自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~ 作:パラレル・ゲーマー
二〇三一年八月上旬。
首相官邸地下五階、特別情報分析室。
分厚い隔壁に守られた最奥の円卓には、矢崎薫内閣総理大臣をはじめ、日本政府の中枢を担う閣僚たちが顔を揃えていた。
内閣官房参事官の日下部が、手元のセキュリティコンソールの最終確認を終え、静かに顔を上げて宣言する。
「――ジャミング、オン」
重低音とともに多重の電磁遮蔽フィールドが展開され、室内は外部のあらゆる通信網・盗聴網から完全に切り離された。壁際に控える統合管理AI・オラクルの義体が、無機質ながら凛とした声で『秘匿会議環境の確立を確認しました』と告げる。
普段この地下室でジャミングが起動する時といえば、国際秩序を揺るがす外交危機や、宇宙開発に絡む国家機密、あるいは世界の常識をひっくり返す超技術の扱いについて頭を抱える場面と相場が決まっている。
だが、今日の会議室の空気は、いつになく明るく穏やかだった。
正面の大型スクリーンに映し出されているのは、先月全世界へ同時公開された《TOKYO GAME SHOW 2031・合同新作発表PV》のダイジェスト映像と、先日締め切られたばかりの一般試遊の応募集計グラフ、そして国内外のメディアの熱狂的な反響記事だった。
画面の中で、巨大な白い帆船が大海原を駆け、鋼鉄のロボットが空へ飛び立つ映像を眺めながら、矢崎総理が嬉しそうに目を細めた。
「東京ゲームショウ、本当にすごい反響ですね。まだ開催まで一か月以上あるというのに、世界中の人々がこれほど楽しそうに話題にしてくれるなんて、なんだかこちらまで明るい気持ちになります」
総理の言葉に、経済産業大臣の御堂周作が満足げに頷いて応じた。
「ええ、まったくです。あの合同PVが公開されて以降、国内のゲーム業界はもちろん、関連するコンテンツ産業全体がかつてない活気に沸いています。惜しくも今回の抽選に外れてしまう方々や、現地に来られない海外のファンからも、『早く正式に製品化してほしい』『いくらでも待つから完成させてくれ』という熱い応援の声が絶えません」
隣に座る官房長官も、手元の資料をめくりながら微笑んだ。
「最近のテレビのニュース番組や情報番組も、政治や経済の難しい話題より『あなたならどのゲームで何になりたいか』という街頭インタビューばかり流していますからね。国民の関心事として、これほど平和で前向きな話題は久しぶりですよ」
「一番大変なのは、現場で実証運営の準備に追われているスタッフの皆さんでしょうけれど……それでも、最近は皆さん随分と生き生きしていらっしゃるようですね」
総理が視線を向けると、現場の調整を一手に引き受けている実務担当の鴻上が、少しだけ苦笑いを浮かべて肩をすくめた。
「正直に申し上げれば、業務量は凄まじいことになっております。ただ……総理のおっしゃる通り、経産省の若手も、TGS運営事務局のスタッフも、各ゲーム会社の開発陣も、みんな目の下に隈を作りながら実に楽しそうに働いているんですよ。自分たちが何ヶ月もかけて極秘に準備してきた『夢の世界』を、世界中の何千万人という人々がこれほど目を輝かせて待ってくれているのですから、作り手や運営冥利に尽きるのだと思います」
国家の威信をかけたプロジェクトでありながら、その中心にあるのは「人々を楽しませたい」「遊びたい」という純粋な熱量だ。円卓を囲む閣僚たちの表情も、自然とほころんでいた。
◇
「そういえば、諸外国の政府からは何か新しい反応は来ていますか?」
矢崎総理がふと思い出したように尋ねると、外務大臣が、少し困ったような、それでいて笑いを堪えるような絶妙な表情で手を挙げた。
「……実は総理、ここだけの話なのですが、都内にある世界各国の大使館から、外務省の窓口へ少々変わった要望が殺到しておりまして」
その言葉に、官房長官や内閣情報官がピクリと眉を動かして身構えた。
