上空16000メートルの蒼穹を、銀色の機体が貫いていた。
ゴウッ!と大気を裂きながら極音速で突き動かされるその上に、一人の女が立っている。
歳は20前後くらい、目付きが悪く仏頂面だが、それでいて童顔に見える。本来はセミロングくらいの長さの青髪が、空気の奔流に煽られてオールバックになっていて、彼女の丸っこい瞳が邪魔されずによく見えた。傷跡のひとつも見えない柔らかな肌だと言うのに、着こなされたシワ付きの軍服がちぐはぐだった。
『後3分で降下だ。戦闘準備をしておけ』
濃紺の軍服の胸ポケットから伸びる有線のヘッドホン型レシーバーから、足元の機体内部からのくぐもった声が聞こえてきた。準備と言ったって。青髪は自分の拳銃すら持たない軽装備に困りながら、マイクに向かって質問する。
「どこまで降りられる?」
『ここが限界だ。これ以上高度を下げると敵に補足されるかもしれない』
「なるほど。いつも通り人間様を1番大事にってわけね」
青髪は悪態をついてみた。通信は切れていないはずだが、応答はない。しばらくの間、彼女は実に不愉快な心持ちで作戦開始を待つことになった。
『10秒だ。目標は輸送中の新兵器の完全破壊だぞ』
「はいはい……」
適当に返事をした後、言われてから10秒経たないうちに、戦闘機からするっと、重力に背中を預けるようにして滑り落ちた。これは彼女なりの勘だった。
ゴオオオッ!青髪の体は重力に引かれ、空気を裂きながら落下してゆく。パラシュートもどこにもないように見えるが、彼女は毛量の多い髪が顔にいちいち当たるのに顔を顰めるくらいで、余裕そうだった。
魔女。魔力でこの世の法則を書き換え、魔法へと変えてしまう存在。
この人間にできるはずない行動は、彼女のルールを無視した魔法の賜物だった。
いちばん高いところにある雲をくぐり抜けた時、地上からのものなのだろうか、火柱が視界の端を横切った。上に目を向けて行方を追うと、火柱が何かを貫いて爆発を生んでおり、それは彼女がさっきまで立っていた戦闘機らしかった。彼女の勘は当たった。
「……あいつら魔女をナメすぎだ。ホンモノは高度限界でも補足してくる。」
通信相手のいなくなったヘッドホンを放り捨てて、手袋が嵌っているのを確認し直す。
「さて。殺されに行きますか」
軽口を叩いていたのもつかの間、重力の方向に仰向けだった体を向き直した瞬間に、視界の真正面に赤黒い火柱が迫る。
「ぐっ!」
寸前で身を捩って回避。軍服の一部分が焼き焦げて消え、素肌を露出させた。安心する暇もなく、さらに無数の火柱が迫る。今度は身を捩ろうとどうしようもない、広範囲のものだった。
自由な身動きが取れない空中では、とても視界いっぱいを埋め尽くす攻撃は避けられないはずだった。しかし彼女は、まるで大地を踏みしめるようにして横に向かってしゃがみ、バン!と空気を蹴り出して避けきってみせた。
「護衛は『淑女』の誰かかな……?下手したら五席以上かも……」
そう言いながらも、次々と迫り来る火柱を交わしてみせる。何も無い宙だというのに、スケートを滑るような身のこなしだった。
苛烈な攻撃の間に一瞬の隙を見出し、彼女は地面に向かってクラウチングスタートのような体勢を取る。瞬時に加速して、隕石のように火柱の間を突き抜けた。
ズドンッ……!赤茶色のゴツゴツとして岩場に、小さなクレーターができた。攻撃は一時止んでいて、彼女には土埃を払う暇があった。
「あれか……」
遠くに輸送機が見える。巨大なカーゴを吊り下げていた。見えると言っても肉眼では豆粒程度だが、彼女はさらに飛行船の側に並走する数十人程度の人影を認めた。
初めて実践投入される、魔女を超える兵器。その輸送船を未然に撃墜することが彼女の任務だった。しかしそれも、あの火柱の主がいる限り出来っこないだろうなというのが正直なところのようだ。
はあ、とため息をついて嘆くも、彼女は逆に脱力していった。肩に力を入れたやつから死んでいくと言うのが、そこそこの死線を越えてきた彼女の持論だった。
「模法、『Dimension2』」
呟くと、彼女の足元に小さな円陣が浮かび上がる。次の瞬間には彼女はふわりとした浮遊感を味わい、プロペラの風を浴びていた。一瞬にして輸送機の真上にワープしたのだ。
予想外だったことは、転移が完了するのと全く同時に攻撃が浴びせられた事だ。灼熱を帯びた拳が彼女の胸を貫こうとしていて、とっさに受け身を取るも勢いを殺しきれなかった。ガリガリと機体上部の鉄板を削りなあがら後ずさった。
「炎使い……金髪……そんで男みたいなイケメン、『淑女』第四席のテーゼ・プラーミアじゃないの」
輸送機の上部は平坦で、テニスコートくらいの広さがあって、先頭にはおあつらえ向きだった。周囲には空飛ぶ箒に跨った数名の魔女がいたが、焼けつく威圧感を放つ魔女テーゼ・プラーミアはそれらに手で合図して後退させた。
彼女は青髪の言った通り中性的な美形で、女性というより美少年に見える。青髪とそう変わらない年齢、それより下にも見えるのに、青髪の無地の軍服とは違い彼女のカーキの軍服にはいくつもの勲章らしきものがあった。彼女は赤い瞳で、青髪をじいっと見る。その様子は威圧感のせいで、睨みつけているみたいだった。
「青髪……
「へえ、淑女サマもあたしみたいなカスの名前覚えてるんだ、光栄だね」
「お前達には勲章のひとつも無いんだ、死ぬ前の最後の栄光くらいくれてやらんと、可哀想だろう」
「あんたらのチカチカする胸元も、たまに羨ましくなる」
「なら、こっちにくればいい。俺の一つ下の席を空けてやるぞ、奴は個人的に嫌いなんだ」
「おしゃべりだね。……こっちにも色々あるんだよ」
両者は言葉を交わすのをそれで終わりにした。風に揺られていたテーゼの姿が、ふっと消えた。
「ッ!」
似模は見えない激烈な衝撃を受け止める。噴き上がる炎で加速するテーゼの姿が、遅れてやってきた。瞬間、いくつもの衝撃波が宙で散る。火花を散らす両者に光は追いつくことができず、いつも衝撃波が凪いだ後になってその激突の様子が映った。
何度かの激突を繰り返した後、輸送機の上で両者の蹴りがつば競り合う。拮抗する力がギリギリと押し合い、輸送機は激しく揺れていた。
「なかなかできる」
「どーもっ……!」
テーゼがニヤリと似模を称賛する。炎の熱もあって既にダラダラと汗を流している似模だというのに、涼しい顔のテーゼだった。
「だがまだまだだな」
敵の底力から目を逸らし、拮抗する状態に甘んじていたのが似模の失敗だった。突如として、テーゼの足に勢いをつけている踵からの炎の噴出がさらに激しく燃え上がった。天を貫くほどの火柱は未曾有のエネルギーを生み出して、彼方へと似模を吹き飛ばす!
