築き上げた城壁に、武装した護衛達がぞろぞろと立ち並ぶ。
主である商人たちも、おずおずと身を寄せ始めた。
すると、なんということだろう。
先ほどまで命のやり取りが行われていた最前線が一転。
匠たちの粋な計らいで、ヤバマーズを一望できる“特等の
「これは……もはや、なんと表現してよいか……」
さしもの豪商バルトロメウスも、氷の縁を強く握りしめ動揺を押し込めた。
本来なら、一刻も早く逃げ出したくなるような惨状だったろう。
しかし――。
「悪くない
この透き通る氷に立ち、名門伯爵家の令息と……伝説の
遥か高みからの見物へと塗り替えられてしまう。
恐怖によって暴徒と化した盗賊たちが……。
いや、燃えあがる炎も、立ち昇る煙さえも。
赤銅月下に、なにもかもが唖然としているようにすら見えていた。
「いや、これはもう参戦でしょっ……戦力の再配置でしょっ……!?」
オノレは小声でツッコむ。
突如現れた氷の城壁に、フル装備の護衛達が並んでいるのだ。
そう、貧相な武装領民たちとはわけが違う。少数ながら、大商人の護衛達は腕利きぞろい。
無論、誰も戦う気などさらさらないが。
……だが、盗賊たちから見ればどう映る?
「やっぱり、大商人の私兵が布陣したようにしか見えないでしょうが!!」
まごうことなき、新戦力投入である。間違いなく。
しかし、老執事ゲロハルトは「いえいえ」と首を振る。
「これは、戦力の再配置や投入ではありません。やはり観戦と申します」
「……観戦?」
「左様にございます。城壁や塔の上から、両軍の動向や兵器運用を眺める。これはまさしく貴族の嗜みに違いなく」
「観戦文化なんて、本当は一般的じゃないんだけどねぇっ!?」
「確かに例は少ないでしょうな。何分、戦場ですら余裕を保てる、真に勇敢な貴人しか為しえぬ嗜みにございますゆえに」
「俺、その嗜みさ。正直言って受け付けないんだけど?」
いけしゃあしゃあと老執事が宣う。
「なにを仰います。優雅に、戦術や配置を観察し批評すればよろしい。そこに勇猛さやセンスがあるかを問うわけですな」
「相手、盗賊なんだけどね!?」
オノレは頭が痛い。こめかみが激しく疼く。
(まさか、ヤバマーズ男爵家の当主らは――アスタのお父上や祖父君は、こんな風に戦場を荒らしまわってでもいたのかい?)
地方領主同士の争いであれ、何処かへの参戦であれ。
貴族慣習のギリギリを“方便”とやらで突破し、戦って来たのだとしたら。
長年仕え続けた、学のない老従者の脳内は――果たして、どういう構造になるだろうか?
「盗賊の始末をしている間、客人たちが退屈されるのも心苦しい。ですので、この爺も快く賛同した。ただそれだけにございます」
「賛同?! 実際の発案者は、ゲロハルトだよねえ!?」
「いえ。これはあくまで、オノレ様の自主的な返礼と提案にございますから」
「ああっ!? どう足掻いても、俺のせいにしかならないぃぃぃっ!」
見れば、ヘイホーが当たり前のように氷上で給仕を続けている。
ポットから注がれる温かな湯気が、白く溶けた。
「皆様、足元が滑りますのでお気を付けください。よければ、ホットワインはいかがですか? 初夏の夜風は冷えますよ」
「ふぅ……もらうか」
「おお、我々にも分けてくれ」
豪商バルトロメウスは、震える手でカップを受け取っていた。
他の商人たちも楽し気に並んでいる。
おかしなことの連続に、すっかり飲まれているのだ。
ラ・ボアジエ教授ですら機嫌が良さそうである。
「ラ・ボアジエ教授殿、炎蛇眼のゾルジュ殿! 今宵の余興、誠に素晴らしきものにございますな!」
「しかし、この『氷の城壁創出』という現象の理屈はね。お前たちが用いたことがあるだろう魔導製氷機、その仕組みと何ら変わりはないのさ」
「なんと、贅沢品の魔導製氷機と!?」
なにせこの教授、無知な俗人相手でも。
学術知識を乞われるのは、それこそ嫌いではないのである。
「市井では見たことないのですが……あの合体魔術とは、大学で研究されている
「我が
「あれも常識ですと……!?」
「複雑な演算と魔素行使を、矮小なる個に詰め込むより、それぞれに単純な役割を分担させる。
「確かに!」
「されど、残念なことに。在野術士の大半は、そんな道理も思いつかぬ戯けだらけだ」
「……しかしですな、実際に分担するとなるとひどく難しいのでは?」
「その通り。この試みには、緻密な理論計算という“地図の共有”が大前提となる」
聴衆たちは――大商人から護衛の冒険者たちまで――興味深そうに、耳を傾けている。
――ササッ!