各国の大使館からの要望。またフルダイブ技術の軍事転用への懸念か、自国企業へのSDK追加提供の圧力か、あるいは神経接続の安全基準に関する政治的な横槍か。
緊張が走りかけた円卓に向かって、外務大臣は申し訳なさそうに言った。
「TGS2031のフルダイブ試遊について、『各国の大使館員向けの特別試遊枠』をこっそり設けてもらえないか、という陳情です」
会議室に、数秒間のポカンとした沈黙が落ちた。
「……大使館向けの、試遊枠、ですか?」
御堂経産大臣が、自分の耳を疑うように聞き返す。
「ええ。最初は私どもも、各国の政府代表団による『公式視察枠』の要請かと思ったのです。ところが、担当者が詳しく事情を聴取してみたところ、どうも様子が違いましてね……要するに、日本に駐在している外交官や大使館職員の皆さんご自身が、個人的にフルダイブゲームを遊びたくてたまらないようなのです」
外務大臣の報告に、閣僚たちが一斉に目を丸くした。
「なんでも、ある欧州の大使館では、参事官以下数名の職員が『どうしても全高十八メートルの巨大ロボットのコックピットに座って発進シークエンスを体験したい』と熱望しているそうでして。また別の国の大使館では、王道ファンタジーRPGで自分の手から魔法を撃ちたいという派閥と、職員四人でチームを組んで海賊船の舵と大砲を動かしたいという派閥で、昼休みのたびに大激論になっているそうです」
「な、なるほど……」
「もちろん、彼らも立場がありますから、外務省に提出してくる公式な口上書には『次世代フルダイブ娯楽産業の安全性視察および二国間文化交流の促進のため』と実に格調高い理由が書いてあるのですが……非公式な電話口では、普段は冷静沈着な一等書記官が『頼む、外交官にだって休日はあるんだ! 一般抽選に申し込んだけれど倍率が凄すぎて当たる気がしないから、一枠でいいから遊ばせてくれ!』と涙声で訴えてきまして」
「……つまり、各国のエリート外交官の皆さんも、一皮むけば世界中のゲーマーとまったく同じ『普通のゲーム好き』だったということですね」
官房長官が呆れたように言い、矢崎総理が口元に手を当ててクスクスと笑い出した。
「ふふっ、まあ、それはそうでしょうね。どれほど優秀な外交官だからといって、巨大ロボットの操縦や魔法使いになることに憧れてはいけないという国際法はありませんもの」
和やかな笑いが広がる中、それまで腕を組んで黙っていた防衛大臣の霧島大悟が、急に極めて真剣な面持ちで口を開いた。
「……外務大臣。一つ確認したいのだが」
「なんでしょう、霧島大臣」
「その、巨大ロボット《鋼星機兵アルタイル》の操縦を熱望しているという大使館員は、どこの国の人物かね?」
厳つい顔で尋ねる防衛大臣に、外務大臣が「ええと、確か数か国おりますが、特に熱心なのは米国の若手武官と、仏国の参事官だったかと……」と答える。
周囲が「防衛上の警戒対象か?」と固唾を呑んで見守る中、霧島は少しだけ視線を逸らし、ボソリと言った。
「……いや、なに。今度レセプションで顔を合わせたら、実に趣味が合いそうだと思っただけだ。私もあのコックピットの起動演出には思うところがあるのでな」
「霧島大臣までロボットに乗りたいんですか!?」
御堂のツッコミに、地下会議室がドッと大きな笑いに包まれた。普段は国家の安全保障に目を光らせている強面の防衛大臣すら、心の中ではしっかり十八メートルの巨人を操縦する夢を見ていたらしい。
「とはいえ、一般の方々がこれだけ高い倍率の中で公平な抽選を待っているのですから、大使館員だからといって個人的な娯楽のために優先枠を作るわけにはいきませんね」
総理が穏やかに話を引き取り、外務大臣も「もちろんです。公式なプレス・視察デーの見学案内と、実際にポッドに入って遊ぶ試遊枠は明確に区別し、丁重にお断りしております」と頷いた。
そんなエピソードが飛び出すほど、今回のTGS2031は世界中のあらゆる階層の人々を夢中にさせていた。
◇
