ヤバマーズ ~毒喰らい男爵の人生逆転劇~   作:裃 左右

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第108話 熱力学第二法則。戦場にて、氷の一夜城を建て申した。

 ――時間は遡る。

 防衛戦に氷壁が立つ、少し前。

 

 オノレが浮かべたのは、貴公子然とした微笑みだった。

 

「ラ・ボアジエ教授。俺の余興に付き合っていただけませんか」

 

 ティーカップを片手に、彼方を見つめていたラ・ボアジエ教授は。

 ひどく意外そうに、目を走らせた。 

 

「……余興、と言ったかね。オノレくん」

「はい、そうです。この殺風景な領地に、華を添えようかと思いまして」

 

 ラ・ボアジエ教授からの返答を待たず。

 オノレは高らかに続ける。

 

「聞けば! ……ヤバマーズ領では、歓待の際に余興を行う習わしだとか」

「ほほう?」

「先ほど、当主のアスタ・ド・ヤバマーズが主催となり、商業プレゼンと学術発表をしたではありませんか。……俺も招かれている客人として、粋な返礼がしたいと思ったのです」

「返礼……それはまた、随分と奇妙な言の葉を差し出してくるものだね」

「是非とも。ラ・ボアジエ教授も、ご参加くださいませんか?」

 

 にっこり。

 当然、プレゼンにも学術発表にも、それどころか事前準備からすらオノレは参加しているのだが。

 オノレは都合よく、そこに触れない。

 

「私は、衆目など気にも留めはしないがね。かといって……俗人の見世物となるのを好むわけでもないのだよ」

「いえ、あくまで返礼のためです」

「同じことではないかね、言い方を変えた程度で何が変わると?」

「まるで違います。俗人のためではなく、アスタ個人に向けて贈るのですよ」

「……ふむ」

「ここはアスタの屋敷ですから、郷に入っては郷に従うべきなのです」

 

 奇しくもオノレは、自分すらも信じていない理屈を。

 もっともらしい声色で通そうとしている。

 

 やはり、どこかの誰かとそっくりだった。

 

「それとも、ラ・ボアジエ教授にとって……アスタは礼を通すに値しない人間でしたか? 今夜のアスタ・ド・ヤバマーズの口上が、そこまでつまらないものだったと?」

 

 オノレの口調は、どこか挑発めいてすらいた。

 “もしそうなら、なぜわざわざ辺境まで来たのか”と指摘するようでもあった。

 

 聞いて、暫し。

 ラ・ボアジエ教授はじっとオノレを見つめると。

 

「随分と変わったな、オノレくん」

「……そうでしょうかね」

「瞳に映る光景は、かつてと異なるものになったかね?」

「正直、よくわかりませんが。ただ、腹が立つことがとても増えましたね。一発……いや、数発は殴ってやりたい顔がいつも頭に浮かびます」

「そうかね」

 

 ラ・ボアジエ教授は、口の端を吊り上げる。

 老練な蛇のような表情だった。

 

「大変すばらしい詭弁だった。……これを断っては、私が狭量な師となることだろう」

「いいえ、まさか。そんなことは誰も言うはずがありませんよ」

「そうだろうね? だが、お前は小癪にも“私に”そう思わせようとしている」

「……お怒りになりますか?」

「いいや、実に嗤える。気取り屋のお前が、自分すら信じていない建前を、為すべき善のため貫く。……無様だね、とても優雅とは言い難い。そうだろう? オノレ・ド・ラプラス」

「……ええ」

「そう、今のお前はまるで道化のようだよ。名誉(オノレ)の名からは程遠いね」

 

 教授は、再び教え子を採点する。結論は――。

 

「しかし、時代とはそうして動いていく。“人間が懸命に生きる”とは往々にして無様で滑稽で――愚かしくも、ひどく愛おしいものなのだよ」

 

 ――ゾクリ。

 

 オノレは自分が酷く、無謀なことをしていると自覚した。

 鳥肌が止まらなかった。

 

「いいだろう。……我が学生(エティヤント)が初めて見せた、そのなりふり構わぬ滑稽さに免じて。その、余興の中身を聞こうじゃないか」

 

 そうして、オノレの返礼。“余興”の幕が上がった。

 

 オノレが好む氷結魔術とは。

 即ち――魔導における『熱力学』の叡智である。

 

 しかしながら、火を生むのは容易い。

 常人ですら火打石さえあれば火をつけられる。

 

 一方で、冷気を生み出すのは至難の業。

 ましてや巨大な氷壁を生み出すとなれば、数段上の高等技術なのである。

 

