自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~   作:パラレル・ゲーマー

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第234話 アンノウン、案件一覧が減っていない

 二〇三一年六月。

 地球の北半球では初夏を迎え、梅雨の気配が近づきつつある季節。

 だが、地球の常識から完全に切り離された別次元、テラ・ノヴァの中央管制室には、季節の変化というものは存在しない。

 

 工藤創一は、いつものようにエルゴノミクスチェアに深く座り、朝の定例チェック(ルーチン)をこなしていた。

 テラ・ノヴァ側の各工場の稼働率。地熱発電プラント群の出力状況。各種資源の在庫量。地球側とを繋ぐゲートの安定性。地球向けに輸出される特殊金属等の輸送ログ。そして、火星の長期滞在実証拠点へ送る次回補給物資のパッキング状況。

 

 巨大なホログラムモニターに、グリーンに発光する『NORMAL(正常)』のステータスが次々と並んでいく。

 

 工藤は、コーヒーを片手に大きく伸びをした。

 

「……平和だ」

 

『現在、各システムにおいて重大障害は発生していません』

 工場管理AIのイヴが、冷徹な合成音声で肯定する。

 

「いい言葉だなぁ……」

 工藤は、心底ホッとしたように呟いた。

 元・運用保守SEである彼にとって、「何も起きていない」という状態こそが、最も美しく、最も愛すべき状態なのだ。最近、立て続けに国家レベル(あるいは地球規模)のとんでもない案件を動かしていた割には、今日は珍しくレッドアラートが一つも鳴っていない。

 

 工藤は、自分の個人管理画面を開き、一つのタスクを確認した。

 

 《環礁成長ユニット/ツバル対応》

 現在ステータス:《政府間協議中》

 

 つい数日前、ツバル政府から日本政府へと正式な要望の回答が返ってきた。

『全有人島の保全』『既存集落の維持』『文化施設・墓地の維持』『漁場保全』『住宅・農業・医療・教育・防災・港湾・航空施設の拡張』『将来の拡張余地の確保』。

 そして、『D案(広域環礁都市連結案)は将来の選択肢として保持する』という、極めて堅実かつ欲張りな内容。

 

「いい感じにまとまりましたね」

 工藤は、そのリストを見直しながら一人で頷いた。

 特に、「D案の巨大都市化へ行くかどうかは、今の世代ではなく、未来のツバル人が決める」という方針は、工藤としても非常に気に入っていた。技術の押し付けにならない、という点で。

 

「まあ、こっちとしては、後からいつでも拡張できるように、基礎の設計にスケーラビリティ(拡張性)を持たせて作っておけばいいだけだし」

 

 ツバルの現地では、これから海底地形の測量、潮流の観測、サンゴや生態系の調査、漁場の確認、住民の意見集約など、膨大な作業が待っている。

 だが、それは日本政府やツバル政府、そして通常の専門家たちが先にやる仕事だ。

 

「じゃあ、向こうのデータが来るまで、俺の作業は完全に『待ち』ですね」

『はい、工場長』

 

 工藤は満足げにキーボードを叩き、タスクのステータスを《進行中》から《外部作業待ち》へと変更した。

 

「よし。これで一件減った」

 

 工藤がそう言って、嬉しそうにコーヒーを飲んだ瞬間だった。

 

 ——ピロリン。

 

 管制室の通信コンソールが鳴り、画面に『日下部参事官』の名前が表示された。

 工藤は、少しの嫌な予感も抱かずに、明るい声で通信に出た。

 

「日下部さん、お疲れ様です! ちょうどよかったです。何か急ぎの用ですか?」

 

「お疲れ様です。工藤さん」

 通信越しの日下部の声は、相変わらず感情の起伏が少ない。

 

「ツバルの件、こっちの作業は完全に『待ち』になりましたよ!」

 工藤は、仕事が一つ片付いた(ように見える)ことを自慢げに報告した。

 

「はい。現在、日本・ツバルの合同で、現地側の基礎調査準備へと移行しています」

 日下部が事実を確認する。

 

「じゃあ、これで俺の手離れですね。一件完了!」

 

 一拍の間。

 

「……完了ではありません」

 日下部が、冷たい声で訂正した。

 

「え?」

 

「待機(ペンディング)です」

 