場がすっかり温まったところで、日下部がスッと姿勢を正し、進行役として話題を切り替えた。
「さて、総理。その『試遊枠の凄まじい倍率』に関連しまして、実は本日の会議に先立ち、アンノウン――工藤さんから、日本政府へ一つ正式な相談と提案が寄せられております」
「あら、工藤さんから? では、ぜひお聞かせいただきましょうか」
総理に促され、円卓の少し後ろの席でニコニコと話を聞いていた工藤創一が、いつものラフな作業着姿で立ち上がった。その隣には、青い光を纏ったイヴのホログラムが静かに付き従っている。
「どうもどうも、皆さんお疲れ様です! いやー、今回のTGS、ほんとに信じられないくらいの盛り上がりですね! 俺もあの合同PV、管制室で何回も見返しちゃって、今からどのゲームを遊ぼうか迷いまくってるところなんですよ!」
無邪気に笑う工藤に、矢崎総理も「ふふ、工藤さんも皆さんと同じように楽しみにされているのですね」と優しく微笑み返す。
「もちろんです! 人間のクリエイターの人たちが半年であんなに面白い世界をいくつも作ってくれたんですから、一人のゲーマーとしてワクワクしないわけがないですよ」
工藤はそこで少し表情を引き締め、スクリーンに表示された応募者数と試遊枠のグラフを指さした。
「ただですね、集計データを見てみたら、幕張メッセの会場で実際に遊べる枠が、最大でも一万五千人分程度しかないのに対して、世界中からの応募が何百万件も来ていて、ほとんどの人が落選しちゃう計算になってたんです。せっかくゲーム会社の人たちが徹夜で最高の体験を作ってくれて、外務大臣のお話みたいに世界中の人が遊びたがってるのに、入り口の箱が足りないせいで入れない人が多いのは、インフラを提供した側としてすごくもったいないな、と思いまして」
閣僚たちが、真面目な顔で頷きながら耳を傾ける。
「そこで提案なんですが――うちの製造ラインを使って、フルダイブポッド本体や大容量の電源・通信ユニットを無償で追加提供しますので、今回のTGSの試遊枠をもうちょっと増やせないでしょうか? もちろん、会場の安全基準(FD-1・FD-2)は絶対に守る前提で、受付の本人確認やバイタルチェックの補助システムもオラクルでサポートします。勝手に機材を送りつけたりせず、まずは政府の皆さんや運営本部と相談して、無理のない範囲で増設できないかなと思いまして!」
工藤がハキハキと説明を終えると、円卓の閣僚たちは少し驚いたように顔を見合わせた。
経産大臣の御堂も、現場担当の鴻上も、感心したように目を丸くしている。
そして誰より深く、感動したように大きく頷いたのは、日下部だった。
「……なるほど。工藤さん、今回は極めて現実的かつ建設的なご提案ですね。しかも、ご自身で勝手にポッドを何千台も製造して幕張に送りつけるようなことをせず、まず先にこうして日本政府の会議へ『事前相談』をしてくださったこと、実務預かりとして心より感謝申し上げます」
日下部の声には、これまでの苦労が報われたかのような本気の感激が滲んでいた。
「いやあ、俺だって学習しますよ日下部さん!」
工藤はえへへと後頭部を掻いて胸を張った。
「いつも日下部さんに『事後報告はやめてください』『現場の運用キャパシティを考えてください』って怒られてましたからね! 最近は俺も、何かやる前にはちゃんとホウレンソウ(報告・連絡・相談)をするように心がけてるんです!」
その言葉に、御堂や官房長官までが、まるでやんちゃだった親戚の子供が立派な社会人になったのを見るかのような、しみじみとした温かい眼差しを向けた。
何しろ、これまで「火星にホテルを建てようとした」「頼んでいない超技術をいきなり実用化して世界を震撼させた」と、規格外の事後報告で日本政府の胃袋をボロボロにしてきた男である。その工藤が、相手の運用負荷を気遣い、既存のルールを守った上で、事前に計画の相談を持ちかけてきたのだ。
「……正直に申し上げて、本当に安心いたしました」
日下部は胸を撫で下ろし、穏やかな笑みを浮かべて言った。
