静寂が、一気に押し寄せる。
冷たい夜風は、死闘の悪臭をどこかへ流していった。
火照る肌を撫でていく感触……生きているという実感。
「……本当に消えたみたいっすね。ようやく、おさらばっす」
ジルがへたり込む。
右袖の兵器から立ち上る煙を、ふぅっと息で吹き飛ばす。
不意に。フクロウが羽ばたきながら、語り掛けて来た。
オノレの使い魔だった。
『どうやら助かったようだね、アスタ』
「おかげさまで。……なんか色々と、やってくれたみたいだな。そっちは大丈夫か?」
『俺がしたというか……いやぁ、話せば長い、かあ』
「あん?」
妙に、オノレは歯切れが悪かった。
『うーん。実は矢を飛ばしたのは、君の老執事ゲロハルトでね。僭越ながら、俺が観測手を務めたんだけど……』
「ヤンにトドメを刺した矢か!?」
『そう。でも、ゲロハルトはちょっと無理をして倒れてしまったんだ』
「ええっ、それは大丈夫なのか!?」
フクロウは、少し悩んだ素振り。
主と同じ、どこか気取った仕草。
『とりあえず、命に別状はないようだよ。いずれにせよ、あとは俺たちに任せておきたまえ』
「そう、か。……色々とすまない」
話し終えると、使い魔のフクロウはその辺の木に留まった。
「……ふぅ。にしても、とんでもない敵だったな」
もう、やり合いたくない。
綿毛の魔人も大概だったが、尋常ならざる相手だった。
「なんで、こう……次から次へと、うあっ!?」
「――アスタ様っ!」
むぎゅっ、と。
突然、暖かくも柔らかい感触。
リュスは、聖剣を投げ捨てて。
無事な右腕を伸ばし、胸に飛び込んできた。
「……リュス」
「ああっ、首の傷が! 早く、手当てを……わたくしが、遅かったから――」
「いや……別に大丈夫だよ」
「大丈夫ではありませんっ! 血が、こんなにも!」
「もう止まったって。ちゃんと生きてる、貴女のおかげだよ」
リュスの身体は、震えていた。
僕を抱きしめる細い腕。
この華奢な身体に、どれほどの苦悩が詰まっていたのか。
(ああ、僕は本当に無様だな。家督を継いでからずっと、守りたい人たちに迷惑をかけて……守ってもらってばかりいる)
学生だった頃は、自分のことだけに必死だった。
目の前のことだけ、一心不乱に追いかけてさえいればよかった。
それが楽だったとは言わない。
それでも今思えば、あの頃は身軽だった。
家督を継げば、みんなを助ける側にならないといけない。
そう重荷に感じていたのに……。
(どうしてかな。責任を背負うほどに、日々を重ねるほどに……誰かを頼りにしなければ、生きていけない自分に気付くんだ。全然、立派じゃなかった)
この現実で、僕が一人で出来ることなんて……なにひとつなかったんだ。
僕だけが死ぬほど頑張ったからって、上手くいくほど甘くない。
(死ぬ気でやれば、なんとかなるなんて嘘だ。……みんながいてくれなきゃ、僕には無理だ)
込み上げる情けなさに、唇を噛む。
でも――。
僕は自ら、リュスの華奢な身体に腕を回していった。
「――え?」
「貴女のおかげで。僕はちゃんと、ここに生きてるよ」
抱きしめ返す。
砕かれた左手に力が入らず、だらりぶら下がるだけ。
でも、今はそんな情けなさに向き合うよりも、もっと大事なことがある。
(……君の温もりを感じていたい)
髪をぎこちなく撫で、傷を負った互いの身体を擦り寄せ合う。
そう、確かめ合うように。
僕はもう、この感覚に馴染んでしまっている。
もはや、この温もりがなければ寂しいと……切ないくらいに求めてしまう。
「わたくしは、今度こそ……本当に……間に合ったのですか?」
「そうだよ。すべてが、貴女のおかげだよ」
「――っ!」
「……僕には、リュスがどれだけの想いで戦ったのか、どんな苦悩があったのか。きっと計り知ることさえもできないんだけど……その献身が、僕を救ってくれたんだよ」
「……アスタ様」
とうとうリュスの目から、大粒の涙が溢れ出した。
「アスタ様っ! わたくし――わたくしっ!」