「…………」

 工藤の顔から、笑顔が消えた。元SEにとって、「待機」という言葉ほど、後から突然炎上して舞い戻ってくる嫌な響きを持つ言葉はない。

 

 ◇

 

「ちょうど良い機会ですので」

 日下部が、淡々と切り出した。

「現在我々が抱えている案件を、一度すべて整理しましょう」

 

「整理?」

 

「はい。今、あなたが何をどこまで動かしているのか、全体像の棚卸しです」

 

 日下部から、工藤のモニターへ一つのファイルが共有された。

 

 画面の最上部に、厳めしいフォントでタイトルが表示される。

 

 《アンノウン関連主要案件・統合進捗表》

 

「……なんか、すっごく嫌な名前のファイルですね」

 工藤が、露骨に嫌そうな顔をする。

 

「我々も嫌です」

 日下部が、即座に、そして深い疲労を込めて同調した。

「日本政府側でも、あまりに案件が増えすぎ、規模も大きくなりすぎたため、どの省庁が何を担当し、どこまで進んでいるのかを統合的に管理する必要が出ているのです」

 

 工藤は、共有されたリストに目を落とした。

 そこには、各案件ごとに《稼働中》《検証中》《外部作業待ち》《政府判断待ち》《監視運用》《保留》といったステータスが整然と並んでいた。

 

「これ、どう見ても障害管理チケットの画面と同じじゃないですか」

 工藤が、過去のブラックな職場のトラウマを呼び起こされて呻く。

 

「国家運営です」

 日下部が冷徹に返す。

 

「最近、その返し多くないですか?」

 

「あなたと我々が、国家案件ばかりを際限なく増やすからです」

 

 日下部の有無を言わさぬ一言に、工藤は黙り込むしかなかった。

 

 ◇

 

「では、一件ずつステータスを確認します」

 日下部が、リストの一番上から読み上げを始めた。

 

【案件その一:ツバル】

 《環礁成長ユニット/ツバル島嶼保全》

 状態:外部作業待ち

 

「日本・ツバル合同で基礎調査準備へ移行しています。データが揃い次第、次のフェーズに移ります」

 日下部が確認する。

 

「じゃあ、やっぱり当分俺は暇ですね」

 工藤が食い下がる。

 

「『この案件については』、です」

 日下部が、言葉の隅々まで逃げ道を塞ぐ。

 

「……その言い方、やめません?」

 

【案件その二:沖ノ鳥島】

 《環礁成長ユニット/沖ノ鳥島長期実証》

 状態:監視運用中

 

「装置は正常。形成済みの地形は安定しており、侵食補修、波浪対策、自己診断、海面上昇への追随、すべて問題なく稼働しています。ただし、追加の積極的な地形拡張は止めています」

 日下部が報告する。

 

「もっと広げなくていいんです?」

 工藤が、まだ遊び足りないように尋ねる。

 

「いいです」

「滑走路くらいなら——」

「いいです」

「港だけでも——」

「次へ行きます」

 日下部は、工藤の脱線を完璧なテンポで切り捨てた。

 

【案件その三:国連常任理事国】

 《国連憲章改正批准手続き》

 状態:進行中(順調)

 

「えっと……これ、俺の案件なんです?」

 工藤が、明らかに政治マターすぎる項目を見て慌てて問う。

 

「厳密には違います。これは外務省と官邸の仕事です」

 

「よかった」

 工藤は心底ホッとした。

 

「ただし」

 日下部が続ける。

「アンノウン技術を巡る国際外交と、極めて密接に関係していますので、リストには載せています」

 

「じゃあ表示しないでくださいよ! 心臓に悪い!」

 

 現在の状況は、国連総会での採択は済んだものの、各国の批准手続きが進行中であり、まだ必要な数には到達していない。つまり、日本は法的にはまだ正式な常任理事国ではなく、拒否権も持っていない状態だ。

 

「ソフトウェアで言えば、アップデートのダウンロードは終わったけど、まだインストール待ちで再起動できない、みたいな感じですか?」

 工藤が例える。

 

「……以前の例えよりは、少しだけ正確になりましたね」

 日下部が、微かに感心したように言う。

 

「よし、成長した」

 

「喜ぶところではありません」

 

【案件その四:火星】

 《国際火星長期滞在実証拠点一号棟》

 状態:有人長期運用中

 