「ここ最近、私どもの省庁の官僚たちの間でも、『工藤さんが以前より随分と落ち着いて、常識的な手順を踏んでくださるようになった』と感動の話題になっていたところなんですよ」
「えっ、マジですか!? いやあ、そこまで言われると照れるなあ!」
工藤はデレデレと顔を綻ばせ、会議室には「これでようやく、アンノウンとの連携も安定した常識的なフェーズに入ったのだ」という安堵の空気が満ち溢れていた。
――そう、少なくともこの瞬間までは。
◇
「ただですね、工藤さん。せっかくのありがたいご提案なのですが……」
経産大臣の御堂が、申し訳なさそうに手元の幕張メッセの会場図面をスクリーンに表示させた。
「先ほど工藤さんご自身も気遣ってくださった通り、今回のボトルネックはポッドの製造数そのものではなく、『会場の物理的なスペースと運営体制』にあるのです」
御堂がレーザーポインターで展示ホールの区画を示す。
「今回のTGS2031は、フルダイブ試遊だけでなく、通常のゲーム展示やステージイベント、海外パビリオンも多数出展されます。幕張メッセの既存ホールはすでに何か月も前から隙間なく区画が埋まっておりまして、今からポッドを何百台も追加で並べるための床面積が、物理的にどこにも残っていないのですよ」
鴻上も、現場責任者として頷きながら補足した。
「安全基準を満たすためには、ポッド同士の間隔を十分に空け、緊急時の避難動線と、搭乗前後の待機スペースを広く確保しなければなりません。さらに厚生労働省とも協議しておりますが――」
視線を受けた厚生労働大臣の綾瀬真琴が、真剣な表情で引き継いだ。
「はい。今回は世界初の一般向け大規模実証ですから、万が一体調不良者が出た場合に備え、体験人数に応じた医療スタッフの待機所と救護スペースの確保を義務付けています。会場が狭いままでポッドの数だけを詰め込むことは、安全管理上どうしても許可できないのです」
「なるほど……」
日下部が、工藤に向かって優しく諭すように言った。
「そういうわけでして、機材を無償提供していただけるとしても、幕張メッセという建物の広さが決まっている以上、今すぐ試遊枠を何倍にも増やすというのは物理的に困難なのです。……もっとも、今の工藤さんであれば、こうした『会場の面積が足りない』という現実的な制約も十分にご理解いただけるとは思いますが」
日下部は、工藤が「そっかあ、場所がないなら仕方ないですね!」と素直に納得してくれるものとばかり思って、穏やかに微笑んでいた。
工藤もまた、閣僚たちの丁寧な説明を「うん、うん」と真剣に頷きながら聞いていた。
そして、説明が終わった瞬間、工藤はパッと顔を輝かせ、手を叩いて言った。
「ああ、そういうことですか! なるほどなるほど、要するに『幕張メッセの建物の広さが足りない』っていうのが一番の問題なんですね!」
「ええ、まあ、一言で言えばそうなりますね」
日下部が頷く。ちゃんと話が通じている。やはり最近の工藤さんは素晴らしい。
そう思った次の瞬間、工藤は一点の曇りもない、百パーセント善意の満面の笑みで言った。
「それなら全然大丈夫ですよ! ちょうどそれにピッタリの技術がうちにありますから、幕張メッセの中を広げちゃいましょう!」
「…………え?」
日下部の顔から、スッと笑顔が消えかけた。
円卓の閣僚たちも、一斉に瞬きをして工藤を見る。リフォームか増築工事の話だろうか、と誰もが思った。開催まであと一か月しかないのに、幕張メッセの壁を壊して増築などできるはずがない。
だが、工藤はそんな周囲の戸惑いなどつゆ知らず、隣のイヴへ気軽に声をかけた。
「イヴ、ちょっとあれの概要資料、スクリーンに出して」
『承知しました、マスター』
イヴが軽く手をかざすと、正面の大型スクリーンに、新しい技術仕様書と、一つの立体図面が投影された。
そこに描かれていたのは、何の変哲もない、一辺が三メートルほどの金属製の「立方体(キューブ)型モジュール」だった。コンテナか、少し大きめの物置小屋のように見える。
