惣司が出口より消え去るとほぼ同時にタカシの硬直がほぐれて床にドサッと崩れ落ちる。
「たかしさん!」
和子は玉座を離れ床に転がるタカシに駆け寄った。
「う、う―ん…」
唸り声をあげる彼を見て和子は少しだけ安堵する。
彼女は自分の首を床に置くと、跪いてタカシの上半身をゆっくり起こした。
「大丈夫?たかしさん」
「う…あ!和子様!す、すいません」
タカシは慌てて立ち上がったが足がふらつきすぐ片膝をついた。
「あ!無理をしては駄目」
「い、いえ…大丈夫です…」
「たかしさん。動ける?」
「はい。何とか…」
「休憩室に行きましょう」
「分かりました」
和子はふらつくタカシの手を取り、二人は休憩室に移動した。
タカシはソファーに横になる。
数十分後に目が覚めると体調はほぼ回復していた。
額についていた花弁の紋様はほぼ消えている。
タカシは頭をかいた。
「不思議ですね。恐らく皇城の警備兵と同じ術をかけられたと思うのですが…もう何とも無いなんて…」
「たかしさん…彼が飛ばした花弁がわたくしに当たる直前に四散したでしょう。あれはきっと慎之助がわたくしに掛けた術のおかげだと思うの…」
「なる程。その影響が近くにいた僕にも及んでいたのかも…そう考えると慎之助さんの術は本当に強力なものなのですね」
タカシはうなずきながらも首をかしげてみせた。
「ええ…でも彼はどうして引揚げたのでしょうか?『今ではない』とか言って…」
「そうね…今日では慎之助の術を破るには何か条件が揃わなかったのかも」
「だとすると…次に彼が来るのはその《条件》が満たされた時…ですか…」
「たかしさん!もう一度書庫を調べてみない?何か魔導に関する資料が見つかるかも」
「そうですね。慎之助さんに関する資料はほとんど無かったけど、魔導関連はあるかも知れません」
二人は早速記念館の地下にある資料庫に入り、手分けして探索を始めた。
そして小一時間程経過した頃、和子が声を上げた。
「あったわ!たかしさん」
「本当ですか!」
タカシは和子に駆け寄り、手元の古びた書物の表紙を見た。
「《医道定綱》と書かれていますね。これは医学の本ではないのですか?」
「そう。約三百年前に書かれた医術の紹介の本。でも当時魔導は法術、仙術などと呼ばれて医術と明確な区別が無かったの。著者は伊能山海という医師だけど魔導を使った記録もあるわ」
タカシは和子の今更ながらの博学に舌を巻く。
「そうなんですか!ならば魔導法に関する記述もあるかもしれませんね!」
「ええ!休憩室に戻って調べてみましょう」
二人は部屋に戻ると早速書物を開いた。
タカシは例によって和子の首を持たされている。
(うへえ!まるでミミズがのたうったような文字だ…)
歴史的仮名遣いの素養がない彼には何が書かれているのかさっぱりわからない。
そんなタカシをよそに和子の書をめくる動作に澱みがない。
しかし書の残りが数枚になった頃、和子の手が止まった。
「ここに《龍命替術》の記述があるわ!」
「ええ!こ、これは…何と書かれているのですか?」
「ちょっと読んでみるわね。――凡そ龍命替術なるもの、未だ前代に聞かざる秘法なり。龍の宝珠を得て霊威を増すが如く、月の最も盈ちたる夜に之を行へば、死せし者に再び命を授け、朽ちざる身となす。然れども、此の術を用ゐし者は、その魂魄を失ひ、終には空しき殻と化すなり――」
「その…どんな意味でしょうか?」
タカシはばつが悪そうに頭を掻く。
「――凡そ龍命替術は空前の術法であり、龍が宝珠の力を得てその霊力を高める様に、月の最も満ちたる時に用いて死人に再生と不死を与える。しかしそれを用いた者は魂を失う――とその様に書いてあるわ」
「月!」
「《宝珠》は満月の事。月は満ち欠けによって「再生」を繰り返すから不老不死や無限の力の象徴とされてきた。龍はその月のエネルギー(珠)を取り込むことで、より強い霊力を得ると古来から言われているわ」
「和子様。実際月は干満など地球に大きな力をもたらします。もしかしてこの技は…満月のエネルギーを利用した魔導法では?」
「待って!この記述に続きがあるわ!」
読み上げる和子の唇がかすかに震えている。
――然して桜散無術は龍命替術の対を成す秘法なり。龍命の法、生を与へて亡き者を還らしむるに対し、桜散の法は滅を司り、一切有為を無へと帰す。若し此の術ひとたび発動せば、術者またその災ひを免れず、森羅万象ことごとく滅び失せ、塵芥のみ残ると伝へらる――
(訳文――そして桜散無術は龍命替術と表裏一体の術法である。龍術が再生ならば桜術は破壊を司る技である。この術も発動すれば術者共々全てを滅ぼす)
「こ、これは!龍命替術を打ち破る術!?」
タカシの背筋に冷たいものが走った。
「あ!」
「か、和子様?どうなされたのですか!?」
「たかしさん!わたくしが術を掛けられて蘇った日はいつ?」
「えっと…確か…正和二十年八月十五日だったと思います」
「八月十五日…中秋の名月!今日は何日?」
「八月…十四日です。え!まさか!」
「明日の夜…惣司が…来る…」
二人は顔を見合わせて愕然とする。
暫く二人を沈黙が支配したが、やがてタカシは意を決っして和子に言った。
「逃げましょう!和子様!」
「逃げる?どこに?」
「とにかくここを出ましょう。一刻の猶予もなりません!」
「………」
「和子様!どうなされたのです!早く!」
「駄目…駄目よ…たかしさん…」
「何故です!?」
「惣司はわたくしから発する魔力を嗅ぎ付けてどこまでも追ってくるわ」
「で…でも」
「そして、関わる人々が…みんな犠牲になっていく」
「和子様!」
「それに惣司の魔力に抗する術は無いわ。最後には必ずやられてしまう…」
「いいえ!決してそんな事はさせません!必ず、必ず最後まで御守りします!だから…」
「たかしさん…」
それを聞いてまなこをつむり沈思する和子。
ところが、突然ソファから立ち上がるとタカシの腕から自分の首をひったくった。
「あ!和子様!」
タカシが驚く間もなく足早に休憩室を飛び出す和子。
「待って下さい!」
タカシは慌てて後を追いかける。
和子は玉座の間に駆け込むと入口の扉を内側から施錠して、金屏風の裏に隠れてしまった。
「和子様!開けて下さい!」
タカシは必死に声掛けしながら手元の鍵で解錠を試みるが、内側から補助錠を掛けられていてどうにもならない。
「何故です!お願いします。開けて下さい!」
「うるさい!」
「え!」
「うるさいと申しておる!山田よ…去れ!」
「そ、そんな…」
「貴様の顔など二度と見とうない!」
「僕は…僕は…和子様を御守りしたい…」
「図に乗るな!山田!貴様の様な役立たずはいらぬ!」
「う…ぐう…」
「早く去れ…そしてこの記念館に二度と姿を現すでない…これは命令だ!」
「和子様…」
タカシは両目から涙が溢れ出した。
そのまま暫く立ちすくんでいたが、さっと二の腕で涙を拭くと沈黙が走る金屏風に向かって深々と一礼した。
そして踵を返すと足早に観覧室より姿を消した。
誰もいなくなった観覧室には、金屏風の裏からのすすり泣く声が微かに響きわたっていた。
次回 タカシは平九郎の元に駆け込む