皇城より帝都市街に下る深夜の坂道を、息せき切って走るタカシの姿があった。
この坂は半ばに平九郎の自宅があるため《提督坂》と呼ばれている。
「ハァハァ!急がないと!」
未曾有の災厄を前にして一刻の猶予もない。
タカシは石に蹴躓いて転倒し額を擦りむいたが、一顧だにせず立ち上がって再び走り続けた。
「あそこだ!」
こんもりとした小さな森が見えてくる。
門扉も塀も外灯も無く、東郷邸はその奥にある。
タカシは森の奥に進むと礼洋折衷の黒板壁の質実剛健な佇まいの建物の玄関前に辿り着いた。
タカシはゲルマニア製の呼鈴を複数回鳴らした。
そして直立不動で必死に 呼びかけた。
「夜分誠に申し訳ございません!記念館の山田でございます!」
そうすると宅内の明かりが灯り、玄関ドアが開いて 軍服姿の平九郎が姿を現した。
「なんじゃ!山田男…こんな夜更けに…」
「え、名誉顧問はもう着替えられたのですか?」
「着替えるも何も…わしは有事に備えて常にこの姿で寝ておる!」
「ええ!そうなのですか!」
「常備不懈(じょうびふかい)じゃ!それより一体用事はなんじゃ?」
「あ!そうでした。実は…とても大切な話があります」
「大切な話じゃと?まあ中に入れ!」
額から流れている血を拭うこともしないタカシを見て、平九郎は尋常でない空気を感じとっていた。
応接室に通されたタカシはソファーに座らず 平九郎の前で土下座した。
そして皇女が最初から心も蘇っている事、さらに沈黙を続けている理由も明かした。
さらに惣司が現れてからの仔細も全て語った。
話を聞き終えた平九郎は瞑目して天を仰いだ。
「そうか…殿下…隠忍自重のなんと長きに渡ることよ…我ら臣下の不明をお許し下され…」
両目から涙がこぼれ落ち頬を伝った。
そして突然彼はかっと目を見開いてタカシの鼓膜がビリビリ震えるほどの大音声を放った。
「山田男!でかした!よくぞ全てを打ち明けてくれた!」
「は、はい!」
「殿下はまたもや全ての責をお一人で取ろうとなされている。我ら臣がこれをどうして見過ごすことができようか!」
「その通りです!ただ僕には思いつく手立てがなくて…」
「うむ…惣司の事じゃな…」
「あの…名誉顧問は、僕が惣司さんの名前を出しても表情があまりお変わりになりませんでした。何かご存知だったのですか?」
「あの皇城での事件が起きた時、真っ先に彼奴の顔が思い浮かんだ。父親の魔力のことを思えばもしかして …との」
「父親の魔力…」
「お前には少し斑目とわしの事について話をしておこうかの」
「はい」
「知っての通りわしは元々海軍の出じゃが、先々代の大昭天皇が御崩御なされた時わしは海軍提督を辞した。まだ海の上で指揮を取りたかったが、先代の久仁陛下の御命令での、皇室省(現在の皇室庁)に入った。それまでの数年間、慎之助はわしの船に帯同していたのじゃよ」
「え!慎之助さんは海軍所属だったんですか」
「左様。しかし海軍というのは陸軍と違って軍艦の性能がものを言う世界での、魔導士はあまり重視されていなかった。慎之助も軍医魔導が主な役割じゃった」
「そうだったんですね」
「じゃが奴の魔力は凄まじかった。交戦による負傷者も、奴が手をかざすと桜の花弁のような光が放たれ、あっという間に怪我が回復してしまう。あの美しい桃色の輝きは今でもはっきり覚えておる」
「桜の花弁ですか!?惣司さんの術もそうでした。しかし色は禍々しい赤い光でしたが…なる程、それで…」
「そうじゃ。そしてわしは退官した後に慎之助の家に招かれての、惣司と一度会ったことがある。まだ奴は十歳ぐらいじゃったか…」
