SF世界にTS転生した俺は治安維持部隊を全力で社畜する! 作:宇宙のモナカ
「――死に晒せェェッ!!」
ハウルの喉に埋め込まれた『ソニックブラスター』が、大気を激しく震わせて咆哮した。
それは単なる爆音ではない。空気を極限まで圧縮し、物理的な壁として撃ち出す不可視の破壊衝波だ。
凄まじい圧力が廃倉庫のコンクリート床を円状に抉り取り、跳ね飛んだ無数の石礫が散弾となって白いタクティカル・ウェアを着た少女へと襲い掛かる。
(アレス、回避パターン!)
【――軌道予測完了。生体電気による筋肉の強制駆動を開始します。マスター、関節と筋繊維に規定値を超える負荷が掛かります】
「……上等ッ!」
直後、ビャッコの意思とは無関係に、彼女の脚の筋肉が爆発的に収縮した。
それは「自発的な回避」ではない。脳の信号をすっ飛ばし、脊髄に埋め込まれたA.R.E.S.から直接神経網へ生体電流を流し込むことで、肉体を強制的に跳躍させるという荒業だった。
ビャッコの小柄な体が、まるで目に見えない糸で乱暴に引き上げられた操り人形のように、不自然な軌道で宙を舞う。
空中で体を捻り、死の衝撃波を紙一重で躱す。
だが、その代償は決して軽くはなかった。
ギリッ、と肩や膝の関節から、本来鳴ってはいけない嫌な音が響く。
痛覚遮断のおかげで痛みこそ感じないが、限界を超えた強制駆動により、白い肌の下で細かく断裂した筋繊維から血が滲み、ウェアの隙間を赤く染めていくのが分かった。
「……ハァッ、ハァ……ッ!」
「なぜだ! なぜ当たらねぇッ、このクソ犬がぁ!」
着地と同時に再び跳躍するビャッコへ向け、ハウルは苛立ち紛れに大型ハンドガンを連射する。
だが、ビャッコはコマのように回転しながら弾道をすり抜け、逆に『セラフィム』の銃口をハウルへと向け、ライトニング・チェインを撃ち込む。
青白い電磁の鞭が、蛇のように空気を裂いてハウルへと殺到する。
「小賢しいわァッ!」
ハウルが太い首を鳴らすと、喉元のデバイスが一瞬だけ凶悪な高周波を放った。
発生した高圧縮の衝撃波が、見えない分厚い壁となって前方の空間を殴りつける。
バチバチバチィッ!!
空気を伝うはずだったプラズマの道筋が、凄まじい衝撃波の圧力によって根こそぎ吹き飛ばされ、数万ボルトの雷撃はハウルの眼前で無惨に四散した。
「チッ……チョロチョロと、気味が悪ィ動きしやがって……!」
歴戦の傭兵であるハウルは、目の前の少女の動きに底知れぬ恐怖を覚え始めていた。
動きが人間離れしているのではない。人間が本来かけてはいけないリミッターを完全に無視して、肉体が壊れるのもお構いなしに『最適解』の動きを強要されているような、そんな歪さ。
ビャッコの左目の義眼だけが、青白い光を帯びて冷徹にハウルの隙を窺い続けていた。
その、激絶な死闘の裏側で。
ハウルが完全にビャッコの不気味な動きに意識を奪われている隙を突き、倉庫の頭上に張り巡らされたキャットウォークから、音もなく舞い降りた影があった。
「…………」
銃声と衝撃波が吹き荒れる中。
縛り付けられた鉄椅子の背後に降り立ったその影は、手にしたタクティカルナイフを逆手に構え、ワイヤーへと手を伸ばす。
「……何……」
ノアが、虚ろな目をわずかに動かした。
背後に立つその人物の顔を見て、彼女の喉がヒュッと鳴る。
そこには、自分と全く同じ顔をした少女がいた。
服装は、見慣れた無骨な治安維持部隊の制服だ。
先ほどモニターで見た華やかなドレス姿ではない。
しかし、ノアになりすますために施された完璧なメイクはそのまま残っていたため、まるで鏡写しのように、残酷なほどそっくりだった。
制服は港の泥や油で汚れ、同じ顔をしたその頬には擦り傷ができている。
それでも、その瞳だけはノアを真っ直ぐに見据えていた。
「……お待たせ、ノア。すぐにこの拘束を解きます」
アイリスが静かに告げ、ワイヤーに刃を当てる。
だが。
「……触るな」
