恋恋高校に高性能なパワプロくんが入学しました 作:肌がキレるティッシュ
~3回表 2アウト一・二塁~
タイムが解ける。
あおいはホームへ戻り、しゃがみ込む。
ミットを叩いて、サインを出す。
――SFF。
パワプロは、マウンドでセットに入った。
今までより、ほんの少しだけ慎重に、そして深く息を吸う。
猪狩守は、打席で微笑んだ。
守(……空気が変わったな)
球場が静まる。
次の一球で、何かが変わる。
パワプロの指先が、ボールの縫い目を探り当てた。
そして――振りかぶる。
1球目
振りかぶった腕が、鋭く振り下ろされる。
猪狩はフルスイングする。
ズバァン――!
SFFが低めいっぱい、糸を引くように沈み込む。
ワンバウンドしない。逃げもしない。
捕れる位置に、完璧に落ちた。
あおいが、胸の前でがっちり捕球する。
ミットが鳴った瞬間、球場の空気がわずかにほどけた。
猪狩はミットに収まる球をみて、ただ鼻で笑う。
守「……ふん。それでいい」
あおいは、マスクの奥で小さく息を吐いた。
あおい(捕れた。いける)
2球目
次はジャイロ。高め。
だが、狙いより少し外れる。
審判「ボール!」
あおいはミットを戻しながら、心臓がうるさいのを感じた。
ストライクが欲しい。でも――無理はしない。
3球目
またSFF。
あおいは低めに構え、わずかにミットを前へ出す。
ここに入れてという意思表示。
パワプロも、さっきの成功をなぞるように、同じ軌道を描こうとした。
――が。
ボールが一段深く沈む。
そして、最後の最後でワンバウンド。
猪狩はまたもやフルスイング。
ブンッ!!
空振り。
だが、同時に――
ズザッ!!
ボールが地面に叩きつけられ、予測より跳ねた。
あおいのミットの下をすり抜け、背後へ転がっていく。
あおい「――っ!」
後逸。
その一瞬で、ランナーが走る。
二塁走者が三塁へ。
一塁走者が二塁へ。
あおいは振り返り、慌ててボールを拾い上げた。
しかし投げようとするころには、もう遅かった。
結果――2アウト二・三塁。
あおいはマスクの奥で、唇を噛み締めた。
涙が出そうになる。悔しくて、恥ずかしくて。
あおい「……ごめん……!」
タイムを取りパワプロが歩み寄る。
パワプロ「いや。今のは、俺もミスった」
あおい「でも……ボクが……」
パワプロは首を振る。真剣な顔だ。
パワプロ「むしろさ、俺がきっちりあおいちゃんのミットに入れないのが悪い部分もある」
パワプロ「次は入れる。絶対、入れる」
あおいが、その言葉に目を見開く。
責めない。逃げない。
はるか(パワプロさんが……支えてる)
はるか(……だから、お願い……報われて……)
4球目
外角のストレートをギリギリでボール。
5球目
チェンジアップ。
猪狩はタイミングをずらされながらも、またもや器用に合わせてカットする。
カンッ――!
ファール。
あおい(当ててくる……!)
6球目
ストレート。
力みが出て、外れる。
審判「ボール!」
フルカウント。
2アウト二・三塁。
一打で逆転。
たった一球で、夏が終わる距離。
はるかの指が、スコアブックの紙をぐしゃっと掴みそうになる。
はるか(……お願い……)
あおいは、サインを出す。
もう一度――SFF。
ミットは低めギリギリ。
ここという一点に置く。
パワプロは頷いた。
目の色が変わる。
パワプロ(ワンバウンドさせない)
パワプロ(低めギリギリ、ミットジャストに)
パワプロ(入れる――!)
7球目
渾身。
腕が振り切られ、ボールが切り裂かれるように伸びる。
――だが。
意識しすぎた。
落とさないように。
ワンバウンドしないように。
ミットに入れるように。
その全部が、逆に指先を硬くしてしまう。
SFFが――抜けた。
沈まない。落ちない。
高めに浮く。
あおい「……っ!」
声にならない声が漏れる。
ミットを上げる。遅い。
そこは猪狩の、最も気持ちいい高さ。
猪狩守の目が、ほんの一瞬だけ笑った。
守「……甘い」
《猪狩守のパワーヒッター 発動》
ドンッ!!
