ヤバマーズ ~毒喰らい男爵の人生逆転劇~   作:裃 左右

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第111話 前借りの命。我が放つは、術師殺しの禍矢。

 シスター・マグダリアが直肌に触れた。

 

 そのまま衣服の隙間を縫うように、腰椎の辺りへと這い進む。

 

 老執事ゲロハルトが、深く、長く。

 肺にある澱みを出すように、息を吐いていく。

 

「……ふぅぅぅうううううっ」

 

 すると、マグダリアの白い指先から、血の雫がじわり滲み出す。

 土と蜜の香りの生暖かい血液が、老いさらばえたゲロハルトの皮膚へ。乾いた大地が雨水を吸い込むように染み込むのだ。

 

「そう、力を抜きなさい。あたくしに身を任せて――」

 

 こみ上げる、たまらぬ(いき)れ。

 衝撃の予感。歯を食いしばる老執事。

 

 ――ピキ、ピキピキッ……メキッ。

 

 ゲロハルトの全身の骨が、不自然に鳴動。

 

 背筋に鋼のバネが蘇り。

 深い皺の刻まれた貌に、鮮烈な覇気が宿る。眼光はギラつく力に満ち溢れていた。

 

「あなたの命の火を、ほんの少しだけ『前借り』して差し上げましたわ♡」

「誠に、誠に感謝いたしますぞ、シスター」

「クスクス……それはもう、我が子(・・・)の頼みですからね」

「いやはや。この年で、そう言われてしまうと威厳がなくなってしまいますな」

 

 ゲロハルトが、すぅっと立ち上がると……。

 待ち構えていた村の男衆が、黒塗りの弓を手渡した。

 

「翁殿、準備は万端でごぜえやす」

「おお、ようやった。あとで、マズい酒でも飲み交わそうぞ」

「こいつを拝める日がまた来るなんて……俺たちも感無量ってやつですよ」

 

 それこそが、かつて戦場を掛けていた頃の獲物。

 村の男たちが、五人がかりでようやく弦を張れるほどの大弓である。

 

「実に軽やか、身体に羽が生えた気分ですなぁ。……あの戦場で腰をやられてからは、強弓(こわゆみ)が引けず、何の役にも立てぬ無能となり下がっておりましたから」

 

 ゲロハルトが指先で(つが)えたのは……黒色に鈍く輝く特製の矢。

 そう、アスタが精製した黒銀結晶(クロシュライト)の破片。それが(やじり)には練り込まれていた。

 

「――しかし、またこうして(しゃ)が愉しめるとは」

 

 老執事ゲロハルトに浮かんだのは、純真な歓びだった。

 

「くすくす。いくつになっても変わりませんね、我が子ったら♡」

「……いい加減おやめください、皆の前ですぞ」

「うふふふ♡」

「されど――本当に感謝いたします、我が母(マザー)

 

 老執事ゲロハルトは、改めて礼を述べた。

 弓が引けること、主君の役に立てること――血沸き踊る戦場に帰ってこれたこと。

 

「まずは試し撃ち。……さあ、皆様ご照覧あれっ! これから放つは、我が主アスタ男爵が直々に開発された“術師殺しの禍矢”にございますれば!」

 

 氷壁に並ぶ者たちの視線が、一点に集中。

 

 ゲロハルトは氷壁の縁。奈落を見下ろす位置へと悠然と立つと、迷いなく弦を引き絞る。

 

 ギリギリ、と。

 強靭な弓弦が悲鳴を上げて、極限まで張り詰めた。

 

 狙うは、火球を練りあげんとする――はぐれ魔術師(ウォーロック)

 

 ――ビィンッ!

 

 放たれた一矢。

 赤き月光を切り裂く雷鳴となった。

 

「ぐふっ!?」

 

 あまりに異常な貫通力。

 はぐれ魔術師(ウォーロック)の展開していた魔術障壁を容易く破る。

 

 矢は胴へと深々と突き刺さり……励起(れいき)

 

 それからは、かつてアスタが魔熊との死闘において実証した通り。

 魔術回路が発動するまさにその時。生物の体内へ、黒銀結晶(クロシュライト)の破片が入り込むとどうなったか……結末は無惨。

 

 ――ドォォォォンッ!!