ヘイホーは教授のために、テーブルと筆記用具を用意した。
「旧時代の未熟な熱力学では、『
突然、静まり返った戦場で行われ始める講義。
眺める老執事ゲロハルトは、いたく感心していた。
「ほれ、あの通りですよ。う~ん、ヘイホーは若いのによく気が利く」
「……いやこれ。ダメでしょ。うん、絶対ダメだって」
「何が問題でございましょうか?」
「だって、武装してるじゃない。商人の護衛達がっ! ならもう参戦でしょ!?」
「武門たるヤバマーズ男爵家では、客人の武器を没収するなど致しません」
「……確かにそういう、頭のおかしい案内をしてたけどさぁ」
方便と言ったか?
いや、さすがに詭弁だろう。
もはや、暴力的ですらある。法をこん棒で殴ってるが如き、所業だった。
「だいたいさぁ、その理屈。王都の正規軍にまで通じると思ってるの? 間違いなく追求されるよ?」
「いいえ。理屈ならばいくらでも付けられます」
「……どんなふうに?」
「同盟先の子息や将兵が、戦地を視察する慣習。これもまた社交として存在していらっしゃるのでしょう?」
「……同盟関係で? うん、まあ、あるっちゃあるね」
「オノレ様は、アスタ様のご友人。かつ、同盟関係に等しいお立場。……違いますかな?」
「でも、書面での契約は交わしてないよ」
「いえ、既に交わしております」
「え?」
「ヤバマーズ家は、ラプラス家に借金を――もとい、ご融資を受けております」
確かに。
オノレは滞在中、何度も金銭の肩代わりをしている。
つまり、ラプラス伯爵家として、ヤバマーズ男爵家に相当な金を貸している。
同盟契約が一切なくとも、事実上の利害の共有……。
“実態としての同盟”との解釈は可能だ。
「盗賊退治如きに、“第三勢力を参戦させては領主の恥”とはお聞きしました。ですが、“同盟先の寵児を観戦させてはならぬ”とは、やはり解釈できませんな」
「……物は言いようだなあ?」
「しかし、通そうと思えば通るでしょう」
通る。
そこは通そうと思えば、おそらく通る。
「ヤバマーズ家は代々、借金を作る。いえ、融資を受けるのが大得意なのですが。紛争前にはなるべく幅広く縁を持つようにしておりまして」
「あえて、借金しまくるのかいっ? なんでっ?!」
「はい。すると不思議なことに……皆様、とりっぱぐれは困るとお慌てになりましてな。なぜか、お味方が増えます。同盟関係万歳ですな」
「最悪なお家柄だね!?」
「ともかく、オノレ様。貴方様はラプラス伯爵家三男として、盗賊退治を観戦に来られたのです。そこに、たまたま客人の商人らと、たまたまその護衛も同伴された……それだけのこと」
実際、貴族が城壁に立っていても。
武器を振るわず、直接の指揮権を保持しなければ、公的には戦闘員とはみなされにくい。
そこに同伴者が武器を携えていたところで、同じこと。
(そう言われたら、そうなのかなあ? ……いや、かなりギリギリなラインだぞ。万が一、来賓に怪我人が出たらアウトじゃないか?)
しかし、老執事ゲロハルトはどこ吹く風。
満足げに、髭を整えていた。
「そして、後押しにございます」
ヤバマーズの防衛線……門が開かれる。
出てきたのは、馬の世話役に扮した大男。
巨体がノッシノッシと歩いたかと思うと……金棒を肩にかつぎ、堂々と名乗りを上げた。
「吾輩は――ヤバマーズのお馬さん係であるッ!!!」
“お馬のおじちゃん”の出撃だった。
(いや、やっぱり――やっぱり、無理があるよっぉおおおおっ!!?)
オノレは頭を抱えて、悲鳴を押し殺した。
彼の人生で、最も悲鳴を押し殺す悲惨な一日なのである。
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