自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~ 作:パラレル・ゲーマー
二〇三一年七月中旬。
テラ・ノヴァ中央管制室。
地球や宇宙のインフラを統括する最高機密の空間で、工場長である工藤創一は、メインモニターの前に仁王立ちになり、腕を組んで深く頷いていた。
ホログラムスクリーンに映し出されているのは、火星の居住データでもなければ、月面の資源採掘ログでもない。
つい先日、全世界へ向けて同時公開されたばかりの《TOKYO GAME SHOW 2031・合同新作発表PV》のアーカイブ映像であった。
画面の中では今、全高十八メートルの白銀の巨大ロボット《鋼星機兵アルタイル》が、薄暗い地下格納庫のカタパルトから蒼いスラスター炎を噴き上げて大空へと射出されるシーンが再生されている。
「……いや、すっげえなこれ! ちゃんと十八メートルの鉄の塊が動いてる重量感があるじゃん! コックピットの全方位モニターが下から順々に点灯していく起動シーケンスも、たまらなくカッコいいし!」
工藤は完全に一人のゲーム・SF好きの目になって、画面を指さした。
そのまま手元のコンソールを操作し、シークバーを数分前へと巻き戻す。
今度はカリブの荒波を切って進む《蒼海の自由航路》の海賊船が映し出された。
「うわ、こっちの帆船もめちゃくちゃいいな! 風を受けて帆が膨らむ動きとか、波しぶきで濡れた甲板の木の質感とか、これ全部フルダイブで実際に自分の手で触って動かせるんだろ!?」
さらにシークバーを動かす。
詠唱なしで真紅の火球を放つ魔術師。白いふわふわの幻獣を抱き上げる草原。そして、未知の惑星の軌道上から大気圏へと降下していく宇宙船のブリッジ。
これで今日、同じ映像を最初から最後まで通しで見るのは四回目だった。
ひとしきり映像を見直した工藤は、ふうっと感嘆のため息をつき、しみじみと呟いた。
「……へえ。やっぱり、人間のクリエイターが本気で作ると、出来が全然違うなあ!」
それは、お世辞でも何でもない、心からの称賛だった。
フルダイブという技術基盤そのものは、アンノウン機関――すなわち工藤とイヴたちが地球側へ提供したものだ。しかし、その上に構築された十六本のゲームの世界は、工藤自身が想像していたよりも遥かに色鮮やかで、魅力とロマンに満ち溢れていた。
「なあイヴ。そういえば、各社のゲーム会社に開発キット(SDK)を渡してからって、まだ半年ちょっとしか経ってないよな?」
工藤が素朴な疑問を口にすると、隣に控えていたイヴが静かに頷いた。
『はい。各企業の着手時期には若干の差がありますが、フルダイブ対応タイトルとしての実質的な開発期間は、おおむね半年から一年未満です』
「マジかぁ……。俺も元SEだから分かるけど、普通だったらこんな超大作のゲーム、ゼロから作ったら三年とか五年とか平気でかかる規模だろ」
『技術面においては、我々が提供した共通SDKおよび統合管理AI・オラクルによる開発支援が大きく寄与しています』
イヴが淡々と説明する。
『プログラムコードの自動生成、広域マップの空間補完、流体や構造物の物理演算、NPCの行動制御、五感フィードバックの安全調整、ならびに網羅的なデバッグ作業など、従来のゲーム開発において膨大な時間と人員を要していた工程は、オラクルの演算支援によって極めて短時間で処理可能です』
「あー、なるほど。高性能なゲームエンジンが最初から用意されてるどころか、超優秀な実装プログラマーとデバッガーが秒速で仕事してくれるような状態なのか」
工藤は納得したようにポンと手を打った。だが、そこでもう一度モニターの中で躍動するキャラクターたちを見つめ、首を傾げた。
「でもさ、イヴ。いくらコードを書く速度やバグ取りが速くなったからって、それだけで勝手に『面白いゲーム』が完成するわけじゃないよな?」
『その通りです、工場長』
イヴの声に、わずかな敬意のような響きが混じった。
『どのような世界観を設計し、どのようなキャラクターを配置し、プレイヤーにどのような感情や体験を味わわせるかという根本的な企画・演出については、すべて各社の人間のクリエイターが主導しています。オラクルは要求された仕様を正確に実装することは可能ですが、「何を作れば人間が熱狂するか」「どこを直せばもっと気持ちよくなるか」という判断は、彼ら自身が長年積み重ねてきた経験と感性に大きく依存しています』
例えば、星海インタラクティブの《アルカディア・クロニクル》だ。
広場に美しい噴水を配置し、冷たい水の物理演算を走らせること自体は、オラクルを使えば数分で完了する。
だが、「開始直後のプレイヤーが思わず駆け寄って手を突っ込みたくなるような広場の見せ方」や、「焼きたてのパンを買った時に店主がどんな笑顔でどんな冗談を言えば、異世界の街に生きていると実感できるか」といった部分は、人間が実際にダイブし、何度も試行錯誤を繰り返して作り上げたものだ。
魔法ひとつとっても、空間に火球のエフェクトを出す処理は簡単だが、撃った本人が「自分の意思で本当に魔法を使った」と震えるほどの手応えを感じられる絶妙なレスポンスは、開発者たちの執念の調整によるものだった。
『技術的に現象を再現できることと、それが人間にとって魅力的な娯楽体験になることは、必ずしもイコールではありません』
「そうだよなあ……。綺麗な映像を作るだけじゃなくて、その中に入って実際に触って遊ぶ世界を作るんだから、気を使うところの次元が違うよな」
