僕は柔らかな毛布にくるまり、天井を見上げていた。
視界が時折、白く霞む。
「なんだか、いつも寝込んでいる気がするな……」
僕がぼやくと、凛とした佇まいの
リュスは窘めるように言った。
「いつもご無理なさるからですよ、ご自覚が足りません」
もはや、聞かない子供に言い聞かせるような口調だな、これ。
「……別に、僕だって好んでこんな目に遭っているわけじゃないぞ」
「本当にそうでしょうか。ご自身の健康と立場を天秤にかけた時、いつも後者を優先されているように見受けられます」
「そんなことはないってば! ――痛っ!」
「あまり大声を出すのはおやめくださいまし。お身体に触ります。喉が裂けてもよろしいのですか?」
「……それは嫌だけどさぁ……はあ」
どうにも、視界が覚束ない。
思考の輪郭もぼやけていく。
またもや、ひどく情けない気分だった、
弟イリリクと王国軍を退却させた後。
僕は、バッタリ倒れてしまったのである。
極度の疲労、裂傷、出血、左手の骨折……。
まあ、倒れるべくして倒れた、という感じだけど。
「あーあ。何事もなく、平和に商談だけ済ませて……和気あいあいと、投資をガッポリ引き出す予定だったのに」
「商談そのものは、滞りなくまとまりましたから。結果は上々ですよ」
「そうなんだけどさぁ……まさかこんな大事になるとは思わなかったじゃん。トラブルばかり舞い込み過ぎなんだよ」
戦後、行われた商人たちとの契約も。
僕は意識を保つのに精いっぱいで、話し合いに同席してるだけ。
ほとんど、オノレとヘイホーに任せきりだった。
まともに話も聞けないから、言われるがままコクコクと頷いていただけ。
「最後まで、ビシッとカッコよくしていたかったんだけどなあ。情けないったらありゃしないよ」
「格好よかったですよ、ずっと。……ご立派でした」
「本当に? お世辞じゃなく?」
「ええ、偽らざる本心です……ですが、もう無理はなさらないでください。おみ足の状態も、決して芳しくはないのですから」
「足、ね」
無茶が祟ったのだろう。
神経が引き攣るような痛みと違和感が、一向に取れないまま。
喉も喋るたびに傷み、全身がどこか熱っぽい。
――ガチャ。
足を引きずるような音が入って来たかと思えば。
カツン、カツン、と。
どこか頼りない杖を突く音が続く。
「若様、お加減はいかがですかな」
「……ゲロハルト」
よろよろと立つ、老執事ゲロハルト。
村と僕を守るため、無理を重ねたこの老人は……すっかり痩せ細ってしまった。
脚の筋肉も衰え、杖なしでは一歩を踏み出すこともままならないようだ。
すぐ傍には、ヘイホーが心配そうに付き添っている。
「ゲロハルトさん。どうぞこちらへ、この椅子を――」
ヘイホーが慌てて気を遣い、椅子を差し出すが。
「いいえ。主君の前で、椅子に座る訳にはいきませぬ」
「そ、そうですか? ですけれど……そのぉ……」
「ヘイホー、その気持ちは有難く受け取っておきましょう。されど、我が家の格式は保たねばなりません」
老執事ゲロハルトは、すっぱりと断った。
見ているだけで、胸が締め付けられるような心許ない足取り。
それでも、少しでも丸まった背筋を伸ばそうと努力する。
そんな頑固さに、僕は……。
「……わざわざどうした、ゲロハルト」
「村の様子のご報告に参りましたぞ。領民たちは、戦利品を抱えて意気揚々としておりまする。猟兵たちに少なからぬ被害はありましたが……シスター・マグダリアによる懸命な治癒もあり、犠牲は最小限にとどまったかと」
「……ゼロというわけにはいかなかったな」
「誰も彼も、この危機を理解した上での覚悟でございました。ですから、生き残った者たちには手厚い恩賞を」
「そうだな。……そうすることにしよう」
降りかかる災難すらも、明日を生きるための糧に変える。
その強さは、まさに逞しいの一言に尽きる。
やるべきことは山積みだ。誰も彼もが息つく暇もなく奔走している。
散らばる死体の処理、村の復旧、捕らえた賊の尋問。