 

 体内の魔術回路が、強烈なスパークを引き起こす。

 術師が内包する魔力は暴走、身体の内部から爆散。焼け焦げた臓物が一気にまき散らされた。

 

「ふむ、さすがは若様が作られた矢。……しかし、まずは肩慣らしといったところでしょうな」

 

 平然と言い放つゲロハルト。

 

 混乱の極み。

 恐れおののく賊たちを余所に、ゲロハルトは次々と矢を放つ。

 

 その一射一射が、戦場を塗り替えていく死神の指先。

 無学な老人が魅せる、つまらぬ人生の積み重ね。

 

「人の身体が?! はぐれ魔術師(ウォーロック)の身体が爆発していくぞぉぉぉっ!?」

「ひぃぃぃ!? 城壁だ、あれを作った魔術師の仕業に違いないっ!」

 

 速射だ。また一つ、また一つ。

 はぐれ魔術師(ウォーロック)の肉体がどんどん爆散。

 無知なる者にとって、それは理解を超えた光景。

 

「なんだ、この速度と正確さは……?」

「いえいえ、この城壁の位置が実に良いのですよ。目も耳も良くなりましたしな、風読みも楽にございまする」

「……そういう次元じゃないだろう、その腕前は」

 

 オノレは、目にしている現実が信じられなかった。

 あまりに神業じみた狙撃。

 

 つまるところ、動乱の時代を生き抜いた“従軍していた年寄り”とは――餞別を受けた生き残り。古強者。

 ヤバマーズという野蛮な地で、なぜこの老人が敬われ続けてきたのか。その理由を、オノレは今、身を以て理解した。

 

 そこに――。

 

「隠れても無駄であるっ! 非道な盗賊たちに、慈悲などない!」

「ひっぃいぃぃっ!? お助けをぉぉぉっ!?」

「こいつは怪物だ、絶対、馬の世話係なんかじゃないぃぃっ!!」

 

 物陰に隠れようとするはぐれ魔術師(ウォーロック)がいれば、ロダンが金棒担いで殴り込みにいく。

 

 氷の城壁、聖騎士ロダンの武、老執事の狙撃。

 どれか一つ欠けても、鎮圧は出来なかった。

 

 不足があらば、盗賊がまた暴徒に戻っていたやもしれない。

 当然、防衛線は危機に陥っただろう。

 

 しかし、そうはならなかったのだ。

 

「あらかた、掃除は済みましたな。……オノレ様、次は使い魔に移りましょう」

「え、あ、ああ……! 行けっ!」

 

 呆気にとられていたオノレが、正気に戻って杖を振る。

 上空へ放たれたのは、一羽のフクロウ。

 

 ――だが、それを見逃す敵ではない。

 星なき漆黒の夜空、虚空が不気味に歪む。

 

 魔力探知すらすり抜けて、しかし確実にオノレのフクロウを追跡する不可視の捕食者(・・・・・・・)

 それが数匹がかり。容赦のない狩りの陣形で迫る。

 

「くっ、やはり無理かっ!?」

 

 哀れ、使い魔たるフクロウ。

 突如、引き裂かれたかと思えば、羽根を散らして墜落した。

 

「見ての通り、この様だ。……打つ手がない」

「……まさか相手は、“不可視の魔物”にございましたか」

 

 老執事ゲロハルトは、弓を構えたまま身動きが取れなかった。

 

「ああ。ろくに探知にも引っかからないし……形も不明だ。わかっているのは、敵が“一匹ではない”ということだけだ」

 

 戦場の制空権が支配されている。

 そう、嘆くオノレ。

 

「オノレ様。残りの使い魔、その手持ちは?」

「今、リュシエンヌに一羽、別動隊に一羽付き添わせている。……もう予備は、手持ちに一羽しかいない」

「残るはたったの一羽……に、ございますか」

「そうだ。……そして、今すぐにでも使い魔を飛ばし、アスタを見つけ出さなければ、もう間に合わない」

 

 事態の重みが、心身に沈むのを感じた。

 

 するとゲロハルトは……瞼を伏せた。

 夜風に乗って流れる、わずかな気配に耳を澄ませているのだ。

 

 目に見えぬ不可視の怪物が、いくつも空を飛んでいる。

 そこで、たった一羽のフクロウを守り抜かねばならない。

 

「上空に、視えぬ猟犬がいるようなものですな。執拗に輪を描いて、次の獲物を待っている」

「……そうとも言える」

「しかしですな――猟犬とは、我らがヤバマーズの御旗なのですよ」

 

 そう、ヤバマーズの紋章こそ“ゴブリンを狩る猟犬”である。

 王命で、魔物を狩る者の末裔である。

 

 ゲロハルトは深く、深く深呼吸。

 肺を、戦場の気で満たしてから――双眸をカッと見開いた。

 

「わかりました、オノレ様。ならば、この爺に万事お任せあれ」

 

 ……この老人。

 学は全くないが、やはり貫禄だけはあるのだ。




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