――時間は遡る。
防衛戦に氷壁が立つ、少し前。
オノレが浮かべたのは、貴公子然とした微笑みだった。
「ラ・ボアジエ教授。俺の余興に付き合っていただけませんか」
ティーカップを片手に、彼方を見つめていたラ・ボアジエ教授は。
ひどく意外そうに、目を走らせた。
「……余興、と言ったかね。オノレくん」
「はい、そうです。この殺風景な領地に、華を添えようかと思いまして」
ラ・ボアジエ教授からの返答を待たず。
オノレは高らかに続ける。
「聞けば! ……ヤバマーズ領では、歓待の際に余興を行う習わしだとか」
「ほほう?」
「先ほど、当主のアスタ・ド・ヤバマーズが主催となり、商業プレゼンと学術発表をしたではありませんか。……俺も招かれている客人として、粋な返礼がしたいと思ったのです」
「返礼……それはまた、随分と奇妙な言の葉を差し出してくるものだね」
「是非とも。ラ・ボアジエ教授も、ご参加くださいませんか?」
にっこり。
当然、プレゼンにも学術発表にも、それどころか事前準備からすらオノレは参加しているのだが。
オノレは都合よく、そこに触れない。
「私は、衆目など気にも留めはしないがね。かといって……俗人の見世物となるのを好むわけでもないのだよ」
「いえ、あくまで返礼のためです」
「同じことではないかね、言い方を変えた程度で何が変わると?」
「まるで違います。俗人のためではなく、アスタ個人に向けて贈るのですよ」
「……ふむ」
「ここはアスタの屋敷ですから、郷に入っては郷に従うべきなのです」
奇しくもオノレは、自分すらも信じていない理屈を。
もっともらしい声色で通そうとしている。
やはり、どこかの誰かとそっくりだった。
「それとも、ラ・ボアジエ教授にとって……アスタは礼を通すに値しない人間でしたか? 今夜のアスタ・ド・ヤバマーズの口上が、そこまでつまらないものだったと?」
オノレの口調は、どこか挑発めいてすらいた。
“もしそうなら、なぜわざわざ辺境まで来たのか”と指摘するようでもあった。
聞いて、暫し。
ラ・ボアジエ教授はじっとオノレを見つめると。
「随分と変わったな、オノレくん」
「……そうでしょうかね」
「瞳に映る光景は、かつてと異なるものになったかね?」
「正直、よくわかりませんが。ただ、腹が立つことがとても増えましたね。一発……いや、数発は殴ってやりたい顔がいつも頭に浮かびます」
「そうかね」
ラ・ボアジエ教授は、口の端を吊り上げる。
老練な蛇のような表情だった。
「大変すばらしい詭弁だった。……これを断っては、私が狭量な師となることだろう」
「いいえ、まさか。そんなことは誰も言うはずがありませんよ」
「そうだろうね? だが、お前は小癪にも“私に”そう思わせようとしている」
「……お怒りになりますか?」
「いいや、実に嗤える。気取り屋のお前が、自分すら信じていない建前を、為すべき善のため貫く。……無様だね、とても優雅とは言い難い。そうだろう? オノレ・ド・ラプラス」
「……ええ」
「そう、今のお前はまるで道化のようだよ。
教授は、再び教え子を採点する。結論は――。
「しかし、時代とはそうして動いていく。“人間が懸命に生きる”とは往々にして無様で滑稽で――愚かしくも、ひどく愛おしいものなのだよ」
――ゾクリ。
オノレは自分が酷く、無謀なことをしていると自覚した。
鳥肌が止まらなかった。
「いいだろう。……
そうして、オノレの返礼。“余興”の幕が上がった。
オノレが好む氷結魔術とは。
即ち――魔導における『熱力学』の叡智である。
しかしながら、火を生むのは容易い。
常人ですら火打石さえあれば火をつけられる。
一方で、冷気を生み出すのは至難の業。
ましてや巨大な氷壁を生み出すとなれば、数段上の高等技術なのである。
それでも、
そう、すべては方便だ。
ましてや、アスタは教授の手を払いのけている。
この状況下で、必要なのは二つ。
教授を納得させるだけの理由、中央の耳目に言い開くための建前。
つまり、『ヤバマーズとは何ら関係がないが、客人が余興で氷の城壁を作った。すると盗賊が勝手に恐れおののいた』というカバーストーリーを捏造する。
(幸い、ラ・ボアジエ教授は面白がってくれたけどさぁ。やっぱり、頭おかしいでしょ!?)
しかし、老執事ゲロハルトのハチャメチャさはここからが本番。
「では、ラ・ボアジエ教授。お見せしましょう――俺たちの、熱力学の証明を」
「この私を実験器具扱いとはね。よかろう、お前のその不遜さに付き合ってあげよう」
防衛戦の真っただ中、オノレが杖を掲げると同時。
ラ・ボアジエ教授の周りに漂う魔素。それらが竜巻のようにねじ切れた。
――ドォンッ!!
教授が放ったのは、莫大な熱量。
だが、噴出しているのは標的を焼き尽くすための炎ではない。
オノレが展開する冷気術式のための、膨大な『熱の吐き出し口』としての機能。
つまりは、熱を喰らうための――排熱の炎。
「熱とは……本来、高き処から、冷然たる低き川下へと流れゆくもの。されど、その川の流れを作ってやればどうかな?」
世の理、熱力学第二法則を逆手に取る。
意図的に超高温の排熱先を作り出し、そこへ周囲の熱を強制的に吸引・循環させていく。
引き換えに、局所空間の温度はマイナスへと急降下。
「相転移を開始――
オノレの紡ぐ
みるみるうちに強大な結晶体へと変わりゆく。
キィィィィィィィィンッ!!!!
凍てつく高周波が、ヤバマーズの戦域に木霊。
大地から天へ穿つようにして、またたく間に形成されていく蒼白の障壁。
赤い月光を浴びて煌く、城壁は禍々しくも神々しい。
「な、なんだぁ。ありゃぁあああっ!?」
……絶句。
暴走していたはずの盗賊たち、その攻勢が止まった。
あまりの魔力の波動。
『火炎の
そう、どこの世界でもそうだ。
単純な破壊よりも、生み出す方が遥かに繊細で難しい。
そこに、豪商バルトロメウスをはじめとする、欲深い
余興だと外に引っ張り出されたのだが。
「赤い月の……一夜城……?」
バルトロメウスは思わず、つぶやいた。
起きたのは、商人たちの私兵でも真似など出来ない事象。
そうだ。こんなことが可能ならば……一夜で陣城が建ちかねない。
「では……商人の皆様方。良ければいかがですか」
「な、なにをだね?」
「戦場観戦です、いわば貴族の嗜みですよ」
オノレは、老執事ゲロハルトの入れ知恵通りに口にした。
「俺はラプラス伯爵家の三男。となれば、戦の見物も乙なものです」
「お、乙???」
「ええ、そうです。敵が賊と言えど、それも対包囲戦となれば……なかなか希少だとは思いませんか?」
「希少と言われれば、そうやもしれませんが……」
オノレは青い前髪を優雅に払い、微笑む。
まるで社交界のラウンジに招待するような仕草。
「初夏に、この氷の城壁から眺める戦景色。どうです、存外悪くなさそうでしょう? きっと、冒険商人たる皆様にとっても良い記念になる」
微笑む貴公子。
もちろん、内心はこう思っている。
(こんなの、乙なわけないだろぉおおおおっ!!! 良い記念になるわけないだろうがぁぁあああっ!)
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