ヤバマーズ ~毒喰らい男爵の人生逆転劇~   作:裃 左右

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第123話 枯れ木に咲く花。小さくなる背中へ、大きな感謝を。

 僕は柔らかな毛布にくるまり、天井を見上げていた。

 視界が時折、白く霞む。

 

「なんだか、いつも寝込んでいる気がするな……」

 

 僕がぼやくと、凛とした佇まいの女使用人(メイド)

 リュスは窘めるように言った。

 

「いつもご無理なさるからですよ、ご自覚が足りません」

 

 もはや、聞かない子供に言い聞かせるような口調だな、これ。

 

「……別に、僕だって好んでこんな目に遭っているわけじゃないぞ」

「本当にそうでしょうか。ご自身の健康と立場を天秤にかけた時、いつも後者を優先されているように見受けられます」

「そんなことはないってば! ――痛っ!」

「あまり大声を出すのはおやめくださいまし。お身体に触ります。喉が裂けてもよろしいのですか?」

「……それは嫌だけどさぁ……はあ」

 

 どうにも、視界が覚束ない。

 思考の輪郭もぼやけていく。

 

 またもや、ひどく情けない気分だった、

 

 弟イリリクと王国軍を退却させた後。

 僕は、バッタリ倒れてしまったのである。

 

 極度の疲労、裂傷、出血、左手の骨折……。

 まあ、倒れるべくして倒れた、という感じだけど。

 

「あーあ。何事もなく、平和に商談だけ済ませて……和気あいあいと、投資をガッポリ引き出す予定だったのに」

「商談そのものは、滞りなくまとまりましたから。結果は上々ですよ」

「そうなんだけどさぁ……まさかこんな大事になるとは思わなかったじゃん。トラブルばかり舞い込み過ぎなんだよ」

 

 戦後、行われた商人たちとの契約も。

 僕は意識を保つのに精いっぱいで、話し合いに同席してるだけ。

 

 ほとんど、オノレとヘイホーに任せきりだった。

 

 まともに話も聞けないから、言われるがままコクコクと頷いていただけ。

 

「最後まで、ビシッとカッコよくしていたかったんだけどなあ。情けないったらありゃしないよ」

「格好よかったですよ、ずっと。……ご立派でした」

「本当に? お世辞じゃなく?」

「ええ、偽らざる本心です……ですが、もう無理はなさらないでください。おみ足の状態も、決して芳しくはないのですから」

「足、ね」

 

 無茶が祟ったのだろう。

 

 神経が引き攣るような痛みと違和感が、一向に取れないまま。

 喉も喋るたびに傷み、全身がどこか熱っぽい。

 

 ――ガチャ。

 

 足を引きずるような音が入って来たかと思えば。

 

 カツン、カツン、と。

 どこか頼りない杖を突く音が続く。

 

「若様、お加減はいかがですかな」

「……ゲロハルト」

 

 よろよろと立つ、老執事ゲロハルト。

 

 村と僕を守るため、無理を重ねたこの老人は……すっかり痩せ細ってしまった。

 脚の筋肉も衰え、杖なしでは一歩を踏み出すこともままならないようだ。

 

 すぐ傍には、ヘイホーが心配そうに付き添っている。

 

「ゲロハルトさん。どうぞこちらへ、この椅子を――」

 

 ヘイホーが慌てて気を遣い、椅子を差し出すが。

 

「いいえ。主君の前で、椅子に座る訳にはいきませぬ」

「そ、そうですか? ですけれど……そのぉ……」

「ヘイホー、その気持ちは有難く受け取っておきましょう。されど、我が家の格式は保たねばなりません」

 

 老執事ゲロハルトは、すっぱりと断った。

 見ているだけで、胸が締め付けられるような心許ない足取り。

 

 それでも、少しでも丸まった背筋を伸ばそうと努力する。

 そんな頑固さに、僕は……。

 

「……わざわざどうした、ゲロハルト」

「村の様子のご報告に参りましたぞ。領民たちは、戦利品を抱えて意気揚々としておりまする。猟兵たちに少なからぬ被害はありましたが……シスター・マグダリアによる懸命な治癒もあり、犠牲は最小限にとどまったかと」

「……ゼロというわけにはいかなかったな」

「誰も彼も、この危機を理解した上での覚悟でございました。ですから、生き残った者たちには手厚い恩賞を」

「そうだな。……そうすることにしよう」

 

 降りかかる災難すらも、明日を生きるための糧に変える。

 その強さは、まさに逞しいの一言に尽きる。

 

