首なし皇女は笑えない   作:haku728

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第13話 皇女の思い出

忠国記念館の朝は早い。

 

午前9時の開館の2時間前には職員が出勤する。

 

その時間に合わせて 毎朝必ず現れる男がいた。

 

『皇室庁特別名誉顧問』東郷 平九郎である。

 

皇室庁の建物は皇城の敷地内にあり、記念館とは数分の距離である。

 

平九郎は出庁前に必ず記念館を訪れ皇女に挨拶を行うのが日課であった。

 

胸に多数の勲章がついたカーキ色の軍服姿で、記念館の職員が整列する中「おはよう!おはよう!」と片手を上げて挨拶しながら入場する。

 

「あの御歳でよく御継続なさる」

 

館長の田端は毎朝感心する。

 

平九郎は観覧室に入ると玉座に座る和子の前で背筋を正し、直立する。

 

そして長い白髭顔を硬直させ口を閻魔のように結び、眼をかっと見開いて万歳三唱する。

 

「和子殿下 バンザ―イ!和子殿下 バンザ―イ!和子殿下 バンザ―イ!」

 

(はぁ…平九郎ったら…もういいって…)

 

30年近くもこれをやられて和子は閉口していた。

 

 

平九郎はこの儀式が終わると必ず1階の皇女カフェに寄ってコーヒーを飲んでから出庁するのが習わしとなっていた。

 

この日、朝には珍しくタカシがカウンター席に座って寝不足の目で熱いコーヒーをすすっていた。

 

「昨晩夜勤だったのに朝も来いって信じられない…どれだけ人使いが荒いんだ…」

 

タカシのぼやきが止まらない。

 

「おう !山田男!今日は朝から早いのう!」

 

「あっ!名誉顧問!おはようございます!」

 

たかしは慌てて 挨拶をした。

 

「よいよい。まあ 座れ。」

 

そう言ってから平九郎はタカシの顔をじっと見た。

 

「な、何でしょう…」

 

「いや、なに。わしの気のせいかもしれんが、お前が来てから殿下の顔が何やらご機嫌が麗しゅうなっておいでな気がしてな」

 

「そ、そうですか…」

 

タカシは内心ドキドキした。

そして 話題の向きを変えるために質問した。

 

「あの…顧問は確か…生前の和子様のお側に仕えておられたとか」

 

平九郎はコーヒーを ずずっとすすった。

 

「左様。殿下の間近で御仕え申し上げた」

 

「あの…皇女様は、一体どのような御方だったのですか?」

 

「ふむ…聞きたいと申すか…よかろう」

 

平九郎はカフェの天井を遠い目つきで眺めながらゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

 

館内の朝の陽光が窓から差し込みカフェのカウンターを優しく照らしていた。

 

タカシは息を潜め耳を傾けた。

 

「あの時の事は今でも昨日の事のように思い出される。正和10年の夏であった。突然 先代の海皇様からお呼び出しがあってな、殿下の教育係を仰せつかったのだ」

 

タカシは思わず姿勢を正した。

「教育係ですか?」

 

「うむ。しかし わしはその時戸惑った。海軍提督を歴任して戦や兵の事はともかく、婦女子の教育は全くさっぱりでな」

 

平九郎は苦笑する。

 

「しかし 困惑するわしに陛下は笑ってこう言われた。『和子と将棋の相手をしてやってくれ』と」

 

「将棋……?」

 

「ああ。殿下は将棋を覚えて間もなくあっという間に強くなりもはや皇城では誰も相手にならないとのことじゃった。わしはその時将棋は六段の腕前で、白羽の矢が立ったのじゃろう」

 

「六段ですか!」

 

「左様。それから度々登城しては皇城の奥深くの桜の木に囲まれた離宮の中で当時8歳であらせられた殿下と盤を挟むようになった」

 

「まだ殿下は幼いですね。さすがに顧問相手では勝負にならなかったんじゃないですか」

 

「それがのう、1局も勝てなかったのじゃ」

 

「ええ!1局も!」

 

「そうじゃ。1局も。只その内容が不思議でな…」

 

「不思議?」

 

「ああ。わしは攻め好きで殿下は受け将棋。序盤は一方的に攻め込める。中盤はますます有利になりもう勝った気になる。ところが終盤何故か雲行きが怪しくなり、 最後は必ず逆転されてしまうのじゃ」

 

「逆転ですか…」

 

「一見か弱い様に見えてさにあらず。読みが深遠で実は強靭であらせられるのが殿下の将棋の本質」

 

「実は強靱……」

 

「左様。将棋以外にわしは軍学兵法、漢籍、古典などの講義もよく行った。殿下はにこにこ笑いながら聞いておられたが、どこまでの御理解があるのかはその御表情からは伺い知れなかった」

 

「そうなのですか」

 

「しかし後で分かったのじゃが殿下はわしの申したことを一言一句全て覚えておられた。ただそれを決して表に出されることは無かった。」

 

「…能ある鷹は爪を隠しておいでだったのですね」

 

「その通り じゃ!しかしある漢詩が非常にお気に召されておいででな。諳んじてよく詠唱されておられた。」

 

「漢詩ですか?」

 

「左様。屈原の『国殤』じゃ」

 

「『屈原』?『国殤』?」

 

ピンと来ていないタカシに平九郎は一喝した。

 

