2211年9月21日。今日でバーナード星系 バーナードa【アリグナグ】への植民が正式に完了した。
窓の外には【惑星首都ヤブラドップ】の夜景が広がっている。グラン・テプイ・アリグナグの頂上に広がるこの都市は、今夜だけは祝賀の照明でいつもより少し派手に光っていて、なんだか落ち着かない。お祭りの夜に一人で残業しているのは、たぶん惑星中で私だけだろう。
机の上には書類の山と、冷めかけのインター・スープ。
同僚が「今夜くらい一緒に飲もう」と何度も誘ってくれたけど、断った。せっかくだから、ちゃんと記録を残したかった。この惑星のことを、誰かが文章にしておかなければいけない気がして。
スプーンを置いて、端末を開く。
私がアリグナグという名前を最初に聞いたのは、まだ大学生だった時のことだ。バーナード星系・第三惑星。卓状台地型。多様な生態系。それだけの情報で、わたしは植民者志願書を書いた。今思えば無謀で、母、父に猛反対されたけど、後悔はしていない。実際に降り立ってみたら、想像の三倍くらい
この惑星の何が変かって、まず地面がない。
正確には、地面はあるんだけど、普通の意味での「地面」 がどこなのかよくわかっていない。表面の八割近くを巨大な台地——テプイ——が覆っていて、その台地の上に人が住んでいて、台地と台地の間の深い谷底にも人が住んでいて、さらにその地下の洞窟にも人が住んでいる。
アビス・マグナ洞窟群の最深部はまだ誰も到達していないらしい。総延長数百万km。数字が大きすぎて、正直ピンとこない。
台地と谷底では、気候がまるで違う。
ヤブラドップは今夜も十五度くらいで、長袖を羽織ればちょうどいい。でも今わたしが食べているこのスープの食材が採れたルーミノ・ヴァレーは、谷底だから38度くらいある。湿度も高くて、とても正気で過ごせる環境じゃない。それなのに、あそこには六十二万人が暮らしている。人間ってどこにでも住むんだなと思う。
出汁をひとくち飲んだ。
地熱温泉水のミネラルが、舌の奥にゆっくり広がる。谷底の泉のブレンドは採取場所によって全然違うらしくて、これを今日届けてくれた同僚は「硫黄泉多めで頼んだから深みがあるはず」と言っていた。確かに、少しだけ土の香りがして、それがルーミノカップの甘みと合わさって、妙に落ち着く味がする。好きだな、これ。
地名の記録を開く。
イェンテン峡谷。全長約3200km。初代総督の名前を冠した惑星最長の峡谷で、エアシップ航路の大動脈になっている。クラウス・イェンテンという人は、谷底の人間も台地の人間も分け隔てなく扱ったことで知られていて、それがこの惑星の発展を促したと言われている。「どの台地に生まれるかで、見る星空も、吸う空気も、隣人の顔も変わる。アリグナグとはそういう星だ」という言葉を残している。最初に読んだとき、なんかじんときた。当たり前のことを言っているようで、ちゃんと覚悟を持って言っている感じがして。
テプイ・ネブラ。霧の台地。年間晴れる日が三十日未満で、霧林果の主要産地。あそこで採れるネブラ・フルーツは、惑星内で一番高い果物だ。収穫しようとすると崖から落ちるリスクがあるから、採取業者の保険料がものすごいことになっているらしい。命がけで採った果物が半透明でぷるぷるしていて、甘くて酸っぱいというのは、なんとなく報われているのかいないのかよくわからない気持ちになる。でも食べてみたい。
アビス・マグナ洞窟群。人類が植民した惑星の中で現時点で最大規模の洞窟系。最深部は地表から18km。一番大きなホール「グランド・ホール・ゼロ」は天井高が800mを超えていて、洞窟の天井からルーミノカップが無数に垂れ下がって光っているから「地下の星空」と呼ばれている。 地下の星空。わたしはまだ、そこに行ったことがない。いつか絶対に行く。これは記録じゃなくて個人的なメモだけど、残しちゃう。
スープが少し冷めてきた。でもまだ光っているから大丈夫だろう。「光が消えた鍋には手を出すな」というのが谷底の格言らしい。腐敗のサインだから、という実用的な理由なんだけど、なんか、いい言葉だと思う。光があるうちに、食べる。光があるうちに、書く。
この惑星に来て一番驚いたのは、生き物の多様さだった。
各テプイは断崖で隔絶されているから、台地ごとに独自の進化系統が存在する。隣の台地に渡るだけで、見たことのない生物に出会える。クリフ・エッジの断崖壁面に張りついた節足動物、ブラック・フロアの完全な暗闇に適応した化学合成生物、アビス・マグナの地下河川を泳ぐ透明なケーヴフィッシュ。図鑑を作ろうとしたら一生かかると言われている。毎年新種が見つかっているから、完成しないままになるのかもしれない。人口は今日時点で496万人。三年前に初めて降り立った日、わたし以外に乗っていた移住者は十二人だった。ひとりは谷底の農業試験区に向かい、ひとりはネブラ・ポストのアート・コミュニティに合流すると言っていた。あとの人たちはどこへ行ったんだろうか。今ごろヴァレー・タウンの市場で魚を売っているのかもしれないし、アビス・ステーションで洞窟の奥へ向かっているのかもしれない。
496万分の1―――多いのか少ないのかよくわからないけど、みんなどこかの台地や谷底や洞窟で今夜を過ごしているんだと思うと、なんとなく遠くて近い感じがする。
窓の外の祝賀照明が、少しずつ落ち着いてきた。スープの光もだいぶ弱くなってきたから、残りをぜんぶ飲んでしまう。グラヴトがほくほくして、ほのかに甘い。谷底の芋の甘みって、なんで台地では出せないんだろう。地熱温泉水の土壌のせいらしいけど、うまく再現できないと聞いた。そういう「そこにしかない味」がこの惑星にはたくさんある。植民完了、か。なんか、完了って言葉があんまり好きじゃないな。この星はまだ全然終わってない。洞窟はまだ底に届いていないし、テプイ・ソリタの固有種はまだ半分も記録されていないし、差圧発酵酒のレシピもまだ研究中で、グランド・ホール・ゼロへもまだ行っていない。「完了」じゃなくて「はじまり」にしてほしかった。でもまあ、そんなことを言っても書類は受理されてしまった。端末に保存ボタンを押す。ファイル名は「アリグナグ概要記録 2211.09.21」
器の光が、最後にふっと明るくなってから、静かに消えた。
惑星概要
インター・スープ
正式名称は「インテルテプイ・ブロス」、谷底住民の間では単に「ナイトスープ」とも呼ばれる。アリグナグの谷底文化を象徴する郷土料理であり、植民初期から続く歴史を持つ。台地上の都市部では高級レストランで提供される一方、谷底では各家庭が独自のレシピを持つ「おふくろの味」的な存在。
2211年9月22日
「国際地球連合―――宇宙管轄部からの発表です。「私達は隣人を発見したと……」私達は遂に知的生命体と接触を果たしたそうです。映像では、彼等がレーラ星系基地―――」
国際地球連合は、市民に宇宙人との接触を正式に公開した。