領地の復興。
みんなの献身もあって、少しずつ着実に歩みを進めていた。
病み上がりの身体をまだ引き摺っている僕が。
あえて無理をしてでも、今、完遂せねばならないことがある。
――以前交わした、約束を果たすこと。
(機を逃すと、すぐ怖じ気づくからなあ。……僕って)
生来の僕は、怠け者で……臆病なのだ。
深い闇に包まれた夜。
窓から、外を見れば……やはり、月は赤く。
星は、まったく見えない。
「陰気な夜空だよなあ……」
ヤバマーズの夜は、ロマンチックとは対極にある。
そんな予感に、足取りがいっそう重くなった。
歩く廊下、目指す扉の先。
――ガチャリ。
静かに扉を開けた。
季節外れで、使われない暖炉には夏板がはめ込まれている。
埃や虫が入りこまぬように、だ。
以前、ロダンが点検したのもあり、蚊が通る隙間さえないだろう。
その前に置かれた、小さなテーブルと椅子。
そして、温かみのある灯りを放つランプ。
「あっ、アスタ様。こちらです」
そこに座って待っていたのは、
またもや、ヤバマーズの伝統ある
(いや、なんでだ?)
正直、僕は頭が混乱した。
というのも昼間のリュスは、執事服を着て、
マダム・リュスなんて呼ばれて、屋敷を切り盛りする姿とはかけ離れている。
(どうして、二人きりで会う時は
疑問に思ったが、口にはしない。
リュスがどんな服装をしていても、それは彼女の自由だ。
個人的な本音を漏らすなら、パンツスタイルの凛々しいリュスも、実はかなり好きだったりするんだけどなぁ。
「申し訳ありません、アスタ様」
「ん、なにがだい?」
「……わたくしの、ワガママを聞いてくださって」
さて、僕がテーブルに置いたのは、以前と同じ品。
厚切りの肉から魔素を抜くことは、今の僕の技術ではやはり不可能。
でも、だからこそ、この薄い肉の一枚一枚に手間がかかっている。
「しかし、その……左手には負担はなかったのですか? お身体も、まだ不自由なのに」
砕かれた左手、ヒビ割れた漆黒のウロコ。
依然として、僕は片手で生活することを余儀なくされていた。
「ああ。今回の除染には、左手の異能は一切使ってないよ」
「そうなのですか?」
「ほら、領地に魔物肉を普及できるように考えているって言ったろ。これも研究の成果なんだ。嫌がるオノレに除染術式を編み出してもらって、それをジルの技術で魔導工具に落とし込んで――」
そこまで説明しかけて。
これも全然、ロマンチックな話題じゃないな、と気が付いた。
女性に、技術論を嬉々として話してどうする。
「だからさ、これは僕が仕留めた魔物じゃないし……それに、みんなに手伝ってもらってたんだ。……ごめんな」
「なにを謝ってらっしゃるのですか?」
「えと、前みたいに、なにからなにまで自分で用意してあげたかったなって……」
「ああ、そういうことでしたか」
リュスはどういうわけか。
長い睫毛を伏せるようにして、甘く、目を細めた。
「アスタ様は、また……ご自身で、調理なさろうと考えてくださったのですね」
「……あー。結局、出来てないけどね」
「それでも、わたくしからしてみれば、アスタ様がご用意してくださった事実に変わりありませんよ」
芳ばしい脂の匂いが、ふわり鼻腔をくすぐる。
やはり、立ち上る匂いは悪くない。
「さて、冷めないうちに一緒に食べるとしようか」
僕が隣に腰を下ろすと、リュスは微笑んだ。
まずは、一切れ。
リュスがフォークを手に取り、口へと運んでいく。
ゆっくりと慈しむように咀嚼し……嚥下。
ゴクリ、と。
真っ白な喉が小さく動いた。
「どう、かな?」
「……美味しいです。やはり、この味はわたくしにとっての“特別”です」
「そうか」
「つくづく、わたくしはダメな女ですね」
予想外の言葉。
思わず、僕は瞬きをした。
「どうしてそう思う?」
「肉の処理や調理なんて……本来、領主のすべき仕事ではありません」
「まあ、普通の貴族だとそうなのかもなあ」
多くの貴族にとっては、狩りはスポーツに過ぎない。
それは使用人や従者の役目。
「でもさぁ、田舎の貴族だと畑を耕す人もいるくらいだよ」
「それは……本当ですか? しかし、貴族というものは……」
「卑しい仕事に従事してはならない。確かにそうだ」
でも、このルールには奇妙な抜け道があった。
“家族を養うために、自領の土を耕す”のは、貴族の矜持を汚す労働とは見做さない。そんな免責条項。
「農奴もまともに養えない底辺貴族はさ、家族と一緒に鍬を持って生きるんだ」
「貴族なのに、鍬を?」
「そう、握ったことないだろ」
「……ありません」
「だろうなぁ。でも、なのに、みんなプライドはめっちゃ高いんだよ? 教会に行く日曜日だけ格好つけて、立派な剣を腰に差すの。……本当に滑稽だろう?」
さすがのリュスも、目を丸くしていた。
理解の外だったらしい。
でも、こんな話題じゃ笑ってはくれなかった。
……ウケると思ったんだけどな。
「まっ。だから田舎の貴族は、都会じゃバカにされるってわけさ」
「そのようなことは……」
「いや、されて当然だ。前にロダンが、“辺境貴族のマントは、家畜のフンの臭いが染み付いている”なんて揶揄してたけど。……あながち嘘でもないからな」
「……ヤバマーズ男爵家も、畑仕事をすることがあったのですか?」
「まあね、必要とあらば」
「……」
「で、うちの家系は魔物を食い止める僻地領主。たとえ貴族であっても、狩人を束ねる者としては、森で行う技や知識全般……解体調理も立派な嗜みなんだよ」
だから、僕が野草湯を煎じて飲むのも、単なる貧乏暮らしの結果ってだけではなく、薬湯を煎じる技術の実践でもあった。
そんなちょっとしたことでも、使わないと忘れてしまうから。
「……わたくしも、覚えるべきでしょうか」
「ん?」
「いえ、なんでもありませんわ。そうだったとしても、女のワガママのために、領主様が料理などするべきではありませんよ?」
「ええっ!? まさか、僕は今、叱られているのか?」
「ふふっ、そうですよ。……あまり、わたくしを甘やかしてはいけません」
「……困ったな。甘やかしているつもりはなかったんだけど」
「ですが、わたくしはそれを嬉しいと思ってしまっている。……だから、きっと失格ですね」
「失格……?」
なにについての失格なのか。
僕には、どうにも量りかねた。
リュスもそれ以上は語らず、穏やかな微笑みを浮かべているだけ。
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