受けた融資を運用し、事業を拡大させるための準備も必要だ。
なのに、僕だけがこうしてベッドの上でジッとしている。
「……ゲロハルト。お前も万全じゃないんだから、あまり無理をするな」
「何を仰いますか。年寄りは、むしろ意識して身体を動かさねば、すぐに朽ち果ててしまうものです」
「いつもの、腰痛なんかとは……ワケが違うんだろ?」
ゲロハルトが、どんな手段を用いたのかは詳しく知らない。
だが、この爺が本来の限界を超えてまで無理を押し通したのだと。
それくらいは、薄っすらと理解している。
「ええ、ですが……」
老執事ゲロハルトは穏やかに、心から満ち足りたような笑みを浮かべた。
「久方ぶりに、良い夢を見ることが出来ました」
「……良い夢、か」
「はい。役にも立たなくなった老骨が、鼻水たらして泣く無力さ以外のものを、熱く胸に抱いて戦うことが出来たのですからなぁ」
「……そうか」
僕が乱心している“毒喰らいの男爵”だというのなら。
この爺も、相当、乱心しているに違いない。
(あれだけ魔物を喰らう僕を止めたくせに……こいつは何をしているんだろう)
しかし、だ。
こんなゲッソリやせ細った顔つきで……そこまで幸せそうにされてしまうと。
「大義だったな、ゲロハルト。きっと、このヤバマーズの歴史をどれだけ遡っても、お前ほどの忠臣はいなかったことだろう」
「ははあっ! 勿体なきお言葉、有難き幸せ!」
泣いて、「もう二度としないでくれ」とすがった方が人間らしいのかもしれない。
けれど、僕は主人として……彼を讃える言葉を選ばねばならないのだと理解する。
ひどく胸が疼く……もどかしい。嫌な気分だった。
老執事ゲロハルトは、噛みしめるように頷くと。
視線をリュスへと移した。
「そうでした。この老いぼれ、リュスにも感謝せねばなりませんな」
「えっ。わたくし、に……?」
「思えば、リュスが私めに、特等の花道をご用意くださったのではありませんか。……同胞たるあなたを信じて、本当によかった」
「いいえ、助けられたのは……わたくしの方なのです。わたくしは……ただ……」
「我らが、
深く、深く。
慣れない杖に重心を預けながら。
今にも倒れそうに、ふらふらと。
老執事ゲロハルトは、リュスに頭を下げる。
「老い先短い爺は、大切な御方になにも出来ない無力さを……此度は、噛みしめずに済みました。本当に、本当に感謝を申し上げます」
リュスは困惑に瞳を揺らして。
……沈黙を守ることしかできなかった。
彼らが部屋を辞する直前、僕は衝動的に声を掛けた。
「えと、ヘイホー」
「え? はい、なんでしょう。男爵閣下」
「……とにかく、ゲロハルトの言う通りにするように。現場で多くを学ぶ、いい機会だ」
「はいっ! 心して務めます!」
「あと……ゲロハルト。長生きしろよ。まだまだお前をこき使ってやる」
「それは、大変嬉しゅうございますなぁ」
皺だらけの顔を、さらにクシャクシャにして笑い。
老執事はもたもたと、部屋を去って行った。
(あんなに……背中が小さく見えただろうか。残った、たった一人の――僕の家族よ)
思わず、視界が滲みそうになったが。
僕は袖で拭って、すぐに隠した。
見送った後、リュスが呟く。ぽつり、と。
「……わたくしは、必死だった。ただ、それだけ……それだけのことなのに」
滲むのは、根深い無力感と。
拭いきれない絶望の色。
「最後には心を折り、膝を屈して、しまったのに……」
「……リュス」
そんなことはないよ、と言ってやりたかった。
……けれど。
(僕は……リュスの苦労など、本当の意味では理解してやることも出来ないくせに。なにを、えらそうに慰められるというんだろうか)
知ったかぶりな言葉なんて、軽々しく言えないから。
「僕も……リュスには感謝しているんだよ」
ありったけの感情は、そのたった一言になってしまった。
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