ノアの声は、ひどく冷たく、そして乾ききっていた。
アイリスの手がピタリと止まる。
「ノア……? 何を言っているんですか。早くここから脱出しないと――」
「触るなって言ってるのよッ!!」
ノアは縛られたままの体をよじり、アイリスのナイフから逃れるように暴れた。
ワイヤーが手首に深く食い込み、新たな血が流れ落ちるのも構わず、彼女は憎悪と絶望の入り混じった瞳で『自分の偽物』を睨みつけた。
「今度は何よ。……『完璧な私』を演じきった自分を、自慢しに来たの?」
「違います。私はただ、貴女を助けるために……!」
「助ける? 笑わせないでよ。……モニター、見たわよ。あんた、私より上手くやってたじゃない」
ノアの視線が、暗く沈んだ大型モニターへと向けられる。
そこにはもう何も映っていないが、彼女の脳裏には、地鳴りのような歓声と、自分なしで完璧に回っている世界の映像が焼き付いていた。
「私はね……自分が『生身』だから価値があるって、ずっと信じてたの。喉から血の味がしても、足の骨が軋んでも、企業に媚びを売ってでも、私が、私自身であることが『特別』なんだって……そう思わないと、あんなゴミ捨て場みたいな孤児院での記憶に、押し潰されそうだったから!」
ノアの目から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちる。
それは悲しみの涙ではなく、自身の存在意義が完全に崩壊したことによる、空虚な涙だった。
「でも、違った。結局、私と同じ顔をしただけの『落ちこぼれ』と、あの化け物みたいな小隊長がいれば、私の代わりなんていくらでも務まるのよ。……それどころか、私以上の熱狂を作れる。私が血を吐く思いで手に入れた『特別』なんて、最初から無意味だったのよ」
ノアは力なく首を垂れ、まるで命を諦めた人形のように呟いた。
「私なんて……最初から、いらない子だったのよ。こんな、自分のすべてを奪った『完璧な偽物』に情けをかけられて助けられるくらいなら……ここで、あの化け物に殺された方がマシだわ」
すべてを投げ出した、冷たい拒絶。
どんな過酷な状況でも決して折れなかったトップアイドルの誇りは、皮肉にも、彼女を助けに来た「同じ顔を持つ妹」の存在によって完全にへし折られてしまったのだ。
「…………」
銃弾の雨音と、衝撃波の轟音が響く中。
アイリスは、項垂れるノアを見下ろしたまま、沈黙した。
その表情からは一切の感情が読み取れない。
いつも通りの、殻に閉じこもったような、冷たい無表情だった。
だが、彼女の手にあるタクティカルナイフの柄からは、ギリ、と小さな軋み音が漏れていた。
やがてアイリスは、ノアの手首に食い込んでいたワイヤーを一瞬の早業で切断すると、手にしていたナイフをコンクリートの床へと乱暴に放り投げた。
カランッ、と乾いた金属音が響く。
次の瞬間、アイリスは自由になったノアの両肩を、突き飛ばすような強い力でガシッと掴み上げた。
「……ッ!? な、何よ……!」
「……いい加減にしてよ!」
鼓膜を打つような、低く、押し殺した声。
ノアがハッと息を呑んで目を見開く。
それは、いつも自分と似た顔で自信なさげに卑屈な態度をとっていたアイリスではない。
剥き出しの感情が乗った荒々しい声だった。
「価値とか、特別とか、替えが利くとか……そんなことばっかり考えて、馬鹿じゃないの!?」
アイリスの瞳から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
それは、ノアが今まで一度も見たことのない、剥き出しの感情の雫だった。
それがノアの頬にポタリと落ちる。
「私に分かるはずがない! 貴女がどれほどの努力で、血を吐くような思いでその場所に立ち続けてきたのか! 泥水に塗れた孤児院から抜け出して、たった一人でどれだけ怖い思いをしてきたのか……私なんかに、分かるはずがないじゃない!」
アイリスは涙で顔をくしゃくしゃにしながら、ノアの肩を激しく揺さぶった。