「……工藤さん、これは何の設備ですか? 移動式の試遊ルームか何かでしょうか」
御堂が首を傾げて尋ねた。
「ああ、これは『局所空間拡張モジュール』の最小ユニットですね。外側から見た物理的なサイズは、そこにある通り縦・横・高さが三メートルちょっとです。これなら幕張メッセのホールの隅っこにポンと置けますよね?」
その言葉に、科学技術担当大臣の榛名理人が、眼鏡の奥の目を光らせて身を乗り出した。
「……局所空間拡張、ですって? 外寸が三メートルで、内部の空間を広く使えるという技術ですか? 一体、内部にはどれくらいの広さを確保できるのですか、体育館一つ分とか……?」
物理学者出身の榛名が、常識的な「超技術」の範囲を予想して尋ねる。
すると工藤は、まるで「この軽自動車、荷室がちょっと狭いんですよね」とでも言うかのような、極めて申し訳なさそうなトーンで答えた。
「いやあ、これは一番小さい簡易型のやつなんで、そんなに大したことはないですよ。せいぜい、ベテルギウス五個分くらいの空間を、外寸三メートル台の箱の中に収める程度にしか使えませんけど!」
………………。
首相官邸地下五階、特別情報分析室から、すべての音が消え失せた。
空調の微かな稼働音だけが響く中、総理も、官房長官も、御堂も、霧島も、鴻上も、誰一人としてピクリとも動かない。人間の脳が、入力された日本語の単語の組み合わせを正常に処理できずに、一斉にフリーズを起こしていた。
数秒間の完全な空白の後。
榛名科学技術担当大臣が、まるで錆びついた機械のようにギギギと首を動かし、震える唇でゆっくりと尋ねた。
「…………工藤さん。……今、なんと、おっしゃいましたか……? 私の耳が確かなら、『ベテルギウス』と聞こえたのですが……」
「はい! オリオン座のベテルギウスです!」
「……あの、赤色超巨星の、ベテルギウスですか? 太陽の直径の何百倍もあって、体積にすれば太陽の数億倍、地球なら何千兆個も入る、あの恒星のベテルギウスですか……?」
「そうですそうです!」
「それが……五個分……? 外寸三メートルの箱の中に……?」
「あ、もちろん『空間の体積』の話ですよ!? 本物の燃えてる恒星を五個持ってきて箱に詰めるわけじゃないですから、熱くもないし重力も普通ですので安心してください!」
工藤は「みんな、俺が幕張メッセに本物の恒星を持ち込むと思ってビックリしちゃったんだな、紛らわしい言い方をして悪かったな!」とでも言いたげに、爽やかに笑ってフォローを入れた。
榛名が、両手で自分の頭を抱えてワナワナと震え始める。
「そういう問題じゃないんですよ工藤さん!! 太陽系のかなりの領域がすっぽり収まるほどの三次元空間を、どうやって三メートル四方の位相境界に折り畳んでいるんですか!? 一般相対性理論と量子重力理論が今この瞬間、私の頭の中で粉々に砕け散ったのですが!!」
科学者が魂の悲鳴を上げている横で、工藤はすでにTGSの会場レイアウトの話を意気揚々と続けていた。
「ですからね、この三メートルのモジュールを幕張メッセの入り口に一つ置いてゲートを繋げば、会場の広さなんて事実上無限に確保できるんですよ! 通路の幅を百メートルくらい取って、医療待機所も総合病院サイズで作って、フルダイブポッドを一万台でも十万台でもズラーッと並べれば、世界中から応募してくれた人全員を余裕で遊ばせてあげられますよ!」
御堂経産大臣が口をパクパクさせながら絶句し、鴻上が手にしていたペンを床に落とした。
霧島防衛大臣は瞬時にその技術が持つ「国家一つ、あるいは艦隊丸ごとを三メートルの箱に隠匿・輸送できる」という安全保障上の悪夢のような意味に気づいて顔面を蒼白にし、外務大臣は「そんなものが世界にバレたら大使館からの陳情どころか第三次世界大戦だ」と天を仰ぎ、内閣情報官は無言で胃薬の瓶を取り出した。
そして――先ほどまで「工藤さんが常識的になった」と涙ぐまんばかりに感動していた日下部は。
ガタンッ!!