乾いた、重い音。
完璧な芯。
打球は、ライト方向へぐんぐん伸び――フェンスを越える。
一瞬、嘘みたいに静かで、次の瞬間、歓声が爆発する。
スリーラン。
スコアは――0-6。
あおいは、その場で固まる。
自分のミットの位置が、まだ空中に残っている気がした。
パワプロも、しばらくボールの消えた方向を見ていた。
悔しさで顔が歪む、というより言葉が出ない、という顔。
猪狩は悠々とベースを回り、ホームベースを踏む。
そして、振り返って言った。
守「こんな勝負は、僕は認めない」
ベンチのはるかが、息を呑む。
はるか(……パワプロさんが、ホームランを打たれるなんて……)
⸻それから
その後、6回までスコアは動かず。
猪狩は温存で交代。
それでも――パワプロは諦めなかった。
交代投手の球を捉え、意地のホームランで一点を返す。
ベンチが一瞬だけ湧く。
あおいの目にも、ほんの少し火が戻る。
でも、もう遅かった。
結果は――1-8。
最後のアウトが取られた瞬間、音が消えた。
歓声が遠のいて、蝉の声だけがやけに鮮明になる。
恋恋高校の夏は1-8の大敗で終わった。
あおいはマスクを外して、膝に手をついた。
涙が落ちて、土に吸われる。
パワプロは一度だけ空を見上げる。
悔しさを飲み込むように喉を鳴らし、それから、あおいの肩を軽く叩いた。
パワプロ「……あおいちゃん、俺たちにはまだ来年があるんだ」
パワプロ「だから、大丈夫。ありがとうね」
あおいはその言葉を聞いて、泣きじゃくっていた。
でも――この負けは、終わりじゃなくて、始まりだと。
そう思えるくらいには、二人の背中は、まだ前を向いていた。
~大会から1ヶ月~
まだまだ暑く蝉の鳴き声がする恋恋高校のグランド。
今日も、いつもの捕球練習。
あおいはマスクをつけ、ミットを構える。
そのミットの先にいるのは、変わらず笑っているパワプロ――ただし、目だけは真剣だ。
はるかは少し離れた場所で、スコアブック代わりのノートを抱えながら見ていた。
(あの試合以来、あおいはずっと――本当にずっと、黙って練習してた)
パワプロ「じゃあ、次。ラストの50球目!SFF、いくよ!」
あおい「……こい!」
次の瞬間。
沈む球。鋭い落ち。
以前なら怖いが先に来ていた軌道を、あおいはもう目で追わなかった。
体が先に動く。ミットが先にそこへ入る。
――ズドン。
乾いた、気持ちのいい音。
あおい「……っ!」
弾かない。流れない。後ろにこぼれない。
ミットの芯で、完全に止めた。
一拍遅れて――
「50球連続で捕れたー!!!」
パワプロの声が恋恋のグラウンドに響き渡る。
パワプロ「完璧だよ、あおいちゃん! もう高速スライダーもSFFも、ばっちり捕球できるね!」
あおい「ちょ、ちょっと! 恥ずかしいからあんまり大声で言わないでよ!」
頬を赤くして、マスクの上からでも分かるくらい顔をしかめる。
パワプロ「いやいや、これは凄いことだよ!大会終わってからずっと捕球練習してくれてたもんね!キャッチャー始めてから僅か二か月で、俺の球を全部取れるようになるなんて…」
はるかは、胸の奥がふっと軽くなるのを感じた。
はるか「うん……あおい、本当に頑張ってたもんね」
言いながら、少しだけ目を細める。
あおい「あはは…ま、まあね…」
照れ隠しみたいに笑うけれど、声は確かに前より明るい。
矢部「いやあ、苦労した甲斐があったでやんす!」
あおい「矢部くんなんかしたっけ…?」ジトー
矢部「グ、グスンやんす!後逸したボールを集めたり、打者を想定した練習にも付き合っていたでやんすよ!?」
あおい「……あはは、冗談だよ!ありがとうね」
言って、少しだけ柔らかく笑った。
矢部「ま、まぁわかれば良いでやんす」
照れて視線を逸らす。
あおい「矢部くんはチョロいな…」ボソッ
矢部「今、何か言ったでやんすか!?」
一同「あははは!」
笑い声が起きる。
パワプロ「しかし、秋の大会が楽しみだなぁ!」
はるか「本当にそうですね。前回のようにはならないと思います」
あおい「思い出したくもない! さ、練習しよ練習!」
わざと乱暴に言って、ミットを鳴らす。
あおい「ほら、パワプロくん!次は高速スライダー投げて!」
パワプロ「え、さっき50球も色んな球を投げたばっかだよ!?」
