SF世界にTS転生した俺は治安維持部隊を全力で社畜する! 作:宇宙のモナカ
遠ざかるエンジンの音。そして、守ると約束した者の引き裂かれるような叫び声。
それらが海底トンネルの反響の中に消えていくと、後にはただ、パチパチと車両が燃える不気味な音と、鼻を突く硝煙の臭いだけが残された。
世界から色が消えたかのような錯覚。
静寂が支配する戦場の中、ただ一人、時間が止まったかのように動けない少女がいた。
「待て! ……あ、あぁ……」
アイリスはその場に崩れ落ちるように膝をついた。
彼女の膝が、アスファルトに広がった温かい液体――ビャッコの口から流れ出た鮮血の中に沈み込む。
その生々しい感触に、アイリスの喉から引き攣ったような悲鳴が漏れた。
「あ……あぁ……いや……いやぁぁ……っ!」
目の前に横たわっているのは、かつて自分を導いてくれた強く美しい小隊長。
ナノスキンアーマーのおかげで四肢の欠損こそないものの、その顔は蒼白で生気がなく、口元や鼻からは止めどなく血が溢れ出し、白い肌を赤く染め上げている。
「小隊長……! 息を……息をして……!」
アイリスは半狂乱でビャッコの体に縋り付いた。
抱き起こそうとするが、その体はまるで糸の切れた人形のように力なく、ぐらりと首が垂れ下がる。
自分の白い戦闘服が、ビャッコの吐血でみるみるうちに汚れていく。
だが、そんなことはどうでもよかった。
ただ、その体が恐ろしいほど静かなことが、耐え難い恐怖だった。
「ごめんなさい、ごめんなさい……! 私が……私が弱かったから……!」
アイリスは子供のように泣きじゃくりながら、血の気が引いた冷たい頬をビャッコの胸に押し付けた。
心臓の音を探すが、自身の嗚咽で何も聞こえない。
「私が守るって言ったのに……! もっと早く駆けつけていれば……! 私のせいで……!」
その懺悔は、もはや言葉にならず、ただの獣の咆哮のような慟哭となってトンネルに響き渡った。
「…………ひっ」
遅れて到着したネオンもまた、その静かすぎる惨状を目にして言葉を失っていた。
足の力が抜け、ガクガクと震えながらその場にへたり込む。
「うそ……ビャッコ……?」
ネオンの手が、恐る恐る伸ばされる。
しかし、触れることさえできなかった。
いつも無表情で、でも頼りがいがある小さな上司。
それが今、ただ眠っているように、けれど決して目覚めない屍のように転がっている。
「なんで……なんでこんな……」
ネオンの瞳からハイライトが消え、呼吸が過呼吸気味に荒くなる。
外傷が少ない分、かえって「中身が完全に壊れてしまったのではないか」という不安が想像力を掻き立てるのだ。
「ねえルミナ……これ、嘘だよね? ドッキリだよね……? だってビャッコだよ? 死ぬわけないじゃん……死んだらやだよ……!」
「――二人とも!! しっかりなさい!!」
絶望に沈みかけた二人を、ルミナの鋭い叱責が引き戻した。
彼女もまた顔面蒼白で、唇を噛み締めて震えを堪えているのが分かる。
「二人とも下がって! 今回はリペアツールを持ってきてるから!」
ルミナが冷静な声で指示を飛ばし、大きなトランクケースを広げた。
中から医療用のスキャナーを取り出し、ビャッコの全身にかざす。
青いレーザーが満身創痍の体を走査していく。
「……よかった。ナノスキンアーマーのおかげで、重要臓器の破裂は免れてる。全身打撲と内出血で危険な状態だけど、リペアツールを使えば修復可能な範囲だよ! まだ間に合う!」
「本当!? 助かるの!?」
「うん、すぐに意識が戻るはず。――ナノマシン、緊急注入!」
ルミナはトランクから注射器型のデバイスを取り出すと、迷わずビャッコの首筋に押し当てた。
プシュッ!
