自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~   作:パラレル・ゲーマー

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第76話 偽りのオリーブと歓喜の無知

 スイス、ジュネーブ。

 レマン湖を見下ろす丘の上に建つ、国連欧州本部パレ・デ・ナシオン。

 かつて国際連盟の本部として建設され、数多の歴史的な国際条約や停戦協定が結ばれてきたこの白亜の殿堂は、今日、今世紀最大とも言える巨大な歴史の転換点を目撃しようとしていた。

 

 建物の周囲はスイス軍と各国の特殊部隊によって幾重にもバリケードが築かれ、上空には警戒用のヘリコプターが旋回している。

 ゲートの外には、世界中から押し寄せた数千人規模の報道陣が陣取り、冷たい風の中で今か今かとその瞬間を待ち構えていた。

 彼らが待っているのは、一つの戦争の終わりだ。

 数年間にわたりヨーロッパの東部を焦土に変え、世界経済に深い傷跡を残し、幾度となく核戦争の危機を世界に突きつけてきた泥沼の紛争――ロシアとウクライナによる戦争の最終的な休戦協定の調印式である。

 

 パレ・デ・ナシオンの内部、アメリカ合衆国代表団のために用意された豪奢な控室。

 ロバート・“ボブ”・ウォーレン大統領は、窓越しにレマン湖の穏やかな水面を見下ろしながら、淹れたてのコーヒーの香りを楽しんでいた。

 彼の背後では、ダグラス首席補佐官が分厚いファイルの最終ページをめくり、満足げなため息を漏らしている。

 

「……大統領。

 ロシア側から、協定の最終草案に対する完全な同意のサインが送られてきました。

 これで全ての条件が確定しました」

 

「そうか。

 あの強情な北の熊も、ついに完全に牙を抜かれたわけだ」

 

 ウォーレンは振り返り、皮肉な笑みを浮かべた。

 

「しかし驚くべき条件だな。

 何度見直しても、ロシアが自らこの条件を呑んだとは信じがたい。

 これでは休戦協定というより、事実上の無条件降伏に近いではないか」

 

「ええ、全くです」

 

 ダグラスも呆れたように首を振る。

 

「ウクライナ東部の占領地域からの段階的な撤退、というだけでも、彼らの国内保守派が激怒する内容ですが……。

 今回最大の焦点は、なんと言っても『凍結資産の取り扱い』です」

 

 ダグラスは該当箇所の文章を指で弾いた。

 

「西側諸国が経済制裁として凍結しているロシア中央銀行の外貨準備高や、オリガルヒ(新興財閥)たちの海外資産。

 その総額は、およそ3000億ドル(数十兆円)に上ります。

 我々は当初、この一部を復興支援に回すよう圧力をかけるつもりでしたが……。

 ボグダノフ大統領は、なんと自ら『全額をウクライナの復興資金として提供する』と宣言しました」

 

「異例中の異例だな。

 国家の財産を自ら敵国への賠償として丸ごと差し出すとは。

 歴史上、戦争に負けた国が賠償金を払うことはあるが、まだ継戦能力が残っている大国がここまで綺麗に白旗を揚げるのは前代未聞だ」

 

 ウォーレンはコーヒーカップを置き、深くソファーに腰を下ろした。

 

「彼らとしては、どのみち西側の銀行に凍結されていて1セントも引き出せない死に金だ。

 ならばそれを『我々の寛大な意志による復興支援』という名目で差し出すことで、国際社会への復帰の糸口にし、これ以上の経済制裁を回避したい……という腹積もりだろう。

 痛い腹を探られる前に、自ら腹をかっさばいてみせたわけだ」

 

「そして、もう一つの裏合意。

 これもまた異常です」

 

 ダグラスは声を潜めた。

 