『はい。加えて今回は、一本道の映像作品ではなく、プレイヤーの自由な行動を許容するインタラクティブな空間です。テストプレイヤーが開発側の想定とまったく異なる行動を取った場合でも、世界が破綻せず、かつ遊びとして成立するよう膨大な調整が行われています』
「……ああ、最初のクローズドテストで、開始二分でエルフのお姉さんに抱きついて衛兵に連行された人とか?」
『はい。ログインから二分十四秒で市街地迷惑行為により拘束・ゲームオーバーとなった事例です。また、同じテストにおいて、徒歩三分の距離にある目的地へ到達するまでに約四十分を要した事例も記録されています』
「ははははっ! あれ、報告ログ読んだ時めちゃくちゃ笑ったわ!」
工藤は愉快そうに声を上げて笑った。
『オラクルによる実装支援を考慮しても、各社の開発陣がわずか半年余りで、実際に人間が安全かつ快適に遊べる水準までこれほど多様な世界を仕上げたことは、驚異的な成果と言えます』
イヴの評価を聞き、工藤はモニターに並ぶ十六社のタイトルロゴを見渡して、嬉しそうに目を細めた。
「いやあ、ゲーム会社の人たちってやっぱり凄いなあ。俺たちが提供したのは、言ってみれば『高性能な画材とキャンバス』だけだもんな」
『はい。道具をどのように用いるかは、使用者の創造性に委ねられます』
「まったく同じSDKを渡したのにさ、ある会社は大海原で海賊船を走らせて、ある会社は巨大ロボットのコックピットを作って、別の会社は戦わずにモフモフの生き物を撫でる島や、のんびり畑を耕す農園を作ってくるんだぞ? これだけ科学技術が進歩しても、結局『何をしたら人間が一番ワクワクするのか』を知ってるのは、ずっと人間を楽しませる仕事をしてきたプロたちなんだな」
自分の技術で世界を動かしているはずの男が、人間のクリエイターたちの発想力と情熱に、心の底から感服していた。
『彼らの知識と情熱が、技術的制約の緩和によって最大限に発揮された結果です』
「うんうん、こういうのを見ると、ほんとに技術を提供した甲斐があったって思うわ!」
そこまでしみじみと語ったところで、工藤はふと真面目な顔になり、イヴの方を向いた。
「……でさ、イヴ。重大な問題があるんだけど」
『何でしょうか、工場長』
「俺、この十六本のうち、どれから遊べばいいと思う?」
『どのような基準で選択されますか?』
「いや、全部やりたいんだけど」
『それでは選択になっていません』
「だって無理だろこれ!! 海賊船の舵も握りたいし、スパイになってレーザーも避けたいし、魔法も撃ちたいし、巨大ロボットで発進もしたいし、宇宙船の船長にもなりたいんだぞ!? 先代たちが残したどんな難解な技術仕様書より、この中から一本選ぶ方がよっぽど難しいわ!」
『工場長は先ほどから同じPVを四回連続で視聴されていますが、まだ優先順位をお決めになれないのですね』
「決まるわけないじゃん! 見れば見るほど全部やりたくなるんだから!」
『しかしながら、現在TGS向けに準備されているのは各二十分前後の体験用ビルドであり、本編をすべて遊び尽くすには相当な時間を要します』
「……いや、ちょっと待てよ」
工藤はハッとしたように自分を指さした。
「俺、このフルダイブ技術を地球に提供した張本人だよな?」
『はい、間違いありません』
「なのに、やりたいゲームが多すぎて、俺自身の遊ぶ時間が全然足りないの?」
『はい。一日の時間は工場長にも平等に二十四時間しかありません』
「……なんかそれ、すごく理不尽じゃない?」
『ゲームを企画・制作されたのは各メーカーの開発者の方々です。工場長も一人のゲームファンとして、作品の完成を順番にお待ちください』
「ぐぬぬ……正論すぎてぐうの音も出ない……!」
さらにイヴが、すっと空中に別のホログラムウィンドウを展開しかけた。
そこには《火星一号棟・定期運用監視》《月面基地・無人実証設計レビュー》《ツバル現地調査・技術協議》《テラ・ノヴァ新プラント稼働試験》といった、地球と宇宙の命運を握る超重要プロジェクトのスケジュールが並んでいる。
『なお、九月のTGS期間前後に工場長が確認すべき通常案件のリストですが――』
「あーっ、待って! 今ここで仕事のスケジュール見せるのはやめて!」
工藤は両手を振って全力で遮った。
『承知しました。非表示にします』
「頼むから、このPVを見てる間だけは、ただのゲーム好きのお兄ちゃんでいさせてくれ……!」
人類の科学技術を数世紀先へ進めている最高責任者もまた、地球上の何千万人というゲーマーたちと、まったく同じ幸せな病にかかっていたのであった。
◇
それから数週間が過ぎた、二〇三一年八月上旬の正午。
世界中のゲーマーたちがカレンダーに赤い丸をつけて待ち構えていた「その瞬間」がやってきた。
TGS2031公式サイトのトップページが更新され、特設バナーが公開されたのである。
《TOKYO GAME SHOW 2031 フルダイブ一般公開実証》
《出展タイトル区分・ならびに事前抽選試遊応募要項の公開》
公開からコンマ数秒のうちに、日本国内はもちろん、北米、欧州、アジア、中東など世界中から何百万というアクセスが公式サイトへと殺到した。
画面を開いた人々は、まずそこにずらりと並んだ「試遊可能タイトル」のリストを見て歓声を上げ――そのすぐ下の注記を読んで、最初の悲鳴を上げた。
《※今回のTGS2031において一般来場者向けのフルダイブ実機試遊を実施するのは、以下の『12タイトル』となります(八月下旬の最終安全審査の通過を条件とします)》
・《アルカディア・クロニクル》(星海インタラクティブ):街探索・または初心者戦闘&初級魔法体験
・《蒼海の自由航路》(レアウェイブ):帆船操縦・海戦・海底財宝探索