「うん。リュス。貴女は、今ここにいるから。……僕といる君が、紛れもなく本物だから」
僕は、彼女の耳元で囁いていく。
ゆっくり、ゆっくり。
言い聞かせるように。
彼女がここにある今に、意識が集中できるように。
悪い記憶に押しつぶされないように。
「ずっと……ずっと、リュスとこうしたかった」
「わたくしもですっ! わたくしもなのですっ! アスタ様ぁぁ……っ!」
ますます強く抱きしめ合った。
互いに負傷し、使えない腕を抱えながらも補い合うように。
暫し、そのままでいたが。
やがて、リュスが顔を上げる。
「……アスタ様」
「ん?」
「……やっぱり似合っているとは、言ってくださらないのですか?」
リュスが駆け付けた瞬間に放った、切ない願い。
『似合っていると。可愛い、と。――そう褒めてくださいまし』
身をわずかに離し、僕らは見つめ合う。
リュスが纏うのは、赤と白を基調にしたヤバマーズの
すると、リュスは何かに気付いたように。
身をよじらせてから……顔を伏せた。
「失礼しました。こんな有様では……ダメですよね」
「いや、それは……」
髪は乱れ、煤け、服はボロ布同然。
返り血にすら染まっている。
「わたくしは、可愛げのない女で……身も整えられぬ有様では、好かれようはずもないのです」
「違うっ!」
「いいえ、無邪気に笑うことも、無垢に甘えることも出来ません。……お役に立てただけで、満足すべきでした」
「……くっ!」
自分の不徳を呪いたくなった。
確かに“可愛い”と、形容できる状態じゃないかもしれない。
でも、リュスをこんなボロボロの姿にまでさせたのは……僕だ!
(ああ、やっぱり僕の趣味じゃないとも。こんなヤバマーズの
……だけど。
けれど――っ!!
「似合ってるよ。世界で一番だ、最高に似合ってるっ!」
「……え?」
「ヤバマーズの
喉からひゅーひゅーと虚しい音が混じる中。
僕は、必死にまくしたてる。
今こそ、退くべきじゃない。
僕は無防備に、本心を語るべきだ。
そう、この考えが間違っていると思っても――本心を貫くべきなんだ。
痛い目を見るのは……僕でいい。
「リュス。……君ほど、今の僕に必要な人間はいない」
「……必要?」
「ああ、必要だ!」
「アスタ、様。それは……憐みでは、ないのですか?」
「え、憐み?」
「わたくしが、可哀想、だから? 惨めな女だから?」
そんなこと、考えたこともなかった。
思わず、呆気にとられかけるが――振り切るっ!
「違う、断じて違う! 本当に君こそが特別なんだ。僕のワガママだ、傍にいて欲しい」
「特別……それは本当に? 他の女性よりも、ですか?」
「え? ちょっと待って。それってまさか、村の母ちゃん連中と比べてんの??」
そりゃ誰と比べようが、ぶっちぎりでリュスが可愛いと思うが。
でも、村の母ちゃんたちを持ち出されると、さすがに困惑するぞ。
「……違います」
指し示された先には、メイド服姿のジル。
「あのマクスウェル子爵令嬢よりも、わたくしは似合っておりますか? ……つまり、その……可愛いですか?」
「――は?」
頭が真っ白になる。
え、リュス。なに言ってんの?
「今、アイツのこと……子爵令嬢って言ったか???」
絶対に、なにかの聞き間違いだ。
すると、当のジルは肩をすくめ、面白がるように笑みを浮かべた。
「あ~、うちより可愛いかって話っすか♪ いや~、さすがにそれはどうかなあ? うち、けっこうアスタ先輩に愛されてるっすからねえ」
「……どっちですか? わたくしは二番目なのですか?」
ジルめ、なにを面白がってやがる。
リュスの圧が強まったじゃないか!?
(よくわからんが、すげぇイラつく態度だな、ジルっ! 今すぐ、残った力を振り絞ってでも、朝日を拝めなくしてやんぞ! オラぁッ!)
僕の人生で一番、意味のわからない二択を突き付けられた。
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