「先日、我々がFBIとCIAの合同作戦で一斉検挙した、アメリカ国内のロシアの潜伏工作員(スリーパー)たち。

 数百名に上る彼らの身柄について、ロシア政府は公式にスパイ活動を認めて謝罪し、『全要員をロシア側で引き取る』という姿勢を示しました。

 通常であれば、『不当な拘束だ』とシラを切り、外交官追放の応酬になるのが関の山ですが……」

 

「完全に白旗を振っているな。

 ボグダノフは、我々の怒りをこれ以上買わないように必死だ」

 

 ウォーレンはニヤリと笑った。

 

 アメリカが仕掛けた「大掃除」。

 それは、日本から提供された『グラス・アイ(位相空間レーダー)』のビーコンを用いた、神の視点による狩りだった。

 ロシアの工作員たちが絶対に安全だと信じていた隠れ家で、最も無防備な瞬間に一斉に拘束されたという事実。

 それはロシアの諜報機関に、「アメリカにはすべてが見透かされている」という底知れぬパラノイア(疑心暗鬼)を植え付けた。

 ボグダノフ大統領は、情報戦における完全な敗北を悟ったのだ。

 これ以上アメリカを怒らせれば、クレムリンの地下深くでの密談すらも暴露され、ピンポイントで自分自身の命が狙われるかもしれないという恐怖。

 その恐怖が、あの冷徹な独裁者にこれほどまでの屈辱的な条件を飲ませたのである。

 

「……大統領。

 我々は、この合意に当然同意するわけですね?」

 

「ああ。

 アメリカとしても、ウクライナとしても、これ以上の好条件はない。

 ウクライナは莫大な復興資金を手に入れ、アメリカは『平和をもたらした偉大な仲介者』としての名誉と、ロシアの情報網の完全排除という実利を得る。

 拒否する理由がどこにある?」

 

 ウォーレンはネクタイを締め直し、立ち上がった。

 

「さて、歴史の表舞台に出る時間だ。

 ボグダノフの屈辱の顔を、特等席で拝んでやろう」

 

          ◇

 

 同じパレ・デ・ナシオンの別の控室。

 ロシア連邦の代表団が待機する部屋の空気は、アメリカ側のそれとは対照的に、葬儀場のように重く、暗く、そして凍りついていた。

 

 ウラジーミル・ボグダノフ大統領は姿見の前に立ち、自らの表情を整えていた。

 だが、その青い瞳の奥に渦巻く屈辱と怒りは、どんなに冷徹な仮面を被っても隠しきれるものではなかった。

 彼の手の甲には、握りしめた拳の爪が食い込んだ痕が赤く痛々しく残っている。

 

「……大統領。

 お時間です」

 

 FSB(連邦保安庁)長官のアレクセイが、まるでおびえる小動物のように小さな声で告げた。

 

「分かっている」

 

 ボグダノフは低く唸るように応じた。

 この部屋を一歩出れば、彼は「敗戦国の指導者」として世界中のカメラの前に立たなければならない。

 3000億ドルという途方もない国家資産を放棄し、さらには自国の優秀な情報将校たちを「無能な犯罪者」として引き取らなければならないのだ。

 引き取った彼らをどうするか。

 シベリアの強制収容所か、それとも闇から闇へと葬るか。

 どちらにせよ、ロシアの情報機関は今後数十年にわたって機能不全に陥るだろう。

 

「……なぜこうなった」

 

 ボグダノフは鏡の中の自分に向かって問いかけた。

 ウクライナへの侵攻を開始した時は、数日でキーウを陥落させ、ロシア帝国の栄光を再び世界に知らしめるはずだった。

 それが西側の支援による泥沼の抵抗に遭い、そして最後は……。

 

「……日本だ」

 

 彼の脳裏に、極東の島国の名が浮かんだ。

 アメリカが突然、神の如き情報収集能力を発揮し、ロシアの首根っこを正確に押さえ込んできた理由。

 それは、日本が秘密裏に開発し、アメリカに供与した「監視システム」によるものだと、ボグダノフは確信していた。

 そしてその日本は今や、「死なない兵士を作る薬」と「次世代の核エネルギー」を手に入れ、世界を裏から操る怪物へと変貌している。

 