・《SILENT ORDER》(光南デジタル):高セキュリティ施設への潜入体験
・《巨獣狩猟譚》(カプノヴァ):初心者向けフィールドでの巨獣討伐体験
・《鋼星機兵アルタイル》(バンダル・ナムラ):コックピット搭乗・発進・空中戦闘体験
・《まぼろし生きもの島》(七天堂):幻獣とのふれあい・島内散策(FD-1)
・《四季の小さな農園》(マーヴェラス・フィールド):作物の収穫・調理・農園生活(FD-1)
・《ワールドクラフター》(モジョン・スタジオ):フルダイブ空間でのブロック建築体験(FD-1)
・《スターラッシュ・グランプリ》(セイガ):立体サーキットでの高速レース体験
・《SKYLINE EARTH》(メトリックソフト):旅客機および小型機の操縦・離着陸体験(FD-1)
・《極光の大地》(北辰インタラクティブ):極地の犬ぞり・オーロラ観賞(FD-1)
・《千夜の都》(サンドストーム・メディア):砂漠の幻想都市・夜間飛行観光(FD-1)
そして、その下に設けられた別枠には、こう記されていた。
《※以下の4タイトルにつきましては、現在鋭意開発中につき、今回のTGS会場では『特別開発映像およびシアター展示のみ(一般フルダイブ試遊なし)』となります》
・《影走りの年代記》(ユニソフト)
・《ネオン・レクイエム》(レッドコード・プロジェクト)
・《灰冠の継承者》(アビス・ソフトウェア)
・《INFINITE ODYSSEY》(ベスディア・ワールドワークス)
この発表が出た瞬間、特にPVの最後で宇宙船の船長になる夢を見せられていた世界中のSFファンたちが、ネット上で一斉に膝から崩れ落ちた。
『うわあああああああ宇宙船!! 俺のインフィニット・オデッセイが今回は映像出展のみだとおおおおお!?』
『おいベスディア!! PVの最後に一番デカい夢を見せておいて、今回まだ乗れないのは生殺しすぎるだろ!!』
『ダークファンタジーの灰冠も試遊なしかよ! 灰の王に初見で叩き潰されたかったのに!』
『いや待て、落ち着けお前ら。フルダイブの開発が始まってまだ半年なんだぞ? むしろ十二本も実際に人間が入って遊べる試遊版が間に合ってる方が異常事態なんだよ!』
『それはそうだけどさあ!!』
各メーカーとも、限られた期間の中で安全審査基準(FD-1およびFD-2)を満たし、二十分の試遊で最高の体験ができるビルドを必死に選別した結果だった。危険だから禁止されたわけではなく、パルクールの高所感覚やハードコアな死闘、無限の惑星探索といった要素を一般向けに安全調整するには、もう少しだけ時間が必要だったのである。
だが、ゲーマーたちを襲った本当の衝撃は、そのさらに下に書かれた「応募ルール」だった。
《【重要】試遊応募に関する規定》
《・フルダイブ試遊は、すべて『完全事前抽選制』となります(当日整理券の配布はありません)》
《・応募はお一人様一回限り。第1希望から第3希望までのタイトルと日時を選択していただきます》
《・当選は、期間中を通してお一人様につき『最大1枠(1タイトルのみ)』となります》
《・当選権利は応募者本人の生体・本人確認情報と紐づけられ、第三者への譲渡・転売は一切不可能です》
この無慈悲な一文が、世界中のゲームコミュニティを震撼させた。
『……は? 最大、一枠……?』
『ちょっと待て、十二本も試遊できる神ゲーが並んでるのに、仮に奇跡的に当選しても、一人が遊べるのは「どれか一本だけ」ってことか!?』
『魔法使いになったらロボットには乗れないし、ロボットに乗ったら海賊にはなれないし、モフモフも撫でられないってこと!?』
『当たり前だろ、幕張メッセの会場に置けるポッドの数と時間を考えろ! 一人が何本も独占したら他の人が遊べないだろ!』
『理屈は分かる!! 分かるけど、究極の選択すぎるだろこれええええ!!』
技術的にはどんな夢の世界へも入れるようになったのに、物理的なイベントの枠として「どれか一つしか選べない」。
ここから、人類史上最も贅沢で、最も苦しい「第一希望選択地獄」が始まったのだった。
◇
その日の夜。
前回の合同PV配信で「俺の人生が何個あっても足りない!」と絶叫していた日本の人気ゲーム配信者は、『【絶対当てる】TGSフルダイブ試遊・応募枠決定会議枠!』というタイトルで生配信を行っていた。
数万人の視聴者が見守る中、画面にはTGS公式サイトの応募フォームが映し出されている。
「よし、みんな聞いてくれ。俺は心を決めた」
配信者はマウスを握りしめ、断固たる口調で宣言した。
「俺の第一希望は、星海インタラクティブの《アルカディア・クロニクル》だ! やっぱりゲーマーとして、最初のフルダイブは自分の意思で魔法を撃ったり剣を振ったりする王道RPGから始めるべきだと思うんだよ!」
コメント欄が『おお、やっぱりそこか』『魔法使い志望だな』と盛り上がる中、配信者はプルダウンメニューからアルカディアを選ぼうとカーソルを動かした。
――その時、応募ページのすぐ横に埋め込まれていた、試遊タイトル紹介用のショート動画が自動再生された。
『各システム正常。アルタイル、発進どうぞ!』
『実際にあなたがコックピットへ搭乗し、全高十八メートルの鋼鉄の巨人を操縦する二十分間――!』
バンダル・ナムラの《鋼星機兵アルタイル》の宣伝映像だった。
「…………」
配信者のマウスカーソルが、画面のど真ん中でピタリと止まった。
五秒間の沈黙の後、彼が震える声で呟く。
「……いや待て。やっぱり人生で一度は、巨大ロボットのコックピットに座ってレバーを倒すべきじゃないか……?」
その瞬間、コメント欄から一斉に総ツッコミが飛んだ。
『おい、心が決まってから三秒で揺らぐなww』
