それは、ほんの少しだけ未来の話。
王城にて。
燃えるような赤髪を陽光に透かし、シャルル王太子は優雅にティータイムを嗜んでいた。
立ち上るのは、芳しい紅茶の香り。
並ぶ色とりどりのお菓子は、王都随一のパティシエが作り上げた芸術品。
「良いお茶だね。……とても穏やかな気分になれる。君たちのおかげで、穏やかな午後の一時を過ごせるよ」
シャルルは、メイドたちへ慈愛に満ちた笑みを零した。
「……光栄に存じます」
初夏の日差し。
王都の空はどこまでも晴れ渡り、突き抜ける青は清々しい。
風が吹けば、緑葉のさわやかさが鼻を抜けていく。
そんな平和な午後。
近臣が足音を殺して、入室した。
「どうしたのかな、仕事の話なら後にして欲しい。この通り、私は休憩中でね」
「は、はい。実は……急ぎ、お耳に入れておかねばならない事案があるのですが……」
もごもごとする近臣。
「随分と言いにくそうだね」
「そう、ですね……はああ、なにぶんどうにも……」
「まさか、訃報というわけかな?」
シャルル王太子は、極めて柔和に尋ねた。
やはり、とても言いにくそうに近臣は頷く。
「そうなのです……殿下には、大変、その、なんと申しますか」
「……それは君の責任による失敗の話かな?」
「それは、違いまする!」
「では、叱らぬと約束しよう。続けてくれ」
近臣は、覚悟を決めたように息を吐き出す。
「ううむ、それがですな。ヤバマーズ男爵邸には、商人どもを送り込み……村を盗賊たちに包囲させる計画。これは間違いなく遂行されました」
「うん、それで?」
「するとですな。きゃつめは……アスタ男爵は手勢を率い、なんと盗賊団への突撃を敢行いたしまして――」
「なんだって!?」
シャルル王太子は、驚きの声を上げた。
「リュシエンヌの時だって、あの者は
シャルル王太子に、込み上げる感情。
まず、そこまでバカな男とは思わなかったという呆れ。
そして、もう半分は――。
「ならば、彼は――アスタ・ド・ヤバマーズが死んだのか?」
王太子シャルルは、思わず確認する。
なぜだろうか、そこには奇妙な焦りと喪失感があった。
近臣は、汗を拭きながら答える。
「い、いえ……そのような、ことはございません」
その返答に。
シャルル王太子は……自分でも意外なほどに安堵してしまった。
「なんだ、訃報というから……てっきりそういう話かと思った」
目障りな宿敵だ。
間違いなく、邪魔者には違いない。
だが、かといって……死んでほしいとまでは思っていなかった。
アスタには生きたまま、土をつけてやりたいのだ。
……必ず、そうせねばならないのだから。
「にしても、随分と無謀なことを。アスタ男爵が自らの過失で死ぬのは勝手だけれど、変な噂が立っても困るからね」
「……」
「気に入らぬ者を片っ端から暗殺するような王太子――世間にそのように思われるのは不本意だ。……それで、肝心の訃報とは?」
「ああ、はい。実はですな……」
「もしかして、彼が大怪我でもしたのかな? なら、失脚させる前に、見舞いの花束くらい出してやってもいいと思うよ」
「まあ、無傷ではないようですが……そうではなく、ですね」
迷いに迷って。
結局、近臣は口にした。
どうせ言わねばならないことだからだ。
「アスタ男爵はわずかな手勢を率い……盗賊団を壊滅させました」
「はぁああ?」
聞こえたのは、理解できない音の羅列。
明らかな兵力差。
そして、質の差すらもあったはずだった。
王国精鋭の非正規部隊。
「……
「退けられたようです」
「……ありえない」
歴戦の強者を、素人が退けた?
