SF世界にTS転生した俺は治安維持部隊を全力で社畜する!   作:宇宙のモナカ

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第54話 サッカーボールと初恋の放物線(後編)

「それじゃあ、パトロールに行ってくる」

 

そう言いながら、俺はそそくさと詰所の出口へと向かった。

春の陽気に誘われるように、自然と足取りが軽くなる。

 

「あ、じゃあ私も一緒に行こうかしら。ずっとモニター見てて肩凝っちゃったし」

 

デスクで伸びをしながら、ネオンが何気なく立ち上がろうとした。

俺は内心で(マズい)と冷や汗をかきながら、慌てて振り返る。

 

「いや、ネオンは詰所にいていいよ。私だけで大丈夫だから」

「え?」

 

ぴたりと動きを止めたネオンが、訝しげな表情でこちらを見た。

 

「……そう? なんか珍しいわね」

「そ、そうかな? 気のせいだよ。じゃあ、行ってくる」

 

ジトッと向けられる疑いの視線に気まずい思いをしつつも、俺は逃げるように詰所を後にした。

ネオンにバレるわけにはいかない。中身がアラサーの小隊長が、ここ数日、パトロールの合間を縫っては公園で小学生とボール遊びをしているなんて。

 

(……でも、なんだかんだ楽しみなんだよな)

 

少し早足でいつもの公園へ向かう。

木陰が見えてくると、そこにはすでに壁に向かってボールを蹴っている少年の姿があった。

 

「おーい、ルイ。来たよ」

 

俺が手を振って声をかけると、ルイは弾かれたように振り返り、パッと顔を輝かせた。

 

「! おせーよ、ビャッコ!」

 

嬉しそうに手を振り返してくるその姿は、出会った初日の警戒心が嘘のように懐いている。

 

ここ数日、こうして彼と遊んでいると不思議な感覚に陥る。

この肉体年齢に引っ張られているのか、それとも俺自身が「小隊長」という重い鎧を脱ぎ捨てているのか。

まるで、普通に同い年の友達と放課後の校庭で待ち合わせているような、純粋で懐かしい気分になるのだ。

 

「悪い、少し手間取って」

 

俺は治安維持部隊の象徴である白いジャケットを脱ぎ、遊んでいるのがバレないように、そして汚さないようにベンチへ丁寧にかけた。

身軽な姿になって、ルイのもとへと駆け寄る。

 

「今日こそは、私の方が長くリフティングしてみせるから」

「へへっ、言ってろ! 昨日も俺の方が勝ってたじゃんか!」

 

ルイが小馬鹿にするように笑い、ボールをこちらへ転がしてくる。

俺はそれを右足の甲でピタリと止め、堂々と宣言した。

 

「……見てて。昨日からまた、少しコツを掴んだんだよ」

 

 

「おーい、ルイ。来たよ」

 

感情を感じさせない、それでいて風鈴みたいに澄んだ綺麗な声。

その声が耳に届いた瞬間、思わず跳び上がりそうになるくらい嬉しい気持ちを必死に腹の底に押し込んで、俺はわざとぶっきらぼうに振り返った。

 

「! おせーよ、ビャッコ!」

 

そこには、いつも通りのビャッコの姿があった。

春の日の光を弾く銀色の髪に、透き通るような真っ白な肌。

ヒューマロット特有の細長い耳が、俺の声に合わせてピコッと小さく揺れる。

……今日もめちゃくちゃ可愛いじゃんか。

 

「悪い、少し手間取って」

 

ビャッコはそう言うと、「遊んでるのがバレると怒られるから」と、治安維持部隊の白いジャケットを脱いでベンチにかけた。

その下から現れたのは、体にぴっちりと密着した薄手の黒いインナーだ。華奢な肩のラインや、引き締まった柔らかそうなお腹のカーブがはっきりと浮き出ている。

 

(うわ……っ)

 

同い年くらいのヒューマロットのはずなのに、隠しきれない女の子特有の艶かしさみたいなものがあって、俺は顔が熱くなるのを感じて慌てて視線を足元のボールに落とした。

 

最初、一人でボールを蹴っていた時に声をかけられた時は、「哀れなガキに同情してんのか」と反発しそうになった。

でも、ここ数日一緒に遊んでみてわかった。

こいつは俺に同情しているわけじゃない。ただ純粋に、俺と一緒にボールで遊びたいだけなんだ。

 

「ほら見て。昨日からまた練習して、リフティング50回できるようになったんだよ」

 