『魔法使いになるんじゃなかったのかよ!』
『まあ気持ちは死ぬほど分かる、あの発進シークエンスは男なら絶対抗えない』
『いや待て、レアウェイブの海賊船も四人協力プレイで舵と大砲やるらしいぞ!』
「うわあああ海賊船の船長もやりてえええ!」
頭を抱えた配信者が、目を逸らそうとして画面を少しスクロールすると、今度は七天堂の《まぼろし生きもの島》のサムネイルが目に入った。白いふわふわの幻獣が、プレイヤーの腕の中で気持ちよさそうに目を細めている画像だ。
「……あっ、駄目だ、この白い毛玉もめちゃくちゃ抱っこしたい……! ロボットで戦った後にこの島で毛玉を撫でたい……でも一枠しか当たらない……!」
机に突っ伏して呻き声を上げる配信者に、視聴者たちは腹を抱えて爆笑した。
『お前、結局何になりたいんだよwww』
『まだ応募ボタンすら押してないのに一時間経過してて草』
『TGS2031最初の最難関ボス:第一希望選択画面』
その後、彼はさらに三十分間悶絶し続けた末に、ようやく血の涙を流しながら希望順位を入力した。
第一希望:《アルカディア・クロニクル》
第二希望:《鋼星機兵アルタイル》
第三希望:《蒼海の自由航路》
「よし……これでいく! これならどれが当たっても後悔しない!」
そう言って確認画面へ進んだ直後、彼はハッと顔を上げて画面を見つめた。
「……あれ? ちょっと待て、そうすると俺、どう転んでも白いモフモフの生き物は撫でられないし、レーシングカーにも乗れないじゃん!!」
自分で外しておいて今さら愕然とする配信者に、『第三希望までじゃ全然足りないよな』『十二本全部を第一希望にさせてくれ』と、画面の向こうの視聴者たちも同じ苦しみを分かち合っていた。まだゲームが始まってすらいないのに、世界中のゲーマーが応募画面の前で本気で頭を悩ませていた。
◇
同じ頃、都内近郊にある一般的な四人家族のリビングでも、ダイニングテーブルを囲んで深刻な家族会議が開かれていた。
テーブルの中央にはタブレットが置かれ、TGSの応募画面が開かれている。
四十代の父親、母親、高校生の息子、そして小学生の娘。家族四人で九月の幕張メッセへ遊びに行こうという話になったのだが――全員の「第一希望」が、見事なまでにバラバラだったのだ。
「いいか、お父さんは《鋼星機兵アルタイル》一択だ。巨大ロボットの操縦席に座るなんて、お父さんが子供の頃から三十年間ずっと夢見てきたことなんだからな」
父親が熱い眼差しで語ると、隣の母親がすかさず首を横に振った。
「ロボットなんて目が回りそうじゃない。私は絶対に《四季の小さな農園》にするわ。あんな綺麗なログハウスの庭で、誰にも急かされずにトマトを収穫してパイを焼いてみたいのよ」
「えーっ、せっかくフルダイブするのに農業!? 俺は絶対《蒼海の自由航路》! クラスのやつらと一緒に応募して、みんなで海賊船を動かして大砲ぶっ放すんだって!」
高校生の息子が身を乗り出し、その横で小学生の娘がぴょんぴょんと手を挙げた。
「わたしは《まぼろし生きもの島》!! あの白いふわふわの子を抱っこして、お背中にも乗るの! ねえお父さん、わたしの年齢でもできるんだよね!?」
「ああ、七天堂の島は『FD-1』っていう安全な区分だから、保護者の同意があれば小学生でも体験できるって書いてあるぞ」
父親は娘の頭を撫でながら頷き――そこでふと、現実的な問題に気づいて腕を組んだ。
「……いや、ちょっと待てよ。もし俺たち四人とも、全然違うブースの、全然違う時間帯に当選したら、当日はどうするんだ?」
「そんなの、家族全員で朝から幕張メッセに行って、当たった人の順番に交代で遊べばいいじゃん!」
息子が明るく言い、娘も「じゃあ、わたしがふわふわの子と遊んでる間、お父さんとお母さんは外で待っててね!」と無邪気に笑う。
すると、それまで黙ってお茶を飲んでいた母親が、極めて冷静な声でポツリと言った。
「……ねえ、あんたたち。さっきから全員が当選した前提でスケジュール組んでるけど、うち、まだ誰一人として当たってないわよ?」
リビングに、ピタリと静寂が落ちた。
父親と息子と娘が、顔を見合わせる。
「……まあ、まずは応募しないことには始まらないからな! よし、全員自分の好きなタイトルを第一希望にして送信だ!」
父親が気を取り直して全員分の申し込み手続き(娘の分は保護者同意確認付き)を完了させた。
「よし、これで応募完了っと。あとは来週の抽選発表を待つだけだな」
「なあ父さん、今回の倍率ってどれくらいになるんだろうな?」
高校生の息子が尋ねると、小学生の娘が指を折りながら言った。
「うんとね、十倍くらい?」
父親は、テレビのニュースで連日報道されている世界中の異常な熱狂ぶりを思い出し、少しだけ遠い目をして呟いた。
「……十倍や二十倍で、済むかなあ……」
◇
一方、また別の場所。
前回のPV放送の日、テレビの前で旅客機の映像を見つめていた六十代の元会社員の男性は、自宅の書斎で一人、ノートパソコンの画面と向き合っていた。
画面に開かれているのは、やはりTGS2031の試遊申し込みページ。
彼がカーソルを合わせているのは、メトリックソフトの《SKYLINE EARTH(スカイライン・アース)》の項目だった。
フルダイブ空間で、本物の航空機のコックピットに座り、自分の手で操縦桿とスラストレバーを操作して滑走路から大空へと飛び立つ、FD-1区分のフライトシミュレーターだ。
「……お父さん、やっぱり申し込むの?」
部屋にお茶を持ってきた妻が、後ろから優しく声をかけた。
男性は少しだけ肩を揺らし、照れくさそうに鼻の頭を掻いた。