それはあまりに……非現実的だった。
「なにか……そう、なにかペテンをつかったはずだ。外部の協力者がいたのなら、そこが政治的な弱点となる」
「帰還次第、詳しい報告があるとは思いますが」
「なにか追求できる材料があると良いが。今は……報告を待とう」
シャルル王太子は、混乱を飲み込んだ。
なんとか思考を整理しようと試みる。
(まさか、ヤンが油断したのか? いいや、そのような手ぬるい者たちではないはず。なにがどうなって……?)
そこにさらに追い打ち。
「して、商談現場には、ラ・ボアジエ教授まで同席していたらしく」
「ううん?
「はい」
「……ラ・ボアジエ教授とは……つまり、炎蛇眼のゾルジュのことだね?」
「そうにございます」
シャルル王太子は、首を傾げた。
大学に、そんな依頼はしていない。
ただ、
(アレが秘密鉱脈から採掘されたような物なら、反逆疑いとして、アスタを堂々と捕らえられるからね)
鉱山を報告せずに隠し持つなど、許されぬこと。
だからこそ、正式な機関に鑑定依頼をした。
証拠として使うための、真っ当な手続きをとっただけなのに。
……どうして、そうなっているのか?
シャルル王太子には、まったくもって理解できなかった。
「して、ラ・ボアジエ教授の後押しもあり……」
「あ、後押し!?」
「結局、商人たちは――男爵と契約を交わして帰ってきたと」
「はぁあああああっ!?」
――パリンッ。
シャルル王太子の手から、ティーカップが滑り落ちた。
「派遣した軍も、現地に着いた頃には戦闘が終わっており……ろくに糾弾できず、おめおめと退いてきたということでして」
「いや、待て! そこにはアスタの弟がいただろう、イリリクがっ!」
「は、はい?」
「イリリクは? ……彼は、そこでどのような対応をしたんだ!?」
そこが
イリリクの対応次第で、いくらでも今後の手段など考えられる。
それなのに――。
「当然ながらイリリクも、まったく領地への介入など出来ず。……アスタ男爵と揉め、盗賊を手引きした疑いまで掛けられた、とか」
「……アスタと、揉めた?」
「はい。領民たちの前で口論に発展し、かなり険悪な空気で退いたようですが」
「なぜだ!」
「なぜと言われましても……」
シャルル王太子には、到底理解できなかった。
「なぜ、イリリクはそのような真似をしたんだ!? それだと――彼のヤバマーズ領での評判も地に堕ちたではないか!?」
シャルル王太子が、なにより腹立たしかったのは。
……今後の次善策すら、崩壊したことだった。
「失敗したなら、表面だけでも兄を労い、頭を下げてさっさと帰れば良いだけじゃないか!! どうして、それすら出来ない!?」
「殿下……」
「一度にすべてを得る必要なんてない、
陰謀のセオリー。
一つの策が失敗しても、次を打てばいい。決着を急ぐ必要などない。
なのに、イリリクは功を焦り、すべてを台無しにした。
「なぜ……誰も彼もが、不条理な動きをする……?」
今後の計画すら、足元から音を立てて崩れていく。
「……私は、完璧でなければ、ならない、のにッ!」
シャルル王太子の困惑。
それは、王都から見える風景――。
つまり、王都の貴族社会とはあまりに違うルールの下で、人々が動いていることにあった。
どんな学問すら修められる文武両道。
仮に、そんな男がこの世にいたとしても理解出来ぬことは必ずある。
見たことがない世界の価値観や文化……欲求や情動。
現実は論理だけで、整然と処理されることはない。
物事は、誰の思い通りにもならないものなのだ。
そう、良くも悪くも。
今回の事件。
思えば、誰ひとり思い通りに事が運んだ人間はいなかった。
アスタも、その仲間たちも。
シャルル王太子も、鉄仮面のヤンも、商人たちも。
誰の思い通りにもなっていない。
秩序と論理で固めたはずの絵図は……混沌にはまるで通用しなかった。
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