とりあえず、なんていうか。
――ジルが、き・も・ち・わ・る・いっ!!!
(いや、抑えろ。落ち着け僕。そもそもなんだ、この混沌とした状況は……? どういう意味だ?)
思考が猛回転。
ふと、以前の違和感が頭をかすめた。
それは、ジルとヘイホーが我が家を訪ねてきた日のことだ。
あの日……リュスは、確かにこう告げたはず。
『一組の男女も、同行されているのですが。その、アスタ様をお訪ねしてきた、と。……なにかお心当たりは?』
そう、“一組の男女”。
間違いなく、そう彼女は報告してきた。
だからその時、僕も微かな引っかかりを覚えていたのだ。こんなふうに。
『リュスは
しかし、直後にオコトギが騒ぎたてて思考が中断。
結局、うやむやになってしまった。
(いや、まさかとは思うが。もしかして、リュスは……ずっと、とんでもない勘違いをしてたんじゃ……? で、ジルの野郎は気付いた上で面白がってやがるな?)
リュスのどこか焦点の定まらない。
なのに、目が据わった在り様。
(元々、目が死んでるのも相まって、めちゃくちゃ怖いんだよ。なに、この二択。間違えたら僕、死ぬの?)
いや、おかしいだろ。
ようやく生き残ったのに、こんなバカバカしい勘違いで命を落とすなんて冗談じゃないぞ。
これで後世に語り継がれるなら、毒食って死んだ男爵の方がまだマシ!
「えっと……リュス」
「……はい」
いや、そんな情念のこもった目をされてもな……。
「いいか、よく聞け。はっきりと言わせてもらう」
「……はい」
「ジルは、男だぞ」
「…………はい??」
時が止まった。
リュスの思考回路が、今、明らかに停止した。
「いや、確かにな? 童顔で性別がわかりにくい体格をしているが……こいつは正真正銘の男だ」
するとジルは「この通りっす」と、おどけて力こぶを見せつけてきた。
それで男らしさをアピールしたつもりか? うざいぞ。
「……男。つまり、男性? 殿方?」
「わざわざ言い換えなくても、そうだ」
「え、でも……ですが……?」
「てか、基本的にジルって男の名前だろ。勘違いしようがないじゃん」
「えっ!? でも、女性を呼ぶ時もあります……よね?」
「あー、あだ名ならあるかなぁ? ジュリアナの愛称とか?」
しかし、ジルは伝統的に男性名だ。
聖王教会における、かの“放浪聖人ジル”に由来するわけで。
病や苦難から人々を助け、過酷な労働者――とりわけ、鍛冶師に加護を与えたという力強い聖人だ。
だから女性に、そのままジルと名付けるケースは……かなり珍しい。
特に、伝統を重んじる家柄ではあり得ない。
(ああ、まあ。ジルは元々は平民だから、微妙にあり得そうなラインだったのかなぁ?)
でも、仮にそこを認めたとしても、だ。
「ならさ。仲間の誰かが、一度でもこのバカのことを女だって明言したか?」
「あっ、うちのことバカって言ったっすね! アスタ先輩の癖に!」
「お前は今は黙ってろっ!」
リュスは記憶を遡るように、長いまつ毛を伏せて考えこむ。
「あれ……? 誰も、そのようには仰っていないような……?」
「そりゃそうだろ。仮に女だったら、もうちょっと丁寧に扱ってる」
特に、貴公子ぶってるオノレ辺りが率先してな。
てか、いくら僕でも、女にベタベタと肩を組んだりできるわけないだろう!
そんなことが出来るくらい女慣れしてんなら、リュスともっとスムーズにコミュニケーションがとれてるはずなんだよ!(必死)
「はあ……逆に、なんでそう思い込んでたんだよ。髪をポニテに束ねる令息くらい、世の中にたくさんいるだろうに」
しかも、ジルは明らかに言動が男だ。
下ネタの引き出しは多いし、下世話な話が大好き。
顔は整ってるけど、中身はかなりアレ。
「え、それは……その。ジル様の、お会いした時の雰囲気が……それで、アスタ様を訪ねてくる女性だなんてって……」
「初対面の雰囲気? ……
「――ああっ!?」
リュスの頬が、みるみるうちに赤く染めあげられていく。
瞳を見開き、両の頬を掌で覆った。
「なら、わたくしが勝手に怖がって、焦っていたから……そう見えただけ……っ!?」
え、なに、そのリアクション!? めっちゃかわいい――だとッ!?
いや、今は感動してる場合じゃない!
「えっと、でしたらアスタ様は……華奢な殿方に、
「そうだけど、言い方! 切り取り方が酷すぎるだろ!」
めちゃくちゃ人聞きが悪いだろうが!?
僕は、趣味で男をメイドにしている変態じゃないぞ!
「そこ、腹抱えて笑ってんじゃねえよ、ジル! お前が元凶だろうが!」
「いや、うちは悪くないっす~。アスタ先輩の甲斐性と、信頼の無さに問題があるっす。普段から、そういうことしそうな男だと思われてるんすよ」
「おまっ!? 言っていいことと悪いことがあんだろ!?」
ああっ、もうっ! 領主の威厳が台無しだっ!?
「はあ……なんか様子がおかしいと思ったんだよなあ」
リュスってば、めちゃくちゃ情緒不安定だし……なにかと機嫌悪そうだったもん。
てっきり、僕が友人に構いすぎているせいだと思っていたんだが――。
(でも、それって……リュスは一人の異性として、僕を強く意識してるってことにならないか?)
論理的に考えれば、そうなるだろう。
だから、この距離感の意味は……というくすぐったさと。
追い込まれているが故の、依存先でしかないはずだ。
だから、そんな目で見るな……という自制と。
どちらも、同時にせめぎ合ってしまうのだけれど。
僕は、そのどちらも一緒に飲み込んでから。
……彼女の髪をそっと撫で、微笑みかけた。
「だからね。一番も、二番もないんだよ。僕にとって――特別な女性は、貴女しかいないから」
恥じらい、揺らぐリュスへ。
きちんと、想いを伝えた。
「“君がためのサキオン”になりたい。それは……他の誰でもない。他の誰かじゃダメだってことなんだよ」
返答は――遅れた。
リュスは、ぼうっとしたままだったから。
「リュス?」
「聞こえております。……わかり、ました」
「信じてくれるか」
「……はい、信じます」
こてん、と頷く仕草もあまりに愛らしい。
結局のところ。
あの頃の公爵令嬢リュシエンヌとは似ても似つかぬ、重たい黒髪も。
どんより曇る
研ぎ澄まされた刃のような鋭さも。
脆く壊れそうなガラスのような弱さも、泥と血に汚れた姿さえも。
――なにもかもが、もはや愛しくてたまらない。
きっと、彼女がどんな格好で、どんな立場になったとしても。
この先、何年経とうと。
僕の心をこんなにも占めるのは……やはり、彼女しかいない気がした。
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