「私なんか、貴女の歌をなぞって、貴女の顔を借りただけの、ただの偽物だよ! ……私がステージで数万人を熱狂させられたのは、私が特別だったからじゃない! 貴女が人生を賭けて積み上げてきた『ノア』っていう存在が、私を通して、みんなに微笑みかけていたからだよっ!」
アイリスの叫びが、戦闘の騒音すらも掻き消して倉庫に響き渡る。
「私だから熱狂したんじゃない! 完璧じゃない貴女が、ボロボロになっても必死で歌ってきた……その本物の熱があったから、私は今日、ステージに立つことができたんだよ!」
ノアの呼吸が止まる。
頭を殴られたような衝撃だった。自分は「生身」という存在に価値があると思っていた。
だが、アイリスが肯定したのはそんな表面的なものではない。
ノアが流してきた血と汗、這い上がってきた執念そのものを、この「偽物」は誰よりも理解し、肯定してくれたのだ。
アイリスは、ノアの瞳を真っ直ぐに射抜いて叫んだ。
「しっかりしてよ、お姉ちゃん!!」
お姉ちゃん。
そのたった一言が、ノアの凍りついていた心臓を激しく打ち据えた。
孤児院にいた頃から、一度も呼ばれたことのない言葉。
自分と同じ顔で卑屈にされると、自分まで惨めに感じるから拒絶し続けた存在。
本当は、誰よりも自分と同じ境遇の「家族」を求めていたくせに、認めるのが怖くて、自分だけは特別だというプライドの鎧で全身を固めていた。
その分厚い鎧を、出来損ないだったはずの妹が、泥だらけの手で強引に引き剥がしてくれた。
「……あ……」
ノアの目から、再び涙が溢れ出した。だが、先ほどの空虚な涙ではない。
心の一番奥底から湧き上がる、温かくて熱い感情の奔流だった。
アイリスの掌から伝わる熱が、ノアの心を完全に溶かしていく。
「……本当に、生意気なんだから……妹のくせに」
ノアはしゃくり上げながら震える声でそう漏らすと、傷だらけの腕を伸ばし、アイリスの手を不器用にも強く握り返した。
「――お熱い再会だなぁ、おいッ!!」
感動的な姉妹の対話を切り裂くように、血を吐くようなハウルの咆哮が轟いた。
度重なるビャッコの超常的な回避に業を煮やし、さらに背後で拘束を解かれたノアの存在に気づいたハウルは、苛立ちで完全に理性を飛ばしていた。
「まとめてミンチにしてやるよォッ!!」
ハウルが、太い首を姉妹の方へと向ける。
空気がビリビリと震え、ハウルの首元に埋め込まれたソニックブラスターの発生器が、異常な熱を帯びて真っ赤に発光し始めた。
機械の限界を超えたオーバーヒート。回避不可能な広範囲の衝撃波を放つ、禁忌の『広域破壊モード』のチャージだ。
倉庫全体が共鳴し、積み上げられた鉄のコンテナがカタカタと震えるほどの異常な重圧が空間を支配する。
「ノア、伏せて!」
アイリスがノアを庇い込むように抱きしめた、その瞬間。
「――お前の相手は私だッ!」
真横の死角から、コンクリートを砕くほどの鋭い踏み込みで、白い死神が飛び出してきた。
アレスの強制駆動の代償で、全身の筋繊維が悲鳴を上げ、白いウェアを赤く染めながらも、ビャッコは猛スピードでハウルへと肉薄する。
だが、ハウルはその乱入を待っていたかのように、口元を三日月のように歪めた。
「かかったなァ、クソ犬ッ!!」
ハウルの本当の狙いは、素早く逃げ回るビャッコを強引に引きずり出すことだった。
姉妹への狙いは囮。ハウルはニタリと笑うと、首を横へと猛烈な勢いで振り向き、ターゲットを真正面に飛び出してきたビャッコへと一瞬でロックオンした。
これで姉妹は完全に射線上から外れ、赤く焼け焦げる喉の最大出力が、ビャッコ一人に向けられる。
だが、罠だと分かっていても、ビャッコは一歩も引かず、真正面からハウルを見据えた。
「……アレス、私の
両手で構えた黒鉄の銃『セラフィム』。そして、ビャッコの左目の義眼が、青い光を放つ。
すべての因縁を終わらせる、終焉のタクトが今、振り下ろされようとしていた。