 やるべきことは山積みだ。誰も彼もが息つく暇もなく奔走している。

 

 散らばる死体の処理、村の復旧、捕らえた賊の尋問。

 受けた融資を運用し、事業を拡大させるための準備も必要だ。

 

 なのに、僕だけがこうしてベッドの上でジッとしている。

 

「……ゲロハルト。お前も万全じゃないんだから、あまり無理をするな」

「何を仰いますか。年寄りは、むしろ意識して身体を動かさねば、すぐに朽ち果ててしまうものです」

「いつもの、腰痛なんかとは……ワケが違うんだろ?」

 

 ゲロハルトが、どんな手段を用いたのかは詳しく知らない。

 だが、この爺が本来の限界を超えてまで無理を押し通したのだと。

 

 それくらいは、薄っすらと理解している。

 

「ええ、ですが……」

 

 老執事ゲロハルトは穏やかに、心から満ち足りたような笑みを浮かべた。

 

「久方ぶりに、良い夢を見ることが出来ました」

「……良い夢、か」

「はい。役にも立たなくなった老骨が、鼻水たらして泣く無力さ以外のものを、熱く胸に抱いて戦うことが出来たのですからなぁ」

「……そうか」

 

 僕が乱心している“毒喰らいの男爵”だというのなら。

 この爺も、相当、乱心しているに違いない。

 

(あれだけ魔物を喰らう僕を止めたくせに……こいつは何をしているんだろう)

 

 しかし、だ。

 こんなゲッソリやせ細った顔つきで……そこまで幸せそうにされてしまうと。

 

「大義だったな、ゲロハルト。きっと、このヤバマーズの歴史をどれだけ遡っても、お前ほどの忠臣はいなかったことだろう」

「ははあっ! 勿体なきお言葉、有難き幸せ!」

 

 泣いて、「もう二度としないでくれ」とすがった方が人間らしいのかもしれない。

 けれど、僕は主人として……彼を讃える言葉を選ばねばならないのだと理解する。

 

 ひどく胸が疼く……もどかしい。嫌な気分だった。

 

 老執事ゲロハルトは、噛みしめるように頷くと。

 視線をリュスへと移した。

 

「そうでした。この老いぼれ、リュスにも感謝せねばなりませんな」

「えっ。わたくし、に……?」

「思えば、リュスが私めに、特等の花道をご用意くださったのではありませんか。……同胞たるあなたを信じて、本当によかった」

「いいえ、助けられたのは……わたくしの方なのです。わたくしは……ただ……」

「我らが、女執政代行(グヴェルナント)リュス。いいえ、今は専属女使用人(メイド)でしたか、いずれにせよ」

 

 深く、深く。

 

 慣れない杖に重心を預けながら。

 今にも倒れそうに、ふらふらと。

 

 老執事ゲロハルトは、リュスに頭を下げる。

 

「老い先短い爺は、大切な御方になにも出来ない無力さを……此度は、噛みしめずに済みました。本当に、本当に感謝を申し上げます」

 

 リュスは困惑に瞳を揺らして。

 ……沈黙を守ることしかできなかった。

 

 彼らが部屋を辞する直前、僕は衝動的に声を掛けた。

 

「えと、ヘイホー」

「え? はい、なんでしょう。男爵閣下」

「……とにかく、ゲロハルトの言う通りにするように。現場で多くを学ぶ、いい機会だ」

「はいっ! 心して務めます!」

「あと……ゲロハルト。長生きしろよ。まだまだお前をこき使ってやる」

「それは、大変嬉しゅうございますなぁ」

 

 皺だらけの顔を、さらにクシャクシャにして笑い。

 老執事はもたもたと、部屋を去って行った。

 

(あんなに……背中が小さく見えただろうか。残った、たった一人の――僕の家族よ)

 

 思わず、視界が滲みそうになったが。

 僕は袖で拭って、すぐに隠した。

 

 見送った後、リュスが呟く。ぽつり、と。

 

「……わたくしは、必死だった。ただ、それだけ……それだけのことなのに」

 

 滲むのは、根深い無力感と。

 拭いきれない絶望の色。

 

「最後には心を折り、膝を屈して、しまったのに……」

「……リュス」

 

 そんなことはないよ、と言ってやりたかった。

 ……けれど。

 

(僕は……リュスの苦労など、本当の意味では理解してやることも出来ないくせに。なにを、えらそうに慰められるというんだろうか)

 

 知ったかぶりな言葉なんて、軽々しく言えないから。

 

「僕も……リュスには感謝しているんだよ」

 

 ありったけの感情は、そのたった一言になってしまった。




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