「ああ。……ニュースを見たら、若い子たちの激しいゲームだけじゃなくて、こういう操縦体験や観光の枠もあるっていうからさ。せっかくだから、一度くらい応募してみようかと思ってな」
若い頃、パイロットを目指して勉強していたが、身体検査の視力基準で道を断たれ、それ以来四十年以上、空港の展望デッキから飛行機を眺めるだけだった人生だ。
今から本物のパイロットになれるわけではない。ただの二十分間の仮想体験だ。
それでも、あのPVで見た、雲の海を突き抜けて成層圏の青空へと機首を上げる操縦席の光景が、どうしても忘れられなかったのだ。
「いいじゃない。ずっと好きだったんだもの、やってみたら?」
妻に背中を押され、男性は静かに頷いた。
第一希望:《SKYLINE EARTH》。これだけは、一秒の迷いもなかった。
続けて第二希望には、氷河とオーロラを見に行く《極光の大地》を。第三希望には、妻と一緒に見たら綺麗だろうと思い、砂漠の幻想都市を巡る《千夜の都》を選択した。
内容を確認し、『応募する』のボタンをゆっくりとクリックする。
画面が切り替わり、《応募を受け付けました。受付番号:TGS31-08492103》という文字が表示された。
まだ当選したわけではない。ただの応募完了画面だ。
それでも男性は、その無機質な受付番号をしばらくじっと見つめ、少年のように少しだけ胸を高鳴らせていた。
「……こういうゲームイベントなんて、自分には一生縁がないと思ってたんだけどな」
「ふふ、九月が楽しみね、お父さん」
日本中で、そして世界中で、数え切れないほどの人々が、それぞれの「なってみたい自分」や「叶えたかった夢」を胸に、幕張への切符に願いを託していた。
◇
ところが、応募期間が進むにつれて、世界中のネットコミュニティはある「奇妙な現象」に気づき始めた。
通常、これほど世界的な注目を集める超大型イベントのチケット申し込みが始まれば、アクセス集中によって公式サイトのサーバーがパンクし、『503 Service Temporarily Unavailable』のエラー画面が連発するのがお約束の風景である。
しかし、今回は違った。
日本、アメリカ、ヨーロッパ、アジアから、何百万、何千万という人間が同時に応募ページへ殺到しているにもかかわらず――サイトが、ピクリとも重くならないのだ。
ページ遷移はコンマ一秒。確認画面の表示も一瞬。応募ボタンを押せば、待つこともなく即座に《受付完了》の画面が表示される。
なぜなら、今回のTGS公開実証の受付・認証バックエンドには、アンノウン機関が提供するクラウドインフラと、オラクルの負荷分散技術がそのまま使われていたからである。地球上の全人口が同時にアクセスしたところで、落ちるはずがなかった。
その「圧倒的すぎる快適さ」が、逆にゲーマーたちを恐怖のどん底へと突き落とした。
『おい誰か聞いてくれ、応募サイトが信じられないくらいサクサク動くんだけど!?』
『当たり前だろ、バックで動いてるのアンノウン機関のシステムだぞ! 落ちるわけがない!』
『普通なら「サーバー重すぎて繋がらねえ!」って文句言うところなのに、開始三秒で応募が終わった……』
『ちょっと待て、世界中の全員がエラーなしでスムーズに応募できてるってことは、どういうことになるんだ?』
『――サーバーは絶対に落ちない代わりに、俺たちの当選確率が秒単位で地の底まで落ちていくってことだよ!!』
その書き込みに、世界中の掲示板が爆笑と絶望の渦に包まれた。
先ほどの人気配信者も、応募完了画面を見つめたまま頭を抱えて叫んでいた。
「頼むから一回くらい通信エラーになってくれよ!! なんで地球の裏側のやつらまで一秒で応募完了してるんだよ!? システムが優秀すぎて、ライバルが無限に増え続けてるじゃねえか!!」
一方、今回の応募には、厳格な本人確認と生体認証の事前登録プロセスが組み込まれていた。
一人が複数のアカウントを作って応募水増しをしようとしても、システム側で即座に同一人物と判定されて重複分が弾かれる。さらに当選枠は本人のデータに完全にロックされるため、高額転売を狙ったダフ屋やボット業者が入り込む余地は最初からゼロだった。
『試しに別メアドで二口目応募しようとしたら、一瞬で「既に同一人物の応募が存在します」って弾かれたわw』
『転売ヤーが買い占めてオークションに流すのが完全に不可能な仕様なのは、ガチで神運営だな』
『つまり、不正なしの純粋な運だけで、世界中の本気のゲーマーたちと殴り合うってことか……!』
幕張にあるTGS運営事務局のモニタリングルームでは、スタッフたちがリアルタイムで跳ね上がっていく応募総数のカウンターを見つめ、引きつった笑みを浮かべていた。
《応募受付システム稼働状況:完全正常(CPU負荷率 0.02%)》
《通信遅延・エラー発生件数:0件》
《累計ユニーク応募者数:集計継続中(想定上限を大幅に超過)》
「……アンノウン機関の受付システム、本当に恐ろしいほど優秀ですね」
若い運営スタッフがモニターを見上げて呻くように言った。
「ええ。……優秀すぎて、世界中の応募を綺麗に全部吸い上げてしまうせいで、倍率が大変なことになっていますが」
◇
そして、運営側が直面していたのは、単なる数字の驚きだけではなかった。
「物理的な収容限界」という、どうしようもない現実の壁である。
運営事務局の会議室に貼り出された会場レイアウト図には、今回のTGS2031のために確保されたフルダイブ試遊設備の数字が明記されていた。
・会場内に設置されるフルダイブポッド総数:全12タイトル合計で『約480基』
・1回あたりの試遊体験時間:『約20分』
