日曜日の朝、縁側にはもう一本ぶんの朝が転がっていた。
詩船さんの古いアコースティックギター。弦の袋。ニッパー。楽奈。
町内会だか仕入れだかで、詩船さんは朝から出かけていた。家の中は静かで、台所の時計だけがやけに大きく鳴っている。その静けさの真ん中で、楽奈は眉間に皺を寄せていた。
ギターの弦が一本、うまく巻けていない。
「……手伝おうか」
声をかけると、楽奈は一度だけこちらを見た。
「自分でやる」
そう言って、またペグを回す。弦が妙な角度に寄っていく。
「そのままだと外れるよ」
「外れたら、もう一回やる」
「二回やるより一回で済ませたほうがよくない?」
楽奈は少し考えてから、ギターを差し出した。
「……やって」
素直なのか面倒くさがりなのかよくわからない。
私は縁側に座ってギターを受け取った。金属の匂いが指に移る。ペグを緩めて巻き直し、弦を整えて、余った先をニッパーで切る。
「はい」
返すと、楽奈はぽろんと鳴らした。和音が落ち着いた場所に戻る。そこでやっと、表情が少し緩んだ。
「初華」
「なに」
「なんでそんなに止まるのうまいの」
不意打ちだった。
「止まる?」
「ん。迷子なのに、座り方だけ固い」
心臓が一拍遅れて跳ねた。
この子は時々、説明を全部飛ばして芯だけ触る。どうしてそう見えるのか聞いても、たぶん本人もわかっていない。
「疲れてるだけだよ」
「ふーん」
楽奈は追及しなかった。ギターを横に置いて立ち上がる。
「コンビニ」
「いま?」
「お礼」
その言い方の時は、だいたいろくでもない。
案の定、コンビニに着くと楽奈は真っ先に炭酸を二本掴み、そのあとチョコを二箱かごに入れた。レジの前で私にかごを渡す。
「お会計」
「お礼って言ったよね?」
「奢らせてあげる」
「主語どこいったの」
結局、小銭で払った。帰り道、楽奈は何事もなかった顔でストローを咥えている。透明な炭酸の泡が、昼前の光で細かく揺れた。
「それ、美味しい?」
「ん」
「ほんとに?」
「初華も飲んでる」
「流れでね」
楽奈は笑ったのかどうか微妙な顔をした。猫があくびを飲み込んだ時みたいな、少しだけ口元の崩れる顔だった。
*
夕方になると、縁側の板が西日に熱を持った。
楽奈はタオルケットもかけずに寝転がっていた。昼の勢いだけで生きている生き物みたいに、急に電池が切れる。
私は部屋から薄いタオルケットを持ってきて、その背中にかけた。楽奈は寝返りだけ打って、抵抗しなかった。
縁側の端に座って、残りの炭酸を飲む。もうぬるい。
今日だって何も解決していない。オーディションの結果は変わらないし、名前の重さもそのままだし、明日になればまた同じ顔をして起きるのかもしれない。
でも、誰にも拾われていなかったわけでもない。
河原で最初に見つけたのは燈ちゃんで、東京で居場所の形をくれたのは詩船さんで、こんなふうに何でもない日曜まで埋めてくるのは楽奈だ。
眠ったまま、楽奈が小さく言った。
「初華」
「起きてたの」
「半分」
「なに」
「先に待ってる顔、やめたほうがいい」
私は思わず振り返った。楽奈はまだ目を閉じている。
「待ってないよ」
「んー」
信じていない返事だった。
少しして、今度はもっと小さく言う。
「いなくなんないで」
目は閉じたままだった。寝言かもしれない。半分だけ起きている生き物の、本気か冗談かわからない一言。
それでも私は、すぐに返した。
「うん」
ぬるい炭酸が喉に少し引っかかった。
ここにいていい、とまでは言えない。
でも、いなくならない、なら言えた。
今度は、本当に返事だった。