 久しぶりの宇宙案件だ。

 現在、火星の『国際火星長期滞在実証拠点一号棟』には六人の飛行士が滞在している。全員健康。生命維持、人工重力、放射線遮蔽、水再生、すべて正常。食料消費もほぼ計画値通り。機材に致命的な異常はない。

 

「良かった」

 工藤は、これはかなり素直に喜んだ。人の命が懸かっている案件だ。

 

「最初は毎日トップニュースになっていましたが、最近は違います」

 日下部が、地球側の報道の空気を教える。

「『今日の点検作業』『食事』『掃除』『地質調査』『家族との通信』。……火星での生活が、ニュースではなく、単なる『彼らの生活』になり始めています」

 

「それが一番ですよ。普通に住めてるってことですし」

 工藤は、うんうんと頷いた。

 

「次回の火星補給便ですが、既定方針通り、新しい人間を増やすより、補給物資、予備部品、消耗品の補充を優先します。そちらの工場でのパッキングは?」

「すでに梱包も検品も開始してます。数日中にはゲートへ運び込めますよ」

 

「では、この件についてはルーチン作業ですね」

 

「人類初の火星への長距離補給を、『ルーチン』と言えるのは、世界中であなたくらいでしょうね」

 日下部が、皮肉っぽく言う。

 

「いやいや」

 工藤は、胸を張って答えた。

「ルーチンになった方が、システムとしては成功ですよ?」

 

 その言葉に、日下部は一瞬だけ沈黙し、そして小さく頷いた。

「……それは、確かにそうですね」

 

 歴史的な大事業が、誰にも気づかれないほどの「定常運用」に入ることこそが、本当の成功なのだ。日下部は、この男の元・運用保守SEとしての本質が、決して間違っていないことを認めた。

 

 ◇

 

【案件その五:月面基地】

 《日米月面長期滞在実証拠点》

 状態:詳細設計中

 

「まだ建てないんです?」

 工藤が、待ちきれないように問う。

 

「まだです。現在、NASAとJAXAの共同チームが、モジュール配置、着陸地点、電源、通信、生命維持、人工重力、放射線遮蔽、月塵(レゴリス)対策などの詳細設計を詰めています」

「ただ置くだけなら、すぐ——」

「まだです」

 

 今回の日下部の主な仕事は、工藤の「早く作らせてくれ」という暴走を止めることであった。

 次のマイルストーンは、無人での搬入・自動設置試験であり、有人化はその先だ。

 

「火星より全然近いんだから、月の方が簡単ですよね?」

 工藤が、距離感だけで判断して言う。

 

「あなたの技術基準では、そうでしょうね」

 

「何か問題が?」

 

「その『異常な技術基準』そのものが、最大の問題です」

 いつもの漫才のようなやり取りが交わされる。

 

【案件その六:リクレーマー】

 《戦略資源再生実証システム》

 状態:国内実証運用/海外共同実証準備

 

 海道グループのプラント船『かいどう』による、本物の深海泥を用いた海上実証は成功。現在、それまでテラ・ノヴァ資源で偽装していた供給の一部を、真の地球産深海資源へと少しずつ時間をかけて置換している最中だ。供給総量自体は、世界市場を壊さないために増やしていない。

 

「じゃあ、深海の嘘も、順調に本物になってるんですね」

 工藤が確認する。

 

「ええ。おかげさまで」

 日下部の声に、少しだけ深い安堵の響きが混じる。

「ただし、海外ラインについては、アメリカへの限定実証と、フランス経由の欧州ラインの調整が依然として難航しています。まだまだ時間がかかります」

 

「海外でも、早くゴミ処理できるといいですね」

「深海泥や国家間の戦略廃棄物を、ただの『ゴミ』で一括りにしないでください」

 

【案件その七:軌道エレベーター】

 《海道グループ/次世代軌道輸送基礎検討》

 状態:基礎検討のみ・非公開

 

 工藤の目が、パッと輝いた。

「おっ!」

 

「その反応をしないでください」

 日下部が、即座に警戒する。

 

「進みました?」

「検討資料が増えただけです」

「建てます?」

「建てません」

 