 それでも、炎達士(フラメトル)たるラ・ボアジエ教授の演算支援さえあれば話は別だ。扱える大気中の魔素と熱総量は莫大。

 

 そう、すべては方便だ。

 

 王立大学(アカデミア)魔導師(マギ)が、辺境の紛争に介入する義務など全くない。

 ましてや、アスタは教授の手を払いのけている。

 

 この状況下で、必要なのは二つ。

 教授を納得させるだけの理由、中央の耳目に言い開くための建前。

 つまり、『ヤバマーズとは何ら関係がないが、客人が余興で氷の城壁を作った。すると盗賊が勝手に恐れおののいた』というカバーストーリーを捏造する。

 

(幸い、ラ・ボアジエ教授は面白がってくれたけどさぁ。やっぱり、頭おかしいでしょ!?)

 

 しかし、老執事ゲロハルトのハチャメチャさはここからが本番。

 

「では、ラ・ボアジエ教授。お見せしましょう――俺たちの、熱力学の証明を」

「この私を実験器具扱いとはね。よかろう、お前のその不遜さに付き合ってあげよう」

 

 防衛戦の真っただ中、オノレが杖を掲げると同時。

 

 ラ・ボアジエ教授の周りに漂う魔素。それらが竜巻のようにねじ切れた。

 

 ――ドォンッ!!

 

 教授が放ったのは、莫大な熱量。

 だが、噴出しているのは標的を焼き尽くすための炎ではない。

 

 オノレが展開する冷気術式のための、膨大な『熱の吐き出し口』としての機能。

 つまりは、熱を喰らうための――排熱の炎。

 

「熱とは……本来、高き処から、冷然たる低き川下へと流れゆくもの。されど、その川の流れを作ってやればどうかな?」

 

 世の理、熱力学第二法則を逆手に取る。

 

 意図的に超高温の排熱先を作り出し、そこへ周囲の熱を強制的に吸引・循環させていく。

 引き換えに、局所空間の温度はマイナスへと急降下。

 

「相転移を開始――無秩序(エントロピー)を排し、秩序たる結晶を創出する。出でよ、情報の界からこの物質の界へと! 凝固せよ!」

 

 オノレの紡ぐ論理(ロジック)が、大気中の水分を次々と捕獲。

 みるみるうちに強大な結晶体へと変わりゆく。

 

 キィィィィィィィィンッ!!!!

 

 凍てつく高周波が、ヤバマーズの戦域に木霊。

 大地から天へ穿つようにして、またたく間に形成されていく蒼白の障壁。

 赤い月光を浴びて煌く、城壁は禍々しくも神々しい。

 

「な、なんだぁ。ありゃぁあああっ!?」

 

 ……絶句。

 暴走していたはずの盗賊たち、その攻勢が止まった。

 

 あまりの魔力の波動。

 はぐれ魔術師(ウォーロック)たちは何が起きたか理解すらできていなかったが……この程度のことはわかった。

 

『火炎の飛礫(つぶて)で遊んでいる自分たちとは――格が違う魔術師がいる』

 

 そう、どこの世界でもそうだ。

 単純な破壊よりも、生み出す方が遥かに繊細で難しい。

 

 そこに、豪商バルトロメウスをはじめとする、欲深い大商人(キツネ)たちもいる。

 余興だと外に引っ張り出されたのだが。

 

「赤い月の……一夜城……?」

 

 バルトロメウスは思わず、つぶやいた。

 

 起きたのは、商人たちの私兵でも真似など出来ない事象。

 そうだ。こんなことが可能ならば……一夜で陣城が建ちかねない。

 

「では……商人の皆様方。良ければいかがですか」

「な、なにをだね?」

「戦場観戦です、いわば貴族の嗜みですよ」

 

 オノレは、老執事ゲロハルトの入れ知恵通りに口にした。

 

「俺はラプラス伯爵家の三男。となれば、戦の見物も乙なものです」

「お、乙???」

「ええ、そうです。敵が賊と言えど、それも対包囲戦となれば……なかなか希少だとは思いませんか?」

「希少と言われれば、そうやもしれませんが……」

 

 オノレは青い前髪を優雅に払い、微笑む。

 まるで社交界のラウンジに招待するような仕草。

 

「初夏に、この氷の城壁から眺める戦景色。どうです、存外悪くなさそうでしょう? きっと、冒険商人たる皆様にとっても良い記念になる」

 

 微笑む貴公子。

 もちろん、内心はこう思っている。

 

(こんなの、乙なわけないだろぉおおおおっ!!! 良い記念になるわけないだろうがぁぁあああっ!)




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