ヤバマーズ ~毒喰らい男爵の人生逆転劇~   作:裃 左右

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第122話 ――ああ、ティーカップが割れた。

 それは、ほんの少しだけ未来の話。

 

 王城にて。

 燃えるような赤髪を陽光に透かし、シャルル王太子は優雅にティータイムを嗜んでいた。

 

 立ち上るのは、芳しい紅茶の香り。

 並ぶ色とりどりのお菓子は、王都随一のパティシエが作り上げた芸術品。

 

「良いお茶だね。……とても穏やかな気分になれる。君たちのおかげで、穏やかな午後の一時を過ごせるよ」

 

 シャルルは、メイドたちへ慈愛に満ちた笑みを零した。

 

「……光栄に存じます」

 

 初夏の日差し。

 王都の空はどこまでも晴れ渡り、突き抜ける青は清々しい。

 

 風が吹けば、緑葉のさわやかさが鼻を抜けていく。

 

 そんな平和な午後。

 近臣が足音を殺して、入室した。

 

「どうしたのかな、仕事の話なら後にして欲しい。この通り、私は休憩中でね」

「は、はい。実は……急ぎ、お耳に入れておかねばならない事案があるのですが……」

 

 もごもごとする近臣。

 

「随分と言いにくそうだね」

「そう、ですね……はああ、なにぶんどうにも……」

「まさか、訃報というわけかな?」

 

 シャルル王太子は、極めて柔和に尋ねた。

 

 やはり、とても言いにくそうに近臣は頷く。

 

「そうなのです……殿下には、大変、その、なんと申しますか」

「……それは君の責任による失敗の話かな?」

「それは、違いまする!」

「では、叱らぬと約束しよう。続けてくれ」

 

 近臣は、覚悟を決めたように息を吐き出す。

 

「ううむ、それがですな。ヤバマーズ男爵邸には、商人どもを送り込み……村を盗賊たちに包囲させる計画。これは間違いなく遂行されました」

「うん、それで?」

「するとですな。きゃつめは……アスタ男爵は手勢を率い、なんと盗賊団への突撃を敢行いたしまして――」

「なんだって!?」

 

 シャルル王太子は、驚きの声を上げた。

 

「リュシエンヌの時だって、あの者はなにもしなかった(・・・・・・・・)というのに? あの口先だけの臆病者が、どうしてそんなことをしでかしたのか!?」

 

 シャルル王太子に、込み上げる感情。

 

 まず、そこまでバカな男とは思わなかったという呆れ。

 そして、もう半分は――。

 

「ならば、彼は――アスタ・ド・ヤバマーズが死んだのか?」

 

 王太子シャルルは、思わず確認する。

 なぜだろうか、そこには奇妙な焦りと喪失感があった。

 

 近臣は、汗を拭きながら答える。

 

「い、いえ……そのような、ことはございません」

 

 その返答に。

 シャルル王太子は……自分でも意外なほどに安堵してしまった。

 

「なんだ、訃報というから……てっきりそういう話かと思った」

 

 目障りな宿敵だ。

 間違いなく、邪魔者には違いない。

 

 だが、かといって……死んでほしいとまでは思っていなかった。

 

 アスタには生きたまま、土をつけてやりたいのだ。

 ……必ず、そうせねばならないのだから。

 

「にしても、随分と無謀なことを。アスタ男爵が自らの過失で死ぬのは勝手だけれど、変な噂が立っても困るからね」

「……」

「気に入らぬ者を片っ端から暗殺するような王太子――世間にそのように思われるのは不本意だ。……それで、肝心の訃報とは?」

「ああ、はい。実はですな……」

「もしかして、彼が大怪我でもしたのかな? なら、失脚させる前に、見舞いの花束くらい出してやってもいいと思うよ」

「まあ、無傷ではないようですが……そうではなく、ですね」

 

 迷いに迷って。

 結局、近臣は口にした。

 

 どうせ言わねばならないことだからだ。

 

「アスタ男爵はわずかな手勢を率い……盗賊団を壊滅させました」

「はぁああ?」

 

 聞こえたのは、理解できない音の羅列。

 

 明らかな兵力差。

 そして、質の差すらもあったはずだった。

 

 王国精鋭の非正規部隊。

 悪しき鉤爪(マレブランケ)を派遣していたというのに。

 

「……鉤爪(ブランケ)はどうなった?」

「退けられたようです」

「……ありえない」

 

 歴戦の強者を、素人が退けた?