矢部「パワプロくんが、野球で振り回されてるのは初めて見るでやんす……」
こうして、パワプロたちはさらに練習を重ねていった。
~8月上旬~
夏休みも半分が過ぎ、強い日差しの中にも、ほんの少しだけ終わりの気配が混じりはじめる頃。
恋恋高校のグラウンドは、相変わらず土埃と掛け声で満ちていた。
練習の合間、給水をしながら一息ついていると――
矢部が、突然口を開く。
矢部「そういえばでやんすけど!」
矢部「8月の終わりに、また行くでやんすよ!夜まで女子と一緒の合宿でやんす!」
一同「……」
矢部「しかも今年は新入生の女の子もいるし、むふふでやんす」
一瞬の沈黙のあと、あおいがじとっとした目で矢部を見る。
あおい「矢部くん……さぁ……」
完全に呆れきった声だった。
矢部「な、なんでそんな目で見るでやんすか!?」
パワプロは苦笑しながらも、少し考えてから口を開く。
パワプロ「うーん……でも、いいね」
パワプロ「俺たち2年が合宿に行けるのも、多分これがラストだし」
その一言で、空気が少し変わる。
ラストという言葉の重みを、みんなが同時に意識した。
はるかも小さく頷く。
はるか「……たしかに、良いかもしれませんね」
はるか「長期連休のまとまった時間、みんなで野球に集中できる機会って、もう多くはないですし」
あおい「……そう言われると、ちょっとだけアリかも」
矢部「ほら!オイラの言った通りでやんす!」
パワプロ「よーし!じゃあ、また加藤先生に聞いてみよう!」
~職員室~
一同が全員集まり勢いよく話を持ち込むパワプロに、加藤先生は目を瞬かせた。
加藤先生「え、もう8月上旬よ!?」
加藤先生「準備、間に合うかしら……?」
パワプロ「大丈夫です!たぶん!」
加藤先生「……たぶんって何かしらね」
心の声がそのまま漏れたような顔をして、ため息をつく。
加藤先生(この子は相変わらずの脳筋ね……)
そこではるかが、控えめに一歩前へ出る。
はるか「一応……こちらの合宿所が、まだ空いているみたいです」
はるか「特に8月末頃だと、予算も抑えられそうで……」
加藤先生「あら……」
加藤先生「さすが七瀬さんね」
資料を覗き込みながら、少し考える。
加藤先生「うーん……今から保護者の許可をもらうのは、なかなか大変だけど……」
加藤先生「本当に行きたい人だけの任意参加という形なら……いいわよ」
一瞬の静寂。
次の瞬間。
一同「やったー!」
職員室に響く声に、加藤先生は慌てて人差し指を立てた。
加藤先生「こらこら、ここは職員室よ。まあ、ほとんど人はいないけど」
その後、部員たちがそれぞれ戻っていったあと。
加藤先生が、キャプテンのパワプロとマネージャーのはるかを呼び止めた。
加藤先生「悪いけど、合宿の準備として、このリストのものを買ってきてくれるかしら?」
紙を差し出しながら、ちらっとパワプロを見る。
加藤先生「パワプロくんは、ちゃんと荷物持ちとかするのよ?」
パワプロ「任せてください!」
即答だった。
はるか「え……!? は、はい……!」
少し遅れて返事をしながら、はるかはリストを受け取る。
内容を確認しようとして――その前に。
パワプロが、いつもの明るい笑顔で言った。
パワプロ「じゃあ、はるかちゃん。今週の日曜日に買いに行こうよ!」
あまりにも自然で、あまりにも無邪気な誘い。
はるか「……は、はい。もちろんです!」
声は出た。
でも、心の中は一気に騒がしくなる。
はるか(え……日曜日……?)
はるか(2人きりで、買い出し……?)
はるか(ど、どうしましょう……)
胸の奥が、きゅっと熱くなる。
緊張なのか、期待なのか、自分でも分からない。
はるか(い、いまから緊張してきた……)
パワプロはそんなことに全く気づかず、
「じゃあ決まりだね!」と楽しそうに言って、職員室を出ていった。
はるかは、その背中を見送りながら、そっと深呼吸する。
~買い出しの前日~
はるかは、自分の部屋の前に立ったまま、何度目か分からないため息をつく。
はるか(……この服で、いいのかな)
ベッドの上には、何着か並べられた服。
いつもならほとんど迷わない。
でも今回は、どうしても決めきれなかった。
はるか(こっちは落ち着いてるけど……)
はるか(うーん……でも、こっちの方が大人っぽい……?)