ビャッコはポーンとボールを蹴り上げると、数日前のあのデタラメな力業とは違う、きちんとしたフォームでボールを弾き続けた。

そのまま見事に50回を達成してボールをキャッチすると、こちらを見て「えっへん」と効果音がつきそうなドヤ顔を見せてくる。

「ンフー」と自慢げな鼻息すら聞こえてきそうなその顔は、ただの負けず嫌いな子供そのものだ。

 

出会った日、『精神年齢はアラサーだと思ってほしい』なんてわけのわからないことを言っていたけど、絶対嘘だ。

どう見ても見た目通りの精神年齢じゃないか。

でも、だからこそ、変に気を使わずに同い年の男友達みたいな気安さで遊べるのが、俺はすげー楽しかった。

 

「へへっ、50回くらいでいばんなよ! よーし、じゃあボールの取り合いだ! かかってこい!」

「あっ、待って」

 

俺がボールをキープして走り出すと、ビャッコがムキになって突っ込んでくる。

激しくボールを奪い合っていると、時折、彼女のひんやりとした滑らかな肌が俺の腕に触れる。その度に、ビクッと肩が跳ねそうになるのを必死にごまかした。

 

「右だ!」

「甘いっ!」

 

息を弾ませて距離が近づいた瞬間、彼女の細長い耳が俺の鼻先をふわりと掠めた。

――その瞬間、ふわっと、すげーいい匂いがした。

女の子特有の甘い……どこかバニラみたいな、頭の芯がくらくらするような匂い。

 

ドクン、と心臓が大きく跳ねて、俺は思わず足の動きを止めてしまった。

 

「あ、もらった!」

「あっ……!」

 

そのほんの一瞬の隙を突かれて、俺の足元からビャッコにボールをあっさりと奪われてしまう。

 

「ふふん。油断したルイが悪いんだよ」

 

ボールを足裏で転がしながらこちらを見下ろしてくるビャッコの顔は、相変わらず感情の読めない、人形のような無表情だった。

だけど、俺にはわかる。

いつもより少しだけ弾むような声の調子と、頭の上でピコピコと落ち着きなく揺れている長い耳を見れば、こいつが今、心の底からいたずらっぽく笑っているのが。

 

その涼しげな顔立ちと隠しきれない感情のギャップ、そしてさっき鼻先を掠めた甘い匂いが頭から離れなくて、俺はどうしようもなく顔を赤くして立ち尽くすことしかできなかった。

 

と、そんな時だ。

 

「おいおい、ルイのやつ、ヒューマロットの女子と遊んでるぜー!」

 

背後から飛んできた下品な笑い声に、俺はビクッと肩を震わせた。

振り返らなくてもわかる。

声の主は、スクールで同じクラスのザックだ。

体格も俺より一回り大きくて、家が金持ちなのを鼻にかけている嫌なやつ。

『純生主義』の俺の父ちゃんや母ちゃんのことを、「時代遅れの貧乏人」と平気で馬鹿にするから、俺はこいつが大嫌いだった。

 

「お前らみたいな貧乏人は、電脳デバイスも買えねえからそんな泥臭いことしてんだろ。ボール遊びとかマジでだせえ」

 

ザックと取り巻きの男子たちがニヤニヤと笑いながら近づいてきて、俺の肩を小突く。

 

「や、やめろよ!」

「生意気言ってんじゃねーよ。そんな薄汚ぇボール寄越せよ」

 

ザックが俺からボールを無理やり奪い取ろうと手を伸ばしてきた、その時だった。

 

「……ボール遊びは、ださくない」

 

ひんやりとした、だけどどこか絶対的な響きを持った声が割って入り、俺の前にスッと白い影が立ち塞がった。ビャッコだ。

 

「な、なんだよお前……っ」

 

ザックたちは、ビャッコの冷たいオーラと、人間離れした整いすぎた美貌に気圧され、思わず一歩後ずさった。

 

「私が一緒に遊んでたんだ。文句があるなら私に言いなさい。……人の遊びを『ださい』って見下すくらいなんだから、君たちはさぞかし、その最新の電脳ゲームとやらが上手いんだろうね?」

「あ、当たり前だろ! 俺たちに勝てる奴なんていねーよ!」

 

そうザックが叫ぶと、ビャッコは無表情のまま、ピクリと耳を動かした。

 

「ふーん。じゃあ、その自慢のゲームで私と勝負しようか。もし私が一回でも負けたら、なんでも君たちの言うことを聞いてあげる。……その代わり、私が一度も負けなかったら、君たちが私たちの言うことを聞く。それでどう?」

「な、なんでも?」

「うん、なんでも」

 