「我々はアメリカに屈したのではない。

 日本の技術の前に膝を屈したのだ」

 

 その事実が、ボグダノフの自尊心をズタズタに引き裂いていた。

 だが、ここで意地を張って交渉を蹴れば、ロシアという国家そのものが物理的にも経済的にも消滅しかねない。

 相手は全てを見通しているのだ。

 刃向かうことは、透明なガラスの檻の中で暴れるようなものだ。

 

「行くぞ。

 ……屈辱を飲み込み、生き残る。

 それがロシアのやり方だ」

 

 ボグダノフは踵を返し、重い足取りで控室を後にした。

 その背中は、かつて世界を震え上がらせた「北の熊」の威厳を失い、見えない恐怖に怯える老いた獣のようであった。

 

          ◇

 

 大会議場は、息を呑むような静寂と、無数のカメラのレンズが放つ威圧感で満たされていた。

 正面の巨大なテーブルには、三つの国旗が掲げられている。

 アメリカの星条旗、ウクライナの青と黄の二色旗、そしてロシアの三色旗。

 

 中央に座るウォーレン大統領は、威風堂々たる態度で左右の首脳を見渡した。

 向かって右側にはウクライナの大統領。

 彼の顔には、長きにわたる戦乱の疲労と、信じられないほどの好条件で国を救うことができたという隠しきれない安堵と歓喜が浮かんでいる。

 向かって左側にはボグダノフ大統領。

 彼は石像のように表情を固くし、一点を見つめたまま微動だにしない。

 

「……本日、我々は歴史的な瞬間に立ち会っている」

 

 ウォーレン大統領の深く力強い声が、マイクを通じて世界中に配信される。

 

「長きにわたりヨーロッパと世界を分断し、多くの尊い命を奪ってきた紛争が、今ここに終結を迎えようとしている。

 我々アメリカ合衆国は、両国の間に立ち、平和のための仲介役を果たせたことを誇りに思う」

 

 ウォーレンはテーブルの上に置かれた分厚い協定書に視線を落とした。

 

「この協定には、真の平和と復興に向けた極めて重要な合意が含まれている。

 ロシア連邦は、現在西側諸国によって凍結されているおよそ3000億ドルの資産を、全額ウクライナの戦後復興資金として提供することを宣言した」

 

 その言葉が読み上げられた瞬間、記者席からどよめきが起きた。

 事前のリークで噂はあったものの、実際にロシアがそれを公式に認めたという事実は、あまりにも衝撃的だった。

 

「……では署名を」

 

 ウォーレンの促しに従い、ウクライナ大統領が震える手で万年筆を握り、協定書にサインをした。

 彼の目には、祖国が救われたという安堵の涙が浮かんでいた。

 続いて、ボグダノフ大統領に協定書が回される。

 ボグダノフはゆっくりと万年筆を手に取った。

 その動きは機械的で、魂が抜け落ちたかのようだった。

 彼は一瞬だけウォーレンを睨みつけ、そして自国の敗北を決定づけるサインを書き殴った。

 

「ここに休戦協定は成立した!」

 

 ウォーレン大統領が宣言すると同時に、会場は割れんばかりの拍手とフラッシュの嵐に包まれた。

 ウォーレンは立ち上がり、左右の首脳に手を差し伸べた。

 ウクライナ大統領は力強くその手を握り返した。

 ボグダノフ大統領は一瞬の躊躇いの後、力なくウォーレンの手に自分の手を重ねた。

 

 三人の首脳が握手を交わすその光景は、新しい平和の象徴として、世界中のテレビやインターネットを通じてリアルタイムで配信された。

 ウォーレンは無数のカメラのフラッシュを浴びながら、内心で冷ややかに笑っていた。

 

