オノレは、首を傾げる。
この老執事。
忠義こそ厚きけれど、教養のない叩き上げ。
領民を従わせる貫禄はあれど、打開策を出せる知恵があると到底思えない。
時間の無駄だ。
オノレは切り捨てようとした。
だが……どうにも、その先が気になった。
緊急時であろうが、好奇心を煽られると弱い。
それこそが、オノレという若者の弱点だった。
「なら……仮に、だ。その方便の問題だとしようじゃないか」
「はい」
「それで? そうしたら……いったい、なにがどう変わるって言うんだい?」
「仮に、方便の問題として処理しますとですな」
老執事ゲロハルトは、指先で髭を整える。
手入れされた革靴が、やはり磨き上げられたようにピカピカだった。
「ヤバマーズ流のやり方で、
――ヤバマーズ流。
すごい嫌な予感がした。
オノレだけではない、聖騎士ロダンも確信した。
この老人が語る“やり方”とやらは、絶対にろくなものではない、と。
されど、ただ一人。たった一人。
「ゲロハルト」
「はい、なんですかな。リュス」
「……わたくしを、アスタ様の元へ連れて行きなさい。その方便とやらを携えて」
「ええ、喜んで。我らが――
どんより
そう、結局。
この爺さん、野蛮なヤバマーズの民をまとめあげる力は――本物。
「さあさあ、皆様方! そうと決まれば、動こうではありませんかっ!」
「え、いや、その……?」
「緊急事態なのでございましょう? これ以上、話し合う暇などございません! さあ、リュスもこちらに来なさい」
有無を言わせず、全員がどんどん巻き込まれていく。
老執事ゲルハルト、一度、主人が走ると決めたなら、途中下車を誰にも許さない。
そして、ゲロハルトの認識において。
リュスはもはや、ヤバマーズの一員。
狂奔する馬車馬の一頭。あるいは車輪の一つ。
ならば、けん引する馬が勝手に脱落するなど以ての外ではないだろうか。
ああ、そうだ。
老執事ゲロハルトは……主人より先に、誰かが音を上げるなど絶対に許さないのだ。
そんな無学な頑固老人の感傷こそが。
間違いを恐れぬ、伝統への固執こそが――敵の狙いを大きく狂わせていく。
***
剛腕が大気を裂く。
身をよじれば、五本指が僕の頭をかすめるように通り過ぎた。
「おっとぉ、さっきからよく避けるねぇ! さすがは“魔人殺し”だぁッ!」
ヤバマーズ家に伝わる、伝統技術。
無駄に素早い身のこなしで避けまくるが、当たってすらいないのに、みるみる傷が刻まれ血が滲んでいく。
(なのに、このハーフオークからは……何の予兆も発せられない! 本当に身体強化の魔術すら使ってないのか!?)
すれ違う風圧だけで、肌が擦り切れる。
「おいおい、男爵。反撃はどうした? 逃げ回るだけが能かぁ?」
「この脚で出来るか、ボケっ! 傷が見えないのかよ!」
「それくらい気合でなんとかしろや。死合いで泣き言を吐く
「無茶だろぉっ!?」
僕への期待が重すぎんだろ。
いったいどこの英雄と勘違いしてるんだ!?
「なら言わせてもらうけどな! お前こそ、素手だなんてずいぶんと嘗めた戦闘スタイルじゃんか!」
「おおっ。なんだ、物珍しいか」
「その上、まったく魔素を使わず、素の肉体だけで戦場を渡り歩いてるだと? タチが悪い冗談にもほどがあるぞ!」
「ああん? なんだ、つまり――オレ様に魔素を使って欲しいってかぁ?」
「……え、なんだって?」
瞬間、巨漢の肉体に刻まれた刺青が、禍々しい紅蓮の光を放った。
「仕方ねえな。要するに、こういうリクエストだろ?」
「――っ!?」
ジリリ、とウロコが疼いた。
すっかり染みついた、いつもの条件反射。
無様に転がり、迫る死から退避する。
――ズバァアアアアンッ!
紙クズのように真っ二つになる大木、抉れる地面。
嘘だろ。おいおい……全く見えなかったぞ?
もし、左手の魔素反応が無かったら、肉片にされてた。
「お、やっぱさっきより反応が早え。指揮官の見立て通りだな」
「まさか……今のは」
「見ての通りだ、拳に魔力を纏わせた。ついでに言うなら、普段は体内で強化魔術も発動してるぜ? 息をするみてぇにな」
「……僕に合わせて、魔素を働かせないようにしてるっていうのか?」
でも、それは理論上……無理じゃないか?