・搭乗前の本人確認、バイタルチェック、操作説明、および終了後の退出・機器消毒・入れ替え時間:『約10分』(1サイクル計30分=1時間に2回稼働)
・一般公開日の実質稼働時間:1日あたり『8時間』×『2日間』
これを単純計算すると、480基 × 毎時2回 × 8時間 × 2日間 = 最大で『15,360枠』となる。
もちろんこれは、全480基のポッドが二日間、一分の狂いもなくフル稼働し続けた場合の理論上の最大値だ。実際には予備機の確保や定期メンテナンス、体調確認のバッファを見込めば、事前に出せる当選枠は一万数千人分に限られる。
通常の展示会の試遊イベントであれば、二日間で一万五千人が体験できるというのは、極めて大規模で優秀な数字である。
だが――今回、画面の向こうから応募してきているのは、日本国内の来場者だけではない。あの合同PVを見て脳を焼かれた、世界中の何百万人、何千万人という人々だった。
「……応募開始からまだ三日目ですが、すでに予定枠の数百倍の申し込みが来ています」
集計担当者が、額の汗を拭いながら報告した。
「サーバーは一億人でも受け付けられますが、幕張メッセのホールに物理的に一億人を入れるわけにはいきませんからね……」
すると、若手スタッフの一人がおずおずと手を挙げた。
「あの……素朴な疑問なんですが、ポッド自体の製造はアンノウン機関が担当しているんですよね? あちらの生産力なら、ポッドを今の倍とか三倍とかに増やすくらい、簡単にできるんじゃないですか?」
それに答えたのは、会場設営と安全管理を統括するベテランの技術主任だった。
「機械の箱だけなら、あちらは一晩で何百台でも作れるだろうさ。だがな、フルダイブの公開実証はポッドを床に置けば終わりじゃないんだ」
主任はレイアウト図の導線を指さした。
「ポッドを一台増やすごとに、それを囲む安全区画のスペースと大容量の電源・通信ラインが必要になる。さらに、搭乗前の本人確認と体調チェックを行うスタッフ、万が一気分が悪くなった時のための医療待機要員、そして各ゲーム会社側のアテンド係員も配置しなきゃならん。既存の展示ブースもある中で、無制限にポッドを増やしたら会場の動線がパンクして将棋倒しになるぞ」
「……そっか。機械は魔法みたいに作れても、会場の広さと、案内する人間の数は魔法みたいには増やせないんですね」
「そういうことだ。今回はあくまで、厳格な安全管理の下で行う初めての一般公開実証だからな。事故なく確実に運用できる上限が、今の計画なんだよ」
主任はそう言いつつも、モニターの向こうで膨れ上がり続ける世界中の「遊びたい!」という熱量を見て、少しだけ惜しそうにため息をついた。
「……まあ、これだけ世界中から熱望されているんだ。既存のホール配置や予備スペースを見直して、安全基準を絶対に崩さない範囲で少しでも枠を増やせるなら、増やしてやりたいのが本音だがな」
◇
その頃、出展企業である星海インタラクティブの開発フロアでも、自社の《アルカディア・クロニクル》に集まった中間応募倍率のレポートを見て、黒瀬たちが目を丸くしていた。
「……黒瀬さん、見てくださいこの数字! うちのアルカディアを第一希望にしてくれてる人が、もうこんなにとんでもない数になってますよ!!」
プランナーの島村が、モニターを指さして歓声を上げた。
「ああ、ありがたい話だな。俺たちが作った街や草原に、これだけの人間が入りたいと思ってくれてるんだ」
黒瀬は嬉しそうに頷いたが、すぐに少しだけ複雑な表情になった。
「……しかし、うちのブースに割り当てられてるポッドの数だと、この応募者のうちのほんの一握りしか遊ばせてやれないのか。なんだか申し訳なくなるな」
「会場全体のインフラとスペースの割り当てがありますからね。うち一社だけでポッドを何百台も独占するわけにはいきませんよ」
芹沢が眼鏡を押し上げながら言い、三枝も頷いた。
「どこのメーカーも同じ状況ですよ。今回は市販ソフトの発売日ではなく、あくまでTGSでの先行体験実証ですから」
すると、しんみりしかけた空気を切り替えるように、島村がすっと手を挙げて言った。
「……あの、ところで黒瀬さん。業務上のすごく大事な確認があるんですけど」
「なんだ、試遊ビルドの調整か?」
「いえ! 今回の一般抽選って、出展社の開発スタッフである私たちも、プライベートで他社のブースに応募していいんでしょうか!?」
黒瀬がピシリと固まった。
横から芹沢が「あ、それ俺も規約を確認しました」と真顔で乗っかる。
「自社の担当ブースへの応募は当然不可ですが、休憩時間や非番の日に他社タイトルの抽選に応募すること自体は、規約上禁止されていません」
「やったあ!! 私、七天堂さんの《まぼろし生きもの島》に絶対応募します! あの白いふわふわの子をどうしても抱っこしたいんです!」
島村がガッツポーズを決めると、三枝が「私はレアウェイブさんの海賊船を第一希望にしますね」と微笑み、芹沢が「俺は迷わずバンダル・ナムラの《アルタイル》一択です。あのコックピットは絶対に体験しておきたい」と宣言した。
部下たちが自社の開発フロアで堂々と他社タイトルへの応募を誓い合う光景に、黒瀬は額に手を当てて天を仰いだ。
「お前らなあ……仮にもうちは出展する側のメインメーカーなんだぞ……?」
そう呆れたように言った後、黒瀬はボソリと付け加えた。
「……俺が一番やりたかったベスディアの宇宙船は、今回映像出展だけなんだよなあ。仕方ないから俺は飛行機の《SKYLINE EARTH》に応募するか……」
「「「黒瀬さんも応募するんじゃないですか!!」」」
