最強の実証結果であった。

 

 ◇

 

 数日後。現地確認が行われた。

 政府側の技術者たちが船で沖ノ鳥島へ接近し、新しく形成された白い砂地へ慎重に上陸した。

 

 足元には、真っ白な普通の砂。

 新しい、穏やかな海岸線。

 以前であれば、荒波が直接護岸に叩きつけていたその場所に、今は普通に立って歩くことができる。

 

 観測機器を設置し、地盤強度を測定する。

 十分すぎるほどの強度だ。護岸そのものへの負荷も大幅に低下しており、ひび割れなどの劣化の進行も劇的に抑えられるというデータが出た。

 

「これなら……」

 現場の技術責任者が、震える声で官邸に報告を入れた。

「保全工事そのものを、今後の数十年、大幅に減らすことができます」

 

 その報告を聞いた瞬間。

 日下部は、このアンノウン案件が始まって以来、初めてと言っていいほど、純粋に、素直に喜んだ顔を見せた。

 終わりのない莫大な予算の食いつぶしと、困難な海上工事という「国家の負債」が、一つ完全に解消されたのだから。

 

 ◇

 

 最終的な航空写真の比較が行われた。

 

 旧写真。コンクリートに囲まれた、痛々しいほどの小さな露岩。

 現在。白い砂浜と浅瀬に守られた、安定感のある美しい小島。

 

 工藤は、モニターに並んだ二枚の写真をしばらく眺め、満足げに一言こぼした。

 

「……だいぶ、島っぽくなりましたね」

 

 日下部が、間髪入れずに、氷点下の声で言い放った。

 

「元から、島です」

 

「はい」

 工藤は、素直に頷いた。この儀式だけは、絶対に崩してはならないのだと理解していた。

 

「……ちなみに」

 実証がすべて終了し、空気が緩んだところで、工藤がふと思い出したように尋ねた。

 

「はい」

 日下部が応じる。

 

「これ、どこまで広げていいんです?」

 

「広げません」

 日下部が即答する。

 

「でも、あの環礁の浅い部分を全部使えば、かなり大きな——」

 

「今回は、保全実証です」

 日下部が遮る。

 

「滑走路一本くらいなら、すぐにでも——」

 

「次の計画書にしてください」

 

 工藤の言葉が、ピタリと止まった。

 

 彼は、日下部の言葉を反芻した。

「駄目です」ではない。「次の計画書にしろ」と言ったのだ。

 

「……次の計画書なら、いいんだ?」

 工藤が、ニヤリと笑う。

 

 日下部は、自分が口を滑らせたことに気づき、一瞬だけ絶句した。

 

「…………検討対象には、できます」

 日下部は、苦々しい顔で、なんとか官僚の言葉で誤魔化した。

 

「おお!」

 工藤の目が輝く。

 工藤の頭の中では、滑走路や港湾、研究施設まで備えた未来の沖ノ鳥島が、ひっそりと次の設計候補へ追加されていた。

 

 ◇

 

 日本政府。首相官邸。

 矢崎総理へ、沖ノ鳥島の実証結果が報告された。

 

 机に並べられた、旧写真と新写真。

 総理は、それを見比べて、少しだけ驚いたように目を丸くした。

 

「……ずいぶん、立派になったわね」

 

「要求は、『侵食防止』だけだったのですが」

 日下部が、少しだけ疲れた声で言い訳をする。

 

「防げたのでしょう?」

 総理が問う。

 

「はい」

 

「なら、結構」

 矢崎総理は、日下部のように細かく止めることはしなかった。

 彼女の視線は、すでに次の、世界を動かす外交の舞台へと向いていた。

 

「これなら……ツバルへ、見せられるわね」

 総理が、確信に満ちた声で本題へと入る。

 

 ◇

 

 日本政府がツバルへ提示するための、極秘の説明資料が完成した。

 タイトルは、『環礁成長ユニット』。

 ただし、その中核原理やアンノウンの関与は完全に非公開だ。

 

 実証例1として、テラ・ノヴァ側で作ったあの「五日でできた人工島」の映像は、出せない。あまりにも魔法じみていて、不信感を買うからだ。

 