魔素を体内にため込み、行使できる肉体になっているということは……生存代謝そのものに魔素を組み込んでしまっているはず。
そう、魔力を大量に扱える肉体ほど。
――純粋な人間よりも、魔物の領域に近くなる。
「んなもん、制御すりゃいいだけの話だろ。息止めるみてぇに」
「制、御?」
「自分だってやってんだろうがよ、その、手に埋め込んだウロコでよ」
まるで、意味がわからなかった。
これは埋め込んだわけじゃ……ない。
「お前は、なにを言っている?」
「いやだって。テメェは……ほれ、ヤバマーズなんだろ?」
「……僕がヤバマーズだからって、なんだっていうんだ?」
僕が本気で怪訝そうにしていると、ハーフオークは「ぁあ?」と首を傾げる。
やがて、なにかを悟ったように首を左右に振った。
「あー、そうかよ。そういうことか。……ってことはテメェ、まさかの天然もの。半変異の個体ってコトか!」
「半変異……?」
「おもしれぇ、どうやった? まさか魔物を食って、たまたま適合でもしたってか?」
「……」
「へえ、やるねえ。どれ、ちょっと見せてみろ!」
「うぉっと!?」
対話の拒絶。返答を待たずに、奴は踏み込んだ。
放たれる、魔力が帯びた連撃。
僕も咄嗟に、左手に『三日月の刃』を構築。迎え撃つ。
――キィィィン。
衝突。磁石の同極同士が反発するように、互いのエネルギーを相殺。
強烈な反動が、腕を痺れさせた。
「嘘、だろ。並みの魔物なら、チーズみたいにぶった斬る刃だぞっ!?」
「ほほう。だがよ? 似た性質の攻撃なら、互いに干渉し合うだろ。そりゃあな」
さっきから、このハーフオークは何を言っているんだ。
僕の知らない“なにか”を知っているのか。
思考が波立つ。だが、今は紐解く余裕はない。
「やられる前に――全力でやるしかないっ!」
「お? ようやく本気ってか、来いよ」
互いに動きは急加速。
ネジ巻き式ボウガンで牽制、狩猟刀で死角を突く動きに派生。
そこから空中で回転、地を這うように着地……からの、三日月の刃で足を凪ぐ。
「おっと。そっちこそ変わった動きだな、“魔人殺し”」
刺青が輝く。
身体強化、巨漢は回避と防御に転じた。
切り替えに一切の淀みがない。
全霊の猛攻は容易くいなされ――。
「刃が、膝で止められた!?」
一点集中。
奴は膝の刺青に、魔力を極限凝縮。完全に防がれた。
「ほらよ、お返しだッ!」
「ぐっ!?」
強烈な蹴り上げ。
僕の腹を破裂させるように襲う。
視界暗転。
猪に跳ねられたような勢いで、宙を舞い、背中を思い切り打ち付けた。
そして、今の攻撃にも――魔素の予兆がなかった。
「はあん、なるほどな。通常の格闘術を
「うぐっ……あがっ……」
「ほれ立てよ、魔人殺し。たまには、オレ様の筋肉だけでぶっ壊すのも悪かねえ。魔拳だけが能じゃねえってところを証明しなきゃなあ」
「……はあ、はあ。魔人並みの強化身体に、人間の武術と戦術判断力。厄介、すぎる……っ」
逃げられるか?
即判断。いや、無理だ。
脚の負傷がズキリと疼く。
自慢の逃げ足は、枝が刺さってガタ落ち。
一方、敵は万全。
そればかりか、魔素で強化した理不尽エンジンを、いつでもこちらの出方に合わせて搭載できると来た。
(相性が最悪だ。……ガチで、詰んだか?)
ふらふらと立ち上がるが……勝ちのビジョンがまるで見えない。
死ぬ。このままだと、数秒後には地面のシミにされる。
(魔物なら――絶対に、こんな動きはしてこないのにッ!)
強大な魔物をハメ殺すのと、達人との対人戦では。
……要求される技術が、あまりに違いすぎる。
「これも避けてみろよ、魔人殺し!」
巨体に似合わぬ、柔軟な俊敏さ。
ハーフオークは再び急加速。迫る拳。
これで終わりか。僕の、短くて不毛な人生も。
(ごめん、みんな。……ごめん、リュス……っ!)
――ズォォッ!!
刹那。
暗闇の森に、一筋の鈍い残光。耳をつんざく駆動音。
「ア゛ッ、痛ぇ!? なんだぁっ!?」
「なんだ、アスタ先輩。――まだ、生きてるじゃないっすか。あんだけそれっぽいこと言ってたくせに」
そこに立っていたのは、返り血に濡れたポニーテール。
ジルだ。
メイド服は焼け焦げ、さらにボロボロ。けれど、二刀の切断工具はいまだに健在。
回転刃を「ギュィィィン」と威嚇するように鳴らし、ハーフオークを睨みつけていた。
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