激しい音を立てて椅子が後ろへ倒れ、日下部はスーツの胸元を鷲掴みにしたまま、床の上に膝から崩れ落ちた。
「く、日下部参事官!?」
矢崎総理が驚いて立ち上がり、綾瀬厚労大臣が「日下部さん、呼吸は!? 発作ですか!?」と駆け寄ろうとする。
日下部は床に片手をついたまま、ブルブルと震えるもう片方の手を挙げて綾瀬を制止した。
「……だ、大丈夫です、綾瀬大臣……。ただちょっと、急激なストレスで動悸とめまいが……」
そして日下部は、床から這い上がるようにしてテーブルの縁を掴み、血を吐くような絶叫を地下室に響き渡らせた。
「――やめてくださいいいいいいい!!! どうして『東京ゲームショウの試遊機をもう少し増やしたい』というだけの話で、ベテルギウス五個分の空間を折り畳む宇宙規模の超技術が飛び出してくるんですかああああああ!!!」
「ええっ!? な、なんで怒るんですか日下部さん!? だって今、皆さんで『幕張メッセの建物の面積が足りないのが問題だ』っておっしゃったじゃないですか! だったら空間を増やせば一発で解決ですよね!?」
「解決したい課題のスケールに対して、投入する技術の次元が何億光年も飛び越えているんですよ!! 蚊を一匹叩くために惑星破壊兵器を持ち出すのをやめてくださいいいい!!」
日下部の魂のツッコミが、防音壁に囲まれた地下会議室にこだました。
◇
そこからは、政府中枢メンバー全員による「全力の工藤ストップ」が始まった。
「い、いいですか工藤さん!」
御堂経産大臣が、額の汗をハンカチで拭きながら必死に説得する。
「確かにその装置を使えば、会場の面積不足は解決するどころかお釣りが来るのでしょうが……今回のTGS2031は、あくまで『フルダイブゲーム』の一般公開実証なのです! 人類がまだ見ぬ『空間拡張技術』の公開実証まで同時に始めるイベントでは断じてありません!」
「そ、そうですよ工藤さん!」
鴻上も青ざめた顔で畳みかける。
「幕張メッセの三メートルの小部屋の扉を開けたら、中に果てしない大空間が広がっていたなんてことになったら、消防法の申請も建築基準法の確認も、どこにどう書類を出せばいいか見当もつきません! そもそも入場したお客さんがゲームの凄さより会場の構造に腰を抜かしてパニックになります!」
「……加えて、安全保障上の観点からも絶対に不可だ」
霧島防衛大臣が、重々しい声で断言した。
「外寸三メートルの箱に恒星規模の空間を格納できる技術など、フルダイブどころではない、世界の軍事バランスと物流の概念を根底から覆す最高レベルの戦略機密だ。そんなものを一般のゲームイベントの会場解消のために表へ出すわけにはいかん」
「ええ、もしそんな技術の一端でも各国の情報機関に察知されたら、今度こそ大使館から『ゲームの試遊枠をくれ』などという可愛らしい要望では済まなくなります……」
外務大臣も深くため息をつく。
すると、その横で科学技術担当大臣の榛名が、まだ目をキラキラと血走らせたまま、おずおずと手を挙げた。
「……あの、イベントでの使用を見送るのは当然として、純粋な学術的関心から、後ほどその空間拡張モジュールの基礎理論の資料だけでも拝見することは――」
「榛名大臣!! 今この場でその話をこれ以上広げないでください!! 私の心臓が止まります!!」
日下部に全力で怒鳴られ、榛名は「す、すみません……」と小さく縮こまった。
全方位から必死の制止を受け、工藤はキョトンと目を瞬かせた。
「ええー……でも、せっかく世界中から応募してくれた人たちが、みんなゲームで遊べた方が絶対に嬉しいじゃないですか」
悪気は一ミリもない。自分をよく見せようという虚栄心もない。
ただ純粋に、「ゲーム会社が作った面白いゲームを、一人でも多くの人に遊ばせてあげたい。そのためには場所が足りないと言うから、手元にある便利な道具を出しただけ」なのだ。
その百パーセントの善意が、結果として国家中枢を毎回パニックに陥れるのである。
◇
全員が息を切らして肩で息をする中、それまで静かにやり取りを見守っていた矢崎総理が、ふっと柔らかな苦笑いを浮かべて口を開いた。