三人のツッコミが揃い、開発フロアに明るい笑い声が響いた。
笑い終えた後、黒瀬は自分のモニターに向き直り、《アルカディア・クロニクル》のTGS試遊用ビルドの仕様書を開いた。
一枠二十分という限られた時間の中で、奇跡のような倍率を勝ち抜いてやってくるプレイヤーたちに、どうすれば最高の満足感を持ち帰ってもらえるか。
「いいか、お前ら。これだけの倍率をくぐり抜けてうちのポッドに座ってくれるお客さんだ。絶対に『来てよかった』と思わせるぞ」
黒瀬は画面上の二つのモードを指さした。
以前のクローズドテストで、佐倉健太たち三人が街の中で四十分も寄り道してしまい、一度もモンスターと戦わずに時間切れになった経験を踏まえ、今回のTGS試遊版では搭乗時に二つの開始地点を選べるように改良してあったのだ。
一つは、噴水やパン屋、猫やNPCとの会話をじっくり楽しめる『城塞都市アルカディア・街歩き&生活体験コース』。
もう一つは、最初から冒険者ギルドの訓練場と城門前からスタートし、意思入力による魔法や剣でのスライム戦をすぐに体験できる『始まりの草原・冒険&戦闘体験コース』。
「街の空気を味わいたい人も、自分の手で魔法を撃ってモンスターを倒したい人も、どっちも二十分で最高の体験ができるように最終調整を詰めるぞ。……もっとも、戦闘コースを選んだ客が、城門の前の草花やスライムゼリーを二十分間触り続けて終わっても、俺たちは笑って見守るだけだがな!」
「「「はいっ!!」」」
◇
応募締め切りが迫るにつれ、世界中のSNSでは、抽選に当たるかどうかも分からないうちから「どうすればもっとフルダイブで遊べる時間を増やせるか」という気が早すぎる議論が白熱していた。
『正直、TGSで仮に二十分遊べたとしても、絶対にもっとやりたくなるに決まってるよな』
『家庭用ポッドの一般販売はいつになるんだ!? 車一台分の値段でもローン組んで買うぞ!』
『いきなり家庭に一台が無理なら、まずは主要都市に「フルダイブ専門ゲームセンター」とか「時間貸しネットカフェ」を作ってくれ! 週末ごとに通いつめるから!』
『いっそアンノウン機関の技術でさ、フルダイブ中の体感時間を十倍に引き延ばす「思考加速」とか実装できないのか? それなら二十分の試遊で三時間以上遊べるだろ!』
『↑バカ野郎、安全基準FD-1とFD-2の説明読んだか? 脳に負荷かけるような無茶な機能は安全審査で真っ先に弾かれるわw』
『じゃあ俺の意識を五つくらいに並列分割して、海賊と魔法使いとロボットと農園を同時にプレイさせてくれ!』
『お前ら、まだ一回も当選してないうちから発想が末期の廃人すぎるだろww』
無茶苦茶な妄想が飛び交うほど、人類は「画面の向こうの世界へ入る」という体験に飢えていた。
そして、あらゆる議論は最終的に、世界中のどの言語の掲示板でも同じ一つの切実な願いへと収束していった。
『やりたいゲームが多すぎる!』
『とにかく試遊枠が少なすぎる!』
『アンノウン機関でも日本政府でも誰でもいいから、頼むから幕張の試遊機をあと十倍増やしてくれええええ!!』
そして八月上旬の深夜。
数日間にわたった一次抽選の応募受付が、ついに締め切られた。
《TGS2031 フルダイブ一般試遊・事前抽選応募受付を終了しました》
《厳正なる抽選の上、当選者へは後日通知いたします》
画面が切り替わった瞬間、世界中の何百万人というゲーマーたちが、それぞれの部屋で静かに両手を合わせた。
神棚に向かって柏手を打つ者。机の上に大好きなロボットのプラモデルを並べて祈る者。飼い猫の肉球でスマートフォンの画面をタップさせて運気を上げようとする者。
あの配信者も、配信を終えた後の暗い部屋で、自分の応募控え画面を見つめながら「……頼む。第一希望じゃなくてもいい、どれか一本でいいから俺をあの世界へ入れてくれ……!」と本気で祈りを捧げていた。
◇
同日、テラ・ノヴァ中央管制室。
地球側のインフラ監視を一通り終えた工藤創一は、手元のホログラムコンソールに転送されてきた《TGS2031 事前抽選受付・最終統計レポート》の画面を開き――コーヒーカップを持ったまま、ピタリとフリーズしていた。
もちろん、アンノウン機関が個人のプライバシー情報を覗き見することはない。そこに表示されているのは、システムが処理した純粋な「総応募アクセス件数」と「ユニーク応募者数」、そして会場の「予定試遊枠」の比較グラフだけだった。
「…………イヴ」
数秒後、工藤はカップを机に置き、画面の数字を指さして尋ねた。
「この『総応募者数』のところさ、ゼロの数が二つくらい多く表示されてない? バグ?」
『いいえ、工場長。重複を除外した上での正確な確定集計値です。システムに異常はありません』
「……マジかあ」
工藤は背もたれに深く身を預け、天井を仰いだ。
一万五千あまりの試遊枠に対して、世界中から集まった応募の数は、文字通り桁が違っていた。宝くじか何かのような天文学的な倍率が、そこには冷徹な数字として並んでいた。
だが、工藤はすぐにふっと表情を緩め、どこか嬉しそうに言った。
「いやあ……でもこれ、星海インタラクティブの人たちも、他のゲーム会社のみんなも、徹夜で頑張った甲斐があったよなあ」
『はい。特定のタイトルに偏ることなく、試遊対象の全十二タイトルに対して、供給枠を遥かに上回る極めて高い需要が記録されています』
「だよなあ。だって、あのPV見たら誰だってやりたくなるもん。俺だって、アルカディアの街に行ってパン食べたいし、自分の手で魔法撃ってみたいし、アルタイルのコックピットでレバー倒したいし、白いモフモフも撫でたいもん」
『工場長。工場長が一般抽選に応募して枠を消費する必要はありません』