「この痴れ者が!古典をもっと勉強せい!記念館にもこの詩はパネル展示されておるぞ!屈原は古代中国の忠義と理想に殉じた高潔の政治家にして後の漢詩の形を作った詩人。『国殤』はその代表作じゃ!」

 

「ひえ、すいません!あの…後学の為にどのような詩か教えて頂だけませんか…」

 

「ふむ !仕方ないの!ではよく聞いておけ!」

 

そう言うと平九郎は朗々と詩を吟じた。

 

 

 

呉の戈を操り、犀の皮鎧を身にまとう。

 

戦車の車輪はぶつかり合い、短い武器が間近で交錯する。

 

軍旗は日を覆い、敵は雲のように押し寄せる。

 

矢は空中で入り乱れて落ち、兵たちは我先にと突き進む。

 

敵は我が陣を踏み破り、隊列を蹂躙する。

 

左の馬は倒れ、右では刃に傷つく。

 

二輪の戦車は泥に沈み、四頭の馬は絡め取られる。

 

玉飾りの太鼓桴を取り、鳴り響く太鼓を打ち鳴らす。

 

天の時運は尽き、神威は怒り狂い、

 

厳しい殺戮の果て、屍は野に捨てられる。

 

出陣して戻ることなく、行けば帰還はない。

 

平原は果てしなく、道ははるか遠い。

 

長剣を帯び、強弓を抱え、

 

 

首と胴が引き裂かれても、心は屈しない。

 

まことに勇敢で、しかも武に優れ、

 

最後まで剛毅で、決して侮られない。

 

身はすでに死しても、魂は霊となり、

 

その魂魄は雄々しく、鬼神の中の英雄となる。

 

 

 

 

「……!」

 

タカシは言葉を失った。

 

「国のために戦った兵の勇敢と忠義を称える詩じゃ。殿下はこの詩をこよなく愛しておられた…」

 

「はい…」

 

「そして7年後、殿下が15歳になられた時、あの国難(大洋戦争)に直面した。強国アメリアナと戦うか降伏するかで国論は真っ二つに分かれた。先の海皇陛下も大変お悩みになられた」

 

「ええ。ただ当時は家臣の方や政府の意見は降伏に傾いていたと習いました」

 

「左様。わしら軍部とは意見が対立していた。その折、普段はあまり口を出されない殿下が珍しく陛下に具申なされた。『父上 戦うべきです』と」

 

「そうなのですか!?」

 

「わしは意外に思った。殿下は常に民の平安を考えておられた方。戦火に礼和国を巻き込むお考えは無いものと思っておった。しかしわしは同時に嬉しかった。このまま大人しく降伏してもアメリアナの奴隷に成り下がるだけじゃと思っておったからじゃ」

 

「そうなんですね」

 

「結局陛下は開戦に舵を切られた。それからというもの、殿下はドレスを捨て軍服を身に纏われた。夜のご就寝時も軍服をお脱ぎにならなかった」

 

「夜寝る時もですか!」

 

「左様。また食事も、おからとさつまいもと皇城の庭で取れる野草のみを食された。贅沢を遠ざけ米すらも決して口になされなかった」

 

「そんな…」

 

タカシの目に涙が浮かんだ。

 

「そして終戦となり、ライゼンバーグの前でその御命を断たれた。あの事はわしも含めて誰も全く予期していなかった。知っていたのは加藤だけじゃったようだ」

 

「加藤義国さんですね」

 

「ああ。加藤は忠義一徹の男じゃやったからな。まあ口は割るまいが、殿下から計画を打ち明けられた時はさぞかし悩んだろうよ。でも結局は殿下に逆らえず御命令に従った。ただ…」

 

「ただ?」

 

「わしはちょっと加藤が羨ましかった。殿下が最後の道連れにわしでなく加藤を選んだことは少し妬ましかった。まあでも剣の達人である加藤でなくばあの役目は務まらなかったであろうよ」

 

「はい…」

 

そして平九郎は少し声を低く落とした。

 

「これはわしの勝手な想像じゃが、殿下は開戦を主張なされた時、あの御自身の壮絶な最後も覚悟しておられたのではないかと」

 

「……ええ!!」

 

 

 

和子は、玉座の上で黙したまま、どこか遠くを見つめていた。

 

 

 

「勝てるはずもない戦であることは殿下も十分に承知しておられた筈。ならば負けて勝ちを取ることしかないとお考えになったのではなかろうか。最後は自分が犠牲になればそれで済むと……うん?」

 

「う…うええん!」

 

タカシの顔は滂沱でびしょ濡れになっていた。

 

「おいおい。山田男!泣くな。年寄りの戯れ言じゃ。」

 

 

その時開館のアナウンスが流れた。

 

「皆様おはようございます。国立忠国皇女記念館はまもなく開館です。ご入場の方はゲートにお並びください」

 

「おっといかん。もうこんな時間か。では わしは庁に行くとしよう」

 

平九郎は慌てて立ち上がると残ったコーヒーをずっと飲み干し、「殿下の事は頼むぞ」と言って出口の方に去って行った。

 

タカシは腰を45度に折り曲げ平九郎を見送りながらその形を崩さなかった。

 

 

今日も入口には多数の来館者が列をなして会館を心待ちにして待っていた。

 

 

その上の雲ひとつない青空には大きな鷹がゆったりと舞っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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