 (……世界は私を、平和をもたらした偉大な指導者として讃えるだろう。

 だが真実は違う。

 この平和を作ったのは私ではない。

 極東の島国で訳の分からないオーパーツを作り続けている一人の科学者と、その技術を盾にして我々を操る冷酷な官僚たちだ。

 ……私はただ、彼らが引いたレールの上で最も美味しい果実をかじっているに過ぎない)

 

 アメリカ大統領の栄光の裏には、日本という見えない支配者の影が色濃く落ちていた。

 

          ◇

 

 同じ頃、世界は狂喜乱舞の渦に包まれていた。

 ニューヨークのタイムズスクエア。

 巨大なビジョンに「WAR IS OVER(戦争終結)」の文字が躍ると、広場を埋め尽くした数万人の群衆が一斉に歓声を上げた。

 見ず知らずの者同士が抱き合い、空に向かって帽子を投げ、車のクラクションが祝福のリズムを奏でている。

 

「終わったぞ!

 ついに平和が来た!」

 

「物価も下がる!

 ガソリン代も安くなるぞ!」

 

 ロンドンのトラファルガー広場でも、パリのシャンゼリゼ通りでも、同じような光景が繰り広げられていた。

 そして何より、キーウの独立広場では、長きにわたる防空壕での生活から解放された市民たちが涙を流しながら青と黄の国旗を振りかざしていた。

 モスクワの赤の広場でも、戦争による動員と経済的困窮から解放されることを悟った市民たちが、警察の目を盗んで安堵の笑みを浮かべている。

 

 平和。

 人類が希求してやまない尊い状態。

 世界中の人々は、外交の勝利と指導者たちの理性がこの平和をもたらしたのだと信じて疑わなかった。

 彼らはニュースキャスターが語る「歴史的な譲歩」や「平和への決断」という美しい言葉に酔いしれていた。

 

 だが、彼らは何も知らないのだ。

 

 この平和が、善意や正義によってもたらされたものではないということを。

 極東の日本という国が次元の彼方から持ち込んだ「不老不死の薬」という欲望の劇薬と、「位相空間レーダー」というプライバシーを完全に消滅させる絶対的な監視システム。

 その二つの狂気が、大国たちの首根っこを掴み、恐怖によって無理やり戦争を終わらせたという冷酷な事実を。

 

 彼らが祝杯を挙げているこの瞬間も、彼らの日常は頭上高くから「神の眼」によって監視され、記録されている。

 密室は消滅し、権力者たちは不老不死の餌に群がる醜い獣と化している。

 本当の自由は、すでにこの世界から失われつつあるのだ。

 

 東京首相官邸地下の『特別情報分析室』。

 日下部参事官は、壁面のモニターに映し出される世界中の歓喜の映像を、冷めた緑茶を啜りながら静かに眺めていた。

 

「……平和ですね。

 素晴らしいことです」

 

 日下部がポツリと呟くと、傍らに立つ鬼塚ゲンが鼻で笑った。

 

「砂上の楼閣ですがね。

 監視と恐怖で縛り付けた平和など、いつ崩れるか分かったものではない。

 ……それに、この平和を維持するために我々はどれだけの泥を被らなければならないことか」

 

「ええ。

 ですが、血が流れるよりはマシですよ」

 

 日下部はタブレットを操作し、テラ・ノヴァの映像を小さくウィンドウの隅に表示させた。

 そこでは工藤創一が、巨大なロケットサイロの前で宇宙へ飛び立つための最終調整を胸をときめかせて行なっている姿があった。

 

「彼が工場を広げ続ける限り、我々はこの歪な平和を管理し続けなければならない。

 ……さあ、世界が喜びに浸っている間に、我々は次の『爆弾』の処理を考えましょうか」

 

 世界中が歓喜の声を上げる中、真実を知るごく少数の者たちだけが、来るべきさらなる混沌の予感に胃を痛め続けていた。

 見せかけのオリーブの枝が揺れるその陰で、鋼鉄とナノマシンの怪物は、静かに、しかし確実に世界を飲み込みつつあった。

 

第六部 偽りのオリーブと永遠の玉座編完

 




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