深夜の帝都皇城。
下弦の月が半ば夜雲に覆われている。
二層瓦屋根の巨大な城門が黒いシルエットでそびえ立っている。
西側を鎮護する白虎の門である。
その門前に向かって悠然と歩みよる一人の影が有った。
「待て!止まれ!」
二人の皇城警備兵が見咎めて警棒を構え静止した。
人影はすっと立ち止まる。
夜陰の中で表情は伺い知れない。
そして彼は一言「どけ!」と鋭い声を放った。
低く陰鬱で、有無も言わさぬ響きがあった。
「な、なんだと!貴様、何者だ!」
「ここは立ち入り禁止だ!」
警備兵は男を警戒しながらじりじりと身を寄せ合う。
この時半舷の月にかかっていた雲が流れ、その姿をゆっくりと照らし出した。
男はヨレヨレのトレンチコートのポケットに両手を突っ込んだままでいる。
中には薄汚れたワイシャツのボタンが胸まで開けられ首にいくつもの数珠がかけられていた。
伸び放題の髪が手入れもなく顔の半分を覆い隠し、髪の隙間から左目だけが凄まじい眼光を放っている。
その無精髭に包まれた唇が微かな苛立ちをたたえてもう一度開いた。
「死にたくなければ…そこをどけ!」
「き、貴様!ここをどこだと思っているんだ!」
「動くな!動くんじゃないぞ!」
二人の警備兵は腰の銃を抜いて構えた。
「馬鹿が…」
男は低い声で呟くとポケットから右手をゆっくりと引き抜いて手のひらを上に向けた。
その掌に赤い光が集まり桜の花びらの形となった。
それがひらひらと二方向に分かれて飛んだ。
警備兵はその光に魅入られた様に見つめていたが、吸い寄せられるように彼らの額にピタッと張り付いた。
「あ!」
「う!」
二人はその瞬間操り人形の糸が切れたように地面に崩れ落ちた。
男は倒れた警備兵の間を何もなかったかのように 歩み抜けると巨大な木製の大扉の前に立った。
高さは5mは超えるであろうその重厚な木製の板扉の表面には黒鉄の分厚い板が貼り付けられ、多数の鋲(びょう)が散りばめられている。
そして左右の扉の中央にはそれぞれ白虎の紋章が睨み利かせていた。
男は右手をゆっくり上げて手のひらを扉の中央の合わせ目に向けた。
赤い光がその手のひらに集約されていく。
すると、扉から『ズ、ズ、ズ、ズ』と低い不気味な 摩擦音が鳴り出した。
扉の裏では人間のひとかかえ程もある太い閂(かんぬき)が一人でにずれ動いているのである。
そしてズウンと云う低い響きと共に閂が滑り終えると、分厚い門扉が『ギ、ギ、ギ、ギ』という不気味なきしみ音とともにゆっくりと左右に開いた。
男は右手をコートのポケットに戻すと城内に歩みを進めた。
正面通路の左右には瓦屋根の土塀が続き、その奥には半舷の月を背にした巨大な五層屋根の天守閣がそびえ立っていた。
この天守閣は戦時中に空襲で焼け落ちたが、前年に再建されたばかりであった。
「ふん!一度滅した過去の遺物を作り直すとはな…くだらぬ!」
男は唾を吐き捨てると今度は両手をポケットから出して天守閣に向かってかざした。
掌に先程の警備兵や門扉の時とは比較に為らぬほどの眩い光が集約されてきた。
それは赤く美しくも禍々しい輝きを放っている。
「桜無(オ―ム)!」
男の唇からその言葉が放たれた時、天守閣は一瞬のうちにその全体が赤い光に包まれた。
「な、何だ!あれは?」
「御天守が光っている!」
城内の警備兵は異変に気付き口々に叫ぶ。
この騒ぎに宮殿の寝所で目が覚めた雅仁(まさひと)海皇は窓の障子を開けて天守閣を見た。
そして海皇は我が目を疑った。
天守閣が無数に発光する赤い花弁に包まれているのである。
「桜!?」
そう彼が呟いた瞬間であった。
天守閣を包む花弁が爆発的に発光した。
「あ!」
海皇は思わず腕で目を隠してとっさに床に伏せた。
数秒後に彼はゆっくり頭を上げると、先程の光は消え元の夜の暗闇が広がっていた。
「急げ!」
「御天守だ!」
場内の警備兵が駆けつけると、そこにあるはずの天守閣が見当たらない。
「ば、馬鹿な!」
「御天守はいずこに!?」
警備兵は慄きながら手元のライトを地面にかざすと巨大な黒い穴がぽっかりと口を開けているのみであった。
翌朝、皇城は慌ただしい騒ぎに包まれた。
白虎門には立ち入り禁止の幕が張られ、現場検証のため皇国警察や関係者の面々が慌ただしく 出入りしている。
「名誉顧問、こちらです!」
「うむ…」
東郷平九郎は皇国警察官に案内され白虎門に到着した。
現場検証している捜査官が平九郎の姿を見て一斉に挨拶の礼をとる。
「いやいや。取り込み中にすまぬ。ちと気になったことを聞いたのでな…」
「はい。これを御覧下さい」
捜査官が跪いて地面に倒れている警備兵にかけられている白い布をめくった。
警備兵の死体の額には桜の花弁の文様がくっきりと焼き付いていた。
「一瞬の内に心肺停止状態に陥っています。まるで生命を吸い取られたような…こんなことができるなんて、一体誰の仕業でしょう?」
「ふむ…魔導士じゃな」
平九郎はあご髭をさすりながらつぶやいた。
「魔導士!?」
「そうじゃ」
「し、しかし…魔導師は先の対戦で全滅したのでは?」
「そうなってはおる。しかしこの術は戦闘でも使われたものと似ている。それも強力な物じゃ」
「で、では生き残りがいるというのですか!」
「分からん。しかしそうとしか考えられん。御天守の話も聞かせてくれ」
「はい。目撃した者の話だと、『桜の花弁に包まれて消えた』と」
「『桜』か……しかも天守を丸ごと消し去るとは。まさかな…」
平九郎は風に髭を揺らされながら皇女記念館を見つめた。
次回 男は皇女記念館に現れる