 だからこそ、ツバルに見せる実証例は、この『沖ノ鳥島』のデータとなった。

 

 《施工前》

 《施工後》

 《施工期間》

 《波浪耐性》

 《侵食自己補修》

 《海面上昇追随》

 《既存生態系への影響管理》

 

 そして何より。

『日本国が、自国自身の絶対的な主権が及ぶ領域で、すでに実証済みである』という事実。

 これが、外交的にどれほど強い説得力を持つか、計り知れなかった。自国でテストしていない怪しい技術を押し付けるわけではないのだから。

 

「これで、ツバル政府へ非公式の打診を行います」

 日下部が、工藤に向けて通信で告げる。

 

「お」

 工藤が期待の声を上げる。

 

「ただし、先方が我々の提案を希望するとは限りません。主権国家の領土に手を入れる話ですからね」

 日下部が、釘を刺す。

 

「そりゃそうですね」

 工藤も、それは理解していた。勝手に他国の海を弄り回すような真似はしない。

「じゃあ、返事が来るまで、俺は大人しく軌道エレベーターの設計でもやってます」

 

「……そちらも、ほどほどに」

 日下部が、胃を押さえて言う。

 

「基礎検討ですって」

 工藤は笑って、通信を切った。

 

 ◇

 

 通信終了後。

 工藤は、イヴに向かって言った。

 

「で、ツバルの試算、どこまで行った?」

 

『要求仕様が未確定のため、複数案を準備しています』

 イヴが、空間に複数のホログラムを展開する。

 

 一つ目。現状維持型(海岸線の保全のみ)。

 二つ目。防災強化型(高潮と海面上昇への完全対応)。

 三つ目。国土拡大型(居住区と農地の増設)。

 四つ目。……巨大環礁都市型。

 

「……一番下だけ、規模おかしくない?」

 工藤が、ツバルの島々が巨大な近未来海上都市へと変貌している四つ目のホログラムを見て、目を瞬かせる。

 

『マスターの、昨夜の指示に基づく試算です』

 イヴが、冷徹に答える。

 

「俺か」

 工藤は、無自覚に風呂敷を広げていた自分を反省し、苦笑した。

 

 ◇

 

 そして、その日の夕刻。

 南太平洋に浮かぶ小さな島国、ツバルの政府官邸。

 

 担当者のもとに、日本大使館の極秘の外交ルートを経由して、一通の連絡が届いた。

 

 《日本政府より、非公式技術協議の申し入れ》

 

「日本?」

 担当者は、少し緊張した面持ちでそれを受け取った。つい先日、国連総会で129票目の賛成票を投じ、海に沈む危機を訴えたばかりの相手だ。

 

「何の話だ?」

 送られてきた資料のタイトルを見る。

 

 《気候変動適応型・島嶼保全技術に関する共同実証の提案》

 

「島嶼保全……?」

 担当者は首を傾げた。

 日本の優れた土木技術による、新しい護岸工事の支援だろうか。それとも、海面上昇に備えた埋め立て計画か。あるいは、一部の住民を避難させるためのメガフロートの提供か。

 

 担当者は、そう思いながらページを開いた。

 

 そこには、日本の最南端の島の、ビフォーアフターの写真が載っていた。

 

 施工前。

 コンクリートに囲まれた、今にも沈みそうな岩。

 

 施工後。

 白砂に囲まれ、波を穏やかに跳ね返す、明らかに「増えている」美しい陸地。

 

 担当者は、言葉を失い、画面を凝視した。

 

「…………」

 

 そして、その写真の端に記されていた小さな文字列を見て、さらに目を疑った。

 

 《主要実証期間:四日》

 

 もう一度見る。

 

「四日?」

 

 ページを戻す。

 施工前。

 施工後。

 四日。

 

 日本政府から届いたのは、単なる堤防の建設援助でも、気候難民の移住支援でもなかった。

 

「あなた方の島を、沈まない島に作り替えませんか」

 

 それは、一国の地図そのものを、根本から書き換えるという、信じがたい提案だった。




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