「惣司さんが小学生ぐらいの頃ですね。どのような感じの方だったんですか?」
「それがの…ひたすらおとなしくて無口な子じゃった。しかし目だけはほとんど瞬きもせずわしをじっと見つめておった」
(瞬きもせず…か。)
タカシは記念館で見た惣司の目を思い出した。
「あの…惣司さんも魔導の修行をされておられたのでしょうか」
「それは分からぬ。慎之助が生きていた間はそのような話を聞いたことがない。ただ妙な事があっての」
「妙な事?」
「大戦の直前じゃったと思うが、慎之助の自宅の近所の犬や猫が多数変死したのじゃ」
「変死ですか!」
「ああ。どの死体も首や胴体がきれいになくなっておっての。刃物が使われた形跡はなかった。そして その犯人は惣司だったのじゃ」
「な、何ですって!」
「そのことを知った慎之助は惣司を激しく叱責した。すると奴は不貞腐れて出奔しての。それ以来行方が分からず仕舞いだったのじゃ」
「惣司さんは…もしかしたら何か自分の力に気付いたのかもしれませんね。それを動物相手に試してみた…あくまで憶測ですが」
「ふむ…それも生を奪う形での。慎之助のような父を持ちながら…因果なものじゃて」
ハァ―と溜息をつく平九郎。
「あの…慎之助さんは皇女様とはご面識があったのですか?」
「おう!太洋戦争が開戦した折わしは有能な軍人を連れて皇城に参内したことがあっての。その中に慎之助がおった」
「そうなのですか!皇女様にもお目通りされたのですか?」
「もちろん。しかしあやつはガチガチに緊張しておっての。その時たまたま殿下は慣れぬ料理に手を出されて御指に怪我をされておいででの、わしの勧めで慎之助はその術を披露した。あっという間に傷がふさがり殿下は目を丸くしておられた」
「すごい!さすがですね!」
「殿下はこの時『誠に稀有の技である。ありがとう』と仰せられた。慎之助は半日は魂が抜けたようになっておった」
「ふふ…感動なされたんですね」
「そうじゃな。やつは純情な男じゃったよ。沖島戦線の出陣式の時には慎之助は列の先頭におったが、この時にも殿下より直々に御声を賜り、また魂が抜けたようになっておったよ。ガッハッハッハ!」
「皇女様には目をかけられておられたのですね」
「わしが将棋の席などでよく奴の話題を出しておったからのう…ふふ…」
(そうだ…あの事も何かご存知かもしれない)
タカシは単刀直入に尋ねた。
「慎之助さんは、ゲルマニアに行かれた事はありませんか?」
平九郎は驚きの表情を浮かべた。
「なぜそのことを知っておる?」
「ヴィクトリア将軍より少しだけ話を伺いました」
「ふむ…確かにあやつはゲルマニアに行っておった時期がある。確か、かの国と同盟締結して間もない頃じゃ。慎之助がわしのところに渡欧の挨拶をしに来おっての。『私の力が科学の役に立つそうです!』と嬉しそうに語っておった」
「その慎之助さんを誘った相手は《ニコライ・ テースラ―》という科学者ではなかったですか?」
「うむ。確かそんな名前だったと思う。大方医学とか科学の進歩の為とか言われて丸め込まれたのじゃろう。あやつはお人良しじゃからのう」
これを聞いてタカシの中でパズルのピ―スが揃いつつあった。
(やはりそうか!もしテースラーが龍命替術の原理を応用したのだとすれば……ベルリンの装置も説明がつく。そして月のエネルギーの代わりにベルリン市内に供給される莫大な電力を利用したのかも…仕組みは分からないけど…)
ここで平九郎は湯呑みのお茶をぐっと飲み干すとタカシの顔をじろりと見た。
「さて…そろそろ本題に移ろうかいの…」
「は、はい」
タカシは唾をゴクリと飲み込んだ
次回 皇女と平九郎