そう、なんでもないことのように言うビャッコ。

ザックたちはお互い顔を見合わせると少し慌てた様子になりながらも、鼻息荒く言うのだった。

 

「い、言ってろ! ARゲームでボコボコにして、泣かしてやるからな!」

 

 

(……売られた喧嘩は買う主義だ)

 

ザックたちの安い挑発に乗り、俺は持っていた端末から彼らのローカル電脳空間へアクセスを繋いだ。

 

「……アレス」

【はい、マスター】

「ちょっと全力出すよ。あの子たちに格の違いを見せつけてやろう」

【マスター。いくらなんでも、子供の遊びに全力を出すのは大人気ないと言ってませんでしたか?】

「馬鹿言え。これはプライドをかけた戦いだ。ルイの親御さんを馬鹿にした落とし前はつけさせる」

【……了解しました。AR空間での肉体同期率を最大に設定します】

 

電脳ゲームがスタートする。

最初の勝負は、忍者アバター同士のバトルゲームだ。ARエフェクトが重なり、俺の服装がスタイリッシュなくノ一の装束へと変化する。

 

「くらえっ!」

 

ザックたちが仮想の手裏剣を一斉に投げてくるが、俺の超絶的な動体視力と反応速度をもってすれば、止まって見えるほど遅い。

俺は飛んできた手裏剣を中指と人差し指の二本で軽く挟んでキャッチすると、手首のスナップだけで倍の速度で投げ返し、瞬く間に取り巻きを撃破した。

 

「はぁ!? 嘘だろ……っ」

「よそ見してる暇はないよ」

 

唖然とするザックの背後にいつの間にか回り込んだ俺は、冷たい刀のエフェクトで、彼の首元をスッと撫でるように掻き切った。

 

「ひぃっ!?」

「はい、私の勝ち」

 

続くゲームは、銃撃戦(FPS)だった。

今度は迷彩柄の軍服姿に変身した俺。というか、銃撃戦なら治安維持部隊の俺にとっては本職もいいところだ。

子供たちの撃つ弾道予測線など、すべてがスローモーション。

全弾を最小限のステップで躱しながら、俺は仮想のハンドガンを構え、一切の無駄なく引き金を引いていく。

 

「ヘッドショット。……次、ヘッドショット。はい、次も」

 

もはや勝負ではなく、単なる蹂躙だった。

ARゲームの仕様上、現実の肉体性能がリンクする限り、俺がこのガキ大将たちに負ける要素など万に一つもないのだ。

 

(あははっ! なんだこれ、楽しいぞ!)

 

最初はルイのために怒っていたはずが、圧倒的な無双状態に前世のゲーマー魂が刺激され、だんだんテンションが上がってきてしまった。

顔こそ無表情だが、俺の耳はご機嫌にピコピコと左右に揺れている。

 

「どうしたの? 次は誰? まだまだ相手になるよ」

 

すっかり怯えきった男子たちを煽るように言うと、子供たちの集団の中から、おずおずと前に進み出てきた影があった。

小さな女の子二人組だ。ARエフェクトで、フリフリのアイドル衣装を着ている。

 

(……ん?)

 

どこかで見たことのある二人組だなと思った瞬間、彼女たちは俺の顔をじーっと見つめ、そして確信を持ったように目を輝かせた。

 

「……もしかして、ビャッコお姉さま?」

「!?」

 

先日、ドームでのライブを見た影響で、公園で俺たちのコスプレをして踊っていた幼女たちだ。

無双してすっかり調子に乗っていた俺は、不意打ちで黒歴史を直撃され、バッと顔を背けた。

 

「ひ、人違いだ。私はしがない治安維持部隊の末端であって、決してドームで歌って踊ったりなんか……」

 

早口で言い訳を並べ、俺はそそくさと視線をザックたち男子グループの方へ戻した。

 

「……こほん。とにかく、私が全勝した。文句はないね?」

「うっ……あ、ああ……」

 

ザックたちは完全に戦意喪失していた。自分たちが一番得意な土俵で、それもチート級の反応速度を見せつけられて完膚なきまでに叩きのめされたのだ。ぐうの音も出ないだろう。

 

「負けたからには約束だ。何でも言うことを聞くんだろ……? 何すりゃいいんだよ」

 

悔しそうに唇を噛みながらザックが睨みつけてくる。

俺は小さく息を吐くと、ベンチの近くに転がっていた使い古されたサッカーボールを拾い上げ、彼らの足元へポーンと蹴り返した。

 

「――私たちと一緒に、サッカーをして遊ぶこと。これが私の命令」

「……は?」

「えっ?」

 