「クソッ!」
空中で体勢を立て直すのに苦心する間に、似模は周囲の光景が何度も様変わりするのを見た。見事に輸送機から引き剥がされている。遊ばれていたというのに任務をしっかりと果たされてしまったのが、似模には屈辱だった。
「……模法、『アヤナミ』!」
ふわりと海月が舞い出でる。幻想に絵筆をつけて、宙に殴り書きをしたみたいな、輪郭がぐちゃぐちゃの極彩色だった。それは柔らかく似模を包んで、勢いを完全に殺し切った。
幻影のように無限に伸びる触手が宙に道を作り出す。似模はそれを踏み締め、テーゼの元へと一直線に駆け出した。
一方テーゼはその気配を読んでいて、似模を吹き飛ばした方向へ警戒を続けていた。その時、下がらせておいた箒に乗った魔女達が戻ってきて、その1人から声がかかる。
「プラーミア大尉!作戦は続行ですか!?」
「俺がいつ出てこいと言った!?じきに戻ってくるぞ!」
怒鳴りつけたのも束の間だった。テーゼは膨大な魔力を感じ取り、その方向に火球を飛ばした。似模の姿が現れ、飛び上がって回避した。空中で回転しながら、次々と迫る火球を躱す。
「!?」
テーゼを飛び越える着地点には、呆気に取られた箒の魔女がいた。彼女の脳は危険信号が激しく慣らしたが、肉体がそれに追いつかなかった。
「邪魔!」
回転の勢いのまま長い脚を叩きつけられ、彼女は輸送機を突き抜けてカーゴの中に沈んでいった。その時カーゴの中身がちらっと見えるようになったのだが、似模には意識する余裕もなかった。
「だから言ったんだ鈍臭いやつめ……!聞こえるか!死にたくなければ全員……
テーゼの意識がそうしてそれた隙を、似模が見逃すはずもない。懐まで距離を詰めると、テーゼの腕を乱雑に掴んだ。
「沈めろ
極彩色の海月はその無数の触手でテーゼを絡め取り、自身の実態のない体で覆い尽くした。呑み込まれたテーゼは、めちゃくちゃの狂乱を目にしていた。五感は自制を失い、出鱈目な情報しか流さない。
「だれがあんたとまともにやり合うもんですか……!」
その呟きはテーゼに届かなかった。正常な感覚を取り戻した時テーゼが感じ取ったのは、まず全方向からの莫大な圧力だった。次に肌を刺す冷気、視界は真っ暗闇だ。呼吸ができず、もがいた口におびただしい量の水が侵入してくる。
テーゼは理解した。己の体は深海にあるのだ。
「これで死んでれば最高なんだけど」
自動航行らしい輸送機は、これだけ暴れても飛行をやめなかった。似模はぼやいて、それから少し離れた場所で呆然とする魔女の1人を睨む。
「これ壊すから、巻き込まれたくなかったら早く消えて」
彼女はもはや声も出せないほど震え上がって、他の魔女と共に全速力で箒を駆り消えていった。
「あたし、そんな怖いかな……。いや、怖いか」
その時似模の目に、輸送機にできた裂け目からカーゴの中の様子が目に入った。そこにはおぞましい数の、眠った少女達が見えて、一番明るく照らされているものには胸に水晶のようなものがあるのを確認できた。似模はそれらに僅かだが魔力を認めて、その正体に気づく。一瞬、思考が止まるのを感じた。
「人造魔女か……!魔女に人権をだなんて、どの口で言いやがる!」
やるせ無い怒りが募り、ダンッ!と瓦礫を蹴飛ばした。
「悪く思わないよね……!模法、『降竜』……!」
小さな竜が飛翔し、輸送機へ一直線に降下する。竜が激突すると輸送機は砕け散り、爆発と共に中にいた少女達を解き放った。
彼女達はまだ眠ったままで、そのまま地面に落ちて、空からでもわかるほどの血溜まりを作る。地面が赤い斑点に埋め尽くされてゆく様子を似模は直視し続けられなかった。無責任だなと自嘲しながらも、飛び去ってしまった。
そのせいで気づかなかった。一番最後に落ちた少女だけは、積み上がった屍の山に抱かれて無傷のまま血の濁流に流され、澄んだ川へと零れていった。