「――工藤さん」
総理の穏やかな声に、工藤が「はい」と向き直る。
「一人でも多くの方に、クリエイターの皆さんが作ったフルダイブの世界を体験してもらいたいという工藤さんの優しいお気持ちは、私どもも本当に嬉しく、ありがたく思っています」
「ですよね! やっぱり総理は分かってくれると思った!」
「ええ。ただですね、工藤さん……さすがに今回の東京ゲームショウの会場を広げるために『ベテルギウス五個分』の空間を使うのは、ほんの少しだけ、オーバースペックではないかしら」
総理が人差し指と親指で「ほんの少し」という仕草を作ると、横で日下部が首がもげるほど激しく頷いた。
「今回は、ゲーム会社の皆さんが半年かけて一生懸命作った『ゲームの世界』が主役のイベントです。もし会場の建物そのものが人類の科学を超える魔法の空間になってしまったら、世界中のニュースも来場者の注目も、ゲームではなく『幕張メッセの謎の空間』に全部奪われてしまうでしょう? それでは、ゲームを作った開発者の皆さんが少し可哀想ではありませんか」
「…………あっ」
総理のその言葉に、工藤はハッとしたように目を見開いた。
そして数秒間考えた後、ポンと手を打って深く頷いた。
「……確かに!! 言われてみればその通りですね! 今回の主役は俺たちの技術じゃなくて、ゲーム会社のみんなが作った作品ですもんね。会場の方で目立っちゃったら、クリエイターの人たちに申し訳ない!」
あれほど閣僚たちが法律や安全保障を持ち出してもピンと来ていなかった男が、「ゲーム会社の人が可哀想」という一点だけで、あっさりと、そして完全に納得したのだった。
「じゃあ、空間拡張を使うのはやめておきます! 総理、危ないところを止めてくれてありがとうございます!」
総理はにこやかに頷くと、そのまま円卓の閣僚たちを見渡して、極めて現実的な解決策を提示した。
「ですが、工藤さんがおっしゃる『せっかくの応募に少しでも多く応えたい』というご提案自体は、私たちも全く同感です。幕張メッセの本会場の面積が限界なら、無理に一か所へ詰め込むのではなく、今回の公開実証の『サテライト会場(第2・第3試遊会場)』として、東京都内の既存の大型展示施設をいくつか追加で借り上げることはできないかしら?」
その提案に、御堂経産大臣と鴻上の顔がパッと明るくなった。
「なるほど! 幕張メッセを増築するのではなく、都内の既存ホールへ試遊ポッドを分散設置するわけですね!」
「ええ。例えば有明の東京ビッグサイトや、都内の大型コンベンションホールなど、九月の該当期間に空きがある施設や、行政枠で調整可能なホールを今から緊急でリストアップしましょう。そこに工藤さんから追加提供していただくポッドと電源ユニットを設置し、医療スタッフや案内要員も都内会場へ分散配置するのです」
「それなら既存の建築物ですから、消防法も動線管理も通常のイベント基準でクリアできます!」
鴻上が力強く頷き、官房長官も「都内施設の緊急確保と自治体・関係機関との調整は、官房の方で最優先で引き受けましょう」と即答した。
綾瀬厚労大臣も「都内の大型施設であれば、近隣の大学病院や救護班との連携も幕張以上に組みやすくなります。安全管理体制の増強案をすぐに作成します」と続く。
「なお、追加会場で増やせた分の試遊枠については、新規で募集をやり直すのではなく、すでに一次抽選に応募してくださった方々の落選枠から繰り上げ当選させる形にすれば、公平性も保たれますね」
御堂の言葉に、全員が異議なく頷いた。
超技術で物理法則をねじ曲げるのではなく、人間の知恵と行政の調整力、そしてアンノウン機関の機材製造力を組み合わせることで、「安全かつ現実的に試遊枠を大幅に増やす」という方針が、わずか数分のうちに決定されたのである。
◇
「おおーっ、さすが日本政府の皆さん! 話が早いですね!」
工藤は感心したように拍手をし、ニコニコと頷いた。
「分かりました! じゃあ今回は、その都内のサテライト会場へ分散する方向でいきましょう! 確保できたホールの広さに合わせて、追加のフルダイブポッドと周辺機器はうちで責任を持って開催日までに製造・納入しますから!」