「でも、テラ・ノヴァ側から基礎工事さえ終わらせれば、三十日くらいで——」

「その話は、既に何度も聞きました。……建てません」

 日下部が、鉄の意志で拒絶する。

 

「じゃあ……資料だけ、見ても?」

「……見るだけなら、構いません」

 

 工藤は、即座に大喜びした。

「やった!」

 

「設計を確定させないでくださいよ。あくまであなたの『趣味の図面』に留めておいてください」

「趣味の図面ですよ?」

「あなたの趣味の図面は、後日そのまま国家事業に直結するから恐ろしいのです」

 

 ◇

 

【案件その八:医療】

 《完全生体互換人工臓器・人工義肢・視力回復薬》

 状態:治験・臨床運用拡大・制度設計中

 

 ここは、工藤の出番はもうほとんどない。国内患者への優先的な適用、海外患者の受け入れ枠の調整、医療福祉への展開、そして「軍事・健常者強化への利用禁止」の徹底など、完全に制度設計のフェーズに入っている。

 

「医療は俺、もう作るより、現場の運用側の方が大変じゃないですか?」

 工藤が、他人事のように言う。

 

「……ようやく、その事実に気づきましたか」

 

【案件その九:核融合】

 《十三メートル級教育・実証炉》

 状態:国際共同検証継続

 

 工藤からすれば、もうかなり昔の古い案件になりかけているが、人類側からすれば、まだ世界を根本から変えるための慎重な検証の真っ只中だ。

 

「これ、まだ検証してるんです?」

「しています」

「ちゃんと動いてますよ?」

「だからこそ、安全性を何重にも検証するんです」

 

【案件その十:グラス・アイ】

 《Glass Eye》

 状態:最高機密/運用中

 

「これは?」

 工藤が、リストの一行を指差す。

 

「詳細は、ここでは一切扱いません」

「一覧にあるのに?」

「『ある』ということを、我々が忘れないためだけの記載です」

 日下部は、絶対に公表しない、災害デモもしないという固い意志で、その項目を一瞬でスクロールして流した。

 

 ◇

 

 そして。

 リストの下の方に、一つの《保留案件》が残っていた。

 

「あれ?」

 工藤が、その項目を見つける。

 

 《地球側外宇宙・未調査座標》

 状態:保留

 

「これ、まだ残ってる」

「残っています」

 

 地球側の宇宙空間。

 SMN(ソリッドマナ・ノード)。GRN(ゲートリレー・ノード)。ARK(アーク)。

 かつて発見された、旧主要ステーションの候補座標。未だに調査されておらず、接触プロトコルも未完成のままだ。

 

「そろそろ、見に行きません?」

 工藤が、好奇心に負けて提案する。

 

「まだ行きません」

 日下部が、間髪入れずに即答する。

 

「何もしてないですよ?」

「ですから、です。……今は、開けません」

 日下部は、これ以上の風呂敷を広げることを断固として拒否した。

 

 ◇

 

 工藤は、一覧を一番上までスクロールし直した。

 

 《ツバル》

 《沖ノ鳥島》

 《国連》

 《火星》

 《月》

 《リクレーマー》

 《軌道輸送》

 《医療》

 《核融合》

 《外宇宙座標》

 

「…………」

 工藤は、そのリストをじっと見つめ、ゆっくりと口を開いた。

 

「日下部さん」

「どうしました?」

 

「案件……減ってなくないです?」

 

 日下部は、全く表情を変えずに答えた。

 

「はい」

 

「ツバル、終わったのに?」

「終わっていません」

 

「深海のやつも、成功したのに?」

「運用が始まりました」

 

「火星も、普通に住めたのに?」

「運用が始まりました」

 

「月は?」

「これからです」

 

「軌道エレベーター?」

「私が止めています」

 

「止めてるやつまで、一覧に入れるんですか!?」

 工藤が、理不尽なタスク管理に悲鳴を上げた。

 

 日下部は、画面越しに工藤を真っ直ぐに見据え、静かに言った。

 

「工藤さん。……技術というものは、完成したら終わりではないのでしょう?」

 

「…………」

 工藤は、嫌な予感しかしない言葉に沈黙した。

 

「完成した瞬間から、長い、長い『運用』が始まるのです」

 

 工藤は、両手で顔を覆った。

 元・運用保守SEの魂に、最も深く、最も鋭く刺さる言葉だった。

 