ザックだけでなく、背後にいたルイまでが間の抜けた声を上げた。

 

「さっき『ださい』って言ってたでしょ。でも、やってみなきゃわからないよ。もし一緒にやってみて、それでも本当につまらなかったら……私の負けでいいよ」

「…………」

 

ザックは足元に転がってきた泥臭いボールと、俺の顔を交互に見比べた後、「……やってやるよ」と自暴自棄のようにボールを蹴り出した。

 

 

それから数十分後。

 

「ルイ! そっち走って!」

「ビャッコ! こっちこっち、パス!」

 

春のうららかな陽光の下、広場にはボールを追いかけて走り回る子供たちの歓声が響いていた。

 

「はぁ、はぁっ……! なんだこれ、すげー疲れる……っ!」

「ザック、足元お留守になってるぞ!」

 

息を切らしながらも必死にボールを追うザックから、ルイが鮮やかな足捌きでボールを奪い取る。

ARゲームのような派手なエフェクトも、自動で補正されるステータスもない。

あるのは自分の生身の体と、重力に従って転がるボールだけ。

だけど、額に汗を浮かべて駆け回る子供たちの顔は、どれも晴れやかで楽しそうだった。

 

(A.R.E.S.の補正を切って走るのも、悪くないな)

 

ビャッコは本気を出せば一瞬で全員抜き去ることができるが、今はただの「少し運動神経のいいお姉さん」として彼らに混ざっていた。

パスを回し、笑い合い、ただ一つのボールを追いかける。その単純な熱量が、ひどく心地よく感じる。

 

やがて、全員が体力の限界を迎えて芝生の上に大の字に倒れ込んだ。

 

「あー……っ、死ぬかと思った……」

「お前、体力なさすぎだろ」

 

ぜぇぜぇと肩で息をするザックに、ルイが隣で笑いかける。

ザックは少しだけバツが悪そうにそっぽを向いたが、すぐにポツリとこぼした。

 

「……意外と、ムズイな。ボール蹴るの」

「だろ? 足首を固定して、芯を叩くのがコツなんだよ」

「ふーん……。じゃあ、明日またそれ教えろよ。俺の方が絶対すぐ上手くなるからな」

「へっ、言ってろ!」

 

さっきまでのギスギスした空気はどこへやら、二人はすっかり普通の悪ガキ同士の顔になって笑い合っていた。

 

「あ、そうだルイ」

 

起き上がったザックが、ポケットから予備の眼鏡型デバイスを取り出し、ルイに放り投げた。

 

「これ、俺のサブ端末の『ホロ・グラス』。親父のお下がりで少し型落ちだけど、まだまだ使えるから……親に内緒で貸してやるよ。ボール遊びもいいけど、たまにはARゲームもやろうぜ」

「えっ……でも、俺……」

「いいから受け取っとけって! お前、さっきの動き、絶対ARゲーム向いてるからさ!」

 

戸惑うルイの手を引いて、ザックや他のクラスメイトたちがわいわいと囲み始める。

 

(……ふふっ、一件落着だな)

 

ビャッコはそう思いながらうんうんと頷いた。

とそこで、視界の端に見知った姿が映る。

 

「あ、ナナミさん」

 

ビャッコがふと遊歩道に目を向けると、仕事帰りらしい女性の姿があった。

保育士をやっており、同じヒューマロット寮で暮らすナナミさんだ。

今日も相変わらず、涼やかで息を呑むほどの美人である。

 

「ビャッコ。……子供たちと遊んでいたのですか?」

「うん。ちょっとパトロールの合間に」

 

ナナミさんに頷き返していると、隣でホロ・グラスを弄っていたルイが、目を丸くしてナナミさんを見上げていた。

 

「きれーな人……。ビャッコのねーちゃん?」

「ちょっと違うけど、近所のお姉さん的な感じかな。……もしかして、ナナミさんに惚れちゃった?」

「ばっ、ちげーし!!」

 

顔を真っ赤にして否定するルイに、ビャッコはいいおもちゃを見つけたと言わんばかりにからかいの口調で言った。

 

「いやいや、いいんだよ。ナナミさん、すっごく美人だもんね。初恋泥棒としては申し分ないし」

 

そう、わざと意地悪なトーンで言う。

そんなビャッコの様子にルイはさらに顔を赤くして、キッと睨みつけてくる。

 

「ちげーって言ってんだろ! 俺は、ナナミさんより……お前の方が……っ」

 

ルイが何かを言いかけた、その瞬間だった。

 