「いや、それは分かってるけどさ! 以前、日下部さんたちとの取り決めで『安全審査を通過した試遊版なら、正式な手続きを踏んでテストプレイに参加していい(ただし勝手なデータ改造は絶対禁止)』って許可もらってるだろ? だから俺も、勝手に管理者権限で裏から覗くんじゃなくて、ちゃんとゲーム会社の人たちが調整し終わった完成版のビルドで、一人のプレイヤーとして遊びたいんだよ」
『クリエイターの意図した体験を尊重するという点において、非常に適切な判断です』
「……あれ、イヴさん? 今、ほんのちょっとだけ『工場長が大人しくルールを守るなんて珍しい』みたいなニュアンス入ってなかった?」
『過去の行動履歴に基づく統計的な感想です』
「ひどくない!?」
軽口を叩きながらも、工藤はもう一度、モニターに映し出された「試遊可能枠」と「落選するであろう膨大な人々の数」のグラフへと視線を戻した。
さっきまでの楽しい気分が、少しだけ真剣なエンジニアの顔へと変わる。
「……でもさ、イヴ。これ、冷静に数字を見ると、せっかくこれだけ世界中の人が楽しみにしてくれてるのに、実際に幕張で遊べる人って、全体のほんの一握りしかいないよな?」
『はい。現在の会場設営計画および運用体制における上限値ですので、応募者の大半は落選となります』
「そっかあ……。ゲーム会社の人たちが半年でこんなに凄い世界を作ってくれて、遊びたい人も世界中にこんなにいるのに、入り口の箱が足りないせいでほとんど入れないっていうのは、インフラ屋としてなんか悔しいよなあ」
家庭用の一般販売を今すぐ解禁するわけにはいかない。それは安全実証を段階的に進めるという地球側との大切な約束だ。
だが、「TGSの会場で体験できる人数」については、本当にこれが限界なのだろうか。
工藤は椅子の上で胡坐をかき、元SEとしての「問題の切り分け」を開始した。
「なあイヴ、ちょっとボトルネックを整理しようか。まず、ウチが提供してるバックエンドのサーバー処理能力や通信帯域は?」
『現在の百倍の同時接続が発生しても、余裕をもって処理可能です』
「各ゲーム会社が作ってる試遊用のゲームビルド自体は?」
『八月下旬の最終安全審査に向けて順調に仕上がっており、ソフトウェア側の複製・並列稼働に制限はありません』
「じゃあ、肝心のフルダイブポッド本体の製造能力は? 今、テラ・ノヴァの医療・精密機器プラントのラインってどれくらい空いてる?」
『現在の生産ラインの余力を充てるだけで、九月の開催までに追加で数百基から千基単位のポッドを製造・納入することは容易です』
「……ん?」
工藤の目が、キラリと光った。
しかし、イヴはすかさず先回りするように補足データを表示した。
『ただし、工場長。試遊人数を増やすにあたっての真のボトルネックは、ポッドの製造能力ではありません。幕張メッセの会場内における物理的な設置スペース、来場者の安全な入退場動線、本人確認および体調チェックを行う運営スタッフの人員、医療待機体制、ならびに各ゲームメーカー側のアテンド要員など、人間側の会場運用キャパシティにあります』
「あー、なるほど! ただ機械を大量に作って会場に送りつければいいって話じゃないのか。そりゃそうだ、置く場所と案内する人がいなきゃ動かないもんな」
昔の工藤なら「とりあえず千台作って送っておきました!」と事後報告して官邸の日下部を卒倒させていたところだが、今の彼はちゃんと現場の運用負荷を理解できるようになっていた。
「でもさ、イヴ。今の『四百八十基』っていう数字は、あくまでこの世界的な大フィーバーが起きる前に立てた、最初の控えめな会場計画だよな?」
『はい。初期の想定来場者数に基づいて算出されたレイアウトです』
「だったらさ、もしウチが『ポッド本体と電源・通信ユニット、それにオラクルを使った自動バイタルチェック補助システムなら、いくらでも追加で無償提供できますよ』って提案したら、日本政府やTGSの運営事務局が会場の空きホールや動線を再調整して、安全基準を守ったまま試遊枠を増やせる余地ってあるんじゃないか?」
イヴは一瞬だけ演算を行い、画面に幕張メッセの周辺ホール構造と動線シミュレーションを表示した。
『……試算完了。隣接する予備ホールの活用および受付確認プロセスの半自動化を日本側の運営本部と協議の上で導入すれば、安全管理基準およびスタッフの労働負荷を一切損なうことなく、試遊設備と体験枠を大幅に増強できる可能性が存在します』
「やっぱり! 検討の余地、あるじゃん!」
工藤はパッと顔を輝かせた。
モニターの向こうには、魔法使いになりたくて祈っている人がいる。巨大ロボットのコックピットに座りたくてたまらない人がいる。海賊船の舵を握りたい人も、ふわふわの生き物を抱きしめたい人も、何十年も前に諦めたパイロットの夢をもう一度見ようとしている人もいる。
そして何より、そんな人たちのために、人間のクリエイターたちが魂を込めて作り上げた十六本の作品があるのだ。
「よし、勝手に増設するんじゃなくて、まずは日本側の窓口を通してTGSの運営本部へ正式に打診してみよう!」
工藤は立ち上がり、モニターに並ぶゲームタイトルを見つめて、ニヤリと笑った。
「――なあ、イヴ。せっかく世界中の人がこんなに遊びたがってるんだからさ。試遊機、もうちょっと増やせないか相談してみようぜ!」
技術を提供しただけのつもりだった工場長が、いつの間にか世界中のゲーマーたちの「一番の味方」となって動き出した瞬間だった。
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