「俺……運用保守の泥沼から逃げたくて、ここに来たはずなんですけど」

 

「転職先を間違えましたね」

 日下部が、冷酷な事実を告げる。

 

「今の俺、一体何の運用保守してるんです?」

 

 日下部は少し考え、極めて真面目に答えた。

 

「地球文明、でしょうか」

 

「規模がおかしい」

 工藤が呻く。

 

「火星もあります」

 日下部が付け加える。

 

「増やさないでください!」

 工藤の叫びが、管制室に空しく響き渡った。

 

 ◇

 

「なお」

 日下部が、少しだけ声色を変えて言った。

「最も期限が近い案件が、一つ残っています」

 

「まだあるんですか?」

 工藤が、げっそりとした顔で画面を見る。

 

 リストの一番下。

 

 《フルダイブ国内民間利用》

 状態:開発中/公開期限あり

 

「ああ」

 工藤は、フルダイブのことならまだ余裕だと思った。自分の中では、システムはとっくに完成しているからだ。

 

 だが、その項目の隣に、ある文字列が表示されていた。

 

 《東京ゲームショウ2031》

 

「…………」

 工藤は、その文字を見て固まった。

 

「覚えていますか?」

 日下部が問う。

「東京ゲームショウで、国内初の一般向けフルダイブゲームを公開する計画です」

 

「もちろん覚えてますよ」

 工藤は答えた。

 

「開催時期は?」

「秋ですよね?」

 

「はい。……今、何月ですか?」

 

 工藤は、一拍置いて答えた。

「……六月?」

 

「六月です」

 

 沈黙。

 

「……近くないですか?」

 工藤が、ようやく事態の急迫性に気づいた。

 

「近いです」

 日下部が、カレンダーを画面に大写しにした。

 六月、七月、八月、九月。

 

「え、もう三か月くらいしかないじゃないですか」

「ですから、棚卸しをしているのです」

 

 工藤は、完全に季節感を喪失していた。

 テラ・ノヴァの工場は、地球の四季とは無関係に一定の環境が保たれている。それに加え、火星だの国連だのツバルだのという怒涛のイベント続きで、「今が何月か」という感覚が完全に麻痺していたのだ。

 

「こっち、ずっと同じ気候だから、地球の季節感がないんですよね」

 工藤が言い訳をする。

 

「毎日、カレンダーを見てください」

 

「見てる暇が……」

 

「その発言は、仕事のできない言い訳社員の典型例ですよ」

 日下部の容赦ないツッコミが、元社畜の胸をえぐる。

 

 ◇

 

「現在の状況を説明します」

 日下部が、フルダイブ計画の進捗を簡潔にまとめた。

 

 アンノウン機関のクラウド開発環境、SDK(ソフトウェア開発キット)、そして管理者オラクルは、認定された国内の複数企業へすでに配布済み。

 各社は現在、猛スピードでα版からβ版へと開発を進めている。

 

「各社から上がってきている開発中のコンテンツは、国産RPGの街を歩ける体験、ファンタジー世界の観光、伝統文化体験、アニメ作品世界の背景散策、非痛覚型の低刺激アドベンチャーなどです」

 

「おお、普通に面白そう」

 工藤は、ここで久しぶりに「ゲーム好きな一般人」としての反応を見せた。

 

「各社とも、かなり頑張っています。……ですが」

 日下部が、裏側の地獄のような実務を羅列する。

「同時に、政府側としては、安全審査、心拍監視、神経負荷テスト、未成年への利用制限、ログ管理、著作権調整、キャラクターとの接触制限、依存対策、緊急停止プロトコルの策定などを、すべて同時に処理しています」

 

「ゲーム作るだけじゃないんですね」

 工藤が、他人事のように感心する。

 

「あなたが、人間の脳に直接干渉するフルダイブなんてものを作ったからです」

 日下部が睨みつける。

 

「俺も、完成したらテストプレイに入っていいです?」

 工藤が、子供のように目を輝かせる。

 

「……安全審査を通過したものなら」

 日下部が、渋々許可を出す。

 

「やった!」

 

「ただし、あなたが勝手に中身のデータを改造(ハッキング)しないことを絶対条件とします」

 

「しませんよ」

 