『――労働者ノ皆サン、本日モ企業ヘノ貢献、感謝シマス。速ヤカニ帰路ニ就キ、明日ノ労働ニ備エマショウ』

 

街中に設置されたスピーカーから、夕暮れを告げる無機質で威圧的な電子音声と、少し不気味なチャイムが鳴り響いた。

 

「あ、やばい。もうこんな時間か」

 

ビャッコはそう言うと、慌ててベンチにかけていた白いジャケットを羽織った。

これ以上遅くなると、ネオンに何を言われるかわからない。

 

「もう戻らないと。じゃあね、ルイ。ザックたちも」

「おう。……なあ、ビャッコ」

「なに?」

「今日……いろいろ、ありがとな」

 

照れくさそうに視線を彷徨わせるルイに、ビャッコは小さく首を振った。

 

「別にいいよ。友達でしょ?」

 

そう言って、ビャッコは踵を返した。

 

――本人は、全く気付いていなかった。

子供たちと本気で遊ぶために、A.R.E.S.の補助を限界まで下げていた影響で、ヒューマロットとしての感情制御モジュールが完全に緩みきっていたことに。

 

夕日を背にして振り返った彼女の顔には、いつもの人形のような冷たい無表情はなかった。

そこにあったのは、年相応の少女のような、ひどく自然で柔らかな笑顔だった。

 

夕暮れのオレンジ色の光に照らされた、そのあまりにも幻想的な微笑み。

そんな不意打ちを真正面から浴びた瞬間、ルイは雷に打たれたようにその場に固まった。

ドクン、と。少年の胸の奥で、かつてないほど大きな音が鳴る。

 

「…………っ」

 

ビャッコ本人は自分の顔がそんなことになっているとは露知らず、ひらひらと手を振って歩き出す。

限界まで顔を赤くして立ち尽くしていたルイは、遠ざかっていくその背中に向かって「……おう! またな!」と、壊れたように激しく手を振り返すことしかできなかった。

 

夕暮れの街へと帰っていく、あの幻想的な笑顔の残像が目に焼き付いて離れない。

心臓がずっと、うるさいくらいに鳴り続けていた。

 

「次に会ったときは……」

 

誰もいなくなった公園の片隅で、熱くなった頬を両手で押さえながら、ルイが一人でポツリと呟いた。

 

「あら。次に会ったときは、なにかな?」

「ひっ!?」

 

不意に背後から声をかけられ、ルイは弾かれたように振り返った。

そこには、艶やかな黒髪を揺らす、クール系の美人なお姉さんが立っていた。

口元には優しげな笑みを浮かべているのに、なぜか目が全く笑っていない。

見下ろされているだけで背筋が凍るような、得体の知れない威圧感があった。

 

「あ、あの……。お姉さん、だれ……?」

「私? 私はビャッコの同僚よ。最近、あの子がなかなかパトロールから帰ってこないと思ったら……こんなところで、可愛い男の子と遊んでたのね」

「ご、ごめんなさい! 俺が、無理やり引き留めて遊んでもらってただけで……っ」

 

ビャッコが怒られるかもしれないと思い、ルイは必死に庇おうとした。

すると、黒髪のお姉さん――ネオンは、「ううん、いいのよ」とふわりと微笑んだ。

 

「ビャッコのあんな珍しい顔も見れたし、今日は許してあげる。……でもね」

 

スッ、と。

ネオンがしゃがみ込み、ルイの肩を両手でガッチリと掴んだ。

逃げ場を塞ぐように至近距離で視線を合わせられ、蛇に睨まれた蛙のように体が硬直する。

 

「私のビャッコも、これから色々と忙しくなるの。だから、あんまり君とは遊べなくなるかもしれないけど……ごめんね?」

 

有無を言わさない、絶対的な圧力。

それは「お願い」ではなく、完全に「警告」だった。

 

「ひぃっ……! は、はいっ!!」

 

ルイは涙目でこくこくと何度も頷くと、弾かれたように脱兎のごとく公園から逃げ出した。

 

「……まったく、罪な子ね」

 

逃げていく少年の背中を見送りながら、ネオンは呆れたようにため息を吐く。

 

「いたいけな子供の初恋を奪って、何やってんだか。……さあて、説教の時間ね」

 

黒髪を夕風に揺らしながら、ネオンはどこか独占欲を満たしたような足取りで、ビャッコの待つ詰所へと帰っていくのだった。




息抜き回おしまい。
あと報告なのですが、ほぼストックが尽きた&本業が繁忙期に入るため、更新が不定期になります。
最低でも週1更新はキープしますので、ご声援お願いします。
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