初華じゃない方の初華   作:まつきた

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幕間:星を数える

 

「……バンド、だめになった」

 

 夜に届いたその一文は、短いのに長かった。

 

 私は画面を見たまま、しばらく動けなかった。

 

 大丈夫、は薄い。

 何とかなる、は雑すぎる。

 また歌える、は今の燈ちゃんに押しつけがましい。

 

 頭の中で何個か並べて、全部消した。

 

 立派な返事を作ろうとすると、いつも遅くなる。

 それで間に合わないことがあるのは、もう知っている。

 

 だから私は、別の文を打った。

 

「明日、出かけない?」

 

 送る。返事が来るまで、三十分かかった。

 

「……いいよ」

 

 句点のない返事で、それでも会う約束だけはちゃんと残った。

 

 

    *

 

 

 平日の昼のプラネタリウムは空いていた。

 

 ロビーの青い暗さの中で燈ちゃんを見つけた時、一瞬だけ人違いかと思った。痩せたわけではない。でも輪郭が薄い。自分の声を長く使っていない人の顔だった。

 

 チケットを買って、中へ入る。リクライニングシートに並んで座る。照明が落ちて、頭上に星が広がる。

 

 ここを選んだのは、暗いからだった。

 

 公園より、正面から見なくて済む。

 縁側みたいに、横に座れる。

 雨の日みたいに、少し黙っていても不自然じゃない。

 

 そういう場所のほうが、私たちは言葉を置きやすい。

 

 私は用意してきた言葉を、暗闇の中で何度も並べ直した。

 

 歌は消えない。

 また始められる。

 想いは届く。

 

 そういう、きれいに聞こえる言葉。

 

 全部、口の手前で止まった。

 

 天井で星座が回る。名前の説明が流れる。昔の人が光に名前をつけた話。物語を与えた話。

 

 名前がなくても、星は見えていたのだろうかと、ぼんやり考えた。

 

「……燈ちゃん」

 

「うん」

 

「星って、名前なくても見えるよね」

 

 自分でも変なことを言ったと思った。もっとましな導入はいくらでもあったはずなのに、出たのはそれだった。

 

 でも、燈ちゃんは笑わなかった。

 

「……うん」

 

「見えてるのに、あとから名前がつく」

 

 燈ちゃんはしばらく黙っていた。暗闇の中で、呼吸だけが少し深くなる。

 

「私……歌いたい」

 

 星がゆっくり流れる速度で、その声が落ちてきた。

 

「でも、怖い」

 

「うん」

 

「また、なくなるかもって思う」

 

「うん」

 

「今度は、私が変なことしたらどうしようって」

 

 私はすぐには返さなかった。返せなかった、のほうが近い。正しい励ましなんて持っていない。ただ、ここでまた黙るのだけは違うと思った。

 

 私は燈ちゃんの横顔を見ないまま、手すりの先の暗さを見た。

 

「歌って」

 

 短い一語だった。

 

 それしか出なかった。

 でも、それはたぶん逃げじゃなかった。

 

 上手く言えるからじゃない。

 正しいからでもない。

 ただ、私はこの子の声が消えるところを見たくなかった。

 

 燈ちゃんは暗闇の中で小さく息を飲んだ。それから、ほんの少しだけ頷く気配がした。

 

 上映が終わって外へ出ると、夕方の光が強かった。建物の外の空は、プラネタリウムの星よりずっと薄い色をしている。

 

「……星、きれいだった」

 

「うん」

 

「また、行きたい」

 

「行こう」

 

 歩き出してからも、私は自分が正解を言えたとは思わなかった。むしろ何ひとつ立派なことは言っていない。

 

 それでも、さっきまで薄かった燈ちゃんの輪郭が、少しだけ戻っている。目の奥に、石を拾う時みたいな熱が差している。

 

 それで十分だった。

 

 返事は、たぶんこういう小さい形からしか始まらない。

 切らさないでいたら、遅れて届くものまであるのかもしれないと、その時はまだ思っていなかった。

 

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