圧縮空気が皮膚を貫き、微細な医療用ナノマシンが血管へと送り込まれる。
スキャナーのモニターに表示された真っ赤な警告(内出血箇所)が、ナノマシンの働きによってみるみる緑色へと変わっていく。
「損傷部位の修復と止血を確認。バイタル安定……よし!」
ルミナは額の汗を拭うと、続けて小さな吸入器のようなものをビャッコの口元に当てた。
「
シュッ……!
気化した薬剤が肺に送り込まれた、その瞬間。
「……が、はっ!」
肺に空気が吸い込まれる音と共に、ビャッコが大きく目を見開いた。
「小隊長!!」
アイリスが再び泣きながら抱きついてくる。
ビャッコは霞む視界の中で、何が起きたのかを理解しようと瞬きを繰り返した。
痛みで体は鉛のように重いが、まだ動く。まだ生きている。
その後ろではネオンがヘナヘナと腰を抜かしたように座り込んでいるのが見えた。
だが、安堵の空気が流れたのも束の間だった。
静寂が戻ったトンネル内に、パチパチと車両が燃える音だけが響く中、後方の車両の陰から社長が這い出してきた。
彼は煤けたスーツを払うこともせず、逃走車両が消えた方向を呆然と見つめていた。
「……バカな。このタイミングで誘拐だと? ツアーがどうなると思ってる――!」
社長は震える手で頭を抱えた。
心配しているのはノアの安否ではない。
己の資産が奪われたこと、そしてこの後のツアーが実施できないことへのショックだ。
ビャッコはアイリスに支えられて体を起こすと頭を振った。
動かすだけで軋むような感覚に陥るが、四肢がついているだけましな方だと思うことにする。
【リペアツールにより止血には成功しました。ですが、全身の骨格および内臓へのダメージが残っています。戦闘継続は推奨されません】
(……動くなら問題ない。痛みは遮断して)
【……了解。痛覚遮断、最大出力。ただし、これ以上の負荷は生命活動に支障をきたします】
(そうも言ってられない。ノアが攫われたんだ。きっちり取り戻さないと)
ビャッコがアレスに内心で呟いたところで、怒声が響く。
「……クソッ! クソッ! お前ら何をしている! 早く検問を張れ!」
社長は携帯端末を耳に当て、トンネル中に響き渡る声で怒鳴り散らしていた。
その目は血走り、額には脂汗が滲んでいる。
「今夜はドームツアーの最終日だぞ! チケットは完売しているんだ! 中止になれば違約金で会社が傾く! スポンサーへの説明はどうするんだ!」
「社長、今はノアさんの安否が最優先です。誘拐犯からの接触を待って……」
「うるさい! そんな悠長なことを言っている場合か!」
ネオンが冷静に諫めようとするが、社長は聞く耳を持たない。
彼は自分の髪を掻きむしり、うろうろと歩き回っている。
その視線が、ふと涙を拭っているアイリスの姿で止まり――何かを値踏みするように細められたが、すぐにまた携帯端末へと戻った。
(……なんだ、今の視線は)
嫌な予感が背筋を走る。
だが、今のビャッコにはそれを追及するだけの余力がない。
「……アレス。敵の追跡は?」
【不可能です。特殊なジャミングを使用されており、信号が途絶えました。現在、広域スキャンを実行中ですが、発見できる確率は――ほぼゼロです】
(……そう)
ビャッコはギリリと奥歯を噛み締めた。
口の中に広がる鉄の味が、敗北の苦さを思い出させる。
ノアは連れ去られた。
彼女の目の前で。彼女を庇って。
「……まだだ」
ビャッコはふらつく足に力を込め、瓦礫の中に落ちていたセラフィムを拾い上げた。
「小隊長? 無理です、今は休んで!」
「休んでいる暇はないよ、アイリス。……必ず取り戻す」
ビャッコはトンネルの出口――敵が消えた方向を睨みつけた。
「あの子を、あんな奴らの好きにはさせない。これは私たちへの挑戦状だ」
燃え盛る車両の炎が、彼女の視界を赤く染める。
長い夜が始まろうとしていた。
歌姫を失った彼女たちはまだ知らない。
この後、さらに残酷な運命の選択が待ち受けていることを。
やっと曇らせできた