 それはあまりに……非現実的だった。

 

「なにか……そう、なにかペテンをつかったはずだ。外部の協力者がいたのなら、そこが政治的な弱点となる」

「帰還次第、詳しい報告があるとは思いますが」

「なにか追求できる材料があると良いが。今は……報告を待とう」

 

 シャルル王太子は、混乱を飲み込んだ。

 なんとか思考を整理しようと試みる。

 

(まさか、ヤンが油断したのか? いいや、そのような手ぬるい者たちではないはず。なにがどうなって……?)

 

 そこにさらに追い打ち。

 

「して、商談現場には、ラ・ボアジエ教授まで同席していたらしく」

「ううん? 王立大学(アカデミア)の?」

「はい」

「……ラ・ボアジエ教授とは……つまり、炎蛇眼のゾルジュのことだね?」

「そうにございます」

 

 シャルル王太子は、首を傾げた。

 大学に、そんな依頼はしていない。

 

 ただ、黒銀結晶(クロシュライト)の鑑定を依頼しただけだ。

 

(アレが秘密鉱脈から採掘されたような物なら、反逆疑いとして、アスタを堂々と捕らえられるからね)

 

 鉱山を報告せずに隠し持つなど、許されぬこと。

 だからこそ、正式な機関に鑑定依頼をした。

 

 証拠として使うための、真っ当な手続きをとっただけなのに。

 ……どうして、そうなっているのか?

 

 シャルル王太子には、まったくもって理解できなかった。

 

「して、ラ・ボアジエ教授の後押しもあり……」

「あ、後押し!?」

「結局、商人たちは――男爵と契約を交わして帰ってきたと」

「はぁあああああっ!?」

 

 ――パリンッ。

 

 シャルル王太子の手から、ティーカップが滑り落ちた。

 

「派遣した軍も、現地に着いた頃には戦闘が終わっており……ろくに糾弾できず、おめおめと退いてきたということでして」

「いや、待て! そこにはアスタの弟がいただろう、イリリクがっ!」

「は、はい?」

「イリリクは? ……彼は、そこでどのような対応をしたんだ!?」

 

 そこが(かなめ)だった。

 イリリクの対応次第で、いくらでも今後の手段など考えられる。

 

 それなのに――。

 

「当然ながらイリリクも、まったく領地への介入など出来ず。……アスタ男爵と揉め、盗賊を手引きした疑いまで掛けられた、とか」

「……アスタと、揉めた?」

「はい。領民たちの前で口論に発展し、かなり険悪な空気で退いたようですが」

「なぜだ!」

「なぜと言われましても……」

 

 シャルル王太子には、到底理解できなかった。

 

「なぜ、イリリクはそのような真似をしたんだ!? それだと――彼のヤバマーズ領での評判も地に堕ちたではないか!?」

 

 シャルル王太子が、なにより腹立たしかったのは。

 ……今後の次善策すら、崩壊したことだった。

 

「失敗したなら、表面だけでも兄を労い、頭を下げてさっさと帰れば良いだけじゃないか!! どうして、それすら出来ない!?」

「殿下……」

「一度にすべてを得る必要なんてない、まともな頭があれば(・・・・・・・・・)わかることじゃないか! 嫌いな兄が相手でも、適当に笑って別れるくらいすればいい!」

 

 陰謀のセオリー。

 

 一つの策が失敗しても、次を打てばいい。決着を急ぐ必要などない。

 なのに、イリリクは功を焦り、すべてを台無しにした。

 

「なぜ……誰も彼もが、不条理な動きをする……?」

 

 今後の計画すら、足元から音を立てて崩れていく。

 

「……私は、完璧でなければ、ならない、のにッ!」

 

 シャルル王太子の困惑。

 

 それは、王都から見える風景――。

 つまり、王都の貴族社会とはあまりに違うルールの下で、人々が動いていることにあった。

 

 どんな学問すら修められる文武両道。

 仮に、そんな男がこの世にいたとしても理解出来ぬことは必ずある。

 

 見たことがない世界の価値観や文化……欲求や情動。

 

 現実は論理だけで、整然と処理されることはない。

 物事は、誰の思い通りにもならないものなのだ。

 

 そう、良くも悪くも。

 

 今回の事件。

 思えば、誰ひとり思い通りに事が運んだ人間はいなかった。

 

 アスタも、その仲間たちも。

 シャルル王太子も、鉄仮面のヤンも、商人たちも。

 

 誰の思い通りにもなっていない。

 

 秩序と論理で固めたはずの絵図は……混沌にはまるで通用しなかった。




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