鏡の前で、少し首を傾ける。
自分の姿をまじまじと見るのが、なんだか気恥ずかしい。
はるか(……合宿用の買い出しなだけなのに)
はるか(なんで、こんなに悩んでるんだろ……)
今度は日傘を手に取る。
はるか(体調、崩さないように……日傘はこれにして……)
開いてみて、また止まる。
はるか(……あ、でも……服と合わない、かな)
はるか(それに……このパワプロさんの邪魔になるかも……)
少し考えて、別の一本を手に取る。
はるか(……うん。明日は、こっちにしよう)
決めたはずなのに、胸の奥は落ち着かない。
夜になって、布団に入ってからも同じだった。
はるか(……どうしよう。寝れない……)
はるか(明日……ちゃんと話せるかな……)
目を閉じても、浮かぶのは明日のことばかり。
買い出しのリスト。合宿の話。
――それから、パワプロの笑顔。
結局、眠りに落ちたのは、ずっと後だった。
~そして、買い出し当日~
待ち合わせ場所へ向かう道。
日傘の影が、アスファルトに揺れる。
胸の鼓動が、やけに大きい。
はるか(……大丈夫。いつも通り……)
そう言い聞かせながら、視線を上げた、その瞬間――
そこにいたのは、パワプロだった。
制服でも、ユニフォームでもない。
合宿所で見慣れたジャージ姿でもない。
シンプルな服で余計な装飾は何もないのに、すっとした立ち姿と高い身長と筋肉質な体格のせいで、まるで雑誌から抜け出してきたみたいだった。
はるかは、一瞬、言葉を失う。
はるか(……え)
はるか(……かっこいい……)
心臓が、どくんと跳ねる。
はるか(ど、どうしましょう……)
はるか(初めて見る……私服……)
パワプロは、そんな視線に気づきもせず、手を振った。
パワプロ「おはよう、はるかちゃん!」
そのいつもの声で、余計に現実味が増す。
はるか「……お、おはようございます」
声が少しだけ、上ずった気がした。
日差しは強い。
でも、日傘の下の影は涼しくて――
その影の中で、はるかの胸は、ずっと夏みたいに熱かった。
パワプロは近づいてくるはるかを見つけた瞬間、目をぱっと見開いた。
そして、何の迷いもなく言い切る。
パワプロ「……はるかちゃん、今日すごくいいね!」
はるか「えっ……!?」
言葉が詰まる。
何がいいのか聞く暇もない。
パワプロ「髪型、いつもよりふわってしてる!それに、その服、すごく似合ってるよ!」
はるか「そ、そんな……っ」
はるかは思わず日傘の柄を握り直した。
心拍が一段上がる。
パワプロ「日傘もいいね!ちゃんと暑さ対策してるの、えらい!」
はるか「え、えらい……!?」
はるか(褒め方が、小学生みたい……なのに……なんでこんなに……!)
パワプロはさらに真っ直ぐな目で続ける。
パワプロ「ていうか、はるかちゃんって準備が完璧だよね。こういう買い出しとかも、絶対段取りちゃんとしてるじゃん?」
はるか「そ、そんなこと……」
パワプロ「あるある!いつもそうだよ。合宿所の予約とか予算とか、あれ、俺だったら絶対ムリだったもん!」
はるか「……っ」
褒められて嬉しい。
でも、それ以上に、まっすぐ過ぎて逃げ場がない。
はるか(や、やめてください……心臓が……)
パワプロ「それにさ、はるかちゃんって、ちゃんと周り見てるじゃん。誰かが困ってたら気づくし、言い方も優しいし」
はるか「……」
一瞬、言葉が出ない。
優しい、なんて。
自分がそうだと思ったことはほとんどないのに。
パワプロ「俺さ、はるかちゃんが居ると安心するんだよね」
はるか「……っ、……」
日傘の影が、ほんの少し揺れる。
はるかは顔を逸らして、なんとか平静を保とうとする。
はるか(あ、安心……?)
はるか(だめ、嬉しい……嬉しすぎる……!)
しかし、パワプロは気づかない。気づくわけがない。
パワプロ「だから、今日は一緒に買い出し行けて嬉しい!」
はるか「……え……」
最後の一撃。
はるか「……あ、ありがとうございます……」
声が小さくなる。
頬が熱い。耳まで熱い。
見られたら終わると思って、日傘の角度を微妙に変える。
それを見て、パワプロは首をかしげた。
パワプロ「? 暑かった?大丈夫?」
はるか「だ……大丈夫です……!暑いだけです……!」
パワプロ「そっか!無理しないでね!」
無自覚に優しい。無自覚に追い詰める。
はるかは、心の中で悲鳴を上げた。