『マスターは過去、テスト環境において仕様外の機能を無断で追加した実績があります』

 イヴが、過去のログを証拠として突きつける。

 

「イヴ!?」

 

 ◇

 

 日下部が、今後三か月間の政府の主要マイルストーンを一覧にして表示した。

 

【六月】ツバル現地調査準備。火星第一陣レビュー。次回補給便。TGS向けα版安全評価。

【七月】月面基地・無人実証設計レビュー。フルダイブβ版提出。国連批准進捗確認。

【八月】TGS最終安全審査。幕張側設備・医療・警備準備。一般体験運用訓練。海外企業出展調整。

【九月】東京ゲームショウ2031開催。

 

 工藤は、その恐ろしく過密なスケジュールを眺めた。

 

「……夏、忙しくないですか?」

 

「はい」

「俺だけ?」

「日本政府もです」

「ゲーム会社も?」

「かなり」

「NASAとJAXAも?」

「もちろんです」

「海道さんも?」

「深海で忙しいです」

 

「……みんな、忙しい」

 工藤が、ポツリと呟く。

 

「主な原因の一人が、あなたです」

 日下部が、冷たい事実を突きつける。

 

 工藤は、少し困ったような顔をした。

 だが。

 火星で人が暮らしている。

 ツバルが沈まなくなるかもしれない。

 人工臓器で患者が助かっている。

 資源問題も解決に向かっている。

 そして、ゲーム会社が、自分たちの作った新しい世界を人間に見せようとしている。

 

「まあ……忙しいですけど」

 工藤は、少しだけ笑って言った。

 

「全部、ちゃんと動いてるなら、いいか」

 

 その言葉に、日下部も一瞬だけ毒を抜き、静かに頷いた。

 

「ええ。問題がないとは到底言えませんが。……少なくとも、止まってはいません」

 

 人類は、確実に前へと進んでいる。その実感だけは、二人の中で完全に共有されていた。

 

 ◇

 

「これ、終わった案件はどこに行くんです?」

 工藤が、ふと疑問に思って尋ねた。

 

「運用監視へ移行します」

 

「…………」

 工藤が固まる。

 

「つまり、消えない?」

「基本的には」

 

「案件一覧、永遠に減らなくないです?」

 

「今頃、お気づきですか」

 日下部が、哀れむような目で工藤を見た。

 

「すっごく嫌なことに気づいた……」

 文明を便利にするたび、保守対象が爆発的に増える。工藤が逃げたかった「終わらない運用保守」が、今では惑星単位になって彼を縛り付けているのだ。

 

「では、今日の棚卸しは以上です。……先に、火星の補給物資のパッキング状況を確認してください」

 日下部が、無慈悲に次のタスクを指示する。

 

「あ」

「明日、最終確認です」

 

「……案件一覧って、便利ですね」

 工藤が、遠い目をしながら言う。

 

「でしょう?」

「嫌いですけど」

 

 通信が切断された。

 

 工藤は一人、管制室の巨大なホログラムを見上げた。

 六月。七月。八月。九月。

 そして。

 

 《TOKYO GAME SHOW 2031》

 

 去年のリヤド万博で、世界で初めてフルダイブという魔法を人類に見せた。

 だが、あれはまだ「未来技術の体験展示」だった。

 今度は違う。世界中のゲーム会社が、実際に人間が遊ぶための新しい世界を構築しているのだ。

 

「……フルダイブゲーム、か」

 工藤は、少し楽しそうに笑った。

 

「三か月後、か」

 

 画面の横で、《火星補給便:最終確認待ち》の通知が点滅している。

 

「……まず、こっちだな」

 工藤は、火星向けの物資リストの画面を開き、キーボードを叩き始めた。

 

 人類はもう、たった一つの奇跡だけを追いかける段階ではなかった。

 

 火星では人が暮らし。

 月では基地が設計され。

 海底では嘘だった資源が本物になり。

 南太平洋では、沈むはずだった国が未来の地図を描き始め。

 そしてゲーム会社では、人間が本当に入るための世界が作られている。

 

 そのすべての進捗表の、その重すぎる中心には。

 今日も、工藤創一の名前があった。

 

 だが、工藤本人にとって、現在の最大の問題は一つしかなかった。

 

 ——案件一覧が、まったく減っていないことである。

 




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