「ありがとうございます、工藤さん。これなら世界中のゲームファンの方々にも、当初の計画よりずっと多くの当選通知をお送りできます」
御堂が頭を下げ、鴻上もホッと胸を撫で下ろした。
そして工藤は、スッキリした顔でこう付け加えた。
「よし、じゃあ『ベテルギウス五個分の空間拡張モジュール』の方は、今回はまだ使わないということで片付けておきますね!」
ピタリ、と。
胸を撫で下ろしかけていた日下部と、官房長官と、霧島の動きが同時に止まった。
矢崎総理が、笑顔を保ったまま、ゆっくりと首を傾げて聞き返す。
「……あの、工藤さん。今、『今回はまだ』とおっしゃいました?」
「え? はい!」
工藤は、実に楽しそうに未来の構想を語った。
「だって今回のTGSの実証がうまくいって、将来、日本中や世界中の街に『常設のフルダイブ専門ゲームセンター』を作るってなった時には、駅の近くの三メートルの雑居ビルの中にポッドを何万台も置けた方が、土地代もかからなくてめちゃくちゃ便利そうじゃないですか!」
「…………」
日下部の顔から、再びすべての感情が消え去り、遠い宇宙を見つめるような虚無の表情になった。
総理は一瞬だけ目を泳がせた後、プロフェッショナルな笑顔で「ええと……その件につきましては、またずっと先の、別の機会にゆっくりお話し合いましょうね」と華麗に先送りした。
「はい! その時はまたちゃんと事前に相談しますね!」
元気に返事をした工藤は、自分の役割を完璧に果たしたという達成感に満ちた顔で、椅子に座り直した日下部の方を向いた。
「――どうです、日下部さん! 今回は俺、勝手に機材を作って送りつけたりしなかったし、空間拡張も使う前にちゃんと皆さんに相談して、駄目だって言われたら素直に引っ込めましたよ!」
「…………ええ、そうですね」
「やっぱり最近の俺、自分でも思うんですけど、だいぶ常識的でまともなビジネスマンになってきましたよね?」
誇らしげに胸を張る工藤を見上げ、日下部は数秒間、深く、深く息を吸い込んだ。
そして、静かな声で語り始めた。
「……工藤さん」
「はい?」
「先ほども申し上げましたが、最近のあなたが、私どもに無断で超技術をばら撒くのをやめ、事前にこうして相談してくださるようになったことについては……霞が関の官僚一同、本当に涙が出るほど感動していたのですよ」
「いやあ、だから照れるなって!」
「――それなのに!! どうして事前相談に持ってくるの中身が『東京ゲームショウの会場が狭いからベテルギウス五個分の空間を折り畳んで持ち込みましょう』なんですかああああああ!!!」
日下部の今日二度目の絶叫に、ついに矢崎総理までが堪えきれずに吹き出し、円卓の閣僚たちも一斉に声を上げて笑い出した。
笑いの渦の中で、工藤だけがポカンと首を傾げている。
「えっ!? でも、ちゃんと事前に相談しましたよね!? ホウレンソウ、完璧でしたよね!?」
「事前に相談するようになったという『手順の進歩』と、相談してくる『内容のスケールが狂っていること』は、まったくの別問題なんですよおおおお!!」
こうして、首相官邸地下五階の定例会議は、いつも通りの賑やかな幕切れを迎えた。
日本政府はただちに都内の追加サテライト会場の確保へと動き出し、アンノウン機関は追加ポッドの増産体制に入り、世界中のゲーマーたちが待ち望むTGS2031の試遊枠は、安全な形で大きく拡大されることとなった。
ただ一人、椅子に深く沈み込んで冷めたお茶をすすりながら、日下部だけは一つの厳然たる真理を噛み締めていた。
工藤創一という男は、確かに成長していた。
勝手に物を作らなくなった。政府へ事前に相談するようになった。現場の事情や他人の意見にも、素直に耳を傾けるようになった。
だが――その頭の中にある発想のスケールだけは、相